友寄隆哉

ジャズはなぜ死んだか? 

ジャズから見る文化論


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1 :初めまして「序」にかえて



初めまして。たぶん、ここへは、単なる偶然に、たどり着いたか、ちゃんと「某歯科院」の玄関から入って来たのか、のいずれかの方かと思われます。あるいは、私か、他の人からこっそりと教えられた方もいると思います。どういった経路で見つけたかは、さて置おきまして、まず、最初に述べて置きたい事があります。

これは、多分、その長さから言って、女性、あるいは、お子様、若者、流行音楽系の関係者の皆様には、「長くて、面白くない」と、私の音楽同様、マニアックで、たぶん、途中で断念されるであろう、と一言述べて置きたいと思います。(統計的な結論です)


では、なぜ作成したかと申しますと、これは、日頃、私が、すべてをめんどくささのあまり「一言」で片づけてしまうという「癖」により、多くの誤解を招いているため、そうは言ってもちゃんと話す時間も、機会もなく、聞いたとしても理解できないであろう、と、「まっ、いいか、有名になって一獲千金入った者が正解ということで」と20年ばかり見過してきたためです。私が「本を読む」と言うと笑い出す者もいます。(おかげで大変多くの「頭のよい人」を観察できました)


自分のサイトを持つ事には、『時間の無駄!、インターネットは、近所のバカが「日本のバカ」になる事、無口な奴が英語を習ったがために、世界的に「無口な奴」と呼ばれるようなってしまった、というようなもの」と興味をあまり示しておりませんでした。

この度、**歯科医院の御好意により、「間借り」して自分のサイトを持つ事になりました。(私は、現在、単に、文章を「投稿」しているだけですので「ホームページ作成」と、とても呼べるものではございません。念のため。)


考えて見ますと、私は、「あ〜あれはダメだ」と吐き捨て、「何がダメなんだ」と問われても「う〜ん、とにかくダメなんだよ!」とちゃんと説明する面倒くささにすべてを一言で片づけてまいりました。この先もこれでは、何かとやっかいであろう、と私自身の「名刺替わり」のつもりで書いていこうと思います。

同じ事を様々な人に出会う度、繰り返す事に疲れた果てた挙句の策です。ここに取り上げましたテーマは、おそらくこれまでもそうであった様に、これからも今後30年ばかりは、次なる「大人」のための「必須常識事項」となるでしょう。


   沖縄の現在のジャズ、音楽教育状況、その抱える問題点。

しかし、一つ一つが主宰する「サンパワーミュージック」という全楽器対象のジャズアドリブトレーニング音楽教室の生徒一人一人に、話してきたものですが、限られたこの小さな地域で、他への影響力を持つ生徒をつくることへの限界に、何の広がりも見ず、逃げ出す、修行嫌い、勉強嫌いの芸能人志望の者の多発など、このまま闇に葬られてしまうのであれば、と(「世界経済」の話しを「飲み屋」でするようなものです)この25年の考えを「全公開」し世に問うて見たものです。

『現在、沖縄の「音楽芸能人」として活動中の者の入会はお断りしています。修行事、勉強事には向いておりません。自分の手でこのような文化をつくる一端を担う事を拒否します。水飲んで暮らしてでも。次の世代に託しましょう。私の負けです。どうぞ一獲千金を当てて下さい。但し、1ヶ月以内にブレイクできない音楽は、キロロに続きませんから。

沖縄市は音楽よりももっと教育に力を入れて下さい。本を読む子を育てて下さい。親が読まなきゃ子も読まないでしょ?。「沖縄市はどうしたらよいと思うか?」のアンケートがメールで来たので答えてみました。


でなきゃ借りた楽器を平気で質屋に入れる人種は減らないですよ。3年後にようやく返ってきた楽器がぼろぼろになって平然と3本だけ古いさびた弦がついたまま返してくる人種もごまんといます。私はこの島の人間ですからそんな街に「なじもう」という努力は一切致しません。その性根を孫の代まで徹底して「たたきなおし」ます』


もしこれらのテーマを知らないまま「大人」になった若者には、私は何の興味もありません。双方が、互いに「興味なし」と生きていく事でしょう。

しかし、果たして、これらが、時代にどれだけ耐えうるかは、私自身の成長も含めて興味あることです。少なくともこの20年は、変化しておりません。


『えっ?成長してないんだろって?一生、簡単そうでわからない人類のテーマはゴマンとあります。例えば、ですか?それでは、わかる人にだけ「近親******いけないのか」などです。岸田秀氏が「共同幻想論」のその初期に少しふれただけです。時代の天才が皆、解明しようとしてきました。科学的根拠なんかありません。天皇の家系図を見なさい。(それから見ると、私のテーマは”市民用の普遍”です。)


