友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論
沖縄から日本を観る
沖縄から沖縄を観る
執筆軌跡&時々日記(掲載文年代記:資料用)2002年6月9日(日)より
過去の軌跡
1月〜5月:過去総括メモ集
6月:どうでもいいことを真面目にやってみる(6月10日、時々日記開始)
7月:黄昏れてみる
8月:生きているって言ってみる
9月:天変地異あり〜の、暴露あり〜の、まあ〜何かと大騒動
10月: 秋、人生を憂う
11月:我思う、ゆえに我あり
12月 :師やっぱり走る師走
1988年10月8日〜1989年1月24日
1999年4月(4月1日木):1995年10月より休止中のライブ活動を定期で再開。1999年4月7日(水)第1回
3月(2000年:3月1日水)
地元ライブ.ハウスのホームページの「ミュージック.スクール一覧」に「SUN POWER MUSIC教室広告」を掲載する。その気もまったくないのに「年内にホームページ開設予定」と記載する。インターネット効果というものがまったくない事を知る。
「非常識系(日本人と模倣:18 挫折する生徒たち)」の元生徒の教室も「同列」に紹介されている。
インターネットで冗談で超無名な「自分」を検索したら地元のレコード店のホームページで自分の過去作品集の中の第1集「アコースティック.ジャズ.トリオ95」が30秒くらい試聴できる形で紹介されていたのでびっくり。何の紹介文もないので自分の紹介文くらいは掲載できないか、とメールする。
10月16日(月):CD紹介文をメールで送る。
10月17日(火):返答なし。ホームページ上で突然掲載されるのか、と以後チェックするが何の変化もなし。待つのもくたびれたのでほっておく。
「SUN POWER MUSIC教室広告」が大幅に一部無断削除されている事を知る。沖縄の非常識な県内有名ミュージシャンの元生徒たちの教室在籍中のランク付けを実名で公表したからだろう。非難ではない。ただ、ありのままの「事実」である。なぜなら彼等を「沖縄代表」として地元メディアが騒ぎ立てるからである。県民もそう思ってしまう。全員「8級」である。約束は一切守らない、アドリブができないフュージョン.サックスプレーヤー(実力も知らず、「沖縄唯一のフュージョン.グループのサックス奏者」として95年頃の雑誌「ジャズライフ」にも特集された。「ジャズライフ」誌すら知らない者である。これはある有名ギタリストの手引きによる。「沖縄」を利用しプロデューサーの地位を得たかったのだろう。しかし相手はアドリブが一切できない素人似非フュージョン.プレーヤー連合である。彼は、あまりにも沖縄を知らなすぎたのである。被害者であろうか。しかし、素人同然の連中を全国のジャズ誌に紹介する事は、彼の「流儀」なのだろうか。)、また、私のギターをぶっこわした夫婦デュエット、ギタリストなどをサイト上で、ランク付けしたのだ。共に、一切の私へ師事した経歴を当初から「抹殺」している。その偽善性は「激怒」に値する。しかし、彼等を「沖縄を代表するミュージシャン」としなければ何をしようがかまわない。これでは、インターネットも知らず、無名で消えて行った、「まとも」な沖縄のミュージシャンたちは、「浮かばれ」ない。卑怯な戦略を使う目立ちたがり屋だけが「歴史」を作るのであろうか。
『この二人は後に(2002年5月)「自然保護」を訴える偽善活動を地元で行なう。類は友を呼ぶ、の典型だ。しかし掲載文の「無断一部削除」は大人の取るべき態度ではない。なぜなら、その後も会えば店側は、黙って、ニコニコであるからだ。だから私もニコニコ作戦で返した。どうせ、どちらのミュージシャンがより「利益」をもたらすかの判断だろう。同じく、「同じ穴のムジナ」、であろう。こんな連中が、全国へ向けて沖縄を代表し「有名人になりたい」という「欲望丸出し」の世界に支配されているのが沖縄の現状だ。自分のホームページを作成しなければ、と思う。(メールアドレスが旧アドレスのままになっているがどうせ反応がないのでほっておく。そのうち全面的「削除」がなされるだろう。非常式な元生徒の教室と同列にあるスクール紹介のページにあなたならどうする。悪党からは、悪党しか生まれない。非常識からは非常識、である。』
*教室生徒用「徒労啓蒙文」から100分の1ほど抜粋改訂して掲載準備
11月24日(金):4:若者と芸術と創造論(大人のための若者講座)
11月26日(日):2「歯医者はなぜウエスモンゴメリーが好きか?」(高学歴者の嗜好品)
11月29日(水): 3:日本人とリズム感
12月14日(木):公式ホームページついに全国へ向け掲載。赤穂浪士討ち入りの日である。
実兄の営む「ともよせ歯科」のサイトの一角に「間借」して始まる。
そう言えば、10月16日の地元楽器店のCD紹介文のメールはどうなったか、と思い出し、再度メールを出す。その日で責任者からメールが来て忘れていた事を謝罪して来る。試聴サイトの横にこちらのホームページアドレスを掲載できないか、とメールする。
(その後、CD紹介文は、大々的に掲載されるが、何の利益も上がらないため1年(〜2001年10月?)あまりで消滅。この試聴サイトは、こちらも1年ばかり利用してリンクするも、いつのまにかアクセス不能となり、これも消滅。今日「2002年6月10日」に再び同レコード店の「試聴」サイトを発見。複雑なホームページでどこに自分があるかさっぱりわからず、またすべて要望通りいかず、連絡もスムーズにいかないため以後「2000年12月〜」交信する事をやめる。いずれにしても、初期のホームページ上での同店の大変好意的な「応援」にこの場を借りて感謝致します。売れなかったのは当方の不徳と致すところです。現在は、アメリカCD BABY社にて全作品が1曲2分づつ試聴可能。2002年6月10日(月)友寄隆哉)
12月24日(日):1:初めまして「序」にかえて
12月29日(金):6:美智子様と絶対音感 その1
1月(2001年:1月1日月):ホームページ開始!
1月2日(火): 7:私の20世紀
1月6日(土): 9:英文で沖縄について語る
1月22日(月): 10:批評する人される人
3月25日(日):11:高柳昌行は日本ジャズ界に何を残したか?
4月25日(水):8:ここがおかしいジャズ理論(音楽理論とは何か)序文
4月29日(日):12:日本人は、なぜ模倣(もほう)するのか?(日本人と模倣)
5月24日(木):14:沖縄話三題 (沖縄産のすべての若者へ捧ぐ)
8月15日(水):自分でホームページの掲載ができるようになる。
めんどくさくて実兄にまかせっぱなしだった原稿掲載、訂正校正を自分でできるようになる。実兄より講習を1時間受けたらできた。これにより簡単に更新ができるようになる。「水を得た魚」となるか、「きちがいに刃物」となるか。終戦記念日か。
9月25日(火):17:私の音楽メニュ− 開始
D: 音楽リスト:現代-古典常識編 1:アストラッド.ジルベルト〜39:ティム.バーンまで
「15:番外アメリカ.テロ事件あれこれの考察日記(以下:アメリカ.テロ)」 開始
10月12日(金):1:まずはボヤキから(沖縄の現状)
10月14日(日):2:僕たちって何?
