友寄隆哉

ジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論

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40:オーネット.コールマン(黒人、フリー.ジャズ系アルトサックス)&エリック.ドルフィー(黒人、フリー.ジャズ系フルート、バス.クラリネット、故人)


昔、10台の頃である。


ギターを習っていた頃、ある生徒と口論になった。

オーネット.コールマンが偉いか、エリック.ドルフィーが偉いか、というテーマだった。

今考えて見ても意味不明な口論である。

私はオーネット派だった。


(ドルフィ−派の彼は後にターン.テーブルに転向した。そうだ、あいつだ。私と同年の。私はその教室では嫌われ者であった。何でも反対したからだ。だから今がある。是非は問わず。)


オーネットが作曲して演奏した「ロンリー.ウーマン」が好きだったからだ。

オーネットの60年代に出した初期のアルバム「ジャズ来るべきもの」(1959年録音)にあったと思う。


60年代の「夜明け」を告げる不滅のテーマであったらしい。


ベースにオーネット教のチャーリー.ヘイデン、ドラムに、ビリー.ヒギンズ等の強力リズム隊を率いてドン.チェリー(コルネット)とオーネットが「女」をめぐって絡(から)み合う。


孤独な女たちの「叫び」がそこにある。


尚、「ロンリー.ウーマン」は同名のタイトルでの古いスタンダード.バラード.ソングがあるので要注意。


しかし、この一方の曲はパット.メセニ−がアコ−スティック.ギターで弾いていた気がする。



エリックで有名なアルバムは様々であるが「ラスト.デイト」1964年録音を上げておこう。


このアルバムのラストにはエリック自身の肉声による印象的な台詞(せりふ)が収録されている。


10台から私はこの言葉だけは今でも暗唱できるほどである。


なおエリックにはオリバー.ネルソンとの共演盤「スクリーミン.ザ.ブルース/screamin' the blues]1960年録音も名盤とされている、と資料にある。


聴いていないからわからない。


しかもオリバー.ネルソン(サックス.作編曲家)との共演であるから今からジャズを探る人にとっては一石二鳥のアルバムとなろう。


エリックは「ラスト.デイト」を最後に36歳で死去。


これが最後の遺作となる。


オーネットの方は、その後もわけのわからない活動をして行く。


デビッド.クローネンバーグ監督の映画「裸のランチ」1991年のテーマも手掛けている。


この映画のサウンド.トラック再現として、テレビかビデオで当時、オーネットの率いるバンドとオーケストラの共演を見た。


チャ−リ−.ヘイデン(ベース)のオーネット評は凄い。

「彼は、60歳を越えても、ディスコへ行くと何と踊って見せるのだ、こ、これはジャズ.ミュージシャンにとって、た、たいへん勇気のある行動だ、オーネットにはいつも頭が下がる、、、」という発言を読んだ事がある。


何とも言えぬ、わけのわからないオーネット評であるが、古いメンバーに嫌われずに、今だ尊敬されているというバンマス(バンド.マスター)はりっぱである。

大概は、サイド.メンには恨まれるのが普通である。


オーネットは、70年〜80年代、「プライム.タイム」等の何でもありのエスニック.パンク.ロック風のバンドを若手を集め結成し、「ハーモロディクス理論」というわけのわからない理論を唱え始めた。


これに対しチャーリー.は、「オーネットは、何でも理論にしてしまうから、、、」と答えていた。


私が、ハーモロディクス理論を今、この場で解説しよう。


ハーモロディクス理論とは、「メンバー全員が各々(おのおの)思い思いの音を勝手に出していても”音楽 ”として成立する」というサウンドの事だ。


これ以外何の注意事項もない。


これが成立するためには、まず全員がある一定のビートに乗って適当に演奏する事だ。


キーらしきものは、ベ−シストが弾いている音のみである。

別に誰が目立っているわけではない。


全員で「大宴会音楽」を展開しているものを指して、オーネットは、「おお、これこそ理論!ハーモロディクス理論によるものだ!世界民族共存だ!」と名付けただけである。


文字も音符も読めないような連中を集め、適当なテンポのビートに乗っけて全員で演奏するだけである。

他のミュージシャンはパンク系やブルース系のミュージシャンである。


私の好きなブルース.ギタリストのアルバート.コリンズや、何でもありに強いロック系の「註:ジェームス.ブラッド.ウルマー」という黒人ギタリスト軍団もいた。


:最初、ブラッド.ウルマーを「デビッド.ウルマー」と記していました。読者の指摘により、訂正。はい!確かに、ウルマーと共演の多かったデヴィッド.マレイ(ts)と合体させていました。皆さん!デビッド.マレイ!(ts)を聴きましょう!浪花節(なにわぶし)マフィア.ジャズ!の極地です。アメリカにも北島三郎がいるわけです。私の目の前を肩で風きって通っていきました。あ、ライブを見たのです。ビール運びながらね。昔。2001.12/12挿入』


お互いが、出しゃばり過ぎず、引っ込み過ぎず、が「理論」と言えば「理論」である。


このサウンドもリーダーが次なる展開を示唆(しさ)して初めて、リスナーには「おもしろい」サウンドとなる。

しかし、基本的に、椅子に腰掛けて聴く種の音楽ではない。


「佐渡おけさ」のような音楽である。


つまり佐渡おけさの踊りにもハーモロディクス理論が活きている。


もちろん沖縄のカチャーシー踊りでもオーネットが見たら、「こ、これこそまさに私のハーモロディクス理論だ!こんな島にも布教されていたのか!」と勘違いもはなはだしい感想を述べる事であろう。


「上を向いて歩こう/ 明日があるさ」の作曲者、ジャズ.ピアニストの中村八大(はちだい)氏が新婚旅行先のアメリカでオーネットの当時のライブに出くわし飛び入り演奏をしている。


当時のオーネットの自由音楽とジャズ全盛期が終えた日本で暮す八大氏の境遇とのギャップに、おそらく帰国した八大氏には、宇宙から帰還して来た飛行士のようなカルチャー.ショックを受けた事であろう。


ジャズ.ミュージシャンにとって、思いっきり演奏したくとも、それでは食えない状況は大変つらい。


良質の客でない場でいくら演奏を重ねても絞るように練り出した自己の心は踏みにじられるだけである。


薬に走るミュージシャンが多いのもうなづける。


しかし、これは逆ではない。


あくまでも「芸」を持ったミュージシャンに対しての同情である。


芸もないものが、ひょんな事から人気商売の罠(わな)にはまり、人気が消えて後、薬に走る、という当然の結末に対しての同情は一切ない。


また、何を演奏しても黙して聴くほどのレベルでない者が、自己の境遇を嘆(なげ)く、と言う似非(えせ)ミュージシャンに対しての同情もない。


音楽が本当に自己の生き方を示すものであれば客がいようがいまいがやるべき作業はいくらでも音楽家にはある。

それら一切の「行(ぎょう)」を行なって後、本当の「空虚(くうきょ)感」は突然やって来るのである。


しかし、実際は、「薬」に手を出したからと言って、それが善良な音楽家の証明とはならない似非(えせ)ミュージシャンばかりである。


それは、「芸」もないにもかかわらず、他人を求める、という傲慢(ごうまん)極まりない態度と言える。


世の中の大半は、普通に日々を暮している人間ばかりである。

それは、「夢実現」ではなく、彼らのような暮しがしたくない、という「ああは、なりたくない自己実現」の類(たぐい)でしかない。

その証拠に、それは今だ「芸」として確立されていないのではないか。

人前で披露するだけが自己実現ではない。


芸がある人間でさえ、何年も沈黙できる、と言うのに、芸もない者がなぜ、一日も早く人前で演奏する事を夢見なくてはいけないか。


こんな下手な私でも好きになって下さいライブ」は、甘ったれた無限の欲望の証しである。



私が、夢で見る私の演奏は、音だけしか聞こえて来ない。


そこには、客もなく、ステージもなく、世界が音だけで構成されているだけである。


私ですら4年間も一切、人前で演奏しなくても平気であった。

このまま行くと、一生、人前で演奏しなくてもいい人類になってしまう、という得体の知れない恐怖感で復帰しただけである。


しかもこれは自分から進んでやった事でもない。


しかし、いったん始めたら、「快」が来るまでやめない、という流儀に従っているだけである。


これは非常に楽だ、と言う境地まで行って初めて、人は次へのステップに進むべきである。


惜しまれて去る、という日が来るまでは居座り続ける。


嫌がられ、迷惑がられたまま去るのは「逃げた」も同然である。


我慢して我慢して自己主張を抑え、その場に必要な人材となった時、初めて自己の本音を語るのである。


これが、去る時、である。


数々のバンドを変遷して来ても「過去がない」人間がいる。

彼は、過去が語れないのだ。

なぜなら、彼は、常に「逃げて」来たからである。

円満退社ではない、のである。


過去の世界の住人はみんな彼を嫌っているからである。


過去のバンドの連中が彼とは二度と会いたくない、と言っているからである。

本来の闘いは、去った彼自身が、「彼らとは二度と会わなくてもよい」とする結果に至るものである。

それが、苦境を脱してその場を「快」にしていく彼の決意が本物の闘いであった事の証明である。


オーネットを語ると、必ずドルフィーが出て来て中村八大氏の話しになる。

そして長年、チャーリー.ヘイデン氏に慕われ続けているオーネットの人間性にも触れる事となる。


いずれにせよ、この二人のミュージシャンを「聴ける」という事は大切な事である。

なぜなら、この二人を聴けるリスナーは、その後もあらゆる時代の様々な音楽をも受け入れる事ができる「感覚」を所有する事ができるからである。


そこにあるのは、ジャズそのものが初期に持っていた「自由な精神」である。


自分を黄色人種と認めていない差別意識の高い、ピアノ至上主義の人種は、この二人のミュージシャンが聴けないのが現状である。


したがい、オーネット.コールマンとエリック.ドルフィーは、リスナーを試すひとつの試金石(しきんせき)としていつの世も存在する事だろう。


私には、キース.ジャレット(ピアノ)とオーネット.コールマンは同種に見える。

オーネットの方が先に「民(たみ)」を赦したのである。


それは、エリートでなかったオーネットの持つ挫折感が達した一つのユートピアであった。




2001.12/8 Sat.

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 41:チャールズ.ミンガス(黒人、ジャズ.ベーシスト、作編曲家、故人)


ミンガスの良さをどうやって一般の人に伝えよう。

プロのベ−シストの中にもその偉大さがわからない者ばかりだ。

なぜなら、そうしたベ−シストは皆んな、単なるベース弾きでしかないからだ。

ミンガスからはベースの技術を学ぶ事はない、と言うわけだ。

彼らの多くは、ミンガス以降のクラシック音楽教育を受けたベーシストにしか興味が行かない。

ロン.カーターに始り、ニール.ペデルセン、ミラロス.ヴィトウス、スタンリー.クラークと言った技巧派に範(はん)を見い出す。


誰しも認める事は、ミンガスの作曲の才である。


ジェフ.ベックがアルバム「ブロー.バイ.ブロー」だったか「ワイアード」のライブでない方だったか忘れてしまったが、ミンガスの「GOOD BYE PORK PIE HAT」を演奏した。


