友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論

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執筆軌跡&時々日記(掲載文年代記:資料用)

2002年6月9日(日)より

2005年「執筆軌跡&時々日記」の目次


2005年5月7日(土):ウツと五月病。過去、現在、現来、未来。書道8段現わる。JRと国鉄。後記:市民会館とライブハウス情報




*5月だ。ゴールデン.ウィークだ。あれこれあって、ちょっと更新が遅くなった。それでゴールデン.ウィークもそろそろ終りだ。

ウツ気味の者は、さらに五月病と言うプレミアムな要素もそこに加わるから、たまらないだろう、と思ったが、よくよく考えるとそうでもないんじゃないか。

今までは、世の中の人と比べ、いささかふさぎ込みがち、、と言う事であるなら、世の中の人も今の時期は、けっこう落ち込んでいるらしいよぉ〜と言うのが五月病である。

であれば、「な〜んだ、ヘヘヘ、、そうか、、みんなも落ち込んでいるのか、じゃあ、オレは、その先輩じゃないか!」と、逆にいくぶん「元気」になるかもしれない。

落ち込む、という「現実」は、「未来」との対比から来るんじゃないか。

自分は、この先も大して、大きな未来も望めない、だから自分の未来には、希望が持てない、ゆえに、できるなら死んでしまいたい、と言う論法なんだろう。


なるほど。。


思わず、それなら仕方ないな、と同調してしまいそうではあるが、「大きな未来」だとか、「大して」、、と言うキーワードに何かひっかかる。

経済的な不安を抱えている、というのなら、そうだよなあ、と共感もする。

じゃあ、人は、公務員でもない限り、経済的な面では、常に、もう死んだ方がいい、、とつぶやく確率が高いのかもしれない、、と思って見たりするが、この辺の公務員事情はわからない。学校の先生でもウツの者は多いと聞く。しかし、この例えでは、心情的な面と経済的な面が混同されてなんでもウツは、ウツ、、となっているからこの辺の原因は、ちゃんと分けた方がいいのだろう。


1:経済的に問題はないのに心情的にウツ


2:心情的には、問題はないが、経済的に問題があってウツ


3:経済的にも心情的にも問題ないが、ウツ


4:どちらにも問題があってウツ


こうやって見ると、「4」が、かなり深刻な、ウツではある。「3」辺りの得体の知れないのが、五月病じゃないか。「1」は、失恋とかも入るんじゃないか。「2」は、宝クジで当たるかしかないか、、、。


得体の知れない、というのは、言葉を変えれば、このまま「未来」がどうなるのか、未知の未来に対する何となくの不安、ではないか。

これは、気に入らない制服を今後、ずっと着て生きてかなきゃいけない感じもあるんじゃないか。


この辺は、微妙なので、何とも言えないが、要は、今が好きか、未来が好きか、、と言える。

ああ、そうか、、「過去が好き」ってのもいたなあ。昔はよかったよなあ、、だ。


まあ、人は、時折、「過去」「現在」「未来」のどっかにウエイトを移動させつつ、生きて行くのが、この人生を生きるためのポイントって感じだな。過去がダメなら現在があるし、現在がダメなら未来がある。全部ダメなら、もう拠点はどこにもないからウツってわけだ。

話している内に、これは、どうも複雑になるな、と予感するのでこの辺で止める。でも、まあ、この辺りの認識でいい気はする。





*そう言えば、この日記でも書道の話しを以前したら、その後、ちょっとばかし前にテレビで、お笑いの青木さやかが、私は、書道3段です、といい、その横で、女性グラビア.タレントのめぐみが、私は、8段です!、、と言っていた。女優の菅野美穂と3人で番組をやる、という事での記者会見で、菅野が「私は、字のきれいな人が苦手なんです。。」とコメントした事へ二人が突っ込みを入れたのだ。

私は、ハ、、8段ってあるかよぉ〜!と思わず、のけぞった。

世の中には、そうやって、2段の次は、3段、3段の次は、4段、、と、これを「生きがい」に未来を生きている者がいる。

まるで、測定不可能な「未来」をデジタル方式で、区分しているようである。

しかし、やっぱり、無限の時を区切って「時間」としてこそようやく人は生きられるのと同様に、無限の「未来」も同様に区分せねば、生きていられないんだろう。



*
JRって、結局、「旧国鉄」だよな、と言う会話が始まった。

でも、いきなり、現役の運転士が、顔出しで、テレビに出て来て会社の悪口を言い出したので、「ええ〜!これって内部告発じゃないか、クビにならないのかよ!」とびっくりしていたら、何人か同様な運転士も出て来た。

後で、、ああ、旧国鉄名物の「労働組合」加入の運転士たちだ、、とわかった。まだ、あんなに堂々と現役の運転士が会社の悪口を言えるんだなあ、とびっくりした。あまり、民間の企業では見ない光景だ。普通は、顔にモザイクなんかかかったり音声を変えられての告発であるからだ。


その後の新聞報道で、2人ばかりJRの運転士が、事故を起こした電車に乗っていた、とか、あったので、「何で、そんな時も会社に行くんだろうなあ」と話していたら「どんな事があろうと、遅刻するのがよほど嫌だったんじゃないか?」となった。「ほれ、真面目人間て、大概、そういう風にやるじゃない、遅刻するから〜って、ドラマでもあるじゃない」と納得していたら、今度は、近隣の他の地区でのJRの社員は、その日、事件を知ってはいても、「キャンセル」はできない、、とボーリング大会やゴルフコンペを行っていた、、という報道まで追加された。


「あれ?じゃあ、遅刻嫌いってわけでもないじゃない」と話していて、「じゃあ、全員に共通するってのは、遅刻恐怖症と言うよりも、何か、決められた事は、どんな事があっても変更できない体質なんじゃないか」となった。


「ああそうか、だから、ああやって毎日、時刻を守って電車を走らせる事ができるわけか、でも、一度、決った事を変更できない体質って怖いよなあ」と言われ頷いた。


ただただ、予定通りの「ボーリング大会」でも予定通りに行うだけである。予定通りの人生しか生きて来てない、というわけだから、予定外の事は、すべて「無駄」なでき事でしかないんじゃないか。

明日の生き方も決っているわけだし、そこに予定外の生き方なんかに対処する能力なんて元々培われていない。

生きるってのは、わからない「未来」を、わかるように設定するって事でしょ。

それを「設定」してしまったら、予測不可能をしでかす者へのいらだちもあるわけでしょ。


じゃあ、それを全うしたから、と言って、「未来」は、どんなんだ、と問えば、未知な現実でもなく、できる限りの現状維持、現実のキープってわけだ。

すると、それは、「未来」とは言えないわけだ。何の「未知」なでき事もやって来ない「未来」なわけだ。

じゃあ、しいて言葉を作れば、これは「未来」ではなく、「現来」だ。今の「現実」が、またやって来る、と言う意味だな。

その連続で人生は、終ればいい、と言うわけだ。

ある種の職業に生きる者にとっては、「未来」はどうでもよく、「現来」でいいという事になる。


なるほど。

「過去」「現在」「現来」「未来」か。


世の中は、ちゃんと棲み分けができてるのかな。

しかし、あんまり一方に偏ってもあまりいい感じじゃないな。

これが、管理社会、と言うわけだ。


そう言えば、訓練中の自衛隊の潜水艦の乗務員が、事故に遭った船に遭遇しても、船長の命令がないから、と助けなかった事件が何年か前にもあった。


こんなメンタリティーの世の中で、憲法も改正されて行くんだなあ。

上官の命令に逆らったら終りだもんなあ。


そう言えば、ライブドアは、どうなったかな。

フジテレビの社員は、何も発言できなくて、JRの社員は、堂々と顔も出して会社も批判できる。

しかし、組織となると一丸となって、どんな時でもボーリング大会ではある。


よくわからない。よほど、信頼関係のない上司と部下の親睦会、としか思えないが、本当に決断力、統率力が兼ね備わった上司ならそもそも、そんな所には勤務していないわけだし、、う〜む、、むつかしい問題ではあるが、やっぱり企業イメージにも社員一人一人がこだわっていない、となるとJRは、やっぱりかつての国家公務員待遇の「国鉄」だな。

そう考えれば、何となく色んな事がわかる。

これが民間なら、例え、会社の業務はほっぽっても会社のイメージアップとなる一社員の行動は奨励されるはずだ。


民営化しても、世の中は、常に何か、旧体質の組織の残党が幹部となり組織されるわけだな。


基本的に商人(あきんど)道とは無関係である人種で組織されるわけだな。


納得。


うちの役所に死ぬほどおかしいギャグとばす奴がいますよ、、という事かな。しかし、そのシステムからそういう人間が生まれる事は、ありえない、、というわけだ。


部長とか課長とか言ってるが、要は、社員3段、社員8段、、とか言う感じだろう。






後記:


最近、「ブログ」と言う意味がようやくわかった。今まで、何の事かよくわからなかった。新聞で解説されていて、ようやくわかった。

そうした事とは、一番、無関係そうな人間がこんなジャンルの末端になってんだなあ、とわかった。これからは、「ブログ」らしくしないといかんなあ、とは思ったが、基本的に匿名らしい。

4月は、色んな事があり、一つ、面白い事がわかった。

市民会館でのコンサートですか、、、と言う事で、黙っていたら、みんな、これは、昼間のコンサートだと、認識していた事だ。

地域性の違いなのかなあ、、と改めて思った。市民会館なんかに昼間っから行くのは、確定申告の時だけだ。

通常は、午後6時30開場、、とか、そんな感じで、午後7時あたりから開演で、大体、9時過ぎあたりにコンサートとかは終える。中学生の頃からそんな感じだ。

5月22日の那覇市民会館でのコンサートに行ったらいいんですか、それとも翌日のMUSICAでのライブに来たらいいんですか、、という問い合わせがあったりして、よくわからない。

コンサートは、アマチャアーのオーケストラメンバーの中に交じって、一生、一緒にやらなくてもいいんじゃないか、と言う、プロのバンドマン連合組合の「患部」、、じゃなかった、、「幹部」連合ともやんなきゃいけない。

翌日のライブは、ただ、それに全力を尽くしたからと言って、別に次の日からもな〜んも面白い事もない、かつてのライブをこなすだけだ。

自分の「未来」は、何時だって、その時にならなきゃ、面白いかどうかは、わからない。


せっかくのゴールデン.ウィークは、意外にレッスンもなく暇だったんで、もう少し「ブログ」をやってもよかったかな、、とは思うが、真面目に第22回のテキスト作りに朝方までかかっている。


そんな中、逃げ出すように、呑みに出たら、8ヶ月ぶりかで会う、すでに40代に突入した馴染みの常連の板前がいて、あれこれと相談に乗った。

最後に、一つ、お願いがあります、、と言うので、「よし、何でも聞いて上げよう!しかし、お金はないぞ!」と言うと、「とにかく、そろそろ、帰りましょう。もう、朝の6時半ですよ!」と言われた。


店の前に「駐車」していた自転車に乗り、「あばよ!」と言って帰路に着くと、しばらくこちらを見送っていた。


前日の夕方、雨が降り始め、信号待ちの交差点で、スクーターを発進させ左折しようとしたら、スクーターが突然スリップ、顛倒し、身体のあちこちを打った話しを、この日、会うなり面白おかしく話していたからだと思う。その話しを帰り際に思い出したんで、現場を目撃したかったんだろう。






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5月13日(金):野宿!コンサートの思い出とカップヌードル。コンサートの内緒の話し。後記:エレキ.ギターを弾いた。



最近、沖縄は今、寒いですか、暑いですか、とA君からのメールの問い合わせがあり、そんな事聞いてどうするんだ、と読み進んで行くと、どうやら、ライブを見たいのだけど民宿に1泊する費用までは都合が付かないので「野宿」したい、、との事だった。

おお、さすが「しゃべり場10代」世代、、「そんな問い合わせに大人がまともに答えるわけないだろ!」とあきれて返事したら、「すみません、軽率でした!」、と。実は、、もう十代ではなく「今年、成人式を迎えました」と言う事だった。

そんな事を言うなら、もし、中学生が自分のライブを見に行きたいからどこか会場近くで「野宿」する所がありますか、と問われて、「ああ、それならあそこの公園がいいよ!」と自分なら答えられるのか、という話しをした。黙って決行する分には、ほっておくが、今は、梅雨時だ。


じゃあ、そんな事を言う私自身はどうだったか、、と言えば、中学2年生の頃にコンサートを見るため野宿した。

野宿したとは言っても当時は、野外でのオールナイト.ロック.コンサート、と言った企画がたびたびあった。こちらからは、わりあい遠方の観光ビーチ地区で行われるので、中学生に取っては「旅」と言えば「旅」である。

会場となる広場までバスで2時間くらい掛ったんじゃないか。一人で行ったわけではない。近所のロック好きな高校生軍団に交じって行ったわけである。確か、深夜に大雨になり、Tシャツ1枚で寒くもなったので、一時、会場を後に、どっかの売店に避難した。その時、あまり寒そうにしているんで、高校生軍団からおごられたカップヌードルが温かくて、身体の震えも止まり、忘れられない味となった。

ともかく中学生の頃は、よくコンサートを見に行った。吉田拓郎の初コンサートも行った。去年、それから30年ぶり、と言う地元でのコンサートがあった。当時は、ロック、フォーク関係が多かった。15,6才の頃は、地元のキャバレー風な所でのジャズライブなんかをジャズドラマーを目指していた当時の友人とドキドキしながら入って行ったりした。

コンサートらしきものに出たのは、中学2年生の頃からだ。当時は、高校生の連中が自主企画の99円コンサートをしたりしていた。何で99円だったのかは、よくわからないが、100円から税金が掛る、、とか、、ちょっとよくわからない理由だった。自分でギターを弾いて歌まで唄っていた。吉田拓郎の「人間なんて」なんかを熱唱した。

大きなコンサートに出たのは、今回が25周年と言う事だが、確か、24才になったばかりの頃じゃないか。第2回あたりから出たんじゃないか。その時のゲストも今回と同じだ。それから色々出た。まあ、地元を出たり入ったりしていたんで、よく知らない、当時、高校生でこのオーケストラに参加してました!、という、若い、一人一人のメンバーの証言によると91年頃に再び現れ、93,4年あたりからまたいなくなってましたね!、、とか言っていた。今は、みんな30代前半になっている。

93,4年頃出た時は、一応、「アラン.カヒーペ.カルテット:フャーチャーリング友寄隆哉」という記録が当時のパンフレットに残されている。

今回は、コンサートのポスターは、当然として、翌日のライブにしても、「**セッション」という形で、どこにも名前はない仕事でもあるし、曲も自分が決めるわけでもない。別に、、居ても居なくてもいいんじゃないか、という気持ちはある。

