友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論

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24:「進化度」というものがある 「2002.7/14(日)」追記:「進化」を妨げるもの


もう大分前になるが、近所にビデオ.レンタルも可能な大きな本屋が新しくオープンした。

そこは、店員がまるで魚河岸(うおがし)のように、客が入店すると「いらっしゃいませ〜!」と大声を張り上げるのだ。

その声に連鎖して次々と店員たちが同様に声を出す。

その日も立ち読み三昧(ざんまい)に耽(ふけ)っていたのだが、突然、近くにいた店員も大声を張り上げた。

思わず私も連鎖反応で、「うるせえぞ、バカタレが!」と怒鳴ってしまいそうになったのだが、店の方針に従っているだけの従業員に怒っては、弱い立場の者をいじめる嫌な客となるから我慢した。

まあ、本屋は静かであってはもうダメだ、という新しい戦略なのだろう。

それにしても突然、側(そば)で「叫ぶ」店員は、うるさくてしょうがない。

本屋全体が、回転寿司の店内のようである。

あくまでも店の方針は方針だ。

それを愛するか、去るか、の、いずれかを選べ、という事だろう。

怒りはあくまでも店の方針とは関係ない単独プレイに向けるべきである。

一人の店員のみの声がうるさければ、近づいて行って「うるさいんじゃない、君の声は」とすれ違い様に言っているだろう。

静かに立ち読みもできないからだ。

でもまあ、そういう事にもすぐ慣れる。

そういうわけで、あれやこれやと本を購入し、レジで会計をした。

若い、まだ大学生風の男子店員に、「領収書をくれ、書籍代で、」と言った。

すると男子店員は、元気のよい声で「ハイ!」と言った。

すると受け取った領収書に「しょせきだい」とオール平仮名で書いてあった。

もちろん告げた名前も平仮名で書かれていた。

あまりの衝撃に思わず「ひ、ひらがなじゃないか!」と笑った。

なんぼなんでも「しょせきだい」はないだろう、と思いつつ、「これくらい商売用語なんだから次から漢字で書けよ」と言ったら、店員は、「ハイ!すみません」と元気よく答えた。