10月15日(月):3:生け贄(にえ)の民
10月16日(火):4:平和の人
10月17日(水):5:人はなぜ「興味」がわかないのか
10月20日(土):6:個人と集団
10月26日(金):7:私の宗教理解 その1
10月27日(土):8:私の宗教理解 その2
11月4日(日):9:殺す人殺される人(「15:アメリカ.テロ」)
11月7日(水):10: アイデンティティ−小考(「15:アメリカ.テロ」)
11月8日(木):11:バナナとゴ−ヤ−(「15:アメリカ.テロ」)
11月10日(土):12:正義を貫(つらぬ)く(「15:アメリカ.テロ」)
11月13日(火):音楽ページ:16:音楽性とは何か
11月16日(金):13:正義を貫く:その2(「15:アメリカ.テロ」)
11月20日(火):14:平和を守る(「イジメの考察」)(「15:アメリカ.テロ」)
11月22日(木):1:2001年11月22日(木):ギターソロ小作品集発売予告(「友寄隆哉 作品集 」)
11月27日(火):15:勝者の正義(「イジメ考:その2」追記:冤罪話)(「15:アメリカ.テロ」)
11月29日(木):16:ブッシュとフセイン(追記:新刊評)(「15:アメリカ.テロ」)
12月(2001年:12月1日土):「ジャズ」を振り返る。
12月3日(月):A: 私の音楽メニュ−序: リスナー道(「17:私の音楽メニュー」)
12月5日(水):17:パレスチナとイスラエル(「15:アメリカ.テロ」)
12月7日(金):C: ミュージシャン分類法(「17:私の音楽メニュー」)
12月8日(土):(「17:私の音楽メニュー」)
40:オーネット.コールマン(黒人、フリー.ジャズ系アルトサックス)&エリック.ドルフィー(黒人、フリー.ジャズ系フルート、バス.クラリネット)
12月9日(日):(「17:私の音楽メニュー」)
41:チャールズ.ミンガス(黒人ジャズ.ベーシスト、作編曲家、故人)
12月11日(火):43:チック.コリア(白人、フュージョン.ジャズ.ピアニスト、作編曲)
44:レッド.ガーランド(黒人、ジャズ.ピアニスト、1923生、1984年没)
12月12日(水):45:アストル.ピアソラ(白人、アルゼンチン.タンゴ、バンドネオン奏者、作編曲家 1921〜1992、故人)
12月13日(木):18:どうしてこんなに悲しいんだろう (「15:アメリカ.テロ」)
46:クロノス.カルテット(クラシック、弦楽四重奏、全ジャンル制覇中)&ステファン.グラッペリ−(白人、ジャズ.バイオリニスト、1908年〜1996年、故人)(「17:私の音楽メニュー」)
12月14日(金):(「17:私の音楽メニュー」)
47:ジョ−ジ.ベンソン(黒人、ジャズ.ギタリスト、ブロードウェイ歌手、黒人)
48:ウエイン.ショーター(黒人、テナー&ソブラノ.サックス、作曲)&デイブ.リーブマン(白人、テナー&ソブラノ.サックス、作曲)
12月15日(土):(「17:私の音楽メニュー」)
49:チャ−リ−.パーカー(黒人、アルト.サックス、ビ−バップの元、故人)&レニ−.トリスターノ(白人、盲目、ジャズ.ピアノ、クールの元、故人)
12月16日(日):(「17:私の音楽メニュー」)
12月17日(月):(「17:私の音楽メニュー」)
51:ジョン.ゾーン(白人、アメリカ、アルト.サックス、前衛ジャズ、コラージュ作曲家)
12月19日(水):42:PS:命名「卑(いや)しい系」42:リー.コニッツ(白人、アメリカ、ジャズ.アルト.サックス)&ダニエル.ディファイエ(白人、フランス、クラシック.アルト.サックス)&ヤン.ガルバレク(白人、ヨーロピアン.スタイル.テナ−&ソプラノ.サックス)
(「17:私の音楽メニュー」)
2:2001年12月19日(水):12月20日レコーディング予定(「友寄隆哉 作品集 」)
12月20日(木):3:2001年20日(木):21日(金)継続、最終予定レコーディング(「友寄隆哉 作品集 」)
12月21日(金):4:2001年12月21日(金):レコーディング12/23(日)に延期(「友寄隆哉 作品集 」)
12月22日(土):52:ソニー.ロリンズ(黒人、ジャズの巨人、テナー.サックス)&マイケル.ブレッカー(白人、技巧の巨人、ジャズ.テナー.サックス)&エリック.サティ(白人、クラシック.ピアノ専門作曲家、フランス、故人)(「17:私の音楽メニュー」)
12月23日(日):5:2001年12月23日(日):ついにレコ−ディング完了12/23(最終回)(「友寄隆哉 作品集 」)
12月26日(水):19:帳消しの論理 (「15:アメリカ.テロ」)
12月27日(木):53:友寄隆哉(黄色人、ギター、作曲、1959〜)(「17:私の音楽メニュー」)
1月(2002年:1月1日火):今年の夏はどうしようか、と考える。
1月1日(火):18:「あたりまえ」の人々
1月6日(日):E:メニュ−終了の弁(完結)(「17:私の音楽メニュー」)
1月8日:そういえば、まだ生きている「師匠」だったはず、と思い出し、佐藤允彦氏に、これまでの全作品を送る。
1月10日(木):「確かに届きました」と佐藤氏の事務所よりメールをもらう。
1月15日(火):19:新成人への御挨拶(永久使い回し版)
1月16日(水):17:私の音楽メニュ− 完結
1月17日(木):20:闘うのだ!
1月19日:20:「地球史」を学ぼうよ(「15:アメリカ.テロ」)
1月26日(土):21:ここがヘンだよ沖縄人(「15:アメリカ.テロ」)
1月30日(水):22:私が考えるこれからの沖縄(「15:アメリカ.テロ」)
2月1日(金):23:ちょっとここだけの話し(「15:アメリカ.テロ」)
2月11日(月):1:はじめに(「21:友寄ミュージック感想集」)
2月14日(木):25:日記らしい日記 (「15:アメリカ.テロ」)
2月24日(日):26:もうすぐこんな社会がやって来るんだ(「15:アメリカ.テロ」)
49:チャ−リ−.パーカー(黒人、アルト.サックス、ビ−バップの元、故人)&レニ−.トリスターノ(白人、盲目、ジャズ.ピアノ、クールの元、故人)追記:レニー.トリスターノ(「17:私の音楽メニュー」)
3月(2002年:3月1日金):ライブ活動休止
3月1日(金):27:詐欺師はいつもその理由が美しい 3/1(「15:アメリカ.テロ」)
佐藤允彦氏氏の「ジャズ.ライフ:2002年3月号」掲載のエッセイ、「地酒派CD専門店」を風の噂に聞き、読んで見る。どう読んでも、1月8日に送った自分の全作品のCDのように思える。確かに、新作のジャケットは、いいかげんな「手作り」である。錯覚だろう、と思い直す。「貧乏」は、「妄想」を生む。しかし今だに謎。タイムリーすぎる。貧乏、最大の原因は「営業」の仕事がなくなったからなのだが、、。
3月6日(木):3:モッズ定期ライブ終了 3/6(「21:友寄ミュージック感想集」)
3月11日(月):27:詐欺師はいつもその理由が美しい 3/1、PS小追記(「15:アメリカ.テロ」)
追加:友寄隆哉プロフィール
3月26日(火):28:チョムスキーがテロを定義した(「15:アメリカ.テロ」)
4月3日(水): 22:新入生のためのJAZZ案内
4月10日(水):アメリカのCD BABYでの自分のCDの英文紹介文を書き始める。
4月12日(金):英文改訂追加
2:TAKAYA TOMOYOSE PAST WORKS(CDs)
4: New CD, " THE OLD SONGS " Now on Sale!
4月23日(火):1:友寄隆哉過去作品全集全4集(試聴可能)(「友寄隆哉 作品集 」)
4月24日(水):2:感想集終了(「21:友寄ミュージック感想集」)
5月(2002年:5月1日水):「そういえば教室だった」と思い出す。
5月2日(木):1:私の抵抗勢力リズム(「23:リズム考」)
5月6日(月):2:私の抵抗勢力リズム:その2(「23:リズム考」)
5月15日(水):29:沖縄本土復帰と被害者の論理(「15:アメリカ.テロ」)
5月18日(土):
4:個人レッスン科:(全楽器対象)(「SUN POWER MUSIC 教室案内」)
5:個人レッスン授業内容(「SUN POWER MUSIC 教室案内」)
5月21日(火):2:偽終止:その1 (「8:ここがおかしいジャズ理論(音楽理論とは何か)」)
5月22日(水):6:追記:縁(えん)をつける(「SUN POWER
MUSIC 教室案内」)
5月23日(木):
1:教室紹介にあたって(「SUN POWER MUSIC 教室案内」)
2:特設ワン.レッスン制開始:(遠隔地の者対象)(「SUN POWER MUSIC 教室案内」)
3:ワン.レッスン.システム心得(「SUN POWER MUSIC 教室案内」)
5月24日(金):7:最後に念のため(「SUN POWER
MUSIC 教室案内」)
5月25日(土):3:偽終止:その2 (「8:ここがおかしいジャズ理論(音楽理論とは何か)」)
6月1日(土):4:偽終止:その3 (「8:ここがおかしいジャズ理論(音楽理論とは何か)」)
6月7日(金):5:偽終止:その4 (「8:ここがおかしいジャズ理論(音楽理論とは何か)」)
6月9日(日):本ページ、執筆軌跡を執筆年代記として作成
ついでにサイトカウンタを「12」から「4」にする。
執筆軌跡追加補足挿入。
このページに限りバックの色を、「目にやさしい」緑色を止める。クリックした後の色が緑色なので目立たなくなるからだ。ここはクリックがメインのページだからだ。でもまあこの色もよい。全部「衣替え」しようかな、、いやいや「目にやさしい緑色」でいいだろう。こんな文字いっぱいのサイトは。この心配りは開始当初から誰も気づかないのだ。深い、深い、人類愛なのだ。ケッ! 本当は、自分のためだ。
それにしても、書き方の順序が逆じゃないのだろうか、とも思う。追加していくたびに過去は、下方へ行くのが普通じゃあないか、、、。おかげで「現在」を知るための意味不明な「BOTTOM」まで生まれた。
しかし、今日一日、「思考」し、結局は、「過去」は「資料」にしかならないから、この下方に追加されていく方式がいいだろう、となる。待てよ、もっとよい方法があった!よし、そうしよう。
