友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論
沖縄から日本を観る
沖縄から沖縄を観る
時々日記 2002年6月9日(日)より
9月(2002年)天変地異あり〜の、暴露あり〜の、まあ〜何かと大騒動
通信講座開始!
9:遠隔地通信アドバイス講座システム概要 (SUN POWER MUSIC 教室案内 より)
実際、経営者が暴走族上がりかどうかはわからない。
週刊プレイボーイのアントニオ猪木の人生相談に、暴走族の若者から相談があった。
猪木は、「とにかくおまえらは、うるさいんだ!」と怒っていた。
同じ、バイクを走らせるなら、もっと、一人で世界中をバイクで旅してみろ、と言っていた。草原のかなたに見える夕日を見ていると人間なんてちっぽけな存在だ、と思うぞ、と言っていた。
そして、まあ、オレが近い内、燃料の入らない、音の出ないバイクを開発するからな、その時には、街中でも乗っていいぞ、とすかさず事業宣伝をしていた、、、、、。さすがだ。
トイレに手書きで貼られているメモがある。
それを携帯メールに打って記録し自宅パソコンに送った。
1:長いようで短い人生
たまにはレールから外れて
本当に好きなことやってもいいんじゃない
2: 何度道を外れても 何度踏み外してもいい
それが僕の生き方って言えるなら
3:涙を流してもいい
どれだけ流してもいい
でも 美しい涙を流そうね
4: この宇宙より大きな物
それは心だよ
アリは小さな物
それも心だよ
これをトイレに入るたび、目にするわけだ。
こういうのって、即興詩人とか言って、道端でやってたりするってテレビで去年あたりから紹介されてたなあ。
これって、どんな思考法なんだろうなあ、なんだかちょっと気合いを入れれば、いくらでも作れそうな気がするが、恥ずかしいので止める。
最初に、これを得意としてたのは、タレントの勝俣じゃなかったかなあ。
オレは、汚れちまったのかなあ。こんなのに、何だろうって思うのは。「汚れちまった悲しみに」ってかあ。
でもまあ、表現するって事は、いつだって恥ずかしい事なんだ。このサイトだってそれに満ちているわけだ。それが、できるかできないかってのが、人間の分かれ目なんだよねえ。もちろん、何を語るかってのは、ある。
通信講座の申込み第1号がさっそくある。まあ、もともと、その有無を問い合わせて来た人間ではある。熱心さは、身銭を切れるか切れないかが試金石になる。
スタジオにて、団体レッスン
深夜、スタジオを出る。お腹が空いていたので、近所の新興地の24時間スーパーにスクーターで向かう。途中、屋台のラーメン屋が、野原にあったので、思いきって腰掛ける。客は、自分一人。夫婦でやっているようだ。「チャーシュー醤油ラーメン」¥600を注文する。
旨い!どうした事か!
ここは沖縄なのに!。
沖縄には、ラーメン文化がない。「沖縄そば」が根強いから、と言う話しだが、ラーメンも大しておいしくない。しかし、今は、沖縄は、秘かなラーメン.ブームだと言う。本土から来た者と、地元の本土帰還組が、「なつかしんで」常連となるらしい。「なつかしんで」だから味とは、関係ない。
一件だけ、旨い!と思った店があったのだが、今では、もう見る影もないほど、味は、落ちている。
そんな事よりも、ラーメン屋の女房と言う者は、何で、ああも愛想が悪いのだろう。にこりともせず、ぶすっとして働いている。3件あったが、3件ともそうだった。地元系、本土系も関係ない。そのかわり、ラーメンを作る亭主の方は、愛想いい。最近、その中の一件が、1年も経たずに潰れていた。
夫婦でやっているこの屋台のラーメン屋も、なんだか似たような妻のようではあるが、今の所さして記憶にない。
しかし、今まで、地元で食べたラーメンの中では、旨い方だ。「手製の麺」とある。
旨い!、とメールを打っていると、深夜だと言うのに、ぞろぞろと、こんな野原の一角に集まって来た。タクシーでホステス連れで駆け付けて来たマネージャー風の一行もいる。まわりの客の会話を聞いていると本土系が多い。うむ、どうやら穴場を見つけたようだ。
しかし、ここ10年ばかり、おいしいラーメンを食べていないので、舌が落ちている事は、確かだ。また確かめに行ってみなくては。麺は自家製でもスープがインスタントかもしれないし、、、、。最近のインスタントは、あなどれないからだ。
9月3日(火):屋台ラーメンに誘う。スタジオミュージシャンになりたい弟想いの兄の話
9:遠隔地通信アドバイス講座システム概要 (SUN POWER MUSIC 教室案内 より) の「所有してほしい機材」の下段に「機材と私」を挿入。
あの屋台ラーメンは、本物なのか?と考えていたら、今日の生徒が「私も食べました、おいしかったです」と言った。亭主が、ラーメンにうるさい、らしい。東京出身なので、おいしいラーメンを食べて来ただろうから、味覚はまちがいないだろう。ちゃんと、沖縄には、あまり旨いラーメン屋はない、という事も了解している。1件だけ、うちの近所にもあります、と言う。なるほど、やはりあの屋台ラーメンは、秘かな人気を得ていたのか。
それでは、荒行実験だ!と、遅い夕食を取り、お腹が空いていない状況にし、それでも「おいしい!」と言えるか、という実験をする事にした。
屋台を偵察に行くと、前にパトカーが止まっていた。不法営業で取り締まられているのか、はたまた、¥160の缶ビールを¥400で勝手に出しているからか、、客の飲酒運転のチェックをしているのか、、としばらく眺めていたが、別に、何の動きもない。小雨がぱらつく。
偵察が完了し、友人のスタジオへ行き、「ラーメン食べに行かないかあ〜、近所のお〜、パトカーも止まってたから、今日で終りかもよお〜、深夜にラーメンなんか食べる事なんかめったにないぞお〜」と声をかけると、「何!、例のやつか!それはいかん!よし!行こう!」と言ったので、深夜、二人でスクーターで1分の場所へ行く。
客は、まだ誰もいない。
親爺もいない。
ああ、やっぱりパトカーで連行されたんだぜ、と言っていると小柄でやせっぽちの貧相な親爺が現れる。旧型のラーメン屋らしい顔だ。妻は、今日はいないようだ。
今度は、人気の「スタミナ.ラーメン¥700」を注文するが、「とんこつ味」とあったので、少し躊躇した。
昔、九州バンドマンの旅、という営業で食べて以来、「とんこつ味」の臭みは、苦手だった。あれから18年は経っている!まだ、その臭みが消えていない。しかし、これでは、「この屋台拝見」のレポーターは勤まらない。(そんな番組はない!)。
屋台に、あの「料理の鉄人」のアナウンサーの「福井さん、福井さん」の福井氏が屋台に座っている写真が貼ってある。
西部ライオンズの野球選手のサインもある。写真もあるが、どれがどれなのかわからない。あまりくわしくないからだ。
今日、スタジオに、「スタジオ.ミュージシャンとして雇ってくれないですか?」という電話が入った、と友人が話す。「何じゃあそりゃあ!」と笑う。「でなければ、スタジオで働かせてくれないですか?」と言った、というので、またまた笑う。「スタジオ.ミュージシャンがスタジオで働くわけがないだろ!」と。「働かせてもいいが、びた一文給料は払わない」と答えた、といい、またまた笑う。
「それじゃあ、一体、どうやったらスタジオ.ミュージシャンになれるのですか?」と言って来たという。
話しをよく聞くと、本人からの直接の電話ではなく、その兄からだ、という。「こういうのは、弟本人がやるもんではないですか?」と言うと、「弟は、今、寝ているんです。ギターは上手いんですよ」と言った、という。
またまた笑う。「弟、起こせってば!」と合の手を入れる。
これは、ヨドバシ.カメラに電話して「カメラマンとして雇ってくれないか?」と言うようなものだ。「はあ〜?パドゥン?」である。
そこで、「びた一文も払わないが、うんと働いてもらう」、という返答が出てくるわけだ。
しかしまあ、何で兄が電話をかけてくるんだろうなあ、弟の代わりに、と言ったので、「やっぱり、どうせ、オレなんか、オレなんか、スタジオ.ミュージシャンになれないんだよお!って弟がスネて寝てしまったんじゃあないかあ」と言う。
そうこうしている内に、スタミナ.ラーメンが来る。
何と!満腹の状態でも「おいしい」とわかった。しかも「とんこつ味」で。
親爺に「ここのラーメンは旨い」と言うとニコニコする。人なつっつこい。さすが商売人だ。
ここ、地元の人間だ。ラーメンは、独学で研究した、と微笑みながらあっさりと答える。
「九州から来た人は、なかなかとんこつラーメンを食べないんですよ、本場だから、どうせ大した事ないだろうって」と。
18年前食べたとんこつラーメンの話しをする。「ああ、黒豚を使ってるからね」と親爺。
「でも、最近では、九州で学んだの?って言われるんですよ」と笑いながら言ったその目の奥に不敵な輝きを見る。何か、私と同種の不敵さを見る。無駄口をたたく。いつのまにか、客が来る。午前2時半。
帰り際、勘定を払う時、そう言えば、さっきパトカーが止まっていたけど、、、というと、「ああ、あれは、ちょっと止まっていたみたいですね」と言ったので、「いやあ、つかまるんじゃないかと思って、ずっと隠れて様子を見ていたから」と言うと、親爺も友人も笑っていた。
スクーターで帰路につきながら、「あれ?、何か、省略して言ったかな?」と、思ったが、とにかく、お腹は一杯になっていた。
PS:
台風16号が明日(4日)本島接近か。現在、南大東島。午後から雨風が本島、那覇市に吹き荒れる、と天気予報。直撃か!ラーメン食べといてよかった
起きたら、胃がもたれて重い。
深夜に、あんなに食べてはいけない。
午後2時30分:雨風の中、スクーターで近所のマンガ喫茶にランチ.タイムに行く。席があった。外で、何かのチラシがいっぱい風に舞っている。誰かのバイクから風が奪ったのか。「宣伝ビラビラ〜見たいだなあ」と、やってきた同世代風のウエイトレスに言うと、「ほんとですねぇ」と答えた。
宣伝ビラビラ〜とは、子供の頃に、飛行機からばらまかれていた、広告ビラだ。子供たちは、追い掛けて取りに行こうとしたが、原物を手にした事はない。いつも、飛行機からばらまかれるビラを見上げて「あっ!宣伝ビラビラ〜だあ!」と言っていたもんだ。たぶん知っているのは、同じ歳くらいか、もっと上だろう。6歳くらいだったから覚えている。その一言で、「ほんとですねぇ」、、というとは、、。
午後4時半:ちょっと他のウエイトレスが「今日は5時半で閉店させていただきます」と一人一人の客に言っている。「台風だからかあ?」と言うと、「そうですよお」と答える。すぐに延長タイムに入るので帰る。風がすごくて、スクーターごとふっとばされそうで、ゆっくり走る。まだ、さほど雨はない。
途中、ちょっと先の24時間スーパーまで行って何か食料を調達しようと思ったが、風が強く、スクーターが揺れる。怖くなり、すぐに引き返し、目の前のローソンに入る。「1分でスパゲティ、日清 SPA王:洋食屋仕込みのナポリタン、ピリ辛」を買う。コロッケも1個、フランクフルトも1本。午後6時からのレッスン緊急中止の電話。
午後5時:帰宅。
レッスンも中止なので、意味不明な、ハードトレーニング。
午後7時:へとへとになる。雨風がはげしくなって来た。
午後8時半:大変な、雨風!ここは、高台にある、さらに最上階!
