友寄隆哉の
ジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論
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2001年9月15日現在、アメリカ.テロにより「戦時中」なため、「日本人と模倣」が浮き世離れしていて進め難し。
急きょ、イラン.イラク戦争の頃、ある仲間内のミニコミ誌に冗談で書いた「バンドマン日記」を掲載しておきます。何となく当時も、現在と同様、一人だけ「刹那(せつな)」を感じているようです。
現在の不特定多数の「敵」を想定した書き方では表せない世界ですので、過去の文なら大丈夫であろう、と判断しての掲載です。
読者、リスナーが「敵」でなければもっと楽に書くのですが、インターネットはそうも行きません。隙を見せると後ろから斬り付けてくる者ばかりでしょう。
時は今から13年前の1988年にタイム.スリップします。当時のままそれぞれ全文掲載して行きます。
常々、私のモットーは、「過去を一切無駄にしない現在の生き方を」と言っております。
それにしても、現在のバンド系の若者にテロ事件の事を訊いた所、「真珠湾攻撃」と言う言葉や実体もわからないとの事でした。これがわからなければ身の潔白も証明しようがありません。
やれやれ、、、、、です。学校教育万歳!
オレは、夜は大抵部屋でおとなしく、一人で酒を飲む。
ほとんで出歩くことがない。
こういう生活が40年続いている。
カウンターの片隅でフフフとグラスを見つめることもなく、
「ねぇ〜、マスタ〜」と話しかける店もない。
ただひたすら一人で酒を飲む。
だから友達はできない。
オレは女の子にもつめたいから女の子も寄り付かない、、、、。
好きでこういう日々を送っているわけではない。
どういうわけか、そういう日々を送らなくてはならない人間になっていたのだ。
今日のような台風の日に、
いつものように部屋でひっそりと酒を飲んでいると、
オレは、”ヤバイ”ことを考える。
こういう時は、切り札の吉田拓郎「歌草子全三巻」のカセットをかけることにしている。
”私は、今日まで生きてみました、、、時には誰かの力を借りて、、、
時には誰かに裏切られて、、、、私は、今日まで生きてみました。”
吉田拓郎 24歳の叫びを聞く。
”これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか、
信じるものがあったとしても信じないそぶり、、、
闘い続ける男の心を誰もがわかっているのなら、
闘い続ける男のこころは、あんなには燃えないだろう、、
長い長い坂を登って後ろを見てごらん、誰もいないだろう
長い長い坂を降りて後ろを見てごらん、みんなが上で手を振るよ
ぼくもいつか、君の住む太陽のある所へ行ってみるよ
そして言うのさ、「来てみてよかった、君がいるから」”
(吉田拓郎「イメージの唄」より)
オレは、ゴルゴ13のような目をして、ただひたすら酒を飲む。
大抵は、
カセット一つを終えた所でオレは
フフフと笑みを浮かべ、元気になっていく。
しかし時折、
全三巻を終えてもまだオレの心は、
深い深い海の底に沈む貝のようになっていることがある。
こうなってしまってはいよいよ ”ア ブ ナ イ ”。
オレは
切り札の
「天地真理ファースト」の
大変貴重なアルバムをレコード棚から必死で探し出し
レコードをかける。
”なぜ一人行くの?
