ジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論
沖縄から日本を観る
沖縄から沖縄を観る
3日本人とリズム感
1:序文 2000.3/292:成毛滋(なるも.しげる)の体験的リズムマスター論 1972.12
さて、この問題を今さら、持ち出す事もないだろう?と言う年代の方もいると思います。
ところが、終わらない「永遠の課題」です。
「若者はリズム感が年々よくなっている」と思われるでしょうが、昔も今も同じです。どちらかと言えば、その正反対と言えるでしょう。
ダンスはリズムに乗っていません。それは、多くの日本人のタップダンサ−の打ち出す「リズム」のどこがバックの音楽との接点なのだろう?と音楽を生業とする私でも判断する事が不可能と思える場面に昔からよく出くわしました。
「タップダンス」とは、そんなものなのだろう、と考えていたら、昔、テレビで「サミ−デイビスJr.来日公演」を見て腰を抜かしました。
「何と、リズムに乗っていて気持ちよいのだろう、これが本物のタップだったのか!」と、改めてこの問題の深さに驚いたものです。今から25年近くも前の事でした。
現在の若者が克服したのでしょうか?それは「ありえません」。
なぜならリズム感はその国の「言語」と密接なつながりを持ちます。
華原朋美、安室奈美恵に代表される若手の「英語の発音」は、昔と比べものにならないくらいよくなっているのでしょうか?
その道の専門家なら、自身も含めて即座にこのリズムの問題は「語学教育」の歴史と共に「永遠の課題」である事に気づかれる事でしょう。
徹底してトレーニングを積んだ者しか克服していかない問題の一つです。
「最近の若者はリズム感がよい」という問題は「最近の若者は英語の発音がよい」と言う問題に置き換えれば音楽を生業としていない者にもわかりやすい例えとなります。
そんな事は「あ.り.え.ま.せ.ん!」
では、皆、音楽をする若者は、最近はどうしているのでしょうか?
結論を先に言えば、最近は、その音楽の大半が「機械」にまかせているため、どんなにリズム感の悪い者でもプロとしてアレンジャー、作曲家、にもなれるという事です。
私はこれを「時計のリズム」と呼んでいます。
この「時計のリズム」に合わせられない者は「リズムが悪い」と言っているのです。
英語で言う「タイム感」は、「リズム感」と日本では受け取られ、現在、これにぴったりに合わせる事ができる者のみが「リズム感」がよいと言われているのです。
私は「ふ〜ん」と聞き流してきましたが、では「機械のない時代の人々」は現在よりもリズム感が劣るのでしょうか?
リオのカーニバルで音楽を演奏するミュージシャンは皆、ミディコード(楽器同志をつなげて同期演奏するための電気コード)で奴隷のように、政府が決めた大きな「電子メトロノーム」につながれて一斉に同じテンポに従い演奏しているのでしょうか?
今の時代なら「本当はその方がよいリズムになる」と言っているのです。
(ちなみに「電子メトロノーム」より、もっとリズムがよいのは「原子メトロノーム」になると思いますが、あるのでしょうか?あっても高いでしょうからよほど自己に厳しい人しか買わないでしょう)
現在、皆さんが聞いているヒット音楽のCDのすべては、こうした「時計」にしたがい演奏されています。
(「時計」に従わない人は「エリート」とはほど遠い「野蛮人」に見えるでしょうが、沖縄の人はこの論で行くと、ものすごい「野蛮人」です。何時来るかわからないバスを誰も並ばずに平然と「ぼ〜」として待ち続けているのです。「すごいですねえ〜」スペイン人と比べるとどうかわかりませんが、一応、通知しておきますが、心配しなくてよいです。なぜか、バスが来ると、自然にあちこちから集まり、一人一人乗車して行きます。感動的な光景ですが夏は暑いです。)
なぜ、これほど「時計のリズム」が主流になって来たのでしょうか?
