友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか?ジャズから見る文化論
沖縄から日本を観る
沖縄から世界を観る
この項目は、小文であるが独立させておこう。
私が「アイデンティティ−(identity)」という言葉を知ったのは十台の頃である。
ユダヤ系のドイツ人の精神分析医、エリクソン「E.H.ERICSON(1902-1994」)が用いて一般に知られるようになったとされている。
ユダヤ系ドイツ人とは言うが、ドイツ系ユダヤ人とは言わない。
アメリカへ亡命したユダヤ人の一人である。
この言葉は、ラテン語で「同じもの」という意味から「繰り返して、再三再四」という意味までを語源としている、という。
「一貫して繰り返えされ提示しているもの」がその根っ子の概念である。
それが一般に流布(るふ)し、「個人が社会においてやるべき役割」と言った軽い「職業」的意味まで拡大しアメリカでは定着している。
場合によっては単なる「身分証明書」的な意味であり、また「これが私の個性である」と言った感じまで幅広い。
しかし、エリクソンがこの言葉に重要な意味を込めて使用した背景には、当然、ユダヤ人とナチスの関係が含まれている。
迫害されている我々ユダヤ人とは何だろう、と言う自己への問いかけである。
『ナチスがユダヤ人をなぜすぐに皆殺しせず、収容所で何年間も食わせておいたのかという謎に、ヒットラーはソ連を占領して植民地化し、そこへユダヤ人を送り込んで働かせよう、という計画があったからではないか、という指摘がある。これだとすべては氷解する。虐殺は侵略に失敗したため「無用」になったからだという。(「人間はなぜ戦争をするのか」日下公人(くさか.きみんど)三笠書房「知的生き方文庫P164~165)』
この言葉にはユダヤ人としての「存在理由」が崩壊し、回復すべきユダヤ人の「誇り」が込められている。
キリスト教でも長い間、「ユダヤ人=悪」という教えをして来た。
この事に関しては、2000年3月、ローマ法王がイスラエルを訪問し、教会がユダヤ人を苦しめて来た罪を公に謝罪した。
したがい、この誰でも使用するようになった「アイデンティティー」という言葉は、ユダヤ民族の歴史的背景から生まれた民族復興の願いを込めた言葉である。
「アイデンティティー」と言うのは、この人はなぜ自我が安定しているのだろう?という事を分析して行って出て来た概念である。
つまり、それが「わかった」時点で、もういらなくなるわけです。
その時点で、もう、無意識の領域に君臨し自己を支配している存在ではなくなるわけです。
意識下に表出して来た意図的な人工創造物に成り下がったわけです。
例えば、あなたが異文化と交流する際、その交流の助けとなるにふさわしい人物とはどんなタイプの人か?
それは、あなたの文化もちゃんと理解し、そして自己の文化も理解した者を選ぶのではないか?
通訳とはそうした様々な文化を理解した唯一の異国での「理解者」ではないのか。
ひとたび問題が起こった時、自国の文化ばかりを誇るアイデンティティ−強固な者とアイデンティティ−意識が希薄(きはく)な者とどちらが両文化の「仲裁」に相応(ふさわ)しいか。
ヤクザ、あるいはマフィアとしてのアイデンティティ−意識に溢(あふ)れた者。
右翼としての、左翼としての、宗教家としての、ナチスとしての、白人としての、そうしたすべてにおけるアイデンティティ−意識とは何か?
私は「ウチナワーンチュ」としてどこまでウチナワーンチュの味方をし、どこから敵となればよいのか。
私にあるのは、この島の風土と慣習と常識の中で暮らせるであろうという「癖(へき)」だけである。
私は異国の地で、最もアイデンティティ−が希薄(きはく)な者を見つけると安堵(あんど)するだろう。
オレは不良だから、と肉を旨(うま)そうに食べる、イスラムの若者に未来を見るだろう。
沖縄の風習を愛するキリスト教徒に懺悔(ざんげ)するであろう。
交差点で年寄りが横断する。
アメリカ人は、飛んで来て年寄りの手を引いて無事向こう側に渡して上げるとされる。
一方、イギリス人は、黙ってその老人の後ろから共に付いて行き、何事もなければそのまま消えるとされている。
それぞれの民族にその真髄(しんずい)となるアイデンティティ−が存在するのである。
私は、これを「癖(へき)」と言っている。
「癖」は無限に存在してよい。
固定は死、である。
他の文化で良いと思う所はどんどん真似ればよい。
文化の上下は武力の差で決まるものではない。
一人一人がそうしてお互いの「癖、流儀」を取り込んで行く事こそが大切な事ではないか。
大和魂(やまとだましい)、アメリカ、フロンティア.スピリッツ(開拓魂「かいたくだましい」)、どこの国にも魂(たましい)はある。
私は、つきあいたくもない人間をウチナワーンチュだからとつき合う気はない。
民族主義は、個人の思考の放棄(ほうき)である。
もし、存在するとするならそれは同じ境遇、同じ時間、同じ経験、同じ思想を共有する者への「同胞(どうほう)意識」である。
以上の事を私は、二十歳(はたち)くらいから実践して来た。
例え、異国の文化に所属する者の中に私が不快な感情を抱く者が多々いるとしても、私は、私と同様な大前提を持って生きている者がいないのだ、と考える。
私にも郷土愛はある。
しかし、それが無条件で私の大前提の大半を占める優遇者とは成り得ない。
あるのは、かつて多くの時間を共有し、同じ空間と、同じ境遇にあった人々への「慈(いつく)しみ」があるだけである。
そうした郷土愛は声高に叫ぶものではない。
勝者がいれば必ずそこに敗者が存在するように、何かを肯定すればそこに否定したものも生まれて来る。
それが個人であるなら、それでよい。
どんどん否定すればよい。
しかし、そこに、その価値基準で生きた民族の暮しがあるならそれはフェア−な宣言ではない。
それは「闘い」の予告である。
だから私は誰にも知られぬように秘かに私の「ルーツ」を愛するのである。
そこには未来へ向かうためのエネルギーだけが存在する。
過去は極めて個人的に存在するだけの「未来への念」である。
アイデンティティ−とは、人間を演繹(えんえき)法で暴力的に把握する手段と化してしまった鋳型(いがた)に過ぎない。
そこにもまた「自由」はない。
追記:
私、「世界のウチナーンチュ大会」から呼ばれないんです。
あまりにも無名で、お祭り向きじゃあないのと、沖縄風味がないからです。
だからアイデンティティーって嫌いなんですよ。
「ケッ」てなもんですよ。
「沖縄祭り」にしなさい。「沖縄祭り」に。
どの民族にもすばらしい風習と慣習があるわけですから。
一度はちゃんと言っておきたかった話しです。
そう思いながら20年が経ってしまったわけです。
ようやく、皆んなが関心を持つ言語になったようですから。
2001年11月7日(日)午前6時40分
PS: 11月10日
最近、沖縄の那覇市の国際通りを、機械じかけのような年老いた紳士が数センチ単位で歩いて道路を横断していたそうである。
止まった車もまわりの通行人も固唾(かたず)を呑んで見守っていたそうである。
そこへ、急に青年が飛び出して来て、老人を抱えて渡って行ったそうだ。
なるほど、これは沖縄流かな?
目撃したタクシーの運転手の新聞の読者の欄への投稿である。
その後、あたりには何かさわやかな風が吹いていたようだ、と感じたという。
う〜む。
青年よ。中々やるじゃないか。
この島に生まれてよかったぞ。
普段は怖い者知らずの若者島であるが、、。
私なら、その老人といっしょに数センチづつ歩いていただろう。
2001年11月10日、午後7時15分
これは十分ひとつの項目(こうもく)分に値する内容である。
今日(11月7日「水」)はライブで、疲れている。
相変わらずのひと瞬(まばた)きで数えられるほどの客である。
まあ、そんな愚痴(ぐち)はよい。
人間、持って生まれた境遇(きょうぐう)は甘受(かんじゅ)しなくてはならない。
あと何年もするとようやく私も己(おのれ)の器(うつわ)を知る事だろうが、しかしやっぱりどう考えてもよい演奏ではある。うむ。
そんな事よりも、とりあえず一部の県民を代表して触れておく。
今日、沖縄県の知事がバナナとゴ−ヤ−を持参して、私はあまり見る機会もなかった「ちゅらさん」のおばあ(私には「おばあ」という年齢ではないが、、、自分の母親と同じくらいであるからだが、、。)を引き連れ、日本の首相に陳情(ちんじょう)に行った。
ニュースで見た。
「沖縄観光おねげえしますだ、お代官様」と言う感じだ。
毎日7時間は寝るという経済界から派遣された人畜(じんちく)無害の善良な男と、突然、首相の地位が降(ふ)って来た男同志の久しぶりの御対面である。
何だか、ついこの間まで、ああいう中年二人が飲み屋にいたような気がするのだが、、、。
私は、そのバナナが台湾バナナなのか島バナナなのかが気になった。
食べ頃は後(あと)二三日を目算(もくさん)した青いバナナなのか、はたまた今すぐにでも食べられる熟した黄色いものなのか。
県議会で何を持って行ったらよいのか、をちゃんと協議したのだろうか。
とりあえず、私が「あれ」を選んだ覚えはない。
世の中は相変わらずバナナとゴーヤー次第でどうにかなるものなのだろうか。
人間は確かに猿から進化した、と言う事はわかった。
やっぱり、こういう事も、「ウチナーンチュ(沖縄人)」が「大和(やまと)民族」に先に頭を下げるべき事らしい。
追記:
久々に「アイデンティティ−」を感じるなあ。
2001年11月8日(木)、午前6時50分
アメリカのカリフォルニア州の都市「バークリー」が「空爆反対」の宣言都市としての名乗りを上げたら、全米から総非難を浴び、今では、街のホテル、レストラン等、いわゆる「客商売」の業者が客からボイコットされている、とニュースで紹介された。
ここは、カリフォルニア大学を中心とする「学術都市」と呼ばれている、という。
おかげで様々な商売が「上がったり」であるらしい。
こうなると、これは一つの経済制裁であり、「兵糧(ひょうろう)攻め」である。
(兵糧攻め:敵方への兵糧の供給を妨げて敵を降伏させようとする攻め方。食攻(じきぜ)め。「広辞苑」)
これをやられてもなお賛同者が出て来るだろうか。
「兵糧攻め」の目的は「仲間割れ」にある。
学生都市としての理念はりっぱであったのだろう。
全米各地から非難の郵便が来て、「テロは、バ−クリ−を攻撃しろ!」等と書いて送りつけてくる、という。
「正義」を貫(つらぬ)くには常にこうしたリスクがつきまとう。
ホテルもレストランもガラガラである。
個人の貫くべき正義が国家の「決めた」正義の前に屈する瞬間である。
「隊長、我々はこの派遣には反対であります!」
「君は、確か家族がいたな、何か他に仕事を探しておきなさい」
などと言われては大変だ。
今さら転職など不可能だ。
「銃、爆薬の扱いになれた方、要:戦車免許」等と言う仕事は朝刊を拡げても見当たらない。
かと言って職安(ハローワーク)へ行って見ても、「あ、自衛隊の方ですか、では、こちらの部屋へ、、ちょっと特殊な短期の海外出張の仕事のリストがございますが、、、、、」なんて紹介も受けられない。
どっかで言っていたが、特攻隊は長男を優先して選んでいた、と言う。
長男なら故郷の家族に弔慰(ちょうい)金を残してでも、という責任感から、いざという時逃げ出さないから、というのがその理由という。
次男でよかったあ、と言っている場合ではない。
しかし、そんな事は、会社のためにと海外に住む社員も同じである。
ようやく帰って来たらリストラ、である。
あるいは、会社倒産、である。
こんな状況で主張するべき個人の正義とは何か?