だから、あまりくわしくここで宣伝もしない。性格からしてスッポかしてもいいんじゃないか、という気持ちもある。無理矢理、ぜひ、演奏させてくれ、と自分から押しかけたわけじゃない。そんな事は、もう、この歳では、誰であってもありえない。これを本当に望んだのは20代の頃だ。

今さら、誰とやったからって嬉しがるかよ。こうした事は、音楽とは一切、無縁の世界だ。一緒に「音楽」を作る気のない奴等相手に何ができる。あるのは、地位名声欲だけだろう。そんなもんで明日からも食えるか!マンガ喫茶にすら行けない。

今なら、別に大して自分を必要としていないなら、ヘェ〜と言ってすっぽかす。そんなのを目当てに今まで、生きて来たんじゃねぇ〜と言う気持ちがある。

事務上も何の問題もないし、法律上も何の証拠もない。10年も平気で無関係で生きた人間に取っては、100年も同じである。要は、こうした「現世」との闘いでしかない。

それからすると、前回、4月のデュオの方が、まだ、自分の世界に近いかもしれない。今でも何で今回のコンサートを引き受けたのかなあ、と思ったりはするが、引き受けた後からオーケストラのメンバーのプロの人選が変ったのだ。最初からそのメンバーだと知っていれば、当然、引き受けない。野良猫を飼い猫にするための餌付け作戦としては実に上手い。

もう、この歳なら一緒にやりたくない年功序列、地元音楽家協会系の主流となるプロ.バンドマンとはやらなくてもいいんじゃないか、という気持ちがある。音楽に対する考え方が根底から違う。名声欲に満ちた一般市民と無名に生きる芸術家ほどに違う。彼等のアドバイスに少しでも従ったら、彼等にしかならない。







後記:



人の人生は、予測不能でもあるから、その辺の興味はある。だから、そろそろちょっと練習でもするか、、とおよそ4年ぶりかで、エレキギターのケースを引っ張り出してケースを開けて見た。

この4年ばかし、アコ−スティック.ギターしか弾いていなかったので、チェックして見よう、とあれこれ必需品を「借金」して買い込んで用意した。

生徒の中には、「エレキギターも弾くんですか?」と言う者まで現れているほどだ。

何を言ってんだ、オレは、これで人生を踏み外したんだぞ、、とその度に「はあ〜!」と溜息が出た。だから生徒募集をする気がなくなったんだ。

だから、今の自分を信じてやって来て、日々の稽古を実践してくれる者だけをちゃんとしたプレイヤーに育て上げるのに全力を尽くすだけだ。


ケースを開けた瞬間、白いエクトプラズムでも出るか、、と緊張したが、何も飛び出しては来なかった。ただ、ボロボロに錆びて切れた弦がへばりついたギターが、眠るように横たわっていた。

「ほら、起きろ、出番だ!今から新しい弦に張り替えてやる」と言いつつ、ギターをケースから取り出した。

錆びた弦を取り外し、その度に、手に付いて来る錆びを水道水で洗い落とし、1本1本、新しい弦に張り替えた。

全弦を張り替えて後、ギターを弾いたら、なんだ、この繊細な感じは!、と、4年ぶりの感触に違和感を感じたが、1分ほどでなじんだ。何か、古巣へ帰って来た感じだ。

元々、アコ−スティック.ギターでもエレキ.ギターのように弾いたりする事がよくあるので、何の問題もなかった。問題がないどころか、、ぶっちゃけた話し、ちょっと上手くなっていた。

う〜む、、、。

、、というわけで、けっこう弾けるな、と思ったので、すぐに弾くのを止めた。この新鮮さを維持しておかないといけない、と思ったからだ。

簡単に弾ける、という事は、直接、「音楽」の質が問われるからだ。

後は、「脳」と「心」の問題だ。その指令を受けるための指先との間には、何の「障壁」もない、という事になる。

「脳」と「心」は、様々な外因に反応して初めて作動する。

外因もないのに練習しても意味がない。今まで通りのやり方で十分である。

勝っても負けても別に日々の暮しに何の影響もない。

その日に向けて、何かを懸命にがんばる、というのが嫌いである。

大切なのは、日々の修行であって、その成果が問われない世界は、生きて行く意味もない。それが通用しない世界は、長続きしない。必ず、終りが来る。いわば、錬金術の世界でしかない。

ぜいたくを言えば、そうやって食えたらいいなあ、と言う事だけかな。

今月は、めずらしく、仕事以外で、音楽の事を考えていたりする。

名前もない、音も残らない何十年もやって来たいつもの仕事だと言うのになあ。

そんな、当日のゲスト目当ての観客の前で、何をやって見せようが、そもそもの「世界」からして、無関係ではある。「感覚」が違う!「生き方」が違う!「考え方」が違う!、、プレイバック、プレイバック!(山口百恵、「プレイバック」の替え歌、、)

これは、未来ではなく、「現来」でしかない。


その答えは、既に、わかっているから、問題は、その後の自分の気持ちだなあ。


もう一度、ミュージシャン続けるか、止めるか、、って言うね。



たぶん、、、、。


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5月21日(土):「THE OLD SONGS」ついにCD化!後記:不思議な体験



これまで、手作りによるCDRにて、サイトのみで通信販売していた「THE OLD SONGS」をついにをCD化した。


2001年12月20日、23日の録音であるから、まさに構想3年半となるのか。コンサートへの参加が決った4月の時点で、これに「意味」を与えるのは、こういう事でしかない、とすぐに行動に移す。借金をしプロジェクト開始。

まずジャケットデザイン。これは、既に当初からイメージを持っていたイラストの下地を自分で描く。表ジャケット、裏ジャケットにそれぞれマンガ.タッチのイラストを描く。

これを友人を介し、その友人となる絵描きの元へ送り、何度かのイメージ修正のチェックを加え完成と同時にすぐさまプレス工場へ発注。

、、という事で、これで完璧な装丁ジャケットと広告文となる帯も羽織った「THE OLD SONGS」ができあがり、到着したのが、昨日、5月20日の金曜日の午前11時。定価¥2,000(税込価格)。

まずは、明日のコンサート会場と翌日ライブの会場にて販売予定。


1:仲本政國ジャズオーケストラ、結成25周年記念コンサート


時:2005年5月22日(日)、18:00開場、19:00開演

場所:沖縄県那覇市民会舘大ホール

入場料:前売¥2,500 当日¥3,000 高校生以下¥500


ゲスト:向井滋春(トロンボーン)、アラン.カヒーペ(テナーサックス)、与世山澄子(ボーカル)


県内ミュージシャン総勢約100名出演


司会:浜中博久(現、NHKスペシャルのナレーション:昔、沖縄NHKにいて、初期の頃、このコンサートのシリーズの司会に関わっていた。)





2:仲本政國カルテット+向井滋春セッション


向井滋春(TB)、仲本政國(P)、玉城典幸(DS)、西川勲(B)、友寄隆哉(G)


時:2005年5月23日(月)、開場:午後8時

入場料:¥2,000

場所:MUSICA (ムジカ) TEL:098-869-2636


http://w1.nirai.ne.jp/musica/






後記:不思議な体験


*
というわけで5月は、何かと忙しい。日記もこの程度だ。

コンサートの方は、オーケストラのメンバーとして「黒蝶(くろちょう)」。(黒のスーツに蝶ネクタイとオーケストラ専用Tシャツ着用)

こちらの出番は、オーケストラのメンバーとしてのギター担当と歌のバックとコンボ演奏(メンバーは翌日のセッションメンバー)等。恐らく、出演メンバーの中で、ノンストップで、一番出番が多い、との事。相変わらず、ポスターにもチケットにも自分の名前はないが、、、。


注意するべき事は、コンサート後、飲み過ぎて翌、月曜日のライブに死んでいない事。


面白い、と思った事は、オーケストラのドラム担当の25才のK君が、「ポンタボックス」でおなじみの佐山雅弘(P)氏に呼ばれて、たまに上京してバカボン鈴木(B)氏を加えたトリオで演奏している、との事。つまり、村上ポンタ秀一氏の替わりにドラムを叩いている、、という事にもなる。それでもまあ、25才と言う事で、後、30年ばかしは、地元では認められないんだろう、とは思う。

先週の日曜日に6時間のリハーサルに初めて参加。あれこれエレキギターで弾いていると(本当は、めんどくさかったので、俗称「象さんギター」という、スピーカー込みの電池ギターで参加。なぜか、これだけでも若いメンバーに大受けではあった。もう、リハーサルだけでこんなに楽しんだから十分!という者もいた。しかし、こちらとしては、普通にやったつもりではある。。)

そう言えば、こういうフュージョン系で弾く機会は、自分のライブを含め、ほとんどない。この手の曲は、昔、バンドマンとしての「お仕事」でしか弾いていなかったのだが、元々、こうした事が専門だったなあ、と忘れていた自分にびっくり。16ビート&8ビート系の音楽の事である。何年ぶりか、で、エフェクターケースを引っ張り出し音チェック。たまに音が出なくなったりするのが、やばいではあるが、原因がよくわからない。専属のメカニックがいればなあ、、とは思う。




*ついにCD化となった「THE OLD SONGS」が到着したばかりの昨日の夜、CDを持参し、あやしげな地区のあやしげな店に案内される。うすぎたない路地を入り3階に上がる。そこは、まるで個人のアパート風。飲み屋である。すでに様々な人が呑んでいる。CDをここに置いたらいい、という事で連れて来られた。元々、そんな気はまったくなかったのであるが、大阪から流れて来た、という50代風のブルース好きというオーナーにCD を掛けてもらう。なんとも言えない世界になる。

すると50代風の中年サラリーマンが、今、掛っているCDの音楽を弾いている人がいる、というので「、、、ちょっといいですか?」と部屋に飛び込んで来る。

自分は、若い頃、クラシックギタリストになりたい、との夢を抱いていましたが、そんな度胸もなく、それからは、ただ、色んなクラシックギターのレコードを買い漁って生きて来ました、今では、息子も二人育て普通の暮しを全うしました。そうした間も、もう、これまで以上の音楽に出会う事はないだろう、と色んな巨匠のレコードと共に過ごして来ました、と興奮して語り出した。どうやら、お互い、この店は、初めてのようだ。

しかし、今、聴いているこのCDの音にびっくりしています。このような曲と音色は、今まで聴いた事がないのです、、さぞ、高級な名器でも手に入れての演奏なんでしょうね、、と。

いやいや、これは、たぶん6,7万円の楽器を借りて弾いているだけですよ、と言うと仰天していた。

話しを聞くと、かなりのクラシックギターマニアの中年でもあった。

何かあまりに感激して涙ぐんでもいた。さっそく1枚購入してくれた。

自分は、長い間、サラリーマン生活をして来ました。しかし、この音を聴いて、今、こういう人が、世の中にいなきゃ、生きてても面白くない、と思うのです、と。今の世の中は、みんな若者も迷っています。それは、本物に出会えないからなんだと思います。どうか、もっともっと若者や子供の前で弾いてくれないでしょうか、、と。この音は、何かとんでもない次元からのメッセージのように聴こえるのです、、と涙を浮かべていた。

CDが到着したその日に、実にあやしげな地区の片隅にある建物の3Fの「アパート」の一室の飲み屋で、実直そのものの50代後半のサラリーマンに出会い、こんな体験をした。


不思議な感じではあるが、おじさん、けっこう酔っぱらってるんじゃないか、とは思ったが、「フフフ、、、こやつ、かなり耳は確かなようだな、、、」と、酔っぱらっている自分もいた。





PS:



今は、、、明日、、、実は、今日が、コンサートだと言うのに、只今、午前5時30分だぜ!

8時間後の午後1時の集合時間にだけは間に合わせたい。

久しぶりに、小荷物も多い。

一応、書かなきゃいけない事項だ!というプレッシャーもあったのでギリギリセーフで書いて見た。


明日の1000人を見越したコンサート会場でのCD販売用のポスターも作成したり、音もチェックしたり、、と、相変わらず、何から何まで、一人でやれるもんじゃあない事を一人でやってはいる。

目標!5枚完売!

演奏どころじゃない。

さて、もう一杯呑むかな。








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5月25日(水):コンサート、ライブ感想メール





*メール1::友寄様

こんばんは、**です。

5月22日23日のコンサートとライブは行けないので、報告のメールです。

エレキギターを弾くのも観たかったので残念です。

失礼します。(東京在住20代、男性)





*メール2:



友寄さま、
月曜日お伺いします。
DATのみ同伴いたします。
(ほんとはビデオ持参したいですがいちおう礼儀ただしく)。
CD楽しみです。では。


(近畿地方、40代)




*メール3:22日那覇市民会館コンサート評



素敵だったよ。
一発目で声上げて笑い、手を叩いて聞き始めたコンサートは今までで初めての体験だった。

いい日だね。今日も。打ち上げとか最後までいい日にしてよ。

行って良かった。ありがとう




*続メール3:22日那覇市民会館コンサート評


先程のメールは失礼だった…
それ以外の『何か』は自分なりに感じとって帰りました。


(地元、30代女性)




*メール4:22日那覇市民会館コンサート評



お疲れ様でした。 
十分楽しめました。 一曲目のソロで決まりましたね。観客は圧倒されたハズ。曲によって、硬軟分けたソロはすばらしかったと思います。お腹はでててもかっこよかったです。バンドのギターの場所だけ、星飛雄馬のマウンドみたいに妖気が漂っていました。PA側?の音量面のコントロールで難が少しありましたが。エフェクターを使ったせいでしょうか。ヴォーカルはいいから、コンボはもっとみたかったなあ。とにかく、退屈しませんでした。ビッグバンドのコンサートは、やや間延びして、緊張感が欠けるきらいがありますが、本コンサートは観客もハイレベルのソロに満足したのではないでしょうか。オリジナルを混ぜながら、楽しませるのは容易なことではないと思います。会場外で**さんにあったら、「いやー、一曲目から目立ちすぎー。笑ってしまった。」といってました。ぼくも、緊張しながらも笑ってしまいました。誰がゲストかわかりませんでしたね。CDは何枚売れたでしょうか。気になるところです。ジャケットあたたかいです。

とにかく、お疲れ様でした。

(地元、40代男性)






*メール5:23日ムジカライブ評


ライブおつかれさまでした。なんだか私はまた事務所に戻って仕事らしきことをしてますが。(他の社員も全員残ってて重苦しい雰囲気っす。助けてください。笑)

今日もまた最高の演奏を聴かせていただき、ありがとうございます。

向井さんは近くでみると思ったより人当たりが良さそうな感じがしました。(大きいステージだともろインテリに見えてしまってたので。)

西川さんはカッコいいですねー。渋すぎます。

そういえば市民会館のステージでは「ステラ」(註:ジャズスタンダードソング:ステラ.バイ.スターライト)のソロが聴けなかったので今日たっぷり堪能できて良かったです。

もっとライブ観たいです。

レベルの高い演奏がわずか1,000円〜2,000円で聴けるなんてのは最高の贅沢でしょう。

これを期にぜひライブ活動を再開していただきたいです。


さて、私はもう今日は帰宅しようと思います。

家に帰っても今日の余韻に浸るつもりです。

さっきから「キャバレー」(註:友寄隆哉作品集第3集「作編曲編」)ばっかり聴いてます。

では失礼いたします。

(地元、30代男性)



                            


*メール6:23日ムジカライブ評



友寄さん昨日はお疲れ様でした。

それにごちそうさまでした。

久しぶりにいい演奏を聴きました。

いろいろ感想を書きたいところですが、それは生徒さんやファンの方がいると思うので...