燃える頬(ほほ)濡らして、
歩き始めよう涙から明日へ、、、
誰か後ろから呼び止める声が、、、
胸を熱くするけど振り返れない、、
もどれな〜い〜。 ”
(「涙から明日へ」より)
”木枯らしの街を行(ゆ)く、
一人ぽっちのわたし、、、
冷たい風に思う、、
年(とし)月(つき)の流れ、、、”
(「悲しき天使」より)
B面をかける頃になれば、オレはすっかりヘラヘラと笑っている。
”昨日、
LOVE LETTER
書いていた娘も今、
つらい恋に泣いた、、、、
時計の針はもどせない、、、
帰っては来ない、、、。
だけど君が泣くのは今じゃない、
今じゃない ”
グラスに3杯目の「一人娘さやか」が注(つ)がれる。
オレは、エヘヘと笑う。
今日も命ある事を神に感謝する。
”オレは、オレは、なんていい奴なんだ!”、、、と思う。
”世界人類が平和でありますように”、、、と願う。
やがて朝が来る。
オレは、うつぶせになって、
目にちょっぴり涙を浮かべ、
床(とこ)につく。
こうしてオレは、
一晩で ”退行 ” し、
朝になると ”進化” する。
こういった点から
吉田拓郎よりも
天地真理がどれだけエライかがわかる。
しょせん、
男を立ち上がらせるのは女でしかない。
オレに女はいない。
だから、オレは立ち上がれないままでいる。
16の頃、
オレはキャバレーのバンドマンだった。
春日八郎からサンタナまで弾かなくてはならない、
ポリシーといったカタカナも存在しないバンドだった。
ベ−スは、30を越えた、
昼間ペンキ屋、夜バンドマンに変身する、
リーゼントヘアーの似合わない兄ちゃんだった。
ドラムとサックス兼キーボードは、
とうに40歳を越えた、
なぞのフィリピン人のおっさん二人だった。
オレたち4人には
共通の話題
というものが存在しなかった。
オレは、次第に、
無口なバンドマン
になって行った。
そんな時、オレは、
ナット.ヘントフの
"JAZZ COUNTRY"
という小説に出会った。
オレは、JAZZなんか聴いた事がなかった。
オレは、B.B.KING とCREAMしか認めていなかった。
オレの叫びをこめられるのは、BLUESしかねえ〜と思っていた。
そしてオレは、
オーネット.コールマンの "LONELY WOMAN" を聴いた。
オレは、JAZZ MUSICIAN になる事に決めた。
もう、決めてしまったから、
オレは、JAZZ MUSICIANにならなくてはいけなかった。
オレは、
リーゼント.ヘア−の兄ちゃんと、
さみしそうな目をした
謎のフィリピン人のおっさん二人に別れを告げ、
オレは旅に出た。
旅は、7年続いた。
再び ”来沖 ”した時、オレは、53歳になっていた。
気がついたら、オレは、
K.HOUSEと J.BOXでギターを弾いていた。
オレは、
わけのわからんバンドをいくつもつくってライブをし、
その金で酒を飲んだ。
そんな生活が2年ほど続いた。
どういうわけか、
オレは、半年あまりも入院するハメになった。
退院したら指が動かなくなっていた。
オレは、旅に出た。
旅は、2年ほど続いた。
オレは、再び ”来沖”した。
79歳になっていた。
気がつくと、オレは
キャバレーのベース弾きになっていた。
やがて85歳になる。
女はいない。
JAZZ界は、
このオレでさえ目を覆(おお)いたくなるほど
カナシイ男の子たちで溢(あふ)れている。
しかし、オレは
男の子だから一人ぽっちも、
へ、、、へっちゃらさ〜。
台風が去れば、秋が来る。
そう決められている。
秋の風は、”一人娘さやか ”のようにオレにやさしくしてくれる。
秋の風と語りつつ、
”さやか”を舐め回す。
フフフ、
やがてお正月が来る。
そしてまた、一つ歳を取る。
とりあえず、今日が終る。
朝が来る。
寝る。
”分け入っても、分け入っても、あおい山、
分け入っても、分け入っても、あおい山 ”(SANTOKA「山頭火」)
” なぜ一人行(ゆ)くの?
燃える頬(ほほ)濡らして、、、、”
真理ちゃんの唄が聞こえる、、、、
ムニャムニャ
1988 10.8 SAT.
オレは、議論することが嫌い、、、
というのではない。
うっとおしいのだ。
怒りを持ってうっとおしいのだ。
子供の頃よくやったトランプ.ゲームに
”バッチャンコ”と言うのがあった。
公式名称は知らない。
オレたちはそれを、”バッチャンコ”と呼んでいた。
”バッチャンコ”というのは基本的に
二人で競い合うゲームだ。
カードを二等分し、
これを
「バア〜、バア〜、バッチャンコ!!」
と互いに「コラール」し、
手持ちのカードを上から順に見せ合い、
数の大きい方が”勝ち!”という、
非常に原始的な、
”トランプの起源”
という古本でも手に入れたら、
その第一章に、いきなり紹介されていそうなほど
強烈にインパクトのあるゲームだ。
インパクトがある、と言う事は、
”おぼえやすい”と言う事だ。
この”バッチャンコ”の理想的な条件というのは、
互いがジョーカーを持つ、、、、という事だった。
ジョーカーは、
あらゆるトランプ.ゲームの内で、
常に別格待遇でもてなされる。
(ゲームの種類によっては「ハイ、ハイ、、」と無造作に放り投げられるものもあるが、、、。)
万が一、そのジョーカー同志が出会った場合は、
またしても
「バア〜、バア〜、バッチャンコ!」
とコラールし合い、
次のカードへその勝敗はゆだねられる。
オレは、人一倍、I.Qが高かったから、
こうして取り上げられたジョーカーがなくとも、まだもって
「オレは、勝つ!」
と、子供ながらも、自らを鼓舞(こぶ)し、
最後の一枚がなくなるまで、
”あきらめる”
という事を知らなかった。
今、考えてみても、
こういう子供の親にだけはなるまい、、、
と思えるほどの頭のよい子だった。
どういうわけか、
このバッチャンコは、勝負がつくまでに
えらく時間がかかった。
子供心に、
「あれから43年は過ぎたのではないだろうか、、、」
と思えるほどのゲームだった。
オレは、どうも
他人と”議論”していると、
あの、子供の頃のバッチャンコを思い出すのだ。
” オレは勝つ!! ”
と自らにキビシク”ゲキ”を飛ばしていた
あのIQの異常に高かった幼い頃を、、、、。
オレは、
自分は、
ギタリストだ!
