ジャズはなぜ死んだか?
ジャズから見る文化論
沖縄から日本を観る沖縄から沖縄を観る
11:高柳昌行は日本ジャズ界に何を残したか?
1:序にあたり( 友寄隆哉 )
2:ジャズ.ギタ−の可能性と今後の課題 (1966年 11月) 高柳昌行
3:植草甚一著「衝突と即興」 書評 (1971年7月) 高柳昌行
4:高柳昌行 インタビュー (1982年) 副島輝人5:論争前期(1965年9月)
6:論争序章(1971年4月)
7:論争傍聴の為の参考資料(1972年5月)
8:論争勃発(1972年9月)
9:論争:完結編 (1972年10月)10:コンサート評「ニュー.ディレクション.フォー.ジ,アーツ」
(1972年10月) 清水俊彦
11:「ガボール.サボ」レコ−ド評(1967年4月) 高柳昌行
12:「マイルス.デヴィス」レコ−ド評 (1972年3月) 高柳昌行
13:「ウェス.モンゴメリー」レコード評(1973年7月) 高柳昌行
14:新ホーヤレ節考:辺者錯乱(1975年) 高柳昌行
15:コンサート評「バイ.マンスリー. コンサート」(1976年4月) 殿山泰司
16:ミニ.インタビュー「高柳昌行のクールな世界」1980年1月
17:高柳はこうして僕たちの前に現れた
(1977年11月)アンケート回答
18:高柳はこう言い遺した(1983年10月)インタビュー
19:完結:高柳(2001年3月) 友寄隆哉
1:序にあたり( 友寄隆哉 )
年長のジャズファン及びジャズミュージシャンにとって「高柳昌行」と言う名はある種の「水戸黄門の印篭」のようになっていた時代があった。
その著述は圧倒的な量を持って日本ジャズ界への問題提起として投げかけられていた。
そのため多くの敵もまた生まれた。
高柳氏は1932年に生まれ1991年を以てその「生涯」を終えた。享年58歳。
俗に高柳昌行氏に師事した者を「高柳門下」と呼ぶが、この高柳門下からもまた、その始まりが「権威」を求めなければ「自立」できない人間の常としていくつかの「派閥、宗派」が生まれている。
ある者はその「印篭」を三種の神器の一つかのように後生大事に死守しつづけ、またある者はあっさりと捨て去り平然と何事もなかったかのように暮らしている。
では、そのかつての「高弟」とされた者はどのような「影響」をその演奏スタイルに組み入れたかを秘かに観察してみると、ある者は、リーリトナー風であり、ある者はラリーカールトン風であったりする。
またある者は一切の過去を消し異流派を旗揚げし自身を「文化庁認定首席ジャズギター奏者」とし君臨させる。
もはや「王様は裸だ!」と叫ぶ事も許されない状況が暗黙の「常識」として作り出されたことを良いことに、熱狂的賛辞を連呼する、またしても「かつて大学時代にジャズを少々」と名乗る国営放送アナウンサーを前に、何の音楽的霊感も受信する事なく「お安い御用で」とばかり「こんなん出ましたあ〜」と得意満面に「即興演奏」なるものを披露する。
その者に取って楽器を弾く事はそれほど楽しい事なのであろう。留年を重ねながらも部の存続を守るベテランの「プロレス同好会」の主のようである。
ボクサーには興味がないらしい。それ相当のファンで充分余生を楽しく過ごせるメドが立ったのであろう。
いかに多くの「民衆」がその「漫才」を口をぽかんと半開きに眺めていたか、たぶん死ぬまで知らされないまま、自身が「黄門職」に君臨した軌跡を日々一杯の「熱燗」とともになぶり見ていくのだろう。
「どこがいいのだろう?」「オレにはわからない」「わたしにもわからない」「日本一らしいよ」「たぶんあれくらいなら自分でも弾ける気がする。こんな感じだろ?」と言う者まで現れる。しかし「それはちがうだろう」「今、ミスしただろう」と言われてはいる。
では一体、これらの陰の総本山「高柳昌行」とは日本ジャズ界にどんな「影響」を与えた人物なのだろう。
インターネットの世界でその「業績」をいくら調べてみても「一夜」でその影響を感じさせるものはない。
「門下生」たちは何をしているのだろう?あれほど「崇拝」していたではないか?
その「影響」を語る事もなく、それを「踏み台」に自身を次なる「権威」としてあるいは「将をなくしたかつての忠臣の悲哀」を演じている者もいる。
私は縁あってかつて18歳から20歳までの約2年半、氏の「教室」に通った事がある。
しかし、私は、権威を傘に何の力も持たない若輩の身で氏と同様に他の権威を批判する教室の「空気」が耐えらず「逃げ出した」のである。
そのため私は、「芸術家のたまご」から一介の「バンドマン」へと成り下がった。
また、いくら自身を「芸術家」として自認しても場末の演歌のイントロの譜面さえ「初見」で演奏できない者の「音楽論」は、「飲む、打つ、買う、愛人開拓」の4拍子(これが4ビートだ!と言わんばかりである)を兼ね備えた手練の老バンドマンたちから相手にされず絶えず、罵倒、怒号の対象となった。
私はそこで物を言えるようになるためには、まず、芸術家でも何でもない人種からの要求をすべてこなさなくてはならなかった。
(この「からくり」は年月を経て解明した。連中は同じ譜面をかれこれ30年は弾いていたのである。)
ギター1本で5時間も弾かなくてならない状況も無事切り抜けられなくてはならなかった。(心地よいBGMスタイルではある。ライブでは通用しない。)
幸い、何年かすると、私にも何とか彼等くらいのすべての要求はこなせるようになってきた。
すると、ようやく、これ以上の「同化」は無意味である、と言う事が見えてきた。
彼らは「¥10.000以上のギャラ」が発生しない活動は一切しない。
そんなことをしていては「飲む、打つ、買う、愛人開拓」の4拍子生活が維持できない。
(そもそも「おしゃべり禁止」の状況では、そのチャージに見合うだけの「仕事量ジュール」にさえ置き換えられない。しかし、私には彼らの気持ちもわかる。彼らが残せる唯一の物は、その「子孫」である。バカな「親」をもったにしても。悲哀合掌。)
数年の「バンドマン」の修行を経て、20代後半の頃、私は、かつての門下生の一人に出会ったことがある。
彼は、まだ現役の門下生であった。しかし彼には、人前で演奏する、という経験が、私の1億分の1もなかった。
その彼が演奏の機会を得たというので私は出かけた。
彼は、震える手で「高柳昌行」を披露していた。演奏後、彼は興奮してそのパフォーマンスを誇らし気に語った。今の演奏にはこれこれの思いがこめられている、と言った。
それは彼の「言葉」ではなかった。
私の修行経歴には、数々の「権威の変遷」の履歴がある。(私は輸血OKの「ジャズの証人」である)
理由は20代の頃、立花隆氏の本を読み、『正反対の物へチャレンジした「脳」は革命を起こす!』とあったからだ。
20年の歳月を経て、「一体、それは、何時頃だろう」と今でも気にかかってはいる。書いていなかったのである。
私がやった修行は数々の派閥への接近でもある。私はこの孤島に生まれたせいか音楽を色々な角度から見てみたいという衝動にかられた。
表現したい世界を「感情」という媒体に込めるスタイルを真っ向から否定し、その一つ一つの音を「解体」して再構築を要求する「流派」もあった。「只管模倣とその応用」を説く流派もあった。
どこでも「並の上」くらいは行っていた、と自負している。
しかし、おかげで私は、どの流派からも相手にされなくなった。
忠誠心がなかったのである。
「しまった!」である。忠誠心のない生徒は私も嫌いである。
ジャックディジョネット(ドラムス)がオスカーピーターソンとやらないようにジャズ界には色々な「派閥」が歴然と存在する。
その「派閥」を上手く渡り歩く「売れっ子サイドマン」もいる。(今度は彼らに学びたい)
現在、私は、沖縄ジャズ界とのかかわりがまるでない。これは「沖縄バンドマン協会」と呼んだ方がわかりやすい。
進駐軍時代に「大儲け」をし20歳そこそこで「家」「土地」を手に入れたかつてのバンマス連合で組織されている。
しかし、現在はかろうじていくつかの「ナイトクラブ系ライブハウス」においてのみ彼等のジャズが「保存」されている。
私が「ジャズをやりたい」と言った頃は、「一杯のかけそばも食べられなくなるぞ」と皆反対した。しかし、私は「一杯のかけそば」だけは食べられるようになった。
それらの店は、不況のための経費節約のためオーナープレーヤーを除くサイドマンは地元のジャズ愛好家が勤めるという経営方針に切り換えた。
彼らは、「仕事も一区切り」の35歳デヴュ−の者たちである。
簡単な伴奏だけに従事し悲願の「ジャズミュージシャン」の地位を得て「自己実現」をなした兼業ジャズミュージシャンである。
それでも一晩に最低賃金の¥5,000は保証されている。
一方、女性陣も、ホステス専業には飽き足らず「ジャズシンガ−」の職を実現させた者もいる。主婦からの華麗なるパート転身も多々ある。
皆、得意気に一般大衆へ向けては、その学習した「ジャズミュージシャン」らしさを演じて見せる。
中には「私はこうしてジャズミュージシャンになった」と言う手記を新聞紙上に連載する主婦もいる。すごい島である。なれない職業などここでは存在しない。
「本物が来たらまずいだろう?」と思っていたら、彼、彼女らは、「本物」が来沖した際の「優秀な接待係り」として店との重要なパイプ役となる。
その辺の顔は器用に使い分ける。
年期の入った老シンガーは「若くない」と言うのでどこでも接待シンガー役には敬遠される。
時間をかけ努力するだけ「損」である。「若さ」には所詮勝てない土俵を選んだ人生を後悔し晩年を嫉妬に明け暮れる。(美輪明宏の「私は女優」である。たっぷり30分聴くとよい)
日頃、「ナイトクラブではやらない」と言っている来沖した有名らしきミュージシャンらもなぜか、どんな客層かもわからぬままその活気のある店々での「はしご演奏」をこなしていく。
飲み代はすべて只である上、接待のプロの女性シンガー連もいるからこれを断る理由はない。
この有名人らしき「お客様」を絶賛するクラブ常連客は、単に、「ジャズの生演奏をバック」にホステス兼シンガーに会いに来たのであるがついでに誉めたたえる。
ジャズの知識など昔の学生時代の知識で充分である。ここ30年ばかりCDなるものは購入したことはない。何でもよいから来沖した「有名人」とお近づきになれればよいのである。
シンガー連は、シンデレラのように「私をマルディグラへ連れてって」とテレパシーを送り続ける。
未熟な芸は、どこでやっても未熟なままである。
どんな大きな舞台の話しが来ようがそれを「ついに私にもチャンスが」と言って両親へ報告することはない。
どうせ「上って3年、維持して3年、落ちて3年」である。その後が人生は長い。
あまり大きな所でやるとそれだけ一夜にして「反感」を買ってしまう人数も巨大な物となり、その寿命を縮めてしまう。こちらは他人事ながら思わず一言注意しておかなくてはとそわそわする。
長生きしたかったら私のように「秘かに」生きなくてはいけない。月に一度、約3人程度に嫌われるだけである。
もし、沖縄民謡を「完璧に再現して唄う」白人がいたとして、それが本場沖縄へ来て
披露したとして、これを喜び、絶賛しない県民はいない。
この奇妙な「取り合わせ」に土着の民謡歌手の商売は上がったりであるが、協定を結べばお互いの「利益」になる。
しかし、もはや日本人がジャズをやるだけでは大して「話題」にはならないだろう。
今は「北朝鮮」出身こそがスターである。(北朝鮮のチック.コリアである。これは、長年面白いと思って取っていたジョークの一つである。わからなければ諦める。)
それが度を超した「君臨」ならば、最終的には「否定」する怒りが「本場」の特権である。
それが民族の誇りである「伝統文化」である。
これがあるからアイデンティティという「乗っかりもの」が形成されるのである。
「新都心」の住人に地域性を求めても無理な話しである。伝統がないからである。
そこで、彼らは急激な「化学反応」を求めて何でも「釜」の中にほうり込んで見る。
そうしてできた一つが「ジャズ」である。
それが彼らの「地域性」であり「自己証明」である。その上に彼らはアイデンティティなるものを築きあげる。
味覚、宗教、その他は、「イギリスにないもの」を考え出せば、「分家」はやがて「本家」として言いはれる。
紅茶よりはコーヒーである。
(しかし、「アメリカ人」を名乗るリプトン氏にやがて騙され、その「やせ我慢」が利用される。リプトン氏はイギリス人であった。しょうがないからパックの紅茶だけは認めることにした。皆で騙されたのだからしょうがない。逃げ道がなくては創造だけの生活も息苦しい。)
ふと、思う。
私はなぜこのような文体で他人を批評しようとするのであろうか?
私に「元」があるなら私の意見は真の「創造」ではない。オリジナリティがない。
それなら、私は単なる「代弁者」である。
私は、なぜこのような考えをするようになってしまったのであろうか?
なぜ、主婦や兼業愛好家の35歳ジャズミュージシャンデヴュ−を「祝福」して上手くやれないのだろうか?
なぜライブ中の「ソロ」をパスしたがるバンドマンたちを「ミュージシャン」と呼んであげられないのだろうか?
私はなぜ選挙にも行かない大衆に逆らうのであろうか?
なぜ身銭を切って音楽を学ぶ事を惜しみ、未熟な「芸」で一日¥5,000で「本物」のミュージシャンをかろうじて生かせるための神が与えた「最後の砦」さえも横取しようとする「庶民ミュージシャン」を嫌うのであろうか?
「即興」を生業とする者は確かに、「クラブ、キャバレー」での演奏は死ぬほどつまらない。
それによってかろうじて「芸」へのエネルギーを蓄積させる。
それは「ゴール」ではない。「末路」でしかないからだ。
しかし、だからと言ってなぜ昨日まで一般の市民として暮らして来た者が突如として自身の「ゴール」としてクラブ、キャバレーにて誇らし気に「ジャズミュージシャン」を名乗れるのであろうか?
その子孫もなく、生涯に一度巡りあった伴侶を一人残し、貧乏の末に「癌」に冒され死んでいく覚悟はあるのだろうか?
目撃者もわずかな自身の「人生」をこつこつと「歴史」として残していくだけの「作品」はどれほどそろえたのであろうか?
100、200は当たり前である。
『今日、新聞紙上にてトロンボーンのJ.Jジョンソン氏が77歳の生涯を病を苦に「自殺」を以て終えた、とある。
私は氏の「音」は一切記憶にない。
ただ私は、昔、日本のテレビ番組にて、氏が、「ジャズの巨人たち」を集めて、前田憲男氏のアレンジの譜面をリハーサルしている風景を見たことがある。
司会は高島忠夫であったはず。
JJ氏は黙って長い時間、譜面を見つめていた。
やがて氏は前田氏の所へにやって来て、「Sorry, I can't read (ごめんなさい、僕は譜面が読めないのです。)」と言った。
それから前田氏は、J.J氏に口頭で懸命に音符を「唄って」見せた。
私は、この二人のミュージシャンの姿が忘れられない。
もう10年以上も前のテレビ番組であった。
東京で「肉体労働」に従事している時見た。
世界中のどこに居ようと私は「テレビっ子」である。
私は、ようやくJJ氏の音を聴いて見ようと思う。
若い頃の「耳」だけをたよりに生きてきた気迫に満ちたジャズメンの演奏を。合掌』
「ナイトクラブ、キャバレー」の演奏は主婦の割のよいアルバイトとしての「バイエル教師」と同様に、一度やりかたを覚えてしまえば高額の収入が保証されると言った現在の時勢にのっかった行為ではある。
(私のオリジナルに23歳の頃作った「キャバレー」と言う曲がある。誰も「よい曲ですね」とは言わない。作品集第3集収録)
それはまるで作家トマスマンが小説「トニオクレーゲル(クレーガー)」で投げかけた、「詩を愛する軍人」なのではないか。
『彼は、軍人としてりっぱな業績を残したにもかかわらず、一体、なぜ今度は「詩」なのであろうか?』
私は、なぜ、それを「主婦の生き甲斐」と認めて上げられないのだろうか?
なぜそれらに「ジャズミュージシャン」を名乗らせてあげないのだろうか?
これは「特権意識」なのだろうか?