この曲は、あまりにもコード進行が複雑で、これでアドリブを取るなんて普通のジャズ演奏家では大変な難曲だった。


そうしている内にジェフがあっさりとシンプルなコード進行のブルースにしてこの曲を弾いてしまった。


ジェフには、このメロディがとても気に入ったのだろう。


ナット.ヘントフが書いた「ジャズ.カントリー」という小説にミンガスとモンクを足して2で割ったようなジャズ.ミュージシャンが出て来る。


演奏中、おしゃべりに夢中な評論家の客に向かって、急に演奏を止め、「で、その女はどうしたんだい」とステージから会話に入ってくる場面が出てくる。


16歳の頃読んだままだから確かな記憶ではない。


植草甚一氏の本にも「ぼくたちにはミンガスが必要なんだ」という本があった。


元アメリカ大統領のジミー.カーターは、車椅子のミンガスを就任してまもないホワイト.ハウスのパーティに招いた。


ミンガスが泣いていた。


その後すぐに死んでしまった。


56歳くらいだった、と思う。


死後、ミンガスが書き遺(のこ)していた「エピタフ」というジャズ.オーケストラ用の500枚余りの譜面が見つかった。


ガンサー.シュラー(指揮者、作曲)がまたまた皆んなを集め、これを上演した。


偶然、西荻窪のビデオ.ショップの音楽ビデオ.コーナーで見つけた。


今、考えると、その小さなビデオ.ショップでは、色んなジャズ.ミュージシャンのビデオがあった。


モンクなんかもあった。


マイルスの自叙伝では、ミンガスはマイルスの従兄弟(いとこ)だった、というような箇所があったような気がする。


ミンガス!そんな演奏してちゃダメだぜ、とか何とか言ったとか言うような箇所だ。


もし違っていたら、何でそんな風に思い違いをしてしまったのかを考える事にしよう。


その本は西荻窪図書館にある。


ここから抜け出すお金もないからずっとこうしている。


ミンガスは、とにかくあらゆる事に怒り、あらゆる事と闘った。


それが音楽に込められているから一般の人ではよくわからない。


普通のベース弾きにもわからない。


何だかわけがわからないまま、今だに誰もミンガスを越えられない。


一人の人間が偉大な音楽家となるために闘った軌跡(きせき)が見えないんだ。

ミンガスは、デューク.エリントンのようになりたかったんだ。


一介のベ−シストから偉大な音楽家を目指した。


そのためのあらゆる努力を一人でやり続けた。


生きている間には上演される事のなかった500枚にもわたる「音楽」を毎晩、毎晩、仕事が終って書き続けていたんだ。


ジャズの始りから終りまでを記録しておきたかったんだ。


バンドマン芸ではない、いつかみんなが本気で取り組めるように「芸術」に昇華させておきたかったんだ。


黒人史としてのジャズをだ。


デユークを越えようとしていたんだ。


晩年、ボロボロになってベースの弾けないミンガスをバンドマンたちはあざ笑った。


な〜んだ、大したもんじゃないじゃないかって。


だけどね、今だにね、誰もベース弾きでミンガスを越えちゃいない。


たぶんね、同じベース弾きのチャーリー.ヘイデンとデイブ.ホーランドなら必ずそう言ってくれるはずさ。


人間はね、ちゃんとした教育を受けりゃあ、いいってもんじゃないのさ。


ジャズから学ぶ事はいっぱいあるさあ。


知ったかぶりすんなよなあ。


知ってんだったらそんなに下手なわけないじゃん!


ミンガスには「直立猿人」(1956年)と言うアルバムがある。

ピアノを弾いた「ミンガス.プレイズ.ピアノ」(1963年録音)もある。


まあ、好きになるまで聴き続けるしかないなあ。


子供にゃあわかるめぇ。




PS:
根底にある思想がわかれば理解できる音楽もたくさんある。

本でもなんでも利用して作者に迫るんだ。

どっかに接近する糸口があるはずさ。

音楽だけが入口じゃあないからね。

人間に迫るんだ。


大した者じゃない奴は、どっから試してもぜ〜んぶダメだからね。



2001.12/9 Sun.5:13a.m



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42:リー.コニッツ(白人、アメリカ、ジャズ.アルト.サックス)&ダニエル.ディファイエ(白人、フランス、クラシック.アルト.サックス)&ヤン.ガルバレク(白人、ヨーロピアン.スタイル.テナー&ソプラノ.サックス)


サックス奏者にとってリーコニッツは特別な存在だ。

盲目のピアニスト、レニ−.トリスターノが、当時、黒人主流のチャーリー.パーカー的演奏が主流の中、レニ−は、あまり音程をコード.トーンに忠実に跳躍させない、というコンセプトを持ち、まず最初の「スタンダード解体」を実践していった。

そのレニーのもとへ、ギターのビリー.バウアー、ベースのオスカー.ペティフォードなんかが集まった。

その中心となったのがサックスのリー.コニッツだ。


この一派は、私の分類では「
心なし、記号派族」だ。


いかに長いラインのテーマを息もつかせずつなぎ合わせられるか、という作曲法に取り組んだ。


だから彼らの演奏には、何の「風景」も現れない。


あるゆる「感情」を抑えるのだ。


器楽としてのジャズ、歌にならないジャズを目指したわけだ。


一般にこれを「クール.ジャズ」と呼んでいる。


しかし、彼等からするとマイルス(トランペット)やジェリ−.マリガン(バリトン.サックス)が発表した「クールの誕生」というアルバムは、クールでも何でもない。

単に、「静かなジャズ」でしかない。


実際、別に提唱するアドリブのコンセプトもなく、従来の手法でしかなかった。


リー.コニッツは、白人としてのジャズを探っていたのだろう。


有名なアルバムでは「エズセティック」(「美の追求」どっかの美容院のキャッチ.フレーズみたいだ)「サブコンシャス.リー」等だ。



しかし、時折、レニーの要求するコンセプトに息が詰まり、アルト.サックスをテナー.サックスに持ち換え、パーカー風な演奏をしたアルバムを発表した事もある。

アルトでなければ、クールじゃなくてもいいじゃないか、というストレス解消なのだろう。


80年代後半に、リー.コニッツには、晩年の作編曲家の故ギル.エバンス老人とピアノとアルト.サックスだけでデュオ.アルバムを発表している。


リー.コニッツ好きにはたまらない世界だろう。


近年のリー.コニッツは、「クール」にこだわる事なく自由に吹いている。


またこれは実際にギル.エバンスがピアノで、どんなコードをスタンダード演奏で押さえるのか、という興味も尽きない。


ジョン.スコフィールド(ジャズ.ギター)とデュエットしたアルバムも80年代にあった。


様々なジャズ.サックスを聴いてきた私は、ある日、とんでもないレコードを聴いた。


クラシック界では巨匠と呼ばれている、というフランス音楽院か何かの大学の教授でもある、とあった。


それがダニエル.ディファイエだ。


サックスとピアノの伴奏だけで、クラシックの名曲を吹いていたアルバムだった。


本当に腰を抜かしてしまった。


世の中にこんな美しくも上品なサックスの音色(ねいろ)があるのだろうか、と何度も何度も繰り返し聴いていた。


ああ、これがクラシックの伝統なんだな、と思っていたら、サックスという楽器は、それほど長い歴史を持っていない楽器である事がわかった。


ほんのつい最近と言ってもいいくらいだ。


発明したアドルフ.サックスの弟子の弟子くらいにあたるのがダニエル.ディファイエだった。


(ディファイエのピアノとデュエットのアルバムは、現在も入手可能かわからない。クラシック.サックスを専攻した音大生にでも尋ねるともっとくわしく知る事ができるだろう。音大生はこれくらいしか役に立たない。一般に入手困難なものばかりだろう。フランスにでも行くしかないかもしれない。)


音色が好きなサックスは多い。


中でもキース.ジャレット(ジャズ.ピアノ)と初期にいっしょにやっていたヤン.ガルバレクも絶品の音色を持っていた。(キースのアルバム「マイ.ソング」だったかな?)


リー.コニッツの枯れた、
鳴らない音色(ねいろ)、

ダニエル.ディファイエの荘厳(そうごん)な音色、

ヤン.ガルバレクの何とも切ない音色、


最近、またまたサックスの音色に腰を抜かした。


日本人だった。


検索したら以下のものが出て来た。



 『テナーサキソフォンによるバッハ無伴奏チェロ組曲1,2,3番/清水靖晃&サキソフォネッツ』
 
トヨタのCMで現在使われている曲。 ”



(註;清水氏は本来、即興演奏を得意とするインプロバイザー兼作曲家である。彼の、テナー.サックスによるバッハ演奏に驚いた、という次第である。以前からも音色には感心していたが、こう露骨にバッハを吹かれては、、。)


とても下品な、世の中に媚びた、何か物乞いのような音色が多い現在のサックス界にあってこうした音色を聴く事は、まさに至福の時間である。

念のため、言っておくとケニ−.G(ソプラノ.サックス)の音色もすれすれだけど素晴らしい。『ウエイン.ショーター(テナー&ソプラノ.サックス)しかりだ。』

しかし、彼を真似て金銭を得ようと企(たくら)んでいる人間の音色は、下品極まりない。


当然、オーネット.コールマン(アルト.サックス)の音も素晴らしい。


こうして見ると、サックスにとってその音色(ねいろ)は、その人そのものの音楽観が現れている事がわかる。


音色に対しての深い、哲学があるようだ。


どうか、一般のリスナーであっても、美しいメロディやテーマ演奏に騙されず!、こうしたサックス奏者をたくさん聴いて、私の言う、「下品で媚びた音」のサックスを判別できるようになってもらいたい。


そうした下品なサックスは、これみよがしの、「美」を装い、「金くれ〜、金くれ〜」って鳴いているように私には聴こえる。



私は、サックスも大好き人間だ。



2001.12/9.Sun. 8:20p.m.

PS:


最近、この「金くれ〜、金くれ〜」と鳴く、夜泣きソバのチャルメラのようなサックス吹きを「
卑(いや)しい系」と命名した。



2001,12/19, Wed. 4:12a.m.


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 43:チック.コリア(白人、フュージョン.ジャズ.ピアニスト、作編曲)


キース.ジャレット、ハ−ビ−.ハンコックと紹介してチック.コリアに触れないわけには行かないだろう。


3人に共通しているのはマイルス.デイビス.グループの出身という事である。


特にチックとキースは、マイルスのアルバム「ビッチズ.ブリュー」以来の同僚である。


無理矢理、電子ピアノを弾かされたキースとちがいチックの方は、電気好きである。


その後も彼には、シンセサイザーを駆使した数々のフュージョン.スタイルの電気バンド活動がある。


昔、キースとチックがモーツアルトを弾く、というコンサートでデュエットをしていた。


NHKでテレビ放映されたリハーサル風景を見たら、キースがやたらにチック注意する。


「違う、違う!モーツアルトはそうじゃない」と言って来るのだ。


チックは黙って聴くふりをしている感じだ。


キースとは先輩後輩の関係なのだろうか、はたまたキースには誰も逆らえないのだろうか。


おかしな事に、キースがジャズ専門のバークリー大学で、チックがクラシック専門のジュリアード音楽院だ。

ジュリアードは、マイルスがすぐに仕事ばっかりで行かなくなった大学でもある。


でも、まあ、どうせ大学に行くなら未知のものを、という事でお互いが選択したのだと思う。


どう見てもキースがクラシックそのものだ。


チックは、ハービーとのデュエット共演もある。


日本武道館でコンサートもしたはずだ。


FMでオンエアーされたコンサートを聴くと、二人は、自由にインプロビゼイション(即興演奏)したりクラシックを演奏してたりしている。


この後にキースとのデュエットがあったのだろうか。


まあ、どっちが先でもよい。


キースとの共演が終って、楽屋を訪ねたインタビュアーになった武満徹氏にチックは、「自分のやりたいようにクラシックが弾けないなら、僕にとってはクラシックは何の意味もないね」と言った。


キースとチックは、仲がよいのか悪いのか今もって不明だ。


チックは、昔からバルトーク(作曲家)大好きで通っているから、近年は、バルトークの子供のためのピアノ教本「ミクロ.コスモス」のような子供用のクラシックピアノ曲などを作曲したりして発表している。


チックは、バルトークから民族音階的な様々なペンタ.トニック(五音の音階)を発展させ、ジャズ.アドリブに導入している。


おそらく、バルトークからは、あの弦楽四重奏での躍動感あるリズムとペンタ.トニックを学んだんだろう。


こうした所にもチックの実利性を重んじる勉強法がうかがえる。


しかし、実際、民族音楽家としてのバルトークの精神を引き継いでいるのはキースに思えるのだが、、。


マイルスが指摘するように、チックの良さは、一定のテンポ、パルス内で、まるで精密機械のように様々なデジタル.リズムを演奏するロボット.リズムにある。


彼は、おそらく様々な連符をメトロノームに合わせきっちり練習して来たのだろう。


一方のキースにはそうしたデジタルさはない。


小節線も感じさせない


チックは、1小節の間にどれだけ複雑なリズム演奏を入れられるか、に「快」を見い出している。


フュージョン系の方は、「リターン.トウ.フォーエバー」というバンド活動が初期にある。


あの変人天才パーカショニスト(打楽器奏者)山下つとむ氏が在籍していた事もある。


(何千年も前の石を見つけて、それをお寺の本堂で叩いて音楽を表現する打楽器奏者だ。似たような打楽器奏者に土取利行 氏がいるが。こっちの方は、筑紫哲也氏のニュース番組によく出て来る。)


