友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論

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執筆軌跡&時々日記(掲載文年代記:資料用)

2002年6月9日(日)より

2008年「執筆軌跡&時々日記」の目次


9月9日(日):荒行”酒”行と天国と地獄、後記:9月ライブ告知、PS:ジャズSP通信


9月に入ると保留されていた、今年の荒行”酒”行がついに敢行された。

人間は、どれだけ天国と地獄を繰り返せるだろうか、という事で有志者が集まるわけである。これにより今後一年のすべての厄払いも同時に行う、と言うものだ。とは言っても苦行は、さほど複雑なものではない。

大体、午後7時あたりから集まり、砂浜で軽く汗を流し、午後9時あたりから飲み出すわけだ。わいわい騒いで、気がつくと午前3時前くらいになっていて、それから慌てて就寝。まあ、ここまでは、天国。それから2時間後に起床し、早朝マラソンを行うのだ。今年は、これに加えて、山道をダッシュしまくろう、と言う案が出ていて、候補になった坂道を3本ばかり駆け上がった。信じられないくらいの山の坂道で延々と続いていた。よくもまあ、こんな坂を見つけて来たもんだ、とそのマニアックさに感心したりした。

案の上、1本目が終ると、ゲロを吐く者が何人か出た。つい2時間前まで呑んでいたわけだから当然ではある。今年は、どういうわけか、残されたその2時間に睡眠が少し取れたらしく、私は、ゲロは吐かなかった!まあ、去年は、私が一番遅くまで騒いで起きてしまい、朝からゲロを吐きまくったから、今年は、どちらかと言うと好調ではあった。

ちょっと気になったのは、「突然死」くらいである。何しろ2時間前まであんなに大酒を飲んでいたわけだ。

しかし、まあ、こうしてまた無事に帰還し、日記を更新できたわけであるからめでたしめでたしである。

午前5時に起床してから、途中、朝食や昼食を入れ、砂浜で午後12時から午後3時くらいまで今度は、上半身裸であれこれの荒行を繰り返した。炎天下の中、3時間晒されていたので、その後、時間が経つにつれ、日焼けで上半身は赤く火照って来て、ただ座っているだけで、怒り心頭で顔を真っ赤にしている仁王様のような感じになった。

帰って来てから飲み屋なんかに行くと「あらら?もう呑んで来たの!、顔真っ赤じゃない!」なんて、おばさんに言われたりしたから、たぶん、この二三日、道を歩いている時なんか、昼間っから酔っぱらって歩いている変なおじさん、、と言う風に見えていたかもしれない。

そんなこんなで、今、日焼けで皮膚の皮がどんどん剥けて行くので、もうしばらくすると完全な脱皮状態となり、まったく別の生き物として生まれ変る事になるだろう。フフフフ、、。望む所ではある。。(あっ!神様、私が悪うございました!。”蝿”とか、そんな感じの生き物は、かんべんして下さい!)

このように、毎年、恒例の1泊2日の荒行酒行で、今まで憑いていた厄がすべて払い落とされる事になっている。どんな悪霊がいても、こんな荒行好きな奴に憑依してては、”休息”もないから、辛抱たまら〜ん。。。、となってしまうからである。

明日は5時に起きて荒行だ!、とわかっていながら、ついつい午前3時近くまで呑む、、というこの天国、地獄のかけひきが大事なわけである。

待っている地獄怖さに天国をほどほどにすれば、後の地獄は、ある程度の睡眠もできてなんとかまだいけるわけであるが、これでは真の地獄ではない!。

たとえ、天国と言え、これをしつこく最後まで味わうとその後の地獄度が、これまた上がる。つまり、両者は反比例しているわけである。しかし、また、天国を十分に味わう事により、次に来る地獄が、最高の地獄になるわけであるから、人は、こうして何とか次へつなげるための荒行経験ができるわけである。そもそも荒行にならなければ”荒行酒行”の意味がない。

これを経れば、通常の日々がすべて天国となるわけである。天国と地獄は、非常に微妙な関係である。これを1日で体験するのが荒行なわけである。つらい稽古ばかりが荒行ではない。苦行度をいくら上げるよりも楽行度を上げるだけで、その後の苦行も活きて来るわけである。


書きたい事は、相変わらず、無限にあるが、今日は、この辺にしておこう。



後記:



毎年恒例の厄払いのための荒行を行ったわけであるが、実際は、厄払いをするたび、生徒が減ったりする。。。

今回も帰って来てからすぐに入会したばかりの通信講座の生徒が音信不通になった。やれやれ。みんな口ばっかりは達者やのぉ〜!

あれ?

ひょっとすると、、案外、厄払いされているのは、私の方かもしれないなあ。。

はて、、私をお払い箱にするほどの、さらに徳の高い、何かの荒行でもしたのかしらん。。




9月のライブ予定


時:9月30日(日曜日)、午後8時頃開演(開場:午後7時頃予定)

チャージ:¥1,000(ワン.ドリンク付、、らしい。出血大サービス!?)

場所:MUSICA(ムジカ)

http://w1.nirai.ne.jp/musica/

那覇市西町

TEL:098-869-2636


*近くに、300円払えば、朝まで勝手に延長してよい平地の駐車場有り(午後9時閉店のため。)


出演:仲本政國ジェネレーション.ギャップ3世代トリオ(50代、20代、40代)


仲本政國(p)

国場幸孝(ds)

友寄隆哉(el-b)



PS:ジャズSP通信


*沖縄地方及び、他のいくつかの地方では、ウエス.モンゴメリーかパット.メセニーの曲をコピーしてジャズ.ギターを弾かないと条例違反で罰金を払わなくてはいけないそうです。T氏は、罰金を払うのが嫌なので、エレキ.ベースに”転向”しているとの事です。

*これは、40代以上の地元ジャズギター愛好家の議員によって可決された条例だそうです。彼等は、若い頃、ジャズギターを志したが、技量不足でコピーできなかったため、と言うのがそもそもの真相、、のよう。


*エレキ.ベースは、議員連合に取ってもよくわからない対象なので自由との事。しかし、できれば、ジャコ.パストリアス風で、と言う指導はあるそうです。現在、これも条例に組み入れるか検討中との事ですが、エレキ.ベース経験者の40代以上の議員は、意外に少ないため、これは、却下されるであろう、と言うのが、地元、ジャズ評論家の大方の見解のようです。




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9月14日(金):台風だあ〜!。楽しいのに進化しない人たちの話し、自己客観視能力と引き蘢りと自己肥大化、人が人の心に遺して行くもの、後記1:巨大組織の社員と総理大臣と無常、新企画:人気曲集譜面訂正シリーズ第1回


預言通り、9月の半ばは、大型台風の季節で、今日は、その台風のため、予定されていたフランス、ロシア公演のスケジュールがキャンセルになりました、と秘書から報告を受けたので、ちょっとがんばって、おとなしく部屋に籠り、日記を更新して見よう。


教室稼業をしているとあれこれと色んな思いを持った者が習いたいとやって来る。これまで100人くらいは関わって来ただろう。一人一人を相手にする稼業にしてはかなりの数だと思う。

色んな人、、、と言う事は、それぞれに色んな人生を経て来ていたり、あるいはこれからもどうなるかもわからない、という者までいるわけである。

そういう生身の人間たちを1対1で相手して行くわけだから、なんとなく彼等の人生とも関わって行く事になる。

その中には、正のエネルギーを持った者もいれば、負のエネルギーを持った者もいるわけである。どちらかと言うと負のエネルギーを抱えた者が多いのもこの稼業である。誰もが、上級者になって行く、というものでもない。大半は、何かの宣伝にひっかかり、音楽と関わる事にあこがれて来た者である。本格的な稽古でもしようものなら、すぐに挫折する。

今、サッカーをやるとかっこいいから、とやって来た者に走り込みばかりをさせたら3日も続かない内に100人から20人くらいに減るだろう。そこからまた1週間でさらに減って行くわけである。最後に残った者が本物である。その残った者たちが、プロとして、競技を競っているから面白いのである。

これと言って何も言わなくてもどんどん進化して行く者もいる一方で、どんな話しをしてあげても、どんなに励ましてみても、もう、これが定められたその人の人生かのように挫折する者と様々である。それは、何年相手しようが、そういう人間であるからしょうがない。何年相手をしてもある日、急に音沙汰がなくなり、それで関係は消滅である。

あるいは、こちらから関係を消滅させる事もある。修行事に向いていない、という理由ではある。こちらはできるだけの努力を払ったが、それに答えてくれる実践力がまったくない場合である。

私自身の結論でもあるが、そういう人は、実社会でも何をさせてもダメである。小さな自己から変える事ができなくて大きな人生なんか変えられるものではない。案の定、実社会においてもそういう風になっていたりする。その事がミクロの世界のように反映しているのが、こうした習い事の世界である。地道に進化する人は、例え、才能はなくとも同じように地道に歩んで段々に力を付けて来たわけであるし、あるいは、これからもそうなんだろう、と思う。

あれよあれよと言う間にあるレベルに達する者は、やっぱり何をさせてもすぐにそのレベルまで達してしまう。しかし、そこから先にはなかなか行けない。そこから先が、大変でもある。そうであるからなのか、うまい具合にまた別の道を見つける能力にも長けているわけである。その代り、物事に深く関われないから勘が働かなくなる。勘は、一つの事を追求して行く中で生まれるものだと思う。いわゆる刑事の勘もその一つである。

芸事の世界は、自己をシビアな眼で客観視ができる資質が必要である。楽しんでやっています、という者の中になかなか上達しない者もいる。いくら楽しんでいるとは言え、五十音の「あ行」を覚えるのに何十年も費やしていては、「これからは楽しんで物事をやらない方がいいんじゃないか?」と言いたくなる事もある。一体、何時になったら「作文」が書けるようになるのだろう、とためいきが出る。


実際、何年経ってもアドリブができないと言う者がいて、それなのに楽しんでギターを弾いています、と言うもんだから、じゃあ、ジャムセッションにでも参加して、自分のレベルを知って来るといい、と勧告して参加させた。音楽関係の友人もなく、毎日、何年も一人で過ごしているから、他の人はどれくらいのレベルかもわからないわけである。数曲程度しか弾けないからセッションに出るレベルではないのであるが、なんと彼は、参加して帰って来た。しかし、その感想がやっぱり「楽しかった」、であった。

これには、ついに怒ってしまった。私の怒りのポイントは、誰にもわからないようである。普通に怒るだろう、と思う所では、そんなには怒らない。

以前、ジャム.セッションにかなりの上級者を初参加させたら、ライブハウスに入る前に手が震えた、と感想を述べていた。しかし結果は、そこの参加者もびっくりするほどの上手さをセッションで披露して来たわけである。

こうした上級者の気持ちを知っているものだから、何時まで経っても進化しないレベルの者に「楽しかった!」と感想を述べられたので、さすがに怒ってしまったわけである。これでは、何をしても修行にならない。だから、私に直接習ってもその場だけの態度であるから何年経っても進化しない。危機意識と言うものがないのである。自分は、このまま何の進化もなく終るのか、という葛藤もない。

自分への客観性と言うものがまったくないわけである。おそらくそこで一番、下手だったはずなのに楽しかった!とは何事か!となった。一体、何を学びに行ったんだ、と言う事になった。

こうした生徒は、音楽関係の趣味を持った人間との接触が全くなく、一人でずっと過ごしているものだから一体、世の中の人は、どれくらいのレベルか、という事をまず知らない。おそらく、人間に出会えて楽しかった、という事なんだろう、と今ではわからないでもない。しかし、他の者に紹介しようにも、まず実力不足であるから紹介もできない。

さらに試しに上手い者たちの中に入れて演奏させてみたら、また、同様な感想を述べた。確かに、アドリブというのは、自由で、それなりにスケールを弾いていれば、まちがいではない。こうした初級レベルでも対応できる曲もある。しかし、他の者のアドリブを聴いて、ああ、自分が一番下手だな、自分は、みんなに斬られたな、と言う客観性がなくてはならない。それが全くない者には、進化はない。ただのバカタレでしかない。

こういう生徒は、もっともっと他人との関わりを持たすべきであるが、根本的にそれができないから引き蘢るわけである。だから、他と自分を比較する事がないので、自分が全能に思えて来る。他との比較と言っても、一流の人と自分は、比較する。しかし、その一流の人との間に何億人もいる、という事を肌で感じられない。チャンピオンとなら闘っても良いが、その辺の人とは嫌だ、という事になる。

これが、一人稽古だけで何年も送る者の怖さである。現実の自分を知らないからである。言動も大きくなる。

そこで、そうした種族のためにも実力級を認定して、たとえ一人でいても自分を過信して勘違いしないように配慮しているわけである。アマチャアーでジャムセッションでぶいぶい言わせている者がいたら、大体、8級くらいのレベルである。本人は、アドリブをなんとか弾く事はできるだろうけど、その演奏に対して、金を払ってまで聴こう、とは思わないレベルである。実際、お金は取れない。只だから聴いてもいいわけである。したがい、このあたりが一番、自己を錯覚していそうな段階でもある。

確かに音楽の世界は、はっきりと点数を付ける事ができないから自己評価がやりづらいではあるだろう。作文発表会みたいなものと考えれば私が言っている意味が伝わるだろうか。自分は、ろくでもない作文を書いているのに他の優秀な作文の価値がわからないのだ。

こうした現象は、たまにアマチャーで、もの凄くつまらない自作の歌なんかを得意気に大声で唄っていたりするのに似ている。(もちろんプロにもいる。)せめて、その曲が、どれだけつまらないか、くらいは自分でもわからないかと思う。それがわかればもっと進化もするだろうが、それがわからないわけであるからそのまま終るわけである。

彼等の特徴は、自分に対しての客観性におそろしく欠けるわけである。これでは、何をやっても無駄で進化もない。もちろん、他の人で自分を評価してくれる人がいない事にも気付かないわけである。

そうした生徒に対して、一応、先生として「君は、君が思っているほど上手くもなく、才能もないと思うから、もっと全身全霊を傾けてものごとをやった方がいいと思う。そうして初めて、ようやく人並みになる資質だと思うよ。。」と宣告するわけである。物事を楽しんでやるならもっと上のレベルになってからの話しだから、と諭すわけである。

趣味の者相手に何もそこまで、、というかもしれないが、そうではない。彼等は、あわよくばプロになれたらいいなあ、と何年もプロを目指している種族である。ところが、意外に彼等より趣味の者の方が上達も早い。