愛がない人間にありがちな独特のものなのだろうか?
BBキングが好きだった少年が一体、なぜこのような考えをするようになってしまったのであろうか?
私は「人類愛」はもてる。しかし「人間愛」がもてない。
この根っこはどこから来るものだろうか?
ひょっとするとこれは、「高柳昌行」の怨念なのかもしれない。
私は、10代で出会った「高柳」の「怨念」を背負い込んでしまったのではないか?
今、私の手許には、最早、「著作権」云々が通用せぬほどの「忘れ去られた」著述記事がある。
私は、教室に通っていた頃、志しを同じくした同胞と手分けしてこの資料を収集した。
何十回という「引っ越し」の後もこれらの資料は無くさず大切に「保管」されてきた。
一体、私は何時迄、これらの「資料」を保存すればよいのであろうか、と思案している所へ「インターネットの時代」が来た。
インターネットは元来、学者間の「資料の共有」に始まったという。
なら、私もこれらを公表し、「保管」の任務から逃れたい、と思ったのである。
この取るに足らないサイトでの公表が何の「違反」であろうか?
これらは、一生、最早、世にさらされる事はないのである。
私は、これらの資料を22年間も一人で「保管」してきたその「呪縛」から逃れたいのである。
10代の私には、これらの資料は、まるで「漢字の勉強テキスト」のようであった。
20代の私には、「悪人判別のためのテキスト」であった。
30代の私には「貧乏になるためのテキスト」であった。
現在の、どんな生き方をとってこようが所詮は「リストラ」される状況を見ると、これは、「どうせ生きて、死ぬならば、こうして死んだ方が次なる文化へのよき遺言」となるのではないか?と考えるのである。
演奏を聴いて、「高柳昌行」を、一般の人が理解するのは無理である。
氏が、単なる、「下手物」でないという論証は、「バンドマンが勤まる」という事である。
「バンドマン」が勤まるという事は、一般人の好み通りにも演奏は可能という事である。
これは本物の「下手物」には勤まらないという事である。生涯かけても「一般大衆」を上機嫌にする「技術」を持てない、という事である。
簡単な「選別方」である。
高柳昌行という人の「音楽」が理解できない、という者があまりにも大多数なため今、このように「解説」してみたのである。
念のため、私は高柳昌行氏の「ルター派」の信者ではない。
私は、この何重もの構造を持ったサイトを利用し「高柳昌行とは何か」を人知れず、追体験してみようと思うのである。
私が「見た」ものを提示してみようと思うのである。
「門外不出」と言われたその一端を公表して見たいのである。
高柳教室は、週一回あり、第1,2,3週が「実技」、第4週が「ジャズの歴史」「現代思想」などをテキストとしていた。
時折、この、「まったく創造性のない電子化作業」を行ない、記事を追加しておきます。
高柳氏の功績は、多くのミュージシャンを批判もしたが、その何倍もの無名だったミュージシャンをも絶賛した所にある。日本はこれでバランスが取れていた。
氏がいなければジム.ホールも今日の地位を日本で築けなかった。
デレク.ベイリーに至っては、充分な評価であったと思う。
私のような田舎のバンドマンでも「しかと聞き届けたぞ」と言えるのであるから。
高柳氏の言わんとした事を理解するには、あと300年を要すると見ている。
「時代の異端は若者によって支えられる」。私はこの言葉が好きである。
この資料は、氏の発言当時の年齢を逆算して読んで見るとなおいっそうの発見を生む事でしょう。
それにしてもギターと言う楽器は、人生を托すには、今だ、あまりにも「お手軽」である。何時の時代でも若者の「玩具」として認識される。
「エレキギターを弾いています」と言う者と「ピアノを弾いています」と言う者では、その「出」が既に違うのである。(ギターでは国内では「音大」には今だ行けない。しかし、この事がまた、ギター界を進化させたのである。)
お好きな物は何ですか?と問われ、「饅頭だす」と言う者と「ショートケーキですわ」と答える者程度の違いがある。
そこからすべてが始まるのである。
追記:
私は、4年も音楽活動停止していた後、トリオを再開させたのだが、先達、約2年間の活動を終え再び解散した。惜しむ者は誰もいない。客もいない、メンバーも老眼で譜面が見えなくなり「新曲」は不可能でもあったからだ。
地域の楽器に親しむ者が来ない理由を調査し報告してくれた唯一の常連客が教えてくれたのだが、私は目眩がしてしまった。
「あんなに上手い者を見るともう楽器を弾きたくなくなってしまう、自分の人生を後悔するから二度と見たくない」と皆、言っているという。
この地域の文化が変るには、この者たちが「絶対にお父さんのような考え方を持たないようにな」とその子孫に伝えないかぎり終らない。立ち眩みがする話しである。
島国恐るべし。これ以上その子孫を作らない事である。未来の沖縄のために。
この地で私は一人「格闘」している。やがて、また静かにその「剣」を納めるだろう。(単なる「棒切れ」かもしれない)一応、この2年間で50曲あまりの作曲をしたから少しはまた前進しただろう。しかし、誰も「よい曲ですね」とは言わなかったが。
書店へ行くと、実に多くの「作家」の名や本が消えて行っている。「中上健次」すらないからその上の時代の作家は容易に推測できるであろう。
本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」すらない。マンガ喫茶にはある。しだいにマンガ喫茶は「マンガ資料館」と呼ぶようになるかもしれない。
教室時代は、訳あって高校を中退した私の「大学生活」であった。「跳び級」である。
今は、マンガ喫茶にて「大学院生活」を送っている。
念のため付記しておくと、私は、高柳昌行氏の「ルター派信者」ではない。
一介の単なる、どこの業界にもいる「嫌われ者」の一人である。
やっかいなのは、これからまた、一人で音楽をやって行かないといけないのである。
ここには、期待できる若手もいない。見よう見まねでは、見よう見まねの時代までしか追えない。
「患者の来ない病院の医者」の類いである。あるいは「仕事のない宮大工」である。
それが言い過ぎなら、「教科書を無くした劣等生」の類いである。(当ってるか?)
しかし高柳昌行氏に合掌。
(文)友寄隆哉高柳昌行サイト参照
http://www.wild.gr.jp/%7Ejinya/index.html
http://www.diana.dti.ne.jp/~katta/index.html
2001年 2月9日 午前6持
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2:ジャズ.ギタ−の可能性と今後の課題(スイングジャ−ナル誌1966年11月号:「文」高柳昌行)
最近発売になったレコード「チャ−リ−.クリスチャンの真髄」は、私にとっては唯、昔日を懐かしむだけのものではなく、出発点に立戻って、その歴史を振り返り、爾来今日までの発達変遷のありようを考え、将来性について種々想いを馳せるに良き材料となった。
*チャ−リ−.クリスチャンの思い出話から
戦後における我が国のギタ−奏者は多かれ少なかれ、殆んど皆クリスチャンの洗礼を受けていると言っても過言ではない。最も、ごく最近になって発生した、歴史も伝統も知らない、また知ろうともしない、成長し切れないままに”ひからびて”行くアメ−バ−みたいな奏者は論外であるが、、、。と言って、別に今までの奏者が歴史も伝統も知りつくした上で、立派に内容の充実した演奏を展開しているとは言っていない。
何に依らずそういったものは、土台のない砂上の楼閣の如く、見ても聞いても、不安であり、内容が薄く、うすっぺらで ”てらい”ばかり、むしろ哀れである。形式にとらわれた前衛などはこの迫‘の良き例である。
さてクリスチャン、彼こそジャズ.ギタ−に永遠の生命を与え、音楽の中に、その確固たる位置をもたらした、唯一の功労者である、、、、説明の要はあるまい。
ジャズ.ギタリストたる者は、一度はクリスチャンの門をくくらなくてはならない。
それは、何も今更1930年後半期の時代に戻って勉強を始めろ、というのではなく、偉大な音楽家としてのクリスチャンを知れ、ということなのだ。方法論的なことは後に出て来ると思うので書かない。
私はまだLPのない頃、78回転で発売されたクリスチャンのレコードを殆どコピーした思い出がある。あの重ったるいシェラック盤の表面がすり切れて白くなる迄、丹念に聴き込んだものである。アドリブを口でそっくりそのまま歌えるようになると、次はギターのポジションを迫って再現する訳で、そうしてコード分解とフレージングを学んで行った。
閑話休題、クリスチャンのレコードには駄作が一つもない、全てが唯々驚異そのものであった。若くして世を去った彼のレコードには限りがあるが、実に珠玉そのものである。フレーズの一つ一つ”音”それ自体が充実しており、あの整然さは今以って右に出る者はいない。
「アイ.ファンド.ア.ニュ−.ベビー」のあの確信に満ちた演奏、「スター.ダスト」で初めて聴いた電気ギターとしてのコード.ソロ、そういった感動を思い起こすと昨日の事柄のように思われるのである。
ところで、ギターに電気を用いた、という意味ではクリスチャンが最初ではなく、1937年に編曲者、トロンボーン奏者であったエディ.ダーハムがカウントベイシーのバンドで吹き込んだ「タイム.アウト」が最初であるという。
しかし、技術の面、表面上の面で全く革命をなし遂げた開拓者はクリスチャンである。
クリスチャンの演奏はグッドマンからミントンに至るまで他の一流の演奏家、一流歌手が耳目を傾けたと言われているが、これらは丁度、アンドレス.セコビアがタウン.ホールなどでバッハを弾くと、他の一流の弦楽器奏者、オルガン奏者などのいわゆるバッハ弾きが集まって来て勉強したという事柄に相似して面白いことではないか。
*チャ−リ−.クリスチャン以後のギタリストとその特徴
クリスチャン以後に名を挙げた奏者の中で記憶をたどると、オスカ−.ムーア、ア−ヴィング.アシュビ−、バ−ニ−.ケッセル、チャック.ウェイン、ビリ−.バウア−、ジミ−.レイニ−、タル.ファ−ロ−、ジム.ホ−ル、ケニ−.バレル、ウエス.モンゴメリ−、グラント.グリ−ン、ガボ−ル.ザボ、ジョ−.パスが浮び、
この他に、ゲテモノ的レス.ポ−ル、一度聴いた程度でビル.デアランゴ、レモ.バルミエリ、女流のメリ−.オスボ−ン、特に優れているとは思えぬハ−ブ.エリス、アッティラ.ゾラ、その後あまり耳に触れないレス.スパン、活躍がまばらで真価の聴けないハワ−ド.ロバ−ツ、バリ−.ガルブレイス、ジャズ精神のうすいジョニ−.スミスなどであろうか。
オスカ−.ム−ア、ア−ヴィング.アシュビ−は一種独特の匂いを持っているが、いかにも古めかしい。バ−ニ−.ケッセルは一時全くポピュラ−になったが昔の方が余程純粋であった。チャック.ウェイン、はウディ.ハ−マンの頃すでに良い演奏を見せたが、
ジョ−ジ.シアリングに入ってからの方により良いソロが聴かれる。
当時は新鮮だった、ビリ−.バウア−もウディ.ハ−マンにいた。78回転ではあったがレニ−.トリスタ−ノのレコ−ドが出た頃に、進駐軍向けV-Disk盤でグッドマン.セクステットに入った頃のバウア−を聴いたが、驚いたことにそのソロはクリスチャンの生き写しであった。別な意味では安心したことを覚えている。
バウア−こそはあらゆる意味のモダン.ギタリストとして、その不協和音の掴み方、インタ−.プレイ、ソロ.ラインの特異性、総ての面でその感覚を示した最初の奏者ではなかろうか。メトロ.ノ−ム.オ−ルスタ−ズの「ダブル.デイト」リ−.コニッツの「ユウ.ゴ−.トゥ.マイ.ヘッド」などを聴き込んで頂くと分かると思う。
ジミ−.レイニ−はテディ.チャ−ルスと活躍していたが、いかにも白人好みの感覚でものを作る。タル.ファ−ロ−はレッド.ノ−ヴォのおいて個性を出したが、幅広いコードを掴んで周りの楽器を包んでしまう、ソロは特別ではない。厳しさの点ではレイニ−の方が遥かに上である。
ジム.ホ−ルは最も協調性に富んでいる、それでいてそのままでは終らないところに彼の非凡さがある。数多くのの演奏者との共演がそれを証明している。そして、これ程の多様性を持ち合わせている人を他に知らない。調弦の組合せ、音色の使い分け、音楽の質に適したソロ.フレーズの配合、何をとっても文句がないが、唯、時として鋭さに糖衣が掛ったように歯痒さを覚える。
ケニ−.バレルに影響を受けた日本人は多い。
とっつきやすいブルー..ノ−トの多用、理屈っぽくない平板的フレーズ、表面で一聴、そのリズムへの”乗り”が簡単そうな所、等々理由が揃っている。安易性にしびれていることは愚の骨頂である。バレルは実にブル−ジ−であるが、語りが整然とせずに語尾が確立しない。また音色が如何にも電気的なことが多く、線が細い。
グラント.グリ−ンは鼻もちならぬ悪癖がある。
耳をお持ちの方ならお解りの如く、「ヨイトマケ」または酒席の「ソーラン節」である。
だが、それが悪い音楽だとは言わない。ウエス.モンゴメリ−の個性はダイナミズムにある。人に依ってクリスチャンの再来の如く言うが、フレージングにおいて他のギタリストと比較する時、一体どこが、どのように秀でており、そして何故 ”良い”のか具体的に説明し得た人は居ない。
断って置くが私は何時の場合でも、音楽の質を第一の問題としており、”受けている”ことに尺度を持たない。
方法論的にはスイング.ジャーナル9月号の本多俊夫氏が詳しく書いておられる。私はウエスの奏法におけるオクターブ奏法の多用がその特異性であるとしか考えられない。
但し、ダイナミズムの中にはすべての要素が含まれていなくてはならないし、研ぎすまされた知性という面をはぶけば、その技法の抜群さは否定出来ない。
ジョ−.パス、は指はよく動くが良識的な音楽性が感じられない。宣伝の発達し切ったアメリカ.レコード会社のジャケット解説が全く当てにならぬ好例。
ガボール.ザボ、実に抜群の個性に輝いている。音楽感覚が清澄そのものだ。アメリカの悪い面が感じられぬ珍しい奏者であり、ジャズ.ギターに「明るさ」を持ち込んだのは彼が最初であろう。何とも言えぬ音色の微妙さ、誰にも影響されない独特のフレージング、論理的な面を除けば今、一番可能性のある奏者であろう。
こうして考えて来るとギターの「技術」そのものはクリスチャン以後、殆ど変革を来していないことが解る。コード.ソロはすでにクリスチャンが行なっている。オクターブ奏法はクラシック技法に幾らでも出て来るし、タル.ファーロウのハーモニックス奏法もクラシックでは当然の技法であり(そうでなくても古き佳き時代にエディ.ラング辺りが使っている、調弦の組合せはクラシック.ギターの合奏においては古来より試みて来ていることである。(しかしジム.ホールのH線を高音とした調弦法は珍しいのかも知れない)。
ザボの開放弦使用もたしかに珍しいが、これもインドのシタール合奏にヒントを得てはないか。
技法上に大した変化のないギターの分野では、また表現上にもこれといった変化もないが、これは関連した事柄である故、当然と思う。即ち音楽性に変化がないのである。
*四畳半趣味的なジャズ.ギター界と今後の課題
他の分野では前衛的表現形式をとった作品が次々と生産され、すでに正当な評価さえなされて来て居るのに反し、過言の嫌いはあるにしても、ギターは10年一日の如しの感を深くする。しかし、だからと言って前衛手法を導入しなければならない理由はない。
だが、通観してギターの位置が微温的であったことはいなめない事実である。これはギターの機能上の問題ではなく、ギターに音楽を托す人の性格、いや、人間性なのかもしれない。平ったく言えば「四畳半趣味」、6弦、19フレットの世界しか持てない人が殆んどではなかろうか。
現代に位置する人間はその差こそあれ、何らかの苦悩をぶら下げて生きて居るのが共通の事実である。そして、その中における闘いもある。闘いから勝ちとった愛もあろう、財産もあろう。しかし、次なる段階では敗北を喫し亡びてしまう人もあり、それを乗り越えて行く人もある。人生は種々様々な、社会の問題と密接に関連して、悲喜こもごも、実に多彩な”生”への綾を織りなして行くものである。
オーネット.コールマン、ジョン.コルトレーン、セシル.テイラー、ソニ−.ロリンズ、マイルス.ディヴィスなど中心とした、あるいはその中から派生したニューミュージックの動きは、人生の、社会の、当然の反映である。