有名な曲は、「クリスタル.サイレンス」という美しい曲だ。


何度もサイド.マンで演奏した覚えがある。


私が一番、聴き込んだCDは、チックが、初めてジャズ.スタンダードをピアノ.トリオで真っ向勝負した「チック.コリア.アコ−スティック.バンド」というアルバムである。


これが出て来た頃は、もう、毎日、何十回とウォーク.マンで聴いていた。

あちこちの現場で聴いていた。


晴海(はるみ)埠頭(ふとう)だとか、幕張メッセだとか、、、。


一体どんな現場なのかはこのまま暗号にしておく。



だからこれを聴くと当時を思い出す。


当時は、もっと心をなくしたデジタル系の感覚を手に入れようと「仕込み」の真っ最中であった。


これはまさしく人間をロボット化した極地のジャズである。



もしロボットにジャズを演奏させたら、というシリーズにまさにふさわしい例証である。


心なんかいらない、音楽家は音符の事だけを考えていればいいんだ、とする「デジタル.ジャズ.トリオ」の誕生である。


悩みと言えば、最近、身体のどっかの部品が悪くて指がよく動かないんだ、というくらいではないか。


どっかに部品点検してくれるメカ.ドクターはいないかい、というロボ.コップ同志の会話が交わされている事だろう。


彼等が表現しているのは「音の面白さ、美しさ」といった追求で、それは一切の日常的
感情を排した世界である。



「やあ、さっきの7連符(れんぷ)はごきげんだったね!」といった世界だ。



おそらく彼等の使う言語も、「ドレミ?」、「ソラシ!」、「!ファソラ〜?」、「ソ〜ソ〜!」、と言った言語であるかもしれない。



年から年中、リズムと楽器技術の発展を考えている日々なんて、まさにミュージシャンにとっての「極楽浄土」ではないか!


実際のチックは、自宅での夜間演奏の際、防音の関係で少し音が漏れるんだ、と近所に迷惑をかける事を心配している一人のミュージシャンであった。


世界的なジャズ.ミュージシャンと言えど悩みはちょっとばかり庶民的であった。


ちょっとばかり、と言うのは、深夜の自宅でのピアノ演奏の事ではない。


深夜の「自宅スタジオ」での「バンド演奏」の事だ。


この苦情は、アメリカ国家に申請する事なのではないだろうか、何とも言えない世界的ミュージシャンの一人である。



これが、インストルメンタル(器楽演奏)ミュージック.ビジネスの限界であろうか。




2001.12/11 Tue. 1:45a.m.

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44:レッド.ガーランド(黒人、ジャズ.ピアニスト、1923生、1984年没)

キース、ハービー、チックと言う天才どころを紹介したら、何だか、嫌〜な感じが心に残った。


はて、なぜだろう?


と考えて見たら、レッド.ガーランドを隠しておこう、と思っている自分がいた。


悪かった。


もう一人のエリートでも何でもない自分に謝っておく。


最初にジャズの良さがわかったのが、マイルス.デイビスの「クッキン」というアルバムだった。


そこで演奏されている「マイ.ファニー.バレンタイン」と言う曲のピアノのイントロがとても切なくも美しく聴こえた。


レッド.ガーランドだった。


18歳くらいの時、軍隊でピアノを習い、除隊してからは、プロのボクサーとなった。(あっと、「プロジェクトX」調になる所だった。)


上手く勝ち進んだが、同じ練習仲間と対戦になり、友達は殴れないと負けてしまったらしい。、


ボクシングが向いてない、という事で、ジャズ.ピアニストになった。


マイルス.グループ時代には、マイルスを不動の人気者にした四部作、「クッキン」「リラクシン」「ワーキン」「スティーミン」で聴けるはずだ。(その他に「ラウンド.ミッドナイト」1955年録音、「マイルストーンズ」1958年録音、等もある。)


「クッキン」(1956年録音)の中の「マイ.ファニー.バレンタイン」という曲での不滅のイントロを聴いてもらいたい。(マイルスには「マイ.ファニー.バレンタイン」というタイトルのライブ.アルバムがあるので混同しない事。これはピアノがハービー.ハンコックである。1964年録音)


ほんの一瞬なのだが、忘れられない。


あれ以上のイントロはない。


37年も前になってしまった。


もちろんアドリブは、絶品である。


自身のリーダー.アルバムで有名なものは「グルーヴィー」(1956〜57年録音)がある。


レッド.ガーランドは、よく「カクテル.ピアニスト」等と言われたり、初級のジャズ入門者用のピアニストだと言われている。


だけど、私は、ジャズ.ピアノは、レッド.ガーランドに始りレッド.ガーランドに終る、と思っている。(Simple to Simple)


厳密な意味での「ジャズ」というものが存在するとしたら、レッド.ガーランドのピアノはまさしくジャズそのものだ。


まさに「
心派」を代表するピアニストであろう。


18歳くらいからピアノを始めて誰でもああなれるもんじゃない。

(註:アルト.サックスの素養はある)


おまけにボクサー上がりである。


実際の晩年のレッドは、好々爺(こうこうや)とした小太りのピアニストだった。(1923年〜1984年、60歳で死去)

オスカー.ピーターソンは、エリートのピアニストだ。

幼少の頃からクラシック.ピアノもやっている。


オスカーを聴きたいなら「WE GET REQUEST」を聴けばよい。


しかし、オスカーには、何か、そこからどうしても抜け出る事ができない大きなスタイルの限界が感じられる。

あまりにも巨大なオスカー節のジャズが確立されてしまったからだ。


しかし、レッドの場合は、なぜだか、21世紀のピアニストとして学ぶ人間にも通用する「心」がある。


たぶん、それはレッド.ガーランドが、ジャズを色んな事から学んで行ったからではないだろうか。

けっしてそれは、様々なエチュードを経て後に身につけた類のものではないからではないだろうか。


レッドは、何気ない街のざわめきや、雰囲気、何気ない人々の会話、そうした様々な「普通の人々」「普通の日々」をジャズにして行ったからではないだろうか。『註:ピアノ始めは、ナット.コール(ピアノ)に影響を受けている』


わあお、何て素敵なフレーズだろう、て、発見する「喜び」に満ちていたからではないだろうか。


そしてレッドは、そうした街の「悲しみ」さえもかぎとってしまったからではないか。


やがて「クラシック感覚技巧派ジャズ」の世界が押し寄せ、レッドは無用のピアニストになって行く。


レッド.ガーランドもまた、ジャズの試金石となる。


ピアニストを目指す者はレッドを聴いて見るべきである。


ただひたすら聴くだけで十分である。


大したピアニストでない、と思ったなら、10年くらいして教えて上げよう、と思ったのだが、実は、ハービー.ハンコックも大好きだ、と言っていたジャズ.ピアニストである。


これで、よいか。



何だか、肩の荷が降りて、ほっとしている。






2001,12/11 Tue.



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45:アストル.ピアソラ(アルゼンチン.タンゴ、バンドネオン奏者、作編曲家、1921〜1992、故人)



ここで、ピアソラに触れておく事は、大切な事だ。


ピアソラは、昨今は、ブームになっているという。

しかし、私は、ピアソラについてのくわしい事はほとんど知らない。


だから勝手に調べてほしい。


20台後半にカセットに放り込んでいたピアソラを毎晩、毎晩、酒のつまみに聴いていただけだ。


コピーしてみようか、と動機不純に思った事がある。


なぜならピアソラの女性ファンは、みんな黒い服をいつもまとって、けだるくバーの片隅で酔いつぶれてしまう女たちだったからだ。


しかし、よく考えて見ると、私は、戦争体験もないし、不幸な境遇に育ったわけでもない。


だからピアソラは、黙ってお酒のつまみにしておこう、と決めた。


当時は、そんな女性たちがピアソラを見つけて聴いていた。


でもブームとなれば、「ピアソラを聴く女」では何の基準にもならなくなってしまった。


ピアソラは、そんな女性から教えてもらった。


ピアソラから20歳の頃、バラの花束が届けられた、と言っていた。


同じホテルに泊っていたそうだ。


バーで一人お酒を呑んでいたのを公演後のピアソラに声をかけられた、という。


ピアソラを聴くと、思い出す。


もう、遠い昔の話しになってしまった。


だから、今は、ピアソラは聴かない。



2001,12/12., 7:07p.m.


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46:クロノス.カルテット(クラシック、弦楽四重奏、全ジャンル制覇中)&ステファン.グラッペリ−(白人、ジャズ.バイオリニスト、1908年〜1996年、故人)


弦楽四重奏で、モンク、ジミ.ヘンドリックス、ライヒ、ビル.エバンスをやって見たらどうだろう、と様々なゲストを迎えて、あらゆるジャンルを制覇中のカルテットだ。


初期の作品、モンク、ビル.エバンス等は手に入るか不明。

ビル.エバンス作品集では、ジム.ホール(ギター)などをゲストに迎えていたりする。

クラシックの弦楽器奏者の可能性をいっきょに拡げてしまった。

しかし、日本のクラシック界の教育法で「スウィング」感を出した演奏を身に付けるのは、その成立過程では不可能に近い。


よほど、個人的に様々な洋楽の洗礼を受けていなくてはむつかしい。


この事を考慮に入れて初めて、クロノスの価値がわかってくる。


こうしたリズム感を「当たり前」と見れば、クロノスの価値は、その編曲にあると思うのだが、意外に強調されていない。


私は、そうしたクラシック界の現状がわからなかったので、何で編曲者は目立たないのだろう、と当初は不思議でならなかった。


しっかりとしたクラシックの技術とジャズのスウィング感をもった演奏の両方を身に付ける事は容易ではないのが弦楽器界の現状だ。


しかし、これは、
スウィング感を即興演奏、アドリブまで広げる、となるとこれは中々シビアな現実がある。


まだ、弦楽界はその段階にはない。


これをクリアーしたクラシック弦楽器奏者もそう多くない。

(いるのか?)


普通のジャズ、ロック系のピアニストやギタリストにしたって今だ、この問題をクリアーしていない者が多い。


クリアーしている者を上げる方が手っ取り早い。


現状は、アドリブと見せて「書き譜演奏」である。


聴けば、それが「書き譜」による演奏であるかはすぐに判明する。


まず、その一切無駄のないフレーズの羅列(られつ)もあやしい。


「捨てフレーズ」がないのだ。


すべてが「完璧」な、十分に練習を重ね暗記された演奏であったりする。


それは長年、バイオリンでジャズの巨匠の一人に君臨しているステファン.グラッペリ氏を聴けば了解する。


あれが、「生きているアドリブ.フレーズ」の例証である。


クラシックの基礎がしっかりしているからと「ジャズ語」が話せるわけではない。


すべて一から「初級者」としてのスタートである。


ピアニストならその現状をよく知っていよう。


一般には、クラシックの達人は、ジャズのアドリブも達人、と言う事になっている。


クラシック至上主義の哀れな末端の犠牲者たちである。


しかし、そうした「一般常識」には、ジャズを愛する天才クラシック.チェロ奏者の「
ヨー.ヨーマ」氏が激怒してくれるであろう。


それほど、「書き譜」と即興アドリブは違うものである。


英文の原稿を暗唱する者がその言語の達人とは限らない、という事に同じである。



ジャズの持つ「汚れ」と、クラシックの持つ「浄化(じょうか)」の対比がこうしたあから様なクラシック音楽の弦楽器に如実(にょじつ)に現れる。


一体、ジャズはどちらに取り込まれるべき音楽であるのか、あるいはその逆である。


その微妙な心理の「揺れ」の狭間(はざま)に、時折、演者の「傲慢(ごうまん)」な「平和主義」がある。


どちら側の論理を「核」としたグローバル.スタンダードであるか、という事である。


なぜなら、弦楽器奏者において、その「音程」は、奏者自身が決定するからである。


ピアノに見る「一神教」は、そこにはない。


すべてが、演者の深層心理と「哲学」により、無意識に決定されているのである。


問題の教育は、常に、その末端に位置する「先生様」の音楽性にゆだねられているのが現状である。


ステファン.グラッペリー氏は好きか?