CDの宣伝用のポスターを見たんですが、グルーヴにも貼りましょう!

多少は宣伝になると思います。

協力できることはやりますよ!

僕としては友寄さんが動いたことがうれしいです。

いつまでも応援してます。



(ライブハウス ”
グルーヴ”オーナー)






友寄:なあに、飲み食い代は、締めて¥27,700也

二日間のギャラは、とっくに飛んだな!

まあ、¥700は、まけてもらったけどな。






*メール7:23日ムジカライブ評




お疲れ様でした。私には理解できてないと思いますが、凄い演奏でした。今更ながら、本物だと思いました。



(地元、30代男性)




*メール8:23日ムジカライブ評




 こんにちは。**です。

今バイトが終わり、一段落した所です。

とりあえず、まずは、眠いです。

帰りの飛行機、二人で爆睡してしまいました。

変な感じなんですが、ついさっきのことなのに、なんだかもう夢だったような気さえしてしまいます。

現実感の無い、強烈な沖縄滞在でした。

でもこっそりと録音したムジカライブを聴きながら、こっそりと激写したステージでギターを弾く先生の写真を見ながらこれを書いています。


思うに、先生がおっしゃったようにタイムマシンにのって過去を旅したような感じです。ギリシャ神話の神々と会って来たような。

ただ、神々のみなさんはおそろしく強烈な方々で、とても本には書けないですが。

友達のいないヘビースモーカーギタリスト(註:1983年頃の私の事らしい。コンサートのパンフレットに結成当時のメンバーの素性が書かれていたらしい。。)に、ワカメばっかり食べてる(効果はあったのでしょうか?)ベーシスト兼バレリーナ。(註:当時、相当に、髪が薄くなりかけていた西川勲氏の事らしい。)

焼き加減にはめっぽううるさい腰が低いチョッパリストの元焼き鳥屋オーナー。

右に立てば右脳を使い、左に立てば左脳を使う、立ち位置によって脳を使い分けるグルーブドラマー。(註:人間が、右に居れば、右脳を使い、左に居れば左脳を使う、と思っていた人間がいた!死ぬほど笑った!)

人の話を聞きながら耳あかかっぽじるジャズ「麺」ピアニスト。(註:ああ、これは、今回のコンサート主催者兼アレンジャー兼ピアニストの仲本政國の事だな。)

あ〜思い出しただけで、ひっひっと笑いが・・。

街中では気をつけなければ・・。

おっと、今、先生のソロがまわってきました。

イルカに乗って・・。って感じになります。

沖縄だからか、僕の先入観からだか分かりませんが。


これは言っていいのか分かりませんが、ほんとに録音しておいて良かったです。すでに宝物です。

観賞用と保存用に焼いておかなければ。

ただ1日目のオーケストラはとれなかったので、それだけが心残りです。


先生が最後に言われたように、この2日間、これからの僕の人生にとって、重要な二日間だったと思えるようになりたいと思います。

ミュージシャンとして、人間として、毎日を生きていく。

僕にはまだ少ししか分からないんだと思いますが、これからじっくりと付き合っていきたいと思います。と、ちょっと真面目か・・。まぁいいです。


今回の旅の目的の発端は、僕が本気で「か、かっこえぇ!」と思う人に会ってみたい、という気持ちからでした。

はっきりいって予想以上のことばっかりで、ほんとついてたなぁ・・と思います。またいずれ沖縄というか先生に会いに行きたいです。

その時は、直接レッスンを受けたいなぁ・・と思います。

今回もギターを持っていってたのですが、弾く時間はないし、飛行機乗るとき、ハードケースじゃなかったので預けるわけにもいかず、スチュワーデスさん嫌な顔してるし・・、ちょっと失敗でした。

その時は、S君(註:地元観光親善大使の大学生)と交換留学ってことになるかもしれません。

どうも、大阪からチケットとったほうが安いようなので、往復チケットを2セット買って。

僕の影武者なので、バイトも代わってもらって。(註:二人の顔とスタイルは、全くの同型だった!)

ま、彼女に言わせりゃ、だんぜんS君のほうが男前! らしいですけど・・。


あ〜〜〜、ほんとに楽しかった!


ありがとうございました。


それとこれからもよろしくお願いします。

それでは。

おやすみなさい。



(20代男性通信生、大阪在住)



*メール9:


今度歌うスターダスト…やっとその歌に似合った人と出会ったかな。『その時僕は不思議に思う・なぜこんなに寂しい夜を過ごしているのだろうと』のフレーズ…貴方がそんな思いを殺して何度もそんな夜を過ごして来たのだろうと思いながら歌詞をなぞると涙が出てきた。


常に出会う歌詞は自分の気持ちに当てはまるか、さて否かと選んだり歌ったり、なのだけど、今回は勝手にも今までと違った面から歌詞を理解出来そう感情移入出来そう。今の私のレベルでの精一杯で歌ってみます。貴方の存在のお陰かもしれない。貴方の存在に又感謝してます。

(匿名、女性)






後記:



22日のコンサートのギャラは、出ないだろう、と思っている。別に欲しくもない。あれだけの事をやれたのだから、これに敬意を評するからだ。観客は、どうでもいい。よくもあれだけのバンドマンを集めたものだ。自分も含めて。


翌日のライブのギャラは、¥3,000。

5,60人くらいはいたのかなあ。

連日、午前7時過ぎまで呑んだ。


今日からは、また、何事もなかったかのような人、生徒と出会い、いつもの仕事。20代の頃と変らない。あの頃は、翌日からは、もっと何か面白い事が起ると思っていた。25年も経てば、別に何も思わない。ああ、呑んで楽しかったなあ、という事しか記憶に残らない。


ただ、コンサート、ライブ、、と言った連日の日々は、ちょっと「大仕事」ではあった。何十年ぶりかで気を使って演奏した、、、つもり。

腹が立った事もいくつかあったが、何十年ぶりかで色んな人とも再会した。会えば、次期次期次期音楽家協会会長も、けっこういい奴だ。


CDは、両日で21枚売れた。コンサート会場では、18枚。

自作、「THE OLD SONGS」の新たな旅路となった。


ライブ会場では、ゲストの向井氏のCDだと思って間違って購入した、と返品する、何年ぶりかで会う、顔見知りのピアノ教師の「おばさん」もいた。韓国の俳優、ヨン様だと思ったら、地元のサン様だった、という感じだろう。

これが、ゴルゴ13なら、何千万という「銭」と引き換えに行う「大仕事」なのだろうが、日当¥3,000では、一般の暮しすらまともにできない。もちろん、日当¥300のライブは、いくらでもして来た。

今でも、¥3,000で、気づかいまでさせられる。「世の中銭や!」というこの時代に。

20代ならやれたが、40もとうに過ぎれば、どうでもよい。

しかし、こういう二日間が、「有り」か「無し」か、と問われたら、そりゃあ、長い人生の内にあってもいいだろう、とは思う。

あってもいいだろう、とは思うが、奴隷根性だけは、やめて欲しい。

そもそも、沖縄が、戦後は、西洋文化の発祥地ではないのか。そのいい加減さも含めて。(註:ただし、これを甘受したという者は、40代以上に限る。40代以下は、全国一律。)

自分は、20代の頃から、一人で、昼間っから安いステーキばかり食べてる。

フランスの浮浪者は、ワインの飲み残しを求めて、一日中、プラプラしているんじゃないか。

後、100年、この土地には、必要だと思う。


一応、当面、自分流は止めて、成り行きに身をまかせてみようとは思う。








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5月28日(土):日記観戦メール1題と後記1:THE OLD SONGSのCD化とジャケットのいきさつ。ムジカ.ライブ観戦メール2題と後記2:コンサート後日談



1:日記、面白かった。(註:前回、5月25日評)
もっともっと書いて欲しいと思ったな。

それと今回のCDジャケット
良いねえ。

***のスタッフの1人が感心していた。
「これ、いいですね。すごいですねって。」

こういうことを大事だと考え直したところに感心した。

この絵は誰が描いたんだ。

いいねえ。


(地元、47才知人男性、歯科医師)





後記1:THE OLD SONGSのCD化とジャケットのいきさつ。


このジャケットのイラストは、元々、友人のスタジオに彼の絵があった。

友人の友人で会った事はない。

この絵を5年前に見て、圧倒され、以来、その才能にいずれ、、とは思っていた。

彼は、30代半ばまで、自動車修理工をしていて、ある日、スプレーで描いた自分の絵に自分で自分自身のその才能を発見した。それまで絵を描いた事はないそうだ。それからなぜか、人体の骨格を描く事に夢中になり、その絵がスタジオに飾られていた。骨格がギターを持っていた。

その彼が、何年か前からパソコンでのイラストに取り組んでいると聞いた。

それで、今回は、彼に「バンドマン」的な依頼をした。

自分を抑え、依頼者のイメージを再現して欲しい、という依頼だ。

THE OLD SONGSは、作成当初から既に自分には、ジャケットのイメージがあり、最初、写真でやろうと思った。

携帯電話で写す写真なんか、けっこうあちこちへ行って、そのアングルを決めるのに30分から1時間も掛ける体質ではあるからだ。

それに、子供の頃は、マンガ家志望だ!

大人になるたびに絵は下手になって行った。

小学校3年からの絵の具が苦手で絵を描かなくなった。クレヨンの頃は、絵を描くのが好きだった。以来、図画工作、美術の成績は、中学生3年まで10段階の「1」だ。作品を一切提出せず、授業時間、お喋りばっかりしていたんだな。ついでに言えば「技術家庭」も10段階の「1」だ。さらに言えば、「音楽」も「1」だ。お喋りが過ぎた。。もはや、このどうでも良い学科たちのため、「内申書」の総合点が低く、受けられる高校がなくなっていた。。

自分の過去全集のCDのジャケットだって、一応、あの頃のパソコン技術程度でやれた限界のセンスだ。

あれは、ロックボーカリストのポール.ロジャースが参加したBAD COMPANYのデビューアルバムのジャケットが大好きだったからだ。黒のバックに白文字で、「BAD COMPANY」とだけあった。

それを、自分への「追悼」のつもりで、赤文字にしただけだ。まさか、現在まで生きて、新作を作るとは思ってもいなかった。


今回、このTHE OLD SONGSのCD化が実現したのは、ひとえに、技術の日進月歩。3年半前の半額程度でCD化ができるようになったからだ。当時では、CDRでプライベート盤程度で出すのが精一杯だった。そんな金はない!自前の楽器すらない!。


、、という次第で、自分の下書きの絵を元に、これをイラスト担当の彼が、200パーセントに再現してくれた。今以て、彼には会った事はない。友人を介して、CDをプレゼントした程度だ。


今回、久々に、下書きの絵を自分で描いて見て、なるほど、、、私は、かなり絵が下手くそだなあ、とは思った。(注:一部に愛好家はいる!)

何しろ、それ以上、詳細に描く気がしない!、、というのが、この世界に向いていない、という資質の証明だ。

ところが、これが音楽となるとかなり緻密にハーモニーを積み上げて譜面に書くのだ。譜面を書くのも好きだ。今までにも「膨大」な音符を書いて来た。

やっぱり、人は、願望と向いている事は、別だ、と思った。


そんな、超、具体的イメージ豊かな自分だから、下書きなしで誰かにすべてをまかせる、という事はない、とは思う。

彼の才能にして見れば、このイラストでの評価は、不本意な評価で、言われた事をただ、最高にやるだけ、という「バンドマン」的な仕事ではある、とは思うが、今回、依頼した「バンマス」(私)のセンスが良いから一応、許せる仕事だとは思う。

表紙のジャケットを開くと彼の名前がローマ字で掲載してある。それと、これは、当初から沖縄県民用に作られたわけではないジャケットではある。日本用でもない。

旧、THE OLD SONGSのCDRのジャケットと比較すればわかるとは思う。これを見ると、自分自身は、意外に「完璧主義」だとは思う。イメージ通りに再現できないなら、手に入る物だけでなんとか「完璧」にしているつもりだ。中途半端な既製品のデザイン.ソフトを手に入れたからといきなり、プロのイラストレーターに気取りにはなれない。あれは、頭の中に、そうした強烈なイメージが何もない者だから購入できるものだろう、と思う。

これは、一般の「完璧指向」とは、まったく別物だとは思う。私のは、「完璧主義」である。


今回、金銭的な問題と時間的な問題で、ライナーノーツが入れられなかったのが残念と言えば残念ではあるが、そもそも、その音楽自体が、地元県民用に作成しているCDではない。




PS:
前回の日記は、眠くてあれ以上書けなかった。。






2:5月23日(月)、ムジカ.ライブ感想メール



友寄様、お久しぶりです。

**です。

22日のコンサート、23日のMUSICAでのライブお疲れさまでした。
僕は22日の那覇市民会館でのコンサートは会場の近くまでは行ったのですが、体調が悪かったためそのまま帰ってしまいました。
次の日のライブは体調も万全ではありませんでしたがどうしても聴きたくて少し無理して行ってしまいました。
友寄様に、メールの返事を頂いたお礼とCDにサインを頂いたお礼を直接お伝えしたかったのですが緊張のあまり目を合わすことすらできませんでした。
僕は肝っ玉の小さいチキン野郎なので、挨拶もまともにできない自分を情けなく思いますが、このような非礼を許して頂けるのでしたら幸いです。


ライブすごかったです!!
ソロの時にノイズをだされていましたが、事前にHPでおっしゃられていたいたようにエフェクターの調子が悪かったからでしょうか?
僕は「おおっ!!」と密かに興奮していました。

それから向井氏と地元のトロンボーンの方がセッションしている時に、何か色々やっているようにみえたのですがあれは他のギターの方もされていることなのでしょうか?トロンボーンの音が大きくて友寄様のギターの音は聞き取りにくかったのですが、何か粛々とバックに徹しているだけにはみえませんでした。

アンコールの前にステージからはけて行く時に友寄様は両手を上げてましたが、その後にベースの西川氏も片手を上げていました。
ライブでの演奏だけではなく、他の部分でも「友寄ワッチング」楽しませて頂きました。

「電気ギター」を操る姿、インプロヴィゼイション、かっこ良かったです!!
ライブハウスにもあまり行ったことがなく、また友達もあまりいない僕が独りでライブハウスに乗り込むというのは大変気合いが必要なことでした、正真正銘のアウェーです。

行く前はものすごく緊張して、本当にやめておこうかとも思ったりしますが、行った後では「やっぱり行って良かった」と思います。
ありがとうございました。
しかしギャラが3,000円というのには正直びっくりしました。

新作「THE OLD SONGS」が新たにCDとして完成したと言うことで欲しかったのですが、今回は我慢しました。
次に近いうちに友寄様のライブがあると信じて、その時に購入させて頂けたらと思っています(フトコロが寂しかったと言うことも正直に打ち明けておきます)。

その時はまた是非CDにサインを頂けたらうれしいです。
でもやっぱり買っておけば良かったかな...なんて思います。

僕には何の力もありませんが、友寄様がまたライブ活動を始めてくださることを願っています。

最後に、自分勝手なメールで失礼かと思いましたが送らせて頂きました、お礼のメール遅くなって申し訳ありませんでした。
それでは失礼します。

2005年5月27日、金曜日

****


(25才地元男性)






返信:



大丈夫!オレもチキンだ!