とは言うものの、何時までたっても苦悩であったり、観念的 ”愛”に溺れてしまったり、無目的なる挑戦であったりしてはならないが、ギターの世界が甘い衣に覆われていることは他の分野との対比に依って明らかであろう。
常に人生の一歩下がった所から”物”を考えている嫌いが充分にある。
理由を楽器に転嫁するのではなく、狭い視野、四畳半的弱さをぶち破る努力がなされるべきだ。体力も要る。緻密な頭脳も要る、当たり前のことである。
週刊紙頭脳では歌謡曲すら弾き分けられまい。まして高度なるものなど押して知るべしである。
また技術偏重の悪癖も破ってしまおう。何となれば、技術(それもロクでもないのが多い)に走って頭が空っぽなる”もの”は毎月の如く散見するが、化物である。
これは洋の東西を問わず、楽器を問わず敷衍して考えるべきである。
「.....音楽の問題は、一歩深めれば、人間の問題である。したがって、人間の生命現象への洞察が根本であり、音楽論はその派生的な展開としてみて行くことが基本的に確認されなければならないと思う。そこには音楽の普遍性、大衆性への問題、形式と内容の問題、民族音楽と世界的音楽、宗教音楽と世俗的音楽などさまざまな問題が渦をまいているのである.....」(有島重武氏「現代音楽の方向と課題」より)
どれをとってもジャズと無関係な問題はない。20世紀後半以後の世界の動向は、立ち遅れた精神文明の開拓にあることは多くの学者に依って論じられて来ているが、人類が漸く今その根本の問題に到達したところから、今後は、その思想哲学の優劣に関しての相対批判、そして、その実践と証拠に依る最終的な選択がなされるだろう。
ジャズ音楽がそういった世界の大きな動向と無関係で生存出来得る筈がない。むつかしそうな問題となると極力回避して来たのがジャズ界ではなかったか。特に我が国では、ごく僅かな人たちが、勇敢に立ち向かっているのである。傍観している迫‘は、それはもう趣味、道楽でしかない。
今一度、音楽とは何なのか考えてみよう。「.....ともあれ、音楽も人間の営みの一つである。各時代、各地域、各個人のもつ人生観、世界観が、意思表示の形式をえらんで、理性の感情に托し、感情を媒体として、表現され、受け取られて行くすがたが、音楽の歴史であり、音楽の現実である.....」(前掲、有島重武氏)
ジャズ.メンが音楽の基本問題に立ち戻り、真実進むべき方向を適確に把握しえた時、本当の意味の大発展を期することが出来る。
*ジャズ.ギターの可能性はどこにあるか
ジャズ.ギターはまだまだ技術の上でも、表現の上でも、開拓の余地は充分にある。
クラシック.ギター技術の導入は、すでに色々試みられては居るが、別に新しくもない。
スタン.ケントンにおけるローリンドアルメイダはガット導入の先覚者であり、電気ギターの指頭奏法はビリ−.バウア−に依ってなされている。奏法においての余地は、ピックの種類の拡張、特殊奏法の応用(トレモロ、ラスゲアド等々)、フレットなしのアルコ奏法。機械的にはリバーブ.アンプ、トレモロ装置はゲリー,バートン.クワルテットでジム.ホ−ルが試みている。
私は、ピックの材質を変えて実験してみたが、それぞれに音色が異なり、成果があがったし、機械的にはリバーブもトレモロも前衛風に試みて正式に舞台に上げた。
そしてそれも所期の成果を得た。表面上の問題は即、人間の質に関連して来るが、これは前述した先覚者の演奏をじっくり聴くことだ。
幾らでも応用の利くヒントが与えられるだろうし、試行錯誤の中に必ずギターにおける独特の境地が開けて来るだろう。種々の意味でガボール.ザボに期待すること大である。
とにもかくにも、今後の演奏家はせめて人間らしく、根本的問題の解決をはかり、確固たる思想的支柱を確立すべきだ。好きだの、嫌いだの、そんな基準で音楽を判断し、演奏されたのでは聴衆はたまるまい。
音楽は作曲家と演奏家、それに聴衆の三要素の関連に依って決定されるのであるが、今迄の音楽家の最大の欠陥は聴衆を無視していたところにあった。
これは根本的に解決されなくてはならない重大な問題の一つとなるのである。
さなくしても、早やこれ以上のジャズの理解者は増えぬであろう。
演奏する方も、聴く側も、まるで何一つ分かっていないのに、あたかも分かっている風を装おう。こんなしらじらしい世界に息が詰まりそうなのだ。喫茶店で他愛のない低級浮かれジャズに身をゆすって聴く連中(その中に何と多くのジャズメンが居ることか)、理屈だけは立派だが、何とも空しい無意味なソロを得意になって、延々と聴かせる演奏者くずれ、一体何を考え、何をやっているのか神経を疑いたくなる。
音楽の聴き方(勉強し方)というものは読書に似ている。三通りの読み方があって、第一は、筋書きにつれて、喜んだり、悲しんだり、描かれた人物にほれ込んだり、憎しみを感じたり乍ら読む、これは一番浅い読み方である。
第二は、その本の成立や歴史的な背景を考えたり、その作品が何を表現しようとしているかを思索して読む読み方、これが中位の読み方、最も深い読み方は、著者の境涯を読みとって行くことであり、作者の人生観、世界観、宇宙観を読むことである。
この作業を経ずしてどうして音楽の醍醐味が解ろうか。専門家なら尚更のことである。
18世紀〜19世紀〜20世紀と経過するにしたがって西洋音楽は重大な変貌を遂げたが、こうした「音楽」の「変遷」が、ただちに音楽の「進歩」であったと言い切れるかどうか。
「音楽の進歩」と言うが、「進む」と言うからには、どの方向にどれ程進んだのかそして今後の我々の進むべき方向はいずれにあるのか、課題は大きい以上、客観的な立場からの発言であることを念のため附記する。
著者紹介: 1950年プロ入り、守安祥太郎、秋吉敏子、渡辺貞夫らとプレー後、「ジャズ.アカデミー」「新世紀音楽研究所」を結成する。現在はキングス.ロア−に協力する一方、杉浦クワルテットのメンバーとして第一線で活躍中のギタリスト。1932年生れ。
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3:植草甚一著「衝突と即興」(スイング.ジャーナル1971年7月号「書評」高柳昌行)
見回せば相も変らず、ほとんどの部分を占めると考えられ錯覚による音楽行為(演ずる側も、聴く側も等しく)や、信頼すべき何らの根拠も持たぬ多くの似非情報の乱舞する中に、これもまた、ほとんどの人々が実に見事なまでに流されてしまっているが、同情は全く不要である。歪んだ道は自ら選び取っているのだから、、、、。
唯々、識別眼の粗略さと、かたくなまでに思考を拒否する、欠陥人間でのみ構成されてしまっている斯界の存在価値に疑問と憤りを持ち続けるほか、今のところメドはない。
ひび割れた壁を幾ら穴埋めしようと、塗装をほどこそうと「ひび割れた」という事実は永遠に事実であり、隠したと思うのは錯覚に過ぎない。斯様にしてすでに「ひび割れたる者たち」を対象とせず、、、、。
穢れのない次代の人々にこそあらゆる音盤、あらゆる書に、耳目を晒し、あらゆる大自然の万象を自己に還元し、その日常性の中から取捨選択を決定していく構えが欲しい。
逞しい頭脳や感性は原点として以上の作業を経ずして成立はしない。知る限りでいえば現時点を含む以前の全てが、書を拒み、、、、、というより「言葉」や「大字」に敵愾心で反応して来ている。
せめて次代の人々にだけは書を読む、(誦む)の術を呼吸と等位に(習性に)至るところまで昇華させて欲しい。まず手近なところから、ジャズ資料として出所の明確な点で定評ある植草氏の著書は格好な相手になる。本誌既刊の「モダン.ジャズの発展」他社出版になる「ジャズ前衛と黒人たち」等々、どれをとっても煮詰まったジャズのエッセンスが横溢しているではないか。
新刊「衝突と即興」においても同様、世界中の主だった評論家の批評文や論文の適確な訳出によって彼らの物の判し方が把握できるし、音楽家における発言やエピソードによって彼らの音に対する姿勢、思考が判然とする。
それらが音楽を聴き判断する上で、また、われわれの活動上どれだけのアドバイスを受け、ひいては自己発見の足掛かりになるなど、その効用において益するところ、計り知れないものがある。加えて氏の決して自己を飾らぬ淡々とした語り口は、テメエの脳髄にヘバリツイタ外来語でしか物言えぬ、今時流行の嘔吐を催すがごとき悪文とは対比にもならぬ。
誠に氏の文体は多くの物書きが失ってしまった、率直な、素直な感性が泌み出て心地よい。例え当初は読み物としてでも、長ずるに従って派生的に関連ある他の分野の書を導入し、多角的にその内容を分析、整理するのがプロとして当然の義務であろう。
重ねていう、その作業は音楽を判断する上で「文学」と「音」との対象の違いはあってもプロセスにおいて全く同位であるからだ。芸術の底流は方法論、表現形式の差異を除けばすべからく同一である位そろそろ気付いて良かろう。(高柳昌行/ギタリスト)
「衝突と即興」植草甚一著。発行所=スイング.ジャーナル社。定価¥950 1971年
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4:高柳昌行 インタビュー (スイングジャーナル誌1982年 文:副島輝人(そえじま.てると)
高柳昌行は、真の意味で日本を代表するミュージシャンの一人だ。自分自身の生き方にも、音楽にも、シリアスで誠実であるし、ギタリストとしての力量も高い水準にある。しかし、親しく会って話せば、とどまるところを知らないワルノリ.ジョ−ク軈舌は実に楽しい。それが一転して今日のジャズ状況に話題が及ぶと、歯に衣着せず、当るを幸いにバッタバッタと切り倒すので、煙ったく思う人も多いことだろう。
かつてあるジャズディレッタントと論争を展開した時のこと、その人が「ジョジョ(御存知だろう、高柳の愛称である)がんばれ!」と書いたところ、「一面識もない人間に、ジョジョと呼ばれる覚えはない」と一言で切り捨てたものだ。
要は、遊びと真面目のメリハリを、しっかりとつけている人なのだ。だから、今回の文章では高柳と書く。これはきわめてまじめなインタビューなのだから。
ところで、高柳は昨年春、静脈癌で入院、大手術を行なった。一時は死線をさまよったという。それから一年半、体調はどうなのか。
『心配をかけてしまったけど、もう大丈夫。そろそろフリー.スタイルの激しい演奏も始めたしね。まだ手術の傷跡は引きつれるけど、脇から背中に袈裟がけに切られたようなものだからね。でも中味の方はもういいんだ』と笑う。それなら大丈夫だろう。
久しぶりでレコードを録音し、11月21日(註:1982年)トリオ.レコードから発売される。今回はこのことを中心に話そう。なんとギター.ソロアルバムなのである。
『60歳までは、ソロ出さないつもりだったんだ。けれど、手術後演奏できない時も、いろいろ勉強していた。そしたら、これまでやってきたことのさらに一歩先が見えてきてね』
あくまで前進することだけを考えている人なのだ。レコード.タイトルは「ロンリー.ウーマン」で、当然この曲も、A面の頭に入っている。
『あれは稀にみる名曲だね。不滅のメロディ−といったらいいだろうか。今日聴いても、まったく古さを感じないもの。それと、オーネットはあの曲を理論で創ったんではないね。彼自身のソロを聴いていると、コードはついているが、通常の和声ではない。
多分に生理的なものから生まれたんだな。あのメロディーは、今の俺にいちばん優しく響いたんだ』
それを、どのように料理したのか。いまさら高柳が、誰かのやったことをなぞることなどあり得ない。高柳は、テーマのメロディーを解剖し、分解し、自分のものとして発展させたのだ。
『アドリブの中味は、自分の音列でやっているよ。一定のリズム.パターンでなく、いろいろ変えたしね。フレージングを聴けば、どこを速いテンポにし、どこを遅くやっているかわかってもらえるはずだよ』
スタンダードをテーマとしてとりあげる時は、中味を変え、自分に内在するものをストレートに出してこそジャズといえる。このアルバムでは、リ−.コニッツとトリスターノの曲も演奏しているが、これをとりあげた意味は?
『コニッツ、トリスターノは、緻密で論理的で、ある意味で哲学的でさえある。だから、これからも一生かけて追求はするつもりだけれど、その反面、20数年これをやってきてるんだ。だから、かえって自分の中で、テーマとしては弱まってるんだよ。
そこのところを見極めようとしたんだ』
高柳は、あるいはトリスターノを越えようとしているのかもしれない。
『それでは自分自身のテーマは何か、ということになるけれども、それをいうのはだいそれた大変なことだね。自分では、かえってようわからないだともいえるし。で、今回は1曲だけオリジナルを入れたんだ。俺、本当は軽々しく曲を作ったりやったりするの、大嫌いなんだ。印税目当てに、いい加減な曲を作る奴が多いようだけどね。本当は、たとえ8小節でも4小節でも、書く時は考えて死にもの狂いで書くのがミュージシャンというものだ』
そうして書きためた短いスケッチがいくつもあって、それを藤井武プロデューサーに強くすすめられて出したという。しかし、僕たちは、ここに高柳のミュージシャンとしての素顔の一面が見れるのだ。それと、B面最後には古いイギリス民謡も入っている。
『一枚のアルバムの中で、トータルな音楽性ということを考えて、入れたんだよ』
それにしても、この1枚のソロ.アルバムの中に、高柳のいろいろな面が入っている。
フリー.フォームとクールというこれまでの別の流れであった二重像が一つに重なり、ピントが合ったのだ。ベテラン高柳の新しいスタートだろう。
『来年は、これをきっかけに、もっと力強くいくよ』
力強いといえば、彼のギターはタッチがずば抜けて強い。
『昔からそういわれてきたけれど、性格からくるんだろうなあ。ある意味では、情容赦しないし、それと一緒にあとさきのことを考えない。まあ、これは俺の欠点でもあるんだろうけど。でも冷酷だったら、その対極に暖かさがあれば、それでいいと思ってるけどね』
高柳は、やはりメリハリをはっきりさせる人であるのだ。
『少し、このレコードの技術的なことをいうとね、意図的にシングル.ラインでものをいいたいんと思って、和音をほとんど使ってないんだ。管楽器と違って、ギターでやるのはむずかしかったけれどね。ハウリングも一つの語法として使ったし、コンプレッサーとディストーションを使用して、わざと割れた音作りをしてみたんだ。安物のアンプを使ってるかと思う人もいるかもしれないけどね、ワァッハハハッ、、、、。いま、音だけきれいだということに、すごく抵抗感があるんだよ』
それはよくわかる。たとえば、高柳の同時代人オーネット.コールマンは「ロンリー.ウーマン」で、奇妙にバランスのとれない、不安定な音楽を作り出した。それは、現代という時代に対する不安感であり、見せかけの虚飾の繁栄に対する警告と抗議の表現ではなかったか。
『形式だけがきれいだとか、音色がただ美しいということには、どうしても嘘を感じるんだ。だから、音を濁らしたり、激しく突っぱねるような音楽をやるということは、真実を追求する上では必要なことだと思うよ、それは。このことは俺の生理から出たものなんだ。現代社会では、正論面したものにはインチキが多く、むしろ間違った論理の方に真実性が強いからね。このことを、俺はピカソから教わったけれどね』
これを語るとき、高柳が高柳である所以だと僕は思う。芸術家の面識なのである。
『それと一緒に、本質的なものに突っ込んでいかなくちゃ。ディキシーでもスイングでも、流行の陰にかくれた本物があるんだ。ルイ.アームストロングを、ハンカチをあてて吹く人程度の理解しかしないで、フュージョンをやってます、なんて奴が多過ぎるよ。
そもそもジャズはインストルメンタルな音楽なんだ。歌など添えものよ』
そうだ!同感!意欲に溢れて未来に向う高柳の、今後の活動予定は、レコード発売記念ソロ.コンサートを東京と名古屋で、ニュー.ディレクション.レギュラー.コンサートを3ヶ月に1回『ジャンジャン』で、アナザ−.シチュエーションを2ヶ月1回キッド.アイラック.ホールで、他に『アケタの店』『エアジン』と盛り沢山だ。がんばってくれジョジョ。
(文:副島輝人:そえじま.てると)
PS :副島輝人著:(25:書評:「日本フリー.ジャズ史」2002.7月21日(日))参照
5:論争前期
*山下洋輔 (新人紹介:高柳昌行)1965年スイング.ジャーナル9月号
ピアニストとしてのみでなく、作曲家として若手の音楽家の中で最も傑出していると見られる山下洋輔を、我々が認識したのは、もう数年前のことであり、この欄への登場は遅きに逸する。誰の、或いは、誰々の責任であろう?