それから1ヶ月後にまた、その店員にレジで遭遇した。

ここは、店員があれこれ役割を変えるようである。

また領収書を頼んだら、今度も「しょせきだい」と書いてよこした。

思わず、「漢字で書いてくれ」と多少あきれ笑いをしてつっかえした。

店員は、また元気よく返事をし、今度は、「しょせき代」と書いて来た。

こいつは、私がお笑い好きなのを知っていて、今、目の前でコントが始まっているのか、と私は、思わず後ろを振り返った。

カメラが回っているのではないか、と思ったからだ。

私は、またしても「ちゃんと次から全部漢字で書けよお〜」と言って立ち去った。

店員は、またまた元気のよい声で「ハイ、すみません!」と答えた。


しかし、なんぼなんでも「しょせき代」はないだろう、、、、。

漢字になったのは「代」だけである。


この話しは、以前にもした覚えがある。

しかし、また視点を変えこのエピソードを取り上げる。

一体、この若い店員は、何時になったら「書籍代」と書けるようになるのだろう。


実際、その隣では、女子店員が「書籍代」と書いていたりしているが、彼はちっともその事で隣の女子店員に尋ねようとはしなかった。

「ハイ、練習しておきます!」という返事だけは、元気がよい。

しかし私が立ち去ると彼は、もう別の世界にいるのだろう。


私が、「進化度」という概念を日常語として導入したのにはわけがある。

私の教室に通っている、というだけで、その生徒は、私の教室を代表する生徒となる。

いわば、その生徒の回りの人間にとっては彼等一人一人は、私の教室の「広告塔」である。

私自身のメソッド全体の価値をも問われる、一個の「例証」となる。

しかし、彼等は、この教室を代表してはいない。

私の教室に通っている生徒、というだけで私のすべてのメソッドが判断されるのはたまったものではない。

そこで私は、何年も前に「進化度」というものを設定する事に決め、これを全生徒に公表した。


判断は簡単だ。

私が何か面白い課題を考えたとする。


私は、しょっちゅうあれやこれや発明して課題を「リニューアル」している。

だから1年も前に習った者と現在習っている者では、力のつき方が本来違うはずである。

より達観し、ひと粒1000メートル級の課題となっている。

無駄なものが省かれて行き、より実践に則した内容になっている。

私自身の進化も含めてとても1年前には思いもよらなかった内容である。

実際、新しい課題を思い付いた私は、大体、一晩くらい夢中になれば、大概、こなせる。私ができるもの、を課題の条件としているのであるから、これはフェア−な条件である。

また、それを実際にやって見せたりする、という当然の事も自分に要求し、生徒の前で披露している。


歌でも唄って見せる。


「こういう事はできるのですか?」と尋ねられると、「ちょっとやってみよう」と言い、「ああ、できないな!」と答えたりする。

しかし、私ができないものはやる必要がなく、できるものをまず優先してさせるのが「課題」というものである。

しばらくするとそうした課題でも私にもできるようになっている。

私だっていくら練習しないからってちゃんと「課題」となれば克服しているのである。

こうして生まれた課題を私が生徒に提供したとする。

私にすれば、まあ、これくらいなら大体、1週間程度真面目にやればできるだろう、という判断でそれぞれの生徒の力に応じて「課題」として提供しているつもりである。

もし、この課題を実際に生徒が1週間後現れた時、克服していれば彼は「進化度100パーセント」の生徒である。

これに2週間かかったとしたら彼は、「進化度50パーセント」の者だ。

1ヶ月かかったとしたら彼は、進化度25パーセント。


2ヶ月かかったとしたら進化度は、25÷2で 12
.5パーセント。


さらに倍の4ヶ月かかったとしたら、彼の進化度は、12.5÷2で 6
.25パーセントというわけだ。


ちなみにその倍の8ヶ月かかったら6.25÷2で 3
.125パーセントと出る。


つまり、この生徒は、これを真面目にやれば1週間ではマスターするだろう、という私の「読み」で、実際には、8ヶ月かかったとしたら、進化度3パーセント弱という事になる。


私は、これに、生徒自身が自己の実力を巷(ちまた)の独習者のように錯覚しないようにと、
9:簡易アドリブ実力判定表 12:日本人と模倣も設定している。


だからそれぞれの級に従い、課題を与えているわけだからこの進化度は、かなり正確なものとなる。

絶対に、真面目に取り組めば1週間ではできる事ばかりである。

しかも、大体、一日1時間程度の練習で十分克服できるであろう、という分量でしかない。


ところが、なのである。


実際に私の教室の大半の生徒は、5パーセントから20パーセントあたりが多いのである。(例外も個人レッスン生では多々ある)