これまでの最大級!玄関のドアから水が吹き出して溜まり始める。キッチンのサッシが勝手に開いて、置いてあるものを2,3個吹き飛ばす。窓をちゃんと閉めロックする。
停電が怖い!停電は嫌だ!午後10時から11時に台風の眼に入る、と言う。それまで、何とか耐えられるか!テレビしか頼りはない。ラジオの電池は買っていない。午後10時からは、テレビ.ドラマ「マイ.リトル.シェフ」が始まるじゃないか!とにかく停電しては、アウトだ。
台風の目が過ぎれば、さらに深夜、本格的になる、という。70メートル級だ!戦後最大ではないのか!まあ、今は、何とか、快適に過ごしてはいる。更新が途絶えれば、停電のせいだ。取りあえず、早く、これを投稿せねば! 「マイ.リトル.シェフ」まで停電は、何とか待ってくれ!8時45分、、、CQ,CQ。
午後9時:玄関に水が溜まって床まで上って来ようとしている!アメーバーだ!競泳用の水泳パンツ1本になり闘いの準備をする。ゴーグルは、まだ早い!しかし、、どっから見てもシウバを超小型化したかのようだ。何となく体型バランスが似ている、とうすうす気づいていた。ミニ.シウバだ。黄金率には則してはいない。左手でドアを少し開け、右手にデッキブラシ(小)を持ち、水をドアの隙間から外へかき出す。風がドアを閉めようと、ものすごい勢い。フフフ、、何のこれしき!私は、片腕一本で、一体、何十回腕立て伏せができる男だと思っているのか!これしきの風には、負けない!水をすべてかき出す。CQ,CQ。
午後10時10分:突然、嘘のように、雨も風も止む!信じられない。眼に入ったんだ!「マイ.リトル.シェフ」は、録画して、それ今の内、外出だ!念のため合羽(かっぱ)を着て出る。
午後11時18分:
外は、まったくの無風状態。夜空に星も見える。何と、新興地のビルにはさまれた大きな道路を、真中に円状に巻いて、中心に空き地空間を作り、左右の交通進行を振り分けていたガードレールが、外側へ向けて半分以上が倒れていた。大体、5メートル間隔でコンクリートの巨大な重しで立てられていたものだ。
ざっと100メートルほどの長さだが、その半分以上が、左右に開いた状態でくねりながら倒壊している。信号の一つは、あさっての方向を向いて点滅していた。風で首が回ったのだ。
道端のバイクやスクーターは、どれもこれも倒されている。折れている木や、転がった大きな植木鉢。大手の24時間スーパー.マーケットが、「危険なため午後8時閉店しました」と、入口に表示している中、ファミリー.マートやローソンといったコンビニは、どれも開いている。すごい事だ。さらに、なぜか、犬を散歩させている者があちこちで見かけられた。コンビニには、ぞろぞろと人が、集まって、買い物をしている。
途中、実家に寄り、「そこは、大丈夫かあ!みんな無事かあ!」と叫びながら入ると、「うるさい!」と父に怒鳴られた。「玄関のドアから雨が吹きつけて来て、水浸しになるのだ、と言うと、タオルを濡らして、隙間に詰めよ、と言う。「なぜ濡らすのだ!」というと、そうすれば、ぴったり納まるからだ!と言う。どうしても濡らすのか?と言うと、「うるさい!じゃあやるな!」とまた怒鳴っている。短気な年寄りだ。
「この台風は、君達が生まれてから最大のもんじゃないか!」と言う。子供が一人しか目の前にいなくても、兄弟妹まとめて「君達」としか言わない。「昔、こうした、台風の眼に入った事を船長が、嵐は止んだ、と勘違いし、5千人くらいの乗船客を死なせた事件があったはずだ」と、まるで村の長老のように一人で語っている。とにかくラジオはないか?と言って母愛用の小型ラジオを借りる。
よし、準備はできた。オレは、これから街の人々が助けを求めていないかパトロールして来る、というと、二人から、いいかげんに早く帰れ!もうすぐまた台風が来るぞ!と怒鳴られる。まったく、冗談も利かない老人二人だ。
部屋へ着くとさっそく玄関のドアの隙間にタオルを「濡らして」詰める。よし、いつでも来い!
深夜、零時:まだ眼に入ったままだ。とにかく恐ろしいほどの化物台風がまたやって来るはずだ。眼に入ってから2時間がやがて過ぎる。無気味だ。
北部の方では、6万3千世帯が停電中らしい。70歳の老婆が転倒し怪我。現在9人が軽傷、とNHKのニュース。吹き返しの風が来るので注意、と呼びかけている。
午前2時17分:相変わらずの無風状態。今、ニュースでは、午前3時頃に中部地方は、台風の眼から外れる、と警告。最大瞬間風速60メートル級の南からの風が、長時間、本島に停滞する、としている。とにかく侮らない事、と言う。
午前3時20分: 来たぞ! ついに、化物がやって来た!
約5時間10分ぶり。県内全体で、5万7千9百世帯が停電中。
午後4時40分:すさまじい!天が怒っている。今度は、南からの風なので、北向きの玄関とは、関係なくなっている。エルエムエッサイム、、
というわけで、録画した「マイ.リトル.シェフ」を見た。あ〜あ、来週は、最終回だ。1980年に入ってからテレビ.ドラマを見なくなった、というのに。
パラパラとチャンネルを切り換えて、大体、30秒くらい見れば、ああ、見なくていいな、とわかる。そうした中、「ん?これは何だ!」とアンテナにひっかかったのが、「ビッグ.マネー」で、それが終って、もうドラマは見ないな、と思っていたらこれにひっかかった。これもチャンネルをパラパラ切り変えていたら、30秒くらい見て、決めたのだ。でもまた、来週が最終回だ。
終ると、そのまま、「筑紫哲也NEWS 23」が録画されていた。久しぶりに、どんなに批判している相手でも、会えばニコニコして何も言わない立ち場を取る、筑紫哲也氏がいた。この2週間ばかり筑紫哲也氏が休んでいて、残った二人のキャスターは、何だか、子供が、意見を言っているようでもの足りなかった。
番組は、あのオーム真理教の事件で有名になった、ジャーナリストの江川紹子の「イラク.レポート」、(前編)が特集されている。その次が、佐藤夕夏、という名前の女性レポーターが「アフガニスタンのその後」を取材している。
外では、とてつもない、天の怒りが、雨風となって、吹き荒れている。箱舟を用意しておけ、という天からの声は、聞こえなかった。動物が苦手だからだろうか。
5時25分:台風中継をひとまず終え、寝る事にする。
午前10時:凄まじい雨と風、部屋が洪水にならないか、、。
午後零時:雨は、止んだよう。微量。風は、相変わらずびゅーびゅーと音を立てて吹いている。偵察のため外に出て見なければ何とも言えず。今日の午後3時からのレッスンも休みにするか、決定しなくてはいけない。それにしても長い停滞時間だ。
午後1時45分: 今日のレッスン中止決定。また、はげしい雨も降って来た。外出できず。食料不足。食パン2枚。インスタント.ラーメン1個。炭水化物ばっか。こんなに長引くとは、、、。
午後2時15分:とにかくも外出を決行する事にする。食料問題もある。ワイン調達の任務もある。まさか、とって置きのワインに手を出すわけにもいかん。まあ、単に気分転換だな。合羽(カッパ)着てフル装備。それ!