昭和36年、鈴木重男のコンボでプロ入り。その後、銀巴里のセッションに参加。銀巴里後期に自己のカルテット結成。現在に至る。
彼には普通よくいうところのアイドルというものがなく、コレード.コピイはジャズへの足掛りとしたハンプトン.ホース唯一であり、又、それがパーカー.イディオムの理解に役立った。
ジャズ、現代、古典その他多種多様の音楽を差別なく聴き、良いものは吸収して行く主義を採っていることが自らの視野の広さを物語るし、彼の演奏はそれを実証している。
元来彼は、作曲と演奏を平行させて活動して来たのだが、作曲と即興演奏の調和に方法が見出されず、従って、所詮 ”書かれた曲 ”は不作で、即興の素材としたものに成功したものがあるというが、なるほど彼の駄作は聴いたことがない。
「アドリブをすることは生きて行くことの実感であり、また自ら進んで生きられる瞬間である」だけに彼の音楽態度は真剣そのものだ。
腐臭を放つドブ垢につかった様な多くの音楽屋は以て範とすべきである。
オリジナルにおける彼の演奏は全く個性的であり力強さと、繊細さが美しく調和している。
そして多くの形式に通じている為に、誰でも陥り易い偏向な所がない(唯一つのことにしか向かえないことは悲劇である。)
彼は語る「現在は厳密な意味での即興に可能性を感じる。枠の決まった従来のアドリブでなく、一瞬先には何もない状態の中で出された者に反応し合ってアドリブして行く方法をとりたい。厳密な意味での即興は窮極的にはそうなろうし、それがグラフィック.ミュージックの様な現代音楽に結びつくのではないか」
「近頃は冨樫の作曲を共に演奏することで自分の考えに一番近ずける」と。彼を決定するのは今後である。
批判力猛しく自然の理を把握して揺るぎのない確固たる人生観を確立してくれ。
昭和17年2月26日生れ。 麻布学園高校卒業。国立音楽大学作曲家4年在学中。
(文:高柳昌行/1965年9月)
6:論争序章
*警鐘 1971年(スイング.ジャーナル4月号 )
日本の前衛ジャズに物申す (高柳昌行)
フィーリングと言う言葉の流行と共にいとも怪し気な前衛××と銘打つ代物が各界に溢れている。我々の周囲もその例外ではない。何かの影響か、またまた先天的な病い、借り物でない思索は拒否する脳欠乏症(恐く未だ医学的に発見されてはいまい)の激増した結果と見られるが、一つの言葉の持つ意味すら正確に把握することも出来ず、又知ろうともせずに喋り散らす連中がその大きな因となっている、他愛ない言葉の遊びでは片づけられぬ。
その単純な、軽佻浮薄な連中が執拗にかじりついているのはご多分に漏れず、金.金.金であり、そこには必ず汚れの取り巻きがゴキブリよろしく巣喰っている。
無内容、全くの劣等感をゴマ化すためのポーズでしかないものをさも高尚な作品であるかのごとく、これ又有難そうなポーズで押しいただき、持ち上げるのである。
かような代物に目新しさだけを追うオ客様は、ゲテモノ喰いの類を出ることは出来まい。
まま、ぞくぞくと現れるゲテモノを丸ノミにして頂き、その<聴く>ポーズのカッコ良さを満喫し、己の欲求不満を瞬間忘れるだけの音とのつながりに酔い痴れて頂こう。
それこそフリー.ジャズだ。
知ったかぶりして遣っている言葉の真意を調べてみる謙虚さがなければも早救いはない。
今更俺が、一体どうした?ジャズ以外に何も出来ぬ?
そりゃあそうだろうよ。その勉強ぶりじゃクラシックには向くまい。少なくとも常識を認めないのだから、一般の勤め人にもなれまい。俺には才能がある?それ程あんたは選ばれた人であるって訳か。
他にも目を転ずる必要もなく、恥を知らなくても良い程に。それなら少し真剣に学んでみたらどうなんだ。はやりそうだから、シロウト耳にゴマ化しが利くからと一足跳びに前衛だ、フリーだと飛びつかぬことだ。
かっこうの逃げ場と思っても、そこは決して安全ではないのだ。音楽を知り音楽を求める聴衆がないと言い切れぬではないか。丁度あんたが、皆己れと同じ様にやってると思い込んでいるそのフリーという形態を、極めて自然に一つの手法として自己を語る奏者もあるように。
フリーしか出来ぬ、他は全くサマにならぬではインチキ呼ばわりされたところで一語もあるまい。演奏者に厳しさが要求されれば<聴く>聴衆にも一段とそれが求められるのは当然である。
既成と前衛と、いつの時代にもその両分野にホンモノとニセモノは棲息しているのだから、それを聴き分ける聴衆の責任も大きくなる。
部分観と全体観をハキ違えた青二才がジャズを全うしたなどとホザいたあげく、今度はこともあろうに音楽文化の発展にブレーキを掛け続けて来た低劣極まる分野に入り込み、または、ジャズを踏み台に、保身と栄達を求め他の分野に納まり、シタリ顔でほくそ笑み、い汚く鼻クソを掘り続ける。
何れも哀れな乞食根性である。
至極簡単に言おう。悪い音楽は人間をダメにする。ダメな奴ほど、汚れた音楽にのめり込んで行くのだ。悪と断定する基準も論理もあるが、無産と労苦に喘ぎながら得たものを上っすべりしているボケザル共に何の理由で公開したところで目を疲れさせ、アクビを誘発させるだけである。
噛んで含めば解せぬ輩は、そうしたところで所詮、理解出来ぬものだ。何?思い上がりだ?ケチだ?アッタリメエダアナ。もう何回もくり返して来たんだもんネ。
(高柳昌行/ジャズ演奏家、1971年4月)
7:論争傍聴の為の参考資料(1972年)
*フリー.フォーム組曲/高柳昌行とニュ−.ディレクション.フォ−.ジ.ア−ツのライナー.ノ−ツより
高柳昌行(g, el.g) 森検治(cl, fl, as , piccolo, recorder) 山崎弘(ds, per)
ジョー水木(ds, per) 佐藤敏夫(time conductor)
1972年 5月19日、アオイ.スタジオにて録音
(以下、同アルバム、高柳氏による「ライナー.ノーツ」本文)
音楽状況に対する、ひっかく程の批判と、ニュー.ディレクション.フォ−.ジ.アーツの生成について (高柳昌行)
ニュー.ディレクションの歴史をひもとく時、意外にも、これ程長時間を持続し得たユニットは他に類例を見い出すことが出来ないことに気付く筈である。
連続的に、或いは、断続的に、20年になんなんとするリアル.ジャズ活動を行なって来たのだから、、、、。謙虚に、すくなくとも我が国に於いては、、、と言って置こう。
この場合、あくまでもリアル.ジャズを基点とする活動が絶えなかったまぎれもなき事実と、その純正な意味合いを規範としていることは云うまでもない。
だが、時勢の流れは純正を志向する音楽家をも容赦なくその渦に巻き込んでしまい、又、音楽家側も状況に打ち克つ方法論を持たぬ尽く”長いものに巻かれ”、安穏に、又は懊悩にうちひしがれている。
責任の所在を問う以前に己の音楽資質、赤裸な人間そのものの境涯を自覚すべきであり、原点は常に己の側に立ち戻って来ることを銘記するべきであろう。
経済的事情、家庭環境の複雑性、表皮の感性のみに頼った結果のどんづまり等々、現時の腐敗し切った様々な社会状況に依る直接、間接の影響はあるにせよ、初心を貫く事の難業は察するに余りある。
どころか、筆者自身が幾多の極限を体験し、身近に見聞して来ているが故に、一概に批判し去ることは極力回避して来たが、目に見えて己れの利潤追求のみに狂奔する姿勢は黙認する訳には行かない。従って自己の責任に於いて機会ある毎に意見具申の形を取って来た。
しかし結果は、見当外れの反論、仲間内の陰湿な中傷、悪口雑言をもたらし、自己顕示欲のみ盛んな群小書き屋の飛びつく格好な材料としてのみその効用を発揮し、真摯に論としての本質へ理解の態度を表示した者は極く僅少に過ぎなかった。
何れにせよ判然としている事実はこうだ、所詮!!音楽を享受する為にのみ生きている側は滅多なことでその本質に立ち入る資質をもつことが出来ない、と云うことだ。
まして作家(?)的立場を確立する為の足場としてのみジャズに近接し、そのジャーナリスティックな拡がりの中に浮遊するを以て無差別なコネクションを作り上げ、揚句の果てに、業界を含めたジャズの状況を悪し様に云い散らすなど、低能な餓鬼共の流行的変身と何ら次元を異にしない。
その罪悪は還著於本人の形態を伴って何れ現前するであろうことを固く確信している。ダグラス.マッカーサーの捨てぜりふ、、”日本人の精神年齢は12才”、、、は今以て、又、当分の間、立派に通用することであろう。
残念なことに極小の部分を除く殆どの音楽家に於ける自己意識は、それ以下の水準であることを極論乍らこの際きっぱりと明言して置きたい。それらを操り人形の様に動かして来たのが音楽産業界と云うどす黒い世界なのだ。持ちつ持たれつ呉越同舟、おめでたき限りである。
今昔を問わぬそんな世界にニュ−.ディレクション.クワルテットが誕生したのは28年頃(註:昭和)のことである。
打楽器の本質を見抜けぬ或る人間が鍛冶屋と悪口を浴びせた程の強力なタッチと、電子音にも擬似する響を即興的に抽出する感性を備えた杉浦良三(ヴァイヴ)、アクティブで井戸の底から唸り上がる様に強烈なビートをはじき出した滝本達朗(ベース)、グループの年長者で誠の理性のもとに執拗な程リズムの在り方を研究し、現代音楽も平行してアナリーゼし乍ら苦斗を重ね、しかも温かい心で日常を導いてくれた原田寛治(ドラムス)、そして筆者の4人が発想した形式はピアノ.レスに依るクワルテットであった。
音楽に通じる人にのみその意味を理解して戴けるであろう。(テディ.チャールズのピアノ.クワルテットを聴いたのはその後のことである)。我々の意図はトータル.インプロヴィゼイションにあった。
この初期のユニットは30年にはNHKから初放送、同じ頃、ワヤンクリット.バレエ団公演、「イカルス」の為の音楽担当(これはピアニストで我々が音楽の生き字引きと称していた徳山 陽の指揮の依った)、そして、キングに於ける三保敬太郎の作品、日比谷インの深夜のジャム.セッション等を録音している「越天楽」、その他を録音するなど多角的に活動した。
33年頃を境いとして、銀巴里に於けるフライディ.ジャズ.コーナーの活動を開始し、これが母胎となって新世紀音楽研究所の結成に連繋して行くのである。
この頃、渡辺辰郎のアルト、中牟礼貞則のギター等と共に、デュエットや変則的なクワルテット編成など、様々な形式を織り込んで種々の試行を積んだ。
当時の事項を含め新世紀の活動の最終的総括は「ジャズ誌」の杉田氏と、当時の中枢に依っていずれ行なうことが予定されているが、未だかって報道され得なかった拡がりと、その深部が徹底的に洗い出され聴衆の耳目を把えることになると考えられるので其の辺の事情は割愛する。
しかし、初期のニュー.ディレクション解体後も筆者の個的、集団的活動の原点には常に、時代の前衛であることにこそアーティストの最大の条件である、と云うディレクションに精神、意識が在った。これは現時に於いても不変である。
種々の紆余曲折を経てニュー.ディレクションの名のもとに再編を行なったのは44年8月のことである。徹底したフリー.ジャズ.ユニットとしての再出発と云えるだろう。
フリー.フォーム.ミュージックに関しては筆者は16才頃、バルトークの音楽に接して以来、現代音楽を経て前衛音楽に至るまで常にジャズと平行して興味を持ち続け、経済の許す限りに於いてスコア−、書籍等を通じて生かぢりを行なって来た。
曰く、ウェーベルン、シェフェール、アンリ、バーレーズ、シュットックハウゼン、ノーノ、チャベス、シェーンベルク、メシアン、ダルラビッコラ、、、、等々、際限がない程に聴き、読みあさったものであり、当然のこと乍らこれらの作業は未来にかけて続行して行くことである。
余談になるが、現在では主としてFMチェックに依り世界初演もの、無名の新人に至るまでの殆どレコード化されない演奏をコレクトしているが、それらは実に多種.多量に亘っている。
これは衒いなぞで云うのでなく経過をより良く知って戴く為に記したまでであるが、閑話休題。
従ってジャズの世界にフリー.フォーム.セッションを経ていた筆者は、いよいよ自己の意図を達成するべく吉沢元治、豊住芳三郎とのトリオでリハーサルを積み、44年9月、初のリーダー.アルバム「インディペンデンス」をテイチクに於いて録音した。
この時点で現在も持続し、或いは固く保持している所の二つの基本形態を作り上げた。即ち”静”と”動”、具体的には前者をグラジュアリー.プロダクション(暫時投射)、後者をマス.プロダクション(集団投射)とし、その混合と組合せは、実に無限の可能性を含有するものである。
個的にはコンセプションの進化に伴う奏法技術の開発、弾弦の為の種々の用具の選択.発見.創作を行なったが、詳細を公的に記すことは避けたい。
この世界に於ける技術盗用は常套手段であるし、それよりも、20年に亘る自己の汗で築いた”技の在り様”を一体何の故に、趣味や道楽で成立する音楽界に開陳する必要があろうか。
”秘すれば花、秘せねば花とはなるべからず ”である。
44年8月〜45年2月まで前記のトリオ、45年3月〜4月までは高木元輝、豊住芳三郎とのトリオ、5月〜9月まで阿部薫とのドゥオと、目まぐるしく変遷を重ねた。
それらと平行して2月〜9月で日本リアル.ジャズ集団を結成、機関誌「エクリプス」を発行し、斯界に於ける悪徳店主、擬似組織者等の実体暴露を行なうも9月に解体。
それはメンバー内に於ける初期の目的観、方向性の食い違いと意識拡散の理由に依る。約束事に関する裏切り行為も又、斯界の常套句であり、筆者は一部を除く他、音楽人の言動に対して根本的には全く信用していない。
22年間は音楽体験はそれらを裏付ける充分な程の証拠に満ち満ちている。更に、同年春頃、「ジャズ誌」の座談会では擬似音楽人の実体暴露に追い討ちを掛けた為、ジャズ喫茶関係等から締め出しを喰らい、唯一の理解者としてステーション70の牧田氏の尽力に依り2月〜6月までの場を得ることは出来た。
後、暫くして山崎 弘 (パーカッション)の参加に依りトリオ結成。この間、6月には阿部 薫 とドゥオの形で厚生年金ホールにて自主コンサートを行ない「解体的交感」の名称のもとに同時録音、サウンド.クリエーター代表、小池氏の好意からレコード化することが出来た。
このコンサートに於いて京都「たち吉」のシオン.富田氏が如何程の力を尽くしてくれたことか計り知れない。
前後したが山崎 弘とのトリオでは9月に高崎「フリーダム.ジャズ.ワーク.ショップ」第1回コンサートに出演した。
この期間、池袋「ジャズ.ヘッド」に数回出演、ディレクションの喫茶店出演の枠内では最高の聴衆を動員し、店内の床も抜けるかと思われる狂気の程を現出したこともあった。
46年からは山崎 弘ドゥオの結成、1月〜6月頃まで高崎「フリーダム」に週参、この期間が我々にとって強力な試行の時期となった。
山崎の車に2人に楽器を積み込み、往きが3時間、帰りが2時間、演奏時間を含めて実動12時間の活動は肉体的に疲労をもたらし半ケ年で終了した。
然し、この往復の車中に於けるディスカッションが現在のユニットの形態を決定する成果をもたらしたのである。
この間に、金井英人グループの「”Q " ] に於いてスリー.ブラインド.マイスに録音、ドゥオ時代の片鱗は窺える。
46年6月、森 剣治(リード)の参加に依り、豊かな人間性、社会性を有し、感性.理性の相対を保持する人材に依るユニット形成、、、、と云う長年の希求を実現することが出来た。
以後、暫く「アン.ジャズ.スタジオ」での練習と演奏。8月、三里塚、日本言幻野祭に参加演奏、この時点よりニュー.ディレクション.フォー.ジ.アーツと呼称し、ユニット内に於ける不退転の姿勢が自覚された。