それは、一言で言えば、「リズム音痴民族」だからです。身体の中に「リズム」と言うものがないからです。
私がこういう話しをこの調子で述べていると、聞こえてくる声もあります。
無視して3年ばかりは、誤解されてもかまわないのですが、そう言う人は、たぶん、「何に対してリズムがよいと言っているのか?」とまず問うでしょう?
それには「西洋に対してだ」と答えます。
「西洋と言っても広い、西洋のどこだ?」と言われれば、「ふ〜ん、中々手強いタイプか」とだけインプットしておきますが、それならば、と「日本人が大好きなアメリカとイギリスだ、ついでにフランスだ」と言ってこの議論を止めたいと思います。
それ以上は「人種問題」です。
それは「何をもってスタンダードイングリッシュとするのか?」と言う問題にも言えるので、これは、英語関係の人にぶつけて下さい。
音楽の世界では、いくらやっても楽器は上手くなりません。
「その国の楽器はその国に従う」とだけ言っておきます。充分でしょう?
例えば、三味線がアラビアの人々の間で流行していると聞き、行って見ると皆、洗濯物を干す際に利用していた、と知った時の事を思えばよいでしょう。
それが極端ならライクーダーが一切の「日本民謡」を知らないのに「ボトルネック奏法で弾いていた、というのはどうでしょう?それが若者の間でも流行していたとしたらどうでしょう?
「1曲でも日本民謡をちゃんと弾く気はないか?」と尋ね、「ない!」と答えたらどうでしょう?
「ふ〜ん」と立ち去るしかありません。『註:ライクーダー:人間の名前。ボトルネック奏法しか弾かないアメリカ?のブルースギタリスト。最近、キューバの”古きよき時代”を生きた老”ドンバー”(バンドマンの正式隠語名称)を引っ張り出して作った映画があるらしい。見ていない。この沖縄にもたくさんいる。酒、博打、女、音楽は必須アイテムである。
キューバには、音楽一筋に無名のまま死んだ若手ミュージシャンもいたことだろう。現在のレベルを見ればわかる。
ちなみにデュークエリントン(創世記のジャズオーケストラの作編曲家の巨人。今世紀に残す音楽の第3位)の私生活は学校では教えられない。
ボトルネック奏法:ビールの瓶などの首を切って指にはめ、スライドさせてギターを弾く奏法の事。風邪薬の瓶がよい音がすると70年代に噂され、いたいけな青少年は、皆、「ルル」を手に入れたが、指が入らなかった。後にアメリカ製の風邪薬の瓶らしいと噂し直されたが、結局、誰も手に入れなかった。』
「何が西洋だ、今はアジアなんだよ、これからはアジアなんだよ!」となぜか経済界のターゲット先と同じ事を言ってきたらどうでしょう?
それに対しては、「もっと儲かりそうもない国の音楽に興味はないか?」と尋ねます。
「それは、どこか?」と聞かれてもここでは言えない話しですので、しかし探せば100国くらいは見つかると思います。そろそろ「琉球」にも飽きて来たようですが、経済界はまだまだ飽きてはいないようです。
それと、ついでに言えば、「エスニックミュージック」をシンセサイザ−でつくると皆 Eフラットマイナーのキ−になりますから注意して下さい。
鍵盤楽器の白鍵は「白人専用」で黒鍵は「黒人、アジア人専用」になっていますから黒鍵ばかりをいじっているとEフラットマイナーのキ−にしかならないですから。
フラットが6コも揃ったからって「高尚な曲」にはならないですから。偶然「エスニック」になったのではないと思いますよ。(ギターならEマイナーでしょう、Aマイナ−の人もいますが、それはロック出身の人です)
人間、自分にできそうな事しか「自慢」しないですから、白鍵ではありふれた曲になったからなのでしょうけど、(そこがまたやりがいがあるのですが)
「白鍵」で自分でもよい曲ができたのに「エスニック命」とばかりは言いづらいでしょう。
要は、何でもよいのですが、「それらしく」弾いた方が、他国の文化を尊重している事になると思います。