午後5時50分:死ぬかと思った。外へ出てスクーターに乗って行くと、雨もなく、風も大丈夫だ。こりゃあ、もう台風は終ったな、、と、ついでにマンガ喫茶に寄って見た。ああ、何と!やっぱり沖縄だ!満席に近い。覗くと、空席も2,3あった。ランチタイムセーフ。午後2時半。新聞を3紙読んで後、久しぶりに「美味しんぼ」(第71巻:日本全県味巡り;大分編)を読む。
読んでいると、午後4時頃、ザッバ〜ンと音がした。店のウィンドウ全体に、津波のような雨が吹き付けたのだ。まったく、外の景色が見えないほどの雨だ。防弾ガラスでなくて大丈夫か、、。ああ、どうしよう、まだスーパー.マーケットで食料も調達していない。4時半、延長タイムが10分に入った所で、少し雨がおとなしくなっている気がして、店を出る。
どうせ、5分くらいで、スーパーには辿りつけるだろう、と、たかをくくり、スクーターで向かう。ああ、完全になめ切っていた。大雨の道路は、時折、車が通る。しかし、バイクは、一台も走っていない。私だけだ。前から道路の水の動きで、こちらへ向かって来る突風がある事がわかる。あっと言う間にスクーターが揺れる。た、大変だあ、一秒でも早く、ここから逃げなければ!飛ばされてしまう。スーパーは諦めて、早く家に帰らねば!
速度を上げると、突風でスクーターが横転して大惨事になるので、時速10キロくらいで走る。前方から、またまた突風が道路の水を伝って、もの凄い勢いでやってくるのがわかる。停止してぐっと堪える。こうして、やっと部屋まで辿り着く。午後5時
ああ、生きててよかったあ。何じゃあ、この台風は!スクーターは、まずい。体重がもっと軽ければ、今頃は、離島まで飛ばされていただろう。食べ過ぎも命拾いをする、という教訓だ。このために、私は、毎日、食べ過ぎていたんだ!神様が食生活を綿密に指導してしていたんだ。私を巡って、捨てようとする神と救おうとする神の「抗争」がある事がこのことからもわかる。がんばれ!救おうとするあなたたちが正しい!
ニュースでは、後1,2時間の辛抱だと言っているが、久米島は、危ない、と言う。
午後8時:風は、時折、大きな音を出すが、小雨程度。落ち着いたか?外出して道路に出てスクーターを走らせてみないと何ともいえないが、夕方よりは、外出できるかもしれない。問題は、大きな道路での突風だ。その先に24時間のスーパーがある。午後9時前に外出して調査してみよう。
午後8時45分:雨がまた振り出して来た。でも外出決行!
びしょ濡れになり、実家へ様子を見に行く。
午前零時半:ニュースでは、台風は本島を通過し離島へ向かっている、というが、ここ那覇市では、まだまだ、突然大雨になったり、突然、突風が吹いたり、と不安定な天候。ちょっと晴れたので、今だ!と零時頃、24時間スーパーに向かおうとしたら、突然、大雨。またしても断念する。スクーターでほんの10分先の所にどうしても行けない。もう、あきらめる事にした。現在は、晴れている感じ。風は、びゅーびゅーと鳴っている。私の外出を狙って大雨が降る、という感じだ。突然、大雨になるわけだ。段々に、じゃない。突然、バケツの水をかぶるって感じだ。まるで、空の上で私専用の何者かが、水一杯のバケツを準備して、私が出かけるのを待っている感じだ。
とにかく、闘いは、終った。
那覇での最大瞬間風速57.4メートル(那覇で歴代六位)、三十四市町村の八万九千二百世帯が停電、国頭村(くにがみそん)奥では400ミリ以上の雨量を記録。(琉球新報9月5日夕刊)
午前2時40分:NHK速報:
台風は現在、久米島の西150キロをゆっくりと西へ、中心の気圧955ヘクトパスカル 中心付近の最大風速40メートル、久米島、慶良間、粟国諸島、宮古島地方が暴風域、降り始めからの総雨量国頭村で430ミリ、那覇で380ミリをこえる。沖縄自動車道と那覇空港自動車道は全線通行止め、今日の空と海の便にも欠航が出る見通し、台風の影響で合わせて41人が怪我、72棟の住宅などが壊れる被害、沖縄本島の北部、中部、南部に大雨、洪水警報 (NHK 台風情報、午前2時版)
午前5時:雨は、まだ、吹き付けて来る。風もわりあい強い。時折、本当に台風が去ったのか、怪しむ。でなければ、また新たな台風がやって来た、としか思えない雨風が襲って来るからだ。とにかく、停電だけは免れた。2日間にわたって実況した台風は、宮古島方面へ向かった。西へ向かっているから、本土上陸はない。しかし、今回の台風16号は、台風慣れしている沖縄県民でさえも驚かされるほどの大型台風だ。もし、本土上陸があったとしたら、確実に死者を何人も出していただろう。
本土圏では、知る事もない、沖縄県民だけが味わった台風だ。まるで何かを象徴しているかのような台風だ。足留めを喰った観光客は、とてもいい体験を共有した、と後年思うだろう。そうなんだ。こんな感じなのだ。帰っても誰も共感してくれはしないだろうが、確かに、沖縄県民とだけ共有した「時間」なのだ。
私が以前住んでいた部屋は、ビルの最上階の9階にあった。幽霊が出る、という事でも長年、知る人ぞ知る部屋であったが、深夜、酔っぱらって、エレベーターを乗り部屋に辿り着くたびに、「おのれらあ、なめんじゃねえぞお〜!もういっぺん殺すぞ!」と30代の私は、毎夜、叫んで寝てしまった。
それでも、台風には、まいった。ものすごい雨風が最上階を襲うのだ。通常の風でも、9階となれば、尋常じゃない。
その上、天上からもの凄い勢いで、雨漏りするのだ。大体、30分で大きなバケツ一杯になる。その場から動く事ができない私は「雨漏り防御マシーン」のアイディアを思い付いた。さっそく父に電話で依頼し、制作してもらった。バケツの底に長いホースを取り付け、そのまま、ホースを「ステンレスの流し」の排水溝につっこむのだ。バケツは、雨漏りのする箇所の天井にぶらさげたままだ。
バケツに溜まった水は、ホースを通って「流し」に流れるって計画だ。作品は、まだ所有している。
父は、ポリバケツの底に穴を空け、なんと鉄性の蛇口をゴムで固めて取り付け、そこにホースを差し込んだ作品を持って来た。計画は、完璧だった。他にも、いろいろあった。大きなベランダに出る巨大な、壁一面のガラス張りのドアが、風で開くので、その取ってを縄でしばり、机の足に巻き付けたりとか、、、苦労のかいあって、ぐっすり寝る事ができた。
そういえば、台風とは、いつも本気で闘って来たなあ。思い出は、いっぱいだ。ここ3年は、雨漏りしないだけ、幸せ、というもんだ。
6:00a.m
午後5時半:曇り空で、何となく雨が降りそう、とは、思いつつ、スクーターに乗り、いくつかの用事を済ませる。のどかな風景。風は強め。図書館近くの初めて通る通りに出る。食堂があるので午後3時、昼食に入る。
夜はスナックだな、という感じ。あっちゃあ〜、失敗した、と思うが諦める。ちょっと色気を出しているおばさんが一人でやっている。客は他に2人。一人は、友達のおばさんのようだ。カウンターに座って「ママ」と話し込んでいる。もう一人、おじさんが座敷きに座り、黙って定食を食べている。テレビが流れている。カウンターに座る。
「初めての店では、カツ丼の法則」で注文。なぜか、新聞が配達されていない、との事で無差別に集められたコミック本を見る。大体、読んだものばかり。
こういう時は、「すべてのコミックを第1巻だけの法則」を取る。初心に戻る。途中、「明日のジョーと巨人の星、名話復活」みたいなマンガ雑誌がある。今年出たようだ。読みふける。カツ丼は、王道から外れるが、まずくはない。1時間半も居る。図書館に返却に行く。台風の日が期限で、閉館のため電話での延長もできなかったのだ。1册返して、帰ろうとしたが、思わず6册借りて来る。
その仕上げに例の念願の24時間スーパーへワインを求めて向かう。途中、ぱらぱらと小雨。買い物を済ませ、店を出た瞬間に、大雨の予感。家まで約5分。夢中で走らせる。しかし、突然の豪雨、雷、嵐、嵐。特に、雷は、初めて!
たまらず、途中でビルの駐車場に飛び込む。合羽(カッパ)を取り出して着る。部屋まで、後、3分。飛び出す。ようやく到着。びしょびしょだ。
台風は、去るフリをして、その分身を空に潜ませていたんだ!