『カウンタを「4」にしたのには意味がある。「4」は「死」を意味し、怨念が祀(まつ)られるている。柏手(かしわで)を4回打って参拝する。「あなたはもう既に死んでいるのです、どうか怨念で化けて出て来ないようにして下さい」である。また、これは、今までの自分を葬り去ってサイトを読みます、という意味でもある、、、なあんちゃって(古〜)。
その時々に気にいった数字にしているだけなのだ。数が少ないと普通は人は読まないからだ。別にいいのだ。アンテナのないミーハーは、パス。読まない奴が悪いのだ。このサイトを読まない、という事は、好き嫌いの問題ではない。
もはや、その「圧倒的」内容の前には、そんなものどうでもよい。作者も関係ない。阿呆の「大人」のままでいいなら読まなきゃいい。それだけだ。その内にどんどん若者が今の「大人」を凌駕(りょうが)して行くだろう。せいぜい、「このサイトを読むな運動」でも群れて展開する事だ。未来が楽しみだ。
阿呆な「大人」たちは覚悟しておいた方がよいだろう。私も、阿呆な大人たちが読まなかったものばかりを読んで来たからだ。阿呆な子供が見るのもまた見る気もないが、、、。』
このページの「今月」の部分だけに「逆順」を取り入れる。そして「過去」となれば、また、並べ替え「保存」するわけだ。
このように私は、常に何か「ひとつのシステム」にしばられる思考をしないのである。エッヘン!。これも20年の修行の賜物である。絶対に簡単に真似はできないのである。なぜなら、彼、彼女等はそれがひとつのシステムである事さえ気づかないからである。
そもそもこの執筆掲載を思いたったのは、あるサイトで見つけた「備忘録」を見てからである。世の中には、こんなマニアックな日々を送る人もいるのか、という感銘からそれを私流で記録しているわけだ。県外ファン第1号であるが、そんな日々を送っていた者とは知らなかった。まさに「感服致した」である。しかし私の場合は、これを毎日書くわけではない。ちょっと公表できない事ばかりの日々であるからだ。私は何種もの「日記」をつけている。基本的には、16歳から31歳くらいまで日記をつける、という「荒行」を成し遂げた男である。だが、ここは、基本的には、何かを掲載した時の記録であるから今日は特別である。あくまでも、こうしたサイトやページができるまでの顛末の記録などであるから、この事も記録されるべきだろう。
私の場合、そのファンは出入りがはげしい。なぜなら私は、いくつもの側面を持つから嫌われるのも早い。しかし、私は、私を作り上げるのに「修行」した人間である。ただ、自然に生きてこうなりました、という「人間」ではないからである。彼、彼女等に嫌われたからと何を意味するだろう。所詮、「縁」がなかった者たちである。また、私からもその「縁」を断つほどの「魔」も多々存在する。彼、彼女等は、自身の「業」を背負い生きればよい。何を言っても「無駄」である。私は、「人間とは何か」「人が人生を生きるとは何であるか」「お金はどうして儲けるか」という事を、「思考」し続けた結果の「途中産物」である。だから私は私が大好きである。一見、オープンなように見せるその懐は、実際は、何十層にも重ねられた「鎧」を持つ。普通は、ここまでは、見せないと思われるその先にさらにいくつもの扉があるのである。そして気がつくとまた最初の扉に出てしまう、というわけだ。もし、私の実像を見たかったら、マンガ喫茶で見かけるとよい。無言で定食を食べながらテーブルに積まれたマンガや本を夢中で読んでいる私がいるだろう。「夢中」に生きているのである。「今」しかない。「未来」のために。
読者の女性から、「私は、確か、2000年の暮にこのサイトを発見し読んでいたような気がします」と来た。
実は、パソコン開始当所からのデータをバックアップとして納めていたMOが突然開かなくなり、この3年ばかりのデータがすべてパアになってしまったので、詳細な記録がなくなってしまった。まあ大した記録ではない。過去3年間の「読書日記」なんかだ。ワっハハハハ、、、。
(本当に怒ったら「被害者の会」作るぞ!きっちりMOの注意書きに、「弊社のMOにデータをバックアップしておきますと突然容量オーバーとなり、開かなくなってデータがすべてパアとなります。これを開くのには、数万円ばかりかけ、開いてくれる会社もありますが保証はできない、との事です。購入の際は、覚えておいて下さい。弊社はその責任の一切を負いかねますのでヨロシク!」と書いてあれば赦す。MOのバカたれが。)
それで、実際、このホームページの開始は一体何時だったのか、と何か手がかりは、と探っていてようやく判明。このホームページの開始は、2000年の12月14日(水)である事がわかった!歴史的な考古学的発見である。その日、実兄へ、「赤穂浪士討ち入りの日」としてメールで原稿を投稿している。当時はすべて兄まかせであった。新作原稿を送っては、いちいち一字一句の訂正をメールで告知していたりしていたのだ。それで忙しい実兄が訂正するのが大体1日遅れくらいだった。これが自分でできるようになったのが2001年8月15日だったのだ。終戦記念日だ。
同い年の生徒から日垣隆という人のサイトが面白い、とすすめられた。本職のジャーナリストでテレビ好きで、何だか私とどこか共通する、というので覗いて見た。私も、磯野キリ子が出ている探偵番組を見たのでびっくりした。あちらは本格派のジャーナリストで、私は、ただの「町人」である。あまり似ていると言っている事が「普通」の話しに思えるのだ。それにしてもまあ色んな人とよく論争している人である。テレビ好きなのはよい。
あまり近年のドラマは見なくなった私は(タッキーの病院の医療ミスを扱ったドラマは昔見た。なぜかこれもジャニーズ.タレントの主演だな。ふむ。目印にはなるな。スマップ系は見ないが。)、今、テレビ番組「がちんこ」のトキオのあまりよく知らなかった長瀬が主演している木曜日午後10時からの「ビッグマネー」にハマっているのだ。植木等も出ている。最近、ゴルフで人生2回目のホールインワンを出して居眠りばかりしている父に、ほら同級生も出てがんばっているぞ、と見せてやると寝ぼけながら「もうこいつも年寄りだなあ」と言っていた。
(高倉建が出ると、母に、「ほら、同級生が出てるぞ、クラスにこんな男子生徒いたか?」と聞く。母は、いつも無視して返答しない。)
居眠りばかりしている奴には、巨大で特注のマニアックな本棚でもまた作らせて働かせないと眠ってばかりいる。バイクの修理やら本棚作りやら、と使い道はあるのだが、、。そろそろみんな晩年かなあ。
新道路開通のための立退き問題が終らないとこっちも落ち着かないなあ。予定では来年までに着工らしい。大家が立退き料を知らんぷりしてんだ。大家ってあの「愛護姉妹(日本人と模倣:5:技術と日本人)」の一家なんだ。実は。
あっそうだ、ここは日記ではないのだ。ちゃんと「宿題」をこなさないと書いてはいけないのだ。私の場合、「即興演奏」とそれとよく似たゴールの見えない「日記」は、あまり簡単にやらないようにしている。ちょっとマニアには、面白くなりすぎるからだ。このサイト程度の「啓蒙」は無料でもいい、と思っているが「エンタテイメント」は、ダメだ。それは身銭をきって味わうべきだ。しかし阿呆連合相手には何やっても無理だ。まあ、妹もその仲間なんだけど。困ったものだ。でも時には、阿呆連合もホッとするもんではある。おいしいチーズケーキなんかを作ってくれたりする。寅さんになった気分ではある。何となく不憫な兄と思っているのだろう。しかしまあ、所詮、末っ子同志の夫婦だから不平不満ばっかり言ってはいるが。ほら、この金で旨いもんでも一家で食べて来なって、気持ちだけはあるんだぞ。困ってたら真っ先にかけつけてやる気持ちもあるんだぞ。お兄ちゃんはなあ。たとえ、「兄々(にいにい)」の音楽には興味はなくてもなあ。
これが「日記」だ。うむ、即興日記とは言えやっぱり「クオリティ」が高い。これくらいは毎日でも書けるが、こういうのは、今日で終りだ。
6月19日(水):私の選択眼力と昔見た、NHKボケ老人の番組
30:嗚呼、見事である、ダグラス.ラミス! 6/19 (15:番外アメリカ.テロ事件あれこれの考察日記)
読書に対して、ちょっと奇妙な嗅覚がある。
あやしげなビデオ屋で1時間も立ち尽くし、ビデオを吟味して「よし、これだ!」と3本くらい選び出す。
するとレジで、「お客さん、これこの間も借りてますけどよろしいのですか」と聞かれたりする。「えっ!3本ともか?」「ええ、3本ともです」という会話が交わされる。また振り出しにもどって一から吟味する。
本屋で何時間も立ち読みして、やっぱり購入しよう、と決め家へ持ち帰ると、既に購入していたりする。
何年経っても、確実に同じものを何百という選択肢の中から選び出す。
一体、この「不動」の「眼力」は何なのか?
昔、15年以上も前に、NHKのボケ老人特集を見ていたら、ボケた老人が、同じ病院に足の骨折で入院している奥さんを見つけ、何と、求婚したのだ。(本当は、「なんぼや」と聞いた)
老人は、ボケたまま、病院中を散歩し、ある日、ある階に、ある外科病棟の、ある部屋の前を2日もうろうろし出した。そして3日目についに病室へ入って、ある老婦人のベッドへやって来たのである。それが奥さんであった。老人はすっかり妻の記憶を亡くしていたのだ。妻は、口説き始めた亭主の言葉を宙を見つめるように黙って聞いていた。
今日、兄に言われ、ダグラス氏は、あの「世界がもし100人の村だったら」の著者だとわかった。そして調べて見ると元津田塾の教授とあった。
あれ、なんだか、その「ラミス」という名に見覚えがあるぞ!と思い、もしかして、と探っていくと、ダグラス.ラミス氏は、あのうろおぼえで書いた「イデオロギーとしての英会話」(3:リズム孝:序文 2002.6/8 )の著者であった。10代の私を根底から変えてくれた人物であった事が判明した。何とも、不思議な「嗅覚」である。
私は、この「嗅覚」を信じている所がある。必ず、私に辿り着く人種が存在する、という事をである。しかし、なければないでよい。それまでの人生という事だ。別にそれでも、夢中になれる事は人生にはたくさんある。
私は、そんな奴である。あ〜忙し。インターネット占いで見てもらったら、あなたは、またしても今日も一人で楽しく遊んでいますね、たまには、親兄弟姉妹の事もやってあげましょう、とあった。う〜む。鋭い!
