友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか?ジャズから見る文化論
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27:詐欺師(さぎし)はいつもその理由が美しい「2002年3月1日(金)」小追記:2002年3月11日(月)
一体、何でそんな事をやっているんだい?と尋ねると決って、その理由が美しい人たちがいる。
曰(いわ)く、虐待(ぎゃくたい)される動物がかわいそうです。
鯨(くじら)がかわいそう。
猫ちゃんがかわいそう。
ワンちゃんもかわいそう。
ゆえに、人間が憎くてたまらない。
しかし、ネズミは、火あぶりの刑でもかまわない。
曰く、これ以上、自然が破壊されるのを許してはおけないのです。
くわしい事は頭が悪く、文字も読めないので新聞は読まないから、よくわからないのだけど、とにかく自然が破壊されるのを許してはいけないのです。
曰く、音楽家を救済するための組織が必要なのだ。
だから、年会費を支払えば、誰でも今日から「音楽家」である、ために運営資金援助に参加してほしい、この輪をもっと一般にも拡げて行こうではないか、と。
曰く、われわれは、有名なボランティア団体であるから、常にわれわれの方が「正義」である。われわれの闘いはいつだって「聖戦」である。
曰く、絶対に儲かるから、あなたのためを思って言っているのよ、その金を投資してほしい、あなたのために特別に教えて上げている情報なのよ。
愛さん、この岩清水、君のためなら死ねる(マンガ「愛と誠」より)
う〜む、どれもその理由が美しい。
まさに「正義の人」たちである。
どこがみんなと違うのか、と言えば、その眼の輝きである。
自身は、一切喋る事もできない英会話の教材を、かつての男子同級生名簿を引っぱり出しては、喫茶店に呼び出し、いかにこれから英語を話せるようになれば大金持ちになるかを説く、セールスウーマンの眼の輝きである。
あるいは、絶対に損はしませんから、と説く証券会社の社員である。
病歴なんか黙っておけばどうせバレやしないんだから、と勧誘する保険外交員である。(バレたらバレたで知らんぷりである。なあに会社も承知の戦略である。「外交員には何の権限も元からありません」。)
ここに預ければ貯金は安泰で絶対元本割れは致しません、と熱弁を振う銀行員である。
おまえらは、いくら預けているのだ、どれだけそれを購入したのだ?まずおまえらの「証書」を見せよ、である。
損をする可能性もありますが、どうです、ここは一発、賭けに出て見ては?私は、やりませんが、、、と言ってくれれば何の問題もないと言うのにそうは言わない。
その会社を止(や)めても、損した人たちは、一生名前を覚えているぞ、その忠誠心は、怖くないか。
私は、私の自宅前での駐車違反のキップを切った婦人警官の名を今でも忘れずにいるぞ。
もうあれから20年近く経った、というのに。
見知らぬ車が大挙して違法駐車している「日曜、祝祭日」は現れず、日和(ひより)のよい、民家の路地に、しかも自分の家の前にちょっとした用事で立ち寄った町内の人間を張り込みするその根性は何なのだ。
日曜祝祭日は、「正義」も休日か。
いい歳をして、「かくれんぼ」が忘れられないのであろうか。
どいつもこいつも、その職業の前に、人間生活を全うしなくてはいけない、という最も単純な「使命」を忘れてしまったのであろうか。
そんな事で、歳を取ってから、互いが「囲碁クラブ」で出会えるのか。
税金を取り立てる側の正義の看板を盾に、その職業を全うしたとしても、取り立てられる側に回れば、いとも容易(たやす)くその看板を裏返し、新たな名目を書き入れる。「税金対策事務所」
何だ、何だ、一体、今までの「正義」は、何だったのだ。
お願いです、虐待(ぎゃくたい)されている動物たちを救って下さい。
その前に、疑問に思う事がある。
君等は、一体、何をして食べているのだ。
どうみても朝から晩まで、「労働」している様子はない。
お金はない、と言うわりには、毎日、外食とコンビニ弁当と、その日常は、あまりにも「怠惰」で「優雅」である。
まるで家事一切がうっとおしいと言う女性声楽家のようである。
そんなに貧しいなら、家庭菜園でもして食っているのであろうか、と裏へ回って見ても、自家用車が一台あるだけである。
さっそく私は、私の僕(しもべ)となる「鳩(はと)」たちを呼び寄せ、これこれしかじかだから彼等がなぜ働かないでいられるのか調べてほしい、とその「使命」を与えた。
次々と、帰って来た鳩たちは、その調査報告書を読み上げた。
彼、彼女等は、働かなくてもよいほどの財産を親が残してくれているのです。
そのため、彼、彼女等は、外の世界で生れながらに働いた経験がないのです。
えっ?働いた経験がない、という事は、彼、彼女等は、「怒鳴られた」ことがない、と言う事か?
クック〜(そうです)。
う〜む、叱られた経験がない、という事か。
それじゃあ、生れながらの「神様」でいられるなあ。
自分の主張が「否定」された事がないわけだ。
彼、彼女等は、家事が嫌いなのです。だから動物を拾っては来ますが、一切の世話はせず、彼、彼女等の近所からは、その「異臭」にいつも評判が悪いのです。
近所には評判が悪い?
ああ、それならオレも聞いた事がある。
糞尿(ふんにょう)やお風呂の世話なんか一切しないで餌だけを与えていればよい、としているらしいなあ。
えっ?本人も不潔?
うむ、まさしく動物並の暮しぶり、と言う事だな。
クック〜(ええ、まさに御主人様のおっしゃるとおりで、へえ)。
何!浮き世の仕事を止(や)めてそうしたボランティア活動に従事する者もいる?
止めるって、止めてどうして食べて行くんだい?
仕事をしないって事だろう?
それよりもいい稼ぎになるからって普通は、転職するんじゃないか?
それほどひどい職場でもなかったろうに。
その「退職理由」は何なのだ?。
親戚縁者、友人知人を納得させられるだけの理由なんだろうなあ。
何!ボランティア活動が忙しくて、仕事をしている場合ではない?
おお!何と「美しくも目眩(めまい)を覚える阿呆理由」ではないか!
して、どうやって食って行く、というのだ?
何、ボランティア団体を設立した、というのか?
勝手にか?
えっ?団体名を考えてチラシを配れば終りってか?
まさか、あの、実体がよくわからない、門構えだけはりっぱなホームページまで出しているんじゃあないだろうなあ。
何!それに賛同して手助けしてくれる人がいてホームページも作成されているって!
何をするにも勝手出る人たちがいて、けっこう無料で何でもできてしまうって?
まあ、しかし、振込み口座番号まで私のように掲載しているんではないだろうなあ?
私は、私以外の誰も救わないと言っているのだが。
えっ?これもちゃんと掲載されている、しかもいくつもの口座番号があるって?
よくもそんな事を実名でやっているなあ。
何!これは偽名である?
姓名判断でこの方がよい、と言われたので単にそうしているって?
表札もそうしてできているって?
う〜む、またよくそんな理由をまわりは信じたものだな。
人を疑う事を知らない人種を呼び集めているようだな。
そんなにりっぱな人たちなら、私が、「本当に困っているかわいそうな人たち」ってリストを渡すから助けて上げてくれないか?
えっ?人間には興味がないって?
困ったもんだなあ。
でもなあ、何で皆んな、こう団体の「幹部」「代表」になりたがるのかなあ。
そう言えば、GNPて言ったか、 LSD だったかMGOと言ったか忘れてしまったが、世界的なボランティア団体の日本の地方支社の幹部が、ギャバクラを経営していたって報道があったぞ。
クック〜?(ほう、それは新聞ですか?)
そうだ、それ所か、今日の新聞では、アフリカで、その団体の一部の職員が、物資を配給する代りに身体を少女たちに要求したってあるぞ。
クック〜!(いい商売ですねえ!)
これ!声が大きい。
つまりな、おいしい仕事には、おいしい特権がついて回るって事だなあ。
共通して言えるのは、みんなその発端の理由が「美しい」という事だな。
誰が聞いても「りっぱな理由」を掲げているって事だな。
その「代表」「幹部」に必ず君臨しようとする意味は、その地位なら直接にその「特権」を享受(きょうじゅ)できる、って事だな。
動物であろうが、人間であろうが、その「甘い汁」を狙って集まる人種の体質はどれもよく似ているって事だな。
まあ、太っている奴が、痩せ細って餓死する人たちを助けてくれ、と募金を集めるんだな。
一番、腹立つのが、そうしてみんなから集めた金で、毎日、働かないで、事務所をかまえて朝から鼻をほじって暮らせるごく少数の「幹部」がいるって事だな。
そうした奴等は、絶対に末端では働かないんだな。
必ず、「幹部」や「代表」を目指すんだな。
それ見てるから末端も真面目にやるのが馬鹿らしいんだな。
オリンピックがいい例じゃないか。
審査員ていくらギャラがあるんだろう。
柔道をやってなくても柔道の審査員ができるって言うぞ。
K-1は、元祖「キック界の貴公子」と呼ばれたチャンピオン、猪狩元秀(いかり.げんしゅう:この名前の漢字は現在、勘にしか頼る方法しかないので定かではない)」氏がレフリーをちゃんとやっている。頭部が大分変化してはいるが判別できる。
ホームページって奴は、どんな会社でもいくらでもその「門構え」をりっぱに作れるって所が、「平等」だな。
大会社であろうが、個人であろうが、その門構えにおいては、区別がつかないって事だな。
本当にボランティアに生きている人たちは、他人へ呼び掛ける事をすべてとしてはいないんだよ。
みんな、呼び掛ける時間があったら、自分の今できる力で、もう日々の「献身(けんしん)」に生涯を費やしているんだよ。
それが本当にりっぱな行為である、と思ったら、彼等のような力を黙って何年も費やして身につけてからその戦力に加わればいいんだよ。
ほれ、アフガニスタンで医師として17年も活動している人もいるだろ。
ハンセン病の患者とともに、ホームでピアノを弾いて彼等に生きるための「娯楽」を与えている若い女性もいるだろ。
子供の頃から牧師の父親に連れられ子供を持つ事が許されなかった彼等にとってもわが子同然にかわいがられて育った女性なんだよ。
みんな、自分にできる事でその生涯を費やして「献身(けんしん)」しているんだよ。
誰にも「呼び掛け」はしていないよ。
りっぱだなあ、と思えば、今から自分も医師を目指せばいいじゃない。
自分でもピアノを練習して彼等とともに唄えばいいじゃない。
アメリカでは、なれない職業はないって言ってるよ。
問題は、なってからどうするかって事じゃあないの。
これ以上、自然を破壊するな、生まれた土地を守ろうよって訴える者がリゾートホテルなんかで演奏しているってのも変な話しだなあ。
新しく開発される度に「新しい職場」として「飛んで行く」連中がね、何でも言えばいいってもんじゃあないだろ。
むつかしい事は、よくわからないけどって言ってね。
むつかしい事もよく勉強してから発言しなよ。
その主催するコンサートは、土木建設業がスポンサーだったんだよ。
彼等にその職業の友達はいないのかい?
沖縄には、「売るための唄は作らない」と言って何十年も「反戦」を唄っているフォークシンガーもいるんだよ。
「月桃(げっとう)の花」ってのが有名だな。
だけど彼のCDは、作られていないんだ。
自然を守ろう、なんて誰でもわかっているよ。
洋楽やっていてよく「沖縄の文化を大切にしよう」なんて言えるもんだよ。
文化ってのは進化するもんだよ。
それを「保存」するのとは別の事なんだ。
言葉もそうさ。
オレに方言で喋って見ろ。
こらあ、ちゃんと日本語喋れって言い返すぞ。
外へ向けての言語と家の中で使う言語くらいちゃんと使い分ける事ぐらい覚えておけ。
でなきゃあ、うんと丁寧な方言で話しかけて来いよ。
でもまあ、方言を喋ろうなんて爺(じじ)くさい主張だよ。
そりゃあ、「教養」の分野だよ。
日常じゃあないね。
その言語では、「思考」は無理だからね、いつまで経っても複雑な事は理解できないな。
だって様々な「概念」を示す「単語」がないもの。
英語で魚のさばき方を説明するようなもんだなあ。
「それを三枚に卸して」ってね。
これだけで何をどうすればいいかって決ってるんだからね。
でなきゃ、日本語で肉の料理を伝えるもんだなあ。
「Tボーンステーキを用意して」ってね。
何て言うんだよ、日本語で。
そのできそこないの頭で、何でもかんでも「美しい理由」だからってそれをかかげて売名するもんじゃないよ。
本当に作品として成立しているものは、誰がやっていようが関係ないんだよ。
学校唱歌なんて、誰が作ったかもわからないし、その関心がなくてもちゃんと年寄りは愛して唄っているだろ。
自然を破壊しちゃいけないって言うなら、まず皆んなで「山」に住んで暮して見ろよ。
そこで一生送って見ればいいさ。
そうしたら、みんな納得するよ。
ああ、ちゃんとそうして暮して行けるんだってね。
でも、ドラエモンの「どこでもホテルセット」なんか出しちゃ卑怯(ひきょう)だぞ。
あれは、ちょっと違うなあ。
ちょっと傲慢(ごうまん)な文明人だよ。
何か、山には、異常発生した小動物もいるっていうじゃない。
それ食って、味覚も野生にもどして、ちゃんと暮して見ればいいんだよ。
実際、そうしている作家もいるぞ。
人間はね、自然と闘って生きて来たんだ。
黙って無抵抗でいたら凍え死んでしまうからって何かと「発見」して来たんだ。
もうこれ以上住む所がないってんで山を削って来たんだ。
だからってそれを奨励(しょうれい)しているわけじゃないんだぜ。
念のため言ってるんだけど。
問題は、それほど簡単な事じゃあないって事をちゃんと学んでから何でもかんでも歌えって言ってるんだよ。
まるで自分たちだけが「心やさしい善人」の代表の側に立ってね、むつかしい事はよくわからないって主張する事が卑怯(ひきょう)だって言ってるんだ。
ならリゾートホテルなんかで働くんじゃあないよ。
一番、自然を破壊して建設してる施設じゃない。
基地があるから農薬をばらまいたゴルフ場ができなくて、沖縄の自然は保護されているって者もいるんだぞ。
オレの父親は、何かと理由をつけては母親を騙して、ゴルフばっかり行ってるけどね。
これを取ったら即、鬱病(うつびょう)だよ。
生きがいがなくなってね。
やるだけやらしたら、死んでも後悔しないって。
ホテル業界にどれだけの人間が働いていると思っているんだ。
この土地から一度も出て行った事もない者たちが寄ってたかって集って、自分等だけ唄って踊って暮しやがって。
自然を破壊するなって言う前に、工事現場にでも行って材木かついでアルバイトでもして見ろってんだ。
どうせ大した「芸」でもないんだから止めたって誰も気にしないさ。
それとも自分等は、肉体労働者とは違うって言っているのかい。
誰でもかれでも唄って踊って暮して行けるから、自然なんか破壊するなよって言ってるのかい。
それともそれを言うだけで、ちゃんと募金集めて暮らせる事務所でもあるってのかい。
オレんちの稼業は、土木業だったって言ってるだろ。
倒産してしまったけどね。
大昔にね。
意味もわからず、美しい理由ばっか並べてよ。
おーい!こいつらリゾートホテル反対って言ってるぞ!
県の方針に反対って音楽で声明文唄ってるぞ!
たぶん根性入れて主張してるから、絶対にリゾート.ホテルなんかで演奏しないはずだからな!
自民党政権反対!って言ってるんだな。
そういう事だな。
政治とは無関係って言ってるけど、不勉強なだけだ。
新聞読まないからな。
何かを主張して政治と無関係だって事がありえるか。
その前におまえらちゃんと確定申告しているのか!
ちゃんと、税金、年金払って、年寄り養っているんだろうなあ。
またしても沖縄をジャマイカ化してマリファナ天国の街にしようって言ってるんじゃあないだろうなあ。
猫も杓子(しゃくし)もミュージシャン国家にしてよお。
あんまり目立った活動するとつかまるぞ!
実際、捕まったろうが。
知らないぞ、脱税と薬物で捕まっても。
こういうのをね、「偽善(ぎぜん)」て言うんだよ。
偽善はね、何時だってその「理由」が美しいんだよ。
その変わり、その人自身に「矛盾」がいっぱいあるんだよ。
サッチー見てりゃあわかるだろ。
言っている事は、ちっともまちがいじゃあないよ。
どれもこれも「りっぱな話」ばっかりだったじゃあねえか。
人とのふれあいを大切にしよう?
年寄りの生き方に学べ?
なら、おのれも「離婚」すんじゃない。
近親者に「ひどい」事して、他人には、いつも「美しい」理由ばっかりを主張する人ってのはいる。
こら、眠ってるのか!