豪雨振り続ける。午後6時よりのレッスン強行予定。
午前4時:雨は、午後8時くらいから晴れる。今は、静かな夜。
通常、8月が夏休み、という事もあって、沖縄の台風のイメージが、県外には定着しているだろう。しかし、昔からここ地元では、台風の本格的到来は、9月に入ってからだ。
9月に入ると、「ああ、台風が来る!」という感覚が地元にはある。9月=沖縄は、本格的台風、というイメージを持つとよい。
台風16号は、今は、宮古島を襲っているが、宮古島は、わりあい被害がいつも大きいらしい。
以下は、それらを裏付ける、地元の6時半からの地方版ニュース(沖縄テレビ:8CH)からだ。日本歴代1,3位を記録している台風も宮古島である。
1959年9月15日「宮古島台風」(死者7人、重軽傷者83人)
1966年9月5日「第2宮古島台風」最大瞬間風速85.3メートル(日本観測史上1位)
1968年9月22日「第3宮古島台風」(最大瞬間風速79.8メートル:日本史上3位)
沖縄地方の海水音、特に28度から29度という、高い状態の中を通って来るために、台風のエネルギーである水蒸気をどんどん補強して発達して行くのが9月の台風の特長
気象庁では、社会に広範かつ大きな影響を与えた異常現象には、特別な名前をつけている。これまでに8件。そのすべてが9月の台風。
1:洞爺丸台風(昭和29年9月)1954年
2:狩野川台風(昭和33年9月)1958年
3:宮古島台風(昭和34年9月)1959年
4:伊勢湾台風(昭和34年9月)1959年
5:第2室戸台風(昭和36年9月)1961年
6:第2宮古島台風(昭和41年9月):1966年(最大瞬間風速85.3メートル:日本観測史上1位)
7:第3宮古島台風(昭和43年9月)1968年:(最大瞬間風速79.8メートル:日本史上3位)
8:沖永良部台風(昭和52年9月)1977年
PS:さすがに、明日は、良い天気だろう。
レターメンの「ラブ?」がテレビの天気予報の BGMで流れている。なつかしくも切ない。中学生の頃、知り合いの高校生バンドが練習をしている、というので、ある倉庫に見学しに行った。そこで初めて聴いた曲だ。
32:思えば、遠くへ来たもんだ 9/8 (15:番外アメリカ.テロ事件あれこれの考察日記)
今日はね、またまたね、探検したんだ。
最高の場所を見つけたよ。
巨大な廃虚なんだ。
「関係者以外立ち入り禁止」ってあったけどね、そんなのぼくが、気にするわけがないじゃない。
とても静かで、ああ、昔は、凄い活気があったんだよなあって、思ったものさ。
このまま、ずっとこうしていたいな、って思ったら、凄い事に気づいたんだ。
午後6時からレッスンが入ってたんだ。
しょうがないから、帰る事にした。
「The Old Songs 」のCDの注文メールが来た。大阪の女性からだ。1週間前にこのサイトに「遭遇」した、という。サイトは、全部、読破したが、さらに繰り返し読むだろう、と言う。何年かけても全部読破できない、とこぼしている生徒ばっかりなのに、、、。まあ、私のCDすら興味のない者ばかりだけど、、、。きっと、自分がこれから作る音楽にしか興味がないんだろう。何を作るのかしらん、、、。
不思議な感覚を得た。
こうして1年と8ヶ月余りもサイトを続けて来て、ほんの1週間前に遭遇した人たちに出会う。これからも、突然、このサイトに遭遇し、出会う人たちがいるだろう。とても、不思議な感覚だ。
なぜって?
それは、こうして日々を生きて、少しづつ、少しづつ、月日が経つ。突然出現する様々な人たちを迎えるたび、そこには、少しづつ、少しづつ歳を取った自分がいて、彼、彼女等を出迎える。
その度に思う。
やあ、もうちょっと前ならね、ぼくも、もうちょっとばかり若かったんだけどって、、、。
昨日、帰宅すると、ファックスが来ていた。
何だろう、と見ると、1984年2月3日の日付けで書かれた、ラブレターだった。あっ!これは、オレが書いたものだ!1984年と言えば、今から18年も前じゃないか!その時生まれた子は、今は、18歳になっている!。文章を見ると、うむ、既に、完成しているスタイルがあった。でも、青い!
こんな一文がある。
「ともかく(ピシ!)、一生結婚できない生活力ない男として、”たかが音楽”だけは、大切に育てていこうと思っています。」、、とある。
24歳の自分がいる。
あれから18年経った今、もう音楽も忘れてしまった。ちっとも大切になんかしていない。だって引退したんだ。もう、、、。できあがった、CDを数十枚売るのが、やっとだ。義理も少しある。無理矢理売ったのもある。ライブをしたって、せいぜい4人を集めるのがやっとだ。そうした結末に疲れたので、もう、音楽への情熱も失せてしまった。
ちょっと前までは、そうした自分から一体どんな音楽が出て来るのか、興味があった。今は、ない。もうこれ以上、こんな世に、音楽を誕生させるのは、かわいそうだ。黙って、自分といっしょに、人知れず、心中すればいい。生まれた音楽は、みんな、孤児のようにぽつりと暮しているだろう。ひどい家に売られて、みじめな日々を送っている子もいたり、しかしまた、とてもとても大切にされている子もいるだろう。
沖縄市に、タレント議員が誕生した。トップ当選だと言う。さすが沖縄市だ。選挙に行った事もない若い票を集めたのだろう。あれは、地位によって人間が変わるタイプだ。わけのわからん政策しか立てないだろう。沖縄市ジャマイカ構想も真近だろう。人は、突然、政治人間となっては卑怯だ。何かで人気を得たからと、突然、選挙に出ては卑怯だ。なぜなら、その事で彼は、人気を得たはずではないからだ。彼は、何の試練も経ずして突然、政治人間となって、阿呆な政策に関わって行く。阿呆な土地にふさわしい阿呆な議員だ。だって彼は、今まで、あの「一味」だよ。
それにしても、無気味で不可思議な日々である。ここに書いていない事は、無限にある。
なめんなよ。
9月10日(火):テレビCMで写っている昔の仲間たちとジャズピアノの巨匠
今日もすっかり臨時のレッスンがある事を忘れて、マンガ喫茶で過ごしてしまった。30分前のレッスンの電話確認制度で、「あっ!そ、そうだったね」と気づかされた。
長年のレッスン時間すっぽかし、の元生徒等からの被害からこうしたシステムを導入したのだ。
昔は、もっと燃えていた。
この土地から、上手い若手ジャズ.ミュージシャンを作るんだ、と燃えていた。でもそれは、不可能な事だと知った。
楽器を持って1年も経てば、誰でも「プロ」として微々たる金銭を得る事ができるこの土地で、一体、誰が、辛抱強く、身銭を切って学ぶ必要があろうか。いつのまにやらプロ気取りで、もう、何を言っても適当に従順さを示すだけの処世術には長けた者ばかりである。その「音」を聴けば、何の進化も見られない事がわかる。一方、プライド高い独習者たちは、私さえも、射程距離内のライバル視。
こりゃまた、大した事ない「有名」芸能人が来たもんだ、と思ったら、いつのまにやら、みんなその取り巻きと化し、モミ手よろしくついて回る。
「あの男ですぜ!だんな!、自分が上手いと思っている田舎者は!」と遠くで徒党を組んで、私を指を差しているのが見える。
そうとなれば、こちらは、よく指が差せるようにと、高台に立ち、負けようが勝とうが、一応、試合にはなるとばかり、煙草を吹かす。
20代は、負けっぱなし。30代は、もう少しで勝てた。40代になったら、何でもよくなった。所詮、哀れな、猿真似芸よ。
「あゆ」ってさあ、フランス人形みたい。
何だろうなあ。
君を見初めし黒髪の、、、。
若者から時折メールが来る。助力になれば、とマメに返答する。メールでは、さほど面白い事は書かない。もったいないからだ。たった一人を笑わせる芸は持ち合わせていない。また、案外、彼等は、必死なのかもしれない、とも思うからだ。冗談で通そうと思えば、冗談の固まりである。そういう体質に生まれてしまったのだろう、と思う。
ざっと振り返ると、2年活動して、4年休止しているパターンが昔から続いている。その4年間を「引退」と呼んでいる。
4年も人前で演奏せず、よく平気でいられるなあ、と思うだろうが、平気である。演奏する事は、それほど、楽しいものじゃない。試合好きなボクサーはいないだろう。それと同じだ。
そりゃあ、たまには、演奏したいって思う事もある。
でも、それは、いろんな事を捨てて来た身には、かなわぬ事だ。
好きでそうしている、というばかりでもなく、実際問題、お客さんがいない芸人には、舞台は与えられない。要するに、演奏する「店」がない、って事だ。
ここ何ヶ月か、ある地元のレストランがテレビ.コマーシャルで、ジャズの生演奏がある事を強調している。ベースとピアノとボーカルの3人がジャズをBGM風に演奏している。
まあ、生活のためじゃなきゃ、ああした所では、弾かないなあ、と思ったりするが、全員、昔のメンバーである。ベース:西川勲、ピアノ:仲本政國だ。
ボーカルもよく知っている。あのボーカルやっているママの潰れたクラブでピアノといっしょに演奏していた。
まあ、コマーシャルは、ビジュアルを中心にしているので、西川勲をよく写している。ショーン..コネリー風がレストランの雰囲気にいいのだろう。
あのレストランに行って、私が食事でもしていたら、今後の人生も変わるだろうか。
いやいや、3人を雇うのが手一杯だ。それに編成はあれで必要最小限の営業集団だ。もう一人加えたらいい、と許可されたら、次は、ドラム、と相場は決っている。そうでなかったらサックスだな。
インターネットの世界は、偽ミュージシャン、偽バンドマンで溢れている。あるいは、元プロ.ミュージシャン、という詐欺師連合だ。素人相手だから、みんな、「へえ〜元プロなんですかあ」と感心して、ぜひお近づきになりたい、とばかり「交流」が始まる。
そうした読者を集めて、得意顔の者ばかりだ。
時折、私もその詐欺師集団から、「おたくも元プロのバンドマンですか?」とアクセスがあったりする。彼等には、何の実体も実績もない。あるのは、でっち上げたプロフィールとやらだ。プロ生活と言うのは、そんなもんじゃない。
ホームページ上で、でっちあげ大会をして、狭い世界の住人として君臨している詐欺師共にはわからない「匂い」というものが本物のプロには、ある。
もう52才になるピアノの仲本政國も、51才になるベースの西川勲も私も80年代に新宿ピットインを経験した。ぼくらは、ただの「バンドマン」になるのが嫌だった。
新宿ピットイン経験者は、沖縄では、52才になる元ベ−シストの國仲勝男を入れ、4人しかいない。國仲勝男は、山下洋輔カルテットで黄金期を築き、やがて世界が待っていた。今は、ウードという民俗楽器を弾いている、、、らしい。
皆んな、それぞれにある次期、接近した「仲間」であった。
そうだなあ、これらを結び付けるキーパ−ソンは、西川勲氏だろうか。彼は、その性格から、誰とでも適当に合わせる才を持っているからだ。
沖縄で、現在も、ちょっとはマシなジャズ演奏を聴きたかったら、まず、ピアノに仲本政國、ベースに西川勲、ドラムは、まあ、だいぶ歳を取った、フィリピンからの帰化組の、ラスティンかなあ。もう70才越えてるけどなあ、、。
そして、かつて、黄金期を築いた、同じくフィリピン勢の帰化人、テナー.サックスのアラン.カヒーペだ。黄金期の沖縄で、アラン.コルトレーンとしてならした。コルトレーンと2,3つしか変わらない年齢だが、本人は、コルトレーンの方が、歳下だ、と言っていた。もう晩年だ。全盛期の音は記録されていない。
まあ、こんな所だなあ。このメンバーから見れば沖縄を代表するジャズ.ピアニストの巨匠は、素人同然だな。あの風貌で大分点数を稼いでいる。嘘の歴史は、遺せない。
えっ?私はって?