鈴木宗男議員逮捕
6月22日(土):なぜ彼等はサイトで取り上げてよいか。沖縄NGO設立記事発見
主要な小文集の独立、関連分類化着想、メニュー下段に原案ままの新ページを開設。
このサイトには、様々なテーマがあちこちに散在している。その時考えた事を適当に追記したり挿入しているのだが、それを集めるだけでも何かが「見えて」来る、と思った。
当初は、あまり力点を置かなかった問題であったが、次第に何か一貫したテーマとして様々な角度からリンクできる事がわかった。
しかし取り上げるテーマは、今後も「顕在化させたい」、と考えるテーマだけにした。
問題となる対象が、今後も何か大きな力を得ようと「広告」しているものに限った。休火山中のものは保留とした。
どんな人種も生きる権利はある。しかし、それが何かしらの特権と権威性と公共性を持ち、かつ煽動的なものは、吟味されてよい。
ただ、近所の嫌な奴を列挙しているわけではない。
そこに必ず、何かしらの「永続的」な、今後もこうした事は絶える事なく誕生するであろう、と思われるものに限っている。そしてそれが極めて無知からくる無邪気な煽動であればなおさらである。(子供は思い付いた残酷な事を平気で言う。一切の責任も負わず。)
ただ、流行りの意見に同調し、風化すれば知らんぷりでは、煽動された者たちは、今さら帰る所もない。
「私は、困っている人を見ると、どうしても助けてやりたくなる」、と言う者には、生涯、その欲している「困っている人たち情報」を与え続ければよい。拒絶するのは変であろう。自分の身の回りで起こった事を日頃から身の回りで起こらない事には関心がない者が訴えるのは、大変傲慢な態度である。助けるか助けないかは、無関係な人間が決める事である。しかし誰がその元ハンセン病フォーク歌手にそのあまりにもひどい歌を止めて真面目に社会の歯車となりなさい、皆んなそうしているではないか、と言えるのだろう。例え人殺しであっても「芸」は「芸」である。親孝行であろうがなかろうが関係ない。
私は、生徒との関係は、ひとつの「契約」と考えている。
私から何か学びたい、と考えて慕っている内は、どんな事があっても「擁護」すべき対象である。なぜならそれが「契約」であるからだ。
しかしひとたび、その「契約」を自ら「破棄」し、「部外者」となれば、そこには、社会の常識という「ものさし」でもって判断すべき人間の一人となる。
だから私は、私と「契約中」の者には、親身になり様々な事を指摘するのである。彼等を真っ向から「否定」し、「課題」を与えているのである。これは、教師として当然の態度である。あるいはこれを「肉親」として考えれば理解できるであろう。すべては「契約」である。神と民も信仰という「契約」で成立している。その「契約」の下に「旧約」「新約」があるのである。
誰でも一国一城の主人(あるじ)となり、ファン獲得に懸命になれば、かつて家臣として仕えた「過去」の殿様は、じゃまである。なぜならそこには自身をカリスマ的存在として位置させるための「要素」に欠ける、と自身が思うからである。
ずいぶんと力のない、ちっぽけで臆病なカリスマである。
「本物」の真似ができるわけねえだろ。
無理して真似ようとするから矛盾が生まれるのだ。
今日、沖縄タイムス(6/21金曜日朝刊)を見ると、沖縄ジャズ協会会長、屋良(やら)文雄(ジャズ.ピアニスト)、沖縄ロック協会会長、宮永(みやなが)永一(元ロックバンド「紫」ドラマー)が、手を組み、全国でも初の音楽NGO設立とある。
どうせ何らかの資金を得て音楽三昧にふけるのだろう。あるいは、自分の名を冠してただ働きの「活動」にメンバーをかり出すのだろう。こんなサイドメンの境遇は散々経験した。何でもよいから自身の名を掲げて「知名度」を上げれば宣伝効果もある。そうでない、というなら、名乗らずにやれるか?ただの余興ボランティアバンドとして。もともとギャラの出ない仕事なんかはお手のものではないか。それをボランティア活動とするのか。
私はもう自分の名前を出さずにバンマス連合に協力する事はやらない。だから仕事はない。ここでは「ゲスト」扱いすらしなかった。すべてが「私のバンドのメンバーです」である。誰が毎度客を湧かして帰したと思っているんだ!
この頃、何か「日記」というジャンルの可能性も新たな媒体である、と身体が欲している。それは顕在と潜在の中間の主張のように思えるからである。日記を15年以上も書き続けた私にとっては、既に「私的」の範疇を逸脱しているように思えるからである。
私のこの「日記」は、「日記道」で言えば、3次元的利用法と言える。
「日記道」にも様々な流派がある。この事を書くと長いので省く。
これはこのサイトの「憲法」からもはずれる事項である。
、、というわけでまたまた読んでよかったでしょ?
42年分はあるんだ。
365日×42年だよ!
生まれた日の事も覚えているんだ。
んなわけあるか!
う〜ん、待てよ、、、、。
6月27日(木):深夜ラジオ放送の思い出、立川談志、「ビートたけしのオールナイトニッポン」占拠事件
31:備えあれば患(うれ)えなし 6/27 (15:番外アメリカ.テロ事件あれこれの考察日記)
今は、6月29日(土)午前3時42分。何でこんなに夜更かしするのだ、朝型に切り換えてはどうか、と言われたりするが、それができないのは何と言ってもテレビ番組のせいだ。
今これを書いている最中は「朝まで生テレビ」をやっている。石原慎太郎の「オレが総理になったら北朝鮮に対して拉致した人間を返せと宣戦布告する」と発言した事をめぐって激しい議論をしている。これは「Newsweek日本版2002,6/19」の巻頭にある。
番組は、「なぜ国民は石原慎太郎を支持するのか」というような内容だ。テーマは「石原待望論」としている。同じく作家の野坂昭如も出ている。
「国民の歴史」を書いた西尾幹二なんかも常連で今回も出ている。彼は石原慎太郎ファンでもある。徳之島生まれの医療法人徳州会の理事の政治家、徳田虎雄も出ている。彼も石原ファンである。
久々にあの雑誌「話しの特集」の編集長の矢崎泰久なんかも出ている。彼は石原支持ではない。
二十歳の頃、日本は軍備を持つべきか、と「憲法九条を読もう!」というブームが起こった。
矢崎は、俳優の愛川欽也に似ているので一時期コンビのように二人で時事問題を論じていた。中学生の頃の私は、愛川欽也のラジオの深夜放送をよく聴いていた。永六助や黒柳徹子なんかもたまに遊びに来た。中学生の頃だから、彼等もまだ40代前くらいではないか。
こうして深夜のテレビ番組がなかった頃は、ラジオの深夜放送を毎日聴いていた。一番古くは、「ナッチャコ.パック」だ。毎晩聴いていた。120分のカセット.テープにも録音して保存した。「ナッチャン」というのがアランドロンの声優で有名な野沢那智で、あの吉本興業の野沢直子の叔父さんでもある。「チャコ」というのは「明日のジョー」の「さち」の声もしていた白石冬美の事で、二人合わせて「ナッチャコ.パック」と呼んでいた。「パック」というのは「パック.イン.ミュージック」というラジオ番組の名前である。午前1時から3時までだ。
ラジオ番組の深夜放送を最後に聴いていた頃は、ビートたけしやタモリや吉田拓郎なんかが出ていた頃の午前1時から3時までの「オールナイト日本(にっぽん)」だ。
長渕剛あたりになってから久々に聴いたら、阿呆らしくてやめた。これは心身共に「弱い人間」が「あこがれ」で聴くもんだ、と思った。
これくらいなら「射程距離内」である。
ビートたけしの深夜放送のある日、立川談志が番組に乗り込んで2時間も占拠しビートたけしを「説教」した。「おまえは何のために神様が人気者にしたのだと思っているのだ!」とたけしを説教した。たけしは「おれはおれのためにだけ生きている」と答えた。談志は「何を言っているんだ!神様は、おまえにメディアを与えたのだ!なぜ神様がおまえにこうしたメディアを与えたのかをよく考えてみろ!」と談志は怒った。たけしは「おれはおれの事だけを考えていたい!」と言った。談志は、「人を救え!自分の事だけを考えるな、さもなくば神様はその地位を奪ってしまうぞ!」と言った。たけしは、それからずっと黙っていた。談志はたっぷり2時間言いたい事を言うと去って言った。当時の番組のエンディングのテーマは、詩人、谷川(たにかわ)俊太郎作詞の「人生はたかをくくって生きようよ」みたい詞の歌が流れていた。
どうせ人生なんて大した事はない。あんまり期待するな、たかをくくって生きようよ、というような詞だったと思う。
当時は、目黒だったか目白だったかのできたばかりの「マクドナルド」1号店のメンテナンス(掃除人)のバイトを深夜一人でやっていた。深夜のマクドナルドの2階のフロアーの掃除は怖かったので、ウオークマンで深夜放送を聴いていたのだ。「オールナイトにっぽん」は、第2部の午前3時からは「明石家さんま」「谷山ひろこ」なんかがやっていた。
22,3才の頃だと思う。
それから半年後、たけしは「たけし軍団」を作った。
そのひとりひとりの軍団メンバーを拾って行く過程を書いた彼の最初の小説も読んだ。(「あの人」?とか言うタイトルだったような、、。)