と思っていたのだが、
どう言うわけか、キャバレーのベース弾きだ。
”オレの叫びを、オレは、
自らのハジキ出す一音に込める!”、、
と言い切り音楽への道へと
その ”生涯”を捧げたオレは、
最近ど〜も、
「ロミオとジュリエット」
「タ−ミ−」
「ある愛のうた」、、
と言ったキャバレー界の名曲を前に、
”ちょっと違うかな、、、?”
とカベにぶちあたっている所だ。
どういうわけか、
毎年この季節になると
芸NO関係という職業から
チャリティ.コンサ−トと言ったものに関わる事がある。
オレは、
キンちゃんの”愛は地球を救う、ただし地方版 ”
という番組のチャリティ.コンサ−トにT.V出演した事がある。
ちょっとつまみの
”サバの水煮 ”
などをつまんでいる内に、
オレの出演は、「完結」している、、、
と言うものだった。
オレは、
ギャラさえ出れば
どんな仕事でもオレが
”バンドマンらしい”
と判断すれば引き受ける。
オレは、その仕事でもしっかりとギャラを取った。
オレは、
この金で ”パーっと呑みに行こうか ”
と他のバンドマンへ呼び掛けた。
目の前には、どっかのバカモノが
ビンづめにした100円玉で、
「この金は私です。3年かかって溜めたのです」
と言っている募金が積まれている。
さすがの車とゴルフ、酒、***、
にしか興味ないバンドマンも
「オレたちも寄付しなくては、、」
と言い出した。
オレは、こういうシーンが大好きである。
オレは、
「ど〜せ誰が持って来たかわからないこのビンづめの金をくすねて呑みに行こうや」
と言った。
あまりのインパクト(覚えやすい!)あるセリフに
バンドマン一同は、ビビってオレを見つめた。
オレは、本気でそう言ったのだ。
オレは、
恐らく、わからなければ、
そこいらに転がっている
コインづめのボトルを持ち帰っただろう。
バンドマンたちは、
やっぱり寄付しよう、
と言い出した。
オレは、
そんなに寄付したかったら、
次の宴会の仕事のギャラを寄付すればいいではないか、
いつものように
今日のギャラは、
パ〜と使っちまえば結局同じではないか、
とオレは言った。
(オレの話しはいつもまわりくどい)
人が人を救うというのは、どういう事なのか?
わけ知り顔の若者は、それを ”偽善 ”と呼ぶ。
この”ギゼン”と言うレッテルを貼りつける事で
勝負は終った、と思っている。
では、”ギゼン ”なら何なのだ。
800字以内にまとめ提出せよ!
何年ほどか前に
アメリカのミュージシャンが
世界規模で
「歳末助け合いパ−ティ−」を催し、
アフリカを救え、
とあらゆるマスメディアを通じ
一般大衆を叱っていた。
それよりもっと古い話しでは、
10年以上も前に
エゲレスのミュージシャンが
”バングラディッシュを救え”
と庶民を叱っていた。
何で、
月々のクレジットに追われるオレが
芸NO人に叱られなあかんのや、、、
と思いつつも、
オレは、
バングラディッシュを救え!
と叱られて以来、
救わなくては、
救わなくては、
とこの10年、
酒を呑みつつ、
後悔と反省の日々を送っていたら今度は、
アフリカを救え!、
と言う。
オレは、ようやくバングラディッシュから解放された。
「バングラディッシュはもういいのですか?」
と質問したら
「今は、それどころではない!」
と、また叱られると思い、
オレは黙っている事にした。
オレは、またしても
後悔と反省の日々を送りつつ
酒を呑んだ。
あれから何年過ぎただろう。
オレは、
どうしたらよいのか
わからなくなってしまった。
今年は、アフリカは救わないのだろうか?、
忘れさられた
バングラディッシュの民は、
今、何を食っているのだろうか?