そもそも正義とは何か?
広辞苑を引いてみる。
1:『筍子「正名」正しいすじみち。人がふみ行なうべき正しい道』
う〜む。これだけでは意味不明だ。
「人」と言うのが何人(なにじん)か書いていない。
2:『漢書「律歴志上」正しい意義または注解。』
わからん。次!
3:(justice)
『ア:社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。
プラトンは国家の各成員がそれぞれの責務を果し、国家全体として調和があることを正義とし、
アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。
近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念となり、自由主義的民主主義社会は各人の法的な平等を実現した。
これを単に形式的なものと見るマルキシズムは、真の正義は社会主義によって始めて実現されると主張するが、現代ではイデオロギーを越えた正義が模索されている。
イ:社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。』
(以上、広辞苑より)
社会主義の話しは中国でアンケート調査を取らないとわからない。
個人の責務を果す事、能力に応じた公平な分配、各人の法的な平等、と言っている。
しかし、これは、一つの国家内で有効な法による平等の権利の事ではないか。
他国間同志の「正義」ではない。
つまり法的な正義はそれぞれの国家では別々にある、という事か。
すると「***をしてはならない」とする正義は、倫理上の問題であるのか。
おっとその前に宗教国は、宗教があるはずだ。
しかし、同じキリスト教徒にあっても「報復反対」を唱える都市もあるわけだから、これは倫理上の観点からの反対という事になる。
では倫理上とは何だろう?
広辞苑で”倫理学(ethics) ”を引いてみよう。
『社会的存在としての人間の間での共存の規範.原理を考究する学問。
倫理の原理に関しては大きく二つの立場がある。
一つは、これをア-プリオリ(先天的?)な永遠不変のものとみる立場で、プラトンやカントがその代表。
他は、これを社会的合意による歴史的発展的なものとみる立場で、アリストテレスや近現代の英米系の倫理思想の多くがこれに属する。』
(以上、広辞苑より)
これを続けると終りがない。
また、こうした言葉の探究が好きでない人にとっては退屈であろう。
それでは特別にここらへんをワープさせて上げよう。
(シュワッチ!)
、、、、、というわけで宗教を越える判断と言うのは、こうした倫理学や道徳科学、哲学、と行った領域になる。
これでよいか?
したがいバークリー市は、キリスト教を越えた概念で「報復反対」を宣言した、という事になる。
だからキリスト教徒の中でも孤立した都市となってしまったのだろう。
なぜ、同じ教徒内でも分化するのか、という最大の理由は、イエス自身が何も言っていないからだ。
だから自分たちなりの都合で解釈するしかない。
しかし、ここに一つの道が指摘された。
彼等は宗教を越えた概念による思考法も可能である、という事である。
倫理学、道徳科学、哲学、等である。
ここに「人間動物学」も入れてよいかもしれない。
残念ながらこの分野はまだ創造されていない。
私が今作った言葉であるからだ。
問題は、こうした「報復反対宣言」をした都市に対して非難を寄せる国民性にある。
しかし、よく考えてみれば対立概念に対してこうした行動に出る者はアメリカ国民に限らない。
日本だって十分にあり得る。
現に国民の支持を得た、と言って勝手に事は進行している。
一体、何時そんな問題の投票があったのだろうか?
私が、投票日を忘れたのだろうか?
誰か支持するメールを毎日送っているのだろうか?
国家の決断と反対の政治的立場を表明した音楽家は国家的行事には呼ばれない。
沖縄サミットで呼ばれなかった地元の民謡歌手もいるではないか(「花」を歌っている。おそらく政権が変わらぬ限り彼は、県の行事には今後も出られないだろう。)
私はこうなったら人間には、教育はいらないのではないか、と思う。
無辜(むこ)の人を殺すな!と宣言したら非難され経済苦を味わうわけだ。
そんな者でも、みんな生まれてすぐに洗礼を受け、毎週日曜日には教会で「平和」や「愛」の説教を聞いて育って来たわけだ。
もう教育はいいんじゃないだろうか?
読み書き算盤(そろばん)さえ覚えれば。
株の投資のしかた、とかはどっかの塾でも行って習って、もう勉強は終っていいんじゃないか。
後は、映画でも見て暮せばそれでいいんじゃないか。
勉強したい奴はやって。
別に学校行ったって最終的判断は大人もこんな手段しか取れないんだから。
相手国の悲惨な状況を見ても何も思わないんだから。
もっとも、テレビでそうした映像は、流させてくれないのだろうか。
いや、ちゃんとバークリー市は反対を宣言している。
さて、今夜の問題はこうしたテーマではない。
簡単な事だ。
正義を貫こうとする時にこうした経済制裁が加えられたら、どうするか、という人類普遍のテーマの一つである。
例え、りっぱな意見を述べようが、食っていけないのならどうするのか?
餓死するか?
失業してホームレスになるか?
このままでは何も個人の意見など言えないシステムではないか?
「水俣(みなまた)病」だって企業側は失業した漁師を就職させ、被害者側を弾圧する側に回したではないか。
これは弱者同志を分化させ双方を闘わせる、という必ず強者側が取る手段だ。
強者は寝てればよい。
今、海苔(のり)養殖をめぐって諌早湾(いさはやわん)の干拓(かんたく)工事問題がこの「兵法(へいほう)」を再び利用しているではないか。
沖縄の基地問題しかりである。
弱者同志を闘わせて強者はバケーション。(こんな歌詞の唄なかったか)
問題をバークリーにもどそう。
バークリーと言ってもアメリカ.ジャズ大学のバークリー(バークレー)ではない。
(あれはマサチューセッツ州ボストン市、ここはカリフォルニア州のバークリー市)
おそらくああした状況では「平和宣言」どころではない。
ではどうするのか?
それは、利害がからまない人間が支持して上げる事である。
不等に扱われている従業員に代わって、その会社の悪どさを言って上げるのである。
「ボケ、カス、アホ、ヘンタイ、バカ、アホンダラ、、、 (以下省略)」
まあ、その会社がそれで潰れたら、今度は従業員全員から恨まれるからほどほどにであるが。
新聞、テレビはスポンサーの悪口が言えないから不良品があっても知らんぷりしている。
他社のスポンサーには厳しいかと言えばそうでもない。
お互いが株主かもしれない。
またまた話しをバークリーにもどして、
一つ思い付くのは、世界に散らばる「報復反対」を唱える者でお金に余裕(よゆう)がある者は、バークリー市へ観光に行く事である。
これを旅行会社が「報復反対支持一泊ツアー」として格安で地元ホテルと契約し募集すればよい。
お金はあるが、行くのは嫌、あるいは忙しい、という者は、こうした参加者、特に、学生、若者のための「ツアー基金」に投資し代わって旅行をさせ「お土産」でももらえばよい。
世界中の支持者が「反対支持一泊ツア−」に参加する事である。
お金がない者は、基金を利用して行けばよい。
そしてバークリー側はこうしてやって来た者の名を「平和の壁」等と呼ぶものを急遽(きゅうきょ)建てて、刻んで上げればよい。
この名はバークリー市と反対に賛同した世界の人々とこれを格安で企画した旅行社の生涯の誇りとなろう。
いずれ子孫にも誇ってこの刻まれた名を示せる事だろう。
このテロはとばっちりである、と私は主張した。
『実は、大橋巨泉氏もテレビの筑紫哲也氏との対談ではっきりと「言葉に語弊(ごへい)があるかもしれないが、このテロは言うなれば「とばっちりでしょ?」と言った。筑紫氏も頷(うなづ)いた。誰も言えなかった勇気ある公の場での発言である。みんなもっと言え!』
しかし、アメリカ内部でこうした報復への反対が上がる事が最も有効で解決を早める運動である。
これを支持できなくては、他のどんな所で反対を唱えても無視されるだけである。
これを国家は支持できなくても民間が支持する、ことこそが後の歴史を作るのである。
私には、今、バークリー市を世界が支持する事こそが、いずれ起こる自己のための正義をもまた支持してくれる人間を作る事にある、と思えるのである。
こうして人間は、正義を貫(つらぬ)いていけるシステムを築き上げるのである。
少なくとも、私には、こんな主張を提示する力しかない。
無視するよりは、良いのではないか、と思われるからである。
私の音楽は人間に対してとっくの昔に何の力もなくなってしまったからである。
残っているのはこのサイトだけである。
2001年11月10日(土)
追記:
利害のない者が、支持してあげる。
これが正義を貫くための人間同志の「掟(おきて)」である。
情けは人のためならず。
これが倫理的基盤を形成するのである。
本当に、できるのはこれくらいである。
この項目のタイトルは「バークリーへ行こう!」が最初の思い付きである。
(「ニューヨークへ、、、」は、ノーコメント!)