まあ、まあ、寿司でも食いねえ。
連中に聞いてくれ!
先週の台風の振り替えでレッスン日。通常は、今週は「仕事をしない週」だ。明日も振り替えでレッスンがある。ちゃんと覚えている所が私の責任感が強い所だ。
よく考えれば、あたりまえの責任ではある。
例の屋台のラーメン屋は、どこですか、と聞かれたので、あっちの方角だ、と教えて上げた。
そんなわけで、実家へ行って、テロの1周年特集づくめのニュースを見た。まず、久米宏が夏休みでいない「久米宏のニュース.ステーション」を見ていたら、マイ.リトル.シェフが最終回なのに気づいた!しまった!後20分しかない。慌ててチャンネルを切り替える。
ついに母子対面か、、思わず、うるうると涙が出て来る。
母親役は関根恵子、、ではなく、もうとっくに、高橋恵子だ。セーラー服を着て青春ドラマに出ていた頃がなつかしい。最近はよく女優の仕事をしている。
終ったら筑紫哲也NEWS23の特大拡張番を見た。アフガニスタンの孤児たちの取材に、またまた、うるうると涙が流れるが、別のシーンに、疑問も浮かぶ。頭の中で疑問さらっていると、かなり深い問題であった事に気づく。天才も何かとやっかいである。
腹が立つのは、テレビでアメリカがセレモニーをしている場面になると、母が、テロをなじるのだが、アフガニスタンのシーンとなると居眠りしているのだ。それでまたアメリカのシーンになると、また起き出して、テロをなじる、というパターンを繰り返している事だ。わざとやってるのかな、と疑うほどである。
こう都合よく居眠りする年寄り連合がいては、公正な報道も何も関係ない事を筑紫哲也は知っているのだろうか。
そんなこんなで午前1時までニュースを見ていた。
部屋へ帰ると、今度は、NHKでもアメリカ特集をやっていた。アメリカに住んでいた移民たちがテロ以降、どういう境遇になったか、という話しだ。
家族をコロンビアに残し、7年も経った大道芸人がいた。けっこういい歳の大道芸人だ。国に残した妻は、最近、不倫して、別の男と暮していると、知る。子供達が、帰って来てほしい、というのだが、「アメリカで成功するまでは、、、」と父親は、電話で子供たちを説得しようと努める。
アメリカでビザを取りたいのだが、と弁護士に相談しに行くが、不法滞在者にはビザは降りない、と弁護士は言うが、自分は、本でも紹介されたのだ、と写真で、ちょっこっと出ている本を持ち出して来る。弁護士は、いったんコロンビアに帰った方がいい、という。とにかくも不法滞在者には、ピザが降りないのだから、という。
本人は、帰ったら、次に入国できる保証はない、という事で帰るのを嫌がっている。
人間大の人形とコミカルに踊る芸なのだが、大した芸ではないように見える。
それでも少しづつパーティなどの仕事が増えているので、やっと出て来た芽を枯らしたくないのだ、という。
こうなると、すべての芸人は、アメリカで成功しない内は、芸人として生きていく価値はないように見える。
もちろん、芸としての価値が低い者が、一発逆転を狙っているかのようにも見える。家族を捨ててでも。
さっきからNHKの「映像散歩」が、ジャズのバラードを流し続けている。きっとそのせいだな。自分から進んで聴く事はない。チャーリー.ヘイデン、レッド.ミッチェルのベースだ。
ジャズか、、。切ない音楽だなあ。こんなものを知ったかぶりする人間の気がしれんわ。
右膝から「ポキン」という音がした。次第に痛くなって来た。まあ、レントゲンも大した事はない。
今度は、M.R.Iと言うが、どうも不可解だ。骨がズレている、といったって、それがわかったって治すわけじゃない。ああ、骨がズレて炎症が起きてますよ、で終りなはずだ。痛み止め?別に治るわけじゃないから、痛み止めもいらない。もしも痛くて寝れない、という事が起きるならもらっておこう。
骨がズレてんなら、話しは接骨医だろう、と、「今から来てもかまいませんよ」と、やがて営業時間も終るという午後7時にその門を叩いた。
大丈夫、しばらく安静にすれば、すぐに痛みも引いて治りますよ、と言われた。聞きたいのは、そういう事じゃない。「痛み」なんてのは、「我慢」すりゃいい。問題は、その痛みを我慢して、いつもの事をしてしまったら、取りかえしのつかない事になってしまうのか、という事だ。
別にそうじゃない、という。
内出血も回復に向かうだけだ、という。でも安静にしてた方がいい、という。そりゃ、あたりまえの話しだ。楽器だって練習しないよりは、した方がいい。
えっ?痛みだけ我慢すればいいんだったら、松葉づえもいらないな。それよりも負傷している事を知られるのが、まずい。
そんなわけで、しばらく右足を引きずって歩く事にはなるが、1週間後のM.R.I を受ける頃には、痛みも引いているだろう。痛くねえ、と思えば、痛くないのだ。大事なのは、気合い、だな。どうせ2,3日もすりゃ痛みも引くだろう。
でも、普段から、どうでもいい時は、気合いを入れず、年中、足を引きずっているから、一見、「普通」の日々に見える。
しかし、故障は、故障だ。一歩、まちがった動きをすると悲鳴を上げる事にもなっているからだ。階段の上り降りがやっかいなだけだ。思えば、これまで、故障との闘いだなあ。
貴乃花の気持ちが、よくわかる。
朝起きると、右膝の調子もよい。念のため、とは言っても、M.R.Iの必要はない。接骨医は、しばらく安静にしていれば治ります、といって、治療費も取らなかった。親切だ。病院に電話をすると、M.R.Iは、五,六千円かかるというので、キャンセル。痛み止めを付けてくれたのはいいが、今度は、それを飲むと胃が荒れるので胃薬も付けられた。
こうなると、機械の修理費と変わりない。どんな症状であれ、必ず、最低八千円はかかる、というしくみではないか。
これでは、医者の五感は絶対に発達しない。何でもかんでも機械に判断をまかせていては、軽傷でも重傷でもどうでもよい。
これが、経営不振の病院なら、「軽いとは思いますが、念のため、3日ばかり入院してじっくり検査した方がいいと思います」と言う作戦も取れる。
そう言われれば、不安な者は、誰でもちょっと考えてしまう。例え検査しても、治療するわけではないのなら、無意味だ。
ああ、故障してますね、これでは痛いでしょう、、と言って終りだ。痛い、から来たのである。
以前にもアレルギーの検査を受けなさい、といわれた。聞けば四千円かかる、という。結果がわかったらアレルギーは治りますか、と聞いたら、それでは治らない、と言われた。実際には、どれがどれとは言えない、という。食物が原因でも、そうなると、食べていけない食物がずらっと何種類もある。そのどれかはわからないのだ。それなのに、これからは、そのどれも食べてはいけないのだ。それで、受けたくない、と言ったら、その日から医者の態度も悪くなった。しょうがないので、今後の事もあるから、と受けて見よう、と言った。しかし、その結果を聞く前に通院を止めてしまった。あれから何年も経った。
今回は、受け付けから、薬局で薬をもらって帰るまで3時間半もかかった。
まとめてみよう。
とにかく、無理をすれば取りかえしのつかない事になる事なのか、別に無理しても、ただ「痛い」だけなのか、それでも痛みを我慢して続ければ、どうなるのか。ただ単に治りが遅い、というマイナス要因と、その間、「我慢」してやりとげたプラス要因との差が、プラス側に入るのかマイナス側に入るのか、という事でしかない。
例え、検査しても、何の治療法もなく、ただ、治療費がかさむだけなら、検査の必要はないのではないか。
以前、新聞に、ガン検査で、肺癌が発見されても、それは、基本的に早期発見にはならず、死亡率は、大して変わりないから、意味のない肺癌検査への金銭的負担は、検査から外すべきじゃないか、とアメリカの医科大学で発表されていた。
痛み止めなんて、痛みを我慢できない睡眠中以外、さほど必要なものではないのではないか。
楽器を弾くと腱鞘炎になる、と言われた、マイナス要因を無視して、楽器を弾いて来て、人生において大切な20代の修行期を全うして得たプラス要因がある。
人間にとっての幸せは、ただ、ただ、そうしたマイナス要因に怯(おび)え、長生きする事ではないだろう。
医者は、個別にまったく、思考されていない、「あたりまえ」の治療法に患者が従わなかったからと、ふてくされ、もうこれ以上何のアドバイスもしてやらないからな、と、そのエゴ丸出しの態度を「正義」とするのは傲慢ではないか。
私は、練習嫌いのなまけもののためのメソッドを作り出すのに、あれこれと工夫して来た。そしてその「最低」の条件を都度々さらに「最低」にして来た。それが、アドバイスというものだ。どの辺までの人間を受け入れるか、である。
「とにかく、土日しか練習時間はないのです。それでもプロになりたいのです」という類の生徒である。
なのに、現在の医者は、そのあまりにも「あたりまえ」の、傲慢で、何の思考も見当たらない治療法の「正義」を振りかざし、手を使う職業を止めない腱鞘炎患者は、阿呆で何のアドバイスもそれ以上するに値しない、としている。
これは、子供の要求だ。
プロなら、その人にあった状況を考慮して、それに則したアドバイスをしてやるべきではないか。
これが「大人」としてのアドバイスではないか。
理想をかかげ、それに従わない者は、どうなってもよい、とする態度は、今まで、正義の名のもとに、言いたい放題を言って育って来た証しである。
何?一日8時間も練習できない?