クック〜!(いえいえ、起きてますでげす。ええ、もうそりゃあごもっともで)
悪人なら悪人らしくしなきゃいけねえってのに、次から次へと美しい理由ばっかりつけて、自分の名前を売ってよう。
えっ、おまえはどうだって?
何でこんなサイトやってんだって?
カア〜!阿呆じゃなあ。
すべてオレのCDを売るためよ。
オレは、これが商売だからよ。
そして次の餌食(えじき)となる生徒を獲得するためよ。
高い月謝取ってな!
しかも音楽なんか大して教えないって言ってるだろ!
ほとんどお喋りばっかりだって。
それじゃあ上手くならないだろって?
そんな事は、オレのせいじゃないって言ってるだろ。
上手くなんない奴は、どこ行ったって上手くなんないだよ。
現に、オレが与えた音楽の「課題」だってやってこない生徒がいるんだから。オレのせいじゃないって言ってるだろう。
オレはちゃんと教えるべき事は教えてるぜ。
それができて文句を言うならわかるよ。
ああ、オレのせいだなって。
オレは、とびっきりの授業をして上げているつもりだよ。
今時、音楽しか知らない馬鹿はいらないって。
今時じゃあないな。
昔っからだよ。
阿呆は、何させても阿呆な事しかしねえんだよ。
えっ?じゃあ、音楽に政治を盛り込むってのお?
何言ってるんだよ。
そんな事がどうやってできるんだよ。
オレは、楽器弾きだぞ。
この頭で、音楽だけを考えているから貴重だってんだよ。
違うか、この頭で、何もかも捨てて音楽だけを考えているって事が大切なんだよ。
ふと、神様が、今度は、音楽以外の事も考えてみなさい、って言ってるんだよ。
それだけの事だよ。
将棋の坂田三吉が、版画をやったら棟方志功だよ。
金儲けのために、受験知識ばっか教えて、人を殺しちゃいけないって言う教師がいないから、いくら塾通わせても人殺す中学生なんかが増えて来たんだろ?
おらおら先生よお、そんな話し聞くために通ってんじゃあないよ、さっさと音楽の授業しろよ、、ってかあ。
ケッ!おまえなんか阿呆に誰が教えるか。
早く、おまえだけ還暦になれっつうの。
たぶんおまえらはオレよりも老け込むのは早い人種さ。
オレの年齢なんかすぐに抜いてしまうだろうさ。
そんな事言ってると生徒は来ないだろって?
あったりめえだろ、だから貧乏なんだよ。
まあ、もうどうでもいいけどね。
教える気もねえよ、こんな阿呆たち集めて。
みんなちゃんと言えばいいんだよ。
これ、ギャンブルですけど、投資して見ませんか、それで失敗した人で首くくった人もいるんですけど、儲かれば、大きいです。
ここにサインして下さいね、失敗しても一切、私に文句は言いませんって。
それと、あんまり儲かった人もいませんよ、念のため言いますけどって。
儲かってたら、私だってこんな事してませんねって。
あなたもボランティアしませんか?
けっこう募金も入って来て、税金なんかもごまかせるんですよ。
だからあなたも毎日、会社に出勤してあくせく働く事もないですよ。
ちょっと臭いのが難点ですが、すぐに馴れますよ。
とにかくお互い、もう人に使われるのが嫌でしょうからね。
けっこう募金は、入ってくるんですよ。
どうです一枚かんでみませんかって。
問題は、理由だよ。
何で犬や猫を飼うのかって言う理由だよ。
それがその産業を促進しているんだよ。
その理由が、業界に付け込まれているんだよ。
そうしてどんどんそこに手を出す一般人が増えているんだよ。
「まあ、かわいい」って言ってさ。
子供も同じだよ。
だから「かわいくなくなれば」捨てるんだよ。
そこに本気に生命と関わる「理由」がないんだよ。
それを促進しているのが犬猫産業だろう?
まるで軍需産業、軍産複合体、とそっくりでしょ?
そうした理由をかかげれば、一般の間にも拡がり、購買者が増えるって言うシステムだよ。
かわいいでしょって写真付で広告してねワンちゃん猫ちゃん売ってさ、「脅威だ」って言って武器売ってんだよ。
その理由の方が大儲けだから言ってるんだよ。
だから、かわいくない、美しくない病気にかかった人たちは、山にみんな捨てちゃうんだよ。昔から。
だから人は山を恐れたんだよ。
音楽だって同じだよ。
儲かりそうだからってその音楽が好きになってしまうんだよ。
自分の生活のすべてを変えてくれそうな感じだからって好きになっている自分に気が付かないんだよ。
その証拠に、けっしてそれが最高の音楽ではない事はちゃんと知っているんだから。
後は、権威となってしまった貧乏音楽が終ってから絶賛すればいいんだよ。
あなたも今日からミュージシャンって言って楽器売って来た業者と同じだろ?
だから「かわいくなければ」ポイって捨てちゃうんだ。
だから、めんどくさい世話なんかせず、次から次へと「かわいい」って集めて来るんだ。
そうやって集めて来る「自分が好き」なんだ。
「海が好き」ってなもんよ。
それを主張している自分を、ある不滅の「善の概念」に所属させて自我を安泰させているってわけだ。
おっと、調子に乗ってだんだんむつかしくなって来たぞ。
でも、もうちょっとばかりは、この概念を伝えないと、問題は、終らないんだ。
だから、今、犬猫を飼う人は、悪人だっていう概念をその産業に逆らって植え付ける事なんだ。
今、自然破壊を言う奴は、蟻とキリギリスの「キリギリス」側に立って暮している輩(やから)だってみんながその認識を入れ替える事なんだ。
武器を売る事で、さんざん儲けている富豪たちがいるって事を認識する事なんだ。
こうした「概念入れ替え作業」を経てね、その産業はようやく終るんだ。
犬猫を捨てる人を責めるのは筋違いだよ。
それを煽(あお)った雑誌や産業の方を問題とすべきだよ。
一個の生命とつきあうのに「かわいいから」って理由はないだろう。
憎たらしくても、醜くても、その関わりは放棄(ほうき)できないだろ。
この子は、最初は、自分になついていたからかわいかったけど、この頃は、なつかないので憎たらしくなって虐待(ぎゃくたい)しましたって言ってるんだよ。
だから山に捨てて来ましたって。
もう年寄りは、役に立たないから山に捨てましょって。
かわいいから、とか、役に立つからって問題じゃあないんだよ。
かわいくなくても、役に立たなくても、一個の生命との関わりなんだよ。
確かに、こいつらと人生を共にして生きて来ましたって。
つらい時も楽しい時も、確かに、この人たちと生きて来ましたって。
なぜ、ペットを飼わなきゃ行けないかって「理由」がおかしいんだよ。
それを、この「理由」が、売れるって言って全面に強調してできたのが現在のペット産業だよ。
あなたも今日から作曲家って言って楽器売ってる音楽産業と同じだよ。
ぼくにも弾けたあ、ってコマーシャルしてる業界とね。
だからちょっとでも苦しい事があるとすぐにギブ.アップ宣言の連中が続出しているんだよ。
ちょっとでも厳しい事言うとすぐに逃げ出す連中ばかりだから音楽教室なんかやってられるもんじゃない。
おまけに、ちょっと楽器かじって明日からは、もう音楽教師の一丁上がりだあ。
それと同じ事が起っているんだよ。
わあ、かわいいって写真ばかり載っけてさ。
ろくに世話もしないでさ。
ろくに練習もしないのと一緒さ。
それで、「唄を忘れたカナリヤは、裏山にポイ」ってさ。
役に立たなくなったんだからね。
黒澤明の映画「まあだだよ」くらいは見ろよ。
先生は、猫にもやさしかったが、人間もちゃんと育てたぞ!
あれ内田百間(うちだ.ひゃっけん)だな。
いっぱい死んでいる人間もいるんだぞ。
戦争になって食うものなくなりゃ、現地の人間の子供かっさらって食う前にまず犬猫を食え!ってちゃんと教えなきゃなあ。
それくらいわかってるんだろうね。
まさか、人間から先に食えって言うんじゃあないだろうなあ。
人間は、あらゆる動物を食って、現在の人間界を築いて来た。
厳しい自然との闘いの中、自然をも破壊して生き延びて来た。
そうしなきゃ人間は、生存できなかった。
弱者は、すべて淘汰(とうた)され、強者としての「人間」が生き残った。
今さら悔いても、このパラドックスは壊せない。
人間界にあっても弱者は、淘汰されホームレスとなっている。
じゃあ、なぜ自分も弱者の身に置かないのか。
すべての競争を遠慮して辞退するか。
増え続ける人口問題。
中絶はいけない、と訴える者。
この世に生は受けたが、と餓死する者。
次々とその栄誉を讃えられた者の歴史を教育され、戦場で自身も勇敢に死ぬ事を恐れない者。
そう簡単に善悪が区別できるほど単純じゃあないんだ。
ハリーポッターじゃあないって言ってるだろ。
ただ、これだけは言える。
ペットを飼う人間は、善人ではない、という所からスタートする事だ。
そうすれば、必ず、その概念を変えようとして立ち上がる人々がいるんだ。
プロジェクトXでやってたじゃないか。
「日本初の盲導犬を作った人々」って言うようなの。
当時、金持ちの間で犬をペットとして飼うのがブームになってたって。
それで、それを調教する仕事をして届けたら、すぐに金持ちたちは、「飽きた」と言って次の犬を購入して、せっかく一生懸命調教した前の犬は、ポイって捨てたって。
こんな仕事をして何の意味があるのか、って悩んだ調教師が、日本初の盲導犬を作るのに悪戦苦闘の日々を送ったって。
それを支えたのが、全国の何万人からの目の不自由な人たちからの熱い要望だったって。
その金持ちたちの意識がね、今は、庶民に降りて来たんだよ。
みんな自分を「中流だ」って思ってるからね。
一つのステイタスだなあ。
私たちは、中流です、その上、善人ですって言うね。
そんな意識を破壊しないと、彼、彼女等の特権意識は無くならないね。
労働が大嫌いって怠惰(たいだ)な種族だからね。
ジャマイカ化して、子供も大人もミュージシャンに憧れて、マリファナ吸ってさ。
私は、違いますって胸を張って言う事じゃないよ。
それじゃあ同類だよ。
だって、彼は、君等の仲間だったじゃない。
外から見れば一緒だよ。
反論を加える敵が違うんだよ。
オレじゃあないだろ。
オレにわかってもらったって現実は変わらないだろ。
オレは、ここで、オレはここの音楽関係者とは一切無縁です、彼等のやる事は、オレにも意味不明ですってちゃんと言っている。
問題は、その理由だよ。
あなたは、何でそういう事をしているんですか?
そんな簡単な「理由」を掲げて訴えてはいけない時代だよ。
何をどうしたらいいんだろって考えている最中なんだ。
子供に自然の大切さを伝えたい?
そんなもの、海を見た事もない子は、海を想像し、山を見た事ない子は山を想像して生きているんだよ。
沖縄には、雪を見た事もない年寄りがいっぱいいるんだ。
たぶん一生見た事もさわった事もないまま死んでいくんだ。
テレビで見るだけでその人生は終っていくんだ。
オレだって「宇宙」を見た事もない。
外国だって知らない。
砂漠の民は、森を知らない。
それでも、色んな事を想像しながら人間は生きて行くんだ。
この何もない、部屋でね。
空想してるんだ。
様々な人生をね。
死ぬまで体験する事がない世界をね、テレビ見ながら、想像してるんだ。
いつか、あそこに行ってみたいなあ、て。
それが、人間にだけ唯一できる特権だよ。
中には、天国を想像している連中だっているんだから。
今はね、とにかく、人間は、どうやってこれから「進化」して行けばいいんだろうって、一体、どの方角へ向かって歩けばいいんだろうって、世界中が探っているんだよ。
何も知らないで、自分自身は、矛盾をいっぱい抱え「美しい正義」を「理由」に主張する人種は、みんな詐欺師だって言ってんのさ。
植物にも心があるって証明されて来ているんだから、動物を食わなきゃいいってのも成り立たないんだよ。
それは人間が決める事なんだ。
ヤンバルクイナは、生きてていいってな。
(日本の天然記念物に指定されている「ヤンバルクイナ」を山に捨てられて野生化した猫やマングース−が食べていると判明。県は、この野生化した猫を捕獲し処分している、という事に沖縄観光ボイコット騒ぎまで猫好きの間で巻き起こった今年の事件。)
ライオンが人間を食べていい、なんて決める事じゃあないんだ。
人間は、太古の昔から、あらゆる生命体の中で極悪の種族なんだ。
だから人間は、まだ絶滅せずに生き残って来たんだ。
今度は、その人間界の中で、誰が一番の強者かって決めにかかってるんだ。
そうやって弱者が作られると、必ず、その弱者は、絶滅させられるんだ。
だから皆んな、自分たちは弱者じゃないって必死の抵抗をしてるんだ。
その戦いを秘かに、地下の世界で、次の強者となるべく、じっとネズミとゴキブリたちが待っているんだ。
だから潜在的に人間は彼等が大嫌いなのさ。
おっと、この説は、オレがでっち上げているんだけどね。
でもね、人間が戦争をしなくなったら、人間界は、人口増加でとっくの昔に絶滅してたって言う事を言う奴もいるんだ。
「風が吹けば桶屋(おけや)が儲かる」って言葉をちゃんといつでも説明できるようにね、しておかなきゃね。
ボケ対策さ。
人間の作り出す文化はね、必ずそうした弱肉強食の世界の中で生まれて来たんだ。
文化とはそういうもんだ。
三味線の「芸」文化もそう。
エスキモーの毛皮の文化もそう。
それがなきゃ寒くて凍え死んでしまうよ。
インディアン文化もそう。
アイヌの文化もそう。
熊を生け贄(にえ)にしてね。
それは未開の文化じゃあないんだ。
人間が直接、生きて行く、という事を実感して日々を生きていかなきゃいけないんだ。
そこから、あまりにもかけ離れすぎたから「矛盾」は生まれたんだ。
生きて行くために必要な、色んな事を他者にまかせて、自分は何の義務も負わないで生きて来た人間が増え続けたから「矛盾」は生まれたんだ。
お金を媒体として何でも嫌なことを拒否して日常を築いて来たから生きて行く事があまりにも「美しい」事ばかりで固められてしまったんだ。
そこにつけ込まれ、「もっともっと美しい善人でいましょうよ」って商売が入り込んで来たんだ。
パンがないならケーキを食べたらいいじゃありませんか、てフランス革命のマリーアントワネットのように言ったら、その内、処刑されてしまうよ。
まあ、それくらいの感じの女だったのかな。
貧乏人から見上げれば。
上手い事言うねえ。
後記:
この1文は、ある読者とのやりとり中で問題となったテーマをまとめたものです。
この考えは、何十年の間も変わらないのでここに掲載します。
今後も変わる事はないでしょう。
これからも多くの若者が矛盾をはらんだ「正義」の行動に出るでしょう。
私の指摘は、行動するな、と言うものではありません。
少なくともこれらの最低事項をふまえてから、主張すべき問題である、と言っています。
今、沖縄の若者の多くは、こうした複雑な問題に耐えられる「思考」を持っておりません。
愛を説けば何でも解決する、と思っている昨今の流行り唄にどっぷり浸(つ)かった中から生まれた「意見」でしかありません。
そして未成熟にも、これは政治とは無関係だ、と主張します。
したがい、私は、ここに、私も沖縄県人であり、ミュージシャンである、と付記し、彼等とは無関係である、という事を提示しておきます。
これも、沖縄のミュージシャンが舐められないための私一人のふんばりです。
各界の識者に成り変わり、そのあまりにも幼稚な主張を昨今の結婚式の余興程度に御考え、寛容を持って見過ごしていただきたくあります。
すべて「無知」が招く行動です。
なお、ある動物愛護団体に関しては、私は、分析の結果、「詐欺師」である、とその代表夫婦を判定致しました。
彼等は、数年ほど前に夫婦で来沖し、ここ沖縄に「巣食った」詐欺師と認定致しました。
昨日、徹夜で、インターネット上で、その実体を検証致しました。
その組織名称の掲載は、ここでは控えさせていただきます。
いずれにせよ、組織と呼べるものではなく、ある夫婦で主催されているだけのものです。
私は、幼少の頃、ぜんそくの薬とされ祖母より猫の肝(きも)を騙されて食わされた人間です。
ぜんそくは治りませんでしたが、このような「原罪」を与えてくれた祖母に感謝しております。
どうぞ、「猫を食べたミュージシャン」として後ろ指を指して軽蔑して下さいませ。
私は、いっこうにかまいません。
一応、立ち止まって振り返り、じっとあなたを見つめ、しばらくあなたの家を確かめてから立ち去るかもしれませんが、おかまいなく。
なお、さらにこの問題を追求したいと望む者には、作家で僧侶(そうりょ)、故、今東光(こん.とうこう)氏の短編小説、「闘鶏(とうけい)」を熟読されることを希望します。
氏は、同じく作家で僧侶、瀬戸内寂聴女史の師匠であります。
拙者(せっしゃ)は、こんな「人間道」を踏み外した阿呆なファンに支えられて生きるのは御免でございまする。