ブームが去ったとたんに、
”アフリカの民、その私生活、私達は毎日これを食べています!”
と言うコマーシャルも見れなくなってしまった。
オレは、
今度は、
誰を救え!
と叱られるのか、
毎日ビクビクして暮している。
オレは、
子供の頃、
”社会科の時間 ”に、
ミナマタ病、
イタイ.イタイ病、
四日市ぜんそく、
の事を知った。
この人たちは、今
どうして暮しているのだろうか。
誰ももう、
ミナマタ病を救え、
イタイイタイ病を救え
と叱らない。
オレは、
”両親、その一族 ”からも
よく叱られる。
オレのおばあちゃんに当たる人物は、
五年ほど前から流行していた
ボケ老人になってしまい、
今では、すっかり
唄って踊れる寝たきり老人
にまで進化した。
昔から時代に乗る事には敏感だった。
オレは、
既に、ゴルゴ13になっていたから、
年に一度、約3分ほど祖母宅へ訪問し、
唄や踊りのもてなしを受け、
「それじゃあ、そういう事で、、、」
と祖母の手を握り、
フフフと去る事にしている。
オヤジが
毎日、昼の間は、
めんどうを見る事に一族の会議で決定している。
そんなわけで、
バングラディッシュや
アフリカの事を考えると
オレは忙しくて、
おばあちゃんの相手に
貴重な一日一日を
費やしているわけにはいかない。
おばあちゃんを救うには、
”一人っ切り老人”
にしない事だ。
唄を聴いているフリをしたり、
踊りが終ると
いちいち拍手をしなくてはならない。
オーディエンスの反応には敏感だ。
作家、瀬戸内寂聴(じゃくちょう)は、
徳島の ”ラジオ商事件”と関わり、
その冤罪(えんざい)を晴らすために闘った。
その闘いは、何年、何十年にも及(およ)んだ。
冤罪を晴らせぬまま、
被害者の老母は、
その”生”を終え、この世を去った。
長い長い闘いだった。
一人の人間が、
一つの
「カナシミ(悲しみ)」、
「クルシミ(苦しみ)」に
出会ってしまえば
他の「カナシミ」「クルシミ」は
”見えなく”なってしまう。
一人の寝た切り老人に関わった者、
小児マヒの子を持った親、
交通事故で親を亡くした子供達、
イタイイタイ病、
ミナマタ病、、、
世の中は、
一人の人間に対し、
その生涯を費やしても、
もしくは、その苦しみを持った人間が、
その ”生”を全(まっと)うするまで
終りのない関わりを要求する。
現代人は、コントロールされる事を嫌う。
常に、
片手にコントローラーを握りつつ、
見たくないもの、
考えたくないものを拒否し、
自分にとって興味のあるもの、
価値あるもの、
現在の自己を
マッサージ(ENTERTAIN)
してくれる対象に敏感で
(人間に対しても)、
自らをそうして
コントロールした
”環境”の中に置く。
突然出会った
現実の
”カナシミ”には
人は涙を流さない。
自らがコントロールし
選択した虚構のドラマの中に人は、
”カナシミ ”を見つけ
涙する。
その作業によって自らの
”善”を確認する。
コントロールされる事を嫌い、
それぞれが
コントロールする事によって造り出された
現実の
”日常”の中で
突然、
「カナシミ」、
「クルシミ」、の
”当事者 ”へと
コントロールされた者は、
その救いを
他へ求める事が許されない。
現代人は、
自己に ”正直 ”がために、
そうした”当事者 ”に対し、
「本当の、本当の事を言えば、、、、興味がない」
、、と白状する。
「カナシミ」、「クルシミ」の
” 当事者 ”となってしまった者は、
その
”突然”コントロールされた自己の環境と、
コントロールする事によって
造り上げている
現代人との ”日常 ”のギャップに、
「孤立」して行く事になる。
こうして「当事者」となった者は、
その”環境”の違いから、
現代、社会、世間、友人、、、、から
切り離され、
たった一人で
自らに与えられた
”カナシミ”
”クルシミ”と
闘って行かねばならなくなる。
人間にとって、その全ての
”表現””行為”の手段は、