本当に「エスニック」が好きなら西洋から見ると、自国、日本も「エスニック」ですから興味を持つ事ができれば「日本音楽の再発見」團伊玖磨、小泉文夫著(講談社新書)くらいは読んでおくと参考になると思います。
さて、ようやく本題に入ります。
中学2年次に、フォークグループを友人と二人で結成していた少年が、勝手に入った友人の部屋で、不在の友人の帰りを待ちながら何気なく見つけた音楽雑誌(主にフォーク)の記事を読み、あまりの衝撃にグループを解散し翌日からロックギタリストを目指し猛特訓を始めました。
学校も勝手に4時限目が終ると帰ってギターばかり弾いていました。(おい、おい、残りの授業はどうした!)すべてはこの記事(後述)から始まりました。そしてこれは日本人が西洋音楽を志した場合の「永遠の課題」であることを知りました。
簡単に例えれば、日本人と絶対にバレない本物の発音を外国語で身につける事は可能か?という問題と似ています。
原稿(譜面)があらかじめ用意されている場合は、NHKのアナウンサーのようになんとかする事はできます。(コミュニケーション学の見地からは、外国語の発音なんて通じればど〜でもよいものですが。念のため。)
しかし、まったくのアドリブの状態(フリートーク)で、どんなに酔っていても録音されたものからネイティブスピーカーが聞いても「これは、自分と同じ国の人間である」と判断されるだろうか。ということです。
この問題は自分の生まれ故郷以外の役をしなければならない役者の世界にも例えられます。大抵は、その地方の者は「ちがうなー」と違和感を持ちながら見ることになります。
*青森出身の役者が大阪商人の役をする場合
*アーノルドシュワルツネッガーが、シェークスピア舞台劇にあこがれてしまった場合
*テレサテンが「りんご追い分け」を唄った場合の中間の独り言を言い始めた瞬間に作り出すであろう無国籍風景の場合。
実際の例としては、アコーディオンの世界一となって活躍している小林靖宏氏がイタリアで18才の頃音大受験した際、その審査をした教授が「最初、バッハを弾いてるという事はわかったが私にはなぜか遠い異国の音楽に聞こえた」とテレビでコメントしていた事を覚えています。
それから氏の猛特訓が始まったと言います。(クラシックとビートをもった音楽のノリは全くちがいます。1からやり直しです。念のため。「時計リズム」で行くなら問題はありませんが、、。練習すれば誰でも修得できます。真面目な人向けです。)
古くは日本の人気技巧派デジタルリズムフュージョングループがブラジルへ渡り、現地のナンバーワンパーカッショニストを頼んだのですが、とうとう最後までリズムが合わずにボツになった、とか。
また、あるブラジルのミュージシャンが日本のサンバ好き人気フュージョンギタリストの音楽を認めながらも「でも彼のはサンバじゃないよ、彼は4拍子でリズムを取っている。われわれは2拍子で取っているんだ。」とインタヴュ−で答えていました。
かつて、マンガ「巨人の星」で飛雄馬が父、星一徹が青雲高校の野球部の監督に就任する前日、これからは父でもなく子でもなく、監督と一選手としての関係になる事を告げ、最後の父親らしい事をするため飛雄馬を初めてデパートの屋上のレストランへ連れて行きました。
そこで、すねた飛雄馬は「一番高いもの!」と注文しさらにナイフとフォークを放りだし「箸はないのか!箸持ってこい!」と父一徹を困らせようとします。
私はこの感動的? 逸話から「オレは日本人だ!箸もって来い!」ミュージックというジャンルを独自に設け、せっせとレコード棚を整理した覚えがあります。
日本にアメリカ文化が定着しつつある時代の話しです。沖縄が25年も前に経験したことです。
さて先人達がいかにこの「西洋リズム」という問題に取り組んで来たか?楽しい読み物として読んで見て下さい。
以下はその原文のまま全文掲載 1972年の音楽雑誌「ガッツ」12月号P129〜131に掲載された記事です。約30年も前の記事を復活させます。今だ所有している事実に「ガッツ」誌は感謝されたし。衝撃的な記事は30年の時を越えるか!