そんなら楽器を弾いても無駄だよ、、とする論法が、いかに、新しい、画期的な教育メソッドを開発して行かないものであるか、という事に気づかないのだろうか。
本当に、医者としての倫理観があるなら、全面的に従わないからと、駄々っ子のように拒否するのは可笑しいであろう。
こうした者でも、どうにかして上手くしてやろう、と考えるのが、本当の「愛」であり、また、職業的なチャレンジではないのか。
この痛み止めを飲めばいい。
「でも痛み止めってのは、基本的に「痛み」の感覚をにぶらせる事ではないでしょうか?。という事は、「眠気」も起こると言う事でしょうか?私はタクシードライバーなので、それは困ります。」
私の言う事が聞けないなら、もう来なくてよい!
と言うのが現在の医者状況である。そうか、タクシーを運転しながらでも飲める薬かあ、、と言った思考法に未来はないか。どんな状況の人も見捨てず、それぞれに合ったアドバイスを考えだそう、とする事に、愛の真髄はないか。
最善の方法に従わぬ者を排除するのは、まさしく、傲慢に育った証しである。実に、「ガキ」が多い世界であり、思考停止とも言える状態である。
人は、それぞれの「業(ごう)」によって死がやってくるのであり、医者は、少しでも、その「業」を延期してもらおう、と悪戦苦闘する事に、深い、愛情があるのではないか。
私の主張は、傲慢な育ちをした彼等の中からは、まったくの賛同者も生まれて来ない意見では、ある。
彼等が、まだ、自分を「商人(あきんど)」とは認めていない、からである。
したがい、「誠(まこと)」がないのである。
接骨医は、商人であったから、「これでは商売にはならない」と、治療を拒否したのである。
PS:この複雑な一文は、貴重である。
9月15日(日):日記にタイトル付ける。山下、沖縄ソロコンサートCMと篭城事件とロシアより愛を込めて。
今日から、全日記の日付けに簡単なタイトルを付け、後で、検索しやすいようにした。
右膝の痛みもさほどなし。リハビリのため入念に柔軟体操。右膝をひねらないように両足を開脚、股割して床に胸部を付けてしばらく静止し、考え事をする。試しに捻りを入れて見る。大丈夫。患部を直接どうにかしなければ問題ない。
午前1時から30分、テレビで、今度9月23日にソロ.コンサートで来沖する、という山下洋輔氏の「ニューヨーク.トリオ」のライブ.コンサートを見る。山下洋輔が、沖縄に来るようになって25年以上経ったであろう。「ジャズボックス」時代の我部(がべ)氏が呼んだのが始まりだ。それから何かにつけ、ジャズボックスで演奏したはずだ。
あれから大分、時を経た。これほど大きな扱いで、これほど大きな会場でのコンサートはかつてないだろう。昔、デビュー前のタモリが司会と漫談で、ちょっと大きめのコンサート会場で山下トリオは、演奏した事がある。1978年頃か。タモリの話しが可笑しかった。名古屋には文化がないってネタの頃だ。
今回は、まるで外タレのコンサートのような扱いである。いつもいつもライブハウスでの演奏だったはずだ。もう2ヶ月近くも前からテレビで宣伝している。突然、何が起こったのだろうか。何と言ってもこれだけの宣伝力にかかれば、満席じゃないわけはないだろう。当日は、どんな人間が観客として集まって来るのだろうか。共演の依頼以外、聴きに行く気はなし。って言うことは、生涯、生で聴かないつもりか!
要は、CDが面白いか、面白くないか、でしかない。どんなにパフォーマンスをしても、「音楽」と対峙するのは、こうした時でしかない。普遍の「思考」「感覚」を記録したものなのか、ただ単に、「汗をかく」ために、展開していたのか、は、この時、判明する。浅ければ、繰り返しの聴取には耐えられない。天から自分を見下ろす眼がないのだ。ただ、ただ、夢中にその場かぎりの「仕事」に没頭をしているのだ。たぶん、アルト.サックスの梅津和時氏も山下氏もパフォーマンスは好きだが、あまり音楽をじっと聴くのは好きじゃないのだろう、と長年思っている。常に、演者としての自分がそこにいるのではないか。音楽を愛している良き聴き手というイメージはない。何となく、コンサート、ライブの類が、、、ひと仕事終える!って感じだ。
午前1時30分頃、NHKのニュースで、福岡の篭城(ろうじょう)事件で人質となっていた小学生、9才の女の子は、刺殺された、と報じていた。
警官が、突入する以前に、既に刺殺されていた、とニュースは言っている。犯人は、36才の男。離婚した妻子に会わせろと篭城した親戚筋の者らしい。甥や姪を人質にした、とか言っていた。
一方、民放では、80才を過ぎて再会した日本人の老人とロシアの老婆のドキュメントをしていた。50年も共に暮し、ロシアの老婆は、日本の妻の元へ、老人を返す事を選んだ、という。愛していれば、彼の一番いい方法を選択させられる、とロシアの老婆は言った。それに、私が50年も一緒にいた間、日本人の妻は、一人でいたのだから、、と。お互い、高齢のためこれが最後の対面となろう、としていた。
今は、すべての番組が終り、NHK:12CHの教育テレビの深夜のBGM番組「映像と音楽」で、大貫妙子がずっと唄っている。時折、彼女の歌が、CD1枚分よくかかる時間帯がある。
(NHK:2CHでの深夜「映像散歩」とは、別。私の中では両者は、ライバルだ。深夜は、両者を音楽の好みで切り換えている。)
今日も一日が終る。
最近、睡魔がひどく、眠気覚ましに日記を書いていると後半、もう完全に、瞼が重く、思考も停止状態に入る。
その時は、患部をペンで突いて、「アガア〜(痛い!)」と目を覚まさせるのだが、またすぐに睡魔が来る。そういうわけで、この頃は、早く寝るので、早起きだ。早起きと言っても朝起きたら、まだ朝だったってだけだ。普段は、朝起きたら昼かな?って程度だ。
本当は、あまり早起きしても困る。昼食に出かけようとしてもどこもランチ.タイムで満席だ。昼食は、各新聞2紙、スポーツ新聞2紙、を読みながら、というのが最高のフルコースだから時間がかかる。
当然、こうした新聞全紙を置いていない食堂へは行かない。昼食代に新聞代も入れているからだ。元を取ってやる!って勢いだ。全新聞代で¥400分くらいは、毎日浮かしているんじゃないだろうか。
だから、ランチ.タイムは、新聞を誰かが読んでいたり、読み終わっても新聞を棚に戻していない奴がいたり、最悪な「相席」があったりで嫌いだ。
そんなこんなで、今日は、振替休日だから、もしかして空席があるかな、と思い近所のマンガ喫茶へ。
いつも行く、小さな定食屋は、この時間は、完全に満席でダメだ。
この定食屋も当然、新聞全紙が揃っているのでほとんど毎日そこへ行っている。
以前、たまたま30分ほど早目にそこへ行き、新聞を読みながら食事をしていたら、座敷きの方に週刊誌を読みながらそばを食べている、私とまったく同じような口髭、顎髭で、野球帽を被った、労働者風のアメリカ人がいた。ここで外人を見るのはめずらしい。しかし、どっかで見た風貌ではあるな、と一瞬、頭をよぎったが、気にせず夢中で新聞を読んだり、定食食べたりしていた。
突然、そうだ!、思い出した、と顔を上げたら、もうそのアメリカ人は帰った後だった。ダグラス.ラミスだな。そんな定食屋だ。ここも開拓した秘密の場所だ。おばさんが2,3人ばかりいるが、沖縄らしく、愛想がない。会話をした事がない。ありがとうございました、の声も聞こえるか聞こえないか、だ。いつも行く店は、こんなんが一番だ。新聞に集中できる。
そんなわけで、この時間は、席がない小さな定食屋を止め、大きなマンガ喫茶にした。
かなり満席に近い状態であったが、テーブル席が空いていた。
途中、次々と客が入店し、店の女性従業員が、近くのテーブル席なんかに「相席いいですか?」と聞いたりしていた。
自分の所へ来たら、何と言おう、と考えていた。