12月には「アン.ジャズ.コンサート」に出演。47年2月、ジョ−.水城(パーカッション)に参加を求め快諾を受けて実現、我々の目的観の一面であるパーカッシヴ.ミュ−ジックへの態勢が整った。
森 剣治はアルト.ソプラノ.クラ、フルート、リコーダー、横笛と、何れも充分なメカニズムを有し、テクニック上ではジャズの殆どと云ってよい形態に通じ、適確に表現し得る。
又、希有のバイタリティを持す、音に対する姿勢は微塵も崩れることがない。加えて現在は、ディアベルリ、ジュリアーニ等の古典から、フルート、叉はリコーダー、とギターの為のソナタを基点とするアカデミズムを筆者と研修中である。
何れにしても、現時点で彼程に多角的な視野を持つ人を他に知らない。稀な人材としての臭いはすでに醸し出されている。
山崎 弘は常に地味にこつこつと自己を磨き上げて来たが為か、今まで余り表面に出ることがなかった。
彼は新世紀音楽研究所のメンバーとして過去、殆んどのセッションに参加して来ている。現在彼は、50分の亘るフォルティシモを叩き続ける程の力量を持ち、近年とみに創作打楽器に力を注いでいる。
メカニズムの特殊性から、それらの面でも決してあせらず綿密な検討を重ね、その開発にいそしんでいる。音楽を生涯の業として選んだ人間の自然な姿をそこに見出すことが出来る。
ジョ−.水城は本来、ソロイストとしての分野にその本領があると見られていたが、我々との練習を積むにつけ、間隙を縫って挿入される装飾フレーズの適格性と多様性、マシーン類の見事なこなし様は奏者として現時点での最尖鋭とすら云える。
山崎、水城の醸し出すリズムの洪水は将に現ユニットに於ける理想を形成している。
さて、この新ユニットは3月、大阪「ヤマハ」、京都「ビッグ.ボーイ」を、仕事上の都合で山崎の抜けたトリオで、次いで名古屋の「ヤマハ」ではクワルテットの形態として初のコンサートを行い、好評を以て迎えられた。
これらは全て藤井氏のプロデュースに依って実現したことを記して置きたい。
そして今回、「フリー.フォーム.スイート」のタイトルで結成以後、初の録音を行なった訳である。
これはある種の目的に添った企画、演奏、驚くべき最良の録音の一体化もさること乍ら、厳密な意味でユニットの持つコンセプションか(決して全貌ではないが)可成り如実に現出されている点でディレクションの最初のレコードと云って良い。
以上、思いつく儘の経過を書き連ねてみたが読み辛い点は御容赦願いたい。
フリー.フォーム.ミュージックは既成の低劣な楽理や、かび臭い形態論、表皮の自己感性、扇動に依って得た浅薄な頭脳、なぞとはとても把らえ切ることの出来ぬ内質を有している。
従って、前衛の論理は10年乃至20年を経た地点でしか確立しまい。
たかが数10年の体験的形式論のみで判断(将に、判断とは自己の音楽聴取能力とは係りを持たぬ無縁の意識である)する者に本質が掴める道理はない。
それはすでにフリー.イディオムではないからだ。更に、フリー.フォームは古典と平行して存在することを知らなくてはならない。
(これは45年8月、前記、シオン.富田氏の計いでツトム.ヤマシタと邂逅し得た地点で語り尽くした一致点である。)歴史と伝統を無視した者には現代を論じ、表出する力を持つことが出来ない。
従って、未来に全く光りを持たず、いたずらに狭義の思考でひねこびた論理を振り廻し、普遍性なきご託を造り上げては酔いしれるのみである。
我々はマクロ.コスモスの縮図としての人間生命、自然生命の解明に立ち向っているが故に当然、長期に亘るビジョンを持っており、恐く将来ともに揺るぎを持つことはないだろう。
又、音楽的には将来も決して形式を選ばぬし、フォルムは不必要ですらある。
問題は、常に物事の本質を看破し、真実と虚偽を確実に見極めることにある。
個的には筆者の22年に及ぶ云わば激動に満ちた(そして今後も、、)活動の実状と、あらゆる矛盾に対する憤懣の心情を、音楽を通じてどれだけの人に聞きとってもらえるだろうかとも考える。
まして我々は過去に費やした時間の幾倍にも相当する未来を活動し続けなくてはならない。
芸術に完全はなく、完全なきが故に生命を賭け立ち向かい、挑んで行くのが音楽家の業(ごう)である筈だ。
誠の聴衆とは、従って我々と同次元に位置することを云い、埒外にある者は、単なる音楽(?)の一需要者に過ぎず、こと音楽に関する一切の自己表出はその資格を有しない。
願わくば生涯を賭けての聴者たらんことを。
終りに、筆者の指向を理解し、見事な音化を成し遂げた森、山崎、水城の3氏先ず感謝したい。
そして、高度の技術を駆使し、我々の理想とする録音を担当して下さった神成氏他の方々、又、何よりも、まるで売れそうにもない我々如きユニットにそのチャンスを与え、枝葉の奔走にまで労苦をいとわれなかった御大、藤井氏と、そのスタッフの方々に心から深謝の意を呈し拙稿の締めくくりとしたい。
演奏者紹介:高柳昌行:(ジャズ.アコースティック.ギター&エレクトリック.ギター、クラシカル.ガット.ギター)
昭和7年12月22日、東京、芝生れ、39才。都立工業高校中退。
23年頃、古典ギターを国藤和枝、ジャズ.ギターを荒井ノボル、後年、和声学を入野義郎に何れも短期間師事、以後、独学。33年、音楽家有島重武に邂逅、全人的指導者として私淑し現在に至る。
(1972年 ”フリー.フォーム組曲”のライナー.ノーツより)
8:論争勃発
*問題作を試聴する。4名のレコード評(1972年 スイング.ジャーナル9月号)
アルバム「フリー.フォーム組曲/高柳昌行とニュ−.ディレクション.フォ−.ジ.ア−ツ」
SIDE:1
(1) ザ.ブルース
(2)あなたは恋いを知らない
(3)東の太陽
SIDE:2
フリー.フォーム組曲
(1)第1楽章
(2)第2楽章
(3)第3楽章
高柳昌行(g, el.g) 森検治(cl, fl, as , piccolo, recorder) 山崎弘(ds, per)
ジョー水木(ds, per) 佐藤敏夫(time conductor)
1972年 5月19日、アオイ.スタジオにて録音
*同レコードに対する4名のレコード評:
1:真摯なミュージシャンの手になる作品ではあるが、、、
(Dan Morgenstern 米DB誌編集長)
このアルバムで意図されている<ニューディレクション>が、私の考えている<ディレクション>と同質のものがどうかの確信はないが、これはジャズにすべてを賭けている真摯で才能あるミュージシャンの手になるものだと思う。
A面1曲目で聴かれるモリ.ケンジのクラリネットはとても暖かく、心に訴えかけるサウンドだ。(実際、モリのクラリネットを聴いて、私はエリック.ドルフィーのバス.クラリネットを思い出した。)
また、ここでのタカヤナギはジャンゴ.ラインハルトを思い出させる演奏もみせるが、ダブル.テンポ以外のところではとてもダイレクトで、前向きな姿勢がうかがえる。
2曲目の<ユ−.ドント.ノウ、、、>では8分に及ぶフリー.インプロヴィゼーションからなるものであるが、私からみれば曲の構成と展開の点において難があるように思えた。<東の太陽>におけるモリのソプラノ.サックスは多彩かつ、すぐれたテクニックを示しているが、私が一番気にいったのは彼のレコーダーである。
なおB面全部を占める<フリー.フォーム組曲>は、まず第1楽章のつぎつぎと奔出するフレーズが圧倒的で、聴く者をその中に引きずり込む力をもっており、鑑賞しようとするなら多大な集中力が必要とされるであろう。
ここでのモリのプレイはすばらしく、ますます激しく吹きまくり、パーカッションも効果的なプレイを展開している。
しかしながら、ここできかれる音楽は<エネルギー.ミュージック>とでも呼ぶべきもので、この種の音楽はいろいろきいてきたが、私はあまり好きではない。おそらく現代生活における緊張と混乱を表現しているのであろうが、その救いようのない耳ざわりな音にはうんざりさせられる。
それは偉大な芸術がもつ本質的な基本条件を欠いているからであろう。しかし、私はこの作品に参加している日本のミュージシャンの実力は大したものだとは思っている。
2:私はひたすらジョジョの努力をかう :(牧 芳雄)
かなりジャズを聞いている某大学のジャズ研究グループに何も告げずにこれを聴かせてみた。
その声を紹介しよう。
A「あ、ジミ−.ジェフリ−.スリ−かな」(A-1)
B 「盛大な拍手がボソボソ、、、。ああ終ってよかったという拍手でしょう」(A-2)
C「何だかどこかで聴いたようなオトだなあ」(A-3)
D (ノーコメント)(B)
私はニュ−.ディレクションに向って探究を軽蔑しない。しかしジョジョはこの一般的な受け止めかたを知らねばなるまい。
たとえ、そこに大学生特有の皮肉や揶揄(やゆ)が悪気なしに出ていたものとしても、、、。ニュー.ディレクションということばを聞いたのは私の記憶に誤りがなければテディ.チャールスともって嚆矢(こうし)とする。
そのころ、めんどうなことをやっているなと感じたことが、今20年後に聴けばまことに当然のことできわめて陳腐であり、それは今日的な技法からすれば常識的ですらある。
したがってニューディレクションへの指向は常にそれが過渡期なものであり、試行錯誤的な試みであるという認識のうえにたって演奏されねばならないし、聴かれねばなるまい。
その意味では私はこの方向に向ってたゆまない努力をしているジョジョの熱意を買うし、そのあらわれとしてこの1枚を評価したい。
アコ−スティック.ギターを用いた<ザ.ブルース>を頭にもってきたところにもジョジョの意図が感じられる。そして、それがジュフリー.スリーでないのは、フィーチュアされた森剣治が光っているからだ。だれかさんならすぐ「牧歌的」とでもいいそうなムードのなかに森のモダニズムがキラリと光る。
メンバーはみなテクニシャンで信頼できる。しかし、このニュ−.ディレクションが何を意図しているかがきわめて主観的であるために客観的評価はむずかしい。
私はひたすらジョジョの努力をかう。
3:前世紀浪漫主義の退廃的亡霊 :(西城英介 住職)
問題作とは一体何を指すのであろうか。eccentricなものが問題作なのであろうか。concentricなものこそ問題とならねばならぬと思うのだが、傾向としてはeccentricなものがずっと多いようだ。
この1枚がなぜ問題作なのか知らぬがオーソドックスと前衛、体制と反体制が同居しているところが問題なのかも知れない。
一面にオーソドックスにスイングし、多面にフリー.ジャズする、両刃のナイフ高柳は、切味も鋭いが、鋭さは我身をさえも傷つけて分裂する。
時間的には現在に定着しないで、過去と未来を指向し、場所的には日本の土壌から足を浮かして、ブルースの本場は、ア.ラ.ビ.インの東アジアや、マクロ.コスモスのまだ見ぬ遥かな国への憧れに胸を焦がす前世紀の浪漫主義の退廃的亡霊であることを、この1枚は饒舌に物語っている。
ハバナから新宿を経てベイルートへと世界をのし歩く、女とも男とも見分けのつかぬ長髪ジーパンの若者が、前世紀浪漫主義の退廃的変身であることはすでに識者の指摘するところであるが、高柳のように齢不惑にしてまだそれら若者と同じき稚さを保つことのリッパさを称えるとともに、解説に高柳のいう「日本人の精神年齢12才云々」をそのまま夫子自身に返上する。
器用貧乏というのも困りもので、なまじ評論の真似ごとができるなばっかりに、口数と理屈が多すぎるのも欠点で、ミュージシャンはやはり音楽で勝負すべきであるし、「誠の聴衆は演奏者と同次元に位置すべきだ」などと自ら世間を狭くするようなことはいわぬことだ。
高柳より高次元の聴衆も多勢いるのだから、低次元には啓蒙の努力を惜しまず、高次元には感動の同感をうるべく錬磨するのが芸術に志す者の当然のつとめであろう。
ともあれこの1枚、音楽よりも付属の生硬で幼稚な自己顕示の文章と、感動、壮絶、強烈、興奮などというなんら実感を伴わない単語がポンポン飛び出す作者の解説の方がおもしろいという問題作のレコードである。
4:月光仮面も裸足で逃げる、、、 : (山下洋輔 ピアニスト)
送られてきた「問題作」を試聴してみたがおもしろくなかった。ぼくにはこのレコードがどうもでき損ないのパロディとしか聴こえてこないのだ。パロディでないとすると、これは、われわれはどんなスタイルの演奏もできます、というこのグループのまじめな宣伝なのだろうが、だからといっておもしろくないのにかわりはない。
何より呼びものの<フリー.フォーム組曲>が期待外れだった。なぜならスイングしないからだ。なぜスイングしないかといえば4人のプレイヤーのリズム感がぜんぜんかみ合わないからである。
個々のプレイヤーのリズム感はもちろんそれぞれに違っていて当然なのだが、それらがぶつかりあい、火花を散らさないかぎりスイングは生まれない。
いくら音をまき散らそうとそれは単なるすれちがいである。ぼくは何であれスイングしないものはおもしろいとは思えない。
一方、演奏よりおもしろいのは、解説に載っている高柳さん自身のことばである。彼こそ日本のジャズ史のなかでの唯一の正義の味方であるという、月光仮面も裸足で逃げ出す大啓蒙論文なのだが、本来こういう主張やコンプレックスは音楽家にとっては音によって解消されるべき素材である。
演奏家自身が喋るという最近の風潮にぼくが賛成なのは彼が自分や他人の演奏について正当な評価を下すからではなく、逆に彼の言うこととやることがいかに違っているか(悪い意味ばかりでない)を聴い手が楽しむ機会が増えるという理由からである。
演奏者の一挙一動をモルモットのごとく観察して楽しむのも聴き手の特権なのだ。そうでなく、たとえば、音をひとつビヨヨーンと出され「これこそマクロ.コスモスの縮図としての人間生命、自然生命の解明に立ち向う私の大宇宙哲学の表現である、、、」などといわれて、なるほどわかりました、としかいえないのでは楽しみというものがないではないか。聴き手のわがままこそがジャズを創っていくのだ。
(1972年スイング.ジャーナル9月号)
9:論争:完結編(1972年10月)
9:論争:完結編(1972年スイング.ジャーナル10月号)本誌9月号の「問題作を試聴する:フリー.フォーム組曲/高柳昌行」に対して、高柳昌行氏から反論が寄せられましたので紹介いたします。(スイング.ジャーナル編集部)
反論:高柳昌行「小説は寝ころんでいても読めるものです。従って読者によってうわべだけ読み過してしまう人もあれば、深く読みとってくれる人もあるわけです」というある作家の言葉は、レコードを聴く場合にもそのままあてはまる。
そこに聴く者の感性、生活環境などが如実に現れるのは今さらいうまでもないことである。
自己の感情に振回され、聴くべき耳はどこかに片よせてしまい、高ぶった嫌悪感に襲われるままにかじかんだ身体にぶつかってくる音楽に義務づけられていやいや堪えているごときは低劣な聴き手の最もたるものである。
聴き手のわがままこそジャズを創って行くとうそぶく無責任な輩も、そうした手合いが多くなることを望む一種の逃避型の人間も所詮、生涯 ”内質 ”を持つ音楽にふれることは出来ない。
虚弱な精神と身体がそれを拒絶するのだ。
過保護を通り越して甘やかされた自己の成長過程と、生きることの厳しさを知らず、現代に呼吸しながら、現に存在する悲惨も、酷も「関係ねえ」で片付けている道楽者は、あくまでもその姿勢を変えず、手なぐさみの音を弾きとばし、楽しむだけでよいのである。
それでこそ彼らなりの楽しみが得られ、安手の安堵が得られるのだ。
見当違いの特権もそこに生まれよう。未だに演奏者が喋る、または文字を書くことを特殊視する人種の老化現象は、治療方法のないままに進行し、柔軟性のある頭脳と身体を保つための努力を怠れば、まもなく老人性痴呆症を終着点とする結果となるのは明白である。