その稽古をする事が本当の「趣味」なら必ず上達する。忙しいも関係ない。必ず、その事をやる。たとえ明日受験、、であっても必ず触ってしまう。だからこそ「趣味」なのである。忙しくて稽古できませんでした、、のレベルは「趣味」ではない。テレビなんか見るよりもマンガを読むよりも楽しいのが趣味である。雑誌でもなんでもいいから、なにがなんでもその世界に触れていたい、と思うのが趣味の世界である。

しかし、プロになる者は、さらにその上を行かなくていけない。趣味を超えて、24時間体制でその事だけを考えるわけである。

客観性のなさ、という事をさらに言えば、「うちの親も自分は料理の天才と言ってましたあ」、というコック志望の若者に「な、なんてまずい料理だ!」と料理長は言ってあげるしかない。

まず、そうした現実を「見せて」から本当の修行は始まる。まずい料理を作っておきながら、料理を作るのが楽しいです!、となっているとしたら、もうこれ以上、上達する事はない。料理をする事が楽しい、、ではなく、料理を学ぶのが楽しい、とならなくてはいけない。

楽器を弾くのが楽しい、、は、子供でも言えるから、客観性がない、という事は、つまりは、そうした子供のままなのである。


まあ、たいていの者は、こうした宣告をしただけで、来なくなる。しかし、それでもしかたない。こうした生徒は、一生このままだし、相当な「現実」を見せて荒治療をしないとそうそう治るものではない。こちらも先行きが楽しみでない者をいくら商売だからと言え、相手していてもおそらく私の指導霊が許さないだろう。そういう人生に関わらない方がよい、とするわけだ。

相手だって、自分より次元が上に位置する者に対する態度、心構えもないまま、ただ接しているわけである。中には、金を払ってんだから自分の方が偉い、と思って通う生徒もいたりするわけである。いつのまにか「友達」扱いしている生徒もいたりする。おそらくあまりに現実の社会と接して来なかったので自己が肥大しているのだろうと思う。


何十年も進化しない人間を相手にするという事は、そうした、成長を観察する、という楽しみがない、と言える。たとえ、1年後には、どうなっているかわからない、という人であってもやはりその人の進化を見るのは嬉しいものである。その補助となれて嬉しいと、こちらにもそのエネルギーを与えてくれる。

こうした習い事でそこそこのレベルに達する人は、実社会でもちゃんとそこそこの地位に達っしている。本人は、どんな事に対しても同じように努力する習慣がついているわけである。

40歳過ぎてからジャズを初めて、4,5年経ってセッションに参加できるようになった者もいる。50歳を過ぎての者もいる。それだけの情熱を持った人たちには、物事を始める年齢はどうだってよいわけである。たとえ若くで始めても最初で実社会に対しての挫折癖がついている者、何をやっても粘りがない者などは、何を言って聞かせてもどんなに励ましてもダメである。

必ず、最後には後悔の日々が待っていて、そこから解脱する事もできない。最近は、挫折癖がついている人間に対して励ます、という事がない。これは、もって生まれたその人のカルマであるから私ではどうする事もできない。私ごときでは、その人を取り巻く守護霊集団が決めた事を変更させるほどの力はない。あまり深く関わるとどんな攻撃に遭うかわからないからでもある。

そこから解脱するための修行を子孫にでも托すしかないだろう。自分が一番偉いとしか考えない人種であるから、他人の側からは、どうする事もできない。今世では、無理である。やがて、あっと言う間に歳を取り何もできないままに人生は終るだろう。

しかし、それはそれで一匹の蟻のような人生であるが、そこにもまた今世をそうやって生きて行くしかなかった何らかの意味が隠されていると思う。


最近、そんな事を考えている時、尊敬する、ある年輩の人物のエッセイ記事に出会った。芸事の師匠である人のエッセイである。

その歳になり、師匠、友人、知人、弟子と身近に亡くなった人間を思い返す時、その人のやって来た事、実績は、思い浮かんで来ない、という。

浮かんで来るのは、その人が、これから何かしようと、その目標のために毎日を必死に生きていた事への想いや念が思い返されて、それを想うたびに残念な気持ちとともに熱いものがこみあげる、と言う。その事がまた、自分への励ましともなって今を生きる力となるのだ、とあった。そういう人たちに接すると亡くなった後まで未だ生きている自分自身へもエネルギーを与えてくれる、とあった。

なるほど、と思った。どんな偉大な事をやってのけても亡くなれば、その事は、やがて風化して行くものだけど、その人が、全身全霊で打ち込み、これからやろうとしていた事への想いこそが、人々の間に深い記憶となって残る、というわけである。




今日は、この他に新企画があるのでこの辺で。。




後記:



もう、エネルギーを奪う人間たちではなく、与えてくれる人間に出会いたいものではある。他人からエネルギーを奪うだけの「甘える」事しか知らない人間に出会って無駄な時間を過ごすほど、人の人生は、無限に続くものでもない。

実際、様々なカルマを持った人間と接するわけであるから、その同じ負の念をもらわないように自分自身を厳しく鍛えないと、彼等同様に何かに取り憑かれてしまうわけである。


去年だったか、大きな組織に属するテレビ業界の人間に「あの変なサイトまだやってるの?」と言われた事がある。その時は、カチンと来たが笑ってやり過ごした。おまえなんか、早く定年になって役立たずになれ!、とその時は思った。

しかし、今は、たとえ何の実績も築けない人生ではあるけど、未来への志しは、おのれよりも高いんじゃあ〜、とようやく言えるようにはなった、、と思う。

世の中は、実績は関係ない。志しがない者は、たとえ総理大臣になったとしてもあっと言う間に忘れ去られ、秘かに今世から消えて行くものである。

世の中は、それほどの無常のものであるから、一般の者が、どれほどの組織に所属していようが、その「盾」が消えれば、みな、ただの人である。

こちとらあ、生れながらになんの「盾」もねぇ〜!

こうして日々を生きるしかないわけだあ〜!





新企画:人気曲集譜面訂正シリーズ第1回


この間、これが、全国でも売れていて、どこのライブハウスでも使われているというジャズの曲集です、というので、ああ、そうなのか、じゃあ、便利だからこれに従って曲を教えよう、と購入してじっくり見たら、メロディもコードも間違いが多い。プロなら、即座に「ああ、こりゃちょっと違うなあ」とわかるわけであるが、偉そうなアマチャーがこの曲集にしたがって演奏している、と言うわけである。

コードの間違いは、どの曲集でもありうるが、メロディまでもこんなに違うとねぇ〜とためいきが出るばかりである。ところが、生徒も含め、以前からこの曲集を持ってはいる、という。

それで、もう。この間違ったメロディ箇所は、すべて修正液で消して、新たに書き込みするといい、とした。コードは、この間違ったコードがセッションなんかで弾かれるかもしれないから一応、見えるようにバツを付けて、その横に訂正コードを書き入れるといい、また、他のオプションとなるコードは()付けて添えておくといい、とした。

そこで、譜面を掲載するわけにはいかないから、文章でその曲集の中から、間違い箇所を指摘し訂正して行くという「実験」を試みてみよう。これは、この曲集を所持している者にしかわからない暗号にもなると思うが、タイトルをつければ、ある程度、その小節の箇所だけは、知らない人でもわかるだろう。

間違った譜面で曲を覚えたら致命傷である。何が正しい、全国共通コードかは、ちゃんとしたプロでないとわからない。譜面には、その時代、時代の「相場」と言うものがあるからである。最前線の戦場を知らない者たちがわかるわけがない。本来、それを訂正できる責任者不在でジャムセッションを行ってはいけないのではないか、と思う。

何しろ、その場所では、コードもメロディも間違って、毎夜、セッションが繰り広げられている、、と言う事になるからで、できれば、そんなセッションには参加しない方がいいかもしれない、、、となるからである。




*コード表記注意。

まず曲集全ページにわたって、CとかFとからあるのは、CM7かC6のどちらの選択でも可能という事。FだったらFM7,F6という事。まるっきり3声のコードのCとかFではない。

それとマイナーコードでも7thの表記が抜けている。これは、アメリカなんかで出ている曲集にもよくある「7th」表記の省略と言える。Emとあったら、Em7、、と言う事。

(註:当教室では、三声コードは、「Em」と表記し、4声コードは「E-7」と表記したりして区別を付けたりする事もある。これもアメリカ産の曲集は、「E-」となったりしている。7thが省略されている。)分数コード以外、ジャズでは、3声コードはめったに出てこない。』



No.1:ALICE IN WONDERLAND


これは、まあ、ワルツの曲でとにかく長い。小節を数えると前半の16小節をAメロとしたら、まず、これを繰り返すので16×2=32小節。これでまあ、通常のスタンダードの曲分はある。

それからサビの16小節をBメロとして、また再びAメロの16小節に戻るから、16×2+16×2=64小節で1コーラス、、という曲になる。

こうした曲が何小節あるかは、普通考えないではある。Aメロが2回、サビのBメロが1回、最後にまたAメロで終り、、と言う感覚があるだけ。


そこでまず、この譜面の間違いは、、、




1(12小節目):Aメロ:12小節目、ここは、コードは、まずA7がいい。(前の小節のEmとコンビを組ます。)メロディは、符点2分音符でC音のみとなっているが、これは、2分音符でまずC音、それから最後に4分音符でその下のA音。A7の♯9th音(C音)をメロディのC音として取る。Amよりは、ジャズ的になる。こうした場合のAm(7)は、ポピュラー的過ぎる。

メロディにC音、A音の音符が来たが、歌詞でもそこは、land とorの2語が来る。


2(13小節目):続いてコードがDm7の箇所の13小節目。コードはこれでいい。しかし、なんとここにA音のメロディが1個書いてある。ここは、2音あり一番かっこいい所。11th音から入るはず。したがいメロディは、2分音符でG音、最後は4分音符でF音。G音は、この場合、下から第2線のG音、この譜面にあるA音の下のG音とF音になる。歌詞では、just とbehindの[be]までが対応している。だから2音ないといけない。


3(14小節目):続いて14小節目、G7の箇所。コードはこれで良いが、メロディの符割は、2音で当たっているが、一連の下降ラインからまず、13thのE音、2分音符で入り、最後は4分音符でD音。


4(15〜16小節目):さらに15,16小節。なんとメロディが、1カッコでC音で解決している。そんなわけがない。ここは、前小節のD音より4度上のG音に上がる。このまま2小節キープ。メロディは、ここでは、完結させない。サビBメロに行くまえの2カッコで、C音に解決させる。また、この16小節目にコードとしてAmがあるが、これもださくて必要ない。テンポが早いのでCコードだけで良い。

遅いテンポだと15小節目にE-7A7、16小節目にA-7 D7とする事もあるが、ここは、伴奏者により自由なターンバック部分であるから限定しない方が良いではる。だから15,16小節ともCM7で良いとは思う。しかし、ついつい、15小節目でE-7、16小節目でA7を弾いて、冒頭のD-7に戻ったりしている。

とりあえず伴奏者が自分一人ならなんでもやれる。他にもいたら弾かないでピアニストにまかせる。まかせるのは、ピアノの方がコードを弾く音がでかいから!ギターが張り合ってもかなわない。コードが違うとサウンドが壊れるので通常は、ピアニストに譲る箇所。


12小節目から15,16小節のメロディの流れは、ド〜ラ/ソ〜ファ/ミ〜レ/ソ〜/〜/となるもの。under / land or / just be /hind the /tree...../...../となる歌詞。



5(32小節目):Aメロを繰り返して2カッコのC音で解決するが、繰り返した16小節目(頭から正確に数えると32小節目)では、前の小節からタイで継続して保持された2分音符のC音があるが、最後の3拍目にサビにつなげるための4分音符のC♯音がある。C音の半音上になる。ちゃんとそこの歌詞は、and が対応している。これがあるからBメロとなるサビの冒頭の1小節目のD音につながるわけである。


6(Bメロ1小節目「33小節目」):そこでBメロの第1小節目のメロディは、符点2分音符のD音で正しいが、ここでのコードがD-7とある。これでも良いが、原曲は、D-7♭5である。サブドミナント.マイナーにあたるコードである。しかし、もっとモダンなスタイルの人は、D7で処理している場合もあるので、オプションとしてのコードは、D7になる。()内に添えて置くといい。Dm7は、×ではないが、△程度ではある。やけくそのアマチャアーは、Dm7でいいだろう。フリージャズ系は、そこでアンプに楽器をぶつけたら良い。


7(Bメロ4小節目「36小節目」)びっくりするのは、Bメロ内の4小節目の符点2分音符のC音。音は当たっているが、1オクターブ高く書かれている!これは下のC音。だから次の小節のD音につながるわけである。



8(Bメロ7小節目「39小節目」):Bメロの7小節目、コードは、なぜかここだけCM7とある。おそらくメロディがB音だからだろう。しかし、”でも、そんなの事関係ない!そんなの関係ない!”C6でもかまわない。まあ、わかりやすいのでCM7を正解としておこう。しかし、ここのメロディは、これだけではない。このB音は、2分音符、最後の3拍目に4分音符で下のG音が来る。歌詞は、cres-centが2音節に分かれて対応する。だから2音ある。


9(Bメロ8小節目「40小節目」):Bメロの8小節目は、そのままCM7となっているが、ここは、FM7の箇所。メロディもE音が来る。7小節目から8小節目にかけては、ティ〜ソ/ミ〜/となる。歌詞は、cres-cent / moon /となる。

ここでコードをFM7にすると、7小節目のCM7のM7のメロディ音、B音と、ここのFM7でのメロディ、E音もFM7のM7の音になっているので、サウンドが韻を踏んでいて心地良い。(でも、そんなの関係ない!そんなの関係ない!、、F6でも良い。しかし、フリージャズ系は、ここでアンプを倒しても良い。)


(註:当教室では、「シ」の音を「ティ」と発音し、アルファベットのCと区別している。シ〜の音、、と言われたら、Cの音と勘違いする場合があるからである。英語では、「ティ」TEA(お茶)にひっかけているはず。)



10(ラストAメロ12小節目「60小節目」):最後にP11にある再び繰り返すAメロの12小節目から15小節を1から3の要領で訂正する。




11(ラストAメロ15,16小節目「63,64小節目」):

普通にC音のメロディとコードで締めて、譜面通り無事終了。

ここからまた冒頭に戻る場合のコードは、「4」の解説に同じ。







後記2:


止めようかなあ、、このシリーズ。あまりにマニアック過ぎるし、、

疲れちったなあ。。。


でも、そんなの関係ない!そんなの関係ない!