思いきって「相席したら定食代を只にしてくれるんか!」と言おうかと思ったりしたが、まあ、ランチ.タイムに来て、テーブル席を一人で占めているのも悪いな、という気持ちもあったのでやめた。
止めたけど、思いっきり、怖い顔をして、苦虫も噛み潰したようにして、貧乏ゆすりもして、新聞もテーブル一杯に拡げ、身を乗り出して相手側の席まで頭一つ出したりしていたので、自分の方に声をかけてはこなかった。
しかし、同じようなテーブル席に座っていた若者が、相手席まで足を投げ出して、マンガに夢中になっているのを見ると、コイツガ シンデモ、カナシクハナイナ、ジブンデハ、コロシハシナイガ、、と思ったりした。
そうこうしている内にランチタイムも終り、客足も切れて来たので、普通の人間に返る事ができた。
こんな時、長野県知事の田中康夫氏のようにクマのぬいぐるみでも持参して、相手席にお座りさせてみては、どうか、と一瞬、アイディアが浮かんだが、キャラクターの年季が違うな、と思い、この手のブレーンストーミングは止めた。
さて、今日は、マンガを読もう、と言う事に決めた。何を読もうか、と考えたら、突然、「あづみ」という名が浮かんだ。
そうだ「あずみ」を読もう。あの、「石垣直角?」や「がんばれ元気」の小山ゆうのマンガ「あずみ」だ。
私は、「がんばれ元気」と同じような人生を歩んだ。
私は、この「あずみ」に、マンガ道の必殺技、「寝かし」をかけた。あれは、1995年の事だから、もう七年も前になる。出たばかりのコミック第1巻「あずみ」を読んで、よしこれは、すぐに読まず、ある程度の巻が出るまで「寝かしておこう」と考えた。
これを「寝かし」と私は、呼んでいる。この技が使えるのは、マンガ道でもかなり使い手だ。どんなに流行っていても、絶対に手をつけず、ある程度の量が揃うまで、無視しておくのだ。この「寝かし」の技をかけたマンガは、まだまだいくらもある。どうせ私のような人間は、流行りの物なんかにいちいち手を出さなくても、常に、時代の先を予感しているから無用な事だ。
こうして「あずみ」を七年、寝かしたわけだ。いわば「七年物」だ。七年の内に、「あずみ」は、26巻に成長していた。
辛抱たまらん!ああ、これからは、「あずみ」と共に生きる日々が待っているのだ!
というわけで、「あずみ」を読んでいると、携帯が鳴った。
米軍基地で消防士をしている生徒から「今日のレッスンは、行けません。女房がお産で入院しているので、上の子のおもりをしなきゃいけないんです」と来た。今日は、団体授業が午後9時からスタジオである日だった。
元々、子供がいる事もわからなかったが、また、新たに生命が誕生する、という事も聞いていなかった。
私が「あずみ」を読んでいる間にも、世の中は、同時並行で、様々な人生が進行しているようだ。
私は、このまま「あずみ」を読んでいていいのだろうか、、、と一瞬思ったりしたが、すぐに電話の事を忘れてしまい、「あずみ」の第8巻を読み終えていた。
今日は、これくらいにしておこう、と「あずみ」に後ろ髪を引かれつつ、お別れを言い、レジへ行くと、「1時間のオーバーですから¥180の追加料金です」と言われた。
財布を開けると、千円しか入っていなかった。
ランチ代¥700と追加料金の¥180で、¥120のおつりをもらった。
店を出ると、まだまだ、日射しは強かった。
様々な人生があるなあ、、と、ためいきをつく。
様々な人生とは、「あずみ」の事である。
家へ帰って股割でもするかあ、、とスクーターに乗った。
私は、久しぶりに、私が怖くなった。
午後3時から11時近くまでレッスンのため世の中の事がわからず。
午後10時54分からの「筑紫哲也NEWS23」30分延長版を見る。
拉致された日本人の8人が既に死亡。4人生存。
地元の夕刊では、日朝首脳会談は、沖縄の基地縮小問題とも関連がある、としている。国交が正常になれば、「北朝鮮からの脅威」がなくなり、アジアの平和を守るため、、とされる米軍基地の役割が一つなくなるわけだ。
9月18日(水):日朝首脳会談翌日、PS:フーテンの寅さん小考
今日は、遅い昼食を取りつつ、新聞全紙を読み終える。妙な気分。論は、既に、頭の中にできあがっている。必要であれば掲載するが、あまり活字として遺したくない話しになる。成り行きを見る。それまで、ノーコメント!
気分転換に、「あずみ」第12巻をマンガ喫茶で読み終える。こうした時のために寝かしている。
とりあえず、私の、作品集、第4集でも聴いて過ごしたらいい。あれには、色んな「想い」が込められている。あれは、不滅だ。時代の「流れ」から外してある。怪獣の叫び、と言う者もいるが、俗物は、聴かなくていい。おのれらの人生は、どうでもいい。傲慢極まりない。
PS:フーテンの寅さん小考
「フーテンの寅さん」がわからない、という日本人が増えている、という。じゃあ、彼等は、フランス人らしいか、と言えば、そうでない。
極めて、傲慢で、閉鎖的で、非国際的な、ド日本人連合だ。立ち振るまいは、フランス風を気取る。(あれ、やっぱりフランス人かな?)
じゃあ、国際的とは何か、、西洋人の友達がいる事?
んなわけない。錯覚だ。
どこから見ても、今の時代、ド田舎者が、西洋人の友達を欲しがって迎合している。
説教できる事だよ。そりゃあ変だろ!って、理路整然と、説教できる能力だよ。
な〜んも言えないくせに、へらへら笑って、自国を売って、うっとり目つきで、おもてなししゃーがって。な〜にが連帯感だっつうのおおおお。
な!そうだろ、ジョージ!、メアリーもそう思うだろ、ね、ね?
ゴメンナサイ、、ナ〜ニヲイッテルカ、サッパリ、ワカリマセ〜ン
えへへ、、。
33:朝鮮人と沖縄人 (15:番外アメリカ.テロ事件あれこれの考察日記 )
今日から授業を録音したい、という「若者」の生徒が、やる気を出したので、よし、回しておけ!と、「おまえは不器用だ!」「おまえは不器用だ!」と、呪いのように何度も繰り返し言い、罵倒し続けた。
面白いから、このテープを教育委員会へ持って行け、と言った。
彼は、これを気に入って、帰りの車中で、早く聴きたい、と帰って行った。
修行人は、マゾでなくてはいけない。
罵倒されれば、されるほど、「快感」とならなくては、一人前ではない。
プライドだとか、そんなもんは、身のほどを知らない者が、いっぱしの権利を要求しているものでしかない。
本当に、力があれば、黙って人知れず、物事は、解決できる。
力がないから、解決できないのであり、解決できないなら、マゾにでもなって、一生いじめられる快感を感じて生きればよい。
力もない「奴隷」が反乱を起こしたらどうなるか。
それが、嫌なら、力をつける日々の修行をして、逆らって見てはどうか。
そんな修行もしたくない、しかし、自分は、不当に扱われている、という主張は、ちょっと虫が良くて、甘えすぎではないか。
9月21日(土)彼岸:「住基ネット」を語る:PS:「ゴーヤ」と「めんそーれ」
住基ネット?
元々、民が、一人の言論人を、国家に逆らって擁護(ようご)した事があるか。みんな、投獄されたではないか。民衆とは、そうしたもんだ。じたばたせず、覚悟を決めて「正義」を主張すればいい。自分の身に何か起こった時、彼等が、命を張ってくれるわけがない。
いくら呼び掛けても、「道連れ」は、作れない。
まず、ホームページなんぞやっている者が、住基ネット云々できるわけがない。自分から自分の情報を売っているではないか。
また、別に、取るに足らない、何の影響力もない一市民が、一体、どういった情報を漏えいされて困る、というのか。いちいち、そんな者には、誰も興味を示さない。ホームページでいくらアピールしてもみんなが関心を示すわけではない。「いいよ、おまえの情報は!」と吐き捨てられる。
国が一市民の情報を管理する?