バイトと言えば、いつも「メンテナンス(掃除人)」を選んだ。時給も¥750と高かった。池袋の「ミスター.ドーナッツ」の第1号店も午後10時から朝8時まで一人で掃除した。昼間の「接客」「営業」が苦手だったのだ。二十歳の頃。
だから、私、、、いや、「ぼく」の夜更かしには、色んな思い出がいっぱいある。
本当に歴史は夜作られる、と思っているのだ。その瞬間を生きて見逃さないようにしたい、と脳にインプットされているのだろう。
この一文はとても貴重だ。
でもこんなのまだまだ1億分の1の体験に過ぎない。
これを読んだ人は、とても幸福だ。
なぜなら、こんな「感性?」でずっと「夜」を生きている者のお話だからだ。早寝早起きの人間では、看護婦は勤まらない。
でも、やがて、そうした「歴史的瞬間」への遭遇の興味も薄れ、自分だけの人生を全うする日々を送るようになるだろう。
興味は、「他人」から「自分」へと移行するのだ。
歳を取った証拠だ。
「他人」は、誰も「自分」を救わなかった、という自分の人生への「解答」だ。だから「自分」は「自分」を大切にしなくてはいけない。
「自分」へ向かい、「どうだ、今は、楽しいか?」と気を使って生きる。
そろそろ人生が終るが悔いはないか?と尋ねたりする。
そして自分が答える。「まあ、いい湯加減だったよ」。
島国の人間は、いつだってそこにある「宝物」に気づかない。
しょうもない「偶像」を崇拝してたりする。
そう言えば、このサイトでは、石原慎太郎氏と太田昌秀氏を最初から並べて掲載してる。「沖縄話三題」
石原慎太郎氏は、あんだけ過激に言ってるけど、もし首相に「当選」したとしたら、さすがに「慎重」になるのが、「文人」と言うものだ。誰が「戦地」へ行くかって事はちゃんと理解してんだから。まだ「適齢期」の息子もいるしねぇ。(2002年午前5時20分)
もう見るドラマがない。私が面白い、と思うのだからたぶん誰もあまり面白いとは思わなかったかもしれない。後続のドラマは、恋愛路線のようだ。まあ、番組の衣替えの時期でもある。
忙しさと、あまりの「荒行」からの眠気で、書けなかった6月27日(木)と28日(金)の執筆軌跡を右腿にナイフを突き立てて書く。「9.11のアメリカ.テロは宇宙人のしわざなのです」という詳細な謎のメールが来る。「NASA(米国航空宇宙局)」に発信元を10年計画で調査してもらう依頼のための貯金を始めようか、と考える。
伝書鳩を飛ばし、10年かかってもよいから帰って来るな、と依頼する。
いっその事、「宇宙人はロックフェラー家にかくまわれているユダヤ人の青年だった」にしてもらえるとその手間も省けるのに、、、。
31追記:参考資料7/2(31:備えあれば患えなし 6/27)
何で、こうもしつこく、誰も関心がないサイトを続けているのか、という事に対しては、他人に言われなくても時折自分でも疑問に思う事もある。
「生きがいでしょ?」というのは正しくない。この程度の事を私が「生きがい」とする事はない。それは私を知らなすぎである。「誰もが自己顕示欲に突き動かされている」、とあったなら、「あっそうなの?」とたった今からすべての更新を「行」として止める事ができる。一体、何十年、沈黙して生きて来たと思っているのだ。
私はいつだって「ああ、なんてめんどくさいんだろう」という事しかやり続けない。このことは、いつでも言っている。私は、まだ、何もした気がしないのだ、と。生まれてから今日という日まで、まだ何もした気がしないのだ。
自分のホームページ宣伝のためにあちこちの掲示板へと出没する事もない。
この「自分」という存在は、まだ何も本気でやった覚えがないような気がする、という誰にでも訪れる「感覚」の深層を探っているのだ。
とりあえず、今の所は、ちっぽけな「自己存在理由」なんかはどうでもよく、「存在させるべき圧倒的事実」を優先している。
だから私は、ただ目前の「事象」だけを見ているだけである。圧倒的な「個」を超える「事実」に対しての忠実な僕(しもべ)として日々を送る「行」である。
「嘘じゃない、私は、確かに、彼が彼女を殺害する所を目撃したのです!」という単なる「事実」が存在するだけである。
たとえ、私に燃え盛る断末魔の自己顕示欲の「叫び」があったとしてもこうした圧倒的「事実」の前には、「私」など取るに足らぬ「村人」である。
私が目指す事は、そう言えば、いつも「あの」村人が面白い事を言っているのではないか?、、、とみんなが気づき始める日がいつか訪れる事なのだ。そこに、このサイトをやり続ける私の「存在理由」があるのである。
ゆえに、「私」は常に、何もやった覚えがないのである。
沖縄は現在、台風(6号)の真最中。
沖縄産の人間は台風になればハイになる。たぶん子供の頃、台風がくれば午前7時の時点で「今日は学校は休み」とテレビで報道されるからだ。
その放送を聞くと外へ飛び出した。風が強く吹いている。その風めがけて走る。くるくるまわって見せる。木の葉もちっちゃな竜巻状に舞い上がる。何もかもが「生命」を持って暴れ回る。学校は休み。8時からはピンポンパン。カータンが待っている。「サヨナラ」は、「バーハーハーイ」。このネタは、とてつもなく深い話しになりそうなので我慢してこの辺でやめる。
カップ麺と200円の弁当とまちがって二つ買ってしまった「ざるそば弁当」。あれ?さっきまで二つあったのにもう買った奴がいるのか、と思っていたら自分で二つ買い込んでいた。レジでは一体何を考えていたのだろう。まったく気づかなかったのだ。
とにかく沖縄産の人間は、台風の夜に脱皮する。
これが北上して死者が出る。
三匹の子豚の末っ子の世界だよ。(狼はまず末っ子の家から襲うって所が実際の話しとは逆になる。)
沖縄では今日の台風で90歳の「おばあ」が転(こ)けて足の骨を折る、が台風関連のトップ.ニュース。
「おばあがこんな日に外に出るからさあ!」と言うのが72歳の母の批判の主な所。
「でも、ざるそばを買いに行ったんじゃあないの」と言うと、「ああ、じゃああれは、未来の自分の姿なんだねぇ」と。
早々に実家を後にする。
ついでに友人のスタジオに寄ってとても公表できない阿呆二人が揃わなくてはできない馬鹿話しをする。あいつは本当に阿呆である。私を笑わせる人間はそういない。
半径1分以内で生きている。
24:「進化度」というものがある 2002.7/14 追記:進化を妨げるもの
今日は台風7号。
午後7時頃、突然停電になった。外の方がまだ少しだけ明るかったので、まあ何とかまわりのものはうっすらと見える。
テレビも見れない。ラジオもない。しかたないので、電気のいらないアコ−スティック.ギターを手に、歌を唄って過ごす事にした。何曲かピックアップし、うっすらと明かるい窓に立ち、歌詞をチェックした。
よし大体覚えたな、とギターで伴奏をし唄った。どうもここの所の切れが悪いな、と何度も何度も唄った。うむ、なかなかいいな、と、今度はキーを変えて唄った。
ふと、自分は、なんて便利な「芸」を持っているのだ、と思った。唄い続けていると、古堅悟(ふるげん.さとる:スタジオの友人、ついに名前登場!CD「The old songs」のミキサーでもある。)から携帯にメールが来た。(最近、メールが打てるようになり、彼は進化した)「そちらも停電か?」という問い合せだ。
さっそく「今、オレは***という洋物のポピュラーソングを唄っているのだ、この後は、****という歌を唄うのだ。その後は、*****だ」とメールした。
すると、またメールが来て、そんな歌なんかよりも「山谷(さんや)ブルース」(岡林信安:「フォークの神様」ってのがその冠、「友よ」の作者。ちなみに吉田拓郎の方が年長だ。彼は「フォークの貴公子」だ。)の方が似合っている、と言って来た。
山谷ブルースは、「今日の仕事はつらかったあ〜、後は、焼酎をあおるだけえ〜」と言う東京は「山谷」住まいの土方の歌だ。
これらのような人夫を使って仕事するのが父親の仕事だった。
3番あたりくらいまでは唄える。実際は、もっとあったはずだ。
「おまえには、赤色エレジーが似合っているな」と返信した。
「赤色エレジー」は、あがた森魚(もりお)だ。
「愛は、愛とて〜な〜んになる〜、」と大正ソングっぽいフォークソングだ。
これを唄った者は、みんな貧乏になる呪いの歌のようでもある。この歌詞は、5番くらいまで覚えている。これも実際は、もっとあったはずだ。
みんな中学生の頃、唄いまくったものだ。赤色エレジーに関しては、16歳の頃(17歳だった!)、バスで担任のアメリカ人教師に会った。
その時、バスでこの曲が流れ始めた。これは、赤色エレジーという日本のフォーク歌手の曲で、今、流行ってるんだ、と言うと、教師は、異常におびえていた。それくらいアメリカ人にはインパクトがある曲だ。
そんなこんなで、午後10時に停電は納まり、無事、K-1福岡大会をテレビで見る事ができた。
よかった。よかった。
もし、この後もずっと停電だったら何をしていただろう。今は、電気もついたので、こうして更新をしているわけだ。何となく、オレは、有事に強いなあ、と思ったりはする。昔は、どんな事があっても飲み屋に行ったものだ。今は、たぶん、朝まで腕立て伏せでもしているだろう。その予定でもあった。