5パーセント、という数字は実際には、人間、生きていれば少しは進化するであろう、という人類の進化に対しての最低限度の「愛」を持ってつけているにすぎない数字である。

進化度5パーセントとは、毎回、同じ生徒に接している私では、その進化はまったく判断不可能なくらい微妙である。

ちょっと1年前より5ミリばかり髪が長くない?というくらいの気の使い方である。


地元の芸能人軍団は、ほとんどこの進化度が5パーセントくらいであった。

だからと言って実際に、1週間で終る予定の課題を、「できるまで」として8ヶ月もかける事はない。

目の前で毎回、課題が克服できない生徒を見るのは胃に悪い。

実際、昔は、何度も急性胃潰瘍(いかいよう)になり胃に穴が空いた。

彼等と「本気」でつきあっては、寿命を縮めるだけである。

それを避けるためには、大体2.3回やってダメならすぐにまた新しい「課題」を考え出す事にした。


こっちは、ただ、月謝分の時間を彼等相手につぶせば「職務怠慢(しょくむ.たいまん)」と言われないで済む。


念のため言っておくが、100パーセントに近い生徒もわずかであるがいる。

しかし、こうした生徒は、過去から現在でもごく少数である。

それぞれのランクに応じての話しではある。

平均して50パーセントを超えればよい、と思ってはいるが実際は、10パーセント程度である。


だから、私の所へ5年、10年も通っている、というだけでその生徒の実力を判断せず、この「進化度」でもって判断してもらいたい。

5年、10年通おうが、その進化度が10パーセント程度であればたかが知れているではないか。

ちょっとやる気のある人間なら彼等をまったくの初心者から1年で抜く事もたやすい。

本当に簡単な事だ。


私がここで言っている事は、「知識」としての課題ではない。

「技術」としての課題だ。

「知識」は、一晩で詰め込む事ができる。

なんでも「理解した」、と「錯覚」してしまえる。

やれ現代音楽がどうの、ジャズの本質はどうの、ストラビンスキーがどうの、バルトークはどうの、メシアンはどうの、と誰でも簡単に解説してしまえる。


問題は、一体どれほど彼等を深く理解したか、にある。

彼等を理解したら「彼等になる」。


理解していないから、彼等のような生き方にならないのである。


中途半端なインチキくさい、時代の「主流」に、日和見(ひよりみ)的に敏感なのだ。

この「理解」を「共感」としてもよい。


私は、ストラビンスキーを理解していないからジャズやロックを聴けるのだ。

アメリカは、芸術とエンターテイメントの区別がつかないから、芸術家がみんなヨーロッパに「亡命」するのだ。

エンターテイメントは、あくまでもその人の唯一勝ち取った小市民的な「成功者としての日常」を破壊しないから好まれるのだ。


ここでもまた、是非は問うていない。念のため。


ただ、その区別もつかない者が、時には芸術を語り、時には、エンタテイメントの領域の「権威」にも君臨しようと企(たくら)む無意識の行動に出るのだ。

これを「矛盾(むじゅん)」と呼んでいる。


原義は、辞書で調べればよい。


金持ちの味方でもあり、貧乏人の味方でもある、と主張する政治家の類だ。


テーマは、「進化」である。


一体、なぜ彼等は「進化」しないまま、「還暦」を迎えてしまうのか、である。


私が気づく事。


進化しない者に限って質問が多い。


まずこれが第一。


まず自分がいかに熱心な人間であるか、をこの質問の連発で「帳消し」にしようとしている無意識の行為がある。


与えられた課題を少しも克服していない私のある若い生徒は、課題でミスし、「すみません」を連発するのが口癖になっていた。

(練習しないからミスする。せいぜいレッスン日の前日か当日にさらうくらいであろう。しかし、それでもよい方である。大概はレッスンの日にしかやらないから、できるわけがない。10年通っても進化するわけがない)

私は、この「すみません」と言う事に追加して、「すみません、自分が有能で前途有望な生徒である、と思わせようと嘘をついていました」と言う長文を暗唱させる事にした。

彼も笑いながらではあるが、10秒に一度、「すいません」の一言に変えてこの「長文」を言う、という事を決りとした。

この台詞(せりふ)は、毎回、どんどん継ぎ足されてさらに長文となす予定である。


楽器を持って、実際に課題を披露できない者は、質問魔である。


もちろん、その質問が音楽とは無縁であれば、いくらでも答えるが、まったく課題をやらない人種は、すべてこの手の質問が音楽に限っているからやっかいなのである。

音楽上の質問でもすれば自分がいかに「熱心な生徒」であるか、という事をアピールできるのであろう。


ところが、実際に課題の演奏を見て見ると、まったく練習の痕跡(こんせき)もない。

これを俄(にわか)に無理矢理、克服(こくふく)させて前回は帰したはずなのに、あきらかに「退化」しているのである。

これは、その後、一切、この課題をやらなかった、という事を暴露(ばくろ)するようなものである。

その事に対してのやましさから彼等は質問魔となり、帳尻(ちょうじり)を合わせようと必死になるのである。


これは、昔、パット..マルティーノというギタリストがインタビューで答えていた。(「ジャズ..ギタリスト」リット.ミュージック?)。

「生徒には2種類いる。常に質問し、次はないか、と尋ねる者と、質問は一切なく、与えられた課題に夢中になって取り組む者。私は、後者をミュージシャンと呼ぶ」。


というような発言であったと思う。

読んだのは、十代くらいの頃だから何を言っているのかさっぱりわからなかったが、現在は、十分に心当たりがある。


質問ばかりする生徒ほど、一切の実践力がない。(例外もあるが、例外は大変優秀な者でしかない)


進化するためには、「知る」事よりも「やる」べき事の方が何億倍もあるからである。


進化しない生徒の特徴の第2は、いらん事ばかりをしている、という事がある。


何の意味もない、「バンド活動ごっこ」「ライブ活動」「練習日」である。

修行するのが、必ず「他人と共に」、である。


個人で練習する事はない。(もちろん「実践」の経験は必要である。しかしそれは「真剣勝負」の実践経験である。馴れ合いの「実践」など、「糞(くそ)体験シリーズ」である。逆に「退化」するだけである。その証拠にちゃんと退化している。やればやるほど、、、。)