無論、進んで動物を虐待する「理由」は、所有しておりません。
しかし、身に危険あらば、致し方ありません。
その仕上げに「食う」事もありえるかと存じます。
できる限り、人間を「喰らう」状況は回避したいと、この平和な状況においては、決意しております。
したがい、可能な限り、戦争は回避したいというのが私の戦争は嫌だ、という「理由」であります。
このサイトもますます妖怪じみてまいりました。
春先でしょうかねえ、これも。
あくまでも「暇つぶし」の日記でございます。
これもごく少数の読者の「特権」です。
その根底からして私とは、人種が違っております。
一応、今回は、子供向けに発言しております。
ぜひ、その教育の一環としてお役立て下さい。
御子息を詐欺師にしないためにも。
追記:2002年3月11日(月)午前6時30分
詐欺師は、皆んなカッコいい「職業名」の者だよ。
労働なんかする事生涯ないな。
料理なんか、興味ないから「限定」すんだな。
興味あったら皆んな「科学者」の興味と一緒だな。
これを作ったら世界はどうなるだろう、あれを食ったらどんな「味」がするだろうって、興味津々さ。
これを書いたらどうなるだろうって文学者の興味だね。
この音使ったら嫌われるのかなあ、って音楽家と同じさ。
まあ、どんな分野でも、どれくらい他人に気に入られるかって事がまず最初の修行なんだけど。
それができないってのは未熟って事なんだけど。
偽善者は何時だって、その初期の実験結果だけが「すべて」の目的さ。
2002年3月2日(土)午前4時50分
28:チョムスキーがテロを定義した「2002年3月26日(火)」
ノーム.チョムスキーは、世界的な米国の言語学者だ。
「生成文法理論」と言えばその道の人間では水戸黄門のように有名だ。
現在は、マサチューセッツ工科大学教授である。
いわば「言語学」の天才である。
何かと、「オレはチョムスキーの生成文法を理解してんだけどね」って言う英語教師も多い。
そのチョムスキーがテロに関してのコメントを米国内で行なった。
1989年、パナマでの米軍侵攻で一度の攻撃で住民の多くが死んだ。
80年代の初頭、ニカラグアの内戦に介入した米国が行なったテロでは数万人が殺され国土もすべて破壊された。
米国がテロとの戦いを宣言するのはこれが2度目だという。
国家の大義名分でレーガン政権が行なったのだ。
ところが今回も当時と同じ人間がこのテロとの戦いの宣言にかかわっているのだという。
ラムズフェルド国防長官は、当時は中東特使だったのだ。
この中東でのテロには米中央情報局(CIA)が関わっていた。
この当時の中東テロ行為の米国の責任者たちが今回の反テロ戦をすすめている、という。
そして、チョムスキーがなぜこうした「矛盾」が可能なのか、という事で「テロリズム」という言葉を定義してくれた。
チョムスキー氏によれば、アメリカが使う「テロリズム」という言葉は、本来の意味として使用されていない、という。
ニカラグアでの米国の行為が非難されている事でも理解できる、として、アメリカにとって「テロ」とは、米国自身に対して行なう行為であり、アメリカという国がどんなに残虐(ざんぎゃく)な事を他国に対して行なってもそれは「防衛」であり、「テロ防止」と呼ぶ事になっている、と指摘する。
チョムスキーの定義では、今や「テロリズム」とは、米国に敵対する行為であり、米国だけが他者を非難する場合にだけ使われる言葉となっている、という。
なるほど、そう考えれば、アジア、黄色人種のわれわれ日本人が米国の許しもなく「テロリズム」などと他者を非難して使ってはいけないのだ。
これは、アメリカ人だけが使ってよい言葉だったのだ。
ずいぶんとこれまで、私も間違った使い方をしていたものだ。
ついつい自分たちもアメリカ人だと思わされて来たせいか、同じように使ってしまっていたようだ。
したがってアメリカが他国を攻撃する事は「テロリズム」ではない、と覚えておこう。
これは、「防衛」であり「テロ防止行為」なのだ。
ちっとも知らなかった。
日教組推薦の「広辞苑」には、
1:政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為、暴力主義。テロ。
2:恐怖政治
とあるので、これに「ただし、これはアメリカだけが他国に使用する時に限られる」と赤ペンで記しておこう。
米国務省報道官は、このテロを「政治的目的のために罪のない人々を殺す行為」と定義した。
言語学の大家のチョムスキー氏がこの定義で納得するわけがない。
この「立派な」定義によれば、米国こそが最も代表的なテロ国家となり、他の大国も十分テロ国家となる、と指摘する。
論理的に当然の帰結である。
また、テロは弱者の武器とよく言われる事もまったく見当違いだ、という。
テロは、最初から強者の武器だ、という。
国家こそがテロの代理人なのだ、という。
そして、最悪の事態を招くものが、この国家による「テロ行為」なのだ、
うん、なるほど「個人」によるテロよりも「国家」によるテロの方がケタ違いな残虐な結果を招くのは当然だ。
チョムスキー氏は、日本人が、1930年代に中国に「満州国」という「楽土」をつくり、住民を中国の盗賊団の「テロ行為」から守ろうとした例を上げる。
こうした行為は、歴史的に枚挙にいとまがない。
しかしチョムスキー氏は、自身は単なる「平和主義、反戦主義者(pacifist)」ではない、としている。
自衛のための暴力は合法的な場合は、認める、としている。
国連憲章は、国家の暴力行使に関して、安保理が認めた場合と自衛の場合には認めているので納得できる、という。
しかし、今回の米国のアフガニスタン爆撃は、自衛行為ではない、とする。
国連などの援助機関は数百万人の住民が犠牲になるから止めてくれと米国に懇願(こんがん)した。
米国は、これを拒否した。
しかし、これは、国際犯罪として扱う事項である、とチョムスキー氏は言う。
そして、米国の著名な戦史家の書いた最近の論文を上げる。
国際犯罪による残虐行為では、まず警察が国際的な捜査で犯人を探す。
その後、国際機関に訴え、犯人の身柄確保の承認を受ける。
次に国際法廷で犯人を裁きにかける。
こうした過激でも何でもない、まともな人間としての行動を取るべきである、と提起している。
国際法を守り条約義務を守る、というこの提案をチョムスキー氏は強く支持している。
しかし米国は、証拠の提出も拒否し、国際機関による手続きも無視した。
米国は、犯人の「正式な」身柄引き渡しの可能性もさぐらなかった。
証拠は渡さない、しかしビンラディンを渡せ、と主張した。
どんな国でもこんな要求には応じられない。
米国は、安保理にさえも武力行使許可を求めず、一切を独自に行なった。
これは、唯一の超大国アメリカは、どの国の許可も必要としなくてよいのだ、という事を世界へ示すためだった、という。
これはまるでマフィアのドンと同じ論理だ、とチョムスキー氏は言う。
マフィアのドンが誰かから集金する場合、いちいち裁判所の許可を得る必要があると思うか、というのだ。
彼は、自分の力で集金できる事をみんなに示すだろう、という。
また、その必要がある。
彼の力を誇示するためである。
国際政治用語ではこうした事をクレバビリティ(信頼性:credibility)の確立、と言っている。
この意味は、言うとおりにしないと面倒な事になるよ、という事らしい。
う〜む、ゴルゴ13もクレバビリティがある、という事だな。
米国が公式に安保理決議を求めなかったのは、世界の強国として好きなようにふるまうから誰も邪魔するな、これが米国流の公式政策なのだ、と言う主張が込められていた、というのだ。
米国が世界の警察官と主張している事に対しても、チョムスキー氏は、それは警察官に対しての侮辱(ぶじょく)だ、マフィアを警察官とは言わない、ときっぱり答えている。
では、米国は、世界の秩序を保っているのか?とチョムスキー氏は問う。
ベトナム侵攻、インドネシアによる東ティモールでの虐殺への支持、トルコによるクルド人虐殺への支持、アフガニスタンでの市民への空漠、、これらを見て秩序を維持しているのか、と問う。
実際は、強い国がやりたいようにやっているだけだ、とチョムスキー氏は指摘する。
またテロの背景とその根絶に関して、まず二つに物事を分けて考える必要があると説く。
一つは、犯人側と、もう一方は、彼等に同情してこれを支持している背景に関して、とにである。
中東の穏健派のイスラム層も、米国が残酷で腐敗した圧政を支持していると主張している。
米国は一方で民衆虐殺を支持し、
フセイン体制下のイラク市民を苦しめ、
(註:経済制裁、医療薬品封鎖など、そのため子供はバタバタと死ぬ。)
パレスチナに対するイスラエルの軍事占領も支持している。
米国がやる事は、犯人を見つけ、それを裁きにかけ、背景の諸問題に取り組む事だ、という。
すべては、この「背景」に問題がある、としている。
テロの背景となる「不満」は、テロ行為とは別に処理すべき事だ、という。
それが米国が取るべき「正しい」答えだ、とチョムスキー氏は結ぶ。
う〜む、しかし今、アメリカはいつのまにかビン.ラディンにも興味がないようだ。
最初からどうでもよかった人物じゃあないのだろうか。
なんだかビン.ラディンの話しは、流行遅れの話題のようである。
あれほど、「標的」「空漠の目的」としていたのに、、、。
まるで、アメリカそのものが世界へ向けて毎年発している「流行音楽」のようである。
”世界のわれわれのようになりたい田舎者たちよ!、今、アメリカは、これが主流である ”、というすべて営利目的のための広告である。
これを間に受けてアメリカ.コンプレックス国の住人が大騒ぎする「しくみ」である。
50年以上も前の「沖縄」である。
日本は、ごく最近からである。
そんなに嬉しい事なのかなあ。
アメリカ人になる事が。
所詮、田舎者じゃあ。
タイムマシンに乗って過去の沖縄を見るような感じだ。
『ボク等は、生まれた時からファースト.フードのハンバーガーは食べていたな。だけど日本本土にファースト.フードが上陸したのは、ボク等が16歳くらいの頃だよね。マクドナルドの沖縄上陸は、18歳くらいだ。日本本土に上陸したファースト.フード店の掃除をしていたのは二十歳のワシじゃあ。ボクより5歳くらい下の沖縄の世代からは、全国一律の世代だね。何もかもね。給食もね。物心ついた頃には、マクドナルドがまずあったって世代だな。だからボク等は、日本本土の同世代とは全く異質の幼年期だな。共通事項はテレビだけだな。彼等が初めてファースト.フード店を知ったのは十代も後半のはずだ。それじゃあ今のアフガニスタンの若者と変わりがない。』
ちょうど今の日本の「流行」が「韓国」の若者に流れるようなもんである。
掲載記事では、こうしたチョムスキー氏の発言は、「正論」であるがゆえに「過激」とみなされ、米国では、極端な少数派だ、としている。
孤立を恐れず、権力批判を「知識人の役割」として、反戦の立場を貫いて来た強靱(きょうじん)な知性を感じると取材した記者はその印象を伝えている。
なお、米国が上げるテロ支援国家は、
1:朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)
2:イラン
3:イラク
4:リビア
5:シリア
6:スーダン
7:キューバ
の7国。
この7国に対して米政府の対応基準は、
1:テロリストに譲歩せず取引しない。
2:テロリストを裁きにかける。
3:テロ支援国に圧力をかけて孤立させ、行動を変えさせる。
4:米国の協力国を支援しテロへの対応能力を高める。
以上の4点をあげている、という。
(以上、2002年3月3日沖縄タイムス朝刊より要約整理掲載、英語原文、共同通信3月1日掲載)
後記:
この記事は、読んだ人も多いだろう。
遺しておこうと思って書いてある。
私の掲載動機と、あなたの最初の先入観とはその「主旨」が違うでしょ。
何するにも。
私がいつもこうした著名人のコメントを見て感心するのは、みんな、普通の情報源である新聞やテレビや本を見たり読んだりして「世界」を見ている事である。
取り立てて「ここだけの話しだが、、」という情報もない。
みんなが知っている材料で物事を構築する、という事は、まさに知性人の証明である。
これは、すぐれた料理人にも音楽家にも哲人にも科学者にも言える事である。
周知の事実を新たな「視点」をもって構築し直す、のである。
言語は、その最も「根源」となる道具の一つである、という事がチョムスキー氏の意見でわかる。
氏は、世界的な「権威」であるが、私だって普通の「情報」で、そこそこに指摘している事がある、と思って今だこのテーマを書いている。
やがてアメリカが再び本格的な「戦闘体勢」に入るのではないか、と思っているからだ。
現在も報道はされないが、時折まだやっているらしい。
もともと、みんなが関心のある事にはあまり興味がない。
それは誰でも話題にしている事だからである。
みんなが話題にすれば、いつか正しい結論へと導かれるからだ。
後年の記録のために現在の状況を記しておく。
今、国内では政治家のチクリ大会の真っ最中である。
社民党のボランティア団体出身の辻元清美議員が辞職するかしないか、自民党の鈴木宗男、加藤紘一氏はどうなるか、という問題である。
個人的なちょっとした関心は、鈴木氏の子分である沖縄の自民党衆議院議員、下地幹郎(シモジ.ミキオ)は、ここ自民党政権中の沖縄のマスコミ界で話題に取り上げられるか、である。
(彼は献金を受けた若手議員に上げられていたにもかかわらず、県内では、新聞の片隅に多くの自民党議員ととも鈴木氏に対し、これを咎める立場からにコメントしていた。)
今日、マンガ喫茶に行って週刊文春の今週号(3月2?日号)を見ると下地議員の県内でのワンマンぶりが特集で出ていた。
彼の一家は、新進の建設会社で、戦後から君臨していた県内の大手2社を既に抑え、県内の公的事業の建設を一手に引き受けるようになった、とするものだ。
数年前か、彼が議員に立候補するというのでよく覚えている。(調べると平成8年とあるから4年前か)
私より2歳年下の者でもう「議員」が県内でも現れて来たのか、とチェックしていたのだ。
ある日、ビラが部屋に投げ込まれていた。
それは彼の実体を暴露したものだった。
まあ、彼の生まれた島での品性と金権を非難した内容だったのでよく覚えている。
(彼の話題は、今後も県内では取り上げられないのだろうか。今日現在も全くない。)
こうした中傷のビラは2度目であった。
1度目は、顔見知りのジャーナリストである。
たまに私の20代前半の頃のライブハウス(ジャズボックス)に出入りしていた。
彼は、1フィート運動(アメリカから沖縄戦のフイルムを1フィートづつ購入してそれを上映する運動)の功労者である。
彼のビラは、「私は知事に殴られた。あんな酒癖の悪い男を知事にしてはいけない」とする内容だった。
これは今からでは6、7年も前だったと思う。
道端で会ってしまったのだ。
これは君のような「有名人」が知っておくべき事だ、と言って渡された。
オレのどこが有名人なんだあ、とわけがわからなかった。
「嫌われ者」ならわかる。
音楽だってまた「引退中」だった。
まあ、当時から私が引退中かそうでないかは、私しか知らないくらい「有名」じゃないというのに。
当時の知事と言えば、太田氏である。
そのビラは、イラスト付だった。
殴られている者と殴っている者がマンガになっていた。
世の中は、実に、、、、、滑稽である。
PS:
ああ、それと、前回指摘した詐欺師たちと夫婦二人だけの動物愛護団体は、相変わらずテレビでも取り上げられ募金を求めて活躍中だそうである。
そう言えば、韓国の若い女性が、今日の新聞で「韓国人や中国人が犬を食べるからと言って非難しないでほしい。それは、食用の犬であって、みんながヤギや牛を食べる事と変わりはないのです、世界には、もっと色んな食文化があるのです。ねずみを食べている民族もいます」って訴えてたぞ。
サッカー開催地となって、世界中?(金持ち白人及びそのコンプレックス日本人社会だろ?)からこの事で非難を浴びているらしい。
優雅で怠惰で、かっこいい職業の詐欺師たちは、はびこるのである。
夏場のごきぶりの根絶もむつかしいではないか。
見てるしかあんめえ。
罠くらいは、しかけてね。
10年殺しの罠で気長にね。
彼等に今、何を言っても無駄じゃない。
そうしてるのがかっこよくて楽しいんだから。
生きる自由ってやつでしょ。
それより歳取ってから罠にひっかかる方が悲惨じゃない?