ジャズ系サイトであるからだが、、、。
忘れられてしまったかも、、、。
まっいいか。
客がいないのには慣(な)れている。
しかし相変わらずの途中で席を立つ音楽的霊感ゼロの「モノ」(まだ「人間」ではない)は迷惑だ。
出された料理を半分食べ途中でプイっと席を立つ客に同じだ。
一つのりっぱな「批評」か、未知なものへの拒絶反応か、単なる「マナー」の悪い、自分を前途有望と信じている若者か。
まっ、どうせ「碌(ろく)な」音楽ではないけど。
PS: それにしても、ギター愛好家ってオタク集団は、あれは病気だな。
何十年もギターを四畳半に監禁して来ました、て感じだ。
もっとギター以外も聴きなさい。
頭に毒ですよ。
私、仲間じゃないですからね。
2001年11月10日(土)午前6時25分
普通の女の子なのである。
ただし、人一倍、正義感が強かったのである。
1945年は、9月の生まれである。
幼い時、持っているパンを近所の子が羨(うらや)ましそうに見ていると、それを小さく割って上げたそうだ。
すると、それを見ていた母親が、頭をポカンと殴り「大きい方を上げなさい」と言ったそうである。
父は、「物知りになるな、自分が正しいと思った事を貫け」と教えた、という。
やがて少女は、働きながら夜間大学へ行こう、と決め、進学する。
大学の授業料値上げ反対を率先して唱えた者の退学処分に憤(いきどお)りを感じ、入学したその日で抗議の「座りこみ」に加わる。
やがて少女は「日本赤軍派」へと進んで行く。
1970年、3月、赤軍派の一部の仲間は、日航機「よど号」をハイジャックする。
9名の乗っ取り犯は「よど号」にて北朝鮮へ渡る。
テレビ.マニアの私は、4月より小学5年生。
少女は、1971年アラブの地へ大学の同級生の男子と偽装(ぎそう)結婚を行ない、共に渡る。
彼が、好きだったから彼を選んだのだ。
26歳の頃である。
パレスチナ解放のための闘いに日本から前方支援に向かったのである。
敵は、パレスチナの地を奪ったイスラエル国家である。
イスラエル国家の秘密警察がゲリラを探る。
地下組織の活動だ。
様々に分化した組織によるパレスチナの闘い、である。
日本からパレスチナの民のために闘う者たちが来た、とようやく信用され、パレスチナの同志となる。
翌年、祖国日本の赤軍派は、追い詰められ、内紛(ないふん)の末(すえ)、1972年2月、浅間山荘に管理人の女性一人を人質に5名が篭城(ろうじょう)する。
この事件はよく覚えている。
警察は、水を放出したりして追い詰めた。
学生犯への説得にあたった母親等は揃って「ぼくちゃ〜ん」と呼び掛けた、という。
数時間を経て、強制突入により事件は解決を見る。
その後、同胞(どうほう)のリンチ惨殺(ざんさつ)死体が続々と発掘され「内部集団リンチ事件」が発覚する。
アラブの地で、日本の同志は、なぜお互いが闘うのだ、とこの事件を機に、1972年3月、少女は日本赤軍派に訣別(けつべつ)を宣言する。
その年の5月、日本での同胞の行動に失望した、同級生の男とその日本人仲間は、テルアビブのリッダ空港を襲撃し死亡する。
アラブ赤軍派として。
2000年11月8日、帰国し滞在していたホテルにて逮捕される。
容疑は、「ハーグ事件」の逮捕。
監禁、殺人未遂容疑、である。
『註:ハーグ事件は七四年九月、日本赤軍メンバー三人が短銃などを持ってオランダ・ハーグの仏大使館を武装占拠。大使ら十一人を人質に、仏当局に逮捕されたメンバー一人を釈放させて、五日後に逃亡した。
』
少女の名は、重信(しげのぶ)房子(ふさこ)。
56歳になっていた。
閑ならアレコレ検索して見るとよい。
http://www.kenbunroku.net/shigenobu/shigenobu.htm
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2000nov/08/25.html
後記
図書館をうろうろしていたら呼び止める本があった。
「わが愛、わが革命」重信房子、講談社、1974年。
テレビ.ライターとなった大学の先輩が手記とインタビューをもとにゴーストライターとしてまとめた本である。
当時のアラブでのパレスチナ解放のための闘いは、市民も、駐留している商社マンも、新聞記者も、皆んな彼女を秘かに応援し交流している。
本の裏表紙に寄贈した者によるのか、「三月七日、治兄さんより」と万年筆で記されていた。
見知らぬ、1974年の頃の「少女」の直筆のサインのようだ。
正義を貫く、のも大変だなあ、と思った。
逮捕され連行されたシーンをテレビのニュースで見た。
両手でピース.サインを出して笑顔でやじ馬に向かっていた。
ピースサインをしている意味がわかった。
(おそらく勝利のVサインであろう。「私は、大丈夫」という)
そういう少女だった。
人の一生は様々である。
誰も知らない「正義」だった。
たぶん「正義」に巻き込まれたのだ、と思う。
2001年11月16日(金)、午前5時16分
14:平和を守る(「イジメの考察」)「2001年11月20日」
何だか仲間になるのは嫌だな、と思っていた。
理由がわからなかった。
しかし、その謎も少し解けて来た。
平和、平和、と唱える「善人」気取りの連中だ。
例えば、仮に、「戦争!」「戦争!」って喚(わめ)く連中と比較するとその違いが歴然とする。
戦争、戦争と言う連中は、毎日毎日、訓練と称して「努力」しているのである。
あるいは、コツコツと「準備」しているのである。
当然、「戦争」に備えてである。
一方、「平和」「平和」と唱える者は何をしているのだろう、と視線をやれば、飲めや歌えの大騒ぎをくり返すか、じっとお部屋でおとなしくお勉強の最中である。
一体、どちらの生き方が「楽」な人生だろう?
こんな「日常」で良いのなら誰だって「平和」がよいに決まっている。
「私は、この暮しを守りたい」と時折、顔を上げ幸せそうに語るのだ。
当たり前ではないか。
誰だってそんな日々を送りたいに決まっている。
では、何者かがその生活を脅(おびや)かしたらどうか。
えっ? 話し合いをする?
誰と?
そいつとか?
獰猛(どうもう)な野犬だったらどうする?
当然、話しても通用しない場合の例だ。
「話せばわかる」と言う「祈念(きねん:祈り念ずる事)」が通用しない、としたらである。
言葉も通じない外国人で、最初から何かあれば「殺人」もかまわない、という強盗の類(たぐい)であれば、これは最早(もはや)「人間」ではない。
迷い込んだ獰猛(どうもう)な狂犬病の「犬」と考えてもよいのではないか。
その時になって初めて、いかに平和主義の心やさしき「善人」たちであっても、なりふりかまわず「闘う」しかないのではないか?
闘わずして犬の「生け贄(にえ)」になろう、と即座にアイ.コンタクトを送り決意できる特殊な家族はこの際(さい)外(はず)しておこう。
人類が学べる事は、その家族からは、一つもない。
なぜなら、彼等は、それでも野犬を「人間」の概念で捉(とら)えているからだ。
恐らく太古の昔に、犬と恋人同志であったか、夫婦であったのだろう。
その記憶が、まだ「全面消去」となっていないからなのだろう。
「強盗?それは警察の仕事だろ?」
確かにそうである。
しかし、今は、そんな場合ではない。
強盗が立ち去ってから「強盗が今来てたんですよお」と電話を入れてもそうびっくりしてくれるものではない。
やはり、ここは、「い、今、強盗(ごうとう)が来て冷蔵庫を開けてるんです!早く来て下さい!」と行きたいものだ。
ところが、上手い具合になかなかそうした時間は与えてくれない所が「強盗」である。
刃向かって、命を落としてもどうもいかん。
相手が、人殺し系なのか、でき心系なのかも不明である。
しかし、この判断も「どちらのケースのデータが頭の中の記憶バンクに納まっているのか」という違いで人により大きく変わって来る。
私は、即座に「これは殺人系だ!」と判断し、生涯、それを疑う事がない。
だから、隙(すき)あれば、何とか同等の反撃をしなくてはこのまま人生が終るはずである。
私の記憶バンクには、「こうして人生を終えた人たち」しか入っていない。
これが外国人であればなおさらである。
その瞬間、頼れる者は自分だけである。
これが「自衛」の発端である。
しかし、大切は事は、その前に、「近頃、物騒(ぶっそう)だな」という状況判断である。
あるいは危機意識である。
なぜ危機意識を持つかと言えば、「物騒(ぶっそう)」だからである。
にわとりが先か卵がさきか、のようなものである。
何事もないのに迷彩服を着て歩いている戦争マニアではない。
危機意識とは、的確な状況判断能力から来る「予測」である。
その予測に従い、未来へ起こるであろう「状況」に対して対策を立てておく事は当然の結論である。
何ら、対策を立てていない、とすればこの「予測」に個人差による「度合い」がある、という事だ。
一体全体、人間は、その「予測度」が何パーセント以上に達すれば、真面目に「対策」を立てるのであろうか?
私は、大体、50パーセントもあれば「対策」を練る。
私の第一次東京撤退は、1983年である。
あの「富士山爆発予告騒動」の ”Xデー(8月X日)”の前である。
当時は、それを裏付ける毎夜の地震で眠れなかったのだ。
おまけに6階に住んでいたために揺れも通常ではなかったのも原因である。
私は、当時、あまりの揺れに6階の窓から地面が何度も触(さわ)れたんだから!という法螺(ほら)を吹いていた。
しかし、帰郷し役所での転入の手続きの際、中学の頃の友人に偶然出くわした。
なんと、彼も全く同じ理由により帰郷して来ていたのである。
何とも言えぬ「戦友」意識をお互い覚えたものである。
「おお、君も撤退組か!」っつ〜感じである。
しかし、こうした危機予測に関して何でも我(われ)関知せずを決め込み、実際に危機的状況が起これば、何でも他者へ依存し、その責任さえも求める「平和主義者」とは一体何者だろうか。
自己の手を一切汚さず、いかにも平和主義の「善人です」というその全身戦意喪失感に溢(あふ)れた顔でもって主張して見せるのだ。
人間が生きる、という事は、そんな「善人面(づら)」をしていては生きていけない。
どこかで、その動物の身体を引き裂き、解体し、我々、「平和主義者」の前に「献上」している業者がいるからこそ、善人面して肉を喰らう事ができる。
あるいは、そうした作業により我々の日常品までもが既に献上されている。
靴、鞄、ベルト、ハンドバック、帽子、の類(たぐい)である。
だから私は、善人であるためにもベジタリアン(菜食主義)なのよ、と言う者もいる。
現代の科学では、植物にさえも「感情」がある事がわかって来た。
もはや言語とさえ呼べるコミュニケーションが、互いへの危険信号として木々の間で交わされている。
(「日本人と模倣(5:技術と日本人「生類憐れみの令」)参照)
何かあれば必ず、その裏で闇に処理してくれる「部族」に依存しているだけである。
(そうは言っても近所中のニワトリまで「絞めて」回った少年の頃の父は、さすがに自分で「絞めた」ものだけは食欲が湧かなかったそうだ)
しかし、その依存は、当然な権利と主張の上に自分より下層の組織が請け負って成り立っている、と言う物ではない。
何だってそうだ。
誰かがやらなければ、それは社会として機能しないからである。
残酷にも命も感情もある植物を「菜食主義」という名の下(もと)にバリバリ「喰らう」余地は残して置く傲慢(ごうまん)さには触れず、いかにも自己は、「正義の善人側」である、という大義名分を掲げ、肉食に依存する人間を非難するのである。
ただそれを「喰らう」だけの者に対してそこまで非難するとなれば、これを解体する業に従事している者など、もはや人間と見なしておるまい。
この世の中で自分だけが、最も「正義」に近い人間と位置づける思想の奥に潜むものは何だろう。
虐殺(ぎゃくさつ)の歴史を繰り返した「神」だけが、唯一、生き物を殺してよい、とする思想であるのか。
そうであるからその「信仰心」と一式パックの思想なのであろうか。
あなた方ねえ、ちゃんとしなさいよ!
これは警察の責任ですよ!
学校は何をしてるんだ!
教師は怠慢すぎる!
医者もデタラメ言うのは、いいかげんにしろ!
おい自衛隊はどうなってるんだ!
何のために税金出してるんだ、おまえらちゃんとりっぱに死んで来いよ!
等など、その権利の要求と主張に限りはない。
一人として「正義」を貫くための危機意識がない。
あるのは、ただただマスコミに踊らされ、飲めや歌えの大騒ぎができぬ自己の未来を按ずるだけの「防衛」である。
やくざの子を一人でいじめる子がいるか?
そうでなくともいじめの問題など、あっと言う間に問題を解決させてしまう凶暴な親もいる。
いじめた子とその親を見つけ出し、その日の内に「殴り込み」である。
子供は逃げないように授業中にかっさらって来る、その親は仕事中に呼び出し、話して埒(らち)あかなかったら全面戦争である。
マスコミや学校でも何でも巻き込んで授業なんざ当然ストップである。
友達なんか百人も作らなくても人間は十分生きていける。
学生時代の友達なんざ、つきあってもせいぜい2、3人である。
何十年も学校に通って2、3人とは実に効率の悪い人間の出合いの場である。
社会に出て「囲碁の会」でも参加すればみんな友達である。
何の遠慮(えんりょ)があろうか。
友達なんざいなけりゃいないで人間は十分人生を楽しめるようにあらゆる道は開拓されている。
中には、一人で洞くつに入ったまま中々出て来ない高僧もいる。
釣りでも覚えれば、一日中、一人でボーとしていられる。
飲み屋でも行けば、向こうから「友達だ」と言ってくれる。
どうせ、互いの保証人にもなってくれるわけでもない。
人間が生きていくためには、そうした「未来への危機意識」を持つ事は当然の行為である。
現在の状況から、様々に起こりうる「最悪の事態」を想定し、そのために備えておく、という事は、人間としての基本的な仕事である。
これを怠り、自らの怠惰な日常だけを維持したいがための「平和宣言」では、この先、何かが起こっても当然の結末を見る。
突然、勃発(ぼっぱつ)する戦争はない。
そこへ至る、緊迫(きんぱく)した状況が必ず二国間で起こっている。
何年にもわたり、起こっている。
戦争は、その最終的外交手段である。
国家が決定する最終的外交手段である。
したがい、その「最終的手段」を必死で回避(かいひ)するために「外交」は存在するのである。
一歩、社会へ出れば、あらゆる「敵」が潜んでいる。
「いじめ」もその一つである。
それが存在している、という現実の状況を何年も前から把握(はあく)しておきながら何らその対策も取らず、「平和」に暮して行くという事は、現代では「人間怠慢(たいまん)」である。
いじめを受けたらどうしたらよいか、
差別の対象となったらどうするべきか、
リストラされたらどうするか、
それらすべてを「家庭」あるいは「国家」は、既に想定しあらゆるシュミレーションは日々行なっておかなくてはいけないのではないだろうか。
危機意識を持つ、とはそういうシュミレーションの事だ。
武道家が、日夜、こう来たら、こう出る、しかし、こう出て来たら、はてどうしよう?、と考えならが日々を送る事に同じである。
そこで結論が出ない、という事は、即刻、「死」を意味する。
必ず、そうした状況はやってくるはずである、という現在の平和を愛するがゆえにこそ、日々そのシュミレーションを終えておかなくてはいけないのである。
「いいかあ、もしなあ、こうやって寄って来たらどうする?」
「うん、僕ならこうするな」
「いや、それでは、こう来られてしまうだろ」
「う〜ん、じゃあ、こうだ!」
「おほほほ、それでは、みすみすやられるのを待つだけでございます。お母様ならこうしますわ、おほほほほ」
このあらゆるシュミレーションの場が「家庭」である。
大人は、容赦なく子供を叩きのめすがいい。
そんなにやられるほどの相手は子供間ではおるまい。
「毎日、お父さんの相手をしているからパンチが止まって見えたんだよ、ぼく」
ああ、何と言う麗(うるわ)しき危機意識を持ち、平和を愛する家庭であろうか!