確かに、エフェクターの調子が悪く、これを曲の途中で黙って直するよりは、そのまま、エフェクターをチェックする音楽にしたかった!

トロンボーン隊の後ろでは、かなり遊んだバッキングをしていたぞ!

だって、ロックサウンドだと言うのに、ギターの出番がないんだぞ。ギター弾きにとって、あそこは、一番おいしいぶち切れ処だ!

だけど、向井氏には、それがわかっていたのかもしれないな。

だから、その後のライブ最後の曲(註:ボサノバ..スタンダード「WAVE」)のエンディングで、ロック.バンド、ディープ.パープルのSMOKE ON THE WATERのリフを吹いて誘ったんじゃないかなあ。

それにすぐに反応して乗ったオレも一匹の猿だったなあ。バナナに反応したんだな。

あの後、関係者を前に二人で、向井氏が弾く「チェロ」とアコ−スティック.ギターでジャズ.スタンダード.ソングを2曲演奏したんだな。伴奏してよって言われたからだな。

終ってみんなから拍手を受けたら向井氏から「二人で営業に行けるな!」って言われたな。

コンサートやライブで、なぜか、いつもそばにアコ−スティックギターがずっと立てられているのに一度も弾かず、電気ギターばっかり弾いているのが不思議だったんだろうなあ。さすがに疲れていたんで、そんなには弾かなかったけどね。

そんなにがんばって弾いてもないのに言われてもなあ。

まあ、そもそもギターなんか入れて活動してないんじゃない。

ミュージシャンは、みんな一期一会だよ。







*メール3:5月23日(月)、ムジカ.ライブ感想メール


2005-05-23
向井滋春、仲本政國、西川勲、玉城典幸、友寄隆哉@Musica


お昼で半休をもらい、近鉄〜名鉄でセントレア空港へ。夕方、那覇着。チェックイン後すぐに会場へ向かう。付近ですれ違う数名にお見かけした姿。友寄さんらがリハを終えジャッキーステーキハウスへ向かうところだった。

開場の8時で既にお客が複数居り、民謡酒場とは違った。\2000。gachapin(註:ガチャピン:ライブハウス「グルーヴ」オーナー)にも再会、ほっとする。9時前からライヴは始まる。

友寄隆哉を司会(註:現、大阪NHKアナウンサー浜中博久氏)は「変わったギタリスト」「友だちの少ないギタリスト」と紹介し、心が和む。

向井滋春tbは最初から最後まで全面参加、仲本政國p、玉城典幸ds、西川勲bs、友寄隆哉gt。全曲スタンダード・ナンバー、いやかつてFMでよく耳にした、向井のオリジナルもあったのか。第一部でピアノの低い弦が一本切れた。The Old Songs を思い浮かべながらgtを聴く、エレクトリックとはいえ柔らかな音色のgtが、流れるように、早弾きしていなくてもスピードがある動き。

pも単なる老舗を模倣するフレーズでなく、おもいがけず攻撃的なフレーズを紡ぐ、それはgtに確実に伝わっていて、両者がバトルというより一緒にふわりと宙を舞うような瞬間があってめまいがした。

ギターソロ中の他メンバーの表情も興味深かった。第二部では仲本政國オーケストラの若手tb奏者4名が前列に並びブラスバンド風にNight Trainなど。そもそも昨晩は仲本政國ジャズオーケストラ結成25周年記念コンサートが行われたのだが、本日のみ参上となったのはたまたま。二次会に参加し5時前お暇する。

* The Old Songs - 友寄隆哉(CD)


(近畿地方、40代男性観戦者5月23日日記より無断積極掲載。既に宙に消え、二度と再現する事ができない小歴史の記録として掲載。)






後記2:コンサート後日談





先月4月のデュオ.ライブ(チャージ¥1,000)のギャラも¥3,000、今回(チャージ¥2,000)のギャラも¥3,000。

¥3,000で、今時、これくらいの「仕事」する奴等がいるのかなあ、とは思う。

何しろ、たった¥3,000のために人生賭けて潰しまったんだから。。後は、アドリブだけだ!って若者へのアドバイスはないぞ。

オレは、その「アドリブ」のために人生を潰したんだ。


続ける、続けないは、やっぱり、自分が決める事だろうなあ。


5月は、こんなもんだなあ。






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6月8日(水):コンサート、ライブ後の心境。先生から学ぶ事。



今年の5月後半から6月の中頃までは忙しいだろう、と8才頃、確か預言した通り忙しい。12才頃には、恐らく近所で4番目に忙しいだろう、と思っていたら3人ばかり小走りに走っている者を見かけたからこれも的中だ。

日記なんて書く時間ないよぉ〜と、テキスト執筆の日々に取り掛り出したらまたまた、小学生の頃テレビで見た分数と小数点どっちが多い、、の話しを思い出し、ああ、そればっかりやっていてはあっと言う間に2030年くらいになるんじゃないか、、とこうして合間を見て、日記も真面目に書く事にした。


先月の4月17日あたりのライブから3年ぶりで現役、4分の1復帰を果たし、今回5月の22日コンサート、23日はゲストを迎えてのライブという大仕事を経てちょっと微妙に意識が変化して来た。

1996年から2000年くらいまでの4年間、そして2002年3月から2005年4月17日までの3年間、とまるでライブをしていない。人前での演奏は全くしていない。よくもまあ、そういう事が平気でできるよなあ、と思っていたらこれは昔からの習性だった、と気付く。

今回のライブ演奏で、まったく私の演奏を生で聴いた事がなかった生徒連合の何人かが初めて「先生」の演奏に接する事となった。もちろんまったく、そうした事に関心を持たない生徒も何人かいる。本土からわざわざ来沖する者がいる中、地元に居ながら、一度も演奏を聴きに来た事もなく、コンサート、ライブどうでした、、と平然と社交辞令で触れて来る者も多々いるが、そのたび、「まあねぇ」と、別の話題に切り替える。相変わらず、ライブには同業者は来ないから何十年経っても本気で演奏した所は見せた覚えもない。CDだって聴いてはくれない。

しかし、こうした現象は、全国的に見ればまだ良い方で、私が昔、師事していた「先生」などは、もっときびしい状況にあった。私は、生徒の側だからわかるのだが、誰も先生のライブには関心を持たなかった。CDすら所有していない。ライブを見に行くたび、生徒関係は誰も来てはいなかった。そのまま2年くらい在籍し卒業となったが、その間も全く生徒が訪れると言う事はなかった。最初、こうした現象にとまどった。

若者には、先生と言うのはあこがれの対象ではなく、その音楽もどうでもよかったのだろう、と思う。ただ、学校へ行ったら有名人らしき先生がいて、その人と知り合いになれてよかった、、という程度だったんだろう。一日も早くその知識だけを取り込んで、自分も早く世に出たい、としか考えていなかったのだろう、と思う。

今、思えば、「先生」側にして見れば、どんな気分だっただろう、と考える。前の晩、その演奏を目のあたりにした自分としては、翌日、何事もなかったようにあれこれの質問を受ける先生と、ほとんどその演奏も音楽にも関心のない生徒側からの次々とぶつけられるどうでも良い質問である。

これはたぶん、近代と言ってもよいほどの日本を象徴している教育産業の実体なんだと思う。「この人にどうしても習いたい」という情熱からではない。そこが一流そうだから、、というブランド指向でもある。大学もみんなこんな感じだから、実際は、何の力もつかないまま卒業となる。

これは簡単な理屈だ。目の前に、どうしてもその人に師事したい、と思った「先生」がいれば質問の質も変って来る。

あの時、どうしてあのフレーズが出て来たのですか、とか、あそこで書いている事は、どういう意味なんですか、、とか、自分なりに真似して見たんですけど、こうやっていたんですか、、と言うものだ。

こんな調子で、何年かその先生に師事していれば、力が付かないわけはない、と思う。もう、日々、その先生から吸収する事だらけである。文章も作風もその先生を土台としたものが生まれる。まったくそこから異質のものが出て来るわけがない。出て来たとしたら、その先生からは何も学ぶ気がない証拠である。

私自身は、徹底してその思考、作風を真似た。真似た、と言うより、なるべくそういう風な思考法を身に付けようと思ったから師事したのである。その先生がどこの学校(建物!)に所属して居ようが関係ない。ただ、その人に教えを受けたかいがために様々なバイトや労働をしながら時間を作って学んだ。何よりもその時間を人生最高の時間とした。おかげで、とても一人では成し得なかったものの考え方と「感覚」のいくらかを脳内に注入する事ができた。

こうした事は修行事では、全くあたりまえの行動だと思う。現在、こうした「風習」が辛うじて維持されているのは、落語家の世界かなあ、とは思う。少なくとも立川流(家元、立川談志)は、そう言う風な師弟関係だとは思う。

結局、そうした気持ちがないまま、どんな所へ通ってみても何も身に付けられないまま卒業、、となるのが現在の大学なりではあると思う。卒業者に色々尋ねて見ても、結局、卒業と共に、厳しい社会へほっぽり出されてウツになってしまっている。まさに天国から地獄へ、、というように見えるが、これは仕方ない。自業自得と言うものだろう。しかし、それにしても自業自得となる者が多すぎではある。

こんな事を言っている私自身でさえ、まだまだ学び方が足りなかったから、結局、その先生の「域」にまでは達していないままではある。だから今日があるのだと思う。

結局、物事を最大限に学ぶ近道は、徹底してその先生の手法を学ぶ、、にある。


まあ、けっこう長い間、この世界の末端に生きて辛うじて「現役」を保っていると色んな事が見えて来る。十代の頃は、共に同じ道を目指す「仲間」たちとの関わりであり、20代、30代、40代と通じて出会った生徒、業界人との関わりがその眼を鍛えてくれた。

10年という年月でさえも、二十歳だった者は、やがて30才になり、30才になった者は40才になる。この中で、どういう者が消えて行き、自然淘汰される考え方、日常を持った人間であるか、、がわかって来る。生き残っているのはわずか10パーセントに過ぎない。さらにその中でも優秀であるというのは1パーセントもいない。

消えて行く者には、総じて共通点がある。みんな同じ事を言っていて、同じ心理状態にあったりする。だからこの先の10年も20年も同じである。

昔は、ほんの3,4年で自分の力量を知るに十分な厳しい時代ではあったが、今は、こうしたインターネットや機械の発達と共に、自分自身の能力を錯覚、保留するに十分な時代である。経済的にもそれを援護する環境もある。

だからあっと言う間にみんな歳を取る。歳は取るが、相変わらず、不完全燃焼な夢だけは抱いていて、それは十代と変りがない。

教養と言う点でも圧倒的な知識不足であるから一般的には、30才くらいでようやく成人式を迎える程度のメンタリティである。そう考えれば納得の行く現象ばかりである。どう考えて見ても現行のシステムの中に育ち、そのレールをなぞって来た者ではそうなるしかない。

自分自身で様々な世界に飛び込み、数々の試練を受けなければ、変りようがない。つまり、何の修羅場もくぐってはいないまま、大人になって行くのだ。そのメンタリティで以って、その弱点を一挙に解消すべく、とんでもない極端な行動に出たりする。自殺志願者もその類だろうと思う。晩年はそのツケを支払うだけの余生となる。何の力もないまま肥大化した自己の抹消である。


日当¥3,000程度のライブにエネルギーを使った「お祭り」を終えて、ふと、こんな気持ちになってみた。






後記:



こうした生徒よりも大切な、私の音楽のファンの一人のリスナーから今回のライブの模様を記録した演奏中の写真集とCDRが三重県方面から送られて来た。CDも新たに5枚注文してくれた。

初めて見る、演奏中の私の写真を見て、自分自身でもびっくりした。

道を間違えた!どっからどう見ても、***関係者である。

今、毎晩、これを聴きながら過ごしている。この中から色んな発見が日々あり、多くの事を学んでいる。

やっぱり、昔から、自分は、自分が一番好きだなあ、と改めて思った。

もちろん、この辺をこうすりゃ、もっと良くなるはずだなあ、と常に未来の事を考えているだけで楽しい酒が呑める。今、現在のままを良し、とした事は一度もない。





PS:


右肩の痛みが再発し、右肩専用のサポーター(¥10,000!)を着用し毎日、過ごしている。

今週末には、このまま、毎年恒例の地獄の荒行の会に出る予定ではある。

生きていたら、来週には、日記を書いている、とは思う。

大した事はない。到着したその日、午前3時頃まで呑んで騒いで、、、2時間後の午前5時に起床して、その日一日、様々な荒行をして帰る、、という会である。そこでは、現世で何をしているか、、は、どうでもよい事になっている。ただ、その荒行を全うできるか否か、、でしか評価されない。今回はちょっと、右腕が使えないままの参加、というだけではある。

一日で天国と地獄を経験したら、、という「遊び」の一つではある。


久々なので、ちょっと書き過ぎた。


また地道な仕事に戻らなきゃ!