今は、たんなる「ねたみ」って言われてしまうからね。
まあ、お互いやる事あるし。
そんなに上手くいかねえって。
いったとしたら、そりゃあ彼等の御先祖様の善行のおかげだねえ。
ははあ、お見それしましたって、その時は自分の御先祖様に文句を言うしかないんじゃあないかなあ。
ん?
これって何教よ?
罰(ばち)はあたらないかもって言ってんだぞ。
2002年3月26日(火)午前4時24分
久しぶりに書くからと言って、別になまけていたわけではない。
イスラエル、パレスチナをめぐり、様々な事が起こったので、しばらく傍観(ぼうかん)していたのである。
そして、そこには、多くの事が潜んでおり、とても一言では、言えない事ばかりなのでこのまま成り行きを見ていようか、としていたのである。
国内も大騒ぎ、となった。
そうこうしている内に沖縄本土復帰30周年(30執念?)である。
ますます、宿題は、膨大になり、一体何から手をつけてよいかわからないほどである。
そこで、次代の若者のために、整理しておく。
まず、「沖縄問題」が、どういう風に本土の者へ捉えられているか、という事で、最も多い一般庶民の認識が「沖縄は単に地理的条件から便利だという理由で、アメリカが占領している」とするものである。
これは、アメリカが日本を信頼している証拠なのだと私に「ちょっと沖縄人では、わからないようですから、これが真実なんですよ」とばかり「教授」して来た者もいる。
呆れ果てるほどの「洞察力」だ。
これを全世界、いや、少なくとも「全沖縄県民」の前に提示して見せればよい。
彼等、自称インテリ族にかかれば、沖縄問題は、すべてこれが「正しい解答」であるから、何を一体、沖縄の人間(「子供」を除く)は、50年以上もじたばたと抵抗しているのだろうか、と言う事らしい。
やれやれこれくらいも「沖縄人」というのは、物事の「正しい解答」が自分らで出せないのだろうか、という事である。
まあ、50年以上かかっても理解できない、というなら、ちょっとそれどころではないほど楽しい事ばかりで時間が取れないのだが、30分くらいは、私達の頭脳で考えて上げよう、というのが彼等の「親切心」のようである。
彼等は、一瞬にして「正解」を導き出したので、もう沖縄問題は「終り」である。
次の問題は、あるか?まだ、あと15分くらい私には暇があるから何でも質問して来なさい、である。
ああ、あのアメリカ.テロ事件ね、何だ、まだわからないの?
まだ沖縄では、新聞でやってるの?
あれはね、アメリカのロックフェラー家とイギリスのロスチャイルド家の確執(かくしつ)でね、そこにCIAがからんでの作戦が失敗してね、あれが起こったんだ。
『世の中のすべての「事件」は、すべてこの「双方」ユダヤ人一族の仕業(しわざ)であるらしい』
ハイ、次の問題は?
まだ、後5分あるから、何でも考えて上げるよ?
ホロコースト?(ヒットラーによるユダヤ人大虐殺)
まだ信じてんの?
あれはね、すべてユダヤ人の陰謀でね、元々、ガス室なんてのもなかったのよ、メディアってねユダヤ人がすべて握ってるからね、全部嘘なんだよ。
ついでに言えば、中国の「天安門事件」ね、あれもユダヤ人の陰謀でね、大袈裟に報道してんだよ。
次は?
次! あと2分あるよ!
え?
アポロ11号の月面着陸?
あれも嘘。世界中をナサ(NASA:アメリカ航空宇宙局)がね騙(だま)したのよ。嘘の映像を使ってね。
あっと、もう時間だ、ぼくよりも頭がよくない人種のために、ぼくの「頭脳」で何十年も解決できないでいる様々な問題の「正解」を出して上げる時間は、もう終りだ。
ぼくは、ちょっとそういう事よりさ、もっとさ、粋(いき)な趣味に興(きょう)じたいわけよ、じゃあまあ、一応、「正解」は言っておいたから。これからちょっと見たいコンサートがあってね、ケニーGのコンサートなんだから、それ所じゃないんだ。まあ、まだ解決できない問題があるなら来週の日曜に30分くらい空けておくから、リストアップしておいてよ、今は、ちょっと急いでいるから、じゃあそういう事で、、、。
あなたがもしこれからの若者で、こうした「これが正解なんだよ」と頭ごなしに言って来る自称軍事評論家の「大人」たちに出会ったら、何とするか。
私は、問題によっては、その自称「優秀な頭脳」を気取る人種には、「殺意」すら抱く。
特に、沖縄問題に関して、「ああ、あれね、あれは単に地理的問題で沖縄をアメリカは占領してるのですよ」という者は、許せない。
彼等の俄(にわか)仕込みの、一晩、インターネットを駆使して獲得した程度の「知識」で、すべての問題に関しての「物知り博士(はかせ)」を気取る「習性」に腹わたが煮え繰りかえるほどの「怒り」を覚えるのである。
「一晩」ですべての「答え」を得るのである。
まさしく「受験勉強」の一夜づけ的知識である。
彼等は、天皇がアメリカ大統領へ向けて出した「書簡(しょかん)」の事も、佐藤首相-ニクソン大統領間で取り決めた「密約」の事も知らない。
『そもそもが傲慢なイデオロギー観である。ベトナム戦争は何を意味したのか、を考えた事はあるか。こうした事を数え上げれば切りがない。
「近いから」彼等は、そこを利用したのではない。その先に彼等が「欲しいもの」があったからそこが近く「見えた」、のである。たまたま近かったのではない。
あの家のあのぶどうの木になるぶどうの実が「欲しい」と思ったから、その隣のひ弱なばあさんの家が「目に入った」のである。そこが一番、手頃にねじふせられるために「近い」と思ったのである。
その隣の家は「強そう」だから、「近い」と思えなかったのだ。
これは、極めて、傲慢(ごうまん)で、傍若無人(ぼうじゃく.ぶじん)な態度である。
そして、その事に、まるで自国民(わが子)が娯楽に興(きょう)じる事だけを何より優先させるべきである、とする傲慢な親の態度にも似た、暗黙の了解が「存在」しているからこそ、これほどの「無関心娯楽至上族」がはびこったのではないのか、という事だ。
「その子は、別に、元々、うちの子ではありませんからどのようにしてもよろしいですよ」という「状況」が50年以上も続いているのである。少なくとも「行動」だけを見ると、確かにそう語っている。それ以外に適切な「理由」は当てはまらない。』
その「知識」の底があまりにも浅すぎるのである。
「一夜づけの知識」、というが、これを「一晩インターネットづけの知識」としてもよいほどの浅さである。
そうして、すべての問題が、彼等の中では「完結」し、すでに「終えた」過去の問題なのである。
「今は、そんな事よりも、夢中になってる趣味があってね、あんまり「正解」が、もう出ている問題にかかわっている暇人(ひまじん)ではないのですよ、私のモットーとしてね、私は、ポジティブな人間ですからね」、と言うのがその暗黙の主張である。
神様は、何でこんな「人間共(ども)」にも文字を読めるようになる事は必要だと説き、教育を受けさせてしまったのだろうか。
彼等には、何の「知識」も必要ないのではないか。
あっても、結局、彼等が興じる「娯楽生活」を保守するための「正解」しか信じようとはしない。
そうした「正解」を導き出せば、人は、何も自己に問われる事もなく、ただ、幼児と同様に「娯楽」を求め、日々を過ごすだけである。
様々な一流の「識者」の見解を読むと、必ず、そこには、ある種の「行動」が求められ、またその行動は、実際に試行されつつある計画の一つであったりする。
あるいは、その問題がいかに「複雑」な問題であるか、という「事実」を提示して終えている。
けっして、「これは***なんですよ、じゃあそういう事で」と、突然、頭上から「断定」して「結び」とする者はいない。
これは、一種の「無知」のなせるわざである。
中学生の頃、必ずクラスに1人は、こうしたインテリ気取りの「劣等生」がいた。
劣等生は劣等生らしくしてこそ魅力がある、というものだ。
私は、劣等生街道まっしぐらである。
あれがそのまま「大人」になったのだ。
大人になったらそうそう仕事以外で試される事はないから何でも言いたい放題である。
こうしたインテリ気取りの「阿呆」の発言は、切りがないのでほっておく事にする。
せいぜい、4,5人の孤独な仲間たちを相手にもっともらしく「断定」して見せて余生を送ればよい。
一方、識者の中には、あのアメリカ.テロに象徴される事の「底流」には、遊牧民(ノマド)と定住民の闘いがある、とする者もいる。
遊牧民(土地、国をさまよう者)の象徴としての「旅客機」と定住民(都市市民)の象徴としての「高層ビル」との対比である。
世界のあらゆる問題を無視する「定住民」、世界の様々な問題を持ち込んで来る「遊牧民」との衝突である。
もし、思考した、とされる「解答」が、一切の「行動」を模索する事がないとすれば、それは「思考」した事にはならない。
そうした結論しか得ない「思考」は、何も「思考」しない事とまったくの「同義」である。
生半可な「インテリ気取り」と、単なる「阿呆」は、同列の存在である、という事である。
それならば、文字は読めないが、他人の「痛み」をわがものと感じる「能力」をもった「阿呆」の方がりっぱである。
彼等、文字は読めないが他人の痛みはわかるぞ、とする「阿呆」をもっと輩出する事を今後の教育の目的としてよい。
でなければ、事態は、何も変わらない。
インテリ気取りばかりを「友人」としては、簡単に「引っ越し」の手伝いも頼めない。
実際に世の中を変えたのは、生半可な知識をひけらかすおくびょうな「インテリ」族ではない。
これが、山本七平氏が「創造」し、落語家、立川談志氏が連呼する「日本教」というものなのであろうか。
(私は、この複雑な概念に関しては、こうしたサイトでわかりやすい言葉に置き換える事は止める。誰もが「理解した」、と錯覚をするからである。「日本教について」イザヤ.ベンダサン=山本七平著、文芸春秋刊1972年参照)
被害者の論理、というものがある。
これを主張する側は、あきらかに「加害者」であるにもかかわらず、これは、まだ自分が生まれる前の出来事である、あるいは、自分は知らなかったのであるから、謝罪する義務はない、がしかし、同情はします、という論理である。
「日本は、かつて中国、朝鮮に対してひどい事をして来た、しかしこれは、私の生まれる「以前」の事であり、これに対して謝罪する理由はどこにもないが、しかし何とも、わが日本国は、ひどい国ですねえ」、と弁明する立場に身を置く者たちがいる。
アメリカへ行けば、アメリカで、中国に行けば中国で、「私も確かに日本人ですがそれは私の預かり知らぬ事であり、それは、私の生まれる以前の出来事であり、我が国の人間があなたの国に対して行なった「悪行」は、確かにひどい。しかし、私はあなた側の人間ですよ、御心配なく。本当に彼等は、ひどい連中です、私も彼等のやる事は、同じ国の人間ではあるけれど、理解できないのですよ、私は、あなた方が大好きですから、彼等とは違います」。
という弁明をする人種がいる。
まあ、彼等の特徴として、自国へ帰れば、今度は、「私は、この国も大好きな人間ですよ」と、そのスタンスをいともたやすく変更して見せるほどの身の軽さである。
イソップ物語で言えば、「こうもり男」であり、ゲゲゲの鬼太郎での「ねずみ男」的キャラクターである。
世の中で、最後に生き残るのは、こうした人種であるらしいから、見習うべき点も多々あるだろう。
私は、見習わない。
別に彼等を友人とするほど、人恋しくはない。
嘘でかためた人生に生きる事ほどかっこ悪い事はない。
彼等が亡くなる前日にでも、その嘘八百の人生を全部ひっくりかえして冥土(めいど)の旅の「声援」として見送って上げよう。
せめて「あの世」では、嘘でかためた人生を送るなよ、という愛情に溢れた行動だと思っているから、これは極めて「善意」からの申し出である。
先の「被害者の論理」という事にもどれば、明らかに「加害者」であるにもかかわらず「われわれこそが被害者である」と主張するという事は、われわれを否定する者は、すべて「悪」である、という立場を主張する、という事を意味し、そこでは常に不毛な「議論」しか生まれない。
したがい、「正義」という名を得たい者は、「われこそが被害者である」と主張する立場のフラッグ(旗)をまず先に獲得する事が一番の近道である、と言える。
ドイツ人は、ユダヤ人を、ユダヤ人は、パレスチナ人を、とつながって行く。
共通している点は、「加害者」である立場よりも「被害者」としての「地位」を得たいと切望している、という事だ。
そこには、常に、「強者」である「狼(おおかみ)」の顔をひた隠し、「弱者」としての「羊(ひつじ)」の仮面をはずそうとしない「したたかな」戦略がある。
しかし、どうみてもその図体(ずうたい)は、凶暴そのものである。
弱者(被害者)の仮面を被(かぶ)れば、「攻撃」「テロ」は、いともたやすく「抵抗」「反撃」とその定義にしたがい「変更」する事ができる。
したがい、「弱者」としてのフラッグ(旗)は、何としても、手に入れたい。
このフラッグを手にする事で、すべての行動が、「攻撃」から「反撃」とその名を「変更」する事が可能となる。
行動は、そのままでもOK!という事であるから、現状は変えなくてもよい。
「私こそが被害者です!」「いいえ、わたしこそが本当の被害者です!」といった、「終りなき戦い」である。
例え、「加害者」と認知されても、臆することはない。
「うちの父がそんなひどい事をしましたか、わたしも父は好きではありませんので、わたしには何の責任もありません。だからわたしは、この事であなたに謝罪する事はありませんが同情は致します。」
万事がこの調子であるから「強者」側の人間はどっちでも本当はよいのである。
「まあ、父がしたことは、私とは無関係ですが、財産に関しては、私は無関係ではありませんから、ちゃんと父の財産は、相続致します」という論理である。
自分にまで責任が及ぶ事は「無関係」、しかし得する事は、「関係者」の立場に変わるのである。
「本当に日本人は、ひどい連中ですよ、わたしも日本人ですがあきれています」
「えっ、すばらしい点もある?、ええ、ええ、まったく同感です。その血は、どうやらわたしにも流れているようなんですよ」
まったくもって、喰えぬ奴等よ。
これが、子を持つ親側の立場であればどうであろうか。
どんな事があっても、親は、子供の取ったすべての行動に責任を取るのではないだろうか。
一体、この「弱者フラッグ獲得の戦い」に「終り」はあるのであろうか。
どこの誰もが、自身を「強者」の立場にある、という「事実」を拒絶しているからである。
窮鼠(きゅうそ)猫を噛(か)む、ということわざがある。
この強者である側の「猫」が、「弱者」のフラッグを掲げるためには、まず、ネズミ共(ども)に1度は噛まれてみなければいけない。
噛まれもせず殺しては、何かと周囲の眼もうるさい。
だから適当に噛まれるまで、軽い追込みをかける。
そして、おびえたネズミが、ようやくやけくその勇気をふりしぼり猫に死にもの狂いで噛みついて見せる。
こうなれば、猫側にとっては「噛んでもらう」という大変「ありがたい」行為となる。
噛んでくれてありがとう、である。
これでようやく「被害者」側の立場へ移行できる「整理券」を手にする。
1回くらいでは、まだまだ「整理券」程度である。
正式な「キップ」ではない。
これを何度も繰り返す。
国家を持たない放浪(ほうろう)の民をいくらいじめても、そこには何の団結した組織も報道機関も持たないからいつのまにかこの世から「抹殺(まっさつ)」されていく。
だから国家を形成した国の「被害」は、大袈裟(おおげさ)な痛がり方をする。
こうした痛ぶり方を何度か続けて行く内に、「被害」の報告書、「痛み」の診断書も溜まって来る。
さあ、今こそ、やっと、われわれも「被害者」なのだ、とそのフラッグを掲げる時が来る。
後は、思う存分「反撃」を繰り返せばよい。
少なくとも何の「反撃」もなく「絶滅」させては、何かと今後も体裁(ていさい)が悪い。
どうせ「強者」は、何をしても文句を言われるんだから、これくらいの「弱者」くらいの立場が「ちょうどいいくらい」ではないか、という事なのだろうか。
実際、猫側の支持者も増えて来た。
傲慢(ごうまん)な人間は、けっして自分を傲慢な存在であると認めない、という。
あるいは、「へえ〜、知ったかぶりする人間ってのがいるんだなあ」である。
私が、このサイトで主張しているのは、強者(加害者)は、けっして自分を「強者」のままの立場で弱者とはかかわらない、という事だ。
彼等は、まず弱者同志を戦わせる。
そして「高みの見物的位置」に自身の身をおき、それをただ傍観(ぼうかん)し、その間に任務を遂行(すいこう)するだけである。
そこに水俣病(みなまたびょう)の工場と漁師の関係があり、同様な「戦略」が海苔(のり)産業を巡る問題にもある、という事だ。
これが「強者」の取る、お決まりのパターンである。
その魚は、工場の垂れ流す「廃棄物(はいきぶつ)」のため汚染されている、と工場に対して主張する漁師。
その噂(うわさ)、あるいは「事実」により、漁師は、魚が売れなくなり、生活に困る。
そして「工場」は、それらの生活に困った「漁師」の一部を工場勤務として「採用」して行く。
後は、水俣病の患者となった「元漁師」と、工場勤務となった「元漁師」を「戦わせる」という図式である。
これが、「強者」側として自分の手を汚さずに「弱者」を制圧するための「マニュアル書」である。
したがい、占領した土地の「土着民」をできるだけ「雇用(こよう)せよ!」と言うのは、一つの「戦略」である。
そんな「戦略」を小学校あたりから教えてみたらどうか。
次の時間は、「マキアベリズム」の授業でもあったらなおよい。
何百年にもわたり彼等が開発して来た、「侵略」のための「イロハ」である。
まず、「侵略」した土地で最初に始める事は、その土地の者を雇(やと)う事であり、あとは彼等同志で「戦わせ」、双方が「自滅」するまで、高みの見物をしていればよい、という侵略を繰り返した先人の「知恵」であろうか。
こうなると、これも「兵法(へいほう)」の一種である。
出来上がるのは、何でも侵略側の提示するものを絶賛する、都会にあこがれる忠実な田舎(いなか)育ちの僕(しもべ)たちである。
1972年5月15日は、私は、中学1年生である。
その時から、学校では「沖縄」を教えなくなった。
確か、つい最近までだ、と思う。
あの少女暴行事件が起きるまでは。
それから急に、「沖縄」が始まった。
だから、1972年から何も知らない子供達が増産されて来た。
1978年7月30日には、右側通行から左側通行へと交通が変わった。
確か、あの日は、大雨の日ではなかったか。
私が、自動車免許を取った年である。
何度も反対車線を走ったりした。
だって教習所では、右側通行でずっと練習していた。
初心者マークを車体に張り付けた者が大雨の日に、初めての左側通行を試みたのである。
とにかく、今も生きている事は確かである。
後記:
本土復帰の年は、中学1年生、ドルから円に通貨が変わった。
生まれた時から、こずかいはセント、お正月の「お年玉」は、ドルである。
じっと「ドル」を見ていると、子供の頃の記憶が蘇(よみがえ)って来る。
そこに至るには、一応、1時間くらい見ていないと思い出せない。
思い出すと切りがない。
ああ、あの「パットン将軍」の戦車のプラモデルは、12ドルだったんだ!