そうしたテーマは、どこでも講義できないのです。市民相手には。結論を出すと大変な事になりますから。今は「種の保存の法則」や小野盛司「人間の行動と進化論」の話しが面白いです。最後にわかりやすい例をひとつ「宇宙の果てはどうなっているのか?その果ての「裏」はどうなっているのか?人間の言語でその感覚を伝えて見よ」といったものもあります。』


これは、一つの「記録」としてできるかぎり残していきます。何時の時代の「若者」に対しても「フヘン」であることに努めます。

しかし、実の所、私は、根っからの「ふざけた野郎」です。まじめに、普段、話しをする事はあまりありません。装っているのではありません。そのものです。(これでどんなに人生をつぶしてきたか!)でも、変えられません。我慢ができないのです。その方が楽しいからです。


だから、もし、お目にかかる機会があって、その予想されたイメージが違うと思われた方で、私が、冗談の一言も言わなかったとしたら、たぶん、私は、その場所にいる事が嫌いか、あなたが嫌いか、あるいは、そこは「敵地」であり、私は一人乗り込んで壁を背にしている最中のいずれかでしょう。


まじめに、他人の悩み相談事にも乗ったこともありません。


『しかし、もめ事の解決には日夜、どうしたら「解決」できるかの作戦会議に夢中になります。最終解決法が法にふれなくてはいけない相手ならもはや「獄中日記」を書く覚悟がなくてはいけないかもしれませんが、その前にかろうじてのわずかな「教養」で「避けた方がよいか」を決定するでしょう。限られた人生の「幸福な気分」を日々無駄にしてよい相手かどうかを充分考えるでしょう。


大抵の事は「取るに足らない、いずれ自滅する種族」と見て、譲歩し、「逃げて」います。今の所、隣に「やくざ気取り」は住んでおりません。昔住んでいたアパートには、おりましたが....。20代の頃です。「友寄隆哉全集WORK2,3,4」の頃です「狂気の時代」です。(いつになったらちゃんとスタジオ録音のCDが出せるのでしょう。買う人がいないからどうしょうもないですが。残してもよい芸だとは思います。手が震えない内に)』


おかげで現在も一人でテレビばかりを見て過しております。寝る時ですらテレビが消える事はありません(ちゃんと見てはいませんが、私は感性豊かな?自閉症の詩人にはなれないタイプでしょう。お正月は吉本新喜劇と「旗本たいくつ男」です。「モーニング娘」の番組もつい見てしまいます。名前は、「中沢ゆう子」と「後藤***」しかわかりませんが......)

特に、近年の「音楽現場」にて私を見かけた方は、あまり物を喋らない姿を見かけると思います。

『ほとんど、私自身のライブ以外では、見かけないと思います。それも月に1度のみ。年に12回です。望んだ形ではありませんが、ジャズの聞き手の育たない沖縄のライブハウスの限界です。

見よう見まねで”ジャズセッション”をする者はゴマンといますが、彼等は「同じ阿呆なら、弾かなきゃ損損」とベンチャーズバンドの気質のようです。後、30年はこのままでしょう。(「感性豊か」を装った”デタラメ系”も盛んですが。)いずれすべて「消滅」するでしょう』


私は、今、音楽シーンが一番つまらない、と考えているからです。将来、楽しみな若手を目にする事がないからです。予測通りの結末が見えるからです。この程度の技術と考え方とスタイルでは、何年経ってもここまでしか行かないだろう、と予測するわけです。


1度しかない人生を親から引き継いだ、ちっぽけな「プライド」で無駄にするなんてもったいない人生です。予測可能なんて。その「子孫」がそのシステムから逃れることができるためにはあと何世紀かかるのでしょうか。


20年も経てば、誰にでもその予測は体験から可能です。それぞれが何を言い、どんな考えを持っていたか、をちゃんと覚えていればいいわけです。それが20年を経て、どうなっているか、を照らし合わせればよいわけです。20年後にまたそのクローンが出現するだけですから。

さて、1,2行添えて序文を書くつもりが、またしても長々と書いてしまいました。「大変まじめでヒネクレた、やさしくはないお方」というイメージをつくり上げる事ができたでしょうか?