あるいは座頭市の真似をして、お酒を飲んでいたかもしれない。お酒を注ぐのにちょっと「芸」があるのだ。
こんな時のために、ちょっと詩吟でも覚えたいものだ。またまた、あいつも巻き込んで。
音楽が聴けないなら、自分で唄うしかないからな。
ちょっと今回は長かったな。それもこれも台風だからだな。また北上して死人(しびと)が出る。
伊江島の諜報部員から台風の報告が来た。
なんでも、食料がほとんど売り切れでなくなるらしい。
たかをくくっていた、と言う。
あそこの台風は海がすぐそばにあるから凄いんだ。
赤ワインを多めに買い込んでおいてよかった。
備えあれば患えなし。
執筆文整理整頓 に以下のテーマで分類;
2-3:人のために何かしたい、という気持ち:ボランティアについて
2-4:巨人ガリバー気分の、帰化人による、帰化人のための、「リトル大和化構想」と無意識の「大和村」化構造。原住民に「親友」がいない悲しき永住民
髪をカットさせに床屋へ行く。
何時頃からか、ヘア−.スタイルを気にしなくなった。もう何年にもなる。
どうせロッカーでもないんだから、と、どうでもよくなってしまった。
今回は、あんまり暑いんで、運動しやすいように、とにかく思いっきり短くしてくれ、と頼む。
「まさかスポーツ刈りじゃあないでしょ」と聞かれたので、「う〜ん、そりゃあ困る、とにかく、前髪がじゃまなんだ」と言うと、そう言えば、古堅さんが、何か妙なものをやってますね、というので、それは違う、あいつは、何もしなくても妙なんだ、と言う話しをして、瞑想に入る。
終りました、と言うので目を開けると、ハクション大魔王が、呼ばれもしないのに目の前の鏡に写っていた。私は、自分にまつわる人生のすべてを一瞬で「悟り」、勘定を払い床屋を出る。
夜中、帰りがけにスタジオへ寄り、「どうだ、この髪型は!ハクション大魔王だろ?」と見せびらかすと、友人は、「額縁のようだ!」と言った。
額、、、額縁って、、あんた、、人間に使う形容じゃあないだろ!っと注意すると、「でも、やっぱり額縁だなあ」と言った。
私は、そうか、額縁かあ、と頷いた。
今週もまたまた忙しかった。今や、人類から忘れられ、沖縄では既に何の価値も与えられず、グラスの下へ敷くコースターとなっている私のCD全作を注文する者もメールであった。私が、なぜこうも忙しいのかは、誰もわからない謎である。自分でもわからない。とにかく16才あたりから忙しいのだ。
そんなわけで、近所のマンガ喫茶に久しぶりで行ってみたのだが、満席だった。最近は、何時行ってもこうだ。もう何週間にもなる。午後3時までのランチタイムに席を確保するなんてのは、どんなにお金持ちとなっても不可能だ。私は、下手すると一日中、家にいるハメになるので、こうしたマンガ喫茶が極楽になる。しかしこの所、マンガ喫茶は、普通の日でも、大体、午後5時くらいまでは、いっぱいで席がない。日曜日ともなれば、もう、その競争は尋常ではない。一体、沖縄の男たちは何時働いているのだ!。
だから、もうマンガ喫茶に行く事をやめてしまった。その最後となった先月6月のある日の日曜日も、2時間張り込みしてようやくテーブル席が空いた。すかさず、店へ突入。やっと確保した、と思ったら、古株のウエイトレスが「相席いいですか?」と言って来た。
私は、ごうつくばりめ、と思いつつ、「ええ?じゃあ、他の席に移動するから一人席はないの?」と言って立ち上がると、「ああ、いいです、いいです、今、空きましたから」と言ったので、移動しなくてもよくなった。
注文をしてしばらく新聞を読んでいると、「相席いいですか?」と明らかに地元の人間ではない永住者が言って来た。沖縄の人間は相席の習慣が基本的にない。テリトリーを気にするからだ。
オレは、2時間も張り込みしたんだからおまえも2時間外で待ってろ!、とは言わなかった。基本的に琉球人は、外の人間には、やさしくしなくては、という事をDNAに刷り込まれている。
傲慢な奴め、と思ったが、「ああ、まあ、どうぞ」と言う。
そもそも、彼がちゃんとした「哲人」なら、すぐ目の前に他人の目線を感じながら向かい合わせに座れるものではない。1メートルもない目と鼻の先に「他人」が、こちらを見て座っているのである。
案の定、ちょっとでも新聞を読むのを休憩すると、目の前に彼がいて、しきりに目線をそらそうとしているのがわかる。
なんで、こんな状況を自ら進んで作り上げるのか、大和人のその気持ちがわからない。
「まなざし」の考察を知らないのだろうか。
我慢して座っていると、なかなか注文したメニューも出て来ない。
40分も経っている。
目の前には、得体の知れない男。
決断は一つ。
レジへ行き、「もう、すべてキャンセル!」と古株のウエイトレスへ告げると、「ええ、それは、、、」と言ったので、思わず、「とにかくまた後で来る」と言って店を出た。
ああ、自分は、なんてやさしい男なんだ、とまたしても納得。
ゴルゴ13が「とにかく、また来る」なんて言って去るわけがない。
何年か前、久しぶりに上京し、ある喫茶店へ知人と入った。すると、そこは、隣の席とはぎゅうぎゅうに詰められていて、まちがって隣の話題に返答してしまいそうである。
なんとテリトリーの狭い種族なのだろう。こんな所では突然のエロ話しにも発展できないから「自由」がない。いかにすれば、完全犯罪はなるか、の話もできない。話題が制限される。
呑み屋ならいざ知らず、そうまでしてコーヒーを飲んでもちっとも癒されない。知人は、平気そうだったが、たまらず店を出た思い出がある。
今日もまた、このマンガ喫茶は、満席だった。おまけにさらにひどい日曜日。
しかたがないから、スクーターに乗ってあちこちをツーリングした。
1時間ほどして、ちょっとした街外れに「マンガ喫茶」の看板を見つけた。
怖る怖る、どんな感じの店か、ゲーム機でも置いているのか、とドアを開けると、何と!「土足厳禁」とあり、スリッパが用意されているフロアリングである。
私は、どうせ、ビーチ.サンダルしか履いていないので身軽である。色は青色。
店内には、丸坊主の中学生か高校生の野球部風なのが数名、静かにマンガを読んでいた。
日曜日だと言うのに空いている!。
この「土足厳禁」のせいだ、とすぐにわかった。まるで、産婦人科に入院している妻を訪ねる夫の気分である。妻はいないが。
席へ着くと、つっぱり金髪風の若い男子店員が注文を取りに来た。
こいつは、、、30秒くらいはかかるな、、、と思いつつメニューを見る。
意外にも丁寧な応対である。声も作りものではない。
丁寧に応対しているな、と感じられる。好感を持つ。
「初めての店ではカツ丼」、の法則を実施することにし、「カツ丼!アイスコーヒーは、後な!」と、いつも食前にアイスコーヒーを持って来る店ばかり行っていたから思わず語気を強める。
「あっ、食後ですね?」と聞いて来たので、「ああ、食後だな」といつものように返答する。
うむ、なかなかの好青年だ。
新聞は地元二紙の内一紙しかない。致命的ではある。なぜなら、これは実家にもあるから、うれしくない。しかし芸能欄のある全国スポーツ紙はある。
トイレへと席を立つと、レジの横で店員が足を投げ出してマンガを読んでいた。
やっぱり、、、15秒でいいな、、、、と思いつつ、トイレへ。
トイレの壁に、「レールが敷かれたような人生を飛び出そう、人生は長いようで短い!」とか何とか書かれたメモが丁寧な文字で貼られている。
なるほど、ここは、暴走族上がりの店だな、と一瞬にして悟る。
トイレの鏡にも、またまた、ハクション大魔王が写っている。
あいつめ、ハクション大魔王が来た、と思っているに違いない、絶対そうだ、と、一瞬ですべてを悟る。
(中略)
週刊誌やら、溜まった週刊マンガやら月刊マンガやらを見たりして、結局、単行本のマンガ本までは行けなかったが、3時間半くらいいた。気がつくと、客は、自分を入れて二人。図書館のように静かなので、携帯電話もドライビング.モードにしていた。
店員は、いつのまにか女性に変わっていた。
スリッパを脱いでサンダルに履き替え店を出たのは、午後7時過ぎ。
新しい本拠地となるマンガ喫茶だ。都心から外れているので、誰もわからない。
ああ、忙しい。
8月3日(土)
4:池宮城.秀意先生のお話(14:沖縄話四題 (沖縄産のすべての若者へ捧ぐ))
今日は、誕生日である。まあ、人間、振り返れば色々な事が誰にもある。
誕生日がなくなってしまったのは、中学2年生の頃からだ。年賀状が来なくなったのは、中学1年生からだ。理由は簡単だ。自分が出さなくなったからだ。中学2年ともなると、ギター三昧で、夜な夜なギターを持って外出していたので家族で祝う機会もなくなっていた。
でも、ギターを取り出しては、悲劇のフォーク.グループ、ガロの「君の誕生日」なんかを「明星」の付録の歌集なんかを見ながら一人唄ったりした。「君のたんじょうび、ふたり〜祝ったよ〜」とかなんか言う歌詞だ。