これを問うて見るしか彼等の正体を知る方法はない。


もし、彼がいなかったら、と思うとゾッとする。



ステファン.グラッペリ−氏に合掌。



クロノス.カルテットに乾杯。




PS:
千住真理子(せんじゅう.まりこ:バイオリニスト)の達した境地は、「本物」である。



ジャズはやらないが。





2001,12/13Thurs. 2:20a.m.



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47:ジョ−ジ.ベンソン(ジャズ.ギタリスト、ブロードウェイ歌手、黒人)


25年くらい前、ジャズ.ギターのスターは誰か、と聞かれたら、それはまちがいなく、ジョージ.ベンソンであると答える。


今は、パット.メセニーと答えるだろう。


何を聴けばよいか、と聞かれたら、う〜ん、「ブリージン」(1976年)がいいだろう、と答える。


「ブリージン」は、ジャズ界のスターからの一般への「挑戦状」であった。

極上の「ポップス」を目指したのである。


ジョージ.自身が初めて、そのボーカルのほどを披露したのだ。

それ以前にもジョージのボーカル物が存在していたかは不明だ。


チェット.ベイカー(ジャズ.トランペット)のアルバム「チェット.シングス」は、まだジャズの範疇(はんちゅう)である「暗さ」があった。


ジョージは、このアルバムで、様々な分野のミュージシャンに認知され、その「ジャズギター希望の光り」ぶりを発揮した。


これによりジョージは、暗くてじめじめした所が好き、というかつての地下室ジャズ.ファンの多くを失った。


もう彼は、オラたちのジョージじゃねえ、というわけだ。


その後もジョージは、多くの新しいファンを獲得し、ショー.ビジネスの世界にと突入して行った。


ジョージは、ようやく貧乏から解放された。


自分の控え用の車も持つ事ができた。


マッコイ.タイナー(ジャズ.ピアニストの巨人の一人)もその車に乗せてもらって、野外コンサートの楽屋とできた。


もし、ジョージが唄う事ができなかったら、ジョージは、どうしていただろう。


とにかくジョージは、アルバム「ブリージン(Breezin')」のおかげで、色んなものが買えた。



貧乏な黒人ジャズ.ミュージシャンとして暮した、地下室ジャズの時代、ジョージには、様々なアルバムがある。

「Blue Benson」「Beyond the Blue Horizon ]といったものだ。


地下室時代のジョージのライバルは、失踪(しっそう)癖(へき)のある友達のパット.マルティーノだ。


二人は、花形みつると星飛雄馬(ひゅうま)のようにお互いの技を競いあった。


この場合、ジョージが花形みつるで、パットが飛雄馬だ。


努力家のパットに比べジョージは、何だか楽しそうにジャズを学んで鼻歌まで「芸」として身に付けている。


一方のパットは、相変わらずの失踪中で、パットに会うためにはゴルゴダの丘にまで行かなくてはいけないらしい。


ジョージの事を、お金儲(もう)けに走った、という者がいるとしたら、彼は、お金儲けというものをとても甘く見ている事になる。


お金儲けが簡単だと言ったら邱永漢(きゅう.えいかん
)氏に怒られる。


ジョージのようなミュージシャンには、コマーシャリズム(商業主義)に走った、等という批判もあたらない。


映画監督のスピルバーグを商業主義に走った、と映画「激突」を見たからと非難するのはおかしいだろう。


批判するならもっと別の観点からだろう。


ガキの映画ばっかり作るんじゃねえ、、とか。


どっちみち、みんな戦争好きな大人になったんだから。


もし、あなたが、ミュージシャンなら誰もジョージをその事で非難できはしない。


なぜなら、もしもジョージが貧乏な地下室ジャズの世界に戻って来たとしても、今だに誰も
ビーバップ.ジャズ.スタイルチャーリー.パーカー(アルト.サックス、ジャズの巨人の一人、全長132.5メートルくらいあるだろうか)風な、コード進行に忠実な演奏』ではジョージに勝てないだろう。


もし、ジョージにビーバップ.スタイルで勝つ自身があるなら非難すればよいだろう。


(念のため言っておくが、ビーバップは、勝ち負けの音楽だ。しかも怖ろしく、古いしきたりによる。相撲のようなものだ)



しかし、今だに、地下室ジャズの世界でさえあなたが誰も圧倒していないなら、ジョージの遺(のこ)した地下室時代のアルバムでも一生聴いておけばよい。


生涯それを超える自信ができるまで、黙って修行してたらいい。


ジョージは君たちには、もう会いたくなかったんだ。


だから地下室を出て、外の
さわやかな風にあたりたかったんだ。


もし、ジョージに何か言える奴がいるとしたら、失踪中のパットだろう。


お金持ちになったジョージと、托鉢(たくはつ)して暮しているかもしれないパットが偶然出合ったら、どうなるだろう。


私の興味は、どちらの方が、一瞬、目を伏せるのだろう、という事に尽きるのだが、、、。


金持ちを羨(うらや)んではいけない。


十分なお金も上げないで地下室にジョージを監禁しておこうと思ったあなたが悪いのだから。


かつては、猫も杓子(しゃくし)も、ジョージを真似た。


今は、パット.メセニー、ジョン.スコフィールド、ビル.フリゼールと行った所だろう。


だからジョージもやっぱり、聴くだけにしている。


あっと、私は、あのギター&スキャットは真似できる。


しかし、私のは、ちょっと美声じゃない、というのが口惜しい。


それに声域も、1オクターブくらいじゃあないだろうか。


ジョージには到底及ばないものばっかりだ。



ジョージ.ベンソンは、古きよき時代の「ジャズ.ギター」の完成品である。


つまり、彼は、言うなれば、相撲の「名人」なのだ。


「ジャズ.ギター」の時代は、ジョージ.ベンソンを持って終えたのである。



PS:


ベン.ジョンソン(陸上短距離選手)とまちがえない事。


2001,12/14 Fri. 3:54 a.m.



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48:ウエイン.ショーター(テナー&ソブラノ.サックス、作曲、黒人)&デイブ.リーブマン(テナー&ソブラノ.サックス、作曲、白人)



ウエイン.は、ジャズ界の巨人の一人(全長95.5メートル、もうやめてよいか?)である。


ジョン.コルトレーンの「脳」の流れを組む、第一継承者である。

ジョン亡き後、ジャズ界にコルトレーン流の看板を掲(かか)げその普及に務めている。


マイルスの片腕とも言える時代をマイルス.グループ在籍中に築いた。


その後も、ジョー.ザビヌル(ピアノ、シンセサイザー)と共に「ウェザー.リポート」を結成し、「
脱ジャズ」のサウンドを追求した。


何を追求したかと言えば、「吹かない」という境地をだ。

とかくジャズ屋は吹きたがる、というジンクスを打ち破ったのだ。


ウエインに関しての個人的なアルバムは、ハ−ビ−.ハンコック(ジャズ.ピアニスト)との唯一のデユエット.アルバムを上げておく。


ウェインは、近年はソプラノ.サックス一本のようである。


このアルバムでもソプラノとピアノのみの静かな演奏である。


「ウェザー.リポート」時代に子供を亡くし、近年は、コンサート会場へ向かう奥さんを飛行機事故で亡くしている。


こうした事は、ジョン.マクラフリン(ギター)、エリック.クラプトン(ロック、ブルース.ギター)も同じ境遇である。(エリックは息子を亡くしてそれを唄にした事は有名だ。妻「レイラ」(=パティ)とは別れたので、もう「レイラ」を唄うのだろうか)


特に、ジョン.マクラフリンの方は、一瞬にしてすべてを亡くしたはずである。


(後年、クラシック.ピアニストのラベック姉妹のどちらかと再婚している。)



地位名声を取るか、人間としての幸福を取るか、の選択が既に神によって決定されている世界のようである。


あなたならどちらを取るか?



これは、その直後のウエインとハービーだけのデユエット演奏である。


これも盗難に遭い、手許にないCDなので、勝手に調べてほしい。


1996年以降ではなかったか、と思われる。




一方、同じく、黒人のコルトレーンの流れを組むのが白人の
デイブ.リーブマンである。


ウエインとは、師弟関係に近いものがあるから、ウェイン派とも言える。

ウエインのアドバイス、「テナー.サックスかソプラノ.サックスを吹くか、どちらか一方にした方がいい」とのアドバイスで、あっさりとテナーをやめ、ソプラノ一本にしているようである。


マイルス.グループ時代のもの、自身のリーダー.バンドと様々である。


ジャズは、「脳」で演奏するもの、が信条である。


しかし、その演奏は、常に「煮えたぎる」ほどのスピリッツに溢れている。


額(ひたい)に血管が浮かんでいる事でわかる。



ここでは、お得用のアルバムを紹介しておく。


静かな演奏である。


このアルバムには、ジョン.スコフィールドの師匠と言う事でもてはやされていた
ミック.グッドリック『ジャズ.ギタリスト:ジャック.デイジョネット(ドラムス、ピアニスト)のグループ、「スペシャル.エディション」や、ポール.モチアン(ドラムス).グループ等参加。』がまず加わっている。


主にミック自身が大好きなバッキング演奏に徹している。


さらに加えて若手の
ウルフガング.ムースピール(ギター)が参加している。


こちらは主にアドリブ担当であるが伴奏にも回る。


この3人だけのトリオ演奏である。


「IN THE SAME BREATH] (1995)というタイトルのCDである。


ダビング物なのでこれ以上の事は知らない。


3人に共通しているのは、白人特有の「脳プレイ」である、という事だ。


黒人らしさを一切排除したスタイル、とも言える。


しかし、彼等も彼等の「血」にこだわっているに過ぎない。


彼等にとっては、わざわざ黒人らしさを取り入れる事もない、という考え方であるから、KKKとは無縁である。


彼等の黒人ジャズ.ミュージシャンとの交流の深さで納得する。


近代のクラシックの手法をジャズに取り込みたい、とする一派である。


ピアニストで言えば、
リッチー.バイラークも彼等、「白人脳プレイ派」の一人である。


ジョン.スコフィールド(ギター)の方は、白人派、黒人派を行ったり来たりしているからあまり近代クラシックに興味はないのだろう。


それよりも、黒人音楽史の方が「血」が騒ぐようである。


しかし、マイルスが言っているように、「オレのグループを卒業した奴は、黒人は、より黒人に、白人は、より白人的な音楽をするようになるみたいだな」という事になっているようである。


したがい、ジョンの方が少し例外である。


若手のウルフガングの方のマイルスとの接点はわからない。


いずれにせよ、黒人派、白人派の音使いがある、という事だ。



これは、おおもとの、教祖となる
ジョン.コルトレーンが「白人音楽」の研究をした黒人だからであろう。


近代のクラシックの事である。


メシアン、ウェーベルン、シェーンペルク、バルトーク等と言った作曲家の事である。


旧時代派の音大生がもっとも理解できない音楽である。



私は、知識派でないので関係ない。



勝手に「理論」を作り出すオーネット.コールマン派であるかもしれない。



、、、といいつつ白人派も好きである。





2001,12/14,Fri. 6:25a.m.


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49:チャ−リ−.パーカー(黒人、アルト.サックス、ビ−バップの元、故人)&レニ−.トリスターノ(白人、盲目、ジャズ.ピアノ、クールの元、故人)

普通、チャ−リ−.パーカーの良さが、わかるだろうか?