9月のライブ予定


時:9月30日(日曜日)、午後8時頃開演(開場:午後7時頃予定)

チャージ:¥1,000(ワン.ドリンク付、、らしい。出血大サービス!?)

場所:MUSICA(ムジカ)

http://w1.nirai.ne.jp/musica/

那覇市西町

TEL:098-869-2636


*近くに、300円払えば、朝まで勝手に延長してよい平地の駐車場有り(午後9時閉店のため。)


出演:仲本政國ジェネレーション.ギャップ3世代トリオ(50代、20代、40代)


仲本政國(p)

国場幸孝(ds)

友寄隆哉(el-b)





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9月24日(月):幼児性と情緒不安定とカルマからの解脱、新企画:人気曲集譜面訂正シリーズ第2回「ALL OF ME」



ついこの間までは、へこへこしていた、と思ったら、今度は、急に態度を一変させ、よそよそしく振るまい始めたりする人間にたまに遭遇する。今年も、何人か遭遇している。こうした人は、本当は、心の底からは、そう思っていないのに、単に、嫌われたくないから、とか、あるいは、優等生でいたいから、と言った態度で相手に同調しているだけらしい。

情緒不安定という事では、芸術家風なミュージシャンにも多い。いわゆる神経症型の人間で躁鬱病の気配もある。大人と言えども幼児性が高く、依存心と甘えの狭間にある。

甘えが通用しない、となると急に攻撃的な態度に出るわけである。デパートなんかで、欲しいモノが買ってもらえず大声で駄々をこねている子供なんかも、親が困っていると知りながら泣きわめいてみせるわけである。

子供なら仕方なく相手をするしかないが(大概の親は、泣きわめいていても無視しているようだ。)これが成人した大人となると相手をするのも大変にやっかいな存在となる。日々、顔色をうかがわないと対応できないからである。また、こうした意味不明に情緒不安定な人間に接している人間自身も同様に不安定な心理状態の人間になってしまうわけである。できるならそうした人が気分が良いと思われる時でさえも避けたいものである。

むかしから甘えるのは親にしてくれ!と言い続けているのだが、そういう者に限って親には立派な人間である、と思われたいらしい。だから当然、とばっちりを受けるのは他人、という事になる。

こうした人種は、果たしてどんな所に一番、棲息しているか、と観察していると、ある所には、うじゃうじゃいたり、その一方で、そうした者たちがまったく棲息できない所もあるから面白い。

こんな人間を上司にもったら最悪であるが、また、部下にそうした者がいても使いづらく、仕事上の戦略にするには、相当な気の使い方をしないといけないだろう。

その点で、こんな情緒不安定な上司を持つ方がいいか、部下を持つ方がいいか、どちらか一方を選べと言われたら、どちらかと言えば、まだ上司の方がいいかなあ、と思う。自分の仕事だけをきっちりやってあまり深く関係しないようにするからである。こっちが大人になって接してあげればいいわけだ。上司だからこちらから怒って説教する事はない分だけトラブルもない。しかし、これが自分の親だったりすると最悪な家庭環境に育つ事になる。このパターンは意外に多い。

逆にまた、これが、部下なら、無視するわけにはいかないし、簡単にクビにもできないからこっちの方が疲れるのではないか、と考えたりする。何かのミスを怒ったりするとどんなふてくされた態度に出るかもわからない。忍耐強く我慢できるとしたら、自分の子供の場合だけではないだろうか。だから、他人の子供を辛抱強く教育できる熱血先生は、尊敬されるわけだ。

まあ、上司か部下の選択は、実際は、どっちもいらん、ではあるからこれは究極の選択の一つとも言えるかもしれない。

こうして見ると、修行事の50パーセント、あるいは人により100パーセントは、自分自身の幼児性との闘いではないか、と思う。あとは、環境であったりする。すねたり、ふてくされたり、甘えたりしていても何も事は進まない。これさえ克服できれば、もっとスムーズに進化できるのではないか、と思うのだが、その人には、持って生まれたカルマがある。

十代、二十代でもその幼児性に気付かない。現代では、三十代あたりから、段々に焦りと後悔の日々が始まるわけである。(実際は、二十代後半あたりからだろう。)そのまま四十代になり、そうこうしている内に気が付くともう還暦、という人もいる。その頃になるともうなんでも良くなっているだろう。還暦は、60年の人間周期が1周し、また「幼児」から始めるわけだから、「解脱」は、相当にむつかしい。

昔から、進化する人は、いつ見ても進化しているし、そうでない人は、いつも何かを挫折したばかりである。面白いと言えば、面白い。ヒロミ.GOのデビュー曲ではないが、君たち男の子、カルマ(業)!、カルマ(業)!、である。

おお!”ヒロミ.GO”と言えば、確かに、情緒も安定しているからか、すべてにおいて進化し続けている修行人の一人であると思う。見習うべき所も多々あると思うが、私生活的には、ちょっと変でもある。

まあ、特別にここでヒロミ.GOを話題にする気はないので、今日の所は、この辺にしておこう。







新企画:人気曲集譜面訂正シリーズ第2回(2007年9月14日、第1回)



さて、なんでこの曲集は、こんなに間違いが多いのだろう、という事で、様々な噂が乱れ飛んでいるらしい。その一つが、著作権の問題にわざとひっかからないようにしている、というものだが、そのためにメロディもコードもむりやり変えているとしたら、これは作者もミュージシャンであるというから信用をなくしてしまう。すすんで信用をなくす事をしてしまったのだろうか。まあ、儲かった事は確かではある。であれば、これの訂正本を出して私もそのおこぼれを授かりたいものであるが、そう思っているプロ.ミュージシャンは、私の他にもかなりいる事だろう。



9月14日の第1回のALICE IN WONDERLANDに続き、今回は、ALL OF MEとなる。





*NO.2:ALL OF ME


この譜面を見て、まず、びっくりする事はコード進行であるが、その前に、メロディをチェックすると、これは「メロディの活性化」と言う音楽理論の見地から考えると正しいとも言える。たいていの曲集でも似たり寄ったりであったりする。しかし、この譜面をそのまま演奏したりすれば、ものすごくダサイ感じになるので、メロディの符割りを多少、変えなくてはいけない。もし、この譜面通りメロディを演奏している者がいたらたぶん笑い出すかもしれない。

さっそくチェックして見ようと思うが、これは、ちょっと長くなるなあ、と、ためいきが出る譜面ではある。




第1小節目:「詩吟調の訂正」

ここの歌詞は、All of me〜と軽快に唄わないといけない。この譜面では、オ〜ル〜、オ〜ブ〜、ミ〜、、、と詩吟調にしかならない。タ〜カ〜サ〜ゴ〜ヤ〜(高砂や〜)である。すべて2分音符がこうした感じになるわけで、熟練された奏者は、当然、こうした譜面は無視して演奏するはずである。

だから、ここは、4分音符と2つの8分音符のコンビで、ド、ソミ〜として、3拍,4拍目には、2拍目の裏の8分音符のミと同音の「ミ」の2分音符とタイで結ぶ。これにより「All of me ~」と軽快な口調で唄う事になる。多少、唄い方によってAllを伸ばしたりする事はあるだろう。

これに2分音符を付けたとしても、残りの「of me」に関しては、1語のようにいっきょに唄うのが自然であるから、この部分は、8分音符でのコンビにしなくてはいけないだろう。まあ、もっとくわしく言えば、A~l ... lov meと言う感じの発音になる(オ〜、ロヴ ミ〜)。

あるいは、符点4分音符を「All」にあて、8分音符に「of」をあて、2分音符に「me」をあてる譜面もよく見られるので、どちらでもよい。(「タ〜ンタタ〜」になる。)

共通しているのは、「of」と「me」は、8分音符関係で隣接させていなくてはいけない、という事である。歌詞の発音上の関係である。



いきなり1小節目での解説が細かくなってしまったが、このような符割が、全編にわたっているので、ここで、こうした訂正を「詩吟調の訂正」と命名しておこう。



第2小節目:

ここの前半1,2拍は、前の小節の「ミ」を継続させるので前の小節の「ミ」をさらにまたタイで結ぶ。1,2小節に掛けては、タイ2連発である。「タイ煮連発」としておこうか。2小節にまたがってのこのパターンの訂正もこの曲では頻繁にある。後半の3,4拍の2拍3連のメロディはこれでいい。



第3小節目:

ここのメロディも「詩吟調の訂正」になる。シ(ティ)、ソ(♯)ミ〜と4分音符と8分音符二つ、そして8分音符の「ミ」とタイで2分音符の「ミ」をつけ加えて結ぶ。だからここも1小節目と同じ、4分音符1個、8分音符2個、タイで結んだ2分音符1個となる。

しかし、ここで最大の疑問が、Bm7というコード!ここは、昔から次の小節まで続くE7である。もしもE7を勝手にII-Vした、とするなら、同じ調性に属するBm7♭5である。しかし、こうした分割は、アドリブ演奏の際、勝手に行うもので、こうしてメロディが限定されている場合は、勝手には行えない。

何しろ、Bm7に対して2分音符で弾くG♯音は、13th音となる。(これは、Bm7♭5も同じ)。13thとなると、ここでのスケールは、ドリアン.スケールと言う事になるが、こうした堂々として13th音をマイナー7thというコードの中で使っては、本来のサブ.ドミナントというコードの機能を破壊する事になる。ドミナントという機能に変ってしまうわけだ。という事は、次にE7が来ても機能的には何の変化もない。II-Vの本来の流れは、「やさしいお母さん」から「不安定なおじさん」への流れを体験する時間である。

こうした破壊を「あなたは、もうあのやさしいお母さんなんかじゃない!おまえは、よそから来た不安定なおじさんだな!」と表現している。

2分音符のメロディがいけないからと、さっきメロディを訂正したじゃないか。もうこの13thとなるG♯音の音は、8分音符になったではないか、、と言われそうだが、曲のコード付けは、本来、どのテンポでも受け入れられるようなものにしておかないといけない。

多少、速めに演奏すれば、どんなコードでも許されるからだ。ところがそれをバラードで、、となるとこうした唄いづらい箇所が出て来るわけである。バックに流れるハーモニーの機能をたびたびメロディが破壊して行くように耳に聴こえて来るだろう。(もちろん、訓練した耳に、、だ。訓練されてない耳なら何をしてもかまわないだろう。キーもお互いが好きなキーで弾けばよいだろう。)


それとまあ、ここの箇所で勝手にBm7を弾かれたのでは、ルール違反にも近い。この曲全体の調性から大幅に逸脱するコードとなるからである。てっきりE7だと思ってアドリブしようとしたらBm7となっているわけである。勝手に変えるならアドリブ中にBm7♭5である。コードにして見れば、たったの1音の違いであろうが、これが7音階のスケールとなると3音も変って来るわけである。まったく違うスケールと言ってよい。

この曲が生まれた時代性から見て、ここでBm7を持って来て転調させたとは思えない。もしもこれが”モダン”で、近代では、みんなこうしている、としたら、前述したメロディとの衝突、機能変貌の問題はどうなるのか、となる。せっかくII-Vのハーモニーにしたはずなのに、そのハーモニーを自ら壊してしまっているわけだ。

という事で、ここでのコードは、4小節目のコードと同じE7のままで良いと思う。Bm7を使うかどうかは、演奏中のアドリブ奏者に従えば良い。アドリブ奏者が、調性を変えたかったら勝手に採用するだろう。譜面的には、E7としておく方がオリジナルのままで良い。メロディもそのつもりで堂々とE7のコードトーンの3度のG♯音が使われている箇所である。

まだ、3小節目だと言うのになんて解説の長さだ!

う〜む、テキト〜にしよう。






第4小節目:ここは、例の調子で、前の小節とタイで結んだ「ミ」の音のままで良い。





第5小節目:

なんでそうなるの!と言うメロディ箇所が続く。

2分音符で、ラ〜ソ〜となっているが、ここは、4分音符で「ラ」、8分音符2個で「ソミ」、そしてその「ミ」の音を伸ばす「タイ」で結んだ2分音符の「ミ」。歌詞的にも Can't you seeと3語ある。




第6小節目:



なんでそうなるの!

ここのメロディは、すべて修正液で消し、あらたに五線譜を書き入れ、まず、1拍目を4分休符にする。次の2拍目に前小節目の「E」音を半音下げた位置にある4分音符のD♯音を入れる。ここまでが、1,2拍。ラストの2拍は、2拍3連で音が3個。2拍3連の最初の音は、2拍目のD♯を半音上げた形の「E音」、次が、その4度上の「B♭音」、最後が、その半音下の「A音」。

3拍4拍目は、2拍3連で、ミ、シ(♭)、ラ、、となる。この譜面のメロディは、どこから来たのかさっぱりわからない。

1拍目の4分休符が終って2拍目の4分音符のD♯音が、I'm という語、2拍3連での箇所が、no good with-、、となっていて、4音ないと歌詞が唄えない。

譜面にあるのは、びっくりメロである。(トンデモ.メロ→「トンデメロ」:私の造語)



第7小節目:



All of meの特徴は、ここである。マイナー7thコードに対して、11thのメロディで突入し、コードトーンの3度音に解決するパターンである。理論的によくある手法である。ところがこの譜面は、最初から3度音のF音のみになっている。コードはDm7であっている。ここの11th 音がどこへ行ったか、というと、前の小節(5小節)にG音としてあるわけである。

本来、このG音は、この小節内で行うもの。ここでの正しい譜面は、1,2拍が、2分音符で11thにあたる「G音」、3,4拍も2分音符で、ここにコードトーンの3度にあたる「F音」が来る。

この並びが来ないとAll of meの理論解説にならない。歌詞的にも前のwith-を受け、out youの2音節になる。(withoutもwith-outと、2音節に分解している)




第8小節目:

ここは、前小節の「F音」をそのままタイで結んで全音符でキープ。コードは、Dmとあるが、Dm7のままで良い。


なんだ!まだ8小節しか経ってないのか!間違いが多すぎる!