レコードは、確か、、、、と言った調子だ。
あの頃は、1ドル360円だった。
今日の午後5時頃は、ちなみに¥129.45だった。
あれから今日までは、差額の230円分ばかり歳を取ったんだな。
大した事ねえや。
2002年5月16日(木)午前4時46分
30:嗚呼(ああ)、見事である、ダグラス.ラミス!「2002年6月19日(水)」
「本土復帰30周年」に今、沖縄では様々な特集記事が組まれている。
関心がないのは、1972年から1995年あたりに学校教育を受けた「大人」たちである。
彼等は、まったく沖縄の歴史を知らない者で溢れている。
中には、第一次世界大戦は、1960年に終った、という若者もいる。
今、音楽三昧(おんがく.ざんまい)に明け暮れる者は、大概、みなこれくらいが「普通」である。
真珠湾攻撃というのもまったく知らなかった。
「真珠でできた港から攻撃したの?」とテロ当時、バンド仲間と話している者たちもいた。
ホントかな?と疑う者は、最大のトップシークレットを明かそう。
誰でもよい。
もしそいつがバンド活動でもしている沖縄の若者なら一匹捕獲し、何でも聞いて見たらよい。
まずは、手始めに先の戦争は、何時始まり、何時終ったのか、また、それはなぜ始まったのか、でもよい。
とんでもない答えが返ってくるだろう。
沖縄を売りにしている若手地元ミュージシャンでもよい。
観光ガイド案内書にでも書いてある基本的な事でもよい。
とにかくまあ、びっくりするような解答が聞けるだろう。
地元のテレビ番組を見ていたら、自然保護一派のミュージシャンが勢揃いして出演していた。
発起人らしき男に、これまた阿呆丸出しの元ミュージシャン風の男がインタビューしていた。
「どうしてまた、自然保護を訴える歌を作ったのですか?」と聞いた。
すると、「ええ、しばらく音楽活動をしていなかったんだけど、テレビを見ていたら、これだ!って思ったんだ」と述べていた。
そんな理由を公共の電波で述べる方も述べる方だが、これを聞かされる県民も情けない。
何が「これだ!」なのかは、さっぱりわからない。
しかし、まあ、司会者も同種の言語を話すのであろう。
「なるほど」と言った。
おいこら!テレビ番組から郷土番組をもっと減らして全国ネットの番組を流せ!
こっちまで、「これだ!」って答えるような人間になってしまいそうだ。
なぜ、反戦歌を唄うのですか?
う〜ん、ラジオ聞いてたらね、「これだ!」って思ったんですよ。
しかし、まあ、そんな事も大目に見てやろう。
所詮、文盲(もんもう)集団である。
新聞を、読んだ事もなく、生まれてから一度も読書をした事がない、というのがこの手の特徴だ。
マニュアル書を読む事だけは、平気らしい。
言われた通りやればいいわけだ。
しばらくすると、その自然保護の歌ってのを全員で演奏して唄い出した。
なぜか、司会者まで歌に参加している。
「自然」だから、まず、フォーク調のイントロからスタートしている。
日頃は、電気パチパチでやってる者が、ジーンズの後ろのポケットに差し来んでいた「リコーダー(小学生が授業で吹く立て笛)」を取り出し、吹き出した。
あ〜もうよい。
何もかもが、「自然=素朴」風である。俄(にわか)素朴スタイルである。
なぜなら日頃は、電気楽器大好き軍団だからである。
我こそが、21世紀を生きるにふさわしい「電脳人間である」が売りだったはずである。
こうしたジャンルの音楽を「洗脳歌」と呼んでおこう。
「軍歌」なんかも「洗脳歌」である。
もちろん、「歌詞」がなくては、その「呪術(じゅじゅつ)」の威力も発揮しない。
面白くないのでチャンネルを変えた。
ああしたものは自治体とその住民でよくよく相談して、餓死するかどうかを検討すればよい。
私の唱える「発明家教育」を文化庁を無視して県が採用しないから、こうした問題は今世紀中続くであろう。
5月26日(日)付け沖縄タイムスの朝刊を見たら、沖縄、那覇市在住の政治学者、C.ダグラス.ラミス氏が、有事法制に関してコメントしていた。
あまりにも見事な論理に、思わず、唸ってしまった。
この論法は、残しておくべきだ、と思う。
政府は、平和憲法を改憲しようと試みたが半世紀以上も経ってしまった。
そこで小泉政権は考えた。
そこで考え出されたのが「有事法制」だ。
有事三法案では、憲法の改正は不要になる。
憲法を停止すればよい、のだ。
戦時の時だけ、憲法に変わって有事法制(=戒厳令「かいげんれい」)が国を支配し、人権保障は、停止される。
戦争が終ったらまた「平和憲法」が復活する、というしくみだ。
これにより日本は憲法九条で禁止している「戦争」ができる国になる。
要するに、臨機応変に、憲法を出し入れできるようにするわけである。
つまり、憲法改正を行なうには、国会で3分の2の賛成が必要なのである。
これが得られないから50年以上もそのまま、である。
しかし、「法案」は、単純過半数あれば成立される。
つまり、ある会社がどんな事があっても「遅刻」は、絶対してはならない、という、「綱領(こうりょう)=(規則)」があったとする。
どんな理由であれ、「遅刻」した者は、減給である。
これに、不満を持っている社員がいる。
別の「外資系」の会社でも働いている「掛け持ち委託社員」である。
このルールを変えるには、社員全体の3分の2の承諾が必要である。
200人の3分の2は、133名くらいである。
ところが、毎年、その時の状況に合わせて、会社の細々とした「方針」を決める会議があったりする。
この決議に必要な人数が、社員全体の過半数あればよい、とするのだ。
200人の社員の過半数となれば100人でよい。
3分の2との差は、33名である。
これくらいなら(100人)、「まあ、悪いようにしないから戦法」で、各自割り当て1人づつ、で説得が可能である。
一体、何を悪いようにしないのか、といえば、本来「不安定」な職業である政治の世界に「永久就職」的な、安定した地位と権限を与えるのである。
こうしてまあ、外資系の会社の協力を得た社員が過半数の社員を説得し、「掛け持ちしている外資系の会社で緊急な用事があれば遅刻してもよい」とする社の「方針」を新たに設定するのである。
なるほど、ダグラス氏が、「お見事!」というほど、この有事法案の手口はすばらしい「盲点」である。
50年以上も誰も気づかなかった事を、小泉政権は、「見抜いた」のである。
犯罪者は、法律によって「犯罪者」と認定される。
だから、何とか「法律」の逃げ道はないか、と知恵を絞る悪徳商法もある。
しかし、これが国家となると、様々な「手口」により「憲法」に支えられた国家を監視する「法律」の抜け道を何の罰則もなくオペラ見物でもしながら考え出す事もできる。
「これだ!」である。
この有事三法案によると、国が危険にさらされていると総理大臣が判断した時点で発動する事ができる。
すべては総理大臣が決定する。
ダグラス氏によれば、もしこうした事が可能となれば、すべての法律の正当制は憲法によって決定している、「立憲国家」が崩壊する、という。(王権神授説に支えられた「王国」と対比を成す)
憲法は、誰かの脅迫や意見に左右されないための「義務」として存在している、という。
いわば、憲法を守るために「法律」が存在しているのである。
やくざの親分の、「わしは絶対にヤクの売買はしない」というのがその一家の「憲法」である。
そこで、そのヤクを手に入れるためのあらゆる手段などを禁じたものが「法律」となる。
「コロンビアに海外旅行してはならない」などという法律を作る。
じゃあ、コロンビア人が旅行して来るのならいいのかな、と考えるのが、「これだ!」である。
ダグラス氏は、法律は、利益計算や恐怖によって左右されるものではなく、あくまでも憲法に従うためのものである、としている。
日本国憲法には、何かあった時(有事)に、憲法の条項を停止してもよい、とはどこにも書いていない、と言う。
総理大臣に憲法を停止する権限を与える、とする事自体が、憲法改正の領域である、という。
有事三法案は、憲法九条(戦争はダメ)はもちろん、
十九条、思想および良心の自由、
二十一条、集会、結社および言論、出版の自由(私のサイトは消滅すべきサイト、という事だ。あるいは既に「ブラックリスト入り」である。)
二十三条、学問の自由
二十九条、財産権
などを含む、基本的人権をも停止する権限を総理大臣に与える事になっている、という。
しかし憲法には、このような法案を通す権限を国会に与える、という条項はどこにもない、とダグラス氏は指摘する。
という事は、有事法制は、憲法のいくつかの条項を停止する、というだけではなく、国会が従うべき手続きも無視し、立憲政治の原理そのものも否定している、というのだ。
先のやくざ一家で言えば、親分の「信念」を無視し、ヤクの売買をして「しのぎ」をしようではないか、と組員が勝手に動く事である。
ダグラス氏は続ける。
なんでもないこんな「平和」な時に、こんな法案を通そうと言う政府は、一体、「有事」の時は、何をするのだろう、と嘆く。
有事法制自体が「憲法」となれば、もう政府は何でも実行可能である、という。
つまり、この法案は、日本国憲法と「縁」を切る事を目的とするのが真の目的ではないか、としている。
「有事」とはいっても、どこの国との戦争を想定しているのかは政府は常にいわない。
しかし有事三法案は、その第一の「敵」を初めて命名した、という。
つまり、「有事」の際に、政府にとっての最大の「敵」は、「国民」なのだ、という事である。
だから、国民は、突然、あらゆる事を犠牲にして、政府に協力しなくてはいけない、というわけだ。
『私の母の話しでは、同級生の子がある日、学校から帰って来たら、家は、日本兵で占拠され、家族はどこへ行ったかも不明であった、という。それは突然「ある日」起こるのだ。すべての人生が中断されるのだ。冤罪「えんざい」事件と同種のものである。私は、ギターを弾く事が許されないのだ。本を読む事もである。文盲のミュージシャン連合にはわからないであろうが、読書ができない、という状況は、地獄の日々である。あるのは過酷(かこく)な奴隷(どれい)の日々としての「現実」しかない。』
ダグラス氏の沖縄の友人の中には、沖縄が本土復帰して唯一よかったのは、日本国憲法の三原則、平和、人権、主権在民、を得た事、と言う者もある、と紹介する。
しかし、この有事法制により、そのすべての原則もなくなりそうだ、という。
沖縄復帰三十周年にしては、「本土」から不思議な贈り物がやって来た、とダグラス氏は述べている。
後記:
沖縄復帰式典に、首相は、そろりそろりとやって来てしゃかしゃかと、その日の内で帰って行った。
アメリカ軍側の代表は、「日本政府がここでいい、と言ってんだからアメリカは、沖縄とは関係ない。それより、世界は、ますます危険になっているのだから沖縄はこのままにしておく」と挨拶した。
今度また、何か米軍との事件でもあれば、100人ばかり基地内のレストランにでも就職させる原住民を追加させよう、とは言わなかった。
これもアメリカ側が決める事ではない。
給与を出すのは、日本政府である。
先達て、沖縄では、地元の原住民が6千人近くも集まり、この「有事法案」へ反対する集会をした、と新聞に写真入りであった。
沖縄だけが、突然、日本軍によって家屋敷が占拠され、収容所に押しやられた「あの日から」の生活を体験したからである。
土地は、そのまま日本軍からアメリカ軍の土地となり今だにもどってこない。
復帰後、これらの地主を分裂させるために、日本政府が策を練り、土地使用料の価格を3倍近くも増額した。
これにより、たとえ、土地が返還され、農地として再び利用されても、そこで収穫される「さとうきび」の価格以上の土地使用料が得られるようになる。
であれば、わざわざ働く事を申し出る者があろうか?
それが、あるのである。
様々な個々の想いがあるのであろう。
たとえ増額されても、それでも嫌だ、とするが理由は様々である。
しかし、それならこのままでもよい、とする者もいる。
そこに「分裂作戦」の導入を見る。
念のため言っておくが、この作戦は、アメリカ側がやったわけではない。
こうした「こんなんではいかがでしょう?政策」という政策と、その資金援助はすべて日本政府側が、自分からアメリカ側へ申し出たものである。
有事法案抗議にあたって、6千人近くも集まった、とされる、沖縄中部の「集会」の翌日、首相は、日本対ロシアのサッカー観戦に夢中であった。
一体、どこへ向かって6千人は「抗議」したつもりだったのだろう。
まずは、国民に今、一番人気のあるスポーツに便乗して、人気回復を、である。
そんなに興奮したのなら、あれほど日本を代表して国民を沸せた選手に一人、一千万円くらいは支給すればよい。
当然であろう。日本国を代表してあれほど国民を沸せたのであるから。
これで国民全体に愛国心も芽生えた。
いかに、他国に負ける事がくやしいかも理解した。
さらに、あの「日露戦争」時のように「ロシア」に勝利した。
そこからすべては始まったはずである。
それから軍事路線に突入した。
何かのきっかけさえあれば、「大義名分」はたやすく掲げられる。
沈んだ舟でも引き上げて見せるか。
『自国領に侵入した謎のスパイ船を「防衛のため」撃沈させた事件。どこの国のスパイ船であろうか、が目下の争点である。引き上げて身元が判明したら一体どうするというのだろう。ついにやるか、、、。戦争をしかけるための恰好の大義名分となる事件でもある。』
まさに、有事三法案を成立させるには絶好の「時」である。
それにしても、国民の支持を得るには、まず「文化戦略」から、というのは、どこの国でも侵略した側のイロハ戦略である。
とにかく、ハリー.ポッターが好きで、サッカーが好きで、Xジャパンが好きで、競馬が好きで、、と、今一番人気のある文化と芸人が好きだ、と言っておれば、人気なんてちょろいものよ、と言うのも政治家の人気獲得の鉄則である。
まちがっても、「友寄君、君の音楽はすばらしい!」というわけがない。
待てよ?
もし、そう言われたとしたら、私は、何か、好んで自ら嫌われる事を指摘できるであろうか?
まあ、地獄の沙汰も金次第よのう。
いよ、大黒屋!