映画評論家、ミステリー小説評論家の故、植草甚一(じんいち)氏が48歳頃からジャズにのめり込んだ。


その成長過程を実況中継するようにジャズの事を書き始めた。


しかし、とうとう、甚一じいさん、J.J氏には、チャーリーの音楽は理解できなかった。


そこから何も感じ取れなかったのだ。


何の風景も浮かび上がって来なかったのだ。


チャーリーの目指したものは、まさしくこの何も風景が浮かび上がってこない世界だったのだ。


チャーリーは、いつも音楽の事しか考えていなかった。


簡単に言えば、伝説の将棋差し、阪田三吉(さかた.さんきち)のような人である。(村田英雄の唄、「王将」のモデル)


あるいは、昭和の将棋界の鬼才、故、
升田(ますだ)幸三(こうぞう)であろうか。



将棋の事だけを考え続けて破滅的な人生を終えたのである。


したがい、将棋がわからない人は、その生き方を見物するしかない。


彼等は、人生に信念が一本通っている。


しかしチャーリーの方は、音楽以外では、何かと信用がない。


金銭にルーズなのだ。


実は、こうしたタイプのバンマスは、山ほどいる。


しかし、音楽をさせると、パーカーは、とりわけ、尋常(じんじょう)ではない。


異能の人、と言ってもいいだろう。


問題は、常に金銭にルーズな事だ。


だから、あちこちからギャラ請求の苦情が来る。


しかし、こうしたタイプは、いっこうに平気で、踏み倒す。


あるいは、その場の言い逃れの嘘が上手い。


プロなら、大体、ああ、あいつの事だ、とそれぞれに心当たりがあろう。


他人が因数分解しているのを見て、涙する人もいないだろう。


もしチャーリーのアドリブで「悲しい」と思ったなら、それは、その曲がもともと「悲しい」曲なのだ。


もし、チャーリーのアドリブに「哀愁」があると思ったら、それは、あなたが、チャーリーのレコードを昔の思い出とともに思い出しているからだ。


ジャズ喫茶で何度もチャーリーがかかっていたのだろう。


チャーリーにとってジャズは、ゲームとしてのパズル解きでしかない。


チャーリーの左脳には、言語があまり詰まっていない。


だから、彼は、音楽以外の事を考える事ができなかった。


やがて、チャーリーの夢中になった、「ビーバップ」というゲームは、世界中の若者を魅了する。


『ドラムのハイハット(二つ上下に合わさってシンバルが吊るされていて、足で踏むやつだ)のリズムが、「チーチッキ」、「チーチッキ」と鳴る、そう、「ビーバップ、ビーバップ」って意味不明な言語のように。「ビーバップ」は擬音語(ぎおんご:オノマトペ)だ。アメリカ版の。)』


もう、ビーバップの因数分解ができない奴はジャズをやる資格がないよ、と言い出す若者も出て来る。


なぜかと言えば、チャーリーが苦心して創造したフレーズは、今や、これから何の創造する必要もないほど膨大な量となっていた。


「これさえ暗記すれば今日からあなたもジャズ.ミュージシャン」というキャッチ.フレーズでチャーリーのレコードはバカ売れする。


しかし、やがて、アメリカでチャーリーの因数分解フレーズが下火になる。


「もうお勉強は嫌だ!思いっきりオレは黒人だあ、と叫びてぇージャズ(ファンキー.ジャズ)」の時代がやって来た。


その頃、「赤尾(あかお)の豆単」により、単語や熟語の暗記は得意中の得意だった日本で、本国を追われたチャーリー教の布教が始っていた。


チャーリー教の洗礼を受けるためにミュージシャン志望の若者は「
バップティスト教会」に通った。(キリスト教、バプティスト教会とは無関係である。念のため。)


チャーリーのお言葉を暗記していない者は、「邪教徒」と呼ばれ庶民からも敬遠された。


お言葉を一字一句もまちがえる事はまかりならん!と神父様たちは、最も忠実な者を選別し序列を作った。


創造脳が受験により破壊された日本人には実にうれしい人生の目標となった。

とにかく、できるだけ、チャーリーの遺(のこ)した「経典(きょうてん、けいてん)」を暗唱した者が、次の「司教」となるのだ。


生活もこれで安泰し、庶民から「羨望(せんぼう)」の眼差(まなざ)しを受ける事ができる。


人々は、これに群がった。


もともと「自由」は嫌いで、第一、毎日何してよいかも「不安」だったから、経典暗記というのは、毎日、一ページづつコツコツとやれば何とか自分でもやれそうだ。


そうやって畑も耕して来た。


「なあんだ、まだそれくらいの暗記かい、オレなんかもうあの経典に今取りかかっているんだぜ!」「すごいなあ、オレは、また忘れちまったから、また一から覚え直しだよ」


等という会話である。


謙遜(けんそん)と言えば、「いやあ、実は、さっき一字まちがって読んでしまって、気がつかなかったかい?」


「いやあ、わかるわかる、一字まちがうと何だか、自分が赦せないんだよね、オレは、まだまだだって、とても真理に到達するには、まだ甘いなあって反省ばかりさ」



こうして、気がついたら還暦(かんれき)になり、記憶力もあやしくなり、またまた、すっかり忘れてしまう。


「振り出しに戻る」である。


気がついたら志し半ばにも至らず、人生を終える事になる。


年々、チャーリー教の「バップティスト派」も衰退(すいたい)して行く。


高齢化による。


しかし、彼等が様々な分野に進出し新たなバップティスト派を養成しようと企(たくら)んでいる模様。



一般リスナーにすすめるのは、「パーカー.ウィズ.ストリングス」を聴くとよい。


因数分解にも「心」がある事がわかる。


その後は、自由に選択されたらよし。


マニアでないなら責任は持てない。


ただ、ジャズの一時代の手法の「元」を知る事で、後の世のミュージシャンのスタイルの影響がわかるようになるであろう。



これは「お勉強」的であるから楽しいかどうかは何とも言えない。



もしも、ジャズ.ミュージシャン志望者なら、チャーリー教の因数分解もあれこれお部屋でやっておく事は、「教養」の一つであろう。



しかし、わざわざ暗唱したものを得意気(とくいげ)に、お部屋外で披露する事もない。


もう少し、世間で衰退(すいたい)すれば、新鮮にも聴こえよう。


オーネット.コールマンは、この因数分解が苦手であった。


後年、ティム.バーン(アルト.サックス)が、チャーリー教を現代版に解釈し直した。


旧、信者の間では、それがチャーリー教である事さえも気づいていない。


ギターでは、スティーブ.カーン氏が、自分用に経典を作り替えているようである。



一方、チャーリー教に対抗していた一派が、レニー.トリスターノ(ジャズ.ピアノ、盲目)の「クール教」である。


信者にアルト.サックスのリー.コニッツ、ギターのビリー.バウアー、等がいる。


リー.コニッツと共演している「サブ.コンシャス.リー」や、自身が完全ソロピアノで演奏している「ザ.ニュー.トリスターノ」(The New Tristano)がある。


レニー.トリスターノというピアノ弾きの凄まじさが伝わってくるであろう。


左手の一定ベース.ライン、右手の即興アドリブの人間離れ(両手離れ?)した演奏である。


ピアニストは、いずれにしろ必聴盤である。



好き嫌いにかかわらず。



いかに、レニーの目指したジャズが、チャーリーと対極にあったかを比較して見るとよい。


チャーリ−派は、跳躍アドリブ、レニ−派は、線的なラインを目指している。



アドリブ譜面を「折れ線グラフ」にして比較すれば言っている事がわかるであろう。



ここにも当時の黒人、因数分解派と白人、微分積分派の対決が見られる。



なお、微分積分派の教祖のレニー.トリスターノは、1919年生まれ、人前に出るのが嫌だと、早くで引退し、1978年、11月18日にニュー.ヨークで死去している。


チャーリー.は、1920年に生まれ、1955年、35歳で死んでいる。


ジャズ好きの俳優、クリント.イーストウッドが監督した映画「バード」でチャーリーの生涯を描いている。


「何でどの曲もBフラットのキーばかりなんだ!」とロックンロールの時代到来を嘆いている。


私は、これをギャグとしてしばらく使っていた。


「なんで、あいつのブルースはいつもEのキーなんだ!」等々、、。



日本は、チャーリー派とコルトレーン派に二分された。


「ウェザー.リポート」のリーダー、ジョー.ザビヌル(ピアノ、シンセ)はトリスターノ派である、と言っている。


「ウェザー.リポート」は、ウェイン.ショーター(ソプラノ.サックス)、ジャコ.パストリアス(エレクトリック.ベース)等が在籍していたバンドである。


ビーバップとクール、過去の白人対黒人の音楽上の闘いがそこにある。


何度も言うが、マイルスのアルバム「クールの誕生」では、クール.ジャズは、まだ誕生していない。


無関係に近い。


あくまでも開祖は、レニ−である。



ついでであるが、私は、ビーバップ期で最も偉大な人物は、チャーリー以上にディジー.ガレスビー(ジャズ.トランペット、作編曲家)だと見ている。


2001.12/15, Sat. 5:27a.m.


追記
尚、レニ−.トリスターノのLP「ライン.アップ」に関して「これはオーバーダビングしテープの回転を速めている、とする者がアマチュア−間で今だにまことしやかに囁かれている。

以下に上げるのはその事に関してのレニーへのインタビュー記事である。


Q:同じLPの<ライン.アップ>などではテープ操作でピアノ演奏のスピードを速めているという説をとなえる人がいる。真相を聞きたい。

A:東32丁目に住んでた頃、私はスタジオにテープ.マシーンを2つ持っていた。私が2つのテープ.レコーダーを使い始める数年前、レス.ポールというコマーシャルなギター.プレーヤーがいた。彼は、自分のプレイを3重にも4重にも録音して、誰もがすごいと思うような効果を出していた。

もちろんそれはジャズではなかった。一方、私は、いつもリズム.セクションが気に入らないという問題をかかえ込んでいた。つまり、私のスタイルのせいで、ベースやドラムスと一緒にやると、彼らは、何をしていいかが途中で分からなくなってしまうんだ。そこで、一緒にやるのが無理なら、リズム.セクションを先ず録音して、それに合わせて自分で弾けばって考えたんだ。そうすれば途中でリズムがめちゃくちゃになることもない。<ライン.アップ>と「東32丁目」は、リズムを先に録音して、それを再生して出来た。問題は、その後、色んな批評家が、この2曲での私の演奏がテープのスピードを速めてあるとか何とか憶測して、自然な演奏じゃないと批判している点だ。そう思いたければそれでもいいが、実は、そんなギミックは使っていないんだ。実際の演奏なんだ。第一<ライン.アップ>にしても「東32丁目」にしても、そんな信じられないほど急速な演奏じゃない。そうしろというなら、今だって、実演で、あれよりもっともっと速く弾くことが私にはできるんだ。

(「スイング.ジャーナル」1976年7月号P116〜「幻のトリスターノ遂にベールを剥ぐ」聞き手=児山紀芳(編集長))


「ウェザーリポート」のリーダーであるキーボード奏者のジョー.ザヴィヌル氏も自らをトリスターノ派として、自分も彼のように演奏できる、と答えている。(探せばどっかにこのインタビューを掲載した雑誌があるが今回は、時間がかかるので省く「ジャズ.ライフ」だと思う)

ゆえに、トリスターノはオーバーダビングをしている、とする解説は、当時の批評家の単なる受け売り論が今だ亡霊のように生き続けている、としか言えない。


そうした発言は、その根拠となる出典の不明、という点からまず疑われよ。


レニーが哀れであろう。

2002年2月24日(日)


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50金子由香利 (黄色人、日本、シャンソン歌手)


もうずいぶん前の話しで、NHKの番組で「テレビファソラシド」というのが始った頃だから、20年くらい前だと思う。


司会が永六助氏で、加賀美アナなんかもいて、きれい所の女性若手アナは、後にフジテレビの社長の息子の嫁になったとか騒がれた。


タモリが初めてこの番組でNHKのレギュラー出演をしていた。


ぼくは、24歳くらいじゃあないだろうか。


寝っ頃がって相変わらずテレビを見ていた事は確かだ。

その日は、漫才師の内海(うつみ)けいこ・好江(よしえ)も出ていた。

(「うっちゃん南ちゃん」の師匠だろう。「うっちゃん南ちゃん」は見ないが。)


そこで、シャンソン歌手の金子(かねこ)由香利が紹介されたのだ。


ぼくは、初めて知る金子由香利のシャンソンの世界に金縛(かなしば)りにあってしまった。


またまた、涙でテレビのスウィッチが見えず、テレビが消せなかったほどだった。


すると、亡くなった内海(うつみ)好江(よしえ)師匠(年寄りじゃない、あの、うるさいおばさんの方だ)が、「私は、つらい事があるといつも銀巴里(ぎんぱり)に変装して行って金子さんのシャンソンをいつも聴いていたんです」と言った。


へえ〜、あのガミガミおばさんがかあ、とぼくはびっくりした。


あんなおばさんでも黙って聴いてしまう金子由香利という歌手は何者だろう、と思った。


ぼくの今、手許にあるのは、金子由香利「人生は美しい」(TOCT-5684)だ。



20台後半から、ぼくは、何かつらい事があるたびにいつもいつも金子由香利を聴いて過ごした。


日本語がわかってよかったなあ。



ぼくはとても複雑で単純な人間なんだ。



気がついたら、ぼくも亡くなった内海好江師匠みたいになっていた。



ぼくは、「風歌い」の唄が好きだ。







2001, 12/16, Sun. 4:10a.m.