22歳ともなると、伊勢正三の「22才の別れ」だ。歌詞は2番だ。「私の誕生日に22本のローソクをたて、ひとつひとつが、みんな君の人生だねって言って17本目からは、一緒に火をつけたのが昨日のことのように。今はただ、5年の月日が永すぎた春といえるだけです。あなたの知らない所へ嫁いでゆく私にとって。ひとつだけ、こんな私のわがまま聞いてくれるなら、あなたは、あなたのままで変わらずにいて下さい、そのままで、、、」
う〜む、やっぱり誕生日は、悲劇が一番味わい深いのう。
こがらしの中を「今日は誰も祝ってくれないあたいの誕生日」とつぶやきながら歩いて見てはどうか。
たぶん、すぐに子供たちの間に広まり「今日はあたいの誕生日幽霊」と呼ばれ、噂される事だろう。
あれは、オレで、そんな演出ではなかったのだ!と訴えても信じてもらえないだろう。
しかし、相変わらず誕生日は、夏のまっただ中だ。
海岸にでも行って、すれ違う人々に「今日は、ぼくの誕生日なんです」と声をかけてはどうだろう。
しかし、昨今の時世では、たぶん、みんな全速力で駆け出して行くかもしれない。
「あ、違うんです!」と追い掛けて正すわけにも行かない。
叫び出されてもやっかいだ、、、へへへ。
だから、そうじゃないって言うのに!。
実は、これは、知る人ぞ知る話しなのだが、私は、ちょっと歳の数え方がちょっと「変」で、独特な「哲学」による。
それは、30才になった時に完成させた。誕生日の前日まで30才になる事は大して気にしなかったのだが、翌日、誕生日となったとたん大変なショックを受けたのだ。「もう20代ではない!」とわかったからである。
あのショックはちょっと普通ではない。すぐには、ごはんを食べなかったほどである。私ほどのショックを受けた者はそういないだろう。
なぜなら、私は、私は天才だ、と信じて疑わなかったからだ。どうチェックして見ても「天才」でしかない。
占い本や占星術本、血液型の本なんかを見ながら判断していたからだ。関係ないがバイオリズムなんかも毎日チェックしていた。生まれてからをざっとチェックして見ても「天才にふさわしい」記録である。
そんな私が、な〜んもないまま30才になってしまったのだ。
まあ、しつこくなるので省くが、私は、その時、ある事を実践することにしたのだ。
「これからは実年齢に5才プラスしよう!」と思い付いたのだ。そうやって日々を送れば、誕生日になる度に、実年齢を知り、ショックどころか、ホッとするのではないか、と考えたのだ!。この事に気づくとは、やはり「天才」だったのだ。
30才になった時から私は、「自分は35才だ」と思うようにした。するとあと5年で40才ではないか!大変だ!こうしてはいられない。
私は、毎日、「大変だ!あと5年で40才になる!」と叫んで飛び起きた!私のこの「思い込み」能力は、天才にふさわしく尋常ではない。
あちこちで、実年齢を書かなくてはいけない書類を前にして、いちいち、電子計算機を取り出し、生まれた年代を現在の年代からいちいち引き算して割り出さなくては実際の年齢がわからなくなってしまうほどにまでになった。
あたりまえだ、毎日、「オレは35才だ」と唱えながら日々を送るのである。都合のよい事に、暗算は苦手だ。
まあ、天才だから「思考停止」命令を送った問題は、私は、一切考えない、という「技」を身に付けている。
試しに、私に「宇宙人はいますか?」と質問してみたらよい。
インプットされていない問題に出会った、将棋ファミコン.ゲームのように、動きが止まり、何事もなかったように、ダイエット.コーラを冷蔵庫から取り出して飲んで、すっかり質問された事を忘れてしまっているだろう。
だからと言って、もう一度同じ質問をしても、結果は同じである。何も考えようとしていない事がその態度でわかるだろう。私としても、しばらくするとその質問さえも忘れてしまっているから何度やっても無駄である。
30才になったその日から10年を経た誕生日、私は、何のショックもなく40才を迎えた。な〜んもショックはなかとよお。
それよりも、私は、その日、涙した。てっきり45才だとばかり思っていた私が、5才も若い、40才だったのだ!
私は、この「実験」から、「よし、めんどくさいからこれからは、10才プラスしよう!」と決めた。40才になった日の翌日から、オレは、50才だ、と考えたのだ。あと10年で「還暦」だ!
わあ、あと10年で還暦だあ、と言って私は、日々を生きた。
しかし、これは、後に大変な事になってしまったのでやめた。
私は、ある病気になり、病院へ行った。そして医者が言った。「これは、基本的に、中高年や老人によくある病気なんですよ」、、と。
私は、原因は、お酒でしょう、と言われたが、本当は、そんな事ではない、と心当たり十分だったので、その日から10才プラス作戦を止め、基本の5才に戻した。よかった、よかった。
おかげで、まあ、病気もあまり症状は出なくなった。医者に言っても信じてもらえないだろう。まだ、宇宙人の方が信じてもらえるのではないか。
そんなわけで、私は常に、「失われた5年」を取り戻そうと日々生きている。なぜか、経験する事もなく消滅してしまった5年分に匹敵する日々を送ろうと生きている。
私のこの話しを聞いて、これを実践したら老けるのが早いのではないか、と危惧する者もいるだろう。そんな事は心配ない。
基本的にこの私が築き上げた「哲学」の実践は、あまりにもバカバカしいので、これを真剣に実践している事自体が、人間を若々くしているのである。
どんな老人となっても、「私は、ゴルゴ13の晩年のつもり」と思って生きている老人がいるとすれば、その「哲学」は、あまりにも単純で、幼稚で、「若々しい」。
あなたが、25才の若者とする。
あなたは今日から30才である。
あなたは、30才にふさわしい人間となったであろうか?
これから何をするのか?あるいは、何をして来たのか?
あと30年で「還暦」だ。10年後には40才だ。
あなたは、「失われた5年」を取り戻そうと必死に生きる。
それでいい。人生は、そう長くはない。
私が、生み出したこの不滅の「哲学」を今日、ここに提示する。
私にしてみれば、もう10年以上も実践し尽くしているものである。これを掲載するのに適当なページがなかったのでここに記載する事にした。あまり、私のCDすら購入しない連中に教えて上げてもいかがなものか、と思っている自分がいるからである。
私は、他人の誕生日を祝う人間ではない。なぜなら、私は、孤高に「芸」に生きた人間であり、人々は、この生誕を祝うべきである、と思っているからである。思ってはいるが、現実はそうではない。
やがて、このサイトも「タクシードライバー日記」と名を変える事になるかもしれない。例え、そうなったとしても、十分に「闘っている」記録となるであろう。売れないものを売ろうとしている「商売人」の宿命である。パンツのゴムを売ろうとしているようなものである。
今日は、誕生日。私は、かねがね、誕生日は、本人が、みんなに「オレの誕生日を祝ってくれ」と声をかける儀式だと思っている。私に子孫がいれば、そういう日なのだ、と伝えるであろう。
けっして誰かが祝ってくれる事を「待つ」日ではない。自分から、申し出て「祝うぞ!」という日だと思っている。だから何かを「おごる」のは、当事者本人である。「待って」いてはいけない。
「今日は祝い事があるから、飲みに行くぞ!」である。金がなければ、「今日は、オレの誕生日だから、何かおごれ!」でよい。
ともかくも、何かしらの「儀式」を各々が、創造し実践すればよい。「わたしは、誕生日には、部屋から一歩も出ず、「祝いの舞い」を朝まで踊りまする」でもよい。あるいは、吉田拓郎の「私は、今日まで生きてみました〜」を100回唄う、という「行」でもよい。
「社会生活」の結果を求める日ではない。「社会」へ再び挑む決意を確認する日である。だから、「誕生日」と言うものは、自分から他人へ向けて何かを奉仕する日である。
さて、長々と書いて来た。とにかく、今日は、誕生日である。私は、この一文を世の中へ「捧げる」事にする。このサイトのあまり目立たないこのページあたりが、私の誕生日としては、適当であろう。
今、テレビでは、沖縄生まれのハーフ(ダブル?)、盲目のテノール.オペラ歌手、新垣勉(あらかき.つとむ)が唱歌を淡々と唄っている。
おいたちがつらいほど、人は、淡々と唄うのか。オフサイド、「相殺」しているんだな。演歌は、その存在すべてが「表現」だ。オペラは、イタリアの「演歌」でもある。
さて、明日から、また、5才ばかり足して見るとするか。10才は、やめといた方がよい。たぶん、失った10年は、なかなか取り戻せないからだろう。5年くらいがちょうどよい。
こんな日は、自分のCDでも聴いて見るか。なかなかいいと思うのだが、そうは思わない人々で溢れた時代に生きてしまった。ミス.キャスト!
昔、映画館でちゃんと見たフランシス.コッポラの青春映画「ランブル.フィッシュ」を急に思い出した。あの時の「ぼく」は、いくつだっけ?
ジャズ.ミュージシャンになりたかった頃だなあ。
特別な存在だったんだ。ジャズ.ミュージシャンは。
選ばれた者だけがジャズをやれる、と信じてた頃。
演奏したいなあ。こんな日は。ジャ〜ズをね!
いろんな「想い」をワインとともに飲み干してしまえ!
ガキ共にゃあわかるめえ!
ハリーポッターでも読んでな!
HAPPY BIRTHDAY TO ME!