参照:後記:「サッカーと私」(8:「ここがおかしいジャズ理論、4:偽終止」)
ps:
言論がない奴等には、言論の自由はわからない。
そういえば、今日(6/18)の琉球新報(朝刊)によれば、ダグラス.ラミス氏は、今、坂本龍一氏の名を冠(かん)した「非戦」という本に寄稿し、「テロにより沖縄は、危険地帯」と書いたため、当時の編集者たちから掲載を拒否された、という問題が掲載されている。
新聞紙上で「非戦」の担当編集者との間で書簡論争が始まる、という。
編集者は、沖縄観光を配慮して、というのがその主張だ。
しかしダグラス氏は、沖縄の一部の知識人(私の事だろうか?んな阿呆なあ〜)が怒っているのは、「危ないから沖縄観光を避ける」という論理にあるのではないか、とある。
その上あの「非戦」という本には、一部のちょっとした例外をのぞいて「沖縄」に誰も触れてないのがおかしい、と主張している。
実に、面白そうな展開である。
さらに後記:
実は、この原稿の前半のごく一部はタイトル込みで、長い間知らずに掲載されていた。ちょっとした不注意である。
3週間ばかり経って気づいてあわてて削除した。
ちょっとそれから時間は経っている。
催促されたので、こうして真面目に一気に書いたのである。
本来、私は、「これだ!」と思う事は、大体、かなりの時間をかけ、それでもそう思うかを自問し取りかかっている。
素人としては、当然の行為である。
本当の「問題」は、そう簡単には「逃げない」からである。
未解決のまま、あっと言う間に何年も経ってしまうのが、本物の「問題」である。
この連載には、そうしたすべての「思索」が提示されている。
時代とともに風化する事は一切ないつもりである。
何度でも熟読されたし。
「アメリカ.テロ」と題してはいるが、私ごときでは本来、手に負えない深い問題ばかりである。
当然、私以上を自負する者であれば、「深い」問題ではない。
しかし、その前に、2,3の質問はして見るつもりである。
単なる馬鹿か天才かの調査である。
2,3の質問で十分である。
時間は取らせない。
2002年6月19日(水)
31:備えあれば患(うれ)えなし「2002年6月27日(木)」追記:参考資料「7月2日(火)」
このタイトルとして使った言葉は、
「ふだん準備がしてあれば、万一の事態が起きても心配しないですむものである」(広辞苑)、という意味らしい。
そこで自分でも一体どんな場合になるのか、と考えて見た。
*あるいじめられっ子の少年が何かあった時のためにとナイフを忍ばせて学校へ行った。いつものようにちょっかいを出して来たいじめグループのリーダーについに「キレ」、背後から背中へナイフを突き立てた。備えあれば患(うれ)えなし。
*ちっとも受験勉強をしなかったので、あれやこれやとカンニングの準備をしてテストに臨んだ。わりあい問題は簡単だったので、カンニング.ペーパーを見るまでもない、と思い、自力で解いた。提出する際、カンニング.ペーパーがポケットから落ちた。それを教師が拾った。備えあれば患(うれ)えなし。
*いざという時に彼はいつも毒ガススプレーを持ち歩いていて、電車で口論となった乗客へスプレーを吹きつけた。他の乗客も気分が悪くなり車内は騒然となった。備えあれば患(うれ)えなし。
*初めての海外旅行。何かあった時のためにと少し大目の現金を持って行った。空港に着くやいなや、ひったくりにあった。備えあれば患(うれ)えなし。
*ある老夫婦が、子供たちのためにと貯金を重ね、ちょっとした財産を作った。これをさらに倍にしてもっと安定した老後をしてはどうか、と近所の銀行が言って来た。後は、お決まりのパターン。損させた行員は、転勤。貯金は、わずかなものになった。備えあれば患(うれ)えなし。
*暴漢におそわれた時のためにと空手を習った男がいた。ある時、空巣(あきす)に遭遇(そうぐう)。これを追っかけて行って、過剰な攻撃をしてしまい泥棒は死亡。備えあれば患(うれ)えなし。
*また一人、空手を習い出し「初段」となった男あり。しきりにクラクションを鳴らす後続の車に「キレ」、車を停止し、後続の車へ怒鳴りに行った。彼はその車に乗る「組員」等の「事務所」へそのまま連れて行かれ帰らぬ人となった。備えあれば患(うれ)えなし。
*この二人、共に「実践組手」の経験はなかった、という。ただ、自身の身体を頑丈に鍛えていただけなのに自分は、強い、と思ったらしい。先の者は、加減を知らず、後者の者は、己(おのれ)を知らなかった。備えあれば患(うれ)えなし。
*ある男、家族に楽をさせようと懸命になって働き莫大(ばくだい)な財を築いた。おかげて彼の子供は言うにおよばず、その孫の代まで働かなり、遊びほうけて馬鹿になった。ひ孫の代で、阿呆経営がたたりついに会社は倒産。備えあれば患(うれ)えなし。
*ついに念願かなって政治家に。今さら一平民なんぞにもどる気なし。しかし、もしやの時のためにと、あれやこれやと手を尽くし、隠し資産を作る。これがバレて今では牢屋(ろうや)暮し。備えあれば患(うれ)えなし。
*1年で普通の人の3世代分の稼ぎがある監督の妻が、夫は、不安定な職だからとあれやこれやの裏帳簿。これが「マルサ」にバレて夫の職も貯金もすべてパア。備えあれば患(うれ)えなし。
*将来のために子供に英語を学ばせようと、大金かけて語学教室へ。この際ついでだ、と留学までさせた。あちらでは誰でも英語を話す、と子供は帰国した。しかし英語はできるが、他には何もできず。しょうがないので英語を教える事にした。しかし、どこも同じような者ばかりで溢れて就職できず。「コニシキは英語はできるが相撲取る」一句。「曙も英語はできたが相撲取る」二句。備えあれば患(うれ)えなし。
*以降は、自力で色々考えられたし。100,000,000個くらいほしい。
人は、「言葉」があるからそれらの僕(しもべ)となって行動しよう、とするのだろうか。
はたまた、その行動を「意味づける」ために言葉を探して来るのだろうか。
そうであれば、できるだけ「カッコイイ」言葉をその行動に当てはめた方がよい。
でもなぜ、そうした「行動」が最も正しい、と判断するのだろうか。
何か、そこには、とても複雑な「言葉」と「行動」を結び付ける、あるトリックがあるのではないか。
はたして、行動を決めたのは「言葉」によるものか、あるいは、何かしらの得体の知れない「動機」がそこにあり、その事を言葉にするために、何かしらの言葉を探して見たのではないか。
私は、ある事象へ反論すると、既に自動的「悪」と見なされる世の中の暗黙の了解に対して、何か「得体の知れない」反感を常に抱く。
これを批判する事自体悪なのか?という事象である。
それは何かとても卑怯な「行動」であり「言葉」である。
彼は、とても親孝行である、、と評される者がいたらどうか。
私なら、彼は、一体、どんな親に対して親孝行であるのか、と言う事がまず気にかかる。
何!あのバカタレの息子か!親を尊敬しているって?
じゃあおまえもゆくゆくは、犯罪でもおかすか?
常々言っているように親を尊敬する事と大切にする事は全く次元の違う世界である。
彼は、一生懸命働いてがんばったんだよ、、、って?
ちょっと待てよ、世の中には、絶対に一生懸命がんばってはいけない人種がいるんだよ。オーム真理教(現アレフ)の信者は、一生懸命にがんばって働いてはいけないんだよ。
そんな変な商売やってる連中も一生懸命にがんばってはいけない人種だよ。
被害者しか生まれない。
君達は、お願いだから一生懸命に生きないでほしい。
常に無気力で、何も社会に働きかけなくていいから、ただじっとしてその人生を終えてくれ、その事については誰も文句は言わないから。
毎日、毎日、ボーとして早く還暦になって、けっして懸命に人生を生きようなんて思わないでほしいのだ。
君達のような人間が社会に何か働きかけると必ず何かとんでもない事が起こる。
一体どこの誰が君たちへ向かって一生懸命生きろ!なんて言ったのだ。
見ろ!おかげで、世の中は大混乱ではないか。
去る6月23日、沖縄での慰霊の日の式典に我が日本国の現首相が出席。
式辞を述べている最中に、ある老齢の地域地元議員が、団扇(うちわ)に「有事法案反対」と記し、これを演説中の首相に水戸校門の印篭(いんろう)のように突き出し、首相は、慰霊する資格はない!となじり式典は騒然とした。
議員は、渾身(こんしん)の力を込め意を決し声を上げ「申し立て」をしたのである。
まあ何とか、議員は、皆になだめられ式典も無事終えたのであるが、これに対し、よく言ってくれました、と議員の元へかけよる参加していた内地からのヤマトンチュー(大和人)の老婦人と「式典でああいう事をするのは非常識だ」となじる地元の老人の談がバランスよく新聞には掲載されていた。
式典が終り、小泉首相は、この事を記者に質問され、「まあ、備えあればうれいなし、というからね、それに法案というのは常に賛成反対はつきものだからね」とまるで達観したように切り捨てた。
私が、この発言で気にかかる「言葉」がこの二つ。
「備えあれば患(うれ)えなし」と「法案というのは常に賛成反対はつきものだからね」である。
もはや、この首相には何を言っても馬耳東風(ばじとうふう)であるから、政治の話しは、首相抜きで語るのが一番よい。
別におかしくはない。
誰が何をいくらいっても無理だから、「抜き」で語るのだ。
それはアメリカの大統領であっても同様であろう。
共通して言えるのは、どちらも突然降って湧いたように大きな地位を得た者である。
念のため言っておくと、私は、悪口を言っているのではない。
「事実」をただ述べているだけである。
私が関心を持つのは、もはや彼等自身ではない。
彼等は、どうせ何を訴えても聞く耳はもたない人種であるからだ。
興味があるのは、彼等から出る「言葉」なのだ。
一見、適当に見えるその選択した言葉なのだ。
「法案には賛成反対はつきものだからね」と言う発言をする深層にはどんな心理が潜んでいるのだろう。
まず、この言葉により、一切の「法案」というものが「一律化」し、すべてが「同じ次元」に位置されている、という事である。
つまり、今度の「法案」も今までの「法案」と何ら変わる事のない「普通」の法案である、という認識である。
う〜む、これを何に例えよう。
「君の友人のO君が死んだよ!」
「ああ、彼も人間だからね」
という感じである。
あるいは、
「あなたのお婆さんがなくなったわよ!」
「まあ、病気だったからねえ」
である。
ここにあるのは、すべてを「一律化」し、取るに足らない、いつもの事よ、と認識しているのか、あるいはそうさせようとしている「意識」から来るのか不明な「答弁」である。
いくら何でも、そういう言い方はねえだろう、である。
つまり、そこには、物事に対する「優先順位」というものを無視し、あるいは、なるべくそういう風な思考をさせないように、という態度があるのである。
「法案には賛成反対はつきものだからね」という発言には、先に上げた会話の例と全く同じ印象を抱くのである。
一体、人は、どういった心境ならああした言葉を選択する事ができるのであろう。
ひとつ、真っ先に言える事は、彼は、祖母もO君も日頃から大嫌いである、という場合。
日頃から嫌いな連中が死んだら、私でもそう言うかもしれない。
「ああ、彼も人間だからね」である。
しかしまた、よほどの覚悟と決断でそうした事態に臨んでいた場合もこうした言葉は選びだされるはずである。
「まあ、病気だったからね、、、」。
果たして、エルビス.プレスリーとオペラとXジャパンが好きだ、とする首相は、どちらの心境で述べたのであろうか。
「イソップ物語」には、「デマデスとアテナイの人々」(Demades and the People of Athens)って話しが最後にある。
ギリシャのアテネの有名な演説家のデマデスが民衆へ向かって国の一大事を訴える。
しかし、民衆は、誰も聞いていなくて、おしゃべりに夢中になっている。
そこで、演説を中断し、デマデスは、有名な寓話の「イソップ物語」の中から「女神デメテル」の話しを始める。
すると民衆は、急に静かになり、デマデスの話すイソップ物語に耳を傾ける。
しばらくして、突然、デマデスは、女神(めがみ)デメテルの話しを中断する。
民衆は、「それから女神はどうなったのだ!」と騒ぎ出す。
デマデスは言う。
女神デメテルは、怒っているのだ、と。
身を入れて聞かなければいけない大事な国事があるのに、「イソップ物語」にしか民衆は耳を傾けない、という事をだ、とデマデスは答えるのである。
今、この国の事を患(うれ)えているのは、あの「地上戦」を体験した、あの時も今も何の力も持つことができなかった老人たちだけである。
彼等には、「無力である」と言う事がどれほどの体験をするか、という事が身に染みてわかっているのである。
サッカーに夢中になっている幸せな「孫」たちには、あんな体験をさせたくない、として最後の力を振り絞っているのである。
「備(そな)えあれば患(うれ)えなし」「法案というのは常に賛成反対はつきものだからね」と慰霊の日に我が国の首相は沖縄で述べた。
よう言った!
選挙はまだか。
2002年6月27日(木)
初出の沖縄タイムス6月24日(月)朝刊(?)が手許にないので7月1日(月)の琉球新報の記事を参照する。
慰霊の日の6月23日、糸満市の平和祈念公園で開かれた沖縄全戦没者追悼式で参加者の一人が立ち上がり、「有事法制は許さんぞ」「首相は献花する必要はない」と激しい抗議の声を浴びせた。54歳の北中城村議。「小泉首相を黙って帰すわけにはいかないと思った。有事法制は平和憲法を死に追い込む。自分の行動に悔いはない」と話した。
同氏の行動に会場は一時騒然としたが、一部では拍手もわいた。
これを目撃していた石原晶家沖国大教授は、「有事法制反対、という発言は多くのの県民の声を代弁し、拍手があったのも県民の危機意識の表れで、発言は戦争でなくなった人の声のようにも聞こえた」としている。
一方、「式典は戦没者の霊を慰め、平和を祈る厳粛な場、ああいう抗議は常識外れ」と批判する県遺族会の会長の座喜味和則氏の弁もあるが、氏は、「県民は強制的に国家に従わされ、その結果、沖縄戦で犠牲になったことを考えれば、有事法制は慎重にすべきだ」と同時に述べ、抗議した村議の気持ちもわかる、と強調した。
抗議した村議自身は戦争は知らないが、防衛隊として召集された父親は戦傷を負い、18年前に他界するまで航空機の騒音に体を震わせた、とある。
遺骨収集、不発弾処理は今も続き、何かが起きれば沖縄の米軍基地は発進基地となる。沖縄戦は終っていない。それでも有事法制を許すのか、と抗議した村議は語っている。写真では、村議の右手に掲げられた団扇(うちわ)には、「有事三法案、絶対反対」と書かれている。(琉球新報2002年、7月1日(月)朝刊より抜粋掲載)
2002年7月2日(火)
32:思えば、遠くへ来たもんだ(宇多田ヒカルとブッシュ大統領)2002年9月8日(日)
2ヶ月ぶりで話題にふれて見る。
テロから1年がやがて経つ。
もうここでは、誰も関心がない話題であるが9月11日には、またイベントになる。
関心がないのは、当然で、それは自分たちの暮しとは、関係ないからだ。
だから、その「無関係」さから、当然の結末として出て来る「無関心さ」に、何かしらの罪悪感を感じる者がいるとすれば、それを「仕事」にすればいい。
それを「語る」事が、「職業」ともなれば、誰しも、どんな問題でも、「関係性」をつける事ができる。
語る、ことで、簡単に「正義の側」に立つ事ができて、しかも、経済的に成立する、とすれば、こんな良い商売はない。
じゃあ、語る、だけで、悪の側に立ち、何の経済的恩恵も受けない、としたら、語る、という事を積極的に行なう理由もない。
時折、テレビのニュース番組を見ていると、ひょっとして自分の方が偉いのではないか、と思う事がある。
彼等は、「仕事」だから「語っている」わけである。
「仕事」だから「正義」の立ち場で語っているわけだ。
もし、そうした部署どころか、リストラに遭った、として、これからは、別の仕事をしなくてはならない「ハメ」になったとして、、、それでも彼等は、語るのだろうか、と思ったりする。
そうした事を漠然と考えていると、うん、彼等は、仕事だから語っているわけだから、仕事でも何でもないのに、こうしてニュースを見たり、物好きにも、何の仕事でもないにもかかわらず、「語っている」自分の方が、ずっと偉いなあ、と思ったりする。
でもやっぱり、自分は、どうでもいい事を語っているんだから、やっぱり大して偉くないよなあ、という結論に至る。
じゃあ、何で、こうして語るのか、と問われれば、それには、明確な解答がある。
語りたくない、からだ。
語りたくないから、語っているのだ。
私が、こうして語っていると、「社会派を気取っているようですが、、」という、「阿呆」から「社会派を気取る奴」とレッテルを貼られたりする。
何だろう、この「社会派」ってのは?