51:ジョン.ゾーン(アメリカ、白人、アルト.サックス、前衛ジャズ、コラージュ作曲家)



ジョン.ゾーンにも触れないわけにはいかないだろう。


まだ、50歳にはならないだろう?(2001年12月現在)



まあ、その辺だ。


昔、20台後半の頃、パンク好きの女から教えてもらった。


しかし、聴き込んで行くと、そのテーマや手法は、パンク系では手におえない、音楽専門家による、極めて「哲学的」な思考による「前衛」である事がわかった。


最初、完全な前衛ソロ.サックスの作品、「水」とかなんとか言うタイトルのものを聴いたので、その出身もサックスの技量も不明だった。


マウス.ピースを水かなんかに入れて吹いていたのかもしれない。

ちょっとしたスケール風な断片がジャズ風だった。


しかし正体不明だ。


その次に、ようやく「ソニークラーク(ジャズ.ピアニスト)に捧げる」というようなレコードで、ジャズのブルース「クールストラッチン」なんかを吹いている全編、バップ演奏風を聴いた。


ああ、ジャズ屋なんだな、と確認した。


それから、立て続けにコラージュ作品をいっぱい聴いた。


『コラージュ:様々な音の断片をつなげてつくる音楽。昔、「ミュージック.コンクレ−ト」と言ってテープを切りつないでつくった。学校の放送部出身ならわかるであろう。「効果音シリーズ」というCDも一つの前衛作品だ。私は、効果音シリーズでは「天変地異編」が好きだ。一般には「波の音編」だろうが。』




探偵小説の作家の映画に捧げた「ミッキー.スピレーン」というCDや、映画音楽の巨匠、エンニオ.モリコーネに捧げた「ビッグ.ガンダウン(大いなる決闘)」なんかのコラージュ作品集だ。


サイド.メンは大体決まっていた。ギターは、ビル.フリゼール、ベースは、なぜだかフレッド.フリス、この人は本来、プログレ、前衛のギタリストだ。


そのまま、「ネイキッド.シティ」を六本木ピット.インで聴く機会があった。


(その前にも吉祥寺のライブ.ハウスで日本のブルース.ギタリストを率いてやっているのを見た。)


ギターが、ビル.フリゼール、ベースがフレッド.フリス、ドラムが、ジョーイ.バロン、とにかくCDのメンバーだ。


1990年前後ではないだろうか。


上京して食えないので、肉体関係のバイトに明け暮れていた頃だ。


バイトでよく会うミュージシャン等も客としていた。


なんとかと言うパンク系では有名なバンドにいる、というNというサックス吹きや『何だか丹前(たんぜん)、ドテラのようなものを着ていた。私の感覚にない、ラフなスタイルだ。』、前衛ターンテーブルを回してその道では知らない者がいない、(らしい)というOという男。


18歳の頃、同じ教室に通っていた同い年の男だが、「そういえば、昔、オーネット.コールマンが偉いか、エリック.ドルフィーが偉いかで口論したなあ」と言ったら、向こうもよく覚えていた。10年ぶり、というのに、別段、積もる話しもなく、ライブが終ると彼は、いそいそと楽屋に向かって行った。



やっぱし、マメな「外交」は大切だな、と思いつつも、当時は、こちらは一切、自分を証明するCDは何も持っていなかった。


ミュージシャンなの? へえー、と大体どこでもそれで話しは終った。


当時は、なんだかわけのわからないほどアマチュア−.ミュージシャンがゴロゴロいたから、さほど興味は持たれなかった。


30歳にもなっていたから、「おっさん」がギターを弾くと言っても大した事ないだろう、という感じだった。


(しかし、実は、私は、昔から実年齢よりずっと若く見られる!たぶん白髪だらけにでもならなければ、次第に化物のような若返りを果すであろう。黙っていれば30歳で通る。フフフフ。)


ライブが終って、そのNというサックスに誘われカップ酒を自動販売機で買って二人で呑んだ。


「貧乏」という味がした。


ちょっとホロ酔い気分で、終電だったか、その前だったか覚えていないが、最後に中央線に乗り込んだ。


その間、さっきまでライブでやっていた「ネイキッド.シティ」のライブを盗み録りした(別に規制もなかった)テープをウオーク.マンで聴いていた。


ふと、後ろを振り向くと、白人が背中を向けて反対側の窓を見つめながら立っていた。


ジョン.ゾーンだった。



今、さっきまでライブをしてたのに、こいつら「打ち上げ」しないんだなあ、と思った。


ライブを終った「外タレ」ミュージシャンが「終電」に間に合わせて帰る、なんてのはなんとも貧乏な世界だなあ、と妙な気分になった。


小柄な私よりはずっと背が高い。



ほろ酔い気分の私は、な〜んも考えず、ジョンの背中をトントンと叩いた。


振り向いたジョンに「ホレ」と言ってイヤ.ホーンを渡した。


ジョンは黙ってイヤ.ホーンを耳にさし、「ああ、今日のライブ来たんだネ」と言った。


私は、うなづき、「やっぱし、あのメンバーは、武満(たけみつ)の横山勝也と鶴田錦史(きんし)のようなもんだな」とわけのわからない事を言った。


『註:作曲家、武満徹の「ノーヴェンバー.ステップ」という曲では琵琶の長老、鶴田錦史と尺八の横山勝也氏が西洋オーケストラに合わせ毎回、即興演奏をする。武満はこれで世界に出た。この二人がいないとあの曲はできなかった。鶴田の方は、晩年、かなり高齢だった。もう二度と上演できない曲である。』



するとジョンは、うれしそうに、「そうでしょ?すごいよね」と言った。

私は、「あれを聴くとサイドメンの日本のミュージシャンでいかに苦労しているかがわかるよ」と言った。


ジョンは、「本当にそうだよ!」と言った。


それと同時に電車は、「阿佐ヶ谷」の駅に着いた。


ジョンはあわてて降りながら、何度も何度も手を振って、私を見送った。


ジョンは、阿佐ヶ谷の2万5千円の部屋を半年借りて、残りの半年は、ニューヨークで暮している、という話しは本当だったのだな、と私は納得した。


ジョンも銭湯(せんとう)に行くのかな、と考えている内に、すぐに二つ先の私の「西荻」に着いた。


私は、改札を出た時、大変重要な事に気がついた。


ジョンに、私もギタリストである、だから「オレを使え〜」という一言を告げるのを忘れていたのだ。



あれから、11年ばかり経た。



以来、ジョンには会っていない。



ジョンのCDも聴かなくなってしまった。



前衛から足を洗ったからだろうか。


まともにもやれない連中を集めてやったってかえって不自由で何も生まれない。


どっちでも行けてこそ「前衛」は、楽しいのだ。


なまけものの「感性一発ごっこ」にはつきあっておれない。


ますます音楽を舐めていく連中を大量生産するだけだ。


彼等の多くが、まず目利きができない。


どうしょうもない素人音楽を絶賛して見せたりする。


その口で、今度は、「権威」に対してミーハー的絶賛である。


本当に理解したら、同様な修行を積むだろう。


ジョン.ゾーンも作曲家「クセナキス」に学んだ、というからティム.バーンと同じである。


実際の所は、不明である。



アメリカにいて学べたのかもわからない。


しかし、そういうプロフィールが出てもおかしくない創作物ばかりである。


彼は、まずパンク系の若者から日本へ接近し上陸して来た。


昔の、パンク系の若者は、みんなむつかしい芸術の事をよく知ってて語っていたものだ。


技術からは、本当の芸術は生まれない、と思っている者もいる。



私との違いは、彼等には仲間がいて、私は一人、という事だ。


だから私は一人で、パンクバンド一つに匹敵する。



彼等は足を洗うのも早い。



「卒業」が早い。



しかし、暴走族よりは10年「卒業」は遅い。



まあ、無名のミュージシャンにとって「外交」は、大切な要素である。



近年は、どうでもよくなって来た。



老化であろうか。



いや、芸風だろう。



武士は食わねど高楊枝(たかようじ)、である。



こんなんが「絶滅」して行くんだろうなあ。



それに、人前で弾くのも難儀になって来た。



聴かせる若者に魅力がないんだ。



双方がそう思っている。




めでたし、めでたし。



2001,12/17,Mon. 4:20a.m.


PS


ジョン.ゾーンを聴く事であなたの感覚はさらに拡がるだろう。

例えば、ビル.エバンス(ジャズ.ピアノ)、ケニーG、キース.ジャレットといった音楽のみのファンが「餌付け」として聴くとよいだろう。少しはその狭い音楽性も拡がりを見せ、差別意識もいくぶん緩和(かんわ)される事だろう。

注意して「餌付け」しないとその柔(やわ)な感性から強烈な拒否反応とともに「発狂」寸前になるかもしれない。


それはあなた自身が避けて来た様々な「現実」との出合いの一つである。


問題は、好きか嫌いか、ではなく、「聴けるか」「娯楽か」と言っているだけである。

これらは上質な音楽であるから「感覚」に収めておくとよい。


一方、ジョン.ゾーンにも単なるミーハーファンは多い。

もし、ジョン.ゾーンが好きなら、彼のルーツをさぐって見るべきではないか。

好きなものなら当然探っていく作業である。


ストラビンスキーを聴いたり、武満徹を聴いたり、と「現代音楽」系への接近である。


しかし彼等には一切理解不能なまま拒絶中である。


いつまでも、ジョ〜ン、ジョ〜ン、ジョ〜ン、ポール〜?と騒ぐだけでは、その発端の動機が大変あやしい。


マイナーなもの(みんなが知らない者)が好き、というただ一点ではないのか?


ケニーGやチック.コリア、アラン.ホールワーズ、ジェフ.ベックでも聴いたらどうだ。


『選考基準は、何となくだ。前衛を聴く人間が拒否するわけがない。良質なものにメジャーもマイナーもない。現にジョンは、デビッド.サンボーン(アルト.サックス)とも共演している』


いずれにせよ、ジョンを好き嫌いにかかわらず、双方ともに狭い音楽性からのファンは、どこにでも存在する。


クラシック至上主義の末端の三流音楽家にも言えるが、一流に君臨する者には大概、嗜好(しこう)の限界がない。


つまり、教祖は「自由」であるという事だ。


差別、派閥争いが起こるのは常に末端の信者間である、という事が「未熟」の証しである。




さらにPS:

私の作品集第四集「ノイズ.インプロヴィゼイション」を聴ける人は、基本的に何が来ても平気であろう。




2001,12/17,Mon. 15:30p.m.