その人を取り巻く
”環境 ”
の中から生まれる、
と言える。
「音楽」もまた、
その一つになる。
音楽は、
その個人を取り巻く
”環境音楽 ”
と言える。
これを以(もっ)て ”環境音楽とする ”
という
商品化されたパック..イメージは
そこにはない。
それもまた、
その個人を取り巻く
”環境 ”の一つでしかない。
フリ−.ジャズは本来、
そうした
”カナシミ ”
”クルシミ ”
の当事者からの「叫び」によって
その形式が生まれた。
ビリ−.ホリデ−の ”日常 ”から
JAZZが生まれたように、、、。
当時の黒人社会にとって、
JAZZ, BOXING は、唯一の自己の存在証明の手段であった。
社会において
自らの「アイデンティティー」
(自己と他を区別するための、
社会が無言に要求してくる
個人への”焼印「やきいん」”に過ぎない。)
、、、を確立するための、
白人社会から与えられた
唯一の職業であった。
それは、いい「ネカ」(金銭)になったのだ。
それをイベントするホワイトにとって、、、。
そうした社会に、
”革命 ”を起こすべく、
多種の黒人運動家が、
これらを ”メディア ” として確立したヒーローに接近し、
黒人社会の団結を試みた。
やがて、JAZZは再び、
ダンナ様の催すパーティの
”盛り上げ役 ”
としての任を得た、
BGM業として市民権を得(え)、
今日に至る。
ダンナ様がお喜びあそばしてアタイウレシイズラ、、。
ダンナ様がお怒りあそばしてオラ死ニタイダ、、。
表現行為には、二つの対極する手段がある。
一方は、音の響き、音の面白さ、のみを追求して生まれたもの。
オレは、これを ”机上(きじょう)の音楽 ”と呼んでいる。
(机上にて ”無限 ”へのロマンを空想するのだ。
”現代音楽” はこれに属する)
もう一方は、
その人間の置かれた ”環境 ”の中から
自然発生的に ”叫び”となって生まれたもの。
オレは、これを ”環境音楽 ”と呼んでいる。
(BLUES. JAZZ の発生はこれに属する)
どちらが ”正 ”で、どちらが ”悪 ”か、という事はどうでもよい。
ただ、この二つが、常に時代の中で格闘している。
(創作する一個人の中においても、、、。)
こうした状況の中で、
現在の若者文化の
その「表」の世界、「裏」の世界も含めて
(オレにとっては、どちらも 「表」でしかない。
「裏」は常に個の中に潜む。
個の中のエネルギーは、常に、
社会に対しての
カウンタ−.アイデンティティ−
の提示欲に満ちている)
これは「机上の音楽」が主流を成している。
(この飛躍した論理は、各自 ”愛 ”をもって埋めよ)
”革命 ”
という言葉は、常に、
”机上”から生まれる。
環境の中から発する言葉は、常に
”闘い”である。
若者文化は、いつだって、
「パロディ」がその主流を占める。
一つの ”文化 ”を形成する中からは
真の ”創造 ”、
次代の ”文化 ”は生まれない。
”創造 ”は
文化の中からではなく、
常に、
個の結集
によってつくり上げられて行く。
それは、”文化 ”ではない。
文化は、常に、
パロディされるもの、
すべくもの、
ありとあらゆる価値判断の結論である。
机上から生まれる、
”革命論 ”の
根底に潜むものは、
”日常”との闘いの拒絶である。
生きて行く事は、
”日常 ”をどう生きるか、
にほかならない。
”革命”を起こせば、
そうした ”日常 ”の闘いは、
誰かがやって行くであろう、
誰かが、そうした ”カナシミ ”
”クルシミ”に対し、
その「生(せい)」を費やし
関わって行くであろう、
という、
”闘いの拒絶 ”に行きつく。
そうして、
すべてをコントロールし
息する現代人の造り上げた
”創作物 ”の中に
”叫び ”はない。
こうしてフリ−.ジャズは死んで行った。
新たなる形態を要する
”叫び”は、
常に、
”闇(やみ)”
の中から発っせられる。
現代人が拒絶した、