成毛滋:(以下のサイトは誰が作ったかは不明の非公式サイトです。氏に関する記述はあまり見当たりません)
『成毛氏はドラマーの角田ヒロ氏と「ドクタ−.シーゲルとフライドエッグ」等を結成。当時若手の高中正義(現在ギター)にベースを担当させる。角田ヒロ氏の「メリージェーン」などのギターを後年録音、またマルチ.キーボーディストぶりを発揮し佐川急便などのCM音楽を作成。東京お茶の水の「石橋楽器」「ブリジストン」等が関係筋。早くから音楽界に見切りをつけビジネス界に転身』
日本人に<リズム音痴>からの脱出は可能か!(成毛滋 1972年 )
リズム、リズム感...., リズムがいい....などといった言葉がよく使われているのをきく。しかし、こういう言葉の持つ意味をわかってる人がどれくらいいるのだろうか。おそらく、ほとんどの人は訳もわからずに使っているのだと思う。
僕も、大学2年の時、あの天才ギタリスト、Iさんに会うまでは知らなかったことだ。
当時の僕は、アマチュアバンドでパーティーやコンサートなどに出演したり、いろいろなエレキギター合戦にかたっぱしから出場しては優勝し、賞金をかせぎまわったり、全国で個人技能賞まで取ったりして、かなり天狗になっていた頃であった。コンテストあらしとしてその名を知られ、ゲストのプロのバンドにまで、恐れられるほどであった。だから初めてIさんに紹介された時もどうせ大したことはないだろう...くらいに思っていた。
「ギターなんかやめろ」といわれて
Iさんと会うことになったのも、僕の友人がレコーディングすることになった。たまたまバックバンドがいなかったので、臨時のメンバーを集めることになって、そこへ僕も呼ばれ、それで気楽に友人の家に行ったら、Iさんも来ていた....といったことからだ。そこで友人は、僕を「アマチュア−日本一の成毛君です」といって紹介した。
Iさんは「フーン」とまるで興味のなさそうな顔で答え「ちょっと何か弾いてごらん」と言った。
この野郎、ちょっと驚かしてやろうと思い、ギターをアンプにつないでまずちょっとポローンとCのコードを弾いてみた。すると突然Iさんは.,,,,,,,.「あ、おまえギターなんか止めろ!」と言ったかとおもうと、その場を立ち去ってしまった。
まだ何も弾いていないのにこんなバカな話はない。頭へ来るというよりあっけにとられてしまった。
次の日、友人の家でIさんに「一体、どういうことなんですか!」と問いつめると、「おまえが今までやってきたことは、全てまちがいだ、いわばウソを覚えてきたようなものだ、だから もし おまえがギターをやっていきたいんだったらまず、今までやってきたことを全部忘れろ。そして正しい知識を1から勉強し直すんだ。そうすればおまえでも、ギターを弾けるようになるかもしれない」と言われた。
まがりなりにも全国大会で日本一になった僕である。この言葉はきつかった。しかし その場はIさんにすごい何かがあるような気がした。いわば昔の剣豪がひと目見て『ムム!こやつできるな』と思ったような直感的なものを感じたのである。
しばらく考えて僕は言った。「わかりました。全てをわすれますから1から教えてください。」「よし!」その時のくやしさはなかったが同時に、何かを身につけられるような期待も湧いた。
日本の音楽にはリズムという考えがなかった
はじめ僕はベースをもたされた。
「いきなりギターでやってもわかりっこないからまずベースで練習しろ」と言われたのである。何を弾かされたと思ったら「ド〜ソソ〜 、」という単純なフレーズである。
これをゆっくり、くり返して弾いてみろと言う。そこで弾いてみると「何だ!それは!リズムがまるでないじゃないか!」と怒鳴られた。「おまえが弾いているのはメロディーだ。これはリズムのリフだぞ。それじゃあ民謡じゃないか!」と言う。一体何のことだかさっぱりわからない。困っていると「じゃあ それを2ビートで弾いてみろ」といわれた。
「はっ?」と聞き返すと、「次に4ビート、8ビートでその同じリフを弾いてみろ!」