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52:ソニー.ロリンズ(黒人、ジャズの巨人、テナー.サックス)&マイケル.ブレッカー(白人、技巧の巨人、ジャズ.テナー.サックス)&エリック.サティ(白人、クラシック.ピアノ専門作曲家、フランス、故人)

ソニーとマイケルという新旧を代表するテナー.サックスの二人を同列に並べるのには意味がある。


なぜならソニーはおそらく今度生まれ変わったらマイケル.ブレッカーになりたかったのだと思う。


私にはわかる。


二人は、正反対のプレイをするからである。


ソニーが、ジャズの伝統を凝縮(ぎょうしゅく)したアドリブ.スタイルであり、一方、中堅のマイケルの方は、ロボット.ジャズ派である。


お互い、大変な練習好きである。


しかし、問題は、「何を練習に取り上げるか」という事を考え抜く方が、練習する前に重要な課題であるが、その事に気づく練習好きはあまりいない。


ソニーのライバルは、ジョン.コルトレーンであった事は自明である。


ジョンにない世界を、ソニーにない世界を、とお互いが切磋琢磨(せっさたくま)して来たのである。


マンガ、「巨人の星」で言えば、ソニーは、当然、左門豊作(さもん.ほうさく)である。


知らない世代がいると思うのでこのままやり過ごす。



私は、ソニーの生き方に感動し、ソニーのように生きた事がある。



ソニーは、55歳くらいに、これまで築いて来た地位、名声を捨て、ニュー.ヨークのジャズ学校へ新しいジャズの勉強のために「入学」している。


私は、これを知り、大変感動し、私も、もともと何の名声もない身ではあるが、30歳になった時これを真似て見たのである。


当時、私の思考した結論は、人間の成長に取って最大のマイナスは、「プライド」である、というものであった。


凡人は、30歳を境に、その小さな「プライド」によって、十台の頃のような純粋な「成長」が望めなくなるのではないか、と考えたのである。


また、確かに「タメ」になる事ではあるが、とても今のプライドまで捨ててはやれない、と思っている事は何か、と考えたからである。


そして、私は、ジャズ教室を閉鎖し、「先生稼業」を止め、「生徒稼業」に入ったのである。


同級生の大半は、十台であったりする。


それらに交じり、再び、ジャズを学び直すのである。


おかげで、先生連合からは嫌われたのである。


「卒業」となった当日でも誰も声をかける「先生」はいなかった。


私は、2年間をそうして全うしたのである。


私は、オーディションを受け合格し、授業料格安の生徒ではあったが、それでも月々4万円はあった。


授業時間に合わせ、日々の日雇い労働の仕事を調整するのである。


雪の日、午前5時起床、現場を回り、午後の授業に間に合わせる。


あるいは徹夜の仕事で、午前9時に帰宅、そのまま寝ずに授業へ行くのである。


楽器を弾いても指なんか動くものではない。


そうした日々を2年続けた。


2年経ったら、「今日で卒業です、それでは」と言ってすべては終った。


手許(てもと)には、卒業証書があった。


学校とは、そういうものだ。


私は、ソニーがやった事を30歳に体験した。


私の荒行の一つとなった。



見かけが若く見える私の特権でもある。


私は、兵士であり、私の行動は、すべて異質なものへの「お勉強」である。


そんな私を見抜いた者は、そこでの「総帥(そうすい)」だけである。



未来を夢見る若者が、前途真っ暗な30歳の元バンドマンから学ぶ事は何もない。


私は、極力、ギターだけを弾く事にした。


どうせ、生徒は、ジャズ学校で教えている有名じゃない講師なんかでさえも相手にしていない。


(今では、みんな30歳を超えたとは、痛快である)


講師のライブに来る生徒は、ほとんどいない。


ソニーの場合は、ジャズの巨人であるから、先生も教えづらかったと聞く。


また、生徒も先生にではなくソニーに質問した、というから楽しかったのかもしれない。


私は、これと同じ話しをエリック.サティ(故人、フランス、クラシック.ピアノ専門作曲家、代表曲「
ジムノペディNo.1」など。)で知っている。


数々の大作曲家(ストラビンスキーなど)に慕(した)われていた先輩格のエリックは、38歳くらいに「対位法」という作曲の手法を学びに音楽大学に入学している。


自分よりも2〜4歳くらい下の「教授」につき、一応卒業している。


若い頃、音大を中退し、場末のピアノ弾きとして暮し、多くのピアノ曲を残したエリックも、ストラビンスキーのようにオーケストラ作品を残したいと思ったのだろう。


それには「対位法」を勉強しないといけない、と思ったのだ。


数学の世界に似ている学問である。


それを忠実に再現しても新しい音楽は生まれない。


バッハが、同時に何人もメロディを弾く(歌う)方法を研究して完成させた「学問」である。


一人、一人が、すべて目立つ事、が条件である。


しかし、エリックのオーケストラ作品は、ストラビンスキーも「ノーコメント」したくなるほどの「凡作」であった。


私は、図書館で借りて何度も何度も聴いた。


自身のピアノ作品をオーケストラ作品にしたのだ。


したがい、エリック.サティという作曲家は、「対位法」を学ぶ以前のピアノ作品で後世に名を成した。


彼にとって「学問としての音楽」とは何だったのだろう。


白人のマイケル.ブレッカーが弾けない曲は、誰も弾けない、という言葉が、スタジオ.ミュージシャンの世界で広まっていたそうである。


彼は、兄のランディ.ブレッカー(トランペット)と結成した「ブレッカー.ブラザーズ」というバンドで有名になった。


映画「卒業」のテーマを唄った、
サイモンとガーファンクルのポール.サイモンのバック.バンドで主に生計を立てているスタジオ.ミュージシャンであった。(ギターのスティーブ.カーンも同様であった)


自身のリーダー作は、40歳を超えてからである。


黒人のマッコイ.タイナー(ジャズ.ピアノの巨人)が、ジャズ.ライブ盤のレコードを出そうと言う事になり白人のマイケルを望んだが、マイケルは、ポール.サイモンのバック.バンド.ツアーのため都合がつかず、またしてもジャズ界デビューが遅れた、と言う話しがある。


ソニーの代表アルバムは様々で、選択するのもやっかいである。


一般には、「サキソフォン.コロッサス」であろう。


しかし、私は、何度も聴いた、何度目かの隠遁(いんとん)生活から再び世間に顔を出した、ピアノを外し、ジム.ホール(ギター)をバッキング奏者として迎えた「
ブリッジ(橋)」を上げておこう。


ピアニストが10本の指を駆使(くし)して押さえる「和音」と違い、ギタリストのコードは、せいぜい最大6音であるから、(弦は6本しかない、通常は、4音程度で和音を作る。)それだけ、「曖昧(あいまい)」な調性の世界と「空間」を演出できる、と睨(にら)んだのだろう。


これは、マイルス.デイビスが、マイク.スターン(ギター)を専門のバッキング奏者にピアノを外して起用した事と同じ理由である。


「マイクは絶対音感があるからついて来るんだ」と言っていた。


本当かどうかはわからない。


そう言っていた事は確かだ。


管楽器奏者に取って、時折、ピアニストの押さえる「和音」は、多すぎてうるさく感じられ、そこからどこへも逃げられない重圧感を感じるのだろう。


音が多ければ多いほど、それ以外の音を使う事ができなくなる「圧迫感」があるのだ。



例えば、一音を弾いてもらって、これに合わせて「自由」に弾いてくれ、といわれたら、まさに、「何でも有り」に思える事で一般の人でも容易に想像がつくであろう。


監視役が一人しかいない、という事だ。


しかし、ピアノで白鍵ばかりを10本の指を使ってできるだけ押さえた、とする。


これに合わせて中々、「黒鍵」を弾けるものではない、と言えば了解するであろうか。


マイケルの代表作は、常に、新しいアルバムでいいのではないか。


40歳過ぎのジャズ界デビューのリーダー作品でも調べて見るとよい。


彼には、もともと「伝統」と言うものが存在しないのである。


コルトレーン派である事はまちがいない。


そう言えば、マイケルも30歳過ぎてクラシックの作曲家の先生についている。


トニー.ウイリアムス(故人、ジャズ.ドラムの巨人)も18歳から作曲の先生について晩年まで続けた。


ウエイン.ショーター(ジャズ界の巨人サックス)も同様に作曲家の先生についていた。


こうして見れば、西洋人は、とにかくも「学ぶ」と言う事に関しては、とてつもなく「謙虚」である事がわかる。


30歳を過ぎたあたりから、偉そうに振るまい、「プライド」が形成されて行く日本人とは種族が違うようである。



「プライド」と「誇り」は違う、と私は常に言っている。


自身が「プライド高い」と思ったら、やる事は一つである。


チャレンジする事である。


なぜなら、いったん培(つちか)った「プライド」は消せないからである。


チャレンジする事を避けた「プライド高き者」は、単なる「臆病者」の歴史を刻(きざ)むだけである。


チャレンジとは、自身が、おびえるものに向かって行く事である。


「誇(ほこ)り」は、そうした自分を愛する、という自分に対しての自負(じふ)である。


むつかしい話しであるか?


要は、闘って負けて見る歴史を重ね、いつか勝つ事である。



しかし、「負け癖(ぐせ)」はいけない。



「勝者」の過去が一度もないチャレンジは「無謀(むぼう)」「身のほど知らず」と言える。



「負ける」事が「平気」となったとしたら、それは、「誇り」がないからである。



エリック.サティは、図書館でも行って伝記を読んで見ればよい。



場末のピアノ弾きとして生きて、部屋にはハンモックが吊るされていて、そこに毎晩寝ていたそうだ。



本当だろうか?



真似した見た事はない。



でも何となく気持ちがわかる。



なんだか、似たような生活をしている気がしないでもない。



好きで、「似ている」わけでないのが「救い」である。







2001,12/22、Sat. 5:11a.m.

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53:友寄隆哉(ともよせ.たかや)(黄色人、ギター、作曲、1959〜)


彼は、「不遇(ふぐう)の人」である。

まず、生まれながらに「彼」を的確に理解した者はいない。

彼は、様々な「感覚」を所有し、様々な音楽体験を持つ。

彼は、一体、何と闘っているのだろう。

あまりにも「プライド高い」島国特有の「ジャズインテリ族」とであろうか。

物事の判別能力もないまま、「権威」となり、次世代の「教育」にあたっていると自負する「大人」たちなのであろうか。


彼は、ただ、理不尽(りふじん)に、「オレの音楽を聴けない奴は阿呆だあ〜」と叫んでいるだけのヒステリー男なのであろうか。


彼を笑う者は多い。


笑う者に限って、自身の地位は、皆に愛され「安定」していると信じている。

その信念を支えるだけの「仲間」もいる、と思っている。


しかし、彼等は、重大な事に気づいていない。


友寄は、すべての「地位」を拒否しているのである。


彼は、彼自身を「理解」し「愛して」くれる「普遍」の「自己」を求めているのである。


彼は、何も持たない「自己」を探っているのである。




一杯の酒を呑む男がいる。




はて、この男は、人生に成功した男なのであろうか、はたまた挫折した男なのだろうか。


彼は、その貧しくもなく、かと言って贅沢(ぜいたく)でもない、一夜の酒席を喜んでいるのである。


何だか時折、楽しそうに微笑(ほほえ)むのだ。


彼は、何かを思い出しているのである。


そろそろ彼が帰る時間である。


彼は、またしても上機嫌でいつもの酒代を支払い帰って行くのだ。


彼は、人生の成功者なのであろうか、はたまた挫折者であるのか。


彼には家族がいるのだろうか。


愛する人はいないのだろうか。


友寄隆哉の音楽には、不可思議な事がいっぱいある。


彼の音楽を聴いていると、何だか、人は、そのスタイルなんだなあ、と思う。


何だか、ぼくとずいぶん違う毎日を彼は生きているんだなあ、と思う。


一体、何時頃から友寄ミュージックは生まれたのだろう。


たぶん、誰が見ても、彼は、とてつもないほどの時間を自分自身と過ごして来たのだろう、と感じるだろう。


彼の辿(たど)って来た道を、ぼくも歩めないだろうか。


何だか、生きていく事が、とてつもなく不可思議に思えて来た。


ぼくは、何を今まで見て来たのだろう。


友寄隆哉の音楽に関しては、誰にも決めさせない。


ぼくだけが、わかれば、それでいいんだ。


彼は、幸せなのだろうか、不幸なのだろうか。


ぼくには、わからない。


でも、一杯の酒をとても旨そうに呑む男さあ。


彼は、人生の成功者なのだろうか、落伍者なのかって?。


う〜ん、ぼくもどうでもよくなって来た。


なんだか、みんなが「主張」を止めて、耳をすませば、彼の一人言(ひとりごと)が聴こえるよ。


彼の軌跡(きせき)をぼくも辿ってみたい、とある日、とてつもなく思った。



PS:


「肝心の、あの人がいないのですが?」という若者の要望に答えて。




2001,12/27 Thurs. 5:30a.m.