昨夜は、飲み過ぎて、今日は、めずらしく寝過ごした。


酔っぱらって、目覚まし時計をかけるのを忘れていたのだ。



この頃、洗濯物がなかなか乾かない。

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6月15日(水):恥ずかしながら無事帰還致しました。名前を覚える、という事。大雨洪水警報中。



地獄の荒行の会から無事帰還し、溜まりに溜まったテキスト作りに専念し、テキトーに生徒へ予定変更のメールなんかを送っていると、ほとんど、半径3,4キロあたりの近所を相手に営業している、というのに、中には、文字の読める生徒もいて、この日記を読んで知ったのか「荒行どうでした?」と返信して来る者もいる。

基本的には、私のホームページにもCDにもライブにも一切、興味がない、自分の未来だけは、こうなりたくないと思っている前途有望な近所の者だけを相手に長年商売している。

この教室は、15分から30分程度で通えるから、、がその主な理由だ。私自身も「商売」だから金さえ払えば、どんな理由で通おうが気にしない。気にしないが、そういう生徒に限って、よく月謝を滞納する。

彼等は、まだ、私の真髄がわかっていない。何年在籍しようが、私は、自分の琴線に触れない人間の名前を覚えない。3年通っている店の名前ですら覚えない。

だから、相当なアピールと縁がない限り、私は、基本的に誰の名前も覚えない。ざま〜みろ!。


いちいち通りすがりの100人の名前など覚えている暇はない。オレは、教育者じゃないって言うてるだろ!

自慢じゃあないが、23,4才の頃、親の顔も忘れた男だ。7年も会った事がなかった。

何年か前、どうもどこかで見た事があるなあ、、と思って歩行中の女性を見たら、向こうから声をかけて来た。ああ、やっぱり知り合いだな、、と思ったら、妹だった。

それくらいに凄い、と言うのに、もしも1ヶ月も私とブランクがあるとすれば、もう、これは確実にそんな生徒の名前など思い出す事はない。

この間は、5年も通っている店の名前をずっと間違えて覚えていた。

やはり世の中は、ど〜でもよい人は、ど〜でもよい。もっともっと人間社会は、お互いがアピールし合い、縁を付けなきゃいけない。

縁がありましたら、、、なんて言って去る人間も多いが、人間社会でそうそう縁なんてあるか!何様のつもりだ。

縁は、自分から付けるものだと再三言っている。


、、といって記憶力が人一倍悪いのか、、と言えばそうでもない。何となく色んなでき事は覚えている。

ただ、その時に思い浮かぶのは「映像」だけだ。とにかく映像だけがある。

三島由紀夫は、生まれた時、産湯を使ったタライを覚えている、、と言う話しをどこかで聞いたが、目を瞑れば、思い出せない事もない。まあ、そのタライは、今でも実家で活躍しているから錯覚ではあるだろう。


荒行は、最初からコケた。


到着したその夜、いつもの調子で酒を呑んでいたら、その酒が、40度もある酒だった!。普段は、30度くらいの酒だ。これを午前2時過ぎまで一人呑んだ。

おかげで、2時間後の5時起床には、もう死ぬしかない、と思った。2度と酒は呑むまい、、と誓った。

午前中は、ゲロ吐きまくりである。食事も受け付けない。その時は、原因がよくわからなかった。帰る時になって初めて、あの酒は、40度であり、これを何のつまみもなしに、呑みまくっていた、と判明した。俗に言う「空酒(からざけ:つまみも何も食べずに酒だけを呑む)」である。

今だかつて、あれほどの苦しみは味わった事がない。寝不足に加え、ゲロ吐きまくりの二日酔いである。

そんな中、数々の荒行を終え、無事帰還した。

しかし、よくよく思い出せば、坂本龍一のコンサート.ツアーにも参加した、というのが自慢のある地元有名女性民謡歌手のメジャーデビューとなる大きなコンサートが昔、地元で有り、集合時間の午前10時のリハーサルに午前8時まで呑んでベロベロになってしまった事がある。前の晩に10年ぶりで再会した人に出会ったからだ。


この時は、ユンケル皇帝液を2本も買って会場に辿り着いた。辿り着いたその場の楽屋の床に毛布を持参して寝た。とにかく毛布を持たなきゃ死ぬ、、と思ったのだ。

今、思えば、今回の無事帰還も若い頃のこうした荒行があっての事か、、とは思う。20代の頃だったか30代初期の頃だったかよく覚えていない。いつもと同じメンバーだ。

2本目のユンケルを呑んで本番に挑もうとした時、見かねた先輩のバンドマンが、おまえ、一日で、そんなにそれを呑んだら死ぬぞ!、、とか言われた。

その時も任務だけはきっちりと遂行した。

まあ、そんな事を言うてはいるが、実際は、3日に1度は、そうした日々を送っていた時期もある。

だから、今回の荒行では、「おお、まだまだ、やれるな!」と言う認識しかない。


荒行から帰還したその晩も参加できなかった友人に誘われ酒を呑んだ。しかし、さすがに2,3杯呑むのがやっとではあった。ソルマックは当然呑ん行った。

その後も一人、あれこれと歩き、朝方、帰宅した。

とにかく、眠らなきゃいけない、と思った。

目覚めると、また、新たな一日が始まっていた。

いつものように、ビタミンCを2錠、ダイエットコーラで流し込み、さて、何を食べようか、と思った。

食欲は、なかったが、とにかく何かを食べなきゃ、と思った。




後記:


沖縄は、先週の荒行スタートの土曜日から洪水のような大雨。

時折、フっと止んだりする。

その合間をぬって、荒行を重ねたり、外出したりしている。

今日は、洪水警報も出ている。先週の土曜日から数えると5日目だ。

100年分の雨量じゃあないか。

これだけ何日も朝から深夜まで降り続ける雨は、ここ1,000年ないと思う。

ノアの箱舟以来だろう。勘定合ってるか?

深夜、時折の30分程度の晴れ間を狙って、自転車に乗ってスーパーへ行った帰り、タイヤの半分が、アスファルトの道路に溢れた水たまりに埋まった時は、さすがに、ぞっとした。



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6月23日(木):近況:ベンチャーズを弾くライブと美空ひばりコンサート、後記:ドラマ終了





*色んな事が、やっと終えた。

4月から6月にかけての日々は、あれやこれやとどっと押し寄せ、頭の中でもうまく整理が付かない。


去る6月19日、日曜日は、「ジャズギター奏者、友寄隆哉ベンチャーズを弾く!アコ−スティック.ジャズ.ライブ」と二日前の新聞に出ていたので、そうかオレは、二日後には、アコ−スティック.ギターでベンチャーズを弾くんだな、とわかった。

ベンチャーズは、確か、中学生の頃か、、来沖した際の野外コンサートで見た。「ベンチャーズ.ライブ.イン.ジャパン」というレコードを持っていて、それを何度も聴いてはいた。改めて野外コンサートを体験すると、司会者の喋りからメンバーへのインタビューからジョークが、何もかもレコードと同じだったので、ひっくり返った事を覚えている。

19日のライブは、蓋を開けて見ると、やっぱりこんなもんだなあ、と言う程度の何人かの客がいた。その日は父の日だ。

なぜか、小学生あたりの子供と中年の父親までいた。孫かもしれない。

なぜ、父の日に二人だけでいるのか、よく考えると不思議ではあった。まるで、今から夜逃げしますが、どうかこの子の事をお願いします、という感じで座っている。なるべく目を合わさないようにした。


当日は、ベンチャーズを弾いた事もないギターと、その仕掛人となるピアニストに恐怖したのか、事前に話しがついていたはずのエレキ.ベースが「メモ形式で演奏する即興度100パーセントのベンチャーズ」と知り、逃げた。電話での連絡も付かず当日は行方不明となっていた。

完全な譜面でしか仕事をした事がないバンドマン専門のベース弾きだったからだ。残ったのは、ギターとピアノとドラムのみ。

う〜ん、ピアノとギター二人だけなら何とかなるものを、ドラマーだけが、ベースもいないのに参加しているなんて、、ポール.モチアンのドラムならいざ知らず、、、、。おいおい、この3人だけでど〜すんだよ、とプロデュースのピアニストに苦情を言ったら、ただ苦笑いして誤魔化している。

覚悟を決め、ステージを始めると、気合いが入り過ぎたのか、本来は即興性の全くないベンチャーズの曲をワンステージ1時間で、3曲ほどやった。通常のベンチャーズ曲なら1時間では、20曲くらいはやれるんじゃないか。


観客には、ピアニストのウクレレ.カラオケ教室の生徒関係、という事でおばさん4人組が来て、ライブ中も終始、お喋りに夢中になって騒いでいた。

曲が終るたびに「アハハハ、、ちっともベンチャーズの曲に聴こえないサァ〜!」と毎度バカ笑いしていた。おばさん連合は、フリージャズでもなんでも関係なく「お喋り」に夢中になれる生き物だと納得。


そのたび、「ギターがベンチャーズ知らないんですよぉ」とプロデュースのピアニストが言っていた。オレは、エリッククラプトンの「クリーム世代」で、ベンチャーズ世代ではない。ステージ上で、次にやるベンチャーズの曲の譜面をいちいち受け取りながらのいつものステージだ。曲名を紹介している際に譜面をチェックしてすぐに演奏となる。ベンチャーズの曲を4ビートでやったんだな。

1時間で3曲ほどやると、「8分休憩します。」と相変わらずの数字感覚でピアニストが告げ1ステージが終った。

休憩中、じっと私のCDを手に取り、眺めている年輩の男性がいた。内心、「何でもいいから早く買え!」と思いつつ見ていたが、10分ほどしてまたテーブルに戻していた。よく意味のわからない行動ではある。客層選んでライブしろよ、、とつくづく思った。

休憩は、別に8分、、というわけでもなく、15分程度して2ステージが始まる。

ベースが不在なので、あれこれの実験をし、色んな事を発見しながら演奏した。少しでも広がりのある低音サウンドを出そうとほとんど親指を中心にベースラインも交えての演奏となった。ピアノがアドリブしている時には、ギターが、ギターがアドリブしている時には、ピアノが、、とベースを補いながら弾いた。

もう、こうなりゃギターの音でなくてもいいな、とわざと琵琶のような音を出して弾いたりした。たぶん、その感覚は、聴いている人にはわからなかったかもしれない。時折、そういう事をやる。


タイトルで覚えているのは、ベンチャーズの「朝日のあたる家」とジャズ.スタンダードの「朝日の如くさわやかに:SOFTLY AS IN A MORNING SUNRIZE(本当は、朝日のように、そ〜と現れる、、という意味だろう)」の2曲を合体させた「朝日の如くさわやかに朝日のあたる家」という曲だ。私のセンスにない表現だ。

タイトルを告げるとまたまたおばさん連合の一人が、この曲は大好きサァ〜と大声でガハハハハハハハハ、、と笑っていた。なぜ、演奏する前からそんなに笑うのかは、おばさんにでもならないとわからない。スイッチの位置が違うんだろうな、とは思った。

2ステージ目は、1時間で2曲の演奏となった。。


ともかく、無事、ライブを終え、来ていた4人の生徒の一人から「ぼくも普段、娯楽がないのか、あのおばさんたちのように楽しかったです!」とメールが来た。

生まれて初めて私のライブを見た、という女性もいて「楽しかった、また来たい!」と言って来た。

今まで「楽しいライブ」をした覚えがないので、よい経験となった。

ギャラは、¥3,000出た。

3人でやっても10人でやっても¥3,000だ。

CDは1枚も売れなかったので、もう売る事をやめようか、と思った



終ってから親指を見ると水膨れができていた。テキトーな治療器具が見つからなかったので歯で食いちぎって膿みを出し応急処置とした。

そうしないと、しばらく痛くて弾けなくなるからだ。


手伝ってくれたS君と2件ハシゴして呑んだら¥10,000になった。

S君にとっては、毎回、天国にいるような気持ちだろう。


とりあえずの収穫は、ベ−シストが不在でもドラマーとライブができる、という事がわかった。


後日談、として、ライブには、ベンチャーズを弾いていくつも全国的な賞を取っている、という天才小学生も来ていた、、と後でライブをすっぽかしたベ−シストから聞いた。


少年には良い経験となった、とは思ったが、始まってすぐに父親と席を立ったらしい。

哀れな、親子鷹、、だとは思う。

どっちにしろ「夜逃げ」、、には変りないか。


少年がもしも天才だとしたら、私は、小学生の頃には、口笛で一人二重奏が出来た。

まあ、あの頃の事だ。近所の者しか驚かない。

今でも、そのなごりはあるんだぞ!