ここまでですら、「長くて読めない」、という方のために、実は、「早く、読むのを止めて他のサイトへ行ってもよい」と予防線を張っているわけです。簡単に家の牧場の草をブラウズさせないよう、土地の当主は、何かと「柵」を打ち立て「牧場荒らしの野牛たち」が入って来ないようにしているわけです。

このサイトは、単なる、私の「名刺替わり」で、このサイトすら読めない者とは、まじめに相手をするのも面倒くさい、特に「文盲、非常識系」のミュージシャン、音楽関係者には、何が書いてあるのかも知られないようにするためです。まともに文字が読めたら私には、恥ずかしくて書けませんから。(なぜ、私が、あなたの身長、体重、趣味まで知らなくてはいけないのか?なら私は、160センチ気味であり体重は65キロ左右の男です)


『この場合の「常識」は、「創造力」の、何の「妨げ」になりません。これも誰が言い出したのかデタラメな都合のよい「常識破り」です。こんな手軽な「型破り」は「創造」とは無縁です。なぜなら、これは、誰でも、今からすぐに実践できる能力だからです。

借りた金を無視したり、約束を簡単に引き受け簡単に忘れたり、物を送っても、何の反応もなかったり、実際に手紙を書いた経験もない者に「メール」を送っても返事はありません。(この点でアメリカ人の律儀さには脱帽します。何百通にも対処する者もいます。)


すべてをうやむやの内に「無視して」解決するといった典型的な日本的能力の一つです。同種の感覚と言語を有した者同志でないと共存は大変むつかしい。


「常識的な音楽人間」は行ないが「非常識」なのです。その「商品」は極めて「常識的」と呼べるようなものを制作販売するのが特徴です。「創造力」とは無関係です。御安心を。』


したがって「県内、常識流行音楽サイト」にリンクされる事はないでしょう。

(「流行りの店は客の質もおやじの性格もネタも悪くなるの法則」にしたがい、いらない、これ以上悪くなったら人間生活が送れないからもあります。20年無名なのですからあと300年は平気ですよ。))


初対面の方へのあいさつはこれくらいにして(初対面の人にする話しじゃないですが、このサイトはタイムマシンになっているのです。みんなつながっているのです)。


多少なりとも、何度か訪れた方のために。


たぶん、急に、「更新」がなくなるかもしれませんが、それは、「あまりお金にならない事に時間をかけない」ということかと思われます。「季刊誌」とお考え下さい。また急に「更新」が始まるかもしれません。


なるべく「現在の所、お金にならないマニアックな内容」に終始致します。

もし、一度、お読みになって「同感」される方があれば、他の者へ「あのサイトの話しは面白いよ」と述べ、自分の考えを、長々と話す手間を省いていくための「便利なサイト」として活用して下さい。


また、このサイトに同意しかねる方へは、どうぞ、御心配なさらぬよう、このサイトが、多くの人に読まれ広がる事はありません。


何の影響力もありませんから。なぜなら、私よりももっと才能があり影響力があった者でさえ、今は、誰も関心を示しませんから。


人の一生は「上って3年、維持して3年、落ちて3年」と言います。慌てる事はありません。(いずれにせよ30年後の「自分」へ向けた公開データバンクです。)


同意される方は、これは、何年か後も、掲載されたままにしておきますので、次なる世代へと紹介して、その思考のきっかけとさせて下さい。


とても自分の口からは友達を無くしそうで言えない事、公には一生言えない事(または、売れないため)など、その活用はいろいろ考えられます。そのためのサイトとして活用して下されば何よりです。(私が一番活用するでしょうけど。)


一度読まれた文でも、時折、秘かに「改訂、追加」をしておりますので、できれば紹介する度、確認して下さい。


また、これは、日本語、英文のどちらにも言えますが、「校正」にかかわる、誤字脱字、句読点の位置に関しては、こちらで発見する度、「訂正」して行きたいと思います。思考の流れを中断せぬようあまり重視せずに一気に書いています(「誤字」を見つけたくらいで騒がぬように。私はもっとすごい漢字を書けません)ひょっとすれば読むつどに多少の変化が日々行なわれているかもしれません。