第9小節目:1カッコに入った箇所


ま〜た、Bm7だ!ここもE7のままで良い。

それよりもメロディがおかしい。「E音」のまま2分音符が二つある!ここは、昔からE7のルートから7thの音まで落ちるブルージーなメロディの箇所である。4分音符で「E音」、8分音符で「E♭音」、続いて8分音符で「D音」。この「D音」を3,4拍の2分音符の「D音」とタイで結んでキープ。歌詞も、Take my lips の3語。




第10小節:


最初の1,2拍は、2分音符で前小節の「D音」をキープするためにタイで結ぶ。それから3,4拍目に譜面にも一応ある3音、E,G♯、Bの3音を2拍3連に乗せると良い。音符的には、この譜面でも間違いではなく音符が3個ある。歌詞も、I want to、、と3音ある。これを2拍3連で唄うわけである。




第11小節目:


ここも7小節、8小節目と同じ。ここは、11th メロで突入し、3度につなげる箇所。したがい、2分音符でまず「D音」、次も2分音符で「C音」となる。

この譜面でもこの2つの小節にこの2音があるが、C音が次の小節になっている。






第12小節目:


一応、C音が符点2分音符であるが、意味不明に4拍目に再びC音でのいわゆる「ひっかけ音」がある。この4拍目のC音にあたる歌詞は存在しない。だから、この12小節目は、前小節の「C音」をタイで結んだ全音符の「C音」で良い。歌詞もないのに音符があるのが不思議である。この曲は、歌詞込みではないか。器楽曲ではないはずである。コードは、前小節に続いて同じAm7のまま。





第13小節目:




ここは、D7が続く箇所で、13thから入るメロディで、歌詞が「take my arms」と3語ある。譜面は、2分音符でB音とA音である。

ここは、4分音符で「B音」、8分音符で「B♭音」、続いてまた8分音符で「A音」の3語。あるいは、最初の4分音符を符点にして、続く音を8分音符にして、最後に2分音符の3音にしてもかまわない。3語あればよい。それと「my」にあたる部分と「arms」は、8分音符関係で一挙につなげるのが自然。この辺は、共通させないといけない。譜面にある2分音符のみは、ここでも、ちょっと歌詞との関係がわからない。




第14小節目:




譜面では、D音とB音。ここも歌詞は、l'll ne-ver と3音節に分けてある。

前半2拍は、前の小節のA音をタイで結んだA音の2分音符。後半3,4拍は、ここも2拍3連で、A音、D音、B音とする方がいい。

ここで、ALL OF MEのこうした後半3,4拍での2拍3連符のパターンに統一性がある事に気付かないといけない。こうした一定のリズムパターンに乗せてのメロディが「ごきげんさ」を作っているわけである。




第15小節目:




このメロディA音はあたっている。こうなるとあたっている箇所がめずらしいので、ここだけ表彰しても良い気がして来る。




第16小節目:





ここは、初めて見る。G7のルート音、G音に到達している。

ここは、3度の音、B音である。ここが、B音だから、次にまた冒頭の第1小節目に戻った時に、半音だけ上昇した「C音」に進行するわけである。訂正すると、ちゃんと理屈通りだな、と思うのではないだろうか。

ここから1カッコが終りリピートしてまた冒頭の第1小節目に戻る。

そのまま、第8小節まで同じなので、次は、2カッコの25小節目からになる。




第25小節目〜28小節目:


ここは、一応、音符の個数もあっているのでこれで良い。演奏する場合は、メロディをもっと活性化しないと小学校唱歌みたいになる。クラシック.ミュージックしか知らない人にこの譜面を渡したらちっともスイングさせない唄い方をすると思う。テキト〜に、、と言ってもわからないので注意する。





第28小節目:



ここにA7があるが、第5,6小節目もA7である。しかし、第6小節でのメロディには、♭9th音のB♭音があるから、第5,6小節目は、♭9thを持ったスケールである事がわかる。伴奏にも反映されるだろう。

しかし、この第28小節目では、メロディに9thとしてのB音がある!同じテンションを持つ伴奏では、メロディとぶつかってしまう。こうした厳密な対応が、プロとアマの差になるわけである。


(もちろん、フリージャズ系なら、ここでなんらかのアクションを働き掛けた方が良いだろう。弦を歯で引きちぎってもインパクトがある。もともとチューニングをしないで花瓶かなんかでノイズを出したバッキングもある。これが、ルパン三世なら、ここでは、会場全体の電源を落として、真っ暗闇にする瞬間である。)




第29小節目:


この譜面を見て、一番、びっくりした箇所である。メロディが、A音になっている。ここは、A♭音である。この部分のコードは、Dm7とある。ここは、サブドミナント.マイナーの機能を持つコードが正しい。本来、ここは、Fmのコードである。よくあるではないか、F、Fm、G7、Cと言った一連の流れのコード進行が。その部分である。だから、ここでのコードは、Fmのジャズ用の代理コードである、Dm7♭5である。

メロディは、もちろん、このコードの5度にあたる、A♭音である。ここが、サブ.ドミナント.マイナーサウンドだからALL OF ME は、ちょっと悲しくなるのである。無視してはいけない箇所である。歌手ならここで胸に片手をあてて、ちょっと涙をキラリと光らせる見せ場でもある。ワビ、サビ、の世界である。日本人がこれを無視してはいけないだろう。




第30小節目:


さっきまでフーテンの寅さんのように「恋のつらさに胸をきゅんとさせていた、、」というのに、ここでは、G7に対しての13thメロディとなるE音による、「それでもぼくは、元気良く明日も生きて行くけんねぇ〜」と言う宣言である。

つい手前の小節での恋する苦しい態度から一変して、恋する喜びをこの13th メロで表している。




第31,32小節目:




主音の「C」音で終り。ここまで間違えていたら大変である。ここは、伴奏者が好きなようにできるターン.バックの部分である。




以上、ALL OF ME編






後記:




やれやれ、今回も何度、途中でやめようと思ったか。。

なんで、こんな曲集がジャムセッション用として重宝されるか、と考えて見ると、使用しているのは、みんなアマチャーであるから曲を覚える気がないんだな、とわかる。覚える気がないなら、その譜面が、間違っていようが正しかろうがどうでも良いわけである。その場だけ参考にすればよい。プロは、せっかく覚えるのだからちゃんとしたメロディとコードで覚えようと常にアンテナを働かせているわけである。

*コード進行に関しては、市販の曲集よりもセッション経験豊富なちゃんとしたプロの者に聞いて訂正すると良い。この人とやった時は、このコードでやった、、といった感じで、いろんなパターンを良く経験しているからである。アマチャー間に良くいる、譜面にあるから、とその正しさを主張しても、プロの間では、実際には、それが採用されていない場合も多いからである。

多くの新旧の曲集を参考にしたり、その共通部分を抜き出したり、あるいは、歌手の唄う歌を参考にしたりするわけである。

尚、コード進行にこだわりがまったくなく、間違って覚えているプロもいるので注意する。

9月のライブ予定


時:9月30日(日曜日)、午後8時頃開演(開場:午後7時頃予定)

チャージ:¥1,000(ワン.ドリンク付、、らしい。出血大サービス!?)

場所:MUSICA(ムジカ)

http://w1.nirai.ne.jp/musica/

那覇市西町

TEL:098-869-2636


*近くに、300円払えば、朝まで勝手に延長してよい平地の駐車場有り(午後9時閉店のため。)


出演:仲本政國ジェネレーション.ギャップ3世代トリオ(50代、20代、40代)


仲本政國(p)

国場幸孝(ds)

友寄隆哉(el-b)














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10月3日(水):ピアノ.トリオ.ライブ後記、10月ライブ告知(改訂版)、人気曲集譜面訂正シリーズ第3回「ALL OF YOU」

忙しいが、10月のライブ告知もあるのでとりあえず簡単に更新しておこう。

9月30日(日)、ムジカ.ライブを無事終了。




メール:『演奏に圧倒されました。緊張感も伝わってきました。最近の沖縄ジャズ界は内地出身の方が多くなって純うちな―ミュージシャンがあまり活躍してないなと思ってましたが、このトリオはそこらのミュージシャンが束になってもかなわないんじゃないかと思いました。ぜひレコーディングしてください。リカードボサノバをリクエストしたのですが演奏しなかったのが残念です!』(30代、地元男性)





後記:


9月30日のトリオのライブは、これが、第3弾となるが、メンバーには、かなりの荒行である。本来、仲本政國トリオなはずであるが、バンマスであるはずの仲本氏は、自分は、バンマスではない、ドラマーの国場幸孝君がバンマスだ、とわけがわからない言い掛かりを付け、MCは、今回、ドラマーの国場君が担当した。

観客には、わからないだろうが、実際には、ステージからお客さんの顔は、ライトがまぶしく、まったく見えない。だから、みんなどんな表情をしているのかはさっぱりわからない。

そんな中、このトリオでは、お客さんからのリクエストOKと言う事で、ジャズ.バンドだ!と言うのに「ダイアナ」だとか、「ジルバやってくれ!」だとか、ジャンル無制限である。一体、今まで何を聴いていたのか、と思う客がいるわけである。リクエストは、演歌からジャズまである。

今回は、最初から「ラ.クンパルシータ!」という声が、見知らぬ女性から掛った。ジャズ.トリオだっつうのに!と思いつつもピアニストがいきなりラ.クンパルシータを弾き出した。

ライブに当たっての事前のリハーサルもまったくなく、本番でも、一体、ピアニストが、どんなキーで、何の曲を弾き出すかもわからない。「キーくらい言ったらどうだ!」と休憩中に文句を言ったりはする。「ちゃんと言っただろ!」と言うが、十代にハードロックで鍛えた耳には、人間の囁き声は、まったく聴こえない。耳もとで、しっかりとした腹式呼吸で言ってくれないと聞き取れない!

(しかし、実際は、キーも言わずに全曲弾き出している。キーを言う事が稀である。腹の立つ「習性」ではある。。。)

しょうがないから、イントロが出ると、一体、何の曲だろう、と言うよりも前に、「何のキーで弾こうとしてんだろう、、」という推理、チェックから始まる。

ピアニストに言わせると「キーくらい予測が利くだろう!」と言う事だが、「何言ってんだ!オレは、相対的音感しか鍛えてないジャズ屋だぞ!」と言い返す。

実際、今回も「黒いオルフェ」の演奏が始まり、弾き出そうとしたら、思ったキーと違った。Fmのキーだった。普通、AmかGmのキーが常識である。ギタリストのバーデン.パウエルがEmでやっていたりするくらいである。

あとで「なんで、Fmなんだ!誰がそんなキーでやってんだ!」と文句を言ったら「今日は、Fmの気分だった。。」と言った。

曲が始まってからは、あれこれと音を出してキーをチェックするわけにもいかない。

こんなライブにベースでつきあえるのは、自分しかいないだろう、と思う。これが、ちゃんと「自分は、ベ−シストです!」とアイデンティティーを築いているベ−シストだったら、おそらく2曲目には、ステージを降りているのではないだろうか。

私ならこんな「かわいがり」も受けてくれる、と思っているのだろう。まあ、実際、私は、こうした事では降りないからピアニストのやりたい放題ではある。

そんな流れでも、毎曲、ベ−シストにもアドリブ.パートがやって来る。ちくしょう、ちゃんとした譜面さえあればなあ、と思いつつ、ピアニストの弾くコードに合わせてアドリブするわけである。

もちろんこうした苦労は、ドラマーの国場君は関知しない事である。ドラマーに取って、キーはなんだって良い。しかし、今回は、MCでの荒行で苦労したはずである。

こうした事情も知らないでお客さんは、このトリオを毎回、聴いているわけである。

ピアニストは、リクエストなんでもOKの看板を掲げるわけであるが、これは私の荒行課題ではない。

ピアノのバンマスは、演歌カラオケ教室も主宰しているから当然、この分野にも強い。私は、そんな私生活まで演歌に冒されてはいないただの町人である。

何にせよ、人間、ある時間、必死になる、という事は、たぶん老化防止になると思うので、「これで良いのだ!」とは毎回、思う。無名人が揃うからこそできる荒行ではある。無名人は、評判を気にするほどの「守るべきもの」がない。どうせ、何をやっても評判も立たず、相変わらず無名のままである。そうやってあっと言う間に20年ばかり経ったわけである。だから、やりたい放題の荒行である。

10月14日は、ベ−シストとしてのアイデンティティを築いて生きて来た者がライブに加わるので、そんな事はないだろう。ちゃんと譜面が用意されているとは思うから気楽ではある。しかし、何かの拍子で、わけのわからない事が起こり、これに対してベ−シストが、怒ってステージを降りた時の事を考えて、秘かに電気ベースを持って行っておこうかな、とは思ったりする。



*10月のライブ:



*10月14日(日):


場所:桜坂劇場(那覇市桜坂:旧、桜坂映画館)

開場:午後8時

開演:午後8時半

前売¥1,500

当日¥2,000


出演:仲本政國ジャズオーケストラ

その他



問合せ:098-887-5586(コンテンポラリー文化センター:仲本政國まで)

桜坂劇場:098-860-9555



新企画:人気曲集譜面訂正シリーズ第2回(9月14日第1回、9月24日第2回)


次は、「ALL OF YOU」ですか?とトロンボーン軍団の一人からメールが来た。なるほどバレているようだ。コードの事はよくわかりませんが、その曲集のメロディには笑ってしまい購入してません、とあった。

みんなこの曲集の事を知ってるんだなあ、知らないのは私だけだったのかと改めてびっくりした。何しろ、私は、曲集マニアでもある。(日本出版のものは、あまり興味がないが、、。)


ということで今回は,



*「ALL OF YOU」


個人的に、この曲は演奏した事がない。一体、どんな環境に生まれたら、こんな曲を演奏したのか、と思ってしまうほど優雅でしっとりとしたメロディである。現代の義務教育などの音楽の時間は、安室奈美恵とか、あゆ、、とかそんなのを生徒に迎合して唄わせないと音楽の授業など誰も感心を抱かない、と言う。今だったらようやく「千の風」くらいは唄わされている事だろう。こうした音楽教育を受けた世代では、このALL OF YOUは、何の面白みもないのではないか、と思ったりする。

なぜ、やらなかったか、と言うと、この曲は、譜面によりコードがあれこれあって何を基準にしてよいかよく調べないと分からないなと思っていた事もあり、また、それほど演奏してぇ〜、、とも思わなかったと言う理由もあり、長い間の「保留」となっていたわけである。

そこで今回、真面目にチェックして見たら、やはり思った通り、チェックするのに手間取った。これをチェックするのに持ち出した曲集は、8册ほど。

今回は、これをすべて総譜に並べ書き、各小節を比較しやすいようにしてチェックした。恐ろしい事だ。何の利益もない、と言うのに!