危機意識とは、現存する状況に対してそれを想定した何らかの「対策」をシュミレーションする事であり、存在もしない脅威を想像し怯(おび)える事ではない。
100万人以上もの県民が普通に暮している土地を遠方より怖れ、私は、危機意識があり、平和を愛する、何もしたくない人間の一人です、等と主張して見せる類(たぐい)のものではない。
ここ(沖縄)が現在「戦地」である、という「状況」はどこにもない。
学校には、「いじめ」がある、「学級崩壊」がある、という状況は「事実」である。
それが「事実」であるなら、こうした状況は、今後も起こりうるものである、という認識の前提の上に「危機意識」は生まれるものなのだ。
交通事故により加害者となる可能性は誰にもある。
この事実は、生涯、車を運転しているかぎり油断はならない、という事である。
これは、ある特定の種の人間にのみ起こるものではない、という事も「事実」である。
もしそれが「事実」であるとすれば、さらには、それが不特定多数の者へも起こりうる、という事も「事実」である。
とするなら、そこから我々は「危機意識」を持ち、そのための「対策」を導き出さなくてはいけない、という事なのだ。
「私は大丈夫」、という主張の根拠はどこにもない。
何も、飲酒運転だけが事故の原因ではなかろう。
「うちの子にかぎって」という思い込みにも何ら根拠はない。
現存する事実に対し、絶対に自分たちには起こり得ない、という根拠がない以上、「それは明日の自分かもしれない」という「予測」を立てる事が論理的には正しい帰結であろう。
うちの会社は、倒産しない。
うちの会社は、リストラしない。
うちの子は、いじめに遭(あ)わない。
うちの子は、いじめたりしない。
まさか自分がガンになるなんて。
もし、その後に何ら明確な論拠が用意されていないとすれば、それは「状況」をよく理解していないか、単なる、全能感(私は「神」に守られている)から来る「思い込み」である。
なぜなら、そうした被害者は、みな、「まさか自分が当事者になるなんて」と証言しているではないか。
危機意識を持つには、この一言で十分な条件である。
現在の沖縄という土地に住んでいる者でテロに遭い、死亡したという「事実」はあるか?
危機意識とは、実際にそれが起こった、という事例を元に、未来の自分にふりかかるであろう「危機」を予測してシュミレーションする事なのである。
現存する事例に対しては何ら「対策」を持たず、ただひたすら「平和」「平和」を唱え、肉食でない私は、「正義の人」であり「善人」そのものであるかのように主張し、見たくないもの、聴きたくないものの一切合済(いっさいがっさい)を「闇(やみ)」の世界へと追いやり、平和を主張し、善人を演じるのである。
一体、何が、「闇(やみ)」で何が「光り」なのだ。
光りは、断末魔の悲鳴を上げる植物をバキバキと喰らう人間の側の姿か。
一瞬の「技」と共に死への旅へと導き、人間界の糧(かて)とする生命業に従事する者は「闇」の世界の住人か。
戦場で追いつめられた人間が何を「喰らう」か、想像した事はないか。
人間とは、そうした生き物である。
弱肉強食の世界に生き残ったからこそ現在の人間界が存在するのである。
我々の遺伝子は、強者の歴史を脳にインプットされ、その「生命」を得たのである。
クビを長くする事もなく、鼻を伸ばすでもなく、ひたすら「闘って」生きる事を選択したのである。
そしてその闘いは、今、「人間」に向かったにすぎない。
闘わなくては生きていけない宿業(しゅくごう)を持った「生き物」なのである。
ならば、そこに存在するのは、その「闘い方」があるだけである。
闘う事を拒否する者は、黙して「死」を待つマンモスのようである。
「死」を持って決着をつけるは、人間が取る「最終的手段」である。
その最終的手段に至らないための方法を考え出す事が人間に許されたありとあらゆる「抵抗」である。
「平和」を維持するためのあらゆる「抵抗」を試みる事しかないのである。
どうしたら最終的手段を取らないような方法論を「創造」できるのだろう、とあらゆる叡智(えいち)を結集して一人一人が考える事である。
タリバン政権に「拉致(らち)」された、民間のジャーナリストを評して、福田官房長官の、「赤信号を渡った者をなぜ国の税金で救わなくてはいけないのか」というコメントがあった。
それでは、己(おのれ)らは、一体、何に国の税金を使って来た、というのだろう。
そもそも赤信号、青信号は、国家が気まぐれに点灯させているのではないか。
ついこの間まで赤信号だったものを今日からは青信号としただけではないか。
個人は、国家と闘うな、という天界の住人に選別された「特権意識」から来るものか。
いちいち無力な個人がでしゃばるな、という事か。
国民が死ぬも生きるも、わしら天上界の人間が決めるんだよ、という事なのだろうか。
沖縄サミットで湯水(ゆみず)のようにあれほどの「税金」を消費した、というのに、たった一人の国民を救うのにも文句を垂れて見せるのである。
天上界の住人の垂れ流す情報の何億倍も価値ある情報を彼は「見た」はずである。
「平和」「平和」と叫ぶだけが、平和を維持する方法論であるなら、祈祷(きとう)でも何でもすればよい。
いいか、本当に「いじめ」られるのが嫌だったらな、授業中でも何でもよい、そいつの後ろから跳び蹴りを喰らわすんだ。
こことな、このへんな、そこを打つと死んじゃうからな、それは最終的手段に取っておけ。
そこさえ避ければな、後は何でもいいや。
ずっとな、いじめられて暮して行くくらいならな、そんな奴、いつでもいいからな、殴っちまえ。
どうせ授業なんか受ける気にもならねえんだろ。
だったらいつでも攻撃してしまえ。
どうせな、社会に出たらな、そんな学校の友達なんか大してつきあわねぇんだからな、そんな事より「抵抗」するって事覚えろな。
やっちまった後は、今度は、お父さんの「闘い」だ。
おまえは引っ込んでおけ。
なあに、大義名分はこちらにあるんだ。
その証拠にな、その後、一切のちょっかいを出さないでいられるのはこっちの方なんだ。
一生、無視したって生きていけるんだから。
って事はな、その後にちょっかい出して来る奴ってのが「いじめてる」側って事を証明しているようなもんだからな。
ほれ、これもってけ、これでな、こことな、このへんを思いっきり殴るんだぜ、そこはダメだぜ、死んじゃうからな。
それは最後の手段だって言ってるだろ。
いいか、いつでもいいからな。
そいつを殴りたい、って思ったらなるべく大勢いる所狙ってな、殴っちまえ。
いつでもいいんだ。
だから、「いつにしようかなあ」って好きな時間を選んでな、いつでも殴っちまえ。
後は、こっちで何とかしてやらあ。
「お父さん、平和を守るって大変なんだね」
「何当たり前のことを言ってるのかねぇ、この子は、おほほほ、さあ、この絞め立てのチキンでもお食べ、今日のは、ちょっと手こづったんだから、お母さん、おほほほほ」
「ほらな、母ちゃんもがんばってるだからよ、おまえもな、がんばれよ」
後記:
事例もない危機に対しては、大騒ぎで対策を立てる。
それが危機意識だと思っている。
一方、事例がある危機に対しては、「自分には起こらないだろう」と何の根拠もないままにたかをくくり何の対策も立てないまま「平和」を念じて暮す。
しかし、実際に事が起こると何の「抵抗」もできず、これまたひたすら「平和」を唱え、相手にもテレパシーを送る。
その小っぽけな自我は、揺さぶられ続け親子共々崩壊する。
何年も前から事例が歴然と存在するというに「平和教」にあぐらをかいた揚げ句の末路である。
教育は、人間の生命を脅(おび)かす事項が最優先である。
まず、自己の生命を何としても維持できる自我の形成こそが最も大切な教育である。
家庭は、そうしたあらゆるシュミレーションの訓練の場である。
「いじめられたらどうする?」
「お父さんの仕事がなくなったらおまえはどうする?」
「今度も試験落ちたらどうする?」
えっ? そういう不吉な事は考えない?
おのれは、思っただけで世界を変えられる「神」か。
おのれが何を思っても世の中は何も変わらない。
死にもの狂いの努力をしてもダメだというのに。
その証拠に、何か良い事を念じて見ろ。
えっ? 実際それで実現した人もいる?