別種の世界から常に生まれて来る。
”オレは、ここにいるんだ! ”
という 「叫び」は、
同様に闇の中に身を置く者にのみ、
微(かす)かに、微かに、聴こえてくる。
それは、「カナシミ」「クルシミ」に満ちた、
「ウメキ(呻き)」である。
その「ウメキ」は、やがてまた、
闇の世界へと消えて行く。
一つの ”生 ”が終る。
所有された ”知識 ”を競う「議論」からは何も生まれない。
己(おのれ)を救ってくれるはずの
思想、哲学、宗教でさえ、
現代人にとっては、
一個の所有された
”情報 ”でしかない。
” 歴史的悪行はみな、「正義」の名において成される ”
己の行為を「正義」と見なしている者ほど嫌な奴はいない。
反核、反戦の運動家は何を考える。
今や、その思考過程は、結婚式の余興企画担当者のそれと変りがない。
したがい、運動は、”祭り”と化する。
”反核祭り” とオレは呼んでいる。
名を成した者の名を掲(かか)げれば民衆は動く、というが如(ごと)く。
反核名簿を掲げるイベンタ−よ。
”反戦思想は、個の中に埋没(まいぼつ)し日常に表出する ”
(高柳昌行)
他人との関わりはイマジネーションの世界である。
他の苦しみ、悲しみ、呻(うめ)きを感じる事は、イマジネーションなのだ。
日常は、イマジネーションとの闘いなのだ。
くだらぬ知識をいくら所有したとて、それは何の解決にもならないのだ。
知識は、”創造 ”のための一断片にほかならない。
救いを求めた ”仏(ほとけ)”の智(ち)を
そこまで「所有」したてめぇは幸せか、
本当におめぇは悟ったんだろうなぁ、おい。
おめぇは、
そんなに頭がいいのかい、
この敵に満ちた世の中に
、何を創造し、
何を ”提示 ”して見せたのだ。
おめぇが世の中に無関心な分、
世の中もおめぇに興味はねぇ。
どこで何をしょうが、
どこでのたれ死のうが、
本当の事を言おうか。
オレは、な〜 んとも思わねェ。
オレの心は、何一つ揺さぶられる事はない。
雨の日だった。
暗闇の中で白いものが動く。
オレは、怖る、怖る、車を止めた。
それは下半身のない、上半身のみの、真っ白な猫だった。
恐らく、他の車へひかれたのだろう。
その上半身は、
べったりと道路にこびりついて
猫は
必死で前足をバタつかせ、もがいていた。
オレは、生き物は五体満足でもダメなんだ。
ましてや上半身のみの猫なんて!
オレは引き返した。
オレは、
己(おのれ)の ”環境 ”をコントロールし、
その日を無事終えた。
日常は、コントロールの連続だ。
片手にコントローラーを握りしめたオレがいる。
見たくないもの、聞きたくないものは存在しない。
その日常の中でオレが息する。
生きてくってのは、何だろう。
人が幸せになるってのは、どういう事なんだろう。
音楽ってなんなんだろうなあ。
今日は、ヤケに師、高柳昌行の弾く、
" LONELY WOMAN " が カナシク響く。
デレク.ベイリ−が切なく胸を掻きむしる。
ああ、
これが、
この社会で生きる音楽家の
”叫び ”だね。
今日の酒は何だかとてもカナシイや。
日常を生きるってとてもたいへんなことなんだね。
ビリ−.ホリデ−の唄が聞こえる。
これは日常の
”ウメキ (呻き) ”だね。
オレは、ようやく
ビリ−の ”ウメキ”が
聞こえるようになったんだな。
生きて行くってのは、
何かと、
うっとおしいねぇ、、、。
”焼かれ死ぬ、虫の匂いの香ばしさ
焼かれ死ぬ 虫の匂いの香ばしさ ”
SANTOKA (山頭火)
1988 12.23 FRI. GOOD NIGHT BABY
「*ゴールデンバット」は旨い。
*註:貰った「煙草」の銘柄
オレは、今日、突然、クビになった。
1989 1.12 4:05A.M. THE BUTUMETU
こいつらの事を考える度、あまりにも悲しくて、
オレだったらとっくに東京タワーのてっぺんから地球に大きなキスをするだろうね。
(このフレーズは、オレは、ある女の子に教えられた。 THANKS!)