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     E:メニュ−終了の弁(完結:2002.1/6)


53番目に自分を登場させたら、何だかリストを続ける意欲がなくなってしまった。



早い話しが、自分のCDさえ売れない芸人が他人を売ってどうする、という事だ。


や〜めた、阿呆らしい。


これが、現役ミュージシャン側からの評論の限界である。


初めてジャズに出会う人間にとって、まあこれくらい知っていれば十分、あとは、自分で「ジャズ」を開拓していける事だろう。


しかし、不安が残る。


多くの日本人が、「外人勢」にいともたやすく屈服し、ただただ彼等の末端の掘り出しものまでを見つけては得意満面になっているこの日本国で、われわれは、まだ、降参したとは言っていない、私でよければ彼等と闘ってもよい、とする「武士」たちがいる事を知っているのだろうか。


戦(いくさ)では負けたが、すべてに負けた覚えはない、とする者たちが、「外人大好き」を叫ぶ日本の現状をただじっと見つめ、自身の音楽を築き上げているのである。


私にもできましたよ、と有頂天に西洋社会に向けその猿真似芸を披露する者たちの事ではない。


自身の音を築き、ただひたすら、待っているのである。


多くのそうした「武士」たちは、まず最初、西洋から学び、自身の「技」の改良に生涯を費やしているのである。


今だに、ここに上げた、巨人たちならいざ知らず、何から何まで「外人大好き」を念仏のように唱え、日夜、掘り出し物発見中である。


日本にもすばらしいミュージシャンは存在する。


あたりまえではないか、というか?


なら上げて見ればよい。


たぶん、「カア〜!曲芸ミュージシャンの事ではない!」と私は、ぷんぷん、と頬(ほほ)をふくらませ、「もう、おまえとは二度と口を利かないからな」とすぐさま「プイっ」と背を向けるだろう。



ではおまえが、それらの名も上げて見ろ、というか。



嫌だ!



私の音楽が売れないのに何で彼等を私が売らなくてはいけないのか。



うむ、やはり私は、そう言う奴であったか。



わかってくれて少しうれしい。




まあしかし、変な者にひっかかっても初心者が哀れである。



それでは、少し上げてあげよう。



まず、私と同じ、「ギター」。


これは、私が現在認めるのは、あの、またしても同じ例えで悪いが、マンガ巨人の星で言えば、星飛雄馬(ひゅうま)と伴宙太(ばん.ちゅうた)の関係にも似た「
ゴンチチ」である。


一方がアドリブし、他方はその伴奏をする。


(高校1年生の飛雄馬の投げる豪速球を受けられる者は、柔道部主将の先輩にあたる伴だけである。伴は、飛雄馬に惚れ、生涯の捕手となる事を決め、柔道を捨てる)


彼等は、「ジャズ界」という閉鎖的社会を最初から拒否し、日本では、稀(まれ)に自己のスタイルを築いたギタリストである。


ジャズ界で、『オレの生涯の「伴」奏者となってくれ、「伴」宙太よ』と、他のギタリストへ声をかけたなら、おそらくあなたは生涯口を利いてもらえないであろう。


ジャズ屋は、常に「対決」し、いつだって「音楽」がそこにはない。


こうした点から、ゴンチチは「唯一」、あの「ジャズ界」のしきたりにとらわれない自由な精神を持った相撲好きな二人組である、と言える。


(あの「 love me tender 」風な曲は、ちょっと露骨ではあるが、、、。)


だからあなたも生涯の友となる伴宙太を見つけられれば彼等のような「音楽」の創造が可能かもしれない。


ジャズ界にいては様々な序列に縛られ生涯無理である。


オレにも投げさせろ、と必ず、そこには「争い」が生じるからである。


争いの中からは、もはや音楽は生まれない。


この事に気づかないかぎりジャズに逃げ道はない。


ゴンチチの話しは、これで終りにしよう。


どうせ売れている。


なぜ書いたかと言えば、あれも「ジャズ」であるからである。


あれは「ジャズ」ではない、という者がいるから言って上げるのである。

しかも、日本のギタリストで唯一、独自の「スタイル」を築いた点が、あっぱれである。


したがい、日本を代表するジャズ.ギタリストは、「ゴンチチ」でよい。


何の異論もない。

私とは、あまりにも「出」が違うが、私は、もう14年ばかり認めている。


しかし、私の領域である前衛即興スタイルがないからできるスタイルではある。


私が、日本で音楽的霊感を感じるギタリストは、これくらいである。


後は不勉強で知らない、といいつつ色々聴いている。


とりあえず、他は、私の「音楽的霊感」にエコエコアザラク、、と響いて来ない。


しかし、これは表の世界の話しではある。


裏の世界では、かなりのミュージシャンがいるから、気になった楽器の音があったらその楽器奏者の名を参加ミュージシャンのリストから調べ記憶しておくとリスナー道も本物である。


井上陽水氏のバックでリズムギターを弾いている今剛(こん.つよし)氏などは、昔から絶品のリズム隊ではないか。


調べて見ると私より2年、年長とある。


アドリブは、それなりであるが。



上手いピアノは、シャンソンの世界にも潜んでいたりする。


このリストでも上げた金子由香利の「人生は美しい」では、絶品のピアノ演奏が聴ける。


3人のピアニストがクレジットされている。


一人は服部隆之、上柴はじめ、美濃春樹とある。


アレンジは、父の服部克久氏である。


どれがだれだがわからないが、この中にも音楽的霊感の高いアドリブの上手いピアノがいる。


実際は、何でも弾く裏方であろう。


そうした者は、歌の伴奏、俗に「歌伴(うたばん)」といわれる分野で高い霊感を示す。


自身をメインにしては、少しインパクトに弱かったりはするが、実際は聴いた事がないのでわからない。



津軽三味線を真似るギターは多い。


しかし、その精神を奏でる者は今だに聴いた事がない。


たんなる曲芸の類で有頂天にひけらかしている者ばかりである。


聴くに耐えない。


私は、晩年の高橋竹山が、早弾きを得意になって披露した子供を烈火の如く怒鳴り、泣かしてしまった光景をテレビで見た事がある。


「最近は、みんなあんな風に弾く」と嘆いていたのである。


本当の津軽三味線は、その音使いではない。


一音の音そのものである。


わからないだろうからこれ以上は、言わない。


時代の流れには逆らえない。


しかし、去年、12月6日(2001年)、めったに見なくなったNHKの番組「トップランナー」を見ていたら、津軽三味線に木下伸市という1965年生の奏者を見た。



武士がいた。


久しぶりに音楽的霊感の高い奏者を見た。


よかった、よかった。



最後にリスナー道を締めくくるにあたって、言える事は、あなた自身がどれくらいの精神の高みにあり、どれほどの音楽的霊感を磨いて来たか、という事である。


それは、どれだけ多くの音楽と接し、どれだけ多くの「人」を見たか、にある。


自分の事を棚に上げ、あれやこれや言うのは簡単な事である。


あなたの味覚は、既に、ワイン鑑定で証明済みであろう。


再三、言うように、人はそのスタイルである。


その柔軟なスタイルにどれだけの「精神の高み」があるか、である。


人間が真剣に物事を創作する以上、そこに、必ず、ある精神の高みが現れる。


それが現れない音楽が「糞」であり、それを感じ取れない者が「屁」である。


リスナー道もまた、「道(みち)」である。


人は、そこから生きていく何かを学ぶのである。


もし、それがないとしたら、それは単なる「娯楽」であるから、いくらそれらを重ねてもあなた自身が変わる事はない。


毎日見る、ビデオ映画の類である。


何のために生きているのだろう。


あなたにとって娯楽は、できるだけ現実を忘れていたい時間であるか?


なら、あなたは、その時間の分、仮死状態にあるわけである。


人生からその時間の分差し引いてみたら、残ったごくわずかな時間があなたの人生である。


できるなら、演じ手の人生をあなたの人生に取り込んでしまえば、あなたはそれだけ多くの人生を知った事になる。


様々な音楽があり、様々な人がいる。


私は、「思考」を重ね「スタイル」を築いた音楽は、どれも聴くに値する、と思っている。


そこには、必ず、明日を生きる「道(みち)」があるからである。


それを探るのが、リスナー道であろうか。


あなた自身が、あなた自身の人生と真剣に対峙(たいじ)し、自身を磨き、様々な時を経た後に、わかる音楽もある、という事だ。


それまでは、じっと黙って、音楽を聴いていればよい。


そして、ある日、「やあ、わたしは、この音楽が好きになったのかもしれない!」と突然、叫び出す日が来るだろう。


その時、あなたは、確実に、進化し、成長した自分に気づくだろう。


それは、長いリスナー道を歩んで来たあなたへ、神が与えた、最高の御褒美(ごほうび)である。


あなたは、その音楽と一体になる。


それは、何人(なんぴと)も介入できない、あなたと音楽だけの至福の時間となる。


また一つ、あなたを守ってくれる音楽がそこに誕生したのである。



生きることは、学ぶこと也(なり)。


それは、とてつもない自身の拒否反応との闘いである。



2001年の紅白歌合戦は、河島英五を唄う涙の堀内孝雄を見た。


翌日は、紅白と同時に放映していた「猪木祭り」でのK1戦士ジェロム.レ.バンナとやけくそ大抜擢プロレスラー安田忠夫のメインイベントを録画しビデオで見た。


(何と!安田が勝ってしまった。人生はやってみないとわからないものである。)


前座の高田信彦は、私の忠告を相変わらず聴かないからどうでもよい。


改名して覆面レスラーとなってはどうか、というものだが、、。


まあ、やって来ても私が技を習うかもしれないが、、、。



「テレビ道」も歩む私にとって、年末は、緻密な計画を立てないと大変であった事を述べておく。


レッスンなんかしている場合ではない。


どちらも見なくては切腹物であった。


キムタクの「忠臣蔵」まで、見てしまった。


従来の解釈にない、より現代的な解釈となっていた。


忠臣蔵には、様々な解釈がある。


私は「銭型平次」の大川橋蔵が浅野内匠頭
あさの.たくみのかみ)役の頃から見ているだろう。


あ〜、長生きは楽しい。



新年そうそう、またしても偉業の一人ライブをした。


2002年、初インプロヴィゼイションの儀式も無事終えた。


やはり正体は、「変態」であった。


新作CDに入れた曲は、既に「奉納(ほうのう)」したから弾かなくなっていた。


今日は、NHKアーカイブで何十年ぶりかで、漫画家の「ときわ荘物語り」を見た。


もう既に、亡くなっている漫画家が多くなっていた。



私の父は、手塚治虫氏よりも一つ年上だ。



様々な人生があるものである。



脱線が無限に続きそうなので、これをもってリスナー道の説法を終る。



この「リスナー道」もまた、後世の「大人」を目指す若者のために遺しておいてよい話しである。



私は、こうして「大人」になってしまったからである。



PS:


私は、5日に神社に初詣(はつもうで)に行った。

すると、そこにはまだ参拝(さんぱい)客が並んでいた。

いつもなら誰もいない日を狙ってするのだが、今日は気分がよかった。

私は、並ぶのは中学生以来好きでないから参拝は止めた。

しかし、これでは新年気分にはならないから百円のおみくじを買った。

するとそこには、「今年は何もするな!」とあった。

既に、私は、前厄(まえやく)、後厄(あとやく)の年齢でもなかった。

私は、このおみくじを枝に結んではいけない、と考え、ゴミ箱に捨てた。

私は、そんな奴である。

神が見放している事は、既に承知の事である。


阿呆が。


死んだら「あの世」でただではおかん。


あいつらめ。





1/6 ,SUN. 2:52 a.m.. 2002.年



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