ポジティブ.シンキング(積極的思考)という奴だ。
でも、あれはそうやって実現した人が大喜びして他人の百倍叫んでいるからで、実際は、その一億倍は、挫折した者がいるだけだ。
彼等はしょんぼりと黙っているだけだからね。
でなきゃ、宗教なんか起こらないさ。
こんな悲惨な人生だけど、いつかは「天国」へ行ける、というわけだ。
無抵抗な生き物は絶滅し死んで行った。
これは、地球史の「事実」である。
「事実」であるから危機意識が生まれ「抵抗」を考え出すのである。
すべてはシュミレーション(仮想演習)しておくべきである。
戦争は人間が取る最終手段である。
隣にヤクザが引っ越して来た、とする。
テレビの音がうるさいと、やって来た初日で怒鳴り込んで来た、とする。
さて、あなたはどうするのか。
この先、一生、テレビを見ずに暮すのか。
小さなボリュームで、ずっと怯(おび)えつつ暮すのか。
答えは、各自で考え出すものである。
人は、「平和」を維持するために必死に考え、生きているのである。
どうする事もできなくなった時に最終的手段があるのである。
その前に、やってみる事はいくらでもある。
政治派閥の世界がその参考になろう。
様々な手口がある。
その前に自身の「抵抗力」をつける事である。
強そうに見える者ほど、その自我は脆(もろ)いんだ。
、
2001年11月20日(火)午前5時。
15:勝者の正義(「いじめ考:その2」)「2001年11月27日(火)」
前回は、いじめに関する私なりの意見を述べて見た。
主に、いじめられる側からの視点ではある。
しかし、元凶は、何と言ってもいじめる側である。
私は、少年犯罪が起きるたびに、その少年には興味がない。
そういう少年は一体、どのような親の下(もと)で育ったのだろう、またその親自身はどういった環境の中から親になったのだろう、と言う関心しかない。
なぜなら、いじめの問題なんか親の一言で起こるものではない。
「いいか、自分より弱い者をいじめてはダメだぞ、それは男らしくないからな」と言う一言である。
もしそうした忠告が最早、何の抗力もない、とすれば、それは既に親としての権威が崩壊してしまった、という事であるからそれまでの子育て方に問題がある事は確かである。
子育ては極めて思想的行為である、と言ったのは、故、伊丹十三氏である。
(私は、やがて、21世紀には、「突然自殺病」という病が認知される、と信じている。発病は、常に一人でいる深夜であり、お酒により自我が弛(ゆる)んだ状態の時である。これは誰にも起こる「病(やまい)」である、と了解している。作家サリンジャーの世界が抑圧されているからである。自殺を「恥じ、弱虫」等と抑圧しているからである。なぜなら、それは一貫した自我上にない、その人自身の統一された自我の連続である「歴史外」の発作的行為だからである。サイト向きでないむつかしい話しになるのでこのまま暗号のようにしておく。)
したがい、いじめに関しての元凶は、いじめる側の親の「思想」に問題があるはずだ。
昔のいじめは男女間のいじめが主流であった、と記憶している。
実は、私もさんざん女の子をいじめてしまった罪を背負って生きている。
その天罰は、その後、さんざん受けて来た、と思うのでそろそろチャラにしてくれないだろうか、と思う事がある。
ちょっと天罰の方がひどいのではないか、と思う事もあるが、報復の方が過剰なのは世の常である。
最近は同性同志のいじめが主流である。
当然、いじめにも様々なケースがあるだろう。
ああ、これはいじめられて当然だな、と納得してしまう子も確かにいる。
おそらく口先、権利主張系だろう。
相手は、口先で勝てないものだから不当な「いじめ」戦略に出るのである。
したがい、正義の権利主張も実際の「いじめ」攻撃の前では何の威力も発揮しない。
であるとすれば最初から「いじめ」戦略に出ればよいのだから「正義」の主張など元々どうでもよい。
最も頻繁なケースは、自分がやられたからより自分より弱者に対してその憂(う)さを晴らす、と言うものだろう。
これは部活動一般の先輩後輩の「儀式」であったりする。
必ず、根性の曲がった育ちをした先輩の一人や二人はどこにでもいるものである。
つまりそこには、「上を見てこれ良かざれと思わざりければ、これ下へ伝えず、右を見て、これ良かざれと思わざりければ、これ左へ伝えず、」と言う、うろ覚えの中国のことわざがあったような気がするが、そうした思想がないからである。
思想がない、と言う事は、誰もそれを伝えないからである。
なぜ伝えないか、と言えば、大人が知らないからである。
どういう事をしなければ、カッコが良いのか、という美学がないからである。
美学とは、それ以外の事は大抵やってよいが、それだけはやらない方がカッコいい、と言う事が一つでもあるか、と言う事である。
私が、女湯を覗いて捕まったとしても別に私の美学には反しない。
しかし、それをビデオに録って販売した、としたらこれは美学に反する。
こういう例えは、これ以上は書けないのでこれくらいにする。
つまり、大人が子供に伝えるべき「美学」がないままにあらゆる個別の事項を教えるからである。
数学の先生は、何も数学だけ教えればいい、というものではないであろう。
数学の教師である前に人間としての「美学」があるはずである。
それがないからそこには人間はなぜ数学をやるのか、という大前提がないままに教育してしまうのである。
数学を通じてりっぱな人間に育てる、なんて事は不可能である。
私の所に音楽を習いに来ても、大概、「話し」が主体である。
なぜそういう風に考えるのか、なぜそんな風に感じるのか、最近、何に感動したのか、世の中について何か不満でもあるか、それはどんな事か、面白い映画があるか、どんな本を今読んでいるか、あのマンガは読んだ事があるか、と質問攻めである。
私の役割は、音楽を教える事ではない。
楽器を上達させる事である。
あるいは音楽性を上げる事である。
私が到達した教え方は、生徒を目覚めさせる事である。
穴を掘っては埋め、埋めては掘る、という作業ではない。
いくら教えても目覚めていない者はダメである。
人殺しに兇器の使い方を教えるための教室ではない。
音楽をしたら様々な事が見えて来た、という事にならなかったら私は取り替えの利くどこにでもいるインストラクターである。
心配しなくてもよい。
いくら話しばかりとは言え、目覚めた者には技は一瞬で伝わるからである。
見てろよ、こうするんだ、と一瞬である。
不幸にも目覚めないままの生徒もいる。
何を懸命に伝えても一瞬で忘れ去られる。
毎日、無感動に生きている者に音楽など無用である。
感動を求める心が先であり、けっして音楽が先ではない。
何でもそうである。
人生は、あっと言う間である。
つべこべ並べ立てている時間はない。
歴史上、国家間で数々のいじめがなされて来た。
私は、テレビのドキュメント番組で不思議なやりとりを見た。
ニューヨークでのテロ地で、市民が報復反対派と賛成派で口論をしているのだが、ある黒人の若い女性が、「彼等は子供でもこのテロに賛成している、だから子供もみんな今の内に殺すべきよ」と発言したのである。
それを受けて、同じ報復派の若い白人男性が、「君は、あの民族をみんな殺せと言っているのか、それは民族虐殺(ぎゃくさつ)行為だろ!」となじったのである。
不思議だ。
黒人は、ついこの間まで民族闘争を白人社会の中で展開していたはずである。
その黒人の側がいったん白人社会に認知される「市民権」を得た瞬間に、今度は、他民族である社会へは、「絶滅させるべきだ」と若い黒人女性は主張して見せるのだ。
これを白人男性が非難したわけだ。
あれ?あべこべでないのか?
自分が、いったん強者の側の仲間になった途端に今度は、より弱者であるはずの民族の絶滅を唱える側に回るのだ。
なんじゃあそりゃ、である。
おそらくこの若い黒人女性は、生まれた時には既に「市民権」を得ていた世代なのだろう。
マーティン.ルサー.キング牧師を知らないのであろうか。
ここにも強者になった者がより弱者をいじめるパターンが存在する。
かつてのいじめられた自分たちの事は「なし」である。
元々、黒人解放を謳(うた)った南北戦争だって当初はそんな事が目的ではなかった。
その証拠に、奴隷州であるミズーリ州やケンタッキー州なども北軍に加わっていた。
リンカーン自身もさほど奴隷解放には熱心ではなかったという。
北部は、南部の発展した産業を手に入れたいがための大義名分を立てたに過ぎない、という。
リンカーンは「奴隷解放の父」と言うのも勝利者側の「正義」のためである。
実際は、北軍でも黒人差別があった。
別に北軍全員が黒人解放のために戦ったのではない。
実際は、戦争が起こってからしばらくして「奴隷解放」という大儀名分が掲げられている。
北軍の勝利で、結果として奴隷解放が始ったのだ、という。
でなければ、黒人問題など現在も続くわけがない。
南北戦争は、1860年にリンカーンが大統領になった翌年から1865年の南軍の降伏までの期間である。
白人にとっては、現在も、黒人、日本人、メキシコ人は同じだという意識である、と一般市民として定住する者は感じるという。
子供が、「ジャップだ」、と叫んで指を指された者もいる。
同行の母親は、「そんな事を言ってはいけませんよ、ジャパニーズと言いなさい」と注意した、という体験を語る者もいる。
誰が子供に「ジャップ」などと教えているのだろうか。
歴史と言うのは常に、勝者側が書くものである。
天武天皇の子孫によって書かれた「日本書紀」のようなものである。
以下は、ある本の一部要約である。
ナチスは6百万人のユダヤ人を虐殺(ぎゃくさつ)した。
しかし、スペイン人はコロンブス以後約半世紀の間にインディオを2千万人虐殺している。
ドイツ人は、ユダヤ人に莫大な賠償金を払った。
ヨーロッパ人はドイツの罪は責めてもスペインの罪は責めないという。
スペイン人の罪は500年前の昔だから、という理由では通らない、という。
なぜならドイツ人の罪には時効の対象外とされるほどの罪とされている。
なぜ歴史上、ドイツ人による大量虐殺は大罪となり、スペイン人のインディオ虐殺はその3倍以上と言うのに罪とされていないのか。
この理由を、ドイツ人はユダヤ人だけでなく、フランス人、イギリス人、アメリカ人、ロシア人などの大国にも大損害を与えたからだ、という。
彼等を怒らせたら大変だからである。
一方、スペイン人が虐殺したのはインディオだけだからではないか、という。
インディオは弱小民族であり、虐殺しても気にならなかったのではないか、という。
ユダヤ人は「白人」であり、ヨーロッパ人と共通の文化を持っているが、インディオは白人ではない。
白人から見れば単なる野蛮人である。
ゆえに、ユダヤ人を虐殺したのには気が咎(とが)めたが、インディオはどうでもよかったのではないか、という。
さらにユダヤ人は、戦後、イスラエルという国家を持ち、この国家はアメリカの強力な支持を得ているため、世界への発言権もあり、かつての被害を大声で述べる事ができる。
しかしインディオは、その国家をスペイン人に滅ぼされて以来国家を持っていない。
スペイン人などがつくったあちこちの国家に被支配民族として散らばっているために言いたい事が言えないのだ、という。
スペイン人もインディオに謝罪すべきだ、と言う。
(以上、「二十世紀を精神分析する」岸田秀、文藝春秋 1996年より抜粋引用)
インディオの民族の立場は、現在のパレスチナの民族の問題に似ている。
ただインディオの民は、ひっそりと肩身を狭くしてよその土地に住む、という運命を500年以上も甘受(かんじゅ)しているだけである。
歴史は常に勝者の側に都合のよい「大義名分」で満載である。
ビートたけしの「アンビリーバボー」を見ていたら数々の「冤罪(えんざい)」を取り上げていた。
ある4、5人の兄弟姉妹と女性を交えた友人の一行が、マレーシア?かに知り合いの現地ガイドを頼んで旅行を計画した。
大体、50歳台前後が中心である。
現地に着くと、ガイドは、用意した車に荷物のバッグを積むとよい、と空港で指示した、という。
言われた通り、数名が荷物を預けたら、レストランで食事中、ガイドは駐車中の車から荷物が盗まれた、と知らせて来た、という。
一行はショックを受けたが、翌日、荷物が見つかった、とガイドは言って来た。
しかし、その荷物はなぜかスーツケースに入っていた。
ガイドが言うには、バッグはすべてずたずたにされていたのでスーツケースに入れ替えた、と言った。
中を開けて見ると、ちゃんと自分たちの持ち物があった。
重かったが、ガイドがすべて運んでくれたので気にならなくなった、という。
一行は次の目的地オーストラリアでスーツケースを買い替えよう、と計画し、オーストラリア入りした。
しかし、そこでスーツケースから麻薬が発見される。
一行は、必死で現地の観光課から派遣されたという日本語の通訳を介して調書を個別に取る。
警察は、では、何ものかがそのスーツケースを取りに来るはずであるから、おとり捜査に協力してもらいたい、と依頼する。
一行は、心よく協力する。
しかし、犯人グループは現れず。
警察は、一転して、一行を麻薬グループとして逮捕する。
裁判では、最初の調書をもとに行なわれた。
しかし、その調書が、でたらめな通訳をもとに作成された供述であった。
通訳の日本語の聴取能力が初級であり、警察へは自前で即座に作った適当な返答をしていたのである。
日本語の上級者のふりをしていた通訳だったのである。
オーストラリアでは、こうした取り調べの一部始終もビデオに収められちゃんとでたらめ通訳の姿も記録されている。
通訳は毎日変わる。
こうして、一行は裁判で有罪となる。
裁判も通訳から一切の発言を制止されたのだという。
何と、それが現在も服役中で9年目にあたる、という。
これはまるで昔みたアメリカ映画の「ミッドナイト.エクスプレス」のようである。
アメリカ人の青年が、トルコ旅行かなんかで空港でマリファナが見つかり投獄され何十年も過ごした映画であったはずだ。
実話をもとにされている。
日本の弁護団がようやく立ち上がり、マレーシャでのガイドを探すが、ある犯罪で服役中であった。
そして彼から、「あの一行はスーツケースに麻薬が入っている事は知らないはずだ、何もその事は私が言っていないからだ」と証言する。
しかしそれでもオーストラリア政府は、一度調書をもとに下った判決であるから訂正できない、としている。
弁護団は、現在、国際連盟にもこの事件を申請中だと言う。
一行の中の女性は牢獄の中で自殺を企て未遂(みすい)に終ったりしている。
男性側の中では病に倒れている者もいる。
今年で、とにかく9年目である。
こんな事件を平然と一事件としてテレビで流せるものなのであろうか。
また、平然と番組として語れるものなのだろうか?