*今週、水曜日、6月22日、つまり昨日は、同じく同ピアニスト主催の「沖縄県歌謡連盟」としての「美空ひばりを唄う」という那覇市民会館大ホールでの定期発表会コンサート。カラオケ教室を営んでいる関係からこうなったんだろう。カラオケ.コースに「美空ひばり講座」というクラスまである。7年前に発足した連盟と言う。ジャズ.ピアニストだと言うのに、ピアノの生徒はおらず、ウクレレや三味線とカラオケの教室しかやっていない。

私もそろそろ大正琴を教えなくてはいけなくなるかもしれない。これからは老人教育産業しか生き残れないのだろう。

会場は、先月のジャズ.オーケストラ25周年コンサートの3倍はいるんじゃないか、という客数。そのほとんどが出演者と同じ「おばさん連合」。



そんなわけで、これまた本格的な12年ぶりのバンドマン復帰となる「お仕事」となった。午後1時集合し、37曲中、20曲くらいを7人編成のバンドで伴奏。6時30分開演までには、全曲を通す事はできないほど、後は、ぶっつけ本番となりキーも譜面とは違うものも何曲もあった。

出演者は、100人はいるんじゃないか、と思われるおばさん連合。みんな本当に素人なのか、、と思わせる衣装に身をつつんで全曲、美空ひばりにちなんだ曲を第17回忌追悼公演、、として唄ったり踊ったりしていた。

途中、素人のおばさんと私のギターと二人だけの「悲しい酒」もあった。しかし、曲のキーが、美空ひばり専属の木村好夫のギターとは違うために苦労した。イントロも弾いて、コードでの伴奏もして、合の手のメロディも入れて、、と要求満載で、譜面には、6弦は、D音に下げて、、とまであって、むちゃくちゃ言うなあ、木村好夫だってカポはめて弾いたりするぞ!パコ.デ.ルシアだってカポはめて演奏するぞ、、と愚痴を言ったが、ギタリストにしかわからない苦情となった。

とりあえずまあ、子供の頃見た、鶴岡まさよしと東京ロマンチカ、、とか、アントニオ古賀、、とか、そういう感じを心掛けて弾くが、バンドの中には、実際に彼等のような者と演奏したバンドマンもいる。それが専門の者もいたりする。

もちろん、おばさんとの息は、合わなかった。


午後9時過ぎに終る。


先日のライブをすっぽかして逃げた先輩エレキベース.バンドマンと落ち合って呑みに出る。まあ、メンバーを聞かされた時点で、ああ、ライブは無理だ、とわかっていたし、ベ−ス不在のライブも勉強になったからあまり気にしない。

ただ、ライブに来ない、、という事は、一応、卒倒するくらいありえない行動ではあるが、それをプロデュースしたピアニストがピアニストだから実際の二人での会話はわからない。オレはできないと言ったんだあ〜、リハーサルもしないって言うし、、と苦情を言ってはいた。

そもそも、オレがそんなライブできるわけないだろ、、と言うので、「そりゃあ、そうだ!」とあいづちを打った。最初からわかってはいたが、一応、引き受けた、と聞いたんで、ひぇ〜!とびっくりはしていた、と告げた。

それより、今日は、すぐそこの店に聴かせたいギターの親爺がいるから、ぜひ来てよ、と連れられて行った。演歌一筋300年の親爺の演歌専門の店で高級エレキギター1本で客の歌の伴奏をしたりソロで弾いたりしている、との事。

このエレキ.ベ−シスト男は、昔から私が何をして来たかも、、しているかもわからない。


「演歌ギターは、おまえが今日弾いていたあんなギターじゃない、しかし、おまえならあのギターも取り込めるはずだ。もう、あの親爺のように演歌ギターを弾ける人はいない!」と言われたので、のこのこ付いて行った。

まあ、ギター演奏は聴いた事はないが、最近のコンサートやライブで一緒のドラマーのN君の父親でもある。12,3年ほど前に一度、何かのリハーサルで行った事もある。

店へ入ると、もう、すでに零時を過ぎていたためか2,3人ほどの常連客が広い店内にポツポツといた。こいつにギターを聴かせて下さい、とライブすっぽかしのエレキベース弾きに請われて親爺が、2人のおばさんのなつメロ演歌の伴奏で弾き始めた。

う〜む、、、。確かに、もう、こんなギターはいない。どんな演歌の曲でも高級エレキギターで、イントロから合の手まで入れて即座に弾いてしまう。しかもその音はなめらかである。すべて単音でからんで行くのだ。

まさにギターはベートーベンがほんとに言ったかどうかは知らないが、小さなオーケストラである。

熟練の職人芸を見ている感じだ。


70才近いと言う親爺は、ギター弾きは、良い楽器さえ見てりや、いつでもごきげんなんだよ、、、とあれこれケースを持って来て楽器を見せてくれた。

ギブソンのスーパー400は、エリック.ゲイルで知っていたが、スーパー500というのは初めて見た。

あれこれ眺めていると、「演歌じゃなくてもいいから、ステージで何か弾いてくれ!」と言われた。「こういうジャズをやる人たちの指の動きを見てみたいもんだな。」と言う。


う〜ん、何を弾いたらいいんだろう、、と思いつつも「そうですか、、」とギブソン.スーパー500を抱え、ステージへ向った。

最初、テキトーに弾き出していたら、段々、面白くなって来た。

それからノン.ストップのステージが始まった。次から次へとジャズ、ボサノバの曲を弾き出した。客は、店の関係者も含め6人程度。

演歌専門の店が、すっかりジャズのライブハウスと化した。

まさにキチガイに**の状態でのりまくって一人延々と弾いた。

何しろ、生れてからこれほどの高級エレキ.ギタ−を弾いた事がない。

ボサノバのリクエストも受けた。

演奏中、ベ−シストの携帯電話が鳴り、「今、あいつが弾いてんだよ!」と答えていた。それを聴いて「今、流れてるのは どっかのCDじゃあないぞ!とちゃんと伝えておけ!」とステージから合の手を入れた。10分ほどしたら、次期次期次期音楽家協会長もやって来た。

目の前に「サンライズ.サンセット」の譜面があったのでこれも「屋根の上のバイオリン弾き」の気持ちになって弾いた。

「屋根の上のバイオリン弾き」のミュージカルは、見た事ないが、、、。

常連のおばさん客がそのメロディを口ずさんでいた。

しばらく弾いていると急に、場違いな事をしているなあ、と気付き、演奏を止めた。

カウンターで次期次期次期音楽家協会会長と呑んでいると、先月のコンサートの話しになった。あれは、まるで「水を得た魚のような演奏だった、、」と形容する所を「あれは、まるで、酒を得た、、」と相手が少しなまり気味で言った。しかし、その後の言葉が例えを間違ったせいか続かないとわかり、笑っていたら、急に、ひらめいて、、「それじゃあ、まるで、鮭(しゃけ)を得た、月の輪熊か!オレは、、」と答えたら、受けた。二人、大笑いとなった。

何でまた、この世界に帰って来たんだ、と真面目に質問された。その心境をホームページに書いてくれよ、と言われた。

え〜、あの沖縄のバンド界で最悪に評判の悪いホームページに?、、、と答えた。

自分でも何でまた再びこういう事をしているかは、わからない、と答えた。何時死ぬかわからない人生をこの歳で、またしても振り出しに戻るような年功序列システムはないだろ、と答えた。次期次期次期会長もやがて55才になる。

自分は、20代で、自分という人間が、この世界でやれる事のすべては、終えたつもりだ、と答えた。あれほど闘った事もなく、あれほど生きた事もなかった、と答えた。

利用はされたくはないが、必要と言われたらやるしかあるまい。


美空ひばりコンサートのバックバンド紹介では、古くから知っている5才年下のジャズシンガー&ラジオDJの女性司会者から、他のメンバーは、ジャズ界の重鎮とか、巨匠、、、の形容詞が続く中、「孤高のギタリスト」と紹介された。

たぶん、その場違いなメンバー紹介に会場のおばさん連合は、「ココ(此処)のギタリスト」と聞いたと思う。

そんな一日の出来事はどうでもよく、どんな仕事であれ、楽器を弾く事を日々の「普通」の仕事として捉えられない自分がまだいる事がわかった。

おとなしくその日、寝るわけにはいかない。


美空ひばり、コンサートでは、この所のライブの6,7倍のギャラは一日で得た。

不思議な世界だ。


自分のエネルギーを出せば出すほど食えなくなる世界、、らしい。






後記:



今日、23日の沖縄は戦没者を奉る「慰霊の日」で、公休日。

ようやく昨日からの久々に晴れの日を満喫していたら、式典や行事も終えた今日、この深夜から大雨がまたまた降り出した。

もう、雨は、かんべんしてくれ〜。

今夜はどこにも行けない。



今日は、スマップの草なぎつよしのテレビ番組「ヒルズに恋して、、」(註:「恋におちて:ぼくの成功の秘密」)の最終回。


面白かったなあ。

あの社長役の俳優、、最高の演技をするなあ。初めて見た俳優だ。(註:高柳社長役俳優:堤真一(40)


夢中に毎回見たなあ。


脚本の女性に「お疲れ様」だなあ。(註:佐藤嗣麻子:「金田一シリーズ」犬神家の一族、八つ墓村など、、、。)


最高に楽しい3ヶ月を送ったなあ。


無名ながら、最高の仕事をする連中は、まだまだいる。

主役を十二分に食っていた、と思う。


もちろん、主役もそれ相当に絶品ではあった。

ああ、この3ヶ月、、とにかく忙しかったなあ。








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6月27日(月):メール3題に答える。「マリファナ」、「リズム」、「裏切り」に関して。



*メール1: (アメリカ在住、19才男子)



(前略)


Q:さて、前に友寄さんが日記で1万円で譜面とオマケの特典DVDについて触れていましたが、僕にも譲っていただけませんか?
二十歳になる前には観たいと思っていたんです。
ライブを記録したCDRにも興味があります。
複製とか、出来るのでしょうか?




A:DVDは譲ってもいいが、アメリカからの注文は振込み料が高く付いて大変だろう。プライベート盤だから振込みシステムをまだ確立していないんだ。ライブを記録したCDRの複製を譲る事はできない。当日の観客で録音した者を探して只で譲ってもらうしかないだろう。



Q:最近はドラムを叩いている(ドラム、始めました)バンドのギタリストA君が、まぁ前は似たようなメンバーで一緒にギターを弾いてた人なんですが、 もう片方の6、70年代サイケデリック音楽大好きのギターのB君がマリファナとかキノコとかをホイホイ仕入れて来る奴で、 何時も仲間とかと一緒に部屋でジュルジュルやってるんですが、21になったギタリストA君は元々ちょっとオカシクて、精神安定剤みたいなものを毎日飲んでるような奴なんですけど、酒にハマって、その上B君のマリファナで空を飛ぶ幻覚を見たりともうやりたい放題なんです。



A:オレは、その分、酒なんだけどな。




Q: 異様に酒にのめり込むのが早いのできっと精神安定剤と何かマズイ相乗効果を〜と思った矢先にマリファナで幻覚を。マリファナでは幻覚は見ないと聞いていたのですが、 これは〜。A君は容姿がシド・ヴィシャスに非常に似ていて、「アメリカ版シド・ヴィシャス」といった感じなんです。何度か、ジミ・ヘンドリックスよろしく寝ながら吐いて窒息しそうになったり、 他人事ながら心配、、、と言うか、もう半ば諦めています。

A:そういう事は、止めても無駄だな。
止めるよりも別の思想的な何かに出会うしかないんだな。




Q: 本人が「もう懲りた。酒は止める」と言っても同じ日に飲んでたり、、、 それが一度や二度ではないんです。昔はちょっと心配していたかも知れませんが、人が散々忠告しようが、何しようが全く聞く耳を持たないので、今はもう何が起ころうが自業自得だろ、と冷め切っています。



A:まあ、しょうがない。止めさせる事よりも新しい何かに出会うチャンスを与えるしかないな。ヨガにでものめり込ませるんだな。




Q:こうやってミュージシャンは他人に関心を無くしていくのかなぁ、なんて思ったり。



A:それはあるな。みんな自分で手一杯だからな。それに、一番、他人に無関心なのがミュージシャンだろ。だからチャリティでもしない限り、救われないんだ。他人の事考えてる奴が、音楽ばかりに関心なんか抱かねぇよ。誰が死ぬ事よりも楽器が壊れる事が一番の関心さ。




Q:まぁ僕が自分のバンドを作ったらオレ様のオレ様によるオレ様の為だけのバンドに、、、と言っても才能のある人が僕に付いて来てくれるかだけが心配です。



A:そこは、それだけの器になればいいわけだ。
一番、優秀な人間が社長になるわけじゃないだろ。




Q: 最近SPEEDとかも好きでよくPVとか観てるんですが、 やっぱり中学生とかの、才能のある素直な子達を育てるのが一番確実なんでしょうか。云々、、、

A:そうだな。女子は、男子よりも素直だからだな。アタックNO1、、エースを狙え、、だ!



Q:とにかく、マリファナは興味あったのですが、ダウンタウンの松本が著書で「ドラッグには頼らない」(ニコチン中毒者が何を言うか!)とか言っていたので、僕も負けず嫌いで、、、しかし微妙です。本当に簡単に手に入るんですけどね。酒やタバコ程の害も無いとも言 われてますし。


A:

害があるとか、ないとかの関係じゃないな。
昔の映画で刑事役のチャールズ.ブロンソンが、不良少女が一生懸命作ったサンドイッチを、オレは、マヨネーズが嫌いだ!、、と投げ捨てるシーンだな。とにかく、誰が作ろうがマヨネーズが嫌いなんだな。

オレは、マヨネーズが付いている度、そのシーンを思い浮かべながら食べるけど。「ああ、付いているなあ、」と一応は、思うな。


Q:「一度くらいは、、、」とは思うのですが、そうしたら何が起ころうがマリファナのせい(お陰)にしてしまいそうで、 嫌なんですよね、、、。とにかく、今のところ取り敢えず吸わないと決めています。



A:そうだな。他にも色々、そういう自分のルールがあってもいい。

オレは、甘い缶コーヒーは、なるべく一日に1度だけにしているな。



Q:マリファナが充満している部屋にいて、その次の朝、観ていた悪夢から覚めても1分程現実との区別が付かなかった事もありますが、まぁ偶然でしょう。



A:そりゃあ、普段からある。マンガばかり読んでもある。




Q: 何故か中学校の同学年の名前もよく知らないような人間を殺したみたいで、 その罪悪感に苛まれている夢でした。全く、芸術性の欠片も無い、、、


A:なるほど。ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフだっけ、、あの罪悪感を夢で体験したんだな。貴重な体験だ。





Q:とにかく、僕の好きな音楽は(サイケデリックも好きですが)
ドラッグとは無縁っぽいので、必要無いでしょうね。




A:オレは、ミュージシャンらしくする事自体が、好きじゃないんだな。
18才の頃、そう教えられた。



Q:最近マイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソンを始めとする、
これって何て言うジャンルなんでしょう、アメリカのポップスですか?
をよ〜く聞いてみたら僕のやりたかった音楽と共通点が多くて。

小・中学生の頃から根本的に音楽の好みは変わっていないと最近になって強く自覚するようになったのですが、アメリカのポップスは正しくそれでした。



A:

アメリカは、エンタティメントの国だ。
暗さをひた隠し、ひたすら明るく振舞うんだ。ダンス、ダンス、ダンスミュージックだ!それを競っているんだ。








*メール2:(30代後半、プロ.ベ−シスト、東京)




(前略)


それから「荒行」。本当にお体ご自愛下さい。確か空呑みで一度入院しましたよね?ご自身だけのお体ではもはやないのですから・・・。
ゲロで思い出しましたが、配送のバイト時代に前日呑みすぎで出勤し国道上で走りながら「散布」した事がありました。

最近思うのですがリズムが「走っている」のです。
モタるかハシるかといえば「ハシる種族」なのですが自分でも「あ〜ヤバイかも」と認識します。そろそろ「死期」が近づいているのでしょうか?きっちり2,4拍を足で踏んでいかないとダメでしょうか?ちなみに以前のメールで「***の***を見よ」。これは実践しています。(ドラマーが)手に取るようにわかります。ご指導ありがとうございます。

返信後メール:

リズムの件、**法をやってみます。
他の共演者を「***」、これも実践に取り入れます。





*メール3:(30代後半、男性)


Q:
「裏切り」と言う物に対しての氏の意見を聞かせて下さい。

ぼくもいろいろと経験はしてますが・・・。

よろしくお願いします。


かしこ




A:う〜ん、、こういう「お題」を個人のメールだけに返信するのは、人類の損失ではある、。。しかしまあ、切羽詰まっている感じもあるから特別にみんなよりも先にコメントするぞ!