といわれた。ますます困ってしまった。何をやればいいんだか、さっぱりわからない。
するとIさんは、ベースをとり「見てろ!」と言ってそのリフを弾きはじめた。「これが2ビートだ!」と言ってあのフレーズを引き続けている。
「次に、これが4ビートだ」というのだが弾いているフレーズはまったく同じでテンポも全く同じ。どこがどうちがうのか。さっぱりわからない。次に「これが8ビートだ!」と言ってIさんは弾いているのだが、やっぱりまったく同じである。「わかったか?」と言われても全くわからない。
それからはもう地獄の毎日である。Iさんも仕事があるのでそうしょちゅうは会えない。
僕のバンドも仕事をしていたので、葉山や軽い沢に行っていたがIさんに会える日は、どんな所からでも通った。だんだんわかってきたことは音楽には3つの要素があるということである。
それは、1 メロディー(旋律)2 コード(和音)3リズム の3つである。そしてこのリズムは、日本語にない。なぜなら日本の音楽には(一部の地方の民謡を除いて)リズムがないからである。和音もあまりなく、日本の音楽というのは主に
1 旋律(メロディー)2 間(タイミング)の二つの要素から成り立っている。(もちろんいろんな説があるが、、、)
そして、この『 間 』というのは、外人には絶対に理解できないものである。日本舞踊や歌舞伎などは、この『 間 』が大事なのだが、外人に教えても絶対に理解できないそうである。
よくある、イョ〜ッ、.......ポン! (鼓, つづみ等の)というのを聞いて、外人は、「彼等は、どうやって、拍数を数えているのか?」などと質問して来る。しかしこれは、拍数などというものでなく『イョ〜』と言ってから全く感覚だけで、この辺だなと狙って『 ポん 』と打つ。これが『 間 』であり、これは日本人独特のものである。
2ビート、4ビート、8ビートの違いをやっと会得
逆に日本人には、リズムに乗る...ということはできない。Iさんが僕にいわんとしたことはこのことである。即ち、いくら西洋楽器であるギターを持っていたところで、リズムがなかったら西洋音楽など弾けっこない。だから民謡じゃないかと言ったのだ。
また、ギターは、メロディー楽器でもあるが、ベースは何よりもまず、リズム楽器であり、次に和音のバスであり、和音の組み方に重要な楽器であるが、そのどちらも日本人には理解できない。従って、日本の楽器には西洋のベースに相当するものはない。
事実、太鼓や三味線、笛などはあっても、ベースは日本にはない。従って、日本からは、ドラマーやギタリスト、ピアニストが生まれることはあっても、ベ−シストが出る可能性はゼロに等しい。
現在日本でベースが弾けるのは、僕が知っている限りではたった3人だけであり、それ以上にベースの弾ける人は知らない。
ベースは、それほど難しい楽器なのだ。3ヶ月もすると僕は自分で弾けないながらもIさんが弾くのを見て「これは8ビート、これは2ビート」と言いあてられるようになると
「よし、これがわかるようになったらあとは自分で黒人の体の動きを見て勉強しろ」と言われ、Iさんとのリズム教室は終った。
それからは毎日、ディスコへ通い黒人の踊るところをジッと見ていた。
あんまり僕が踊らずに他人を見てばかりいるので追い出されそうになったことも何度かある。それでも懲りずに通っていると、確かに彼等の踊りにはリズムがあるのがわかった。
日本人の常連やゴーゴーガールは、一見上手そうに見えるが、黒人に比べると、リズムにのっていないのがわかる。特にうまいのと、下手なのを比べるとよくわかった。
なるほどあれが日本人と外人のちがいか....としみじみ感じ、自分のギターも黒人が聞くとあの日本人の踊りのようにみっともないんだろう....と思うと恥ずかしくてたまらなかった。
また、いろんなバンドを聞いたが、黒人バンドが一番リズムがよく白人バンドは多少落ちることもあるが、フィルピンバンドというのはデタラメであることもわかった。(デタラメといっても日本人よりは数段ましだが...)