私の、この、「サイト活用法」は、やがて21世紀の主流となるでしょう。なぜなら、私自身が、手軽に指定できる「思想の図書館」としてもっと他のサイトを活用したく思います。「こんな考え方があそこにある」と言った活用法です。いちいち他人を説得するための手間が省けます。


自分が同意したものに同意できない人であれば、「そのような人」として判断できます。その人物は、『どれほどの芸(能力)を持ち、何をなし得て、どれほどの影響力を、「どのような人間に対して」持っているのか?それは、自らの力でゼロの状態から勝ち得たものか?その地位を剥奪されても「ウツ病」の心配もなく平気で人生を生き抜けるであろう事を充分予感させる精神をかねそなえている者としての発言か?』を比較し、より説得力のある方を選べばよいのです。


私に無駄にしてよい時間があれば、これらに「追加、改訂、校正」の作業をしていくでしょう。しかし、基本的に「お金にならない事に最早、時間を費やす事はない」でしょうから、私の「音楽」のように突然、活動を何年でも「停止」してしまうかもしれません。更新が何年もされなくなったとしたらもう現世にはいないのでしょう。


私は、今は、「音楽に燃える」時代ではないと思うからです。あれは、今は、世事に何の関心も示さない「文化祭をやりそこねたか、忘れられないまま、大人になってしまった」子供たちの、唯一の「集会所音楽」だからです。(近代の宗教は音楽を巧みに利用し信者拡大合戦キャンペーンを展開しています。音楽は「理性」からの批判を拒否できる状態を創りだせる「空気伝導兵器」の一つです。「あなたバンドやりませんかあ〜」と呼び掛け合うのです。上手いなあ〜。)


『「サザンオールスタ−ズ」は好きです。CDは持っていませんが。この間、「ヨイトマケの唄」「サルビアの花」をテレビで唄っているのを聞きました。あれを今の時代にテレビ用に選ぶ感性が好きです。これが「感性」です。これを理解できるのが「感受 性」です。今の時代に足りないものです。「音楽的霊感」です。あれが。


「音楽的霊感」が一切ない者が音楽しているんです。今は。一獲千金を狙っておだてられてその気になっているわけです。(インチキくさい舞台監督が新人女優に「君は詩人になれるよ」っていう手口ですよ。)これは持って生まれたものです。私が受信して決めるものです。それが「純真風?子供の唄い方」か「がなりたてインチキ黒人唱法」かは。私は薬師丸ひろ子の歌は好きです。本物は無理をしないでそのままでいいわけです。このレベルでの話しです。念のため。本気で唄っていない者の方がなぜかよい、という現象です』


若者には、何を言っても、彼等は、お互いを慰めてくれる「仲間」を持っておりますから、言うだけ、うっとおしい大人の「敵」の一人になる事でしょう。それ以前の親子の「ふれあい」にすべてはかかっていましたが今さら気がついても自業自得なのでしょう。


興味のない方は、他へブラウズし、同感される方は、次なる更新を期待して下さい。また、一切、読者が存在しなくても、このサイトは年々、その記録は、大きなものとなるでしょう。


いずれ、私に関わる、「子孫」ができた時、このサイトを見つけた時の幸せは、予期した通りの結果を生むでしょう。


どちらにせよ、これは、残して置くことにしましょう。次へ、次へと。そして、私の考えがいずれ、その出所もわからなくなり、自身の考えとして活用され始めた時、また、新しい時代の課題へと変化していく事でしょう。


30年後、私は、私のような若者に出会いたく思います(天才!でしょう。誰にも知られない。「早く結婚しなさい」とすすめます)。では、初対面の方への「序文」は、このような感じにして置く事にします。

(かなり、過激な内容と思われた方もいると思います。このため、現在、「沖縄若者音楽文化」に依存する各サイトから掲載を削除される事が多々あります。しかし、この問題は「なぜ、沖縄の楽器弾きの進化が止まったか?」という絶望的な将来の問題を含んでいます。

私の知るかぎり、県内には全国へ向けて、「楽器弾きのプロ」であると呼べる若者は、おりません。この事は、常に、本土から「観光がてら」に訪問するミュージシャンが内緒に指摘していくのが現状です。わざわざ呼んでくれる「観光地」で厳しい指摘をして嫌われる者はおりません。

しかし、彼等とて、再び帰京すれば、大変、厳しいミュージシャンとして回りには接しているのです。どなたか、白状させて見て下さい。アドリブができない者がフュージョンプレーヤーとしてメロディだけを演奏し沖縄を代表して全国制覇を目標とするのです。とても信じられない状況です。