裏切り、、というのは、自分の自我の何分の1かを他者に「依存」し預けた結果に起きるもんだ。

そいつと二人じゃないとまっすぐに立てないわけだ。

まあ、例えば、騎馬戦で、オレは、まっすぐ立つから絶対、動くなよ!、、と言って、相手が、動いたような世界だ。

最初からあてにしていない奴が、動いたとして、それを「裏切り」と言うか?

これが、裏切られた側の視点。

一方、裏切った側の論理は、何か、、だ。

そいつを裏切った方が、もっと良い世界に行けたから、、だろ?。


どっちの「視点」に立ったとしても今の自分を鍛えてくれる良い教訓にならないか。

それは、今後の自分自身の生き方で決る。

正解は、「裏切ってくれてありがとう!」だ。


だから、今の自分がいる、、と言えるようにその後の日々を生きる事だ、と思うね。

さらにパワーを出させてくれる良いきっかけじゃないかな。

裏ぎった奴をずっと憎んでいる内は、何も進化しない。

のんびり生きている自分を刺激する良いインプロビゼイションじゃないかな。

長い人生で見れば。

それを何のきっかけともしない奴は、死ぬまで裏切られる人生を送ってくやしい思いばかりをすればいいんじゃないか?

裏ぎってくれてありがとう、、じゃないのか。

だから、人は、何時だって、未来が、楽しいんじゃないか。

このコメントは、**だけに聞かせるには、もったいないな!

暇な時に、この「普遍」のテーマへの返信を掲載しよう。

たぶん、みんな、そういう事に囚われている、と思う。




草々。

返信後メール:


ぜひHPで書いて下さい。ぼくだけではもったいないです。
必要としている人が絶対にいます。

取り急ぎお返事まで

かしこ


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7月3日(日):飲み屋で見る、朝まで生テレビ「旧、帝国軍人が語る、、」、ジャズの人、先輩の人、80代に入った後輩の人。




7月1日、金曜日の深夜からの「朝まで生テレビ」は、衝撃的だった。「旧帝国軍人と***」とバックにそのタイトルがあり、何と、俳優の池部良(86才)まで出席していた。ほとんどが、80代で、元大尉、中尉、、特攻隊、、と貴重な証言が聞けた。

あまりにもインパクトがある証言に、「こ、、これを生放送で流していいものか、、」と思っていたら、番組の後半で「これは、録画映像です、、。」とテロップが流れた。前代未聞の衝撃告白である。

実は、その日、飲み屋にいた。

客は、60才手前の中年男がカウンターに一人。


飲み屋の従業員のおばさんが「セロのマジック見た!」と言って来たので、「見た、見た!」と答えていたら、「何?マジック?あんなものは、みんなインチキだからマジックって言うんだよ!」と一々、突っ込みを入れるので、なるべくこの話題を避ける。


最近も不愉快な事があった。還暦を超えた地元のジャズのファンと言う者が、このホームページを見つけたらしく、ホームページの在り方自体を非難された。

曰く、ミュージシャンは、音で自己表現をすべき也、他人への中傷は、ミュージシャンがすべき事ではない、、云々。


まず、自分がどれほど立派な人間で、どれほど現在も人望ある人間かを証明してから他人へあれこれ忠告してもらいたい。

まるっきり、人生も生き方も違う人間を捕まえて、まるで自分と同じレールを歩んでいる部下でも叱るかのようなこの当然の態度はなんだ。

聞けば、この二十数年、これまでやって来たこちらのコンサート、ライブは、見た事は一度もない地元のジャズ関係のファンという。

もう、まったく話すに値しない。

こうした偉そうなジャズファンも含めて、今日の衰退がある。

上から人を見下した口調で喋る、老舗のジャズハウス.オーナー。

口を開けば、ああ、昔はよかった、昔はよかった、、である。

一体、こいつらは、何者なのか、と思う。

これまでさんざん多くの若手を無視し、自分より年長と言うだけでおべっかを使って来た人種が、そろそろ先輩も力尽きて来たから、、と今さら、後輩への説教もないだろう。


こんなんは、男の世界云々は、ほっぽって、今度は、こちらから、サイテ〜の一言で無視して暮したい。

長年の若手を無視し、先輩ばっかりにおべっかを使って生きて来た結果がここにあると思う。

なるほど、昔はよかった、、と言うしかない。


、、、そんなわけで、セロの話題もできないまま、初老男を無視して呑んでいたら、前述の「朝まで生テレビ」が始まった。


何とも信じられない事の一つが、出席者のほどんどが、元帝国軍人と言う80代の者ばかりであるのだが、目眩がするほどのその若々しさである。

若々しいのは、何も、女優の森光子ばかりではないんだなあ、と一体、この世代のこの連中は、男女共に、何なのか、、と仰天する事ばかりであった。

隣には、マジシャンのセロを見た事もないというのにそれを否定する60男。テレビには、衝撃証言となる事を次々と暴露する80代の「青年」連合。

俳優、池部良氏(86才)は、その昔、俳優とその筋の***の癒着を全面否定し、俳優は一切、そういう関わりをすべきでない、と***の世界との癒着訣別宣言を発し、数々の試練を受けた、という話しは、20代の頃から聞いている。それ以来、二枚目役の池部良氏を見る目が変った。

番組は、海軍と陸軍の大尉、中尉、少尉、、などの証言である。

戦地での部隊の玉砕決議は、すべて「御前会議」で行われた、と証言する者までいる。その証言のあまりのインパクトに「そんな事はない、あれは、大本営が決定したんだ!」と反論する者もいた。

「ああした事が、すべて御前会議で行われた、、という事は、常識ではないか!」と述べる。

思わず、こ、こんな事をテレビの生放送で喋っていいのか、、と思ったほどだ。

次から次へと様々な証言が出て来る。


「こんな事は、言いたくないが、当時、疑わしいと思った南京の子供から婦人が、毎日のように手足を縛られ、川に投げ捨てられていた、、、これが戦争だと思う」と、85才になる、元大尉が述べた。

自分たちは、幼い頃からそうした教育を受けて来たのだ、と述べた。

だから、今は、もう、こんな教育を子供たちに受けさせてはいけない、と思い、活動して来た、と言う。

あの戦争は、アジアのほどんどが、当時、アメリカ、ロシアの植民地にあったので、これを解放すべく、日本が立ち上がらないといけない、と教えられ、その通りに戦ったのだ、、と言った。


上官に、特攻隊に志願する者!、、と呼び掛けられた際、これを志願しないと後で、リンチに遭った、、と言う。だから、どうしようもなかったんだ、と言う。辞退できる「空気」ではなかった、という。

日々、特攻で死んで行く同僚たちがいる中、みんなの前で呼ばれたら、自分だけは、、と辞退できなかった、という。



前述の南京事件は、確かにあった、といい、韓国、朝鮮、フィリピンから集められた従軍慰安婦の存在も認めた。しかし、これは確かに、国が設置したものであった、と証言した。ただ、これは、戦争が一時休止状態の期間に、兵士たちが「骨休め」として利用した、と述べた。これらは、今や80代となった「戦友会」の者たちに取っては、常識である、という。

これまでなぜ証言できなかった、と言えば、これを証言すれば「先輩」が、「戦犯」になる可能性があったからだ、、と言う。


ところどころ、途中から入って来た、若者軍団のばか騒ぎの大声で、よく聞き取れない所も多々あったので、じっと耳をすましてテレビを見ていたら、おばさんが、テレビのボリュームを上げてくれた。

「私たちは、通訳がいないとよくわからない話しだけど、今、大切な話しをしてるんでしょ?」と言った。

「そうだ。今、もの凄く衝撃的な話しをしてるんだ」と答えた。


なるほど、85才の身になった者たちに、今や、そう簡単に「先輩」はいない。

戦後55年、みな、当時は、二十歳から三十歳程度の者たちである。ただ、上からの命令を伝える事でしか生きてはいけない。


あまりの衝撃に口をポカンと開け、テレビを見ていたら、いつのまにか、隣の60男は、退散していた。誰も相手しないものだからつまらなくなったようだ。サラリーマンとの事だ。昔の用語で言えば、リーサラである。これまで、何のリーサラ.ウェポン、、にもならなかったんだろう。おとなしく、この80代の衝撃証言テレビを見ればいいのに、と思ったが、どうでもよかったのだろう。


何かをひた隠して、80代まで生き抜いて来た者たちの若々しさにとにかくも圧倒された。あの頃の戦争体験を今日、50年の月日を経て初めて述べた、という、死に損ねた、元特攻隊員の80代がいた。

天皇陛下のために出陣したんじゃない。自分が死ぬ事によって少しでも自分の肉親、愛する者たちが守れないか、と思っていたんだ、と述べた。

それほど、戦況は、緊迫した状況だ、という事を知っていたからだ、と言う。

少なくとも自分の乗った飛行機は、十分に帰りの燃料まで備えた飛行機であった、と証言した。ただ、片道分だけしか積めない練習機で、特攻させられた者たちもいる、と述べた。

司会の田原氏は、「なるほど、それを、美化して、特攻隊はみな、帰りの燃料を積まず、突撃に出た、、と伝えられたんですね」と確認した。


今、思えば、こうしたテレビ番組は、たとえ、飲み屋に居ようとも、避けられなかったんだな、と思う。


日本社会は、常に、先輩、後輩の関係において、あらゆるパワーが封じ込められている、という事がわかる。



あの80代連合の若々しさは、おそらく、先輩からの重圧からようやく解放された解放感から来るものなんだろう、と思う。



長年、「先輩」たちに虐げられて来た、当時の若者そのものの証言だった、ように思える。



できれば、同様に長生きしたいものだ。







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7月6日(水):最近のホームページ弾圧騒動に思う事。


今、ここ地元では、旧ジャズ.ファン及び関係者の一部が中心になって、このホームページに圧力をかけ封鎖させよう、という動きがある、と旧組織に属している者の中から教えてくれる者がいた。

現在は、新聞社等、各マスコミ関係、政治団体等、ありとあらゆる手段に根回しが始まり、着々とその準備はすすんでいるらしい。

おそらくまあ、私に何らかの形で拒否された関係者の年輩連合が中心になっているのだろう。

(註:同時にまた、私の琴線に触れた多くの年輩バンドマン、ミュージシャンもいる。彼等は、そんな私にいつでも丁寧に接してくれた。)


果たして、こうした事が許されていいものだろうか、とは思う。何の公共性も持たない一個人の発言をこうした組織ぐるみで抑える、という事がである。それほど巨大な力を持った組織になってしまったのだろうか。他にやる事はないのだろうか。ただ、こういう事があった、こういう事があった、と記述しているに過ぎない。あらゆる手を打って、様々なジャズ関係筋から私を排除して行こう、と言うのがその狙いらしい。

排除って、もう、とっくの昔に排除されているではないか。あれから十数年の歳月は経たではないか。

誰しも音楽を好きになるのは自由である。しかし、いったん、その音楽を好きになった、というだけで、属さなきゃいけない組織がすでに存在し、そこでものが言えるようになるには、還暦を越えなきゃいけない、としたら、一体全体何なのだろう、と思う。

様々なイベントにおいて、いつもと変らぬ顔ぶれで企画され、村民、町民、市民は、黙ってこれを甘受しなきゃいけない、という事もある、と聞く。もう、生まれながらに決ってしまっているのだ。

今、世の中で問題になっているのは、こうした映画やテレビ.ドラマでもお馴染みの旧態然とした「構造」ではないのか。

組織から追放された、、と意気消沈していた者が、何かのきっかけを得て、新たな「敵」となる情報をひっさげ、再び、組織に返り咲く、というパターンもお馴染みである。

自国の悪政から国民の目をそむけるため他国を敵、とするパターンもお馴染みであり、現にそれを実践している国もある。

誰かに取り入ろう、組織に返り咲こう、と思ったら、大体、こうした手口を利用する。

「なんだ!そんな所で何をしているんだ!、ここへは出入りするなと言ったぞ!」「いえいえ、今日は、ちょっとお耳に入れたい事がありやして、、友寄って御存知ですか、、、。」、という感じか。

言論を弾圧するのもかまわないが、あまり、こうした動きを年輩連合がするのは、ライブドア騒動を見ていても、みっともなかった。こんな事ばかりをしていたら、いつまで経っても旧態然とした体質は変らないから若者は誰も寄り付こうとしない。

音楽を好きになっただけで、こうした組織の一員に組み込まれるなんて誰も思ってもみない。私だって思っても見なかった。

批判、批評を快く受けて初めて、対話が生まれるし、また新たな血も注入できる。これは、成長する企業においても鉄則ではないだろうか。


ミュージシャンの活動と言うものは、所詮、みな個人商店の営業だと思う。もし、ミュージシャン、、ならば、、だ。お祭り興業にしきたりがあるとすれば、これはテキ屋のしくみではないか。大本がいて、誰はどこどこで、誰はどこ、と手配されるわけだ。ひょっとしたら戦前からこうしたしくみは同じかもしれない。

すると段々に祭りも廃れて来る。いつまでもガマの油を売っているわけにはいかない。骨董品芸、としての鑑賞、、というならわかる。

若い時、進駐軍がいて、ジャズは盛況だった、と言う時代を若い時から満喫し、なおかつそれで財産までをも築いた時代から戦後何十年経ったのだろう、と思う。

私自身は、そんな体験を若い時代にした覚えがない。すでに、ジャズをやると食えないかもしれない、と言われながらもジャズの持つアドリブ、というものの魅力に取り憑かれ、この世界に飛び込んだだけである。

そして多くの同様なミュージシャンたちに出会って来た。

あれから既に私でさえ二十数年経った。その時の時代、時代で、色々な事をした。しかし、その一切を目撃した事もないまま、また、現在の私も知らないまま、自分たちの趣味に合わないからと、その根回しが始まるわけだ。それが、年齢を経た、旧進駐軍ジャズファンも含めての動き、だと言う。今さら何が米軍基地反対だ。米軍基地よ、ありがとう、だろう。


私は、意外だろうが、生徒を束縛した事がない。私自身の問題と生徒の人格は別である。誰と関わろうが気にしない。自分が本当に合わない、と自分自身で思えば、「別にそこだけじゃないんだから」と言って上げるだけである。しかし、この事によって私に師事した者まで弾圧を受ける事は不憫である。不憫ではあるが、別に、人は、そこまでしてそうした組織に依存する必要はない活動と言うものもある。