特に、この曲にまつわるコード進行における統一感のなさ、、の原因もわかって来た。

ここまで調べたのだから、この曲に関しては、ここでの紹介コードが全国共通コードとなって行くであろう。。(「世界共通コード」という基準もある。)


という事で、今回から訂正対象の曲集を所持していない者にでも訂正箇所以外もわかるようにいちいちチェックして行く。



第0小節:


ここは、ひっかけメロディである。キーはE♭で演奏される。

移動ド唱法で「ドレミ」と入る箇所で、どんな符割りの音符でも良い。

4分音符や2拍3連で、E♭キーで「ドレミ」にあたる、E♭、F、Gとあれば良い。I LOVE THE....と3語の部分である。



第1小節:


ファ〜ミミ〜となる箇所。

符点2分音符のA♭音と4拍目に4分音符でG音。譜面にあるようにG音を二つの8分音符に分けてもかまわないが、歌詞との関係で言えば、4分音符でG音が自然である。次の言葉(LOOKS)につなげるには8分音符では早口になるからである。

さて大問題は、この部分のコード進行である。これが様々である。トニックとしてIM7にしているものからサブドミナントとしてIVM7にしているもの。またサブドミナント.マイナーコードとしてIVm7にしてあるものもある。

しかし、実際問題、ここにトニックとしてIM7をあてては、メロディが4度でSUS4となるから「ぶつかって」しまう。

これは、たとえトニックの箇所であっても演奏する際は、この4度をどうにかして下さいよ、という意味である。このやり方は色々ある。

そこで、この箇所は、ハービーハンコックのコピー譜まで引っ張り出して来てチェックして見た。

他の曲集の譜面が、ジャズにするにはあまりにもポピュラー的なコード付けであるからである。

そこで他の曲集との共通点からここは、どうやら「サブ.ドミナント.マイナー」としての機能を持つコードがオリジナルだろう、と思う。ジャズらしいコードが付いている曲集の2册に「Fm7♭5」とあった。ハービーは、これを分割して「Fm7♭5 B♭7」としているが、他の箇所にも特殊コードが多いのでここは、昔からの流れで「Fm7♭5」1個で決定。

アドリブ中、勝手にB♭7を付け足して演奏するのは自由でいいだろう。

この第1小節のコードの決定は、この曲の中で最重要な「決定事項」である。仕事の大半が終ったようなものである。

正確には、B♭7はオプション.コードとして、「Fm7♭5 (B♭7)」と書いて置いても良いだろう。オリジナル.コードは、IVmとしてのA♭mだと思う。Fm7♭5は、その代理でジャズ向きである


第2小節:

ミ〜と来て6度下のソに落ちる箇所。(ミ〜↓ソ)メロディに関しては問題ない。符点2分音符でG音、下に落ちて4分音符でB♭音コードは、トニックとしてE♭M7(E♭6)で良い。


第3小節:


ここのメロディが、この曲の最大の特徴であるラ(♭)音である。(ちなみに「ラ=La」の♭音は、「Le」と発音して唄う。)

符点2分音符でB音(ナチョラル記号を付けるだけ)で、4拍目は、7度上のA♭音を4分音符で。「Le〜↑ファ〜」と唄う箇所。


ここでのコードは、すでにメロディに暗示されている。B音を♭5th音として処理できるサブドミナント.マイナー.コードの「Fm7♭5」である。


第4小節:


ここは、そのままA♭音を符点2分音符でキープ。最後にその4度下で、F音の4分音符。移動ド唱法で「ファ〜↓ソ」の部分。

コードは、前小節「Fm7♭5」とコンビを組む「B♭7」1個


*この部分にトニックコードとしてE♭M7を付けている昔、出版された「ジャズギター百科事典」というものもあったが、よく見るとこの小節のメロディが違っていた。「ファ〜ミミ〜」となっていたわけである。

この曲を冒頭からここの箇所まで常に「ファ〜ミミ〜」とだけ何度も繰り返しているメロディとしているわけだ。だからコードも常にFm7♭5とE♭M7の繰り返しで良い事になるわけだが、メロディが違っているので没。

しかし、曲の構造的には、その方がすっきりしてサブ.ドミンナント.マイナーとトニックを交互に持って来ているので統一感があり説得力もある。

他の曲集では、すべてV7としてのB♭7であるのでこれを採用。


第5小節:


ここの部分は、第1小節に同じ。メロディは、「ファ〜ミ」。A♭、G音、コードは、Fm7♭5、(B♭7)



第6小節:


第2小節と同じ。コードはE♭M7

この部分のメロディは、符点2分音符のGと4分音符のB♭音、「ミ〜↓ソ」の2音、歌詞も「you the」の2語


*第22小節目と比較参照



第7小節:


さあ、問題となる箇所である。ここから1カッコ、2カッコのメロディの分かれ目、分岐点とする曲集ばかりである。

単刀直入に、ここのメロディは、第3小節目のB音(Le)に同じ。

第1拍から3拍目まで符点2分音符でB音。C♭音(ソの♯としては、「Si」と唄う。ラの♭としての「Le」とは異名同音。どちらでも良い。)としても同じ。そこから4分音符で7度上のB♭音に跳躍する。この部分のメロディは、「Le(Si)↑ソ」となる。

この部分のメロディが、B音(=C♭音)でない場合は、コードも大きく違って来るわけである。

ここがB音であるから、この小節のコードは、「Fm7♭5」である。♭5thのメロディにあたる。この音が、曲全体にサブドミナント.マイナー感を与えているわけである。いわば、たったの一音で、曲の中に「悲しみ」を表しているわけである。だから大変特徴的な部分でもある。「pure of」と唄う部分。


この部分のメロディをただのC音、(移動ド唱法で「ラ」)としてしまうと、この曲集にあるようにGmというコードで良いわけである。

B音では、Gmと言うコードとぶつかってしまうから、ここをGmとしているという事は、メロディもC音としている、という意味である。

ところが、これをハービーもやってしまっている。ハービーのコピー譜は、実際にマイルスのテーマに合わせた部分ではなく、アドリブ.ソロの分ではある。

じゃあ、この部分のマイルスが吹くテーマは、どうなっているか、というと、これがまたテキトーでちゃんと吹いてはいない(ライブ イン ヨーロッパ)。

サウンド的には、G-7と思われるが、多くの曲集に残されているここでのメロディは、Fm7♭5の♭5th音にあたるB音である。

ここをGmとしてメロディまでC音としているのは、この曲集のみである。ハービーハンコックのコピー譜から採用したのだろうか。。

どれか一つに決定してくれ、というなら、ここは、ハービーに逆らってFm7♭5で良いだろう。オリジナルなメロディに忠実に行きたい。



*第23小節目と比較参照




第8小節:

この曲のメロディに関しては、他の曲集を7册くらいチェックしてみたら、ほとんど同じである。ここは、符点2分音符でB♭音。4分音符でA♭音である。「ソ〜ファ」と言うメロディ部分。

コードに関しては、前小節のFm7♭5の流れからここは、B♭7一個。この曲集の譜面とハービーだけが、前小節のGm7の流れからC7となっている。

この曲を歌手が唄うとしたら、当然、B♭7の流れになると思うので、B♭7で決定。




第9小節:

符点2分音符と4分音符のコンビで「ラ〜ソ」となる箇所。C音で符点2分音符、B♭音で4分音符。

ところが、ここも曲集によってコードの機能に違いがある。トニックとしたり、サブドミナントとしたり、である。この両者は対極にある。しかし、ここをトニックとする曲集が主流であるので、ここは、Gm7と決定。ハービーも同じ。他の譜面でもベース音をG音としたE♭M7などがある。A♭M7というものもあり、次にGm7と続ける曲集もスムーズで良いが、ここは、ハービーも同じで他の曲集もトニックコードが多いという事でその代理コードとして「Gm7」1個の採用決定!

全小節でのコードの違いは、メロディにも関わっていたためここは、メロディが同じである、という事になるのだろう。



第10小節:

符点2分音符で「C音」、4分音符で「B♭音」の2個。「ラ〜ソ」と言うメロディになる。前小節と全く同じ繰り返しのメロディ。

ここのコードも色々ある。ディミニッシュ.コードとしているものが2册もある。E♭dimとしたりG♭dimとあるが、両者は同じものである。ここでは、前小節のGm7の流れから「C7」である。その裏コードにあたるのが「G♭7」である。ベース音が、GからG♭音へ下降していればよいのだろう。

という事でここは、C7、オプション.コードとして「G♭7」としておこう。これで決定。どちらを使うかは、アドリブ奏者の自由である。

*現代では、diminishコードは、ポピュラー的で、ジャズ的ではなくなっている事もあるからである。尚、この部分のハービーは、G♭m6としているから特殊ではある。(ベース音のG♭が、オリジナルに近い。)



第11小節:

符点2分音符で「C音」、4分音符で7度下の「D音」、メロディが「ラ〜↓シ(ティ)」の部分

コードは、「Fm7」を採用決定



第12小節:


符点2分音符でそのまま前小節からの「D音」を繰り返す。4拍目は、4分音符で「C音」。移動ド唱法で「ティ(シ)〜ラ」の部分。歌詞が、「You the」の2語になる。

この曲集では、最後の「C音」がなく、全音符で「D音」のみ、となっている。あと1音の「The」にあたる「C音」が必要である。4分音符で書き入れる。



第13小節:

B♭音を2分音符2個、譜面もあっている。

ここのコードもあれこれある。。基本機能は、トニックであろう。本来は、E♭M7というコード1個で良いはずだ。しかし、次の小節のコードがVI7にあたるC7になっている所から、そこへつなげる工夫があれこれなされていたりする。

ここは、他の曲集にもあり、ハービーも使っているコードを採用。

E♭M7とD7の2個。D7はかっこ付けでもかまわない。E♭M7(D7)

である。メロディのB♭音は、D7に対して♭13th音になっている。



第14小節:

ここのメロディも問題ない。どの曲集も同じだ。4分音符でB♭音、2分音符でD♭音、また4分音符でC音だ。これで4拍。メロディは、「ソ、シ(♭)〜ラ」になる。(註:「音階の第7音、「シ(ティ)」の♭は、[Te」と唄う。これで唄うと「ソ、テェ〜、ラ」になる。)

ここのコードは、本来、VI7としてのC7のみでよかったはずだ。前の小節が、E♭M7のコードのみで良いように。

しかし、ここは、ハービーも使っているコードの流れとして、D♭7、C7を採用しよう。他の曲集にもある。

したがい、前の小節(第13)からここまでのコードの流れは、「E♭M7、D7/D♭7、C7」と言う事になる。

ベース音が半音下降しているわけである。もちろん、(D♭7)、C7としても良いだろう。この場合は、「E♭M7、(D7)/ (D♭7)、C7」になる。

オリジナルコードは、「E♭M7 / C7」となるはずだから、アドリブでは、ああした半音階下降を利用したりすればよい。

そういった事情も含めて、第13〜14小節は、「E♭M7、D7/ D♭7、C7」となる。曲全体から特徴的な箇所になるだろう。




第15小節:

2分音符で「B♭音」、その7度下で「C音」を4分音符で2個。「ソ〜↓ララ」どの譜面も同じ。コードは、Fm7のみ。



第16小節:


ここは、0小節としてある「ひっかけメロ」の部分と同じ感じであるが、ここのメロディは、第1拍目に4分休符を置いて、4分音符3個で「ティ(シ)ド、レ」となる。0小節では、「ド、レ、ミ」となっていたはずだが、ここでは、ティ(シ)ド、レ、である。微妙な違いであるが、他の曲集もすべてこのメロディである。ところが、この曲集では、ドレミとなっているので訂正しておく。E♭キーでの「ティ、ド、レ」は、D、E♭、F音になる。

この小節でのコードは、当然、B♭7のコードのみ。ハービーは、E69+11として特殊なコードにしているが、メロディを気にしてのコード付けではないだろう。不採用。



第17〜21小節:



第1〜5小節までと同じ。



第22小節:


第6小節にあたる部分。

しかし、この部分のメロディは、第6小節と同じではない。4分音符でG音、その6度下から8分音符2個で、B♭、C音、残り、3拍、4拍が、4分音符2個で、D、E♭音である。移動ド唱法で「ミ↓ソラ、ティ(シ)、ド」となる。「e-ven the heart and」と、音節も5個ある。だから音符も5音必要である。

コードは、第6小節と同じ、E♭M7の1個のみ。



第23小節:(分岐点)


第7小節と比較参照


ここは、第7小節と同じ箇所となっているが、第7小節でのメロディが違ったわけである。しかし、繰り返して戻って来たような箇所となるこの小節は、ここでは、B音(C♭音)ではなく譜面にある「C音」である。「ラ〜↑ソ」である。符点2分音符でC音、その7度上の4分音符でB♭音である。

このメロディだからここは、Gm7のコード1個になる。ここが、第7小節のようにB音ならFm7♭5になり、Gm7とならない。メロディとコードがぶつかるからである。

おそらく、こうしたメロディの違いがあるから第7小節でGm7説が出たのだろう。ちゃんとメロディを変えなくてはいけない箇所である。



第24小節:


コードは「B♭7」1個。メロディは、符点2分音符の「B♭音」とそこから4分音符でナチョラル記号を付けて半音上がった「B音」。

似た様な8小節目では、ここの最後の4分音符は、「A♭音」になっている。しかし、この曲集では、第8小節目も第24小節目も同じものになっている。実際には、メロディが微妙に違うわけである。

最後の4分音符メロディのA♭音が、1回目で、B音が2回目、と記入しておけばよいだろう。



第25小節:


曲集では、ここから2カッコに入っている。

ここでのメロディは、まず、符点4分音符で「D音」、8分音符で「C音」。これで2拍分。残り2拍は、まったく同じにこれを繰り返す。移動ド唱法で「ティ(シ)〜ラ、ティ(シ)〜ラ」。歌詞も「love at-least a」と4音節ある。

コードは、A♭M7(A♭6)になる。ここは、けっこうどの曲集も一致している。


第26小節:

ここも他の曲集とこの曲集だけが違う。

正しくは、1拍目が4分音符で「D音」、2拍目が8分音符2個で「C音」「E♭音」、続く3白目も8分音符2個で「E♭音」「D音」。E♭音同士は、タイで結ぶ。残りの4拍目が4分音符で「C音」。階名唱としては、「ティ、ラド〜ティ、ラ」となる。