そんな男達がいるんだぜ。
人から愛される事は、ト−マス.マンのトニオ.クレーゲルの言葉を借りれば、
”、、、それは、世の中に起こり得ない事だった、、、”ってな。
そういう男達の事を考えるとオレなんかとびっきりの幸せってなもんよ。
どんなにつらくても、どんなに悲しくても、
誰も、だ〜れもそいつなんかに興味はないんだぜ。
病気したってさ、だ〜れもさ、だ〜れもそいつなんかに興味がなくて、
そいつの事なんか心配しちゃあいないんだ。
そいつがさ、あんまり悲しいから、
あんまりつらいからぼくは、もう誰とも会わないし、
誰とも口を利かないよ、だからぼくの事なんかほっといてくれ
、、、って言ったってさ、そいつの事、本当に、どうしたんだろう、
何かあったのかしらん?、、て、
そんな事で頭一杯になって心配してくるてるのは、
そいつの ”お袋(ふくろ)” だけなんだぜ!。
この子を生んだ時はねぇって、
同じ事ばかり話してる、もう830歳くらいになった、
そいつのお袋だけなんだぜ。
「行ってまいりまあ〜ちゅ」って言ってさあ、
家から外に飛び出して行った頃から、
この840歳くらいになる女はさあ、
この男達が、外でどんな目にあって、
どんな一日を一人ぽっちで過ごしているか、なんて
ち〜ともわからないんだぜ。
ず〜とさあ、
ず〜と、「ただいまあ!」って帰ってくるまでさあ、
このとびっきり哀れな男達のさ、
「へへっ」って笑ってくれる、大好きなものをさ、作って待ってるんだぜ。
そんな事を考えるとさ、
この男達ってとびっきりの、とびっきりの悲しい男達なんだよね。
だって、だ〜れもそいつになんか興味ないんだぜ、
この850歳になる女以外はさ。
そんな男たちに比べると、
オレなんか、オレなんかもう、
あんまり幸せなもんだから、
しょ〜がねぇから、
ビリ−.ホリディ聴きながら、
悲しい人達の事考えて酒を呑む事にしてるのさ。
すると、
極悪非道、人非人(にんぴにん)、
人間失格、動物虐待(ぎゃくたい)、
性格破綻(はたん)、犬畜生(いぬちくしょう)にも劣る、
バンドマンの風下(かざしも)、、、省略、省略、、、、
んな事を言われ、
アイデンティティをキープしているさすがのオレでもさ、
チッ!今日は、やけに目から酒がこぽれらあ、、、、、って思うのよ。
ホント、
オレなんかそいつらに比べりゃさ、ホントに幸せな方よね。
おまけにもっと悲しいのは、
てめぇがさあ、
誰からも好かれちゃいねぇ、
だ〜れもてめぇの事なんか気にしてやいないんだっつ〜のが
こいつら気がつかねぇ〜んだぜ。
悲しいよね。
そいつらがさ、
何か懸命になって、働いているとこなんか見かけるとさ、
やっぱり何か、
鼻の頭がツ〜ンとしちゃって、
またまた、目から酒がこぼれて来るんだぜ。
夏の ”さやか ”が今頃出てきゃ〜がるんだ。
そいつら、きっと、
しまいにゃバスの中で、
もう一匹の悲しい男になんかさ、
抱きかかえられて、死んでくんだぜ、
死んでいくんだぜ、きっと。
そうに決まっているんだ。
人からさ、
愛される事なんか
ま〜ったく、ぜぇ〜んぜぇ〜んない、
こういう男たちはさ、恋すりゃいいのさ。
だって、
他人からは愛される事がないんなら
他人を愛するしかねぇ〜じゃない。
そうでもしなきゃ
「行ってまいりまあ〜ちゅ」って家を飛び出してさ、
こいつらの行くとこなんかないやんか。
せいぜいさ、
近所をぐるぐるまわったり、
近くの公園なんかで、ブランコ乗って、
「命、み〜じか〜し、、」とかなんか泣きながら歌ってさあ、
ようやく家に帰れるんだぜ。
んで、「ただいまあ」なんて言ってさ、
そしたらまた860歳くらいの女がさ、
「おかえり!」って言ってさ、
こいつだけは、
こいつだけはもう、何をしたって
愛してくれる事やめないんだぜ!。
だから、うんとわがまま言ってサァ、
もう何をしたってこの女だけは
愛する事やめないんだぜ。
そりゃあ、とても、悲しい話しサ。
とても、とても悲しい話しサ。
んでさ、愛する人を見つけたら、
もう、せむし男みたいになっちゃってさ、
その人のために生きればいいんだ。
もうさ、お願いだから、
オレ、おまえの事何も知らないけど、
やめてくれよって、
どっかの物好きな男が止めに入るくらいさ、
その女のために尽くして上げるんだよ。
きっと、
あんまりこのせむし男がみすぼらしいんで、
その女の子からも嫌われるはずさ。
嫌われるに決まってんだ。
でもさあ、
そんな事になるにしても、
なんもしないよりはいいじゃない。
なあんもしないよりはさ。
だって、
なあんもしなきゃ、
そいつはず〜と、一人ぽっちで
近所をぐるぐるまわったり、
ブランコ乗って
「命み〜じか〜し、、、」って
来る日も来る日も同じ事ばかりしてんだぜ。
そして、ある雪の日にバスの中で死ぬに決まってんだ。
決まってんだ。
悲しい男たちが本当にいっぱいいて、うんざりするぜ。
オレなんかさぁ、オレなんかとびっきりの幸せもんさ。
まったくどうしょうもねぇ男たちさ。
どうしょうもねぇ男たちなんだから、、、、ホントによぉ。
”そのおもかげの 何となく白い ちょうちょう
そのおもかげの 何となく白い ちょうちょう。”
(SANTOKA 「山頭火」)
1989 1.16 MON.