症状は今のところ軽度なものとはいえ、経歴、成り立ちを年代を追って連ねた、いわば履歴書のごときものを啓蒙論文と取り違え、幼稚な自己顕示とののしってみたりする一方、自らの世間を狭くするなど、ど下衆(げす)の勘ぐりにまで発展する。
また、ディスク.レヴューを評論の真似事と感違いし、「聴取能力」という言葉の真の意味すら理解しえず聴衆を低次元と書いてあるという妄想に目をムキ、いらぬ反論をするかと思えば、実に悟りすましたごとく、鼻持ちならぬ臭みをもって訓をたれて見せる。
これでは幼稚どころではない。
痛ましい限りである。
前述したごとく、口も利かず、演奏者は演奏のみで勝負すべきと断言するなら、それ以前に衆生済度(しゅじょうさいど)を旨とする立場にある自分自身が、趣味道楽の延長で得意気な駄文を書き散らすことに矛盾を覚えてしかるべきである。
身体を削って世界の状況と斗うに時間は足りぬはずではないか。
葬式と墓守りの上にあぐらをかく、さまざまな形の戦いとはまったく無関係に、どろりと垢の浮いたぬるま湯にはひたり切った日常に彼いわくところの時間的に現在に定着せぬ姿をみる。
これでは過去も未来もない。
前世紀浪漫主義の退廃的亡霊どころか、未だに弱い人間をたぶらかしているあの世とやらに生きながらさまようゾンビである。
音楽に全生活と生命をもってあたる者には過去、現在、未来は常に一本の線上に存在し、その場をどこまでも上昇させて行くのが、生活である。
芸術を志向する者に年令はない。
あるのは若々しい精神と、逞しく成長しようとする激しい願望から生まれる努力とさわやかな確信である。
そしてまぎれもなく日本の土壌に深く広く根を張り、その根は次第に太くのび続けて行くのである。
自己の職に一身を賭けもせず、現代に余暇を弄(もてあそ)びうる摩訶不思議な現象を、頬を染めるでもなくその厚顔無恥(こうがんむち)ぶりをされけだす点においては、真に驚嘆に価する。
が、耳馴れぬものであればエキセントリックと片付け、何が問題か知らぬと断り書きする程度の感性であってみれば、さもありなんとうなずけようというものである。
また、パロディーと聴き、興味深い結論を示したものもある。
自己の好き嫌いで作り上げた出来そこないの物差で音を測ろうとし、勝手に刻みつけたスイングという唯一の目盛りにはめ込み放り出すに至っては、未だ裸足で逃げるエセ月光仮面に憧れる幼稚さを持つ彼の敵愾心(てきがいしん)も空しいものに変質する。
たとえその物差にかかるものであろと、彼はこれぞスイングといいうるものを今後公表すべ任は果たさねばなるまい。それこそ言動の一致を云々する資格を持つことが出来るのである。
いずれにせよマス.プロダクションというかつてふれえなかった耳馴れぬ音楽の渦に泳ぎ寄ることも出来ず、致し方なく経歴書に目くじらを立て、手前勝手な解釈に頼って低級な文字を書き連ねるのは、いわゆる常人のすることではない。
少なくとも何十年かの生活の中に、怒りもなく、心を荒々しくゆさぶる感動も知らずに過してきた、フヤケた、貧しい内質を露呈するに充分であるが、それ以外に何の利もない。
面白いかつまらぬかではない。それは音によってコンプレックスを解消させる特技を披瀝(ひれき)するという彼自身にあてはまる愚劣な言葉である。
ともあれ、何ら生産に係わることなく丸儲け生活の暇つぶしに、音楽に慰とやらを求める者や、高邁(こうまい)ぶった「論」とやらにうつうぬかし、音を型にはめ込むことに腐心する連中からは、今後急増するであろう甲走った的「は.ず.れ.」の批判を吹き込まれる「風」とし、同次元の聴衆から贈られる賛否両論に私自身切磋琢磨(せっさたくま)し、ま.す.ま.す.激.し.く.鑢(たたら)の火の如くあかあかと燃え上り燃え続けるであろう。
1972年スイングジャーナル10月号 以上、高柳昌行からの反論*追記:29年目の検証 (友寄隆哉)
29年の歳月を経た後、この一連の論議を公正な立場で検証して見れば、高柳氏のライナー.ノーツ文は、確かに、氏の云う通り、「自己顕示」文ではなく単なる経歴文であり「啓蒙文」ではない。メンバーを讃えた、「バンマス(バンド.マスター)」として当然の行為である。
ダウンビート誌の編集長という肩書きと言えど所詮は、「アメリカ商業雑誌」である。もともと前衛は受け付けない。前衛ミュージシャンの多くはヨーロッパへ逃げ出す国である。それは日本が、ハリウッド映画に長年、洗脳され続けた間に、いかに多種多様な「人間」をあつかった映画がアメリカ以外の地で秘かに成熟していたかという現状を知ればその「肩書きによる権威」性は、個人の意見の範疇でない大きな影響力をもつことになった。いわば「自民党」のPR誌のようなものである。「聖教新聞」「赤旗」とも言える。
大学生の発言は何ら論拠と成り得ない。現在は何の職業に従事しているかに興味ある。
29年前に20才前後とすれば49才前後である。リストラが心配である。
仏教徒に関しては、ひとつ、バンド界の常識がある。バンド業で失業した者は、気力ない者は「タクシー.ドライバー」の職にありつき、かつての将であった者は大概、「坊さん」となる。現在では、新聞紙上にて「通信講座」によってその資格を得る事ができるらしい。本物か偽物かは、その活動による。「やたら歯を抜けば儲かる」式の歯医者同様、いくらでも収入は調整が利く。「お布施」「戒名」は、無税で「言い値」である。
これは一般論であり、特定の者を指して述べているのではない。公明正大に生きている者は簡単に自己の潔白を証明できるため大した指摘にもならないから言うのである。
山下氏、は現在ジャズの「天皇」である。ジャズ界の「派閥」はすべて「ピアニスト」がつくり上げている。仕事をくれるからである。なぜ仕事を取ってこれるかと言えば、大衆がピアノを聴きたいからである。特に、バンド業でピアノ不在は「仕事にならない」。豪華さを演出できないからである。ベースはどんなに熟練されても電気はダメ、例え、素人でもルートのみ押さえてくれるウッド.ベースであっても「豪華」さの演出にはよい、とする「キャバレー経済論」が発祥である。
山下氏の実際の天敵は、三宅榛名(ピアニスト、作編曲家)女史である。『彼のピアノのタッチは、「俺は男だ」と叫ぶだけのものであり、本来のピアノのそれではない、また、彼の即興は他と交わる事のできない種のものでありそれはあらかじめ言いたい事が用意されている強者のものである。」と言う類いの発言を女史は自身の著作物でくわしく述べている。両者が友人関係かどうかは不明。
私は、どんな派閥を形成しようが、問題は、その派閥に属した者の人間性と音楽性だと考える。どの派閥に属した者が、より国際性があり、一人の人間として他を尊重し生きているか、にあると考える。そして次代の若者はどちらを「カッコいい」生き方として見るかである。
暗黙の了解として高柳氏の言う「逞しく生きる」は、氏は「塀の中の1年」を和声学の勉強に明け暮れたと言う。
『普通は、あそこではカマ掘られるんだ、だけど俺の勉強ぶりが凄いんで、そこの房長に気に入られて「こいつに手出したらたたじゃおかんぞ」って言ってくれたわけよ』と10代の生徒等へ向けて話して聞かせたのである。
「俺は好奇心が旺盛だから興味で薬をやってみたわけよ、精神病院へも入院して見たが3日で逃げ出したなあ」と。授業の大半は「話し、話し、話し」である。10代でも本当に可笑しかったのである。当時、氏は46才頃と思われる。
私は、山下氏の演奏は好きである。氏の目指した通り「面白い」からである。
しかし、レコードを買おうとしないので正当なファンではないかもしれない。
テレビに出れば、必ず見る。するとやっぱり「面白い」演奏でなのである。
テレビで見ないとその「面白さ」はわからない。私はテレビっ子である。
氏の望んだ通り、「ぎゃははは、面白い演奏」と腹をかかえて笑う。
真面目に喪に服する時は、ポール.ブレイやキース.ジャレットにしている。
高柳氏のレコードはストラビンスキーや武満徹を聴きたくなった時に聴く。
大体、4年に1度の周期である。そういう時は、ついでにデレク.ベイリーも聴く。タルコフスキーのビデオも見る。ドストエフスキーまでも読もうとして断念する。身体の中から要求するのである。
おそらく、すべての事に本当に心から「笑えなくなっている」自分に気付き始る頃なのである。
私は、そういう時でも「楽しめる」世界を持っている。だからどちらに転んでも平気なのである。だから私は「公明正大」なのである。念のため、この「公明」は「公明党」のそれとはちがう本来の意味で使い直しているものである。だから仏教の「小咄」を引用し「ワンポイント用語解説」をして紙面を埋めないのである。他の本を読んだ事のない暇な主婦向けのサイトではないからである。一家が離散しないようにとの配慮からである。
それは図書館へ何度も足を運び「写経」して学ぶものだからである。
(テリー伊東/佐高信「お笑い創価学会、信じる者は救われない」(光文社)はすぐに手に入れる事ができなくなる昨今の出版界状況を考慮して後生の子孫のために数冊購入し金庫に保管されている書籍の一つである。尚、テリー氏の前著「お笑い大蔵省極秘情報」は渡辺昇一氏は、「20世紀に残す3册に価する」と絶賛された。これは4册目であろう。)
だんだん主旨から逸れてきたのでこのへんで止めるのである。
電子化作業は、めんどくさいのである。一番向いてない仕事なのである。こんなことでも追加しなくては。2001年 3月2日 友寄隆哉
10:コンサート評「ニュー.ディレクション.フォー.ジ,アーツ」
(詩人、評論家: 清水俊彦 )1972年スイング.ジャーナル10月号
1972年8月1日 *青山タワー.ホール*出演= 高柳昌行(g) 森剣治(as, cl, fl, piccolo)ジョー水木(ds, perc) 山崎弘(ds, perc.)
3回目を迎えたこのコンサートでは、どんな発見があるかと楽しみにしていたが、その期待は十分にみたされた。
アンソニー.ブラックストンによれば、「きみはきみの音楽だ。もしきみがすばらしい何かにヴァイブレ−トするならば、まさにそこからきみの音楽は生まれてくる」というが、そのようにして限りなくつづく自己発見のプロセスのなかで、この夜の高柳と彼の仲間たちは、それぞれに解答を見出し、共同の場で作用するままにそれらを1つの全体にまとめ上げながら、彼ら自身と仲間同志ばかりでなく、ぼくら聴衆にも新しい洞察をもたらすことによって、彼らの音楽の新しい、あるいは少なくともぼくがこれまで気づかなかった局面のいくつかを明らかにしてくれた。
最初の<漸次投射>と<集団投射>の組み合わせで非常に興味深かったのは、彼らの音楽のパーカッシヴな局面とフォルムについての考え方が、従来になく強調されていたことだ。
2人のパーカッショニストはもちろんのこと高柳も森もそれぞれ楽器の可能性をフルに生かして、その度に変化するパーカッシヴ.サウンドを打ち出していたが、それらは音楽に豊かな色彩をつけ加えたばかりでなく、それ自体が1つの音楽のささえになっていた。
こうしたサウンドにもとづく集団即興演奏に統一を与えたのは、いうまでもなく高柳であり、他のメンバーも高度に音楽的な相互作用や即興的な洞察を通して、高柳と一体になりながら、このような生成のプロセスこそ、<可能性>としての彼らのフォルムにほかならない。
50分にわたってフォルテシモを叩きつづけることができるという山崎のソロは、前回の水木のそれとは全く対照的だった。
水木が知的な把握力とひたむきな意志をもって前進するとすれば山崎はヴァイオリン奏者のような多感な精密さで、ことをやり遂げようとする。
ドラムやシンバルやリトル.インストルメントに向って突進し、あらゆる音の表面をこすったり、愛撫したり、時には激しく叩いたりして、自分の楽器を心ゆくまで歌わせようとする彼は、音楽的なフレーズを生み出す呼吸についての鋭いセンスをもち、沈黙を自分のプレイの不可欠の要素とする独創的なパーカッショニストといえるだろう。
最後を飾る<集団投射>は、3回のコンサートのすべてを通してピークだったといっても過言ではなく、それに耳を傾けることは、フィーリングとサウンドの渦巻きに引き込まれるようなものだったが、音楽が空中に消え去ったあとの、あの目覚めのようなすがすがしい経験を、一体何にたとえたらいいだろう。
ここでは個人の同一性が集団存在のそれに溶け込んでおり、より高度なその存在がインプロヴァイズする精神になっていた。
しかも、演奏のディテールは非常にはっきり聴きとれたが、これは、演奏の複雑さが厳密さの等価物になるまでに、名人のプレイの焦点がしぼられ、いい意味でのプロセスの図式化が実現されたからだと思う。
そうした意味でとくに感動的だったのは、山崎(シンバルのみ)と水木(ドラムのみ)による湧き立つようなパルゼーションのなかから、高柳のギターと森のアルトの唸りが、まるで肉体の痙攣(けいれん)的なサウンドのように立ち現れてきて、音楽を強烈な祈りにまで高めたシ−クェンスである。
(清水俊彦:詩人、評論家: 1972年10月号)
11:ガボール.サボ :その芳香な魅力の秘密: 高柳昌行
(1967年スイング.ジャーナル4月号)
数あるギタリストの中でガボール.サボほど、感覚を表に立てて音楽を語る人は他にいない。サボは演奏以前の構成の場で、繊細な理知を働かせ、その充実をもってひしひしと迫ってくるのである。
サボが、ジャズ.ギタリストの歴史上、まったく違った次元に立っていることは彼のバイオグラフィ−をみてもわかる。
サボは1931年3月ブタペストに生れ、独習で楽器をマスターし、歌手の伴奏、映画スタジオ、ローカル.バンドなどの仕事をして、56年11月に渡米している。
57年〜59年までボストンのバークレイ音学院に学び、58年ニューポート.ジャズ祭に出演の折り、チコ.ハミルトンに認められ、その5重奏団に加わる。
今は退団して自己のクァルテットを組織し、ジャズ.クラブに出演しているようだ。
ところでサボの近作<スペルバインダー>は、音楽性の違いはあれ、チャールス.ロイドの「オブ.コース.オブ,コース>以後の最上の出来栄えである。
彼がチコ.ハミルトンを離れてからいろいろ雑多の活動をなして来た上での一つの成果、あるいは一つの頂点を示したものとも考えられる。
A面における「スペル.バインダー」「ウィッチクラフト」「イッツ.ウォズ.ア. ヴェリー.グッド.イヤー」「ジプシー.クイーン」はどれをとっても瞬間の淀みすらなく、ピッキングの正確さと相まってその端正さは見事である。
サボの背負っている民族性とその精神の高揚が溢れている。
それはあくまでサボの持つ力<人間>の一面であり、その尚一つの小さな結集として納得出来る。
B面では「バン.バン」を唄い「イヤーニング」では声を使う。「チーター」「マイ.フーリッシュ.ハート」「オータム.リーブス、スピーク.トゥ.ミー,オブ.ラブ」(メドレー)
は通常の演奏である。
歌を唄うことに抵抗を感じてはいけない。音楽家は自分の持つ技術を媒体として「もの」を訴えることに何等の束縛も受けていないからだ。
さてB面の白眉(はくび)は「マイ.フーリッシュ......」である。あの終始一貫して流れ出るゆったりとした旋律から感じる、えもいわれぬ美しさは驚異であり、これこそ立花実氏のいう、まさしく匂う音、匂う旋律である。その感性を羨ましく思う。
弦のスライドから起こる妙なる響きに彼の精神の一種の「翳(かげ)り」があり、サボの心の奥を垣間見る気持ちがする。
「オータム.....」では珍しく一本でのギター.ソロ、ここではいわば「表面」.....のサボ、彼の持つ哀感が切々と訴えて来る。
ここで、サボを知る要点としてインド音楽からのヒントがある。