コードは、「Am7♭5 D7」の2個。この辺のコードは当たっている。



第27小節:(10月5日訂正)


コードは、Gm7

メロディは、全音符で「G音」

*(註:曲集の譜面は、全音符で「B♭」になっていた!気がつかなかった。。めずらしく全音符だけ当たっていたので当たっていると思ったのだろう。「ミ〜」と唄う箇所、「10月5日第27〜28小節訂正」)




第28小節:(10月5日訂正)


メロディが微妙に違う。符点2分音符でそのまま前の小節からタイで結んだ「G音」(註:譜面の「B♭音」ではない!)しかし4拍目が4分音符で 「C音」。この曲集では、この4分音符がない。歌詞も「For (I love you)」の「For」の1語が、この最後の4分音符に付いている。



第29小節:


ここは、どの曲集も同じ。2分音符2個で、A♭音、B♭音。コードが、Fm7

「ファ〜ソ〜」と唄う箇所。





第30小節:


ここもみんな同じ。2分音符2個で「C音」、7度下の「D音」

コードは、B♭7


「ラ〜↓ティ(シ)〜」と唄う。





第31,32小節:


当然、E♭音で終り、コードもE♭

「ド〜」と唄って終り。







第32小節:


冒頭につながれば何でもよい。Gm7 C7とでも付けておくと良い。




以上「ALL OF YOU」編終り。

この曲のメロディとコードの整理は、かなり大変で、そんなに簡単にやれないなあ、と思う曲である。





*10月のライブ:



*10月14日(日):


場所:桜坂劇場(那覇市桜坂:旧、桜坂映画館)

開場:午後8時

開演:午後8時半

前売¥1,500

当日¥2,000


出演:仲本政國ジャズオーケストラ



問合せ:098-887-5586(コンテンポラリー文化センター:仲本政國まで)

桜坂劇場:098-860-9555







*10月26日(金):

*村田浩ライブ 


村田浩(TP)

鈴木由貴子(P)

友寄隆哉(el-bass)


場所:那覇市ライブin (クラブ)天妃

開演:9:00p.m

チャージ:¥1,500

(当日は、クラブでのめったにやらない「お仕事」ライブなので、詳細は、勝手に調べて、こちらへのお問い合わせは、御遠慮下さい。ナイト.クラブ(死語!)のガヤガヤした雰囲気が好きな方限定。ベースは、ガンガン弾きません。)

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10月8日(月):ボーカルジャズと格差ジャズ。10月「フィルモア.イースト」ライブ告知(改訂版)


ライブ情報に改訂があったので、改めて告知だけしておこう。

今日、下見がてら、初めて桜坂劇場に行った。数年年ぶりで映画館で映画を見て来た!(7年に1回のペースか?どうしても見てみたい映画を雑誌で発見したからだが、なんと、たまたま上映していた。)

3つばかりホールがあり、コンサートをしたりするのは、2階ホールという事だった。その2階ホールで映画を見た。けっこう広い所である。

10月14日は、何か入っていますか?と受け付けに聞くと、よくわからないですが、何か貸し切りで映画の上映は、休みです、と返答された。

カラオケ教室の「秋の祭典」とした発表会が、午後6時30分まで入っているはずだ。その後にライブがあるようだ。

映画館でライブをやるなんてのは、「フィルモア.イースト」を思い出す。中学2年生の頃、「フィルモア.イーストの軌跡」という2枚組のアルバムを手に入れてよく聴いた。「フィルモア.イースト」と言う旧映画館でロックやブルースのコンサートが行われていたわけだ。マイク.ブルーム.フィールド(ギタリスト)が中心になって行われていて、マイクは、ブルースギタリストながらJAZZYなアドリブ演奏をする、と解説にあった。

今、思うと、ちょっとなあ、というレベルだったかもしれない。何しろ、あの頃のロック系の若者がわいわいやっていた頃、ジョーパス、とかタル.ファーローなんかは、すでにバリバリでジャズ弾いていた「おじさん」なわけだから、それからするとかなり素人っぽい演奏だったのではないか、と思う。



念のため、今回のライブでも、私は、リーダーではないので、言われた曲を演奏するだけである。

まあ、しかし、そろそろいいかげん、ブライアン.セッアー.オーケストラのように、全員、私のバック.オーケストラとして忠誠を誓った方がいいのではないか!、と思う。。。この辺のセンスとオーラがないから、何百年もパッとしない活動になるのだろう。。。。

少なくとも英語も喋れないジャズボーカル女王様連合をすぐに祀り上げその家来になる事に生きがいを見い出しているよりは、ずっとましではないか、と思う。そういうスピリッツがないと、いつまで経ってもジャズにボーカルしか求めない客ばかりを増長させる事になる。ボーカルと言うのは、テーマを唄っているだけで、そこに即興性があるわけではない。

という事は、ボーカルを「最上」と認める事は、即興を命として来たジャズの否定にもつながるわけであり、また、ボーカルには、演歌もジャズもシャンソンもない。したがい、わざわざ、”ジャズ.ボーカル”と呼ぶほどの事はないはずである。たまたまレパートリーにジャズの曲が多いというシンガーで良い。だから上手い歌手は、何を唄っても上手い。ジャズしか唄えないというのは、おかしい。ましてや、英語も喋れないというのに、、である。ますます、奇妙な世界である。

(もちろん、自らの「分」をわきまえた職人的ボーカルもいて、それはそれで見事であり、リスペクト!に値いする者もいる。しかし、大半は、その「分」を超えて、勘違いして「君臨」している気になっているわけである。)

ジャズシンガー目当てに集まる客を増長させるたびに、即興性を求める本物のジャズファンが減って行くわけである。

興業を成功させるために、という名目で、楽器弾きは、自ら、自分の手で自分の首を絞めて来たわけである。

まあ、世界平和を説きながら、武器製造の会社に勤務するようなものである。ともに共通する部分を見つけるとすれば、「食うためには、しかたない」となるのだろうか。

ボーカルを判別する脳は、左脳で、アドリブを判別する脳は、右脳である。しかし、歌詞の意味もわからず歌を聴いている、という事は、歌も右脳で捉えている、という事になる。つまり、いつも同じメロディばかりを繰り返し繰り返し、右脳で聴いている、と言う事になるから、おそらくボケるのも早いのではないか、という予測がつくわけである。

たとえ、右脳とは言え、甘やかしてはいけないはずだ(左脳は、あんなに酷使しているはずなのに!)脳は、その対象を理解しよう、と努めるから発達する、と言っているではないか。わかりやすいものばかりを食べていたら、歯もフニャフニャになるはずだ。

、、という事で、そんなジャズは、老化現象の一つである。若者の魂を揺さぶる事は、永遠にないから、観客と共に老いるだけである。

ここにも格差ジャズ社会が生まれているわけである。




後記:



いつも、ライブの宣伝が地味で足りない、と言う事で、今日は、告知だけにしておこう。




*10月のライブ(改訂版):



*10月14日(日):


場所:桜坂劇場(那覇市桜坂:旧、桜坂映画館)

開場:午後8時

開演:午後8時半

前売¥1,500

当日¥2,000



出演:仲本政國ジャズオーケストラ/コンボ

仲本政國(p)

真境名陽一(b)

国場幸孝(ds)

友寄隆哉(g)


その他未定





チケット問合せ:098-887-5586(コンテンポラリー文化センター:仲本政國まで)

桜坂劇場:098-860-9555



*10月26日(金):



*村田浩、来沖ライブ 


メイン.ゲスト:村田浩(TP)


サポートメンバー:


鈴木由貴子(P)

友寄隆哉(el-bass)


場所:那覇市ライブin (クラブ)天妃

開演:9:00p.m

チャージ:¥1,500

(当日は、めったにやらない「お仕事」ライブなので、詳細は、勝手に調べて、こちらへのお問い合わせは、御遠慮下さい。ナイト.クラブ(死語!)のガヤガヤした雰囲気が好きな方限定。ベースは、ガンガン弾きません。)











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10月12日(金):気まぐれに「リズムの話し」、またまたのドタン場での10/14ライブ改訂告知


どたんばになってドタ.キャンもあり、という事で、急きょメンバー変更。1曲目で降りる者もいるだろう、と言っていたら何も弾かない内から”危険”を察知してか降りてしまった。

ライブでは、当日のドタ.キャンと言うのもよくある話しなので、まあ、しょうがないだろう。

そういえば、考えてみると、荒行好きな人間は、3人以外にはいなかった。だから毎回、即興性の高いライブができるのだろうとは思う。

今回のチェンジで、困る事は、自分がベースを弾く事で、4ビートジャズをピアノやドラマーは、経験できるのだが、私自身は、4ビートジャズが経験できない、という相変わらずの問題である。今回のピンチヒッターのベースは、4ビート系のベースではないので、前回のような行き当たりばったりライブは不可能である。

通常、地元のバンド界では、何日も前から譜面をもらい、当日もしっかりとリハーサルをするのが、習わしだ。

しかし、そんな習わしは、地方プロとアマチャーの世界だけではないか、と思う。即興を中心とした1流プロのジャズ.ライブでは、そんなにリハーサルなんか綿密にやらない。何度も練習すると曲の鮮度が失われるからだろう。私自身も、そんなライブに照準を当てて20代からトレーニングして来たので、リハーサルや、バンド練習が嫌い派である。今まで経験して来たミュージシャンは、実際、みんなそんなにリハーサル時間を取らない。パ〜っと、曲を流す程度である。練習は、家で一人でやるもんで、みんなと一緒にやるものではない派である。

別にバンドを結成してアレンジものの曲ばかりを演奏しているわけではないから、ライブに合わせて必死になってリハーサルする意味がわからない。セッション形式のライブである。なぜなら、ジャズは、基本的に「アドリブ」を競う音楽である。アドリブの練習は、普段から一人であれこれとやって行くものである。みんなで一緒になってやってもしょうがない。

昔は、色んな機材もなく、実際に人間と合わせるしか方法はなかったわけだ。だから、よく練習会をしようと計画したりしたが、たいがいベ−シストにすっぽかされたりした。ジャズの練習なんて、実際にベースがいるか、いないか、、でしかない。

何度もそういう目に遭っている中で、マイナス.ワンのレコードなんかが出て来て、一人でも練習できるようになった。それから自分で実際にベースラインを打ち込んでバック演奏が作れるようになってからは、もう、本番以外には、メンバーはいらなくなった。メンバーというのは、すべてベ−シストの事である。

実践は、やはり違うものであるが、何年かしたら、やっぱり、一人稽古でやれないものは、ライブでもできない、とわかり、ますます必要性を感じなくなった。しかし、リズムや「のり」というのは、一人では練習できないものである。

これは、相手があってこそできるもので、これもすべて一人で練習できる、となるとロボット病という病にかかる。結局、誰もいない所でメトロノームを相手にやる事になる。ところが人間は、メトロノームには成れない。成れたとしたら、その人は、もう誰とも共演する意味がなくなる。誰とやっても同じリズムでしか演奏できないからだ。つまり、まったく回りの演奏を聴かないで、自分がメトロノームと共に孤独に修得したリズムを回りに関係なく提示する事になる。

こうなるともう終りで、この人には、マジックも起きないし、ミューズの神も降臨しない。白人と演奏しても黒人と演奏してもフィリピン人とやってもミャンマー人とやっても幼稚園児と演奏しても、大人でも子供でも、その人のリズムは、一切変らない。いつもお部屋で一人、メトロノーム相手に練習しているリズムである。

他人の話しなんか耳を傾けていない。ただ、自分の喋りたい事を喋るだけである。

猫のそばで卵からかえったヒヨコが、猫を親だと思って付いて行くように、メトロノームでリズムを覚えた者は、それがすべてのリズムの「正解」であり、また「神様」でもある。もう少し、考える力が備わっていれば、人間が機械になれるわけがない、と気付くはずなのに、、。

時計で1分という時間を当てるゲームをミュージシャンはよくやって遊ぶ。しかし、これを当てる時は、回りの音を無視し、外界を遮断し、いわば瞑想しているかのような状態になり、ひたすら1秒というリズム単位を60回、指で叩くやり方になる。かなりの集中力が必要になる。しかし、これは、実に非人間的な行為でもある。

その人は、その時間、そこにいるようでいないのである。ひたすら部屋で一人籠っているかのようしなくては気が散って、ちっとも当たらなくなるわけである。これでは、今を生きる価値がない。今を生きる、、という事は、様々な外の世界との関わりに反応して自分という人間のポジションを見つけ、そこから自分という人間を作って行くわけである。

3人いれば、3人分の心臓の鼓動が鳴っていて、その3人が一つになり新たに、3人が共有できる心臓を作り上げる事が、コミュニケーションである。このことに気がつかないわけだ。自分の心臓の鼓動だけが、正しいと思っているわけだ。

スタジオ.ミュージシャンが、メトロノーム、いわゆる時計リズムにこだわるのは、その方が、ビジネス上の「技術」だからである。3分の曲をちゃんと3分で終れるように演奏しなくてはいけないからだ。30秒ならきっちり、このテンポでやれば、30秒で納まる、、とテンポが割り出されるわけである。だから、これをキープできないと30秒に納まらなくなってしまうわけだから仕事にならないのである。極めて商業主義的な概念から発生した能力要求である。「要、運転免許」のようなものである。「要、メトロノーム感覚」である。

ところが、それが正しいリズムだ、あるいは、テンポだ、と思っている者が多いわけである。おかげで、罰が当たったのか、そうした業界も非人間的であったため、今では、機械が主流である。ドラムなんか、わざわざ人間に叩かせる事もない。

どんな非人間的なドラマーであっても機械には勝てない。彼等は、「非」で打ち消す事も必要のないくらい、そもそもが「人間」ではないからである。どんな体調の時でも、文句も言わずに的確、正確に仕事をしてくれるわけである。彼等と競ってなんかいたら人間である事にコンプレックスを抱くしかないわけである。

ところが、本当に彼等(機械)にコンプレックスを抱いている人間たちがいるわけである。こうなると、もはや病理である。機械のマニュアル本ばかりでなく、もっと読書する習慣を幼い頃からつけていれば、と残念に思う。思考、哲学が、あまりにも浅薄である。