何の緊張感もないライブをいくらこなしても「進化」する事はない。

めぐまれた環境にある者がK-1のチャンピオンになるとは限らない。

どんな貧しい環境であれ、熱心なトレーナーとじっくり修行に取り組んだ者が、華やかな試合経験豊富なスターたちをノックアウトして、いきなりデビューして来たりする。

この事から、いかに、人前での実践を積もうが、それは実際の「進化」とは無縁である、という事がわかる。

わからない、と言う者には、進化はない。

私への反論は、10年待ってもらいたい。

5年でもよい。

あなたには、「進化」は、なかった、という事実のみが自他共に判明する。


人間、歳を取れば、口だけは達者になる。


私は、これを二十歳(はたち)の頃知った。


中学生の頃、死ぬほど下手くそだったベース弾きが、就職し、「昔は、音楽一筋に明け暮れたけどね、、」と飲み屋で言ってのけたのである。

「おまえ、昔から下手くそだったじゃないか!」という突っ込みも、この「若い頃」の思い出に耽(ふけ)る二十歳の男には、入れられなかった。


二十歳ですら過去を美化する行為に出るのである。


もう40歳も過ぎれば言いたい放題である事が、この事からすぐに判断できる。

どこにもその「実績」の形跡もないにもかかわらず、昔を美化するのだ。


なんじゃあこいつは、いきなり無頼派(ぶらいは)になってえ、である。

なんでこうも年寄りになるとなんでもできそうに振舞うのだろう。

前頭葉が退化しているのだろうか。

その発言を聞き、無言で睨(にら)み付ける得たいの知れない同世代も存在しなくなったからなのだろうか。


なんでこいつらは、オレの過去よりも「偉大な」経歴を飲み屋で一瞬にして「創造」できるのだろう。


一体、何のために自分の、「ありのままの」、「ちっぽけな」過去が存在しているのだろう。

こんなにも簡単に人は、「今」を問われず、過去を美化できるとしたら、現実に生きて闘う意味はなくなってしまう。


なんで、おまえの過去がオレのより、かっこいいんだよ、とつっこむ事は、二十歳(はたち)の頃は、思いもよらなかった。

ただ、二十歳でそんな風に過去を作り上げる同じ歳の人間がいる、という違和感だけがあり、また、何となく、爺(じじ)臭い奴っちゃのう、と聞いていた事だけは覚えている。


だから、私は、
進化しない奴が過去を美化する、と法則化した。

何が昔は、音楽三昧だった、だよ。

おまえは一番下手くそだったじゃねえか。どうしょうもなく怠け者で。

手っ取り早い、「知識物」だけを一晩で仕入れてね。

それさえも、大した分量じゃない。





私の教室は、進化度とランクを公表する。


絶対に過去は美化できない。


だから、私の教室に通った、という「事実」は過去から抹殺(まっさつ)する者ばかり。


事情を知らず、このホームページすら読めない者が時折、ドラムで「リズム」のレッスンを受けた、と告知していたりする。

彼は、「破門」だったはずである。

理由は、授業すっぽかし10回、である。進化度5パーセント。


公表できる者は、十分、闘った「過去」を送った者だけとなっている。


このテーマを今回書けて、ようやく「進化度」の話しが日常でできる。


実際の導入は、5年ほど前からである。


年数ではない。キャリアでもない。


この概念をすべての修行者に浸透(しんとう)させたかった。


言われた事をこなす、というのは、あたりまえ中のあたりまえである。


そのメソッドが間違っていようが、正しかろうが、彼は、とにかくも進化度100パーセントの人間ではある。

後は、「正しい」メソッドに遭遇(そうぐう)する「運」があるか、にある


一流は、これが120パーセント以上なのである。


20パーセントが、独学である。


この数字を競っている。


進化度、200パーセントをもって「天才」としている。


まだ見た事はない。


しかし、生徒であれ、彼が私から要求された課題とは別に、「
余分に」独学し磨いた、残り100パーセントの「技」の修得のためのレッスンを今度は私が、受けて見たい。


彼は、いとも容易(たやす)く、私の「技量」と「過去」を呑み込んだからである。



おもしろい。



音楽ばかりではないのだが、、、。



追記:「進化」を妨げるもの


進化しない人の特徴をまとめてみる。


1:家に一人でいられない。


楽器の練習は、基本的に孤独な時間である。さみしがり屋さんでは無理である。いくら仲間を集めて練習して見ても何の進化もない。基本的には「個人芸」である。さみしい「想い」を楽器修行に込めた一流プレーヤーたちはいる。「進化」と「停滞」の分かれ目である。


2:「優秀な人間」を気取る。

様々な場で、何でも理解している優秀な人間かのように気取るから、本当に力をつけよう、とは思わないのだ。ちゃんと聞いた方がいいのに、と思うのに聞かない。

免許皆伝でない自分流のやり方で貴重な時間を無駄にしている。要するにプライドが高い割にはハングリー精神がない、のである。

近年の受験産業が大量に製造して来たタイプのロボット人間たちである。自分では友達がいる、と思っているが本当はいない。死んでも誰も気にしない仲間たちに囲まれている事をお互いがあまり考えないようにしているだけである。

実際、私は、彼等が「仲間」としている者の肉親が亡くなったというのに誰も葬式に出席していない状況を見た。別にそんな仲間はいらないのではないか。何かあった時、何の力にもならないだろう。普段は有能そうに振舞ってはいるが、、、、。