こうして捕えられている観光客が、外国には、160人?くらいいる、とか言っていた。
オーストラリアと言えば、観光地ではないのか。
日本からの観光は、経済にも大いに貢献しているのではないのか。
私は、こんな無力な国家と単なる番組での話題として「消費」していく民族が恐ろしいと心底思った。
あれが自分ならすべての人生は終りである。
それを国民は、単なる話題として一時語るのみである。
9年間の投獄生活で自国民は、その程度の関心しか示さないと知った時、何を思うのだろう。
20歳の頃、同じく無罪を主張し続けて90歳?を越して死んだ帝銀事件の犯人とされる画家の冤罪を晴らすためのグループによる東京は新宿での展示会を見た。
人の一生を何と思っているのだろう。
これらは、正義感から言うのではない。
これこそまさに「明日は我身」である。
何と言っても恐ろしい事は、何十年も冤罪で牢獄されている間、国民は、誰も関心がない事である。
投獄された者の中に有名人がいたらどうか。
政治家がいたらどうか。
あるいはその関係者がいたらどうか。
何ともやるせない「正義の国民」である。
オーストラリアは観光地である。
日本からの観光客は、オーストラリア経済に莫大な利益をもたらしている事だろう。
あれから9年経ったのだと言う。
傍観する人間も「いじめる側」なんだろうなあ。
見なきゃよかった。
オーストラリアは観光地である。
日本人の観光は重要な経済源である。
2001年11月27日(火)午前6時21分
時折、新聞紙上に、アメリカはイラクへの攻撃をも考慮(こうりょ)中、と言うような見出しが出ていたりする。
忘れた頃に必ず今度はイラク攻撃だ、と出て来るのだ。
では、アメリカにとってイラクとは何なのだろう。
そこで、少しお勉強しておこう、と思う。
今回はちょっとむつかしいが、重要な基礎知識である。
知っておくと今後の展開も預言できる。
何で、イラクが出て来るのかなあ〜、と考えて見たら思い当たる本が浮かんで来た。
日下公人(くさか.きみんど)「人間はなぜ戦争するのか」(三笠書房2000年5月)である。
この本によると戦争は、政治上の最終決定政策であるから「政策」が決定すれば、後は、それをいかに効果的に遂行(すいこう)するか、を考えるのは論理的に当然の努力である、という。
なるほど、日本の突撃玉砕(ぎょくさい)思考は、戦略としては全く無意味な作戦である。
ただただ「討ち死に」する事が「美学」である、とする指揮官の傲慢(ごうまん)な自我の押し付けである事がわかる。
現に、できるだけ玉砕をさけ長期戦に持ち込み、終戦を待ち、部下の命を救った指揮官もいる。
オレが気に入らない奴は、おまえらも嫌えよ、と何らその論拠も示さず回りに押し付ける人間でしかない。
とにかくそう思ったから回りもそうしてほしいのである。
こうして政治家が最終的外交手段としての「戦争」を選択すれば、後は、自国民と他国へ向けての「理由」をつくる。
国内向け版と外国向け版の理由が違うものも当然ある。
一体何で戦争しているんですか!
あっ、あの〜、え〜と〜、
そ、そうだ、黒人奴隷の解放ですよ、
いやあ、何ね、黄色人種の分際でわれわれ白人になり代わりアジアを支配しようって企(くわだ)てをしてるもんでね、ちょっと生意気じゃないですかあ〜。
えっ?何で我国が戦争しているか?
そ、そりゃあ、き、君、
アジアの地を白人の植民地化から解放するためですよ!
我々がやらねば、誰がやりますか!
いじめるなら直接、アジア人の手でいじめられた方が彼等も納得が行くでしょう?
等という理由を徹夜で考え出したりするのである。
政治家は上から考え、軍人は下から考える。
軍人は現在の手持ちの兵力でできることを考え、それを政治家の判断材料に提供する。
この二つがバランスを保ち、正しい「戦略」を考え出せる、という。
湾岸戦争(1991年)の頃、イラクがクウェートから撤退を始めた時、パウエル(当時、統合参謀本部議長、2001年現在、国務長官)がブッシュ(現アメリカ大統領の父)に、「もう24時間やらせてくれ。あと24時間あれば、イラクの戦車部隊を全滅できる」と言ったがブッシュは却下した、という。
フセインの軍団を全滅させれば、喜ぶのはイランである。
イランとイラクがにらみ合ってくれるのが、アメリカにとって一番都合がよい事は、開戦前も開戦後も同じ。
ブッシュは当初、戦争目的として侵略者を罰すること、クウェートの王権を回復することの二つを声明したが、それは表向きで、アメリカの窮極の利益は、クウェートの石油確保とサウジへの影響力確保だった。
その後、ブッシュ(父親の方ね)はなぜ「フセインを戦争裁判にかける」と宗教戦争のような事を言ったのか。
その理由としてブッシュは頭に血がのぼっていたからだ、という。
(似てるなあ親子があ)
アメリカ軍のパイロットが捕虜(ほりょ)となり、顔にアザをつくってイラクのテレビに出てきたのでカッとなったのだという。
ブッシュはかつてアメリカ軍のパイロットとして日本軍との戦いにのぞみ、父島の上空で乗機アベンジャーが撃墜(げきつい)されパラシュートで降りる際、「もしも地上に降りたら、日本人は人食い人種だから食われる」と思って海を目指し、数時間泳いだのちに奇跡的にアメリカの潜水艦に救われた、という二十歳(はたち)の頃の自分を見たからだ、という。
しかし次第に頭が冷えてくると、フセインの戦車軍団を潰滅(かいめつ)させるのは、かえって損であることが見えてきたからだという。
湾岸戦争の頃、日本はアメリカの戦争目的の一つ一つについて、賛成か反対かを言うべきだった、と日下氏は主張する。
その後、ブッシュは、戦争目的を追加して二ヵ条から六ヵ条にした。
この手紙が「ニューズウィーク」紙上に署名入りで掲載された。
戦争目的の追加を国民に告知しているのである。
日本の出した130億ドルの金は、この追加目的にあったのだという。
しかし、外務省に限らず、官僚は総じて気にしなかった。
日本の外交官試験には、戦争についての試験が全くない、という。
戦争についての知識がまるでない、のだと言う。
個人的に戦争の本を読んでいる人は暇な人間として出世しない、と言う。
外交官の最大の任務は、戦争を起こさないため、である。
戦後、日本は、外交と防衛はなんでもアメリカの決めたとおりにしていればよい、という時代が長く続いたからである。
政略と戦略を決定すべき政治が、機能していない、という。
(以上、「人間はなぜ戦争をするのか」より)
現ブッシュ大統領の父親の気質は少しわかった。
ではイラクのフセインとは何者だろう。
小室直樹氏によれば、湾岸戦争により従来の戦争の概念が変わったのだ、という。
1989年から1990年にかけての、ベルリンの壁の撤去、東欧における雪崩(なだれ)現象、ソビエト帝国の崩壊、マルクシズムの没落、などに比較すれば誰しも、イラクのクウェート征服なんか取るに足りない事件だと思っていた。
しかしこの事件こそが世界史的大事件だ、という。
戦争という概念が全く変わったからだ、という。
それにともなって国際法、国際政治が変わったのである。
世界史は戦争の歴史といわれている。
しかし戦争はあらゆる面から見ると、それぞれにその持つ意味が違っている。
同じ意味をもつものはなかった、という。
近代戦争の概念が成立したのはナポレオン戦争である、という。
つまり、その勝敗が世界を変えてしまう戦争である。
これまでは、戦争の勝敗が世界まで変える事はなかった、ということだ。
ナポレオン帝国は、ウォータールーに亡(ほろ)んだ。
ドイツ帝国は、ケーニヒグレッツ、メッツ、セダンの大勝の上に築かれた。
そうでなければ、フランクフルトで、何十年討議を重ねても、関税同盟の統一など結実する事はなかったであろう、という。
このような統一的政策を可能にしたナポレオン戦争を境(さかい)として戦争のもつ意味が変わった、という。
それ以前は、わずかな領地を争い、それに勝利すれば軍人としての名声を得て、あの国は、今何番目に強い、等という程度の「地位」を争った戦争でしかなかった、という。
いわば、軍人としての最高の地位、名声にはその領分があった。
しかし、コルシカの名もない下級貴族であるナポレオンが出現し、皇帝にまでなってしまったのである。
これがヨーロッパのシステムを根本から変える事となった。
皇帝になったのは、すべて戦争勝利のおかげである。
「皇帝」とは、世界中に唯(ただ)一人、という事になっていた。
(それ以外は、「王」、さらには「大王」である)
ヴィクトリア女王も、インドを完全征服すると、「皇帝」の名を持つようになった。
プロイセン王国は、1701年に成立した。
ブランデンブルグ選帝候が、プロイセン王に任命された。
これを任命したのが、あのコルシカの下級貴族の出から戦争の勝利によって皇帝にまで上りつめたナポレオンである。
ヨーロッパの伝統では、名門中の名門でないと選ばれない地位である。
ブルボン家でも皇帝になった王はいない。
ナポレオンはすべての伝統を打破した。
その載冠式、チャールズ大帝もオットー大帝も、自らローマに赴(おもむ)いて、跪(ひざまず)いて法王に帝冠をかぶせてもらった。
しかしナポレオンは、ローマ法王が冠(かんむり)を載せようとするのを手で制止した。
彼は、かかりつけの床屋を呼びつけ、自らの手で頭に帝冠をのっけてしまったのだ、という。
ヨーロッパの神聖なる伝統が、戦争に勝利した男によって崩壊した瞬間である。
こうして様々な戦争勝利者が生まれ従来の伝統、慣習を打破していった。
やがてできあがった大国同志がすべての世界的事項を決定する、という列強政治の時代が始る。
日本人の好きな国際連合などは、「世界中から田舎の議員が集まってあれやこれや言っているにすぎない」と発言した議員もいたという。
考えて見れば当然である。
戦争で勝利する事ですべてが決定できるというのに、いちいち、弱小国の決定など聞く必要はない。
大国同志で世界のすべては話し合って決定すればよいのである。
これが「列強政治」である。
現在はアメリカに逆らえば何をされるかわかったものではない。
すべてはアメリカが中心となって進めなくてはうまく行かない。
「米(べい)ちゃん、ちょっと水を飲み過ぎでしょ、残り少ないんだから!」
「うるせぇ!オレは人の百倍水を飲むんだ!このやろうめぇ!」
「キャー、キャー、たすけてえ〜国連君」
「米君、や、やめたまえ、聞こえてるのか、米君、やめなさい!おいってばあ」
「う〜ん、何だか聞こえてない見たいだよ、その内、飽きるだろうからもう少し我慢してよ」
という状況である。
こうした中、1990年8月、イラクのフセインがクウェートに侵攻した。
ここにこうしたすべての国際的慣習であった暗黙のしきたり、国際法が死んだ、という。
「列強の意思には、すべての国が従わなければならない」という国際政治の暗黙の了解、鉄則が、フセインという男の行動によって、打ち破られたのである。
ねえ、米(べい)君なんとかならないの!