ストーカーに利用される?
本当に、目をつけられたら、逃げられないのではないか。それに、ストーカーの知りたい情報は、もっとマニアックなものなんじゃないか。文書化されているものなんかじゃなく。タンスの2番目の引き出しに、下着がある、、とか。
「空巣狙い」は、毎朝、告別式の欄を見て、留守の家を見つけるらしい。この親族の家は今日は留守だなって。
誰もあなたには、関心ないって。自意識過剰!普段から別に、何も言ってないんだから、何を隠したいって言うのさ。国が管理するってね、徴兵は、逃げられないんだよ。あれは、逃げても、隣人が密告すんだよ。あそこの家の子は、徴兵されてないってね。勝手に、まわりが密告して国に知らせるんだよ。
都合悪いってのは、何か、ヤバイ事を隠している奴でしょ?。脱税とかね。
言論人が訴えてるのは、自分だけ投獄されるのが嫌だからなんだよ。それで、別に、大した情報もない一般人を巻き込んで自分の援護をしてもらいたいってわけだ。
本当に、いざとなれば、大衆は、みんな我身大事さに、みんな知らんぷりだからね。これは、歴史が証明しているね。
もし、私が、住基ネットに反対する、としたら、何で、役所の人間だけが、芸能人やアイドルの情報を知る事ができて、自分は、できないのかって一点からでしかない。くやしいね。彼等だけ見れて、自分が見れない、「芸能情報」があるってのは、許せないね。彼等だけが、芸能人、アイドルの住所知ってるってんだから。
この点を強調するなら賛成だ。でも、これは、完全な嫉妬で、彼等は、役得だ。
これだけ物言ってる私が、気にしてないのに、何も言わない人間が、一体、何を気にするってんだ。自分の情報は、一切、知られたくないっての?電話帳には、住所出ているよ。金持ちは、「会社四季報」見れば出てる。時折、長者番付も新聞で出る。
とにかく、普段、何の関心もない者が、住基ネットの事言い出して、いかにも国家権力と闘ってますって、流行に乗るのを見てると、何事なんだろう、と思うね。
とりあえず、住基ネットの問題は、こんな所に秘かに書いておく。あまり、堂々と書くと、住基ネット賛成って思われてしまうし、また、こうして書くだけで、住基ネット反対運動をしている人間たちを否定してしまうって事にもなるから。要するに、どっちでもかまいやしないんだ。どうせ、投獄されるのは、一人だけなんだから。
こうして投獄された人たちの獄中手記でも読んだらいい。あるいは、崩壊前のソビエト連邦でもいい。国家の管理なんかじゃないよ。
みんな「密告」だよ!
私の場合は、たぶん、あいつらとあいつらだな。だって、あいつら、権威主義の固まりだもん。国家が認めたもの以外は、何の価値もないって思っている上に、それ以外の物の価値も自分では判断できない者ばかりなんだよ。そいつらが、次の世代の教育をしてんだから、勝てるわけないでしょ。あいつの音楽は、大したもんじゃない、偽物だ!ってね。
今のアメリカのふんどし担ぎばかりしてる、幇間(ほうかん)のような人たちさ。こいつらに決ってるじゃない。すぐに密告して国家の手先になる奴等はさあ。今は、住基ネット反対って言ってる方が、多数派だから、加わってるだけさ。彼等に一貫性はまったくないね。何の矛盾も感じない人種だからね。ああ、やっぱりってなもんだね。
まあ、もちろん、ちゃんと「自分が危ない」ってんで反対してる人たちもいるって事は、念のため言っておこう。これで「住基ネット」は、ノーコメントだ。じゃましてるわけじゃない。どうでもいいんだ。本当にすごい情報は、意外な所から流出するもんさ。例えば、あなたが忠誠を誓っている「会社」からとかね。
PS:「ゴーヤ」と「めんそーれ」
そんな事より、突然でなんだが、前々から気になって仕方がない。
苦瓜(にがうり)は、「ゴーヤ」ではなく、「ゴーヤー」と語尾を伸ばしてもらいたい。しかも、アクセントは、「ゴー」「ヤー」、ともに、同じようにアクセントする2音節の言葉である。いくぶん、第2音節の「ヤー」が、強い感じである。音の高さは、まったく同じ。
全国で有名になってから、よく聞くのが、「ゴー.ヤ」で、しかも、最初の第1音節の「ゴー」だけにアクセントがおかれて「ヤ」が弱くなっている。音も「ゴー」より低目である。これは、まちがいだ。
これでは、まるで「爺(じい)や」と同じ扱いだ。ぜひ、「ごおやあ〜」と発音してもらいたい。ゴーヤーの気持ちに成り変わって代弁しておく。
沖縄語は、大体、こうした2音節に分けられ、語尾を伸ばしている、と思えば、よい。(「ナイチャー(内地の人=大和人)」)
昨日、このまちがいを、学術的に指摘した琉球大学教授の投稿を新聞で読んだので、ああやっぱりな、と納得。(沖縄タイムス9月20日朝刊)
また、「めんそーれ」では、なく「めんそーれー(いらして下さい)」だ。正しい表記をしよう、という主張だ。
ちなみに、苦瓜(にがうり)を食べているのは沖縄ばかりではなく、大分県にもある、と9月5日の台風の日に「美味しんぼ」(第71巻:日本全県味巡り;大分編3、P61-65、大平洋戦争の頃から、、とある。)を読んでわかった。
*今日は、まずいラーメン定食を食べた。味がダメなら量で勝負って感じだな。わかってて行くのだけど、「まずい店は中々つぶれない」の法則で、長年持っている。
3-3:新聞記事:うちなーぐちの表記は正しく(執筆文整理整頓)
久しぶりに、いつもの、日曜日毎の秘密のマンガ喫茶に行ったら、靴を脱いで、スリッパを履く、という規則がなくなり、「土足OK」になっていた。そろそろ経営があぶないな、と感じる。アイスコーヒーが¥350なのだ。マンガ喫茶だというのに時間無制限。延長料金なし。
しかも、¥500では、飲み物は、飲みたい放題だ。別にそんなに飲みたかないから、ありがたい、とは思わないが、、。店内には、高校生らしき男女のグループがそれぞれ3人ばかりいる。
午後6時からは、レッスンなので、あまり長居もできない。「あずみ」をチェックしたら一応26巻あった。新聞、雑誌、アダルト週刊誌で、手一杯で、時間切れ。
外に出ると、いくぶん風も肌寒く、そろそろ秋の気配。秋が来たら、どっかでたき火をして、焼き芋でも食べなければいけないな、と思う。たき火と言えば、渡哲也だ。
子供の頃、読んだ事がある。休日には、たき火を眺めたりしている、と何かの本であった。え〜と、あの本は、、、、多胡輝の本だったか。私のストレス解消法、というようなテーマだ。またしても、どうでもいい事を思い出してしまった。
スクーターに乗っていると、ちょっと早めの秋の風に、少し、胸がキュンとなる。ずいぶんと色んな事があったなあ、とふと思う。色んな経験を積めば積むほど、秋の風は、切ないんだな。
やがて、本格的な、秋が来る。公園のベンチに一人腰かけ、夕日を見てたりすると、あまりにも似合いすぎるので、それだけは、止めよう、とは、思う。すべては、成り行き、でいい。
夢はある。
たまには、夕暮れ時に、知らない土地の呑み屋で酒を呑んでみたい。もう、何十年も、忘れてしまった暮しだな。しかし、これも、似合いすぎる。
9月23日(月):「非戦」、現状まとめと沖縄バカ騒ぎ総括、CD売上中間報告、広告のコツ、コンピュータ.ミュージック、相席問題、お仕事セッション
坂本龍一氏が、テロの事を書いたら一晩で何万件ものアクセスがあったらしい。それで、非戦?とかいうタイトルの本も売れた。本屋の新刊コーナーに積まれていたので、パラパラとめくって見た。とにかく、有名なミュージシャンがメールで一言三言、「戦争はいけない」というコメントが最後のページまで列挙されていた。
これに、ダグラス.ラミス氏が、今、沖縄があぶない、と書いて、原稿を没にされた。今、そんな事を掲載すると沖縄観光が増々悪化する、というのが、編集社の主張だ。
しかし、テロの事を書いただけで一晩に何万件、というのもすごい。私は、ゼロに等しい。CDを制作しても、近所のぜんざい屋の若者バンドは、1000枚くらいしか売れない、とボヤいていた。
私が、私のCDを1000枚くらい売るとしたら、後、500年は生きていないと無理だ。1年に2枚づつ、、の計算だ。それくらいは、何とかいけるかもしれない。しかし、これもあやしい。
スタジオの友人は、プロと称している人間の内で、一番、CDが売れない人間ではないか、といい、これはギネス.ブック級だ、と言っている。しかも、買ってくれるのは地元人間ではない。近所のおばさんでも、CDを発売して、2日目あたりでは、現在の私を超えるのではないか、と思う。
こうなれば、すべてこの線でギネスでも狙おうか。しかし、こうしたワースト記録という点では、意外に私を超える事は、むつかしいはずである。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌の取材も受けた事がない。しかし、毎日のように、これらのメディアからは、阿呆同然の地元馬鹿騒ぎ音楽集団の情報が流れている。毎月、必ず、何かしらの話題で出ている者もいる。
昨日までは、ミュージシャンだったが今日からはグラフィック.