ちょっと見ていて哀れである。本当は、孤独な人間なのに本人だけがそう思っていない。さらにその上に、進化もなし。

3:単なる目立ちたがり、である。

何でも、「おいしい」部分にだけ着目し、その影に様々な努力がある、という事を見ようとしない。

走る前に、ジョキング.シューズやらジャージやら、とにかくグッズ物から先に揃えるタイプである。走り出すと、三日と続かない。

行為が先にあるのではなく、その行為をしている、という「結果」を先に作ろうとするのである。

役者は、様々な役を演じるから「役者」として成立している。

何をさせても「それらしく」演じている。

しかし、実際は、そんな人間ではない。

目立ちたがり、というのは、自分の人生を、そうした一つの「役」として演じているようなものである。

彼は、それらしく振舞ってはいるが、実際には、そうした力はない。

例えば、キムタク(木村拓哉:タレント、ジャニーズ系、「スマップ」所属)は、何をしても「それらしい」男を演じる。

ギターを手に入れても、見事に年季が入った、しぶしぶの楽器を手に入れる。この事から彼の「本物」を見分けるセンスがわかる。

しかし実際の彼は、ハッピバースデーソングの伴奏をするのに、4拍子でガンガンにイントロを弾いてしまい、3拍子の原曲の唄には誰も入れなくしてしまうほどの伴奏をする者である。4拍子と3拍子の区別がつかない男である。アレンジ物でもない。(昔24時間テレビで見た。)

楽器だけを抱えていると、上手そうに見える。

実際に彼が思い描いている人間像と彼自身にはかなりの力の差が見られる。

しかし、彼は、そうした「キムタク」という人物を演じている、と思えば、実際の彼とのギャップは何ら問題とならない。何をさせてもスマートに行くわけではないからである。

われわれは、そうした「役者」でもない。

実際に自分という人間を「進化」させなくては、いけない。

演じる役は、取り替えようもない唯一無二の「自分自身」だからである。

この点から、役者は、すべての役が、一見、立派風である。彼等に取ってはこの「一見」がすべてである。じっくり観察されては困るからである。

しかし、われわれは、実際の自分自身がそうあっては何かとやっかいではないだろうか。

ゆえに、もっと「進化」した方がいいような気がするのです、、、。



4:読書嫌い、勉強嫌い、非常識、金銭ルーズ、約束守らない、脳足りん。

そりゃあ、何をしても無理だろう。

ところが困った事にこうした人種が主流で、大量に発生しているから、まるで世の中が自分たちを中心に回っているように感じるのである。

そんな事はない。錯覚である。

世の中の「権力」は、そうした事を巧(たく)みに利用している。

ゆえに、進化しなくてもよい、とは言えない。



5:教師、教え魔


これはとにかく、一般的には、進化しない。一体、どこの誰から彼等自身は、学べばよいのだ。

自分より優れた部分があるのなら誰からでもその事を学べばいい。

何も、「権威」だけが唯一自分より上の人種、というわけではない。

知らない事は、誰からも聞けばよい。(知ったかぶりする者は避けよ!)

それで、そうした「ただの人」をすぐに超えてしまってもきっかけは、その人たちである。

特に、音楽の場合は、演奏すれば歴然とその優劣は判明するから遠慮する事でもない。

技は、「ひけらかす」ものではなく、「できればいい」、事だからである。

一流の料理人は、おいしかったら誰にでもそのつくり方を尋ねているではないか。

というわけで「進化する事」は楽しい。





後記:


ようやくこの概念を公表できてうれしい。

また一つ肩の荷が降りた。

この「進化度」は、私が勝手に発明した考え方である。

進化度が高い者には、遠回りはない。

いつでも近道に出会えば風のように目的地へと辿り着いてしまう。

だから問題は、遠回り、近道、ではない。

進化度を上げる事にある。

あなた自身の進化度を確かめたかったら、料理学校でも通えばよい。

なるべく、知識と技術の修得の両方あった方がよい。

進化は、とにもかくにも、孤独な自己との闘いにどれだけ時間を割けるのか、にある。

だから、進化しない者は、読書が嫌いなのだ。

読書は孤独に慣れないとできないからだ。


10年前の月曜日と10年後の火曜日が一つに思える事がある。


さて、この10年に一体どれだけ、私は、進化したのだろう。


考えたくないので、すべてを今日という日に托(たく)す。


PS:
今日も台風(7号:40メートル級)午後7時から10時まで「停電」。明日には去るはず、、。





2002年7月14日(日)


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