技法上では弦のスライド奏法、ベント奏法、開放弦の多用、<エル.チコ>の「マル.チータ」のごとくコード.ソロの連続における右手と左手の関連のありようが、シタールまたはサーロダの技術に共通するし、インド弦楽器の共鳴弦による分散音の持続は12弦ギター、レバーブ.アンプ(註:「レバーブ」は現在「リバーブ」表記)の使用で、その効果を得ていると考えられる。
<ジプシー’66>の楽器の組合せ、6弦ギター2本と12弦ギターは、シタール、サーログ、タンブールの配慮に、また、ドラムとラテン.パーカッション2〜3の組合せには、タブラ−とムリダンガの配置にそれぞれ類似する。
さらに今一度、サボの発言から抜粋して参考に供すると、『私はアメリカで生まれたのでもないのに、アメリカのミュージシャンと同じようにみられている。しかし、実際のところ私自身のスタイルを説明すれば私は本当のジャズ.プレーヤーではなく、ジャズ.オリエンテッド.プレーヤーだと思う。
もちろん、その素材がフランスの音楽であれ、インドの音楽、ポップ.ソング、その他なんであろうと、ジャズというイディオムを通して表現しているからにはジャズであることには変りないのだろうが、私のプレイはジプシー的要素が多分に加味されたものであると認めざるえない』
この裏付けの一例としてB面終りの「スピーク,トゥ、、、」を挙げよう。原曲の和声進行も、メロディすらもサボ自身の旋法によって変型されている。このアルバムに限らず、何時ものことながらサボをサポートするリズム隊がずば抜けている。
サボに同化し切っているのだが、今やリズムメンはメロディ.プレーヤーと全く同質の音楽性を持てなくてはジャズの演奏は不可能である。
リズムメンの質の低さ、音楽性のなさに関して現時点では私は絶望している。
叱咤激励するような強烈なリズムなくしてどうしてジャズが演奏できよう。
サボはまた、ギタリストとしてのメカニズムが抜群である。
重音を押弦した片方の指だけのスライドなど名人芸であり、そのために要求される左指の神経とそのニュアンスの微妙さは、並な者にはできない。
裸線と巻線の選択の良さは<ジプシ−’66 >の「ピープル」後半のコード.ソロなどにその典型がある。
弦の音性はその材質と構造によって当然違う。特に金属性の糸を使用するジャズ.ギターは全体的には弦そのものの持つ音色にあまり変化がない。
因(ちな)みに、ジャズ.ギターの通常は1〜2弦に細い鋼鉄線、3〜6弦は鋼鉄線に細い銅線を巻いたものが原則である。
音色はどちらかといえばギターやアンプの電気的操作で左右される率が多い。すなわち、前者のトーン.コントロール、低音カット装置の有無とか、後者のトーン.コントロール、硬度の強弱といった(大雑把に挙げて)ものである。
さらにギターは弦楽器の中、撥弦(はつげん)楽器に属し、ジャズではピック奏法を主体に、現在では指頭(しとう)奏法も珍しくなくなったが、ここでも撥弦体によって音色は著しく変化される。
ことのついでに今少し詳細にいえば、指頭奏法には指頭の肉質だけのもの、指頭から爪を経るもの、爪だけのものと大別される。
ピックにしてもセルロイド、プラスティック、べっ甲等々多種にわたる材質があり、厚さも様々で音色が異なり、弦に当てる角度、そのタッチなどで変ってくる。
指にしても同様である。弦上の撥弦位置によってもまた、明確に変化する。ギター程変化のある音色が得られる楽器は、実は他にないのである。
この10数年前にパリでギターの独奏を聞いた(確かセゴビアの)作曲家の黛敏郎氏が『ギターの音色があれ程千変万化(せんぺんばんか)するとは思っていなかった』という意味のことをある雑誌に書いておられたのを憶えている。
角度を変えて見ればギター程奏者の境涯を直載(ちょくさい)に伝えてしまうものはない。人的質の高さを要求されるものはない。
その意味からお解り頂けると思う。
ご存知のごとくウエスの指頭奏法は爪なしであり、従って単音にぶ厚さと柔らかみを持つ。ダイナミズムはコード.ソロとオクターブによっているが、厚さ、柔らかさは撥弦体が肉質であり、またその面積を考えるとき解明する。
ジム.ホールの音色は多くはトーン.コントロールの操作によって、変化させていると考えられる。
サボの使うギターは共鳴板の表面に丸い穴のあいたもので、私の知る彼の二台の楽器ともそうである。
和声感覚の優秀さも<シック.シック.チコ>の一連のオリジナルから窺(うかが)うことができるが、管楽器の選択とあの音色の配合はある種の宇宙観なしには不可能である。
沢山の音塊(おんかい)から必要ぎりぎりの音色を絞りに絞って抽出させた感がするではないか。それでいて、アドリブ.パートの土台となる和声は大胆なくらいに大まかである。
それは、『その方がよく歌えるからだ。時々アウト.コードみたいになるが、それはサボがベーシック.コードの上を流れる展開された和声の観念でやっているからで、そんな時でも彼は強引に押し通してしまう。感覚が優れているから、それで通じるんだ。』(取意)との渡辺貞夫氏の言からも確信できた。
そしてサボ自身すでにものにしているシタールを使った<ジャズ.ラガ>なるタイトルのレコードが今春発売されるという。
すでにポピュラー音楽には、かなりラガ本来の姿を歪められてしまったことを、インド第1のシタール奏者、ラビ.シャンカールが嘆いているというが、サボが、ラガの純度を壊さずにどこまで処理するか見ものであり、聴きものであろう。
終りに、いかなるギタリストもサボのごとく精神的な空間と深さを描き出すことに秀でてはいない。
すくなくとも私はサボの音楽から一つの精神的手術、一つの啓示を受けている。
卑俗(ひぞく)な快楽を受好する群集のための鳴り物師たち、地球儀の極小の一点にむらがる愚を止め、このサボの澄んだ音楽に耳を傾け、彼の歩んだ茨(いばら)の道を聴け。
そして未来の資糧(しりょう)としよう。 高柳昌行 1967年4月
(参考:友寄追記:サボは1931年生、高柳1932年生。)振り仮名付記
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12:「ライブ-イヴィル/マイルス.デヴィス」:レコード評 高柳昌行
(1972年スイング.ジャーナル3月号)
音楽の根源的なるものに対するデヴィスの問い掛けは、めくるめくその変貌と共に、聴く者の胸に力強くプレイを通して楔(くさび)を打ち込んだ。ロック.ビートを中心とし、しかも従来のそれとは全く異った発想からなる。
極度の精神的.肉体的緊迫感は、ともすれば確信のなさから一人よがりに走りがちな前衛を気取るプレイヤーを片隅へ追いやり、高らかにそのテーマを謳歌(おうか)する。
第1枚A面の<リトル.チャーチ>、B面の<ネム.ウム.タルヴェス>、第2枚A面の<セリム>など、東洋的な雰囲気に深遠なる東洋哲学を示唆し、幻想的な東洋と一変したパワフルな、爆発的なエネルギーが聴かせどころの曲と対比が見事である、、、、。
、、、などと聴く向きもあろう。が、知名度、解説を離れ自分自身の耳と感性を以て触れた場合、極彩色ケ.ン.ラ.ンたる造花の、埃にまみれた態を目のあたりに見るごとく、ものの憐れを感じさせるに充分である。
ハッピーな、あるいは冷酷なライトの中に、自然の光りを置き忘れ、あっけらかんと失ってしまったものへの名残りも見せず、そんな自分をなおも売場にさらしている手を触れるまでもなく、香りを確かめるでもない。
巧妙になればそれだけ、生命のない空しさがあらわになるのは被うべくもない事実である。
必要なのは穿(うが)き違えた力強さではなく、単調さのみに求め近づこうとする自然ではない。
虚飾を追うため葬り去った自分自身の内部の自然であったのだ。
変貌するが身上と変り身の速さを誇るも良いが、じっくり成長し始めて本来の姿となる小さな一匹の虫の生涯がいかに自然そのものであるかを考えてしかるべきである。
大地から足が離れたとき、芸術を目ざした者の転落が始まる。
彼もまた、立派にその一人である。その音から語りかけるものがあるか?
彼の叫びが聴く者の聴覚を通してしみ込んで来るだろうか?
皆無である。
お定まりの、貧乏ゆすり、首振り、手拍子でリズムをとるファンに対する媚態(びたい)だけが生々しく感じられるのは、音に対する真剣さを失った証拠である。
詩の朗読にせよ、彼の欲する新しさはない。
その言葉通り明日を愛するなら、今日を真摯(しんし)に生きるべきであり、”音楽”を考えるべきである。
富める大国の心の歌を忘れた大プレイヤー.デヴィス万才!!
死臭を放ち、破滅へとひた走る 文.明.国. に最敬礼!!
1972年3月 高柳昌行
(参考:友寄追記:マイルス.デイヴィスは1926年生、高柳1932年生)
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13;「ウェス.モンゴメリー:ソリチュード/ライブ.イン.パリ」:レコード評高柳昌行
(1973年スイング.ジャーナル7月号)
元来が、欠落した精神の奏(かな)でる音楽を忌み嫌う質(たち)の人間にとって、将(まさ)にその典型たるモンゴメリー氏と直面させられる時、現象として怖気(おじけ)をふるう以外、何も起りはしない。
忌み嫌うの意は”鼻唄で解剖し得る”態の構造しかない処の義であり、怖気の意は聴覚汚染と時間浪費への悔恨(かいこん)の義であろう。
結論的に彼は過去形の人であり、コンセプション.レベルが低劣のゆえに、その音楽から精神のどの部分も何らの示唆(しさ)を受けない。一体どこが偉大で何故(なぜ)巨大なのか?
それらの言語は通常、卑(いや)しい姿勢で発せられる。
世上(せじょう)、鬼の首でもとったごとくオクターヴ奏法と喚(わめ)き散らす輩(やから)にいっておく。(以後、1-8 va=「註:オクターヴ奏法」と記す)
ギター.ボード上のそれらのフォームは4種類、2-8va(註:2オクターヴ)が1種、解放絃をダブらせる型では2種類の1-8 va(註:1オクターヴ)と2-8vaが得られる。
前4種と1種は可変的であるが後者(註:解放絃使用)は位置が限定され使用は頻度をあまり持たない。
すなわち、1-8va(註:1オクターヴ解放絃使用)で第2.第7.
2-8va(註:2オクターヴ)で第14 (註:E音6絃解放と4絃14フレット等). 第19ポジション(註:G音3絃解放と1絃19フレット等)のみであり、他は延長に過ぎない。
前者(註:解放絃を使用しない)をやや詳細するが指番号と絃番号は次の通り。
左指の人. 中. 薬. 小指の順に1.2.3.4 で表示し、絃は()印で囲み表示する、、(4)は第4絃といった風に、、、なお、これは世界共通である。(註:原文は、○印)
(6).(4).(5).(3)を1.3指(註:6絃と4絃、5絃と3絃)、または2.4指で押絃し、間に挟まる(5),(4)はどちらかの指で消音する方法「A型」、
(4)、(2)、(3)(1)(註:4絃と2絃、3絃と1絃)を1.4指で、(3)(2)は消音0(註:それぞれの組合せの間にある絃)「B型」、
(5).(2).(4).(1)を3,1叉は4.2指で(註:5絃と2絃、4絃と1絃)、(4)(3)と(3)(2)は消音「C型」, (註:それぞれの間に挟まる4絃と3絃、3絃と2絃の2つの絃を消音)
(6) .(3)を4.1指で(5).(4)は消音 [D型] の1-8va (註:例えば6絃8フレットのC音、3絃5フレットのC音等)と
(6).(1)を2.3指で、これは間に(5)〜(2)を挟むため、弾絃は右指を副えるか、右2本指で行なう[E]の2-8va ( 註:例えば6絃3フレットG音と1絃3フレットG音を右指でつま弾く2オクターヴ型)が通常に使用されるフォームであろう。
何れもピッキングは奏者により異る。
また、消音絃の多. 小によるノイズの問題等は割愛する。
さてこの中、彼の範疇で最も多用されるのは[A型] [B型]と推察され、曲により[E型] が加えられるが、オリジナルなギターラ.メカニモスから見れば下(げ)の技(わざ)に過ぎない(まして、それで可とする音楽に対する構えは転んでもシーリアスでない)。
ただ、それが通常より速いスピードで移動し得る一点で眩惑(げんわく)されているのだ。
他の重要な技巧を無視し、それのみに没頭して来れば速いのが当然、驚くに当らぬ。
だが、指の移動した先々であまりに多い彼のミスタッチは、果たして「速いスピードで移動した」ことなのだろうか。
限られた技しか持たず、しかもミスが多いのではメカと名付け難い。
残るはアマチュアイズムでしかないが、そのままフレージングにイコールし現出されて来るのが音楽の恐さだ。
限られた8va奏法では和声の分解が綿密さを失い、ために勢い縦割りの分解が多くなり、横の流れは粗雑となる。
そのうえ、グリッサンドガついて廻るというお膳立てである。
他の装飾技法を知らぬところがグリス(指を引きずる奏法)の多用となる所以だが、乱用に近いそれは感性的に全くコーニーであり、音の堆積(たいせき)もモダンなリズムから外れている。
この地平で共鳴し得る層がファンであり、リアリズムとは無関係に常に最大公約数を占めるわけだ。
この点ではすでにアナリーゼの作業を経ずして理解不能となる。
モダニズムの重要な条件は直線的ということであり、その組合せが如何様(いかよう)になされているかにある。
採譜して見るがいい、モダン(?)のベールに身を隠し、アドリブ.ラインは全く曲線的な似非(えせ)者が如何(いか)に多いかを知るために。
演奏者の根源がモダニズムに達成しない地点での仮装は直ちに剥がされる。
毛唐の寝言を聴いている時間はとうに過ぎ去った。
人間の迷昧を破り心が本道にかえり、出来たてのような心が眼をあけるそんな作品に接したい、、、、生命の戦慄がないものは、如何なる時にもいけない。これだけは動かせない、、、。
(高柳昌行/1973年7月)
(参考:友寄追記:ウェスは1925年生、高柳1932年生)註:文中表記など一部補足改良
14:新ホーヤレ節考:辺者錯乱 (SINPOSIUMジャズ評論を考える2)高柳昌行
(スイングジャーナル75年読本)1975年
およそ文字からなるもので、最も権威ある地位を与えられて持ち上げられ、あるいは不必要に恐れられ、同時に便利屋的に用いられる、最も曖昧模糊(あいまいもこ)とした存在こそ、あらゆる分野における評論と称されるものだ。
物事の善し悪し優劣、価値等々について評を下すには、どれほどの内質を自分自身に必要とされるかを厳密に思索しただけで、気の遠くなるばかり、ペン持つ指も震えるのはぼくばかりか。さもなくば、かくも豊穣(ほうじょう)なるその種の文章が半減しよう。
単なる物識り、訳知り、文字を出世の手段としか考えぬ連中に見られる、暗示的なもったいぶった文体、平易に言えば数行で済むことを得意満面、のばしにのばし、果ては何を表現したのか、結論もないまま答えは読者まかせというもの、お古い意見に自分の手垢(てあか)をつけただけの読み馴れたもの、はたまた、緊密(きんみつ)な仲間に求められれば、自分の乏しい信条など即座に投げ出す小心な、それでいて心ある読者が赤面する程の提灯(ちょうちん)持ちをする厚顔な先生方に依(よ)るもの、あらゆる自由な形をもって「批評」はなされている。
特に鼻持ち成らぬのは、無能をかくすため、借りものの博識ぶりに自ら酔う輩(やから)である。
いずれもうんざりする内容でしかない。
求められるべきは固定観念による依怙地(いこじ)さと思い上ったエゴイズムを捨てることだ。
その上に立って初めて、感情に溺れぬ鋭利な刃を振るうための、あらゆる感覚を錬磨すべく東奔西走(とうほんせいそう)せねばなるまい。