10年前から突如、湧いて出て来た現象です。もの事の表面だけを真似るのです。彼等と同世代の、修行に明け暮れる全国の若手は、ここへ来て、この状況を何と見るのでしょう。私は、同様に「あざ笑う」わけにはいかないのです。この土地の人間として。楽器の上手さを問わない「歌」を中心としたバンドの事はわかりません。

サミット中、イタリア語の通訳が不足していると、イタリアにわずかな滞在をした事がある、という者まで狩り出し、県内の公式文書の作成をさせようとした事を、現、地元大学へ本土から赴任したイタリア語元、同時通訳の女教授が新聞紙上にて「ここは、プロとアマの区別がない土地」と指摘しました。

また、インターネット関連の本土企業が、この地への「起業進出」を目的に、若手新入社員を面接した所、「ここには、適切な人材がいない」と嘆いている、と新聞紙上で紹介されました。

私は、「若手はコンピュータに精通している」とばかり思っておりました。現状は、音楽界とまったく同じ質での若者であった事を知り、この問題の根の深さは大きいと改めて痛感しました。

近年、沖縄の若手は、ますます、この土地以外で生活した経験がありません。まったくこの土地から出ようとしないのです。生まれてから、死ぬまで、この土地のみで自己の能力を「比較」し、学ぶ程度を決めているのです。

この島で「なれない職業はない」とも言えます。一体、この若者たちへ誰が、どうやって「ものを教えるのでしょうか?」どこから、世界の大きさを学んでくるのでしょうか?

かつて、私の世代までは、聞けば、大抵の者は「本土」にて、他文化に「同化」するための「越境」をなしていました。

しかし、何時の頃か「琉球崇拝」文化を唱え、若者は自国に「引きこもり」ました。その結果がこれなのでしょうか?

私は、次なる「受験文化」世代が、今、秘かに、この土地を離れ「越境」が再び始まっている事も感づいております。

その世代が、また、次なる新たな「文化」を運んでくる事も予感します。では、その間、どうやってこの時間を潰しましょう?何もかも、見よう見まねの時代は、もう終ったと思うのですが、どうでしょう?

15年の月日をかけ、私は、わずかばかりのものしか「島の若者」に伝え切れませんでした。      



                               2000年12月24日


尚、急に、「更新」がなくなりましたら、「多忙」と思われるため、先にお詫びしておきます。たぶん、「お金にならない事」をこれ以上続けたら「夜逃げ」するしかないからかと思われます。「季刊サイト」と認識して下さればけっこうと申しておきます。現在、私は、非常に「計算高い男」と呼ばれておりますが、「計算ミス」ばかりしでかしていることも付記して置きます。


註1:私は、一切の宗教関係及びその一部共通の幹部による「沖縄県ジャズ協会」の団体等とは一切の関わりがありません。したがい、その関係者並びジャズ愛好家の演奏者から都合のよい評価を得る場合がある事を付記しておきます。



註2:「友寄隆哉」の名で「検索」をしますと色々な人物が出てまいりますが、「哉」のつく者は、私が「一族の長」である事が祖先伝来の「友寄一族家系図」に記されております(通常は「也」です)。また、皆、一面識もありませんが、一族である事は、先の文献により判明している事を一族の長としてお知らせして置きます。


追記:最期まで読んだ方のために。


沖縄には、「沖縄のナベサダ」と言われた、テナーサックスの友寄隆生(ともよせりゅうせい1935年生))というプレーヤーがおりますが、氏とはよくまちがえられ、昔、阪神大震災救援コンサートで「与世山澄子(ボーカル)」のバックバンドを沖縄パレット前で行なった際、メンバー紹介の後、年輩の中年女性が「やっぱり友寄隆生はいいわねえ〜」と言っていたのを耳にしました。


「アレはテナーサックスちゅーのに!オレはギター!年齢がちがうっ!つーのに!」と一人ぼやきました。以来、業界の人間しかわからない地下プロレスの無敵のヒールとして世の中で目立たないように「御札」を貼られ封じ込められております。


したがい、友寄隆生と私とは、母方の遠縁になり、俗に沖縄で「門中(もんちゅう)」と呼ばれる一族の一種ですが一緒にちゃんと演奏した事は、ありません。(母は「伊江島」の友寄、父は「本部(もとぶ)」の友寄、となっていて共に同姓です。)





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