そして一年もたつと多少なりとも自分でリズムを弾き分けられるようになった。
1年ぶりでIさんにあったら「よくやった、これでおまえは、リズムを弾けるうちで一番下手なミュージシャンの仲間に入れたぞ」と言われた。どこまでも言葉きつい人だが、何しろ今までは、一番下手な奴以下だったのだから、いくら指が動いたところで、それは音楽でもなんでもなかったのだ。音楽の道のきびしさをイヤというほど知らされた。クラプトンにびっくりアメリカへすっ飛んで行く
ところがそうなると今度は他のバンドを見ると、耐えられなくなって来た。
今までは気づかなかったのだが、なまじ自分ができるようくなってしまうと、もうそのリズムのない演奏などというのは聞いていられない。気分が悪くなってしまうのだ。始めてIさんが僕の演奏を聞こうともしないで立ち去ったのがよくわかった。
全く日本人の演奏というのはメチャクチャでリズムも何もなく、バラバラなのだ。しかも自分達は気づかない。それを聞かされるのはよくツメで黒板をこすったり、フデ箱のフタで窓がラスをこする音を聞かされたようなもので耳をおさえて逃げ出したくなってしまう。
それ以後、僕は日本のバンドの演奏は絶対に聞かないようになった。
その後、大学4年の時だったと思うが、ある友人がアメリカから帰って来て、そいつがとって来たというテープを聞かせてくれた。「こいつらが今一番人気があるんだよ」と言って、彼がテープをかけてくれたのだが、その時の驚いたこと。
「すごい!」なんて生やさしいものじゃない。上手いのなんの.....もう話しにならなかった。ベースもドラムもすごいけど、ギターの奴のすごいこと。そのリズムの良さ。フレーズもサウンドも良かったが、何よりそのリズムのすばらしさ.....ビシーッと決まっていて、グングン引っ張っていく。全くケタがちがうのである。
これがクリームであり、曲は「クロスロード」だった。
僕は今までやって来たことが急にバカらしくなり、すぐにバンドを解散してアメリカへすっ飛んで行った。
その時は、もうクリームは解散してしまっていたが、セントルイスでブラインドフェイスを見ることができ、エリッククラプトンの素晴らしさにはもう涙が出そうだった。
エリックは、Iさんの教えてくれた8ビートをさらに進化させた16ビートをとっており、同時に体全体で大きな2ビートをとっていた。これは初めて見るリズムだったので、ホテルへ帰ってさんざん鏡の前で練習したが、この時やっと、8ビートも16ビートも、根本的には、2ビートが大事のではないかということに気づいた。
その後、ジミヘン、フ−、エアプレイン等のステージのフィルムを見たが、いずれも良いバンドはクリームに負けず、リズムがよかった。
日本へ帰ってから、また1年半ほど僕は一人で毎日リズムの練習をしていた。もう黒人バンドなどは見ず、アメリカで仕入れて来たレコードを聞いてリズムにのることを研究していたのである。
同時に、他のバンドの仲間に会うと、いちいち「リズムのノリ」の話しをもちかけてみたりしたのだが、みんな「そんなこと練習したって、どうせお客にはわかりっこないよ」といって相手にされなかった。
その頃、Iさんに会おうと思って探したのだが、なかなか見つからず、やっと居所をつきとめたら ノイローゼで入院しているということだった。Iさんはリズム感もさることながら、音感もものすごく、ほぼ絶対音感に近い耳をもっていたため、毎日テレビやラジオから出て来る音楽を聞くと「ああ音程が狂っている!ああリズムがのっていない!和音が違う、チュ−ニングが合っていない、、、」などとすべてわかってしまい、ついにはノイローゼになってしまったのだ。こうなるとあまり音感のいいのも考えものなのだが逆にいうと、そのくらい日本の音楽水準というのは低いのである。