ジャズやロックは、本来、反体制であったのではないか。それが、体制派の最たるものとして君臨しようとする事自体に、ここは、北朝鮮か、と吐き捨てるまでである。

もちろん、同様にNO!が言える若手もいないまま体制化して行くのが現状ではある。それだけ個人のパワーが不足している。しかし、一方、かつての「自由」を満喫した政治欲旺盛な若者たちは、今や権力者であるが、そろそろ誰もが定年となりその権力を奪われる。残っているのは、自分に刃向かう者に対しての憎悪感だけである。

実に度量が狭すぎる人間を大量生産する製造システムである。

このホームページは、何の公共性もない、孤立した一個人の活動ではあるから、大したものでもない。しかし、いつかは、当然のようにこうした組織の根回しによって弾圧されるのであろうけど、このホームページの存在によって、けっこう楽しい人生を送り、未来が希望溢れたものに少しだけは、見えた若者もいるのではないか。少なくとも世の中は、こうした世界があるんだな、と心構えはできたはずである。

民営化しても幹部は、別に変らないからその体質まで変るわけではないのだな、とわかる。


争いごとの中で、最も過酷なものは、近隣との争い事ではないか、と思う。

人には、権力を持ってはいけない人種と、権力を持っても別に、大して、人畜無害な人種がいると思う。

われわれに選択の余地はないらしい。

すでに上から与えられたものをありがたがって受け入れるだけである。


しばらくもすれば、また、何事もなかったかのように次の世代が生まれ、それを当然の歴史と認識するのだと思う。






後記:



組織と言う者は、何時だって、その一人、一人に何の自覚もないまま、一人一人の微力が結集し、強大な力となるものだとは思う。

昔、沖縄では、アメリカ人は、団体になると酷い事をするが、個人、個人は、みんないい奴だよ、というのが、子供の頃から聞かされた「常識」であった。


(註:最近またまたの米兵の民間レイプ不祥事は、昔、サイトでも指摘したように、米軍の民間のための沖縄半年軍事訓練バカンス.コースのシステムの不備だと思う。要するに観光気分なのである。)


オレは、ただ触れただけなんだ、、あいつが勝手に倒れて死んじゃったんだよ、、とは、個々の弁ではある。


当然、そのきっかけを作った首謀者は、戦略成就として、もうそこにはいない。

ミュージシャンは何時だって、個人商店でありたいものだ。


個人商店が怒ったって、大して何の影響力もない。


何の権力も持たないからそれが、ちょうどいい「加減」だと思う。

しかし、自分を怒らせたら、あらゆるものを根回ししてでも弾圧できる、と思う、その意識自体が、そもそもの脅威だとは、思う。


こういう事すら言ってはいけないのだとすれば、その国、土地の権力者が、狂っている、としか言えない。

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7月28日(木):名護ライブ興業、コンサート、ライブ、年寄りの在り方。世代は巡る。



7月24日、日曜日は、地元は、名護(なご)市でのライブ。那覇から車で2時間程。高速で1時間弱。

店の広告チラシには、「仲本政國カルテット+ハイブリッド.トロンボーン」とあった。これに店からの要望という事で女性ボーカルを加え、総勢9人のメンバー。ライブ、と言うよりも「興業」という感じ。「興業」というよりも個人的には「お仕事」と言う感じ。しかし「お仕事」にしては、「少し多めのライブのギャラ」と言う感じ。(註:呑んだら消えた。)

客層は、男性客の方は、釣ったさかなをそのままぶら下げて居座っている漁師の一団という感じの年輩連合、女性客の方は、ママさんコーラスのメンバーの一員なのか、と思われるような感じの客が、20人程度。8時からの開演時は、10人いるかいないかで、メンバーの方が多かった。

名護のこの店での「お仕事」は、およそ20年ぶり。

20年ほど前にちょっとした事があった。それで、今回は、「友寄隆哉、名護で暴れる!」というライブだと言われていたが、前日に名護市を訪れた者がいて、広告チラシには、一切、名前が見当たらなかったのですが本当にやるんですか、、と問い合わせが来た。

前日まで、何かとホームページ騒動やらで、まったく出る気がなく、すっぽかそう、と思っていた矢先だけに、何!名前も一切出ていない!やったあ!、これで正々堂々とすっぽかせる!と、さっそく前日は、朝方、遅くまで飲み屋で呑んだ。

その間も携帯電話のメールに、明日、すっぽかすのか出るのか、というメールがいくつか来た。その度、「すっぽかすつもりだ!」と答えた。

事前に、当日のエレキベ−シストへも連絡を入れ「わし、すっぽかすけんねぇ〜」と伝えておいた。「何、言ってんだあ〜!ちゃんと出ろよ!、ドラマーは、若手のKなんだから楽しみにしてんだから!」と言って来た。

「え〜!すっぽかしはお互い様じゃないかぁ〜!それに、9人もメンバーがいるんだからギターなんかいらないだろ、ライブなんだからぁ、仕事ならいざ知らず!それに、ライブで9人分のギャラなんか出るかよ!」と答えたら、「う〜む、そりゃそうだけど、とにかく出なきゃ!、おまえがそう言っているとバンマスには伝えておくから!」とひとまず電話が切れた。


翌日、寝ていると電話で起こされた。「後で、迎えに行くからアコ−スティックギターだけでいいから準備しておけよ!」とバンマスから。続いてエレキベースから「今から迎えに行くから」と。

う〜む、、、人間、ここまで誘われたら行くしかない。また10年くらいこれをすっぽかして引退しようと思いつつ眠っていた、というのに。

当日も私にマメに問い合わせをし、今、車で無理矢理拉致され、名護に連行されている!、という私自身が発した情報を得て、わざわざ那覇市から見に来た者も3人ばかりいた。

収穫は色々あった。地元ではさしたる派手な仕事も与えられなく報われないが、ポンタボックスのメンバーとポンタ氏の代わりに時折、呼ばれてドラムを叩いたりしている、という若手ドラマーのK君と自分のバンド用のオリジナル曲を2曲ほどオープニングでギタートリオでやる。

なるほど、今まで地元では、あまり経験した事のないステディな感じのドラミングだ。きっと正しいライブの在り方、、の場数を踏めば、もっともっと成長する。

しかし、客席の雰囲気が場違いな感じがしたので2ステージ目からは「絶対にや〜らない!」とパスする。

その替わり、ここでは、演歌ジャズをやるといい、とバンマスに伝え、2ステージのオープニングは、北島三郎の「与作」をバンマスのピアノが即興フリージャズ風で弾き始める。日頃、譜面しか弾かないエレキベースが、死にそうだ、と必死で合わせていたのが、ちょっと面白かった。

当日は、なぜか、20年前から私専属?のPA屋のミキサーのS氏もわざわざ那覇市から仕事として来てミキシングしていた。

彼がいると、いつも「テキト−にギターだけ目立たせてくれ!」とだけ伝える。本人もギターを弾くらしいから、何がギターらしいかはわかるだろう、との判断からだ。


興業は、まあ、若手?女性シンガーの歌や若手トロンボーンアンサンブルのおかげで、アンコールもあり無事成功し終了。ハプニングもあり、その場つなぎで、ギターソロを1曲、演奏する。

終って楽器を片付けていると、「普段は、どこで演奏しているんですか?」、と尋ねて来る地元の口ひげの中年男性客がいた。

「いやあ、もう、どこでも弾いてないですねぇ、昔は、やってたんですけど、今は、ぜんぜんやる気も客も仕事もなくて、、」と答える。

「とりあえず、まあ、ここ最近は、那覇市のムジカって店の”仲本政國プロデュース”って日曜日かの日に呼ばれたらやってたり、呼ばれなかったらやっていなかったり、あるいは、自分から断ったり、、店に問い合わせてもよくわからないかもしれないですねぇ。何時行ってもいなかったら、ほされてしまったんだな、と思えばいいですよ。」と答えたら笑っていた。

しかし、The Old SongsのCDが、2枚売れた。


、、、という事は、その二人のためにやったんだな、と思えば、わざわざ那覇から行った甲斐もある。

また、20年後に同行してもいい、と今は、少しだけ思う。

店側からの指名は、当然、その時もない、とは思うが、、、。


しかし、、20年後だからねぇ。






後記:




那覇に着いてから、エレキベースと二人呑みに出た。ミキサーS氏もそこへ合流して3人で朝まで呑む。

そう言えば、今から10年以上も前に、今回の若手?トップ女性シンガーの発音をチェックしたのは、オレだぞ!と言ったら二人とも信じなかった。

たぶん、本人もそんなオレの前で歌っている、という事を忘れているんだろう、と思う。考えてみたら、色んな人を地元で教えて来た、とは思う。


最近もホームページを読んでいた、という地元の男性からどうしても娘を教えて欲しい、と言う事で頼み込まれた。何度も辞退し、他の教師を紹介したのだが、じゃあ、夏休みも来るし、、という事で、しばらく小学校5年生の子を教える事となった。

本人もやる気がある感じで、母親同伴で授業を受けている。何か、基礎からじっくり取り組める感じで、実験中ではある。もし、私に言われた通りの事をちゃんと毎回やって来たら、と思うと何だか、どえらい事にならないか、、と思ってはいる。時間に都合が付くか、、と言ったら、ここへ通わせるためなら学校を休ませてもいい、と言うくらいの一家そろっての決意のようだ。

しかし、これは異例の事なので、一家そろって、この教室を信頼しない限り受け付けないので、念のため。

教える事は、当然、音楽に限らない。学歴はいらないかもしれないが、学問は、必要だ。


実家へ帰ると、テレビの前に居座って番組の主導権を握っている年寄りがいる。どうせ、見るもの聞くものすべてが、年寄り好みの世界で、その時間に「電車男」を見るためには、常に、はげしいののしり合いと抗争がある。

しかし、今の所、これに勝利し、「電車男」を欠かさず見る事ができている。

見終っていつも思う事は、こうした年寄りが、いつも居座って、毎日、「囲碁」「将棋」「ゴルフ」「水戸黄門」ばかりをいつも同じ時間に一家揃って見せ続けられたら、その一家は、本当に時代から取り残されて、バカになるなあ、と思う。

じゃあ、これが、社会全体に広がって、その社会が、いつもいつも年寄り連合の好みに支配され、若者がそれに従うしかない、としたら、新しい世の中は、来るか、、と言う事だ。

年を取れば取るほど、頑固になる。新しいものを受け付けなくなる。バランスもあるだろうが、朝から晩までのこうした番組にバランスも糞もない。

何度同じものを見てもすぐに忘れるからくり返しも平気である。共通の好みは、「ニュース番組」だけである。しかし、これは「文化」ではない。

毎回、毎回、年寄りばかりを相手にし、これに受ける事ばかりを考えて生きていると脳味噌は腐り、そこから出る事は一切ない。

あるのは、もうとっくの昔に実験済みの事項を300年くらいかけて繰り返し、ようやくあるレベルに達するだけである。

どんなレベルに達したか、、と言えば、別に、それは誰が代役となってもいい、助さん角さんのレベルである。

ただ、年寄りが安心して見られる助さん角さんを永遠に輩出し続けてくれさえすれば満足なのだ。

世の中が、チャンネルをけっして変えさせない年寄り連合に支配された、としたらどうなるのか。

ゴールデンタイムに居座る年寄りのなんと生々しい事。

それは、今を生きる若者のためにある時間ではないのか。

ちゃんと、その時間は、今の時代を目撃し、自分たちの人生を謳歌し、全うせよ、とゆずるべきではないのか。

年を取れば、それなりの時間にちゃんと朝早く起き、それなりの時間を静かに味わったらどうなのか。

それが、古来からの若者、年寄りの共存共栄の法則ではないのか。

ゴールデンタイムにまで居座り、生々しい欲望を剥き出しにし、若者からその時間さえも奪い、一体、その先に何があると言うのか。


今の時代、どう見ても、権力を持った年寄りが、二十歳の若者と同じに、二十歳の娘を追い掛け、その権力で持って、二十歳の若者を追い返している、としか思えない。

まるで、戦争に若者だけを追いやり、その隙に、居残った年寄りたちが、その若者の恋人たちを愛人にしてしまうような状況のように思えてならない。

番組の主導権を奪われた、うちの年寄りは、スネて寝るだけであるから、なんとも人畜無害ではある。

この事で心が痛む事はない。


自分の役割をわきまえず、早朝から続く、生々しい欲望をゴールデンタイムにまで誇示する事への怒りの方が勝っている。

人の人生は、何時終るかわからない。

のほほんと還暦まで生きる説教好きな者と、30才で散った、はげしい人生が、同じわけはない。


自分が味わった若い時の高揚を、そろそろみんなににも分けてやったらどうか、と思う。

若い時分から派手な世界へ自身をそれほどに露出して来て、これまでも何もなかったんだから、以後の人生も何かあるわけないだろ!


もちろん、みんなとは、自分になびくお調子者の若者ではない。

きっちりとその道に生き、その道の試練をちゃんと受け、様々な人生を経て、なおかつ、その道の技を磨いて来た、若者たちへ、、である。

本当に、そうして、力を付けて来た、年寄りは、たとえ、千円のギャラさえ得られなくともライブをしたらいい。

きっと、良いライブができる。


若者は、いつまでも年寄り連合のお膳立てした世界に甘えていないで、もっともっと自分たちで、コンサートを企画し、自分たちの力でそれを成功させたらいい。そこへ、自分たちが認めた年寄りをそこへ呼べばいい。それが正しい文化の在り方だと思う。

ローリング.ストーンズがソニーロリンズを呼んで、「好きなように吹いて下さい」と言ってのけたように!


昔、中学生の頃、フォークをやっていて、高校生連合とそういう自主コンサートをたくさんやった。100円からは税金が掛るから、、とか言って99円コンサートをやったりした。

出演するメンバーが、スポンサーとして、行きつけの喫茶店の広告をパンフレットに載せたり、みんなが手分けしてチケットを友人知人に売ったり、あの頃が一番、楽しかった。

何をやるかは、みんな自由だった。

あれから、何年も経ち、大人になって、そういう仲間もすべて消え、みんな本当の文化を知らないんじゃないか、と思った。

10代が、20代が、30代が、そういう事を仲間たちと始める事の楽しさを知らない。

そうしたコンサートなりライブに、自分たちが選んだ、世代を超えたミュージシャンをゲストとして参加させるわけだ。そこにまた、新たな血が注入されるわけだ。

ただ、ただ、与えられたものを不平不満で受けるよりも、もっともっと明るい世界ではないのか。

今回の「興業」を20年ぶりに体験して、こんなことを考えて見た。







PS:


あれから、飲み過ぎて、お腹を壊し、今日、病院へ行って胃腸薬をもらっては来た。