その昔、中国では不義密通の罪を犯した者は、
”人豚(ひとぶた)”にされたと言う。
その舌を引っこ抜き、
その手足をチョン切り、
便所の中で、
その”生 ”を終えるまで飼い続けたらしい。
イラクの小隊長は、
イランの捕虜となり、
救出された時には既に
その両足は切断された後だった。
タンカに乗せられ
運ばれる際に、
小隊長は、T.V.に向かって叫んだ。
「んなことぐらいで負けるもんかあ、バ〜ロ〜」
”自由 ”にはいつもそうした事が付きまとうらしい。
”言論の自由 ”っていいねえ、 ほれぼれするぜぇ。
1989 1.24 TUE. ADIOS AMIGO!!
バンドマンは、この年の10月(1989年)に再び7年ぶりの上京を決行します。88年3月2、3、4日、28歳の頃、3日間ここ沖縄にて演奏を共にした、武田和命(かずのり)氏(T.SAX)は、食道癌にて8月に亡くなります。享年49歳
この日記を一切の音楽判別能力のない、無関心で通す県民音楽関係者、ミーハー.ジャズ.ファン、並びに「アマチャアー.兼業有名願望ジャズ.プレーヤー連合」と、これまでに知り合った「世界的に有名になりたい曖昧な日本の音楽関係者としての私達」への「怨念の遺言」とし、これから新たな夢を抱きジャズを志す若者に捧げます。
この時代の音楽は、「友寄隆哉過去作品CD全4集」に収録し軌跡としています。
時代の無知、無関心、嘲笑、権威主義と次に闘う者のための記録として置きましょう。
こうして私の20台は、終末を迎えます。上京し、すべてを捨て、再び「音楽」を10台の若者に交じり学び直します。それは、新たなる「流派」へのチャレンジでした。年齢的なものに対する若者特有の差別もあります。
その多くは「30歳のおっさんにはわからねぇ〜よ、オレたちの進んだ感覚はサ」的なものです。様々な「闘い」がこの後に控えていました。しかし、それは、いつまでも終りのない闘いのようです。
このサイトを県民でアクセスするのは、現在3名を数えるほどとなっております。これは、現在の生徒も含めた数字ですから県内での地位が容易に推測できましょう。
しかし、サイトを始めた事により、少なくともこの後13年の内に3人のファンは獲得した、という事でしょう。とても音楽ではなし得なかったでしょう。
現在の、ここ沖縄は、目の前の宝物は見えず、インスタント産の「がらくた品」ばかりを宣伝し、馬鹿騒ぎする者に溢れています。「チャンプルー文化」と謳う者もいます。しかし「チャンプルー料理」は、いつでも、あり合わせの「貧しい具」で料理します。その「味」は千差万別です。「味」の研究に費やした者もおりません。
次の世代に期待しましょう。現在の「大人たち」ではもう無理です。それでもダメなら、また次の世代へと。
私は、沖縄の伝統芸である「エイサ−」に興じる無名の若者たちが好きです。
仕事を終え、村独自の踊りを各青年団が工夫し競うのです。
あの姿こそがハイエナのように「観光芸」に群がり営利を貪る若者にない、沖縄本来の「もてなし芸」のあるべき姿があると思うのです。
そうした無名の若者たちの熱い心で創造された「もてなし芸」こそが、我々沖縄県民の本来の姿だと思います。
あの汗は、本物です。若者らしい純粋なエネルギーに溢れています。
「ビバ、エイサ−!」
そのためのあらゆる「種」は播いておきましょう。様々な感受性を持つ人々があらゆる要素から接近できるよう、感覚の間口を拡げておきましょう。掲載目的が理解できたでしょうか?
2001年9月17日 午前4時
アメリカが「テロ報復」のため、ベトナム戦争の頃のアメリカを讃えた60年代音楽を復活させ、愛国心を刺激し、「戦闘モード」へと国民を導く「洗脳」を始めている、米軍放送をテレビで見つつ、、。
*このテレビ.チャンネルも貧しい私には宝物です。何しろ24時間無料なのですから。
当教室へのお問い合わせは、すべてメールにてお願い致します。
全楽器対象ジャズ.アドリブ.トレーニング教室SUN POWER MUSIC
tel&fax 098-869-6403
(午後12時より9時まで)
*非通知表示の電話には応じかねますので御了承下さい
TAKAYA TOMOYOSE (guitar,comp,arr)