もちろん何度も言っているように人間は、自由であり、何を考えようが自由である。しかし、その間違った考えを持った人間がなんらかの「権力」「権限」を持って、人の上に立つ、という事がすべての間違いの始まりである。他の者にもそうした間違った思考を強要する事になるから話しがおかしくなるわけである。

みんなのリズムがおかしいから自分に合わせるように!と言う事自体がおかしいのである。おかしいのは、相手の人間にまったく合わせる気がないその人だけである。

(もちろん、機械であろうが、人間であろうが、誰とやっても合わない、という人がいて、そう言う人を「リズム音痴」と呼ぶわけである。)

本当に優秀な者は、誰とやってもすばらしいリズムを創りだせる。それだけ回りの一人一人の音をよく聴いているからである。

したがい、リズムと言うのは、相手との「からみ方」とも言える。いつでもどこでも決った漫才をやるコンビと、観客やその場の雰囲気も含めて(からめて)パフォーマンスできる者との違いである。

そうした人間に取っては、からむ相手が、機械なら機械とからめるわけだし、人間であれば、その人間ともからめるわけである。機械とだけしかからめない、、という者は、アニメの中の女の子しか好きに成れない、、というような者と同種の人間であり、こうした点で「リズム」を勘違いしている者は多い。

だからリズムには「絶対的リズム感」と言うものはなく、あるのは「相対的リズム感」である。

この辺を勘違いして、機械リズムの再現ばかりに時間を費やし、結局、人間に合わせる事ができなくなった者も多い。自分は、正しいのに回りが悪い!となるわけである。こうなると、その人にとって「即興」は、もっとも遠いものになる。

なぜなら「即興」は、混沌の中からある秩序を見つけだそう、とする行為だからである。好きとか嫌いの嗜好の次元ではない。創造性が豊かか、そうでないか、のどちらかである。

何が起こるかわからない即興の世界が嫌いな者は、その人の思考法が、「絶対幻想」にこり固まってしまっているわけである。正しいリズムで弾け!、、である。これは、たんなる老化現象である。その時々の正しいリズム(ポジション)を見つけていないのは、本人だけなのである。

また、リズム感に関しては、世の中で勘違されている事はたくさんある。ドラマーや、ベ−シストだから「リズム感が良い」とされたり、ピアノだから「ハーモニー感が豊か」、と言ったデマである。

1流ミュージシャンの世界では、そんな事があるわけがない。「音楽」と言うのは、すべての要素がなくてはできないものである。だから、その音楽をやるには、すべての要素が備わっていなくては到底できるものではない。

この点を勘違いしている者も多く、自分は、ドラマーだからリズムにはうるさいよ、、などと言うわけであるが、演奏する事自体、すでにリズム感がなくてはできないものである。(アレンジャーのジョージ.ラッセルは、ドラマーであったはずだし、ハーモニーが豊でないはず?の管楽器奏者のアレンジャーも多い。)

次から次へと、知ったかぶりして、でたらめな事を言う人がいるなあ、とためいきが出る事ばかりであるが、そうやって教えるプロや先生もいるという話しで、これなんかは、その生徒になった者が不幸である、という事だけは、はっきりしている。

ミュージシャンというのは、たまたま、その楽器を多く練習しているだけでしかない。それはたんに相性と技術の問題であり、音楽性は、何をやっても同じである。

したがって私が、ベースを弾いて与えるインパクトもギターで与えるインパクトも同じである、と言える。多少、ベースの方の技量は、ギターよりは落ちる程度ではあるが、それでもベーシストの中では、技量のある方だとは思う。ピアノの方は、練習を10年くらい一切した事ないから、これは、かなり、技量が落ちるので、世界中のピアニストの中で、一番、下手の方かなあ、とは思う。



*10月のライブ(改訂版):



*10月14日(日):


場所:桜坂劇場(那覇市桜坂:旧、桜坂映画館)

開場:午後8時

開演:午後8時半

前売¥1,500

当日¥2,000



出演:仲本政國ジャズオーケストラ

仲本政國(p)

比嘉辰雄(el-b)予定

国場幸孝(ds)

友寄隆哉(g)


その他未定





チケット問合せ:098-887-5586(コンテンポラリー文化センター:仲本政國まで)

桜坂劇場:098-860-9555



*10月26日(金):



*村田浩、来沖ライブ 


メイン.ゲスト.リーダー:村田浩(TP)


サポートメンバー:


鈴木由貴子(P)

友寄隆哉(el-bass)


場所:那覇市ライブin (クラブ)天妃

開演:9:00p.m

チャージ:¥1,500

(当日は、めったにやらない「お仕事」ライブなので、詳細は、勝手に調べて、こちらへのお問い合わせは、御遠慮下さい。ナイト.クラブ(死語!)のガヤガヤした雰囲気が好きな方限定。ベースは、ガンガン弾きません。メインの方とも面識がありません!当日は、その時間に現地集合、現地解散となるでしょう。)





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10月17日(水):当世、ライブ事情、後記:近代、ジャズ.ベース事情


さて、10月14日の映画館ライブも無事終了した。しかし、そう言えば、ここ何年か、自分の主宰するライブを聴いた人は、もう、ほとんどいないんだよなあ、と気が付いた。自分のライブをやめてからもう数年経ったのか。毎回、自分のライブとは、まったく正反対のやり方ではある。

まず、自分の場合は、その場、その場で行き当たりばったりの選曲がない。前日までにメニューをしっかり決めて、1曲1曲のイメージをしっかり作りあげる。当日、客層を見て変更する際のオプションとなる曲も既に厳選され用意されている。前のライブでやった曲を続けてやる事はない。前回も来た客のためだ。やるとしたら1回は空けて再度弾くはずだ。

今回もこちらが主宰者ではないので、無責任にやっていられるのだろう、と思う。こうした感覚のライブは、自分の感性が入り込む余地がないから無責任にやるしかないわけである。すべてバンマス、リーダーの哲学の実践となるからその結果は、当然、それなりの因果応報となる。

荒行のために、常に相手の土俵でやる事にしている。異議があって、じゃあ、こちらの流儀で相手がやれるか、となるとやれないのはわかっているから相手に合わせるわけである。

『ピアノのは、かなり繊細な伴奏を付けて欲しい、相手の「音」を聴かないで自己主張合戦をするフリージャズ系よりも相手の音によって自分のスタイルを変化させるインプロビゼイション系を重視して欲しい、ドラムは、すぐに4ビートを切らないで欲しい、、などなど。要は、最初から「形式」を作らないで欲しい、という事になる。(様式美でやるスタイルは、また別である。)』


今回の客層「も」また、妙ではあった。前列には、小学生の子供連れPTA連合、という感じ。さすが映画館だなあ、と思うのは、舞台と最前列の客席が近い(1,2メートルくらいかなあ)。演奏が始まって、しばらくすると9時くらいだからなのか、何人かの子供は、居眠りしている。アニメ映画と勘違いして連れて来られたのではないか、と思う。

今回のライブ「も」なんの宣伝もなく、、、(まあ、新聞紙上で宣伝しても大して関係ない。”地元人のジャズは見に行かない!”と決めたジャズ.ファンも多く、彼等は来る事はない。しかし、私自身が、地元系のプロのライブやコンサートから呼ばれる事もないから、この団体は、また別の系列になる。分類すれば、実力系アマチャーの団体になる。リズムセクション以外のメンバーは、全員アマチャーになる。)

、、、、その上、チケットもどこで手に入れたらいいのかわからないにも関わらず、一体、どこで宣伝して、どこでチケットを売って来たのか、謎な所があるために、客層の半分は、ちょっと妙ではある。

今回は、もしも、自分でライブした場合は、生涯縁がないだろうと思われるPTA軍団の客層である。さすがにお弁当の持込みはなかった。

それ以外の客は、私目当て関係の客のようであるが、ステージから暗くて客はよく見えないし、前列の小学生軍団を見ながら演奏するのは、何のイメージも湧かないのであまり客席の方は見ない事にした。アドリブ中、ちらっと居眠りしている小学生軍団を見たら、思わず、童謡の”チューリップ”のメロディを弾いてしまった。その場の状況にそこまで敏感に反応してしまうから、私は、客層しか気にしない。いつでもどこでも自分の演奏をする、という境地は、なるべく客を見ないようにすることでしか保てない。

まあ、こちらに責任はないとは言え、今回は、コンボの予定で告知して、いつも千円程度のチャージで行っている、というのに、今回の当日券は、¥2,000である。前売り¥1,500と言っているが、どこで前売り券を売っているかもよくわからないから、私関係も、¥2,000である。2,000円と言えば、昔、これ以下のチャージではライブをしない!としてライブをしていた時期がある。

その頃、地元の相場では、千円程度のチャージが常識だった。90年代である。しかし、2000円のチャージというのに、演奏中、すぐに帰ったりするマナーの悪い客が毎回いた。身銭¥2,000を払った客が、ああも簡単に退出できるものか、と不思議に思いながら毎回弾いていた。(こういうのに敏感ではない者は、アーティストではないだろう。)

もちろん、こうした客は、ミュージシャンに内緒で店側が無料で招待した客で、そのドリンク代だけをあてにしているわけである。2000円も払った客が、30分くらいで帰るわけがない。

『そういう事も含めて、チャージをどんどん下げる事は、自分の価値を下げるものではある。60円のハンバーガー商法もあるだろうが、、。安くすると、自分自身が、それくらいの価値の演奏しかしなくなる。もちろんこれは、プロとしての意地である。(何の試練、荒行も受けずに生きて来たアマチャーが真似するべき事ではないが、アマチャーには、「人気」という「運」を得るチャンスがある。)

プロとしては、まず、千円で10人来るよりも二千円で5人来た方が、勝負どころになる。どうせ来ない者は、100円でも来ない。ミュージシャンとしての「気」「芸」は、こういう所から生まれて来る。まあ、しかし、地元客相手の「高級店」は、ここでは持たない。その辺も微妙なビジネス.ゲームだろう。もともと「人気」とは無縁な芸道の世界の話しではある。人は「旨い」から、来るわけでもない。』


そんなわけで、今回は、ドタキャンがあったにも関わらず、私のギター演奏があるからと足を運んでくれた客もいるようなので、自分のライブではないが、普段よりは、多少は、余計に弾いたつもりではある。私がいなかったら来ない客ばかりであるからなんとかサービスして帰さないといけないからである。

途中、二十歳か十代の若者の「三味線タイム」でステージを降りたら、同じくトイレ.タ〜イムで会った20代のM君が、「今日は、ギターをたくさん弾いてますねぇ!」と言っていた。M君は、たとえ1000回ライブを見ても、これくらいの事しか言葉では思い浮かばない人種であるから、10年後にまたトイレで会ってもこれ以上の言葉は思い付かないだろう。

これを、ゴリラにたとえれば、「今日は、ウッホ、ブホブホ、ボッホ、ウッフ〜!」と言っているわけである。なるほど、かなり興奮しているのはわかる、わかる。

だから、世の中には、ちゃんとした言語を用いる「評論家」と言う職業は、重要である。

もちろん、沖縄人なら誰でもOKのベタボメ評論家はいらない。おまえの口で言うな!である。そんな奴に恩を感じながら食わしてもらう気はない。そんな評論するくらいなら相撲の世界の「タニマチ」のように酒でも毎回おごるべきである。それがほんとうの「贔屓(ひいき)」と言うものである。誉められているこっちの方が、貧しいんだから!

私としては、やりたい曲は、無限にあるが、ただ、次から次へとみんなができる曲が演奏されたわけで、譜面もまったく用意していない状態で、4ビートジャズを避けて、管楽器3人を含めて、みんなでできる曲はなんでしょう〜!、、と、まるでパズル問題を解くように消去法で曲は、選曲されて行ったわけである。そのバンマスの「お題」に従いつつ、極上の演奏を毎回するのが、優秀なサイドメンである。

途中、「女性シンガー」が2曲、”自らの分をわきまえた態度”、、でジャズ.スタンダードとポピュラー曲を1曲づつ唄いステージをこなした。女性ジャズ歌手特有の、「楽器を弾くすべてのジャズ.ミュージシャンの頂点にわらわは、君臨する女王ざ〜ますのよ、オ〜ホホホホ〜!」、という態度でない所が好感が持てる。

そんなこんなで、今回のライブも満足してくれたら、やれやれである。

たぶん、ギターを弾くライブの仕事は、今年は、今回で終りかなあ、と思う。あったとしても、今回ほどは、責任を感じて弾かないとは思う。

全体の50パーセントを占めた、私関係の御来客の皆様、ありがとうございました!

(前回のムジカ.ライブは、90パーセント!なので、重ねてお礼を述べておきます!)