そ、それがねえ、なかなか手強いんだよ。
まさかアレを使うわけにも行かないしさあ。
え、あの子、そんなに強かったの!
これで、フセインの名は、世界歴史上に輝かしく記録される事となる。
米ソをはじめとする「世界の意思」が、フセインの意思決定をどうする事もできなかったのである。
この事が、湾岸戦争の持つ意味がいかに大きなものであったかを知るのである。
フセインは敬虔(けいけん)なイスラム教徒である、と伝えられている。
聖戦で死ぬ事は本望(ほんもう)である。
イスラム世界の防衛のための戦いは聖戦である。
21世紀は、この戦争の解析から始るであろう、と小室氏は1997年に述べている。
湾岸戦争はアメリカの正統性を全くもたない戦争となった。
ヴェトナム戦争は、アメリカン..イデオロギーの正統性を主張する戦いであった。
アメリカには、ロシアという強敵がいた。
アメリカには、共産主義の脅威から自由世界を守るという大義名分が成立していた。
朝鮮戦争(1950〜1953年)もまた、アメリカ側にとっては、共産国から韓国の自由を守る、「正義の戦い」であった。
しかし湾岸戦争にいたっては、そこには何の「正義」も見出せない、という。
では何のためにアメリカは戦っていたのか?
アメリカは、クウェートにおける差別と専制政治恢復(かいふく)のために戦っていたのだという。
これがアメリカの目的だった、という。
クウェートにおける買弁首長((ばいべん.しゅちょう:外国資本への奉仕によって自国の利益を抑圧する統率者)の人民抑圧は目にあまった。
人民への差別、その専制、独裁ぶり。
しかも、その改革のための運動の一切が、何ら実効性をあげていないという重要な問題。
こうした点でアラブ君主国の現状を見ると、エジプト.アラブ共和国などは君主制ではないが、その人民への差別、専制においては同様であった。
その差別解消へ向けての努力も運動もほとんどなされていない。
その裏には英米仏による帝国主義諸国がいる。
クウェートなどのアラブ諸国の買弁(ばいべん)の王、首長と結託して石油利権を壟断(ろうだん:安く買い占め高い値で売り付ける、利益を独占する)して、人民を搾取(さくしゅ)し続ける。
こんな状況で、人民のあいだにおける差別解消の努力なんかするわけがない。
甘い汁を吸い続ける買弁王も首長も英米仏と同様に差別解消の努力などするわけがない。
人民は困難を極めていく。
昨日まで、らくだの背でなつめ椰子(やし)の実をかじってすごしてきた民の前に、いきなり石油が湧いてきた。
見たことも想像したこともない近代国家のエネルギー源である。
気がついたら、帝国主義者と、その手先たる買弁首長の「奴隷(どれい)」となっていたのである。
(アラブの富豪は、車の灰皿が吸い殻でいっぱいになったら次の高級車へ乗り換える、というくらいのすごさである。)
こんなはずでは、とアラブの民は、いくども反抗を企てた。
しかし、いつも英米仏の強力な武力で制圧されてしまった。
しかし英米仏も、そうそう武力征服ばかりをくりかえしていては正統性がもたない。
トルコ帝国の用語法では「英仏」といえば「強盗」というのに近い意味になりかかっていた、という。
時は二十世紀の初頭。
日本人の英仏かぶれも絶好調の頃である。
世界文化の中心となる英仏が「強盗」では具合が悪い。
そこで考え出されたのが、買弁首長と買弁王を利用するという手口である。
世界を支配するに足るほどの石油が中東から湧いて出る。
事務一切は、帝国主義の手先が切り盛りするからクウェートの買弁首長とその一族は遊んでおいてくれ、と「山分け」を取り仕切る。
そうか、それでは、お言葉に甘えてと贅沢の極みが日夜くり広げられる。
人民なんかどうでもよい。
人民の不満は鬱積(うっせき)して行く。
しかし革命どころではない。
今だ、民族間の「差別」さえ克服していない。
統一した抵抗の段階ではない。
最大の課題は、アラブの民主化である。
この難題を世界の面前にたたきつけたのがフセインである。
この事においてフセインの功績は不滅である、という。
フセインがいなかったら、一体、誰がクウェートをはじめとするアラブ諸国における徹底した「人民差別」を世界に知らしめる事ができたであろうか。
フセインがあばれてはじめて、世界の人々は、アラブ君主国における差別の実体を知る。
このことにおいてフセインの功績は限り無く大きい、としている。
さらに重要な事は、差別と闘う国として国内における様々な差別問題と闘って来たアメリカが、こうした「差別」を容認し利権を得て来た、という事実である。
アメリカは、差別と専制政治を復活させるためにイラクと戦ったのだ、という。
アメリカン.イデオロギー、自由と平等への矛盾である。
アメリカ最大の罪悪としている。
日本は、この無名の男フセインに130億円もの大金をただ取られ、当のクウェートからは感謝もされず世界の恥さらしとなった、としている。
日本はアメリカの同盟国であるが、アメリカが戦争するときに出兵するとも、お金を出すとも、安保条約のどこにもない。
*軍事基地を提供していたのだから、同盟の義務はこれで十分である。
(赤線強調、友寄)
国際法無知だとこんなことになる、としている。
国際法とは世界の常識、慣例の事である。
(以上は、小室直樹「世紀末.戦争の構造」徳間文庫1997年より抜粋解説付き要約)
調べて行くと小室氏も日本は基地提供で十分同盟の役割は果している、と考えていた事がわかる。
日本は、沖縄など米国への何の貢献にもなっていない、と考えている事が歴然とする。
つまり沖縄の民では日本人を代表していないから黙って傍観しているのは心苦しい、と言っているのである。
そう考える方が論理的に納得が行くからこれが正しい日本の政治家の深層心理である。
そうじゃない、というなら自分という人間がいかに無意識の世界に支配されているのかがわからないのであろうから悪魔払いの儀式でも受けて見ればよい。
すると必ず、「そうです、私は、沖縄の民は単なる日々の生け贄(にえ)で、こうしたイベントには、もっと上等な献上物を用意しなくてはいけない、と考えていました」、、と白状し始めるだろう。
でなければ、さらに何かをしなくてはいけない、というその奴隷根性が許せない。
ここにも「差別意識」が存在するのである。
しかし、日本はアメリカと違い、差別感情に関して本気で話題に上げ解決しようとはしないままである。
小室氏の指摘は、あれほど世界のモデルとなるべく国内の「差別」と闘って来たアメリカが、一方で、アラブ社会の「差別」を作り上げている、という矛盾である。
他国なら許されるのである。
かつて、イスラム社会の学問、文化は、ヨーロッパ白人文化の「師匠」であった。
文字も学問もすべてイスラム社会を通じ学んで来た。
しかしいかにも彼等は、自分たちで文化を築いたようにいつのまにか振るまい出した。
ついには、自分たちの文化のルーツは「ギリシャ文化」である、と言い出した。
これもイスラム文化経由で「教えられた」文化である。
イスラム社会は、かつての「弟子」、金持ちとなった「弟子」たちの言いなりになってしまったという怨念をその心に宿してしまったのである。
サウジ.アラビアという原義は、「サウード家のアラビア王国」というのがその原義である、という。
彼等は血縁をまず第一に考える。
一族に繁栄をもたらさない政治家は、その支援を失いやがて没落する。
したがい血族優先の配慮からは数々の汚職が横行している、という。
しかし彼等から見るとこれは汚職ではない。
公人であっても血族を優先するのは当然だ、とする「倫理観」である。
サウジがサウード家の王国なら、アメリカはどうか。
まさに「ブッシュ家の王国」である。
ある一家から大統領が二人も生まれる、という事は、現在の北朝鮮と全く同じ一家である、と言えないか。
時代は、王国を秘かに望んでいる、という預言の証しである。
民主主義、西欧社会はやがて没落しその深層心理で民は王権復活を望んでいるのであろうか。
現在のアメリカで「白人でない者」が反戦を唱えれば、その反戦者への「いじめ」は公然に容認される、という。
かつてアメリカ社会は、言論の自由を謳(うた)った国であった。
この豹変(ひょうへん)ぶりは何とした事だろう。
怨念である。
父の怨念が子に宿り、子は父の無念を晴らしているのである。
何としてもあのフセインだけは許せない、私を悪人にしたて上げようとした、許せない、あいつがすべての始りであり元凶である、
とする一家の怨念が国を動かしているのである。
だから事ある毎に、イラクへの攻撃のための大義名分を引き出そうとしているのである。
とにかくも、それは一体、何時、どのような「大儀名分」でなされるのであろうか、と私も固唾(かたず)を呑んで、事の成り行きを見ているのである。
おそらくこの怨念は、一方の家族が没落するまで続くと思われる。
かつて父ブッシュが来日中の晩餐(ばんさん)会で吐いてしまったシーンが何やら怨念の抑圧からの無意識の拒否反応によるものではないか、と分析するのは、少し言い過ぎであろうか。
以上、念のため付記しておくと、私はこの頁の文章で何ら双方に是非をつけていないつもりである。
ただ事実を記してみただけである。
2001年11月29日(木)午前1時30分
めずらしく金もないのに本屋に行き一冊しかない、という知人にでも見られたら大笑いの本を手に入れにいった。
そこで、2册の面白そうな新刊が並んでいた。
6回払いくらいにできないものかとも思ったが誘惑に負け購入してしまった。
一つは、「立花隆先生、かなりヘンですよ:教養のない東大生からの挑戦状」(洋泉社)¥1,500、と言う本である。
立ち読みでは何を言っているのかよくわからない反論なので購入した。
パラパラと読んで見た。
あ〜ダメだ。
これではインターネット上によくある程度の反論である。
魅力のない反論は何も動かさない。
反論文が独立していないから面白くない。
しかしまあ、手許にはあった方がよい立花氏の著作の数々への部分的指摘である。
もともと氏は鋭い調査はするが、鋭い推理は苦手である。
そこをわかって読まないといけない。
著者は、黙って天職となるであろう「校正」の職を得た方がよい。
あるゆる文学者が信頼した校正の達人と言うのもいるから悪くない仕事である。
もう一つは、「広辞苑の嘘」(谷沢永一、渡部昇一)光文社¥1,200、である。
広辞苑は、電子辞書として手許に置いてあるのでこのサイトでもよく引用している。
どうせ、その後に長い実体調査が続いているのでさほど気にしなかったが、何と広辞苑は、社会主義系の主張がサブリミナルのようにその定義にちりばめられている辞書だと言う。
またその定義の不備も著しい、という。
言われてみれば、と気づく事はたくさんある。
しかし実は、辞書マニアの私は、色々持っているのでさほど気にしていなかった。
腹が立つのは、その漢字の紹介くらいであった。
一つの言葉を引くとたまに旧字も含め様々な漢字が列挙して、その違いがわからないため一々漢和辞典を引かなくてはいけないのだ。
例えば、「ひく」を例にとれば「引く、曵く、牽く」と出て来る。
この使い分けは漢和辞典に頼るしかない。
こうした事がやたらと多い。
「もり」を引いても「森、杜」とあったりする。
漢和辞典を引くと「杜」は、「特に神社がある森」、とあったりする。
本当に日教組(にっきょうそ:日本教職員組合)系の辞書なのか、と試しに「従軍慰安婦」を引いてみると、
”日中戦争.大平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。おおくは強制連行された朝鮮人女性 ”と出た。
ありゃ?もう答えが出ているではないか!