机にへばりついた、頭でっかちの、陰にこもった表情の男一人、酒の香りにひたりつつ、ひからびた指先でペンを動かすバックに流行りのロック、などという怪奇映画もどきのシーンからは、対象物たる「作品」に近づこうとする努力の一片もなく、ただ物欲し気な息づかいばかりが聴こえて来る。
単なるディスコグラファーでしかない。
批評意識を持てぬ音楽家に音楽することが出来ぬのと同様である。
音楽に言をしぼれば、一つの音楽を語るに、その音楽の思想、目的がいかなるものか、とするもの、歴史、現在いか様な立場にあるかを知り、彼の音楽する手法を識らねばならぬ。過去の解説、憶測によることは許されない。
「何か」をなした音楽家の中には、前述した要素、創造力と批評意識、音楽家と批評家が共存している。
ただし、成したとは秀(ひい)でた聴者から高い評価を受けたことであり、虚構による所得額とは係(かかわ)りない。
事実、これらの典型としての人物が史上各分野に点描(てんびょう)的に存在している。
が、内面の二要素が常時等質に働き、同結果を生むとは限らない。
したがって数多くの作品に接し、聴く行為の意味が重大なのだ。
いかなる場合にも、係(かかわ)り方は多数あり、多くのヴァリエーションは演奏者の実像をストレートに表出するだけに、ウスノロ、低能の類いは簡単に見すかされる。
再現音楽の分野における虚構はまた数限りなく、、、、それらのアバキは将来の行為として待たれよう。
いずれにせよ、人間そのものの構造が強靱(きょうじん)でなくては鑑賞に値するものは生まれない。
それらを部分として持ち得た演奏者、または演奏が、名演、名人、として記録されているのは現実である。
しかしながら、未だに内質の乏しい、流行ラインに遅れまいと汗水たらしての楽器集めにうつつを抜かし、その醸し出す音に自己陶酔する手合いがあとを断たぬのは、楽器の音、即、音楽として軽々しく祭り上げる、この世界の慣わしに引きまわされている証しに他ならないぬ。
この世界というほどに閉鎖的な、いじましく萎縮(いしゅく)したジャズの周囲は、ますますその本質を遠のき押しつけられる汚物の中でうごめき、それら味噌、糞一緒くたに乗せたベルトコンベヤーの行くえは見とどけるまでもない。
第一にほとんどすべてのアメリカナイズされた人間の単なるファッションとしてのお手軽な音楽は、自信喪失から音の中へでも逃れようとする未練たらしい野郎共が首をふり、指ならすための伴奏を努める結果となる。
こうした中から何かが生まれるなら、まずこの土壌を変質させることからなされねばならず、蓄積した諸々の汚物の上に芽を出す力を助長し得るのは、その中にある真摯(しんし)な共存者たる人々である。
自分を愛するばかりに、その保身(ほしん)のため、言を左右するも意に介さず、ただ、だらだらと音をたれ流す者、たれた音をごていねいに飾り立て、きらびやかなる言葉で装わせるばかりの紹介者に今、期する何物もない。
その結果、放出される数々の鬼才、天才、驚異の、強烈なる、世紀の、突出した、感動の名演奏に心安らぐきわめてナイーブな聴衆も同様である。
彼らは音よりも先に文字に依(よ)り、あるいは言葉に依っていとも単純に、しかも頑固(がんこ)に一つの観念を作り上げ、それに頼って音にたどりつく。
彼らの聴く音はその築かれた虚構を通り抜けるだけで良いのだ。
まして、その観念を裏打ちするフレーズも出ようものなら、手の舞、足の踏むところを知らず口笛吹きならし、大拍手とあいなる。
彼らはこの陶酔した自分に夢中になり、他にもそれに熱中する者を見出し、この渦(うず)は広がって行く。
理性を追放した者は汚れ果てたものの中にしか生活すること能(あた)わず、失った理性は彼の内に間違っても戻り得ぬ事実さえ、認められぬまま、まき込まれ、のめり込み 、、、、、、やがてぼんやりと祭りのあとの、にぎわいの消えた道路に突っ立ったようなうつろな思いを、それなりにどこかで感じ、とぼとぼと歩いて行く。
喝采を得るとはいえ、人間をより無気力なものにし、とりとめのない自堕落(じだらく)な時間に埋もれる傾向に拍車をかける生命疲弊(ひへい)のための音楽は、有害より悪であり、証左はかぎりない。
厳しさを知らぬ、ふやけ切って、何事にも耐える力を持たぬ人種にとってただ耳ざわり良い単調なくり返しと、いぎたない音の遊びは、彼らから思考力のカケラさえ奪い去り、ほおけ面(づら)は間のびし、背を丸め、ゆらめくごとき歩きざまで、次の刺激物を求めて行く。
音楽を聴く喜びも、感動を噛み締めることも出来ずに、音の中に逃れながら、音楽から離れて行くのだ。
彼らの好みもさることながら、それに輪をかけ、彼らを動かしたものは、最初にふれた音であり、それを讃嘆(さんたん)する手馴れた文である。
評を文字にする者の責任は大きい。文字は視覚から様々に自在な変化をなす可能性を持っているばかりか、一つの型を作ることも可能である。
直接、感性に訴えるよりも紆余曲折(うよきょくせつ)を経る状態で我々の内部に入り込む。
そしてふとした何かのはずみに鮮(あざ)やかに思い浮ぶことがあるように記憶に刻みつく。
場合によっては、瞬間に消失する音楽よりも深いところに突きささって残るものである。
小手先でひねったお座なり文章も、書く者のほんのお笑いでお茶を濁すつもりのものも、ひと度、読者の手に渡ればその言い訳は通用せぬ。
頭からマトモに受け、それによって左右される者もいる事実は、今一度、考えられなければならない。
評論家と称し、先生と称され自認する以上、あられもない乱文を活字に残すべきでない。
批評は技術だけでなく、その人間性、思想が骨組みとなり、対象とする作品に寄せる係わろうとする意志、作品との葛藤によって生ずる”檄(げき)”としてなされるべきだろう。
流行の言葉となったファンの代表などと甘ったれた立場はない。
それは単なる好き嫌いの感情に微塵(みじん)も動揺せぬ深みを持つのが理想であるが、常に純粋客観に立つなど、人間誰しも不可能であって見れば、オカタイことは抜きにしても、御用評論に生涯終るを目的とせず、自分の全生活を賭けた責任において物を書く態度を持つべきである。
古今東西を問わず、かような評論家が存在する以上、絶対不可能事ではないはずであり、それは自ら己れを見つめ直す時点から始まる。
狭い分野に齧(かじ)いつき呼吸するをやめ、自らの枠を取り払い、すべての分野に語りかけ、耳目(じもく)を澄(す)ますが先決である。
文字をもって音楽に対し、その中に無窮(むきゅう)の感慨(かんがい)を覚えた時、文章としての作品が成立する。
それは単なる売り物ではない。
歯の浮くホメコトバも、やさしさもないかも知れぬ。
しかし、そこにある生々しい躍動感と、厳しい真実性は、読者を、新たな価値観に目覚めさせるはずだ。
ろくに聴けもせず、なのに書きとばし、手頃な語彙(ごい)で片づけ、売名のためにはみさかいなく、両手もみしだいての笑顔絶やさぬ文章は、読者ばかりか音楽そのものを下等にし、日本音楽租界(そかい)を外国にくっつく「コトバイタダキ」的存在にとどめるどろう。
ジャズよロックよ、ホーヤレホウ!日本万才、ホーヤレホウ!!
高柳昌行:ギタリスト。1932年12月22日東京生まれ。
理論と音楽性を厳しく追求しているジャズ界の奇才。
現在、自己のニュー.ディレクション.ユニットで演奏活動を行なうとともにヤマハ音楽教室で後進の指導にあたっている。
(1975年度版。スイング.ジャーナル「読本」より)
尚、文中の振り仮名は次代の真摯な若者のため。現在の沖縄音楽シーンには皆無、総じて「俄琉球崇拝一獲千金屋」の類い。地元、本土人問わず。(1990〜2001年現在)(友寄隆哉)
15:コンサート評「バイ.マンスリー. コンサート」(文、役者:故 殿山泰司 )1976年スイングジャーナル4月号
1976年2月26日東京.高田馬場「Big Box]
高柳昌行(g) 藤川義明(reeds)原田頼幸(p)片山広明(ts)
赤坂から地下鉄で新宿へ出て国電に乗り換えて高田馬場へ行ったら、駅前のビッグ.ボックスという大きなビルはすぐにわかり、エレベーターに乗って9Fへ上ったら、目の前にビクターの関係らしい小ホールがあった。
どっと安心する。迷わずにココまでこられたので安心したのだ。あとは高柳昌行バイ.マンスリー.コンサートを聴くだけである。
10人ばかりのオ客サンがいた。
畜生!どうしてもっと聴きにこねえんだッ!バカヤロ!
こんな風景は何年か前の『ピット.イン』2階のニュー.ジャズ.ホールを思い出させるじゃねえか。
あれあれジョジョのエレキ.ギターと藤川義明のアルトとオレの知らないテナーとピアノの4人編成なんだ。
ノー. パーカッションでいつもの高柳のあの音がうまく出せるのか?
サックスのデュオはオレのココロをチカチカさせ、ピアノ.ソロは後半がグイグイとよかったぜ。
しかし何といってもラストのナンバーだった。オレ自身のこのふしだらなニッポン社会に在住する「怒り」を、これぞ「怒り」だ、と爆発させてくれる音なのよ。
きっとジョジョも怒ってるのにちがいない。怒らずにおられるかッてんだ。そうだろうミンナ?
ちがうのか?
グオン!!グオン!!と強烈な音にオレのアタマはどづかれ、ノー. パーカッションなんてのを忘れてしまった。
この音の中で形成される小宇宙の中でオレは、いつも、いつのまにか、あの「怒り」を忘れてしまい、顔がゆるんでニコニコとしてしまうのだ。
これは一体どうしたわけなのだ。
プレイが終って場内が明るくなってから、うしろのほうにポツンと坐っている、オレのジャズの友をふたり発見してとてもうれしかった。
(役者:殿山泰司1976年4月号、故人2001年現在)
16:ミニ.インタビュー 「高柳昌行のクールな世界」1980年1月頃?
『命あるかぎり、ハチャメチャにね、不完全でもいいから燃焼していなくては音楽でも何でもないんだ。それこそがジャズの精神だと思う。枯れた境地だとか、枯淡だとか、クソクラエだ。』
自身のトリスターノ研究の成果を世に問う力作「クール.ジョジョ」(TBM「註:スリー.ブラインド.マイス」)で混迷するジャズ界に挑戦状を叩きつけた、ギター界の鬼才高柳昌行の言葉は、次第に熱を帯び、力がこもってきた。
ジャズに目覚めてから今日まで、求道者(ぐどうしゃ)の趣(おもむ)きさえ漂わせながら、ジャズの本質とは何なのかを追い求めてきた高柳にとって、この新作は一つの里程標(りていひょう)であると同時に軽佻浮薄な(けいちょうふはく)方向へつき進みつつある現代のジャズ.シーンへの警鐘(けいしょう). 試金石(しきんせき)でもあった。
同作で高柳は40年代末期に一大勢力を築き上げたレニ−.トリスターノとその門下生、リ−.コニッツ、ロニ−.ボ−ルらの作品をとり上げ、”ク−ル.コンセプション”の精神に新たな息吹(いぶ)きを吹き込み、現代に蘇(よみがえ)らせた。
『クールという言葉でたまたま呼ばれているが、あの音楽の内面は凄まじく熱いものだよ。外面的には冷たく見えても、精神的な部分は手がつけられない程(ほど)熱く燃えているんだ。
日本でエネルギッシュだとかホットだとかいう言葉で表されるものは身体が燃え上がるような状態を言うようだが、本当は内面的に燃え上がっていなければ、熱いとは言えないと思うな。
そして、その燃える部分はやはりアドリブだと思う。ジャズの命は何と言ってもアドリブなんだ。
ミュージシャンが自身を最大限に表出できるクリエイティブな部分、アドリブが強烈な勢いを持っていなければだめだ、と今さらのように思うよ。
トリスターノ楽派の音楽にはそれがあるんだ。
平たく言えばジャズってのは、ニグロの腰ふりダンスだ。
しかし、音楽として存在し続けるためには高度な内容を持たなければならない。
そういう意味で、最も純粋なものを持っているのが、トリスターノだと思うわけ。音の羅列(られつ)の仕方だとか、ハ−モニ−など追求していくと、その高度な音楽性には脱帽するしかないよ。
現時点で考えてみてもその音楽性は1歩以上進んでるよ。建築の世界に移して考えてみればよくわかるがパーカーは装飾過多のゴシック建築、トリスタ−ノの音楽は、シンプルで優美な直線と曲線を見事に組み合わせた、近代建築なんだ。現代にも通じる美の極地だよ。
シンプルなホリゾンタル.ライン、それでいて、信じられない程良く考え抜かれた曲線性、そして複雑この上ない音の羅列。<サブコンシャス.リ−>なんて<恋とは何でしょう>のあんな簡単なコード進行からあれだけのリフ.メロディを生み出すなんて、ちょっと信じられないものがあるよ。
こうして僕がしつこいまでにトリスターノを追う理由の一つがそれなんだ。僕はジャズの”音楽家 ”だし、そういうジャズの内面的な質の高さを伝えていきたいんだ。
猿マネして黒人の雰囲気を伝えるのがジャズじゃないよ。自分の中で、自分なりに消化されたものをアドリブとして表出する。それこそが今僕がやり続けていきたいことなんだ。
それを失っちゃったら全部白紙。これは最後の歯ドメでもあるわけ。
でも、そういういいものはなかなか理解されないよね。
これは明白な事実だから、あえて言う必要もないが、音楽的な純粋さとコマーシャル性は両立しないものなんだ。
となれば、首のすげかえを心配してこうした音楽をとり上げようとするプロデューサーがいなくなるのも当然だよね。
そこへいくとTBMの藤井(武社長)さんは大将なわけでね。ジャズの本当に熱い部分に真剣に取り組んでくれて、うれしいよね 』
玄関わきのスペースを占領するほどの大量の書物に囲まれ、柔和な表情で語る高柳の言葉は多岐(たき)に渡った。
それは猛烈な破壊力を持った完全なフリー.フォーム.ジャズから、4ビートでグループ一丸(いちがん)となって一糸(いっし)乱れずスイングさせるクール.スタイルの演奏まで、驚くべき精神の柔軟性を持つ高柳の生きざまを如実(にょじつ)に物語るものであった。
『二兎を追うものは云々(うんぬん)というコトワザがあるが、僕はそれはまったく逆だと思う。力があるのならば、二兎だって追えばいいんだ。行動様式は幅広くありたいよ。
音楽についてはもちろんだが、あらゆる事象に対してそうありたいよね。さまざまなアスペクトに対して、開かれた眼を持ち、自己を練り上げてこそ、音に密度が出てくるんだ。
そういう意味で社会的な問題に目を向けてみるとベトナムだって終結していないし、戦後34年なんてこの国で言ってるけどウソツケってんだ。
今も持続するそうした欺瞞(ぎまん)を告発していくことも続けたいと思う。だからフリーを追求するニュー.ディレクションの演奏会では、その姿勢を代表してベトナムのフィルムを映写しながらプレイしている。
そういうテーマ、反戦思想は個人の中の運動だから、あらゆる面でにじみ出てくるだろうね。
今、月曜と火曜、僕の自宅で開いているギター教室でも、いろんな社会情勢にも目を向けるべく、読書会なんかもしてるんだ。
そういう活動の中からこそ、音楽表現者としての強みが出てくると思う。
それにしてもプレイヤーとしての自分を見つめてみれば、なさけないが、100点満点で60点くらいの位置にあるな。
満足いくまでにはまだあと10年はかかるだろうね。たとえば、アドリブ、即(すなわ)ちインプロバイズについて言えば、通常の和声の枠内で留まっていればどうしても堂々巡りに陥(おちい)っちゃうんだ。
ドルフィーなどはその頂点にいたんだと思うが、それを超越するのは、まさに神技だね。
僕がフリーの世界に踏み込んだのは一つにはその辺に理由がある。
グループとしてのインプロビゼーションにも大いに興味を持ってたからね。
ところで最近のフリー.ジャズのあり方というものを分析してみるとどうもうさん臭いものを感じるんだ。
本当のフリーというのは、全くマッ白のところから、うごめくようなサウンドを見事に構