午前5時30分
誕生日らしい事は、何もなし。一通だけ、最近、全作品を購入してくれた京都の男性から「おめでとうございます」のメールをもらう。同世代。
8月10日(土):あるジャズ好きなアメリカ人からの無差別CD広告
CD BABYのサイトを通じて、「あなたの音楽が気に行った、私は、自分で全曲作曲してジャズをやっているギターだ。これは、私のデビューCDになる。私の音楽も聴いてくれ」、と同じように同サイトに委託している中年風のアメリカ白人からメールが来る。冒頭に私の名前もない。はは〜ん、大量広告メールだな、と了解する。
試聴すると、まるで、アメリカのジャズ好きな歯医者が、メンバーを頼んで金にまかせて自主制作したような、何かへんてこな、60年代風のオーソドックスな曲ばかりである。こういうのを作曲と言うのか?、、、。ギターのアドリブは、何だかこれも教則本のできそこないフレーズ集風である。困った。
何やらファンのメールがサイトに添えてあり、「まるで、60年代のマイルスの音楽を聴いているようだ!、この間、バーベキューをやった時、とてもごきげんだった」とある。
バ、バーベキュー?
う〜ん、アメリカ人らしい聴き方だ。
親戚の者じゃあないだろうか。ぜってえ
移転したというステーキ.ハウス「ジャッキー」を探し出し、何年ぶりかで、お決まりのニューヨーク.ステーキのLサイズを昼食として食べる。¥1,400に値上がり。どれくらい値上がりしたのだろう。¥150かなあ。久しぶりで、おいしかった。誕生日は、牛肉のステーキを食べる事にしていたから今日を誕生日の変わりとする。
日曜日は、ボーとしているのでそのまま秘密のマンガ喫茶に行く。2回目なので、探すのにちょっと道に迷う。新聞や週刊誌を読むだけで時間が過ぎる。
PS:
ジャッキーは、098-868-2408、那覇市西1-7-3
8月12日(月):アメリカン.ポジティブ教とNHK「原爆の絵」
2日ばかり考えて、例のアメリカ白人にメールを出す。私は、5枚CDを制作している。一体どのCDを気に入ったのか?と。一応、あなたは、よいメンバーをとプレイ(PLAY)していますね、私は、今は、毎日、このギターとプレイ(PRAY=祈る)するだけだ、と書く。
すると、すぐに返事が来る。「私のCDを無料で上げる、譜面も全曲添えて送りたいから住所を教えてくれ、知り合いには、評判がいい、全部聴き終えるまでには、ぐっすり眠っているが、、、って言っているが、、ホメ言葉と思っているんだ」、とアメリカン.ジョークを添えて言って来る。
何か、勘違いしていないだろうか、、。いっこうにこちらのCDの内容には触れていない。返事に困る。あの曲たちは、、、、全部、弾きたくない、、、。もらったら何か、お返しもしないといけないだろう。かと言って、自分のCDを送るのももったいない。また、どれを送っていいかもその選択に困る。赤ペンで譜面に訂正を入れて送り返したら怒るだろうか、、、。ああ、陽気なアメリカン.ポジティブ教!
深夜、テレビを付けると、NHKスペシャルの再放送。原爆で被爆した広島の年寄りたちが当時の生々しい現場を描いた絵の数々。何千点もの素人の年寄りたちが書いた絵。「原爆の絵」というタイトルだったか、、。積み上げて焼いた死体は、頭部が焼けずにあちこちからコロコロ落ちて来た、という。それをまた、スコップで救って火の中に戻して行く作業だった、という。水を求め、何千もの人が我先に火災用に溜めている用水桶に群がり桶の中でぎゅうぎゅうになり死んでいる。川も同じ。熱さと咽(のど)の乾きにもがき苦しんでいる。何千人もの子供たちを目前で助けられなかった老人たちの自責の念。まさに地獄絵巻図。
起きると、急に、南部戦跡巡りに出たくなる。
毎夏、恒例の南部戦跡巡りの旅に出る。4,5年前までは、毎日のように行っていた。走っている50CCのスクーターに向かって来る南部の風が身体全体に当り気持ちいいのだ。
午後1時半出発。「平和の礎(いしじ)」へスクーターで向かう。ぎらぎらの太陽。でも、やっぱり、風が気持ちいい。途中、昔から有名な沖縄そば屋へ何十年ぶりかで入る。麺は、心当たりありの細麺。出汁は、かつお風味プンプン。三枚肉が妙な甘ったるさ。紅ショウガを入れる。なおさら甘ったるくなり気持ち悪くなる。また、忘れた頃に来よう、と思う。
午後2時半、糸満にある「平和の礎」に着く。ほとんど訪問している人もいない。沖縄で戦死した各県の墓碑を見て歩く。山道を上ったり下ったり、さすがに疲れる。「冷たい物でも飲んだら」と店のおばさんから声をかけられる。観光客とまちがわれる。理由は、色が白かったから、と。これくらいでは、地元人間とは認められないらしい。世間話しをする。不景気の話ししかしない。観光客を見ると、話しを中断し、飲み物や献花を押し売りしている。献花は、みんな断っている。
あちこちの県の墓碑を見る。青空の下で腕立て伏せフルコースをしようと場所を探すが、見かけた観光客から「変人」と思われては、まずい、と思い断念する。特に、最近は、片腕でも何回も平気だからなおさらだ。映画「ロッキー」になってしまったようだ。(冗談でやったらできたのだ。できるとは、うすうす勘付いてはいたが、、。父親に自慢したら、じゃあ片腕で懸垂できるか!と言って来た。できるか!オレの体重で!)
沖縄地区別に配置された「刻銘碑」がある所で、「本部(もとぶ)備瀬」区域に中に「友寄隆盛(りゅうせい)」の名を見つける。実家へ携帯電話から電話し父の父親、つまり祖父である事を父から確認。実家では、毎年、夏は、南部戦跡あたりを趣味でうろついているのを知っているので、またか、という感じ。
午後7時までぶらぶらと過ごす。夕日が沈み始める。
どこかのPA屋がをPAを配置し、テストで、盲目の県人ハーフのテノール.オペラ歌手、新垣勉(あらかき.つとむ)の唄う「さとうきび畑」のテープを流している。15日の「終戦記念日」のリハーサルか。一服しながら眺める。ああ、オレも昔は、ミュージシャンだったなあ、とふと思い出す。
午後8時に家に着く。
生徒の若者がバイトしている、というラーメン屋に遅い昼食に行く。
彼の勤務時間は夜なので、夜は、外食はしないので、本人がいる時は、「奢りますから自分の作ったラーメンを食べて見て下さい」と言われても行けない。遠距離でもある。
食べ終ってから”岡本太郎の見た沖縄、写真展.作品展”を見に行く。
「8月13日〜8月18日、午前10時〜午後7時、14日講演会、17日シンポジウム那覇市民ギャラリー:パレット久茂地(くもじ)6階」
大人¥700、学生¥300、子供無料、今日14日は、岡本敏子講演会(午後6時30分〜8時まで)。9階市民劇場(入場無料)。
午後6時半まで、4階でやっている「発明展示会」(無料)で時間を潰す。
同時に「琉球の郵便の変遷」というのを郵便局が開催している。
訪問客は、自分一人。係りのおじさんが、親切に説明する。「もう閉館しますが、見てていいですよ」と言う。
午後6時半、9階に上がり岡本敏子の講演会場に入る。
満席で入れずロビーのモニター.テレビで講演を見つつ、「岡本敏子」はこんな声をしているのか、と思いつつ、うたた寝。夢の中、故、女優、沢村貞子、「おていちゃん」とイメージがダブる。
7時30分頃眠いので会場を出る。スクーターに「駐車違反」の札が警告で貼られている。6時35分に貼った、とある。目が覚める。黙って札を剥がして逃げる。
PS:アメリカ人へ返信
2日、考えて、例のアメリカ人に返事を書く。
「好きなようにしてくれ、しかし、私に送っても何のメリットもない。損するだけだ。それでもいいならかまわない」と言う。しかし、これでは、素っ気ないなあ、と、思い、「しかし、そうは言っても私もぐっすりと眠りたい気はする。」とアメリカン.ジョークを添える。諦めてくれただろうか。
そもそも、まったくこちらのCDにふれず、自分のCDの宣伝をするなんてのが妙である。
8月15日(木):月謝取り立てと、「そば処:とぅんち小」初遭遇
しょうがない、と何ヶ月もほっぽっておいた月謝取り立ての電話をする。
一体、何のために、今まで教えて来たのだろう。また、彼等は、私から何を学んだのだろう。
考えると、この10年、つまらない仕事をやって来たな、と思うので、考えないようにする。とりあえず、生活のため、としておく。
通り過ぎた大勢の若者たちは、もうそろそろ「青春」が終る頃だろうか。
スクーターを走らせてツーリングしていて、ある街でちょっと大きめの沖縄そば屋を見つけたので遅い昼食にと入る。念願の「魚てんぷら」も別でメニューにあった。「沖縄そばには、魚てんぷら」が、持論。
しかし、沖縄そばは、すぐ出て来たが、てんぷらがなかなか出て来ない。そばを食べないで「今からあげてんじゃないの」と催促する。15分くらいして出て来る。沖縄そばに放り込む。
残念!白身の魚てんぷらだった。しかも魚フライのように、かっちりと身がひきしまっていて、そばのつゆと交じらず。やっぱり沖縄そばに入れる魚てんぷらは、赤身じゃないとダメだな。次からは、てんぷらを注文して、出て来たら沖縄そばを注文する事にする。覚えているだろうか。「そば処:とぅんち小(ぐわぁ)」南風原(はえばる)町本店とある。
5:機械のリズム「特別実践編」(23:リズム考)
朝、起きてからずっと更新文を書いていた。気がつくと午後7時。信じられない!1日が終ってしまった。南部あたりに出かけよう、と思っていたのに。まあ、よい。一番めんどくさい説明だったのであれでよい。
「リズム考」を何度も読み返しています、という高校生のメールが1年ぶりで