何で皆んな議論しているのだろう。
広辞苑に答えが出ているというのに。
以上は私の発見である。
実際、渡部氏も依頼されるまでその不備は気づかなかった、としている。
まあ、辞書の定義で物事の最終理解とする職業ではないので気にしないのであろう。
本に提示されている言葉もマニアックであまり引かない言葉ではあった。
しかし、世の中は様々な所に様々な思想の一派が隠れているものである。
これが英語の辞書となるとその定義はもっと個性的となって一日中飽きないで引いていられる。
いずれにせよこれから手許の電子広辞苑辞書を引く時には、どれ、土井たか子にでも聞くか、と言って引いて見る事としよう。
2001年11月29日(木)午前2時12分
以下は1984年のある講演からの要約解説付掲載である。
これを知っているのと知らないでは、現在の抗争も理解不能である。
どうしても掲載しておきたい、と思っていた。
相変わらず文盲(もんもう)用の「ハリー.ポッター」よりは読みづらい、という点だけが心配である。
(世界中にはあれだけの支持数の人間が、何を成す事もなく存在するのである。戦争は知識人の戦いではない。一般庶民が戦わなければならないのである。無力な民である。魔法はきかない、というに。何もこんな時期に。)
イランという国がある。
旧称はペルシャである。
はるばる日本まで亡命して来た猫の子孫もいる。
ここに1978年にホメイニを指導者とする革命が起こった。
イラン王制国家としての旧体制をイスラエルが援助していた。
イスラエルから武器やその部品の一部を得ていたわけだ。
このイラン王制とイスラエルの深い結びつきを批判して起こった、というものだ。
革命後もやはりイランはイスラエルから武器を得ていたりする。
つまり、イランの背後にはイスラエルがいる。
しかし、イスラエルの他にもイスラエルと仲の悪いシリアやリビアもイラン側にいる。
他方、イラク側には、ソ連、フランス、アメリカからの武器もある。
アメリカは常に、貿易が赤字だ、と言う一方で武器貿易の大黒字が統計からは除外されている。
おまけに湾岸戦争で日本が支払った130億ドルの使い道は謎である、という。
イラクの戦争資金はサウジアラビア等、アラブ湾岸産油国に大きく依存している。
しかし、アラブ湾岸の一部とイランとの間にも密貿易がある、という。
イラン、イラク戦争をニ国間の国家レベル戦争だとは一概には言えない問題だという。
レバノン戦争と言うものがある。
1982年にレバノンにイスラエル軍が攻撃をしかけ国土を占領した。レバノンの首都ベイルートの水道や電力を断ち切って、市民を無差別に残酷に殺傷した。
イスラエルという国は、世界で唯一、国境線を持たない国だ、という。
聖書にもある。
すべてあなたが見渡す地(パレスチナ)は、永久にあなとあなたの子孫に与えます(「創世記13章15節)である。
もともと古代においては「国境」という概念が存在しないからである。
このレバノン戦争において侵攻するイスラエル軍と戦ったのが、レバノン軍やレバノン兵士でもない、PLO(パレスチナ解放機構)である。
国家を持たない政府、PLOとイスラエル国家が戦ったのである。
不思議な戦争だという。
レバノン.イスラエルの二国間の戦争ではない戦争がレバノンの国土でおこったのだ。
PLOを支援するパレスチナ人がレバノンにもいたからだ、という。
日本は、一般に中東問題に限らず世界を「国」の概念で別個に見る視点が強いという。
例えば、「エジプト」という国が、古代文明以来数千年の歴史を背負って存続しているかのように考えている。
しかし、エジプト国家が、古代より歴史上同じ国家の「枠組み」で存在し続けて来たのではない。
エジプトが今日の国家の枠組みを形成したのは第一次世界大戦後のことだという。
1919年、エジプト全土をおおう民衆反乱に遭ったイギリスが1922年にエジプトの独立を宣言した時からである。
エジプトはその後、イギリスと軍事同盟を結び、国際連盟に加入。
こうしてエジプトは一つの国家としての体制を確立して行く。
日本が第二次世界大戦で連合国に降伏した時点でエジプトも日本に対しての戦勝国の一つになっている。
日本はエジプトにも負けたのだ、という事は日本ではあまり認識されていない。
こうして国家として成立したエジプトであったが実際は、1882年以来エジプトを占領してきたイギリス軍がいすわり続けていた。
外国の軍事支配からの独立を求めるエジプトの民族運動は、1952年ナセル自由将校団が権力を奪取(だっしゅ)し、王制を倒し、イギリス軍の撤退を要求する。
こうしてエジプトは実感を持って独立を完成させる。
しかし、今日のエジプト国家の枠組みは第一次大戦とともに形成された、と認識する事が大切だという。
イラクと言う国はどうか。
イラクはまさしく第一次大戦後にできた国家である。
ハンムラビ法典というものがある。
古代バビロニア時代の集大成された成文法典である。
楔形(くさびがた)文字で円柱に刻まれた法典をヨーロッパ人が発掘して持って行ったものである。
本来はイラクのものであり、イラクに返還せよとイラク政府は要求したりする。
このことで我々は、イラクという国は、古代メソポタミア文明に発する古い国だと錯覚してしまっている、という。
しかし、実際は古代イラクという国が、今日のイラクの国土と一致していた、というわけではない。
歴史的にはイラン人(ペルシャ)の勢力が、メソポタミアを支配していた時代が長く続いた。
イラン.イラク戦争は、両国の境界線をめぐって行なわれた。
アラブとイラン人との間の古くからの抗争が背景にある、というのは間違いだ、という。
イラクという国は、第一次大戦後イギリスのもとで委任統治がしかれて初めてその国家としての「枠組み」ができた国だと言う。
17世紀以降、第一次世界大戦まで、そこはオスマン帝国の領域の一部分だったという。
オスマン帝国は第一次世界大戦で敗戦国となったため、勝者側の連合国によってその領土を分断分割(ぶんかつ)された時、様々な「国家」の枠組みが形成されたのである。
その中心にイギリスとフランスがいる。
両国が中心となって「国分け」のシステムが築かれたのだ、という。
したがい、今日、中東諸国とか、アラブ諸国とか言ったりする発端はすべて第一次世界大戦後のことを問題としているに過ぎない、という。
レバノンと言う国もかつてはオスマン帝国の領域に含まれていた。
今日のシリア、ヨルダン、イスラエル(=パレスチナ)、北イラク、などは歴史的にすべて「シリア」の一部の地域であった。
アラビア語ではこうした広義のシリアを「シャーム」と呼ぶ。
第一次世界大戦後に委任統治という名目で英仏により分割され、パレスチナ(ここに第二次世界大戦後「イスラエル国家」が作られる)とヨルダンがイギリスの支配下になる。
「古シリア(シャーム)」のひとかけらとしてのシリアとレバノンがフランスの支配下に置かれた。
シャームの一部分としての北イラクは、メソポタミアとつなぎ合わされ「イラク」となる。
レバノンは、イギリスとフランスが「シリア(シャーム)」を分けあった中の一片(いっぺん)である。
パレスチナは、例のバルフォア宣言(1917年:「7:私の宗教理解 その1 10/26(金)」参照)によってユダヤ人の国をつくる事を目的としイギリスの委任統治がしかられた地である。
聖都エルサレムがある地区である。
パレスチナの東側の境界はヨルダン川を目印にしてその西側がパレスチナとしている。
トランス.ヨルダンは、「ヨルダン川の向こう側」という意味という。
ヨーロッパ人の眼で見た言い方だという。
第一次大戦後、川の向こう側がトランス.ヨルダン、こちら側が「パレスチナ」と決められた。
それまではパレスチナ、アラビア語で言う「フィラスティーン」は、漠然と南部シャーム(古代シリア)を指す概念で明確な地理的区分はなかった。
トランス.ヨルダンとパレスチナに区分されたのは、1921年から1922年にかけてだという。
イギリスがここに「ユダヤ人国家建設予定地」と看板を掲げたようなものだという。
その予定地に、この土地はこれからユダヤ人の国をつくる土地だから立退くように、とイギリスによって宣告されていた人々とその子孫である。
パレスチナ人も、もとは広い意味でのシリア人(シャーム人、アラビア語で言う「フィラスティーニー」)である、という。
もとは南部シリア人である。
(パレスチナ人とヨルダン人はほとんど同じ歴史を共有する民族だという。両者は心情的に近親である、とパレスチナ人自身が言っている)
いわば今日の中東はイギリスの縄張りを伸ばして行って、エジプト、トルコ、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、イェメンと区切って行った「諸国」である。
パレスチナにユダヤ人国家イスラエルを築き、その周辺に色々な国を「はめ込んで」行く「国造りゲーム」である。
第一次世界大戦後に、その「支配のための枠組み」がイギリスによって実行されたのである。
一般に認識されている、アラブ.イスラエル紛争とか、アラブとユダヤ人の抗争とか、まるでアラブの国々の中の「空き地」にユダヤ人国家が形成されたわけではなく、実際は両者はひとつの「見取り図」として同時に生まれた国家だったのである。
注意すべきは、1948年にイスラエル国家が設立されたが、アラブ諸国家も昔から存在していたわけではない、という事である。
そして1860年代に、レバノンという特殊な区域もまた、ヨーロッパ列強国によって造り出せれたひとつである。
ヨーロッパ、キリスト教国は、シャーム(古シリア)にある聖地エルサレムに重大な関心を寄せていた。
十字軍以来の関心である。
しかし複雑な地形を持つ山地レバノンは、オスマン帝国の支配もなかなかうまく行かなかった。
さらにレバノンの山岳地域には、非常に多くの宗派の人々が住んでいた。
中東の中の宗教、宗派の展覧会場とも言える地域であった。
イスラム教からは、スンナ派、シーア派、シーア派の中でも12イマール派というイラン高原の多数派と同じ宗派もいる。
さらにイスラムの原則から逸脱した集団と見られているドルーズ派。
イスラム教徒からはもはやイスラムではないと見られているアルウィー派。
キリスト教であっても様々な一派がいた。
キリスト教の三位(さんみ)一体(父なる神、その子キリスト、聖霊)は、一神教ではない、三神教だとか、キリストは神だ、いや人の子だ、という後のイスラム教の基盤となる様々なキリスト教宗派を持つ人々がレバノンの山岳地帯に住んでいたのである。
こうした教会は、紀元5世紀に西方の教会、とりわけローマ教会からはおまえらはキリスト教ではない、と切り捨てられた。
こうした異端視された一派の教会が東方の教会を形成して来た。
こうした、ヤコブ派のシリア正教、アルメニア正教の教会などがレバノンにはあった。
また、この地域は、エジプトの教会(コプト教)もある。
また西方の教会から異端だと言われているネストリオス派のアッシリア教会と呼ばれている教会もある。
さらに十字軍以降はラテン語のカトリック教会も入り込んで来る。
しかし、このラテン教会は十字軍と共に入って来たため土地の人間からはよく思われなかった。
そこで考え出されたのが、ユニアットという形式の布教法である。
その地域の教会の伝統や、礼拝に使う言葉はそのまま使用する。
それらの教会をカトリック教会の傘下(さんか)に入れキリスト教会の組織に入る事を強要して行く方式である。
このユニアットの結果、シリア正教のある部分が、カ