辞書で調べても、「社会」が最初に冠せられている様々な言葉の中に、「社会派」はない。
しょうがないから「社会鍋(なべ)」の定義を載せておく。
社会鍋:慈善鍋の別称。(季:冬)、、、とある。
まあ、何の関係もない。
面白そうだから拾って見ただけだ。
「おお!今日は、社会鍋か!」って使い方は、間違った使い方だろうが、なかなか使う所がない。
そんな鍋の事は、さておいて、「社会派」ってのは、別に「社会」を語らなくてもよい職業に就きながらも、何かと、社会的な問題に口を出している人種、という意味なんだろう。
まあ、そうとなれば、「社会派」と言えなくもない。
ある若者から、私の話しは、浮き世離れしている、と指摘された事がある。
う〜ん、若者でもないな。30歳は、過ぎている。
今時の若者は、誰も新聞や本を読んだりする者がいないにも関わらず、こうした話しを日常でする事自体が、浮き世離れしているのだ、という。
私にすれば、「普通」の話題であっても彼等からすると「浮き世離れ」している、というわけだ。
君達?ひょっとして音楽でもやってんじゃないの?
昔からね、音楽やってる奴等に、そんな事言う人種が多いんだ。
漫才だって、時事漫談ってジャンルがある。
絶対、音楽やってるよね。
でなきゃ、そんな事は言わないね。
浮き世離れしてるだとか、「社会派を気取って」とかね、普通、言わない。
私にすれば、あまりにも、あたりまえの話しをあたりまえに語っているだけだからだ。
犬もあるけば棒に当るってわけだ。
新聞読んでりゃニュースに出会うってのも同じ事。
テレビ見てりゃ、政治家が演説してるってわけだ。
だから、その度に、いちいち独り言をつぶやいているって事だ。
目の前に、「カツ丼」が出りゃあ、肉が固い、て文句の一つも出るわけだ。どれも、あたりまえ、の日常会話だ。
世の中に何が起きようが、ケニーGの話しをしてるって奴等の方が、よっぽど「あたりまえ」じゃない。
だから、こうした「普通」の事に、わざわざ社会派ってレッテルを貼る事もない。
まさか、選挙に行くその日だけ、社会派になるってわけじゃないだろう。
そういうわりには、君等だって突然、正義のために!って言って立ち上がるよね。毎日、新聞読んでないってのは、すぐわかる。
これを唱えると、絶対、正義の側に立てるって保証された立ち場に立てるって事がわかると、必ず、飛びついて、君達も突然「社会派」の仲間入りってわけだ。
自然を守ろうって取材を受けた、その次は、全員揃って、今度は、ビーチ.パーティーに興じている、って取材だ。
そんなテレビを見る方の立ち場ってのもある。
なんでもかんでも大衆にアピールすんじゃねえ。
じゃあ、私だって、車社会反対!って事にしておこう。
どこへ行くのにもせいぜいスクーター愛用だ。どんな台風の日だって命がけでスクーターに乗るわけだ。
だから、高速道路もいらない。
後は、自転車だ。
もう、正義は、いいな。
正義は、悪よりも矛盾に満ちている。
おかしな事がいっぱいありすぎる。
悪の方が、まだすっきりしている。
オレは、悪党だ。だから人を4,5人殺した。
ああ、何て明解なんだ。
私たちは、正義だ。だから、何万という人を処刑した。
正義の方が、よくわからない。
大分前に、宇多田ヒカルって人気歌手が、首相官邸のレセプションに呼ばれ、アメリカの大統領、ブッシュ氏と何やら、ニコニコとちょっと恥ずかし気に、5秒ばかり、入場の際、会話している光景をテレビで見た。
ブッシュ氏もニコニコと言葉を交わしていた。
小泉氏もにたにたしていた。
そして、その宇多田ヒカルがつい2,3日前に結婚した、という事で、小泉首相が、またしても、にたにたとコメントしていた。まあ、ブッシュも誉めていた娘だった、というような感じだ。
そのコメントと、あのレセプションでのブッシュ大統領の笑顔を思い出し、何か、妙な感じがした。
確かに、ブッシュ氏は、笑顔だった。笑顔で迎えていた。
私が感じた、妙な違和感、というのは、世界中のどこの国にも、宇多田のような若い娘は、いるんじゃないか、と思ったからだ。
あの頃は、18才くらいなのか、そうした娘たちが、ちゃんと暮しているんじゃないか、という事だ。
ブッシュが、もしも、日本に、もう一度、買ったばかりの最新兵器を試そうとした時に、ブッシュは、フッと、あの宇多田という娘が日本にいたな、あの娘もこの兵器で死んでしまうんだな、、、というような事が脳裏をよぎったりしないのだろうか、という事だ。
そんな娘たちは、どこの国にでもいるんじゃないだろうか。
何も日本だけじゃないだろう。北朝鮮にだっているんじゃないだろうか。
ただ、宇多田のように、レセプションで会ったりした事がないので、ブッシュ氏は、わからないんじゃないだろうか。
アフガニスタンにだっていたはずだ。
イラクにだっているはずだ。
その日を毎日、元気に生きて、希望を持って生きている娘たちがだ。
だから、いくら、宇多田のような娘をアメリカ以外の国で知らないから、と言って、ああ、これで、あの娘も死んでしまうかもな、ってイマジネーションできないのだろうか。
もし、知っていたとしたら、こっそりCIA工作員に「あの娘だけは、攻撃前に助け出してほしい」と頼んだりするのだろうか。
その娘が、「あたいには、病気のおとっつぁんがいるから、おとっつぁんをおいてけないだわさ」と言ったらどうしよう。
それなら、あのおとっつぁんも、いやいや、おとっつぁんは、かわいくないからいい、、、でも、そうしなければ、あの娘は、明日の空爆で死んでしまう、、、ああ、私は、どうすべきなのか、、イエス様よ、、、といった事をブッシュは悩んだりしないのだろうか。
これ!パウエル爺!何かよい案はないか!
はは〜!、では、石油を諦め、中東地区から撤退して下さいませ。
たわけ!そんな事をしたら石油会社及び自動車会社からの献金も減るではないか!
では、娘をお諦め下さいませ。
うむ、しかたない、そうするか。
これにて一件落着、、というわけだ。
(暴れん坊将軍なのか、水戸黄門なのか、大岡越前なのか、、遠山の金さんなのか、よくわからないが、、、)
ブッシュとあの宇多田の何気ない笑顔から、何となく、不思議な気持ちがした。
ひょっとしたら、ブッシュは、40才過ぎまで飲んだくれていたから忘れっぽくなったのかもしれない。
それで、今は、宇多田ヒカルの事も、世界中の国に、ブッシュが思わず、笑顔を見せる、たくさんの娘たちがいる事も忘れてしまったのかもしれない。
この間、9月4日、水曜日の「筑紫哲也NEWS 23」を見てたら、あの世界貿易センタービルで亡くなった343人の消防隊員の母親の一人が、「うちの息子はテロに殺されたんじゃない、あのビルに殺されたんだ」って主張を一人で始めて、1年がかりで、ようやく国を動かして、あの世界貿易センターの崩壊のメカニズムをアメリカの商務省が中心になって今後2年間で調査結果を出す事になった、という。死んだ息子の名前は、クリスチャン.レーゲンハード。28歳。
ジェット機突入後、56分して南の世界貿易センターが崩壊し、北のビルは、1時間42分後、だったという。
テロで亡くなった約3000人の内、約2500人が、ジェット機が突入した階よりも上にいた人達だ、という。
非常階段が使えなかったらしい。
突入したジェット燃料の火災で、室内は、最高1100度にも達していた、という。
ああ、やっと、これで、私の最初からの主張の正当性も出た。
さらに、番組を見ていると、あのテロは、もともとアメリカとタリバン政権との「密約」が決裂した結果であった、という。アメリカがプレッシャーをかけ過ぎたのだ。
もともとタリバンは、アメリカ寄りだったという。アフガニスタンは、まわりが石油国に囲まれているので、そこへ、石油のパイプラインを通そう、という計画がアメリカと交わされていたんだという。
ユダヤ人の陰謀でもなく、宇宙人の仕業でもない。ロック.フェラー家とロスチャイルド家の抗争でもない。もちろん、CIAの陰謀でもない。
だから、アメリカは、十分に、テロがある事を知っていた、という。(註:「ぬりつぶされた真実」J.Cブリザール、G.ダスキエ著、幻冬舎刊)
なるほど。
誰しも、やましい事があれば、何かと、偶然起きた何かに責任を転嫁する。
この場合の偶然が、あのビルの崩壊、というわけだ。
あのビルの構造で、2500人も死んだにもかかわらず、すべてを「密約」が決裂した結果の「抵抗(テロ?先制攻撃?)」のせいにしていたのである。
一体、我々は、なんだったのだろう。
バカみたいに、宗教戦争だの、人間性だの、平和だの、戦争とは何か、と真面目に語って見ても、所詮は、石油の利権を巡っての相変わらずの抗争だ。
何がディベートの国だ。
ディベートに一番ならない国じゃないのか。
マフィアとディベートできる奴などいるわけがない。
何が論理だ。
論理に一番弱い国が、負けるのが嫌だからと、力自慢になったんじゃないか。
自分は、力ばっかり付けて、他の国へは、口先教育としてのディベートを広めているんじゃないか。
ディベートに負けた瞬間に、勝った相手は、打ち殺されてしまうって寸法だ。
そうした構造の社会の中に、必要なのは、内部の声だ。
内部から、何の声も上がらなければ、その国は、変わらない。
沖縄からの声が、日本本土に何かを伝えた事があるか。
沖縄からの声をもっと上げよ、と一体、何十年、同じ要求を繰り返すのだ。
その要求を沖縄へ返す前に、まず、その声を聞いた自分自身が、まわりの者へ伝える事ではないか。
あるいは、今の沖縄に、外からの声が受け入れられる事があるか。
何が、沖縄最高!だ。
一体、沖縄のどこが最高なんだ!
次から次へと、文盲の若者ばかり育て上げ、どんちゃん騒ぎばかりを繰り返し、取るに足らぬ観光芸を持てはやし、一体、その笑いのどこが可笑しいんだ。
調子に乗っていると、とっておきの秘密を暴露するぞ!
アメリカ.テロのせいにもできない打撃をいつか傲慢な沖縄は受けるだろう。
今は、恩情で許されているにすぎないのだ。
何も変わらない。
何も変わらないまま、一人一人と、その人生を終え、消えて行くのみ。
何が、悲しいのだ?。
悲しいのは、弔(とむら)われる事もなく、人知れず、消えて行った生命であり、今も、昔も、何も変わらない正義を振りかざす人間が、これからも生き続け、これからも教育され、これからも誕生して来る、という現実なのだ。
変わらない人間どもには、びた一文の同情も示さない。
我国の首相は、すべてを帳消しにする「賭け」のために北朝鮮へ旅立つ、という。
たまには、ここで何かあった時も飛んで来い。
農作業中の農民の足下に銃弾が、飛んで来た、という。
それが、一国の「親分」と言うもんだ。
いつもいつも、こちらからお土産を持って行くばっかりでは、島の「酋長(しゅうちょう)」も惨めなもんだ。それに、もうお土産(みやげ)も出尽くした。
お土産は、どうせ、ここで作っているわけじゃない。その替わり、お茶は、こっちで作っている。
人の世は、持ちつ持たれつ、じゃあ。
アメリカは、世界の警察だ、とアーミテッジ国防長官が言っている。
誰か、威されて、電話でもかけたのか?
これって、ヤクザのしょ場代を巡っての「しのぎ」の手口だよね。
こら!そこの宣教師!、偉くなって、少年にばかりいたずらしてないで、たまには、何か言え。まあ、それも本当は、本場の「伝統」なんだけど。
ペット.フードは、病気や、死んだ動物の内蔵でもなんでも放り込んで、おまけに防腐剤たっぷり入れて、販売してんだってよ。(週刊文春2002年9月5日号特集P39~42)
うん、さもありなん!
人間のもんだって、ああなんだから。(「日本ハム事件」、故、伊丹十三監督の「スーパーの女」であんなに示唆してたのに。一体、何年経って問題にすんだ!)
沖縄のどこが平和の国なんだ!
基地ばっかり誘致して!
今度は、平和産業か!
どこの国も、誇れるものは、何もない!。
あるのは、、、あるのは、、、なんだろう。
え〜い!みんな、自分で探せ!
2002年9月8日(日) 6:00a.m.
PS:
来る、9月11日に代えて。
アメリカ-イラク戦争、前期
尚、荒行連載は、14:沖縄話四題 と一部、テーマが重複関連しております。
*タイトル「思えば、遠くへ来たもんだ」は、詩人、中原中也氏のフレーズによる。
TOPへ
30年ほど前まで、日本本土では、朝鮮人と琉球人は、同義語のように扱われていた。
共に、何を話しているか、その言語から、さっぱりわからない、というのがその一つの理由でもある。
そのために、琉球人が、朝鮮のスパイとして、疑われ、処罰を受けた時代もある。
差別も受けた。
それで、琉球側は、「方言を喋る事をやめよう」と、島民に呼び掛けた。
これは、日本本土が近代国家形成の途上で行なわれた「共通語、標準語」の普及の一環であるが、琉球側は、さらにこれを、勝手に、徹底してやった。
これは、やり過ぎだ!と、本土から視察に来た者の中から、指摘した者もいるが、琉球は、徹底した。(1940年「方言論争」:高等学校、琉球.沖縄史:新城俊明、東洋企画など)
方言を喋った者は、方言札を下げるだけである。
そして、それを下げる事となった者は、次の違反者を探す。
子供に取っては、単なる、ゲーム感覚である。(優秀な子は褒美として、クレヨンをもらったりしている)
これが、近年、方言札は、大和側から押し付けられ、琉球の方言は、弾圧された、と説く者が出て、いかにも悪いのは大和側だとする、何がなんでも被害者側だ、とする若者も、この島の出身に続出させている。
若者は、これを真に受け、何がなんでも、方言は復活させねばならない、として、実に下品な「カタコト方言」を、あたかもお国自慢のようにひけらかし始めた。
もう一度、スパイ容疑で捕まえたらよい。
その徹底した方言排除運動の介あってか、沖縄は、日本本土と比較にもならないほどの「標準語」を喋る年輩者が存在する。
そんな事になってはいても、家へ帰れば親子の会話は、「方言」である。
まだ、そういう「環境」である。
それは、それ、これは、これ、、である。
T.P.Oの使い分けである。
そんな事情も知らず、若者は、沖縄、沖縄、である。
その前に、まともな 日本語を話せ!。
言語は、あくまでも伝達の手段である。
極めて狭い範囲の集落で通用していた様々な「暗号」としての「方言」を統一する事こそ、言論統一の暴挙である。
部落間では、さっぱりその「暗号」の意味がわからない、という事ばかりである。
10人程度の仲間にしか通じない「暗号」と、何百人にも通じる言語の、どちらに優先順位を与えるか。
私は、内部の者とは、テレパシーでやりとりしているから基本的に言葉はいらない。
その一方で、芸能ロボット養成機関で製造された若者たちが、日本本土へと「出荷」されて行く。
ロボットたちは、その目的を遂げると、すぐ様「自己解体」し、人間宣言をしてしまう事が、まだ、その商品は「欠陥(けっかん)商品」である、という事の証しである。
人間となったロボットたちは、虚構の世界の住人となり、その孤独感から、またしても、自らを再び芸能ロボットと化しようと試みる。
人間に注目されていないと死んでしまう装置がまだ体内に組み込まれたままなのだ。
一方、かつての「琉球」において、そうした、過去の共通語取得の努力があったとしても、私が、10代の頃でさえ、「沖縄人お断り」の札が下げられたスナックが東京にある、と小さな記事で、新聞紙上に度々掲載されていた。
私もまだ、「子供」だったから、自分を嫌いになる「大人」が、「海の向こう」にいるとは思っても見なかったのだ。
大人は、みんな、父母のように、自分を愛してくれるものである、と信じていたのだ。
だが、現実は違った。
「沖縄人、朝鮮人お断り」と、札は、もう一つの民族も添えていた。
今で言えば、盛り場における、北海道の「ロシア人お断り」と、沖縄の「アメリカ人お断り」の札である。
それは、「しょうがない」対策だった。
わけのわからない「言語」で、大声で話し、店内で、酔っぱらっては、口論の果てに、喧嘩する。
こんな店に誰が、好きで勤務するのであろう。
これを人種差別だ、と叫ぶ者は、その声を、騒ぎ、わめく同胞の民族に対して向ける勇気のない、臆病者である。
その自業自得の罰として、共に、「お断り」の民族の仲間として暮すしかない。
誰しも、同胞の者とは、直接、闘いたくない、のである。
私が、今、ここで述べたのは、長年の日本本土における朝鮮人と琉球人の結びつきである。
私は、この体験を持つ、最後の世代である。
私の中学生の頃は、まだまだ、沖縄と言えば、みんな裸足(はだし)で歩いている島、全員、英語で喋っている、、としたイメージが日本本土へ伝わっていた。
私より、2,3才上の者は、文通した日本本土の同じ年齢の中学、高校生から、そうした質問をされ怒っていた。
長い間、このイメージは、日本本土の同世代の子供間では「常識」であった。
このイメージを、歌手の南沙織やフィンガー.ファイブが変えた。芸能神話の始まりである。そこへボクシングの具志堅用高などがからんで来る。
しかし、基本的には、差別される側からの芸能誕生は、芸能本来の起源でもある。
歌舞伎(かぶき)、能、も似たような起源である。
この問題に深入りはしない。
先の日朝首脳会談(2002年9月17日)においての、「我が」日本国の小泉首相と北朝鮮の金正日総書記との会談の結末は、衝撃的な事実を一方的に告げた。
拉致(らち)された者の内、8名は、不可解な「死亡通告」のみであり、生存確認は、5人となっている。当日は、4人、となっていた。
その報告を受け、日本本土は、騒然となり、いかにも、と言うかのように、日本の朝鮮系の学校への威(おど)し警告の電話が続出した、と翌日の新聞は告げている。
平時でさえ、民族衣装を着用しての登校は、危険、とされているのが在日朝鮮社会の憤(いぎどお)りである。(チマ.チョゴリ事件:民族衣装名称「チマ.チョゴリ」)
私は、こういう「感性」の人種が信じられない。
「有事」になる前に、処罰したい。
まかりまちがって、私の上官にでもなったらたまったものではない。
二十数年近くも、拉致問題に無関心であった者が、こうした、在日朝鮮人に対しての「脅迫」まがいの行動で、自身を「関係者」として正当化し、正義の側に立つのである。
まるで、アメリカ.テロの被害者の家族でさえ、報復はやめてくれ、と訴えているにもかかわらず、「絶対、赦せない!」として、過激な行動に加わってくる「部外者」たちである。
被害者は、何も、「恐怖」から、やめてくれ、と主張しているのではない。
その場合は、代わって「報復」して上げてもよいだろう。
仁侠(にんきょう)映画の鉄則である。
しかし、被害者は、こうした理由ではない。
もう、無辜(むこ)の民を殺す報復は止めてくれ、自分たちの身内がその「きっかけ」となる事が、さらに悲しみを増してしまう、と言っているのだ。
ここで、思い出すのが、亀戸(かめいど)事件である。
亀戸事件を広辞苑で引いて見る。
”関東大震災下の亀戸警察署で社会主義者らが虐殺された事件。1923年(大正12)9月15日前後に、労働運動家の平沢計七、川合義虎ら10人、ほかに自警団員や朝鮮人を警察と軍隊が殺害”
『インターネット検索:「亀戸事件」
1923年の事件
関東大震災
1923(大正12)年9月1日11時58分、相模湾北西部を震源としてマグニチュード7.9の大地震が発生。中央気象台の地震計の針はすべて吹き飛んだとか。昼食どきだったこともあって、大火災に発展。東京・横浜の大部分が廃墟と化し、被害は東京一円のほか山梨・静岡両県に及んだ。
死者・行方不明者は14〜18万人に、全壊・全焼家屋は57万戸以上にのぼった。この混乱の中、一つの噂が流れた。「朝鮮人が暴動を起こした。彼らが放火したのだ。」と。
不幸な事に、この時政府は実状を理解していなかったのかもしれない。関東地域を襲ったこの震災は東京−横浜間の通信網を寸断し、正確な情報を得る事が難しかった。さらに1週間前の8月24日、当時の首相加藤友三郎が亡くなり、後任の山本権兵衛が組閣作業を急いでいる時だった。はたして政府はどこまでのことを理解していたのだろうか?