後記:



今回の変更もあって、全国的にジャズができるベ−シストの人材が不足しているんじゃないか、と改めて思う。ベース、ドラムの人材不足で、ライブが思うようにできない原因もそこにある。スケジュールの都合でなかなか確保できないわけである。

もっともっとベースブームになって、実力ある若手が増えてくれたらいいのに、と思う今日この頃であるが、ただ、楽器を買って、やたら仕事を求めて営業のキャリアだけを積まれてもどうしょうもない。

ウッドベースなら、それなりにクラシックの基礎をしっかり積んで、正しいピッチで譜面を演奏できるようになり、そこからアドリブ、即興でも正しく弾けるようにジャズをやってくれる者が出たら、どこでも引っ張りだこであろう、と思う。

ベ−シストの中には、1コーラス分のベースラインを覚えただけで、たとえ100コーラス演奏しても最初の1コーラス分のベースラインを100回繰り返すだけの者がいたりする。こんな楽なお仕事はない。これは、クラブ、キャバレーでのお仕事用である。それでも、堅実に日々の日当は稼ぐかもしれないが、ライブとなると、これでは、スリリングな演奏はできない。ベースの伴奏も即興性が高くなくてはいけないわけである。そんな条件も「ゲーム感覚」で楽しんでやれば、面白いはずである。


「アドリブ」と言うものは、普段から、「24時間体制」でその音使いを「研究」し、本番では、そのすべてを忘れ、自分自身を曝け出し、全智全霊で挑むものであるから、力を出し切った後の感覚は、同じ次元、同じ境地を体験した者でないと、理解できないわけである。客観的には、リアル.ファンがいるか、いないか、である。

したがい、後に残るのは、その抜け殻である。アドリブは、その場だけの度胸でやって見ても何のマジックも起きない。その感覚は、やっている方も、ハイ、お疲れ様〜、、で、終りである。そんなアドリブなら、毎日、何回でもできる。しかし、それを支えるのは、親戚縁者とその人の人間性だけである。「芸人殺すに刃物はいらぬ、お上手、お上手、3回言えばいい!」、、、となる。しかし、その次は、ない。



そろそろ、季節は、"ミュージシャンに"には、厳しい「秋」である。

「秋」と言えば、因幡晃かなあ。。(そろそろ秋です〜♪)


(註:車に乗っていて、たまに本人がDJのラジオで聴いてしまう。。おお、まだ、活躍していたのか、と最初はびっくりした、、、。)





*10月26日(金):



*村田浩、来沖ライブ 


メイン.ゲスト.リーダー:村田浩(TP)


サポートメンバー:


鈴木由貴子(P)

友寄隆哉(el-bass)


場所:那覇市ライブin (クラブ)天妃

開演:9:00p.m

チャージ:¥1,500

(当日は、めったにやらない「お仕事」ライブなので、詳細は、勝手に調べて、こちらへのお問い合わせは、御遠慮下さい。ナイト.クラブ(死語!)のガヤガヤした雰囲気が好きな方限定。ベースは、ガンガン弾きません。メインの方とも面識がありません!当日は、その時間に現地集合、現地解散となるでしょう。)







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10月29日(月):久々のクラブ体験とビーバップの人とデープ.パープルの人とチャック.ベリーとバック.トゥ.ザ.フィーチャー。後記:駐車違反


さて、何十年ぶりかのクラブ(若者系の「クラぶ〜?」ではない方)での演奏は、色々と勉強になった。久々のそういう所の仕事という事もあってか、すっきりと散髪して行ったら、ちょっと若く見え、いかにも一般のサラリーマン風という感じになった。

しかし、外見は、そう言う事になってしまったが、そんな外見から見る、様々な事象に対しての「チェック」事項は、まるでロボコップが、その場所に居るお客さんの一人一人を「査定」する感じではある。

まず、客の年齢層が高い。そのためか、お客さんがとにかく偉そうである。ジャズの演奏がどうのこうの、と言う前に音楽なら何でも良い、という感じである。どうせBGM扱いである。

女性ピアニストもあちこちのテーブルを回りペコペコしているので、ますますお客さんも機嫌が良い。私が、昔、こういう所でやっていた頃は、ステージが終るとすぐに外へ逃げ出し散歩して休憩時間を過ごした。とにかく退屈だった思い出がある。

途中、女性オーナーの人違いから、女性ピアニストに伝わり、それが、私の耳には、先輩の年輩ピアニストだと、聴き間違えて紹介された客がいて、私は、半信半疑ながら、その客の帰り際に「だいぶ太りましたねぇ、**さん、、」と言ってしまった。

何十年ぶりかだから、50キロくらい太ったと思ってしまったのだ。その酔っぱらった年輩の男性客は、ムッとして私を睨み、シカトしながら帰って行った。後で、確かめるとなんでもない、ただの初めての客だった。他のジャズクラブの常連客だと言うだけである。その程度の客に挨拶しなきゃいけないなら吉野屋の牛丼の客でもいいわけだ。いきなり、本来の私の人生には、起こらないはずの事象に遭遇する。

これは、私の人生ではない。オーナーママとそこで働く女性ピアニストにだけ振るかかる人生である。その人生にいきなり、私も巻き込まれたわけである。恐るべし二人の女性のパワーである。

こんな人種の客にもいちいち挨拶回りをさせられるのか、と他人事ながら哀れに思った。ひたすら腰を低くし、「年輩」の「男たち」に頭を下げまくる女性商売である。こうした店の「理念」は、どこにあるのだろう、と思わず考えるとなぜか、眠くなった。

演奏の方もまあ、ゲストの「ビーバップ命」という63才になる有名トランペットプレーヤーという人とも共演ができて勉強になった。あちらも大分、こちらが若いと思っているのか、はたまたエレキベースは、ベースじゃないと思っているのか、それなりの会話を少しするだけで、思った通りの感じになった。

(私は、基本的にそうしたミュージシャンへの質問事項が一切ないから、後の会話は、頼む!と女性ピアニストにすべて、まかせた。音楽的な質問が一切ないので、しいて質問事項を上げれば、「生きてくってのは大変ですか?」くらいしか思い付かない。)

リハーサルは、曲をさらうだけで、ベースソロは、まったくないと思っていたら、曲毎に何となく1コーラス分は、やって良い感じで回って来たので、ビーバップ.スタイルを意識してライブの全体的なスタイルを統一させて仕事をこなした。

考えて見ると、そもそも昔から沖縄には、どういうわけか「ビーバップ」は、根付いていない。誰もやる者がいなかった。今でも、ここ地元では、本土系ピアニストに一人、若手中年風地元産サックスに一人という感じで、バップ.スタイルでアドリブをする者はいない。昔からモダン.ジャズと言うか、コルトレーンとか、そんなジャズが主流である。

いちいち個々のコードに忠実にアドリブをするスタイルは、沖縄人の気質に合わなかったのではないか、と思う。「気質」と言ってはいるが、「知性」と置き換えてもいいかもしれない。とにかく細かい事を気にする気質では、この暑い島では生きてはいけない。

テキト〜にアドリブしていれば、曲の方で合わしてくれるだろう、といった演奏が主流である。あとは、ビッグバンド.スタイルであるから両極端なジャズ.スタイルである。チャーリー.パーカーなんてのは、南の島向きじゃない感じではある。

(私は、「しかたない」から、本土系に合わせるために、けっこう、このスタイルは、研究したが、、、)

ところが、この事に気付く者がここには一人もいない。20年くらい前から秘かに認識していた事項ではある。これとは対極に本土系は、若手を含めビーバップが主流であり、まず、このスタイルでアドリブできない者を白眼で見る傾向にある。ジャムセッションとなるとまるで1950年代にタイムスリップしたかのようなビーバップ大会である。

これをロックに例えるなら、まず、ディープ.パープルの「ハイウェイ.スター」や「スモーク.オン.ザ.ウォーター」が弾けないと認めない!という感じか。

私が、中学生の頃は、チャック.ベリーの「ジョニー.B.グッド」が弾けないとギタリストじゃないのか、と思っていた。

チャックは、刑務所から出て、従来の黒人のブギウギのリズムを白人好みのタイトな8ビートにして「ロックンロール」を「発明」した、とされていたので、映画「バック.トゥ.ザ.フィーチャー」で、主人公が、タイムスリップして1950年代のダンスホールでジミヘン風(ジミー.ヘンドリックス)の「ジョニーB.グッド」を弾いた際、興奮したバンドメンバーが、従兄の「チャック.ベリー」らしき人物に電話を掛けるシーンがある。

「おい!チャック!この音楽を聴いてくれ!」と受話器を通して演奏を聴かせる場面だ。まるで、この時の演奏をチャックがパクって、ロックン.ロールが生まれた、、という設定で、そこが、こうしたエピソードを知っていたので、おかしかった。

十代の頃見た映画、「真夏の夜のジャズ.フェスティバル」で、ラスト近くで見たチャック.ベリーのステージのかっこ良さに思わず飛び起きた。(それまで、あまりの退屈さにうとうとと寝ていた!高校1年生にあの映画は無理である。)レコードも買ってよく聴いた。

ああ、何の話しだったか、、。


そうだ、そうだ、ビーバップとディープ.パープルとチャック.ベリーの話しだ。


ビーバップと言うのは、言わば、「古典落語」の世界でもある。「アドリブとは、こうあらねばならない!」という、ゴールがあるわけである。いわば、「無限の表現力」を競うわけではない。「限定」された不自由さの中で、何とかゲームを楽しむ、という感覚である。

しかし、一見、知的ゲームに見えるような事でも、毎日、同じような事をしていると惚けるのも早いと言う。「経理」の仕事なんかでも、一見複雑な計算をしているか、のように見えるが、やっている事は、毎日、同じような計算である。

また、こうして「ブラインド.タッチ」でパソコンのキーボードを駆使して何かの文章をタイプしていたり、、と言う者なんかも知的に見えるが、惚けるのが早かったりする、と言う。毎日、同じような事ばかりしているからである。

、、となると、一見、素晴らしく見えるブラインド.タッチでのキーボード入力より、右手の人指し指1本で、文章を書く者の方が、相当に頭脳トレーニングをしている、という事になる。いわば、毎回、トランプの「神経衰弱」をしているようなものであるからだ。

こうした日々の思考は、その人の行動や、発想にも現れる。人間として面白いか、面白くないか、というレベルまで行く。

面白い事をしなくなれば、人は、日々のルーティン.ワークをこなす能力が上がる。日々を面白く生きたい、と願えば、決まりきった事をこなすだけの日々は、つまらない、と思うだろう。

この辺のかけひき、バランス、哲学は、面白い事に、その人のアドリブに現れる。

ああ、この人には基盤がまったくないな。ああ、この人は、見よう見まねに覚えた口だな、だから、一度”受けた”フレーズに執着しているんだな。ああ、この人は、何時いかなる時でも同じで、変らないんだろうな、だから、誰と接しても同じ態度なんだろうな。、なら、こんな人は、「体験」も「出会い」もいらないな。何を「体験」しても自分は、変らない、というなら、そもそも人にも出会う必要がないのにな、、、などと思うわけである。

誰に出会っても自分のスタイルを変える必要がない、という事は、そもそも、「今の時代」に生きる必要もないわけである。

、、という事になると、自分の生き方に「今の時代」が、最も適しているか、そうでないか、というだけしか残らない。今の時代が、自分に「適していない」となれば、この世は、地獄界となる。生きていて、こんな「つまらない」時代はない。なぜなら、自分のスタイルに合わない「時代」だからである。これは、当然の論理的帰結である。じゃあ、死ぬのか?、、となるが、死なないとしたら、それを押しとどめる何か「見えない力」があるはずだ。

、、という事は、生きている事自体、「見えない力」に守られているか、いないか、、ではないか、とも思う。

だって、そこまで、自分には合わない時代に生きていながら、なおも生きる努力を惜しまないわけであるからだ。



良い勉強になった。





後記:


久々に色んな体験をしたなあ、と「クラブ、お仕事ライブ」から帰宅したのが、午前1時30分。

自宅前で、楽器を降ろしている最中に、ついつい部屋で一休みしていて出たら、車のガラスに「駐車違反」のステッカー!。

現在の法律では、たとえ、10秒でも、運転手が、車を離れてしまえば、駐車違反らしい。

これで、罰金¥15,000!

頭に来て、すぐに「警察署」に電話を掛け、居合わした係員にありったけの文句を言った。警察官のストーカー事件が横行している昨今、わりあい、おとなしく苦情を聴いていた。飲み屋からの電話だから1時間でも平気である。「夜中にだよ、荷物(楽器)を降ろすからと、車を止めるだろ?何しろ、人気のない午前1時30分の川沿いの道路だよ!じゃあ、どうすればよかったんだ!、、何?、、誰か起こして車の番をさせておかないといけないだって!そんな事できるわけないだろ!こんな取り締まりは、繁華街ですべき事だろ!何で、こんなひっそりとした民家の通りでするんだよ!」

、、ありとあらゆる文句を30分くらい、ねちねち言っていたのだが、罰金は、変らないらしい。私の話しが面白いのか、良く文句を聞いているなあ、と思いつつも「ところで、あんたの名前は、なんてぇ〜の?」と、担当の男性警察員の名前も聞いた。

酔ってはなかったので、「おたくも40才くらいになったらストーカーするのか?」と聞く事はしなかったのが、私の上品な所である。

しかし、今から、何十年前になるか、25才の頃、自宅前に「楽器を降ろそう」と駐車した車を一瞬の内に駐車違反として取り締まった婦警の名前を「おたくの名前は、一生忘れないからな!」と、啖呵を切って今でも覚えている。

その時は、母親も出て来て「お願いです、この子は、お金がないのです、見逃して下さい」と懇願したが、この婦警は、自分の点数だけを上げるために取り締まった。当時、30代だろうか。おかげで、あれから何十年経った今もこの婦警の名前を忘れない。

お金がないバンドマンだと言うのに、自宅前で¥20,000の罰金を切ったわけである。

普段の自宅前の住人でない部外者の迷惑路上駐車は、取り締まらず、確率の高い、そこの住人の、一瞬だけ、たまたま止めた車を取り締まるわけである。このパターンは、どこの土地でもあるはずだ。

そんなわけで、何十年ぶりかのクラブ.ライブのギャラは、すべて、その日の内に駐車違反の代金のごくごく一部として一瞬にして消えたわけである。

フフフフ、、たったの1日で、こうした「負」の体験が重なる事が、大変、面白い。


神様は、サプライズ好きであるなあ、とつくづく思う。



PS;


そういえば、この間の「桜坂フィルモア.イースト」のギャラを一切、貰っていない。客の半分は、私を目当てに来ていたわけだし、半分くらいは、こちらに来てもいいなあ、とは、思うが、こればっかりは、その日、人を集めたバンマスの「指導霊」が、決める事項だとは思う。

まあ、みんな、その人なりの人生に合った指導霊が付いている、とは思う。









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11月6日(火):結婚式出席体験、ライブの在り方を巡っての深夜のディベート PS:11月ライブ告知


さて、ついに11月だ。

11月になったばかりだと言うのに色んな事があった。

この間、3日の土曜日になるのか、めずらしく結婚式に呼ばれた。今までにも余興演奏の仕事は、いくつかやって来たが、自分が出席者として呼ばれた回数は、片手で足りるくらいだ。縁がない、と言う感じである。

出席者の総数は、400人!、二次会でも200人くらいいたんじゃないか、と思う。めずらしく、そうした二次会に出席して気付いた事がある。当然、独身女性だなと思わせる集団がいたりするのだが、男性の方も同じような団体が集団でいたりするわけである。


女性の方は、まあ、何人か別の男性軍団の方から声を掛けて来たりして、それなりに盛り上がっている。ところが、同じ独身軍団でも中年(30代後半〜)となると、固まって、自分たちからは、女性に声を掛けて移動しようと言う動きがないわけである。いや、あるのだろうが、恥ずかしさがあるのか、固まったままである。

ところが、若い独身男性や中年の既婚の男性軍団となると、これが、あちこち移動して女性軍団に声を掛けて行くのだ。まあ、ともに「恥じ」とかあまり関係ないのである。なるほど、そういう積極性が、既婚者となったわけである。

また、女性軍団もこうした結婚式に若い内は、よく友人として呼ばれて出席していて、こ