幸か不幸か僕はIさんほど耳が良くはないが、それでもテレビやラジオで音楽は絶対聞かないし、第一持っていない。何よりつらいのは喫茶店やタクシーの中で歌謡曲をかけられることである。
ロックをやりたければ、日本から出て行くべきだ
最近は、訳のわからない字あまりソングを歌っている奴等がいるが、あれは極度のリズム音痴だからこそできる芸当である。ちょっとでもリズム感がいいんだったらとうてい耐えられないだろう。それを歌う方も、あ客の方も平気でやっているのだから。いかに日本人はリズム音痴であるかということがわかる。
もし若い人で、これからロックをやろうと志す人がいたら、アメリカでもロンドンでもいいから外国へ行くことだ。日本人にいたら、どうしても街を歩いていれば、どこかで日本人のリズム音痴音楽を聞いてしまう。
これは大変なマイナスだから、とにかく日本を出た方がよい。まちがっても、日本のバンドなどは見ない事。僕はIさんに会うと言う幸運があったけれども、だれでもいい先生に会えるとは限らない。だから外国へ行って本物のステージを見る事だ。
日本とはちがって客もみんなリズム感がいいから手拍子などを打つと、日本のコンサートとは全くちがってのる。
お客も演奏もすべて日本とはちがうのだ。だから『8ビートピッキングだ』なんだと言ってみたところで最終的には『外国へ行くこと』それ以外に、勉強する手はないだろう。
「ロックをやろうという人は向こうへ行きなさい」
僕より若い人に、僕の言える唯一のアドヴァイスである。
1972年 音楽月刊誌「ガッツ」12月号P129〜131より
以上、この記事に出会った中学2年の少年は、居ても立ってもいられず、手紙を書き、教えを乞う。氏は、わざわざ返事をくれ2年近く文通してくれたという。その後、少年は、ロックとお別れをし、ジャズの世界に飛び込み、いつしか疎遠となる。この記事の普遍性は、今の時代も変わらず、日本人としてのアイデンティティーといった深い問題も現在は含んでいます。(どうせ「経済優先」が落ち、となります。要するに「儲かった者が勝ち」という事です)
「沖縄にはすばらし音楽があるのに、なぜジャズを今さらやるんだ」と90年前後の日本は、エスニックブームまっさかりで、音楽市場として沖縄が成立することがわかると、何か罪悪感でもあったのかように沖縄、沖縄です。沖縄への関心はアジアへの快適な罪滅ぼしなのでしょう。ステーキも安いですから。
なぜ洋楽なのか?の返答には「ここにないものだから」と答えます。音楽は自分にとってそういうものです。
両親が洋楽を根っから好きだったら、たぶん今度は民謡をやり出したでしょう。
親とは、家であり、沖縄であり、日本であり、アジアです。
「不良」は外の世界にあこがれるものです。
今から30年近くも前の記事なので現在の成毛氏は多少考えに変化があるかもしれません。もしそうであればお詫び致します。しかしこの記事で少年の生き方が変わったことは確かです。若さです。今読んでもわくわくする内容です。あの時の中学生が私です。 敬具。
PS:いずれ暇を見て後学者のためにこのリズム論を理論化し考察していきます。もともとリズム感がない民族が、いかにして時計のリズムに頼り、それを「絶対神」として崇めるようになって来たのか、という考察です。
2000年3月29日
当教室へのお問い合わせは、すべてメールにてお願い致します。
全楽器対象ジャズ.アドリブ.トレーニング教室SUN POWER MUSIC
tel&fax 098-869-6403
(午後12時より9時まで)
*非通知表示の電話には応じかねますので御了承下さい
TAKAYA TOMOYOSE (guitar,comp,arr)