事件は拡大する。朝鮮人にまつわる噂を拡大し、実際に反応を示したのが警察と軍隊であった。ある意味、噂を現実の物としたのが彼らの存在であった。当時海外政策上の問題で、国民の間には朝鮮人に対する負い目があったのであろう。噂は拡大していった。「この騒ぎは彼らの報復活動だ!」「彼らはさらに焼け出された人々が求めるであろう水源を狙って、井戸に毒を流し込んだ。」「いや彼らだけでこれだけの事ができるわけはない。きっと社会主義者たちが裏で支援しているのだ。」等など。そしてこの噂を基に多くの朝鮮人や社会主義者たちが、警察や軍隊の手によって虐殺されたのである。そしてこの行為によって噂が信憑性を増し、彼らの無線によって全国に『朝鮮人に警戒せよ!』の言葉が広められた。事件は関東だけのものではなくなったのだ。
結局、事件が沈静化するまでの間、日本において朝鮮人は「関東大震災を機に日本に戦いを挑んだ敵」と見なされ、虐殺され続けた。後に内務省警保局が刑事事件の被害者として発表した死者は朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人であったという。しかし、この人数はあくまでも、刑事事件の被害者数である事を忘れてはならない。事件として立憲できなかった被害者の数は、一切計上されていないのだ。事実、朝鮮被災同胞慰問班の調べでは朝鮮人の死者は2613名、中国人も中国公使館の調べでは160〜170名に上るという。
また、日本人でも当時反政府の立場であると見なされていた、社会主義者たちの多くも被害を受けていた。大杉事件では大杉栄と彼の妻伊藤野枝、妹の子である橘宗一くんが殺害された。甘粕正彦憲兵大尉を中心に数名の人物が裁きを受けたが、首謀者とされた甘粕でさえ3年あまりで仮出所して婦人と外遊、満州に渡って満州映画会社の理事長として権勢を振るっていたという。また亀戸事件もこの年の事件であった。
国際的に立場をなくした政府はこの後、朝鮮人たちを積極的に追ったとされる自警団の摘発に追われる事になる。スケープゴートが必要であったのだ。
これは我々日本人が忘れてはならない、愚かしいまでの過ちである。
http://haraguro.hoops.ne.jp/1923_japan.htm より検索』
私が10代に読んだ本の記憶では、その時、自警団は、夜間歩く者に、「バビブベボ」を言わせて見た、という。
朝鮮人は、濁音(だくおん)を発音できない?、としていたからだ。
そして、それが言えない者は、朝鮮人のスパイと見立てその場で殺害されるわけだ。(同時通訳の神様、とされる国弘正雄氏の著書である。)
最近、深夜、テレビを無差別に3倍録画したビデオから、突然、NHKスペシャル「沈黙の村:ユダヤ人虐殺.60年目の真相」が流れたので、何事か!と見た。
第二次世界大戦中のポーランド、イエドバブネ村にて、1941年7月10日 村の人口の4分の1にあたる、400人の赤ん坊から年寄りまでが虐殺された。
それは、ナチスの仕業だとされていたが、最近、軌跡的に逃げ延びたユダヤ人の手記が発見され、これが、同じ村人のポーランド人によってなされた、と判明する。隣人、同級生、クラスメート、同僚、を虐殺したのだ。
ポーランドは、国を上げ、この事件の解明に乗り出した。
我々は、ナチスの被害者ではなく、同じく加害者でもあったのか!、、と。
中年となった、村人たちも、その解明に乗り出す。今から60年も前の事件だ。
自分の父や祖父は、あの時何をしたのか。
仕方なくやったのではないか?あの頃はナチスに逆らえなかったではないか!
中年の村人の一人が、年寄りたちを訪ね歩く。
亡くなった私の父は虐殺にかかわったのですか、と詰め寄る。
ようやく一人の老婆が答える。
私の夫は、もう亡くなった。
私は、あの時、家にいたからわからない、と。
(以上、NHKスペシャル「沈黙の村:ユダヤ人虐殺.60年目の真相」より)
念のため、述べておくと、この拉致事件に関して、私は、北朝鮮のあまりにもむちゃくちゃな仕業(しわざ)に、あきれて言葉もない。
拉致され、亡くなった?者は、私と同世代であったり、私よりも年少の者もいたりする。
親の世代は、私の両親と同世代であるが、年少でもある。
今、沖縄の新聞は、この、「日朝」間の国交回復によって、アジア地域の平和が維持され、沖縄の米軍基地縮小にならないか、、という議論が展開されている。
私自身の考えは、国交は、回復すべき、と考える。
拉致された家族には、無念だろうが、回復させるしかない。
この国交回復がいかに困難であったか、という事も下記の記事からわかる。
拉致問題を出してくれば席を立った、ともいう。
これほどのワンマンで、対等でない交渉もなかったのではないか。
『日朝国交正常化交渉:
1990年9月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問した自民、旧社会党代表団と朝鮮労働党とで調印された共同宣言を受け91年1月に平壌で第1回交渉がスタート。
数カ月おきに集中的に行なわれたが、植民地支配に対する「過去の清算」問題や核開発疑惑をめぐり難航。92年11月の第8回交渉の際、大韓航空機爆破事件で逮捕された北朝鮮元工作員の日本人教育係「李恩恵」問題に北朝鮮が反発し中断。
2000年4月に7年半ぶりに再開され、日本が50万トンのコメ支援を決めるなど環境整備に努めたが同年10月の第11回会議で再び中断していた。(以上、2002年9月17日火曜日、琉球新報夕刊より)』
国交回復賛成には理由がある。
国交が回復すれば、多くの民間人が互いの国に出入りできるようになる。
この事の意義は大きい。
これにより、過去のソビエト連邦がそうであったように、これまでのすべての情報が流通するようになる。
そして、この拉致事件の審判は、朝鮮の国民自身の手に依って、何年かかろうが、なされるべきだろう。
他国民がする事ではない。
なぜなら、その結末には、常に、報復戦争しかないからだ。
国交が正常化すれば、必ず、次の世代がこの国の歴史の審判をするだろう。
鎖国されたままでは、どうする事もできない。
かつての日本がそうした道を辿(たど)ったように。
いつの時代も、洗脳されている国民には罪はない。
国民は、常に、洗脳される側でしかない。
しかし、アメリカは、自由の国、民主主義の国であり、北朝鮮、かつての旧ソビエト連邦は、共産主義国家であるから、国民は、情報操作され、洗脳されている、という主張は、「常識」ではない。
どんなに、自由であれ、アメリカの徹底した一方的な情報操作は、もはや民主主義も共産主義も関係ない、という事を証明している。
問題は、そうしたイデオロギーの違いにあるのではなく、一体、どこの側に立てば、資本主義社会の競争原理に忠実であるか、という事でしかない事も判明している。
要するに、どちらを応援すれば、儲(もう)かるか、の一点である。
したがい、こうした国交回復によって、どれだけ、正しい情報が流れるか、という問題は常にある。
徹底した、教育システムによって、日本という好戦的で野蛮な黄色人種の侵攻を阻止するには、軍部とは無関係な、広島、長崎に原爆を落とし、大量の民間人を殺すしか方法はなかった、とアメリカでは、小学生の内から徹底して、その論法を叩き込まれる。
そして、その作戦の結果どうなったか、という原爆写真の展示は、拒否し続ける、という徹底した戦後教育である。
『 9月10月日本原水爆被害者団体協議会 国連本部が中止
。
「原爆を作った、原爆科学者は、原爆の被害を見ない。イスラエルを支援しているユダヤ政治家 は、パレスチナの惨劇を見ない。そこには、常に被害者の顔を見ようとする意欲に欠ける、顔を見せないようにする大勢の人々の組織の分厚い壁がある(抜粋要約)」加賀乙彦 (9月18日?沖縄タイムス朝刊?)』
元より、アメリカが、悪の枢軸(すうじく)、テロ支援国家として、北朝鮮を入れたのは、イラン、イラクに代表されるイスラム社会との宗教的対立構造を否定するために、無理矢理、指定した、とされている。
イラクと北朝鮮は、まったくアメリカに取っては、同列ではないからである。
フセインが、アラブ社会を統合するのにふさわしい器の人物である、という判断の元に、何としても、フセインを始末しなくては、アラブの利権を確保できない、という見方もある。
ゆえに、どんな事があってもフセインのイメージを破壊し、抹殺(まっさつ)せねばならない、という。
確かに、一人、アメリカと戦ったフセインは、イスラム社会の英雄になる。小室直樹氏の指摘した通りである。( 「世紀末・戦争の構造―国際法知らずの日本人へ」小室 直樹 徳間文庫、1997年
)
したがい、北朝鮮とイラクは同一の悪ではない。
私の主張は、審判は、あくまでも、情報が開示された後の、朝鮮国民によって、なされるべきものである、という事だ。
他国民からの圧力の末にあるのは、「抵抗」でしかない。
しかし、自己内部から生まれる、圧力の先には、自己崩壊、解体の可能性が秘められている。
個人的な疑問は、一国の独裁者が、ああ何から何まで把握し、決定していけるものであろうか、という事だ。
かつての日本ですら、そうではなかった。
海軍、陸軍間のせめぎあいがあったり、情報の誇大報告合戦があった。
「反骨のジャーナリスト:池宮城秀意セレクション」(14:沖縄話四題)の「IV:強制収容所の十三ヶ月(翻訳)」の、自国ドイツに逆らったとされる、ある舞台俳優のドイツ人の強制収容所での日記を読む限りでは、「ヒトラー総統は、この事を知らないのだ」、を口癖とする者たちの会話がある。
「フーテンの寅さん」、「ゴジラ」の全ビデオを所有し、愛している、とされる金正日は、果たして、一体、どんな歴史の審判が自国民によって下されるのだろうか。
この問題は、同民族の韓国の民にも委(ゆだ)ねられる。
拉致(らち)の数も桁(けた)違いである。
東条英機は、我が国では、極悪人では、ない。
国交回復正常化は、その「審判」を、自国民に問う事にやがて繋(つな)がって行く。その事を尤(もっと)もよく知っているのは、金正日、本人である。
この私の論法でいけば、我々も常に、自国の不手際(ふてぎわ)の根っ子は、どこにあるのか、を糾弾(きゅうだん)する事が、その責務(せきむ)である。
国家とは、定時退社の、公務員によって機能しているものなのであろうか。
そうとなれば、何とも、脆(もろ)い、構造であろうか。
今時、どうせ、非難の対象となる国家のお役所仕事に、人知れず、その命をかける者なんか、いるわけがないではないか。
その成立過程は、近所でも、よく目にする、あの親のあの優秀な子供たちではないか!。
国家のために、命をかける者がいる、としたら、その家庭は、既に、崩壊(ほうかい)していなくてはならない。
一体、このパズルはなんだ。
すぐに命を張る、やくざであってはならない。
真面目でなくてはならない。
国家のために命はかけなくてはならない。
買春してはならない。
愛人を作ってはならない。
その上に、よき家庭人でもなくてはならない。
ぜいたくであってはならない。
頭は、当然、よくなきゃいけない。
聖人君子でなくてはならない。
出会い系サイトにアクセスしてはならない。
退職金は、高くとってはならない。
まさしく人間のメカニズムに反した矛盾した生き物を要求しているのである。しかも、これを大量に採用しなくては、国家は機能しない、というのだ。
問題は、そのシステムにあるのではないか。
稀(まれ)に、そうした人物が誕生したとしても、これを大量生産するシステムが可能か、という事である。
それを、あの受験システムで選別する、というのか!
そうした教育者ですら、買春している、というのに!
まるで、人は、自分にできない事を他人へ要求しているように思える。
私には、あの製造方法で生まれた人材にとっては、みんな精一杯の事をしているに過ぎない、と思う。
一(いち)、音楽教師として思い当たる事は、なんでこういう風に弾けないのだ!という事である。
それが、どうしてもできないのが、彼等なんだ、と思う。
どうしてよいか、わからないのである。
とにかく、そうした者でも活躍できる、「システム」が発明されていないのだ、と思う。
国交が回復したら、誰にでもできる事はいっぱいある。
まず、言葉を覚え、事実を伝える事である。
通訳者を軽視するなかれ。
彼等のメンタリティー(精神構造)こそが、異文化交流の理想である。
彼等は、その言語修得の過程の中で、いつのまにか、無力で生真面目(きまじめ)な中立者(ちゅうりつしゃ)として、生きている。
一地方の、限られた人間と話すための「方言」を学んでいる場合ではない。
自国は、テレパシーで十分である。
まあ、それも、そう簡単ではないが、、、。
PS:
今回は、ちょっと新聞の社説っぽい。
でも、しかたない。
切れは、悪いが、遺(のこ)してよい。
そんなに時間なんかかけていられない。
しかし、一(いち)国家の「外交」が、まったくの人間模様(もよう)である、という「現実」を我々(われわれ)一般人は、生まれて初めて目撃したわけである。
これは、かつての、ケネディ(アメリカ)、フルシチョフ(ソビエト)の密室の会談に相当する。
2002年、9月20日(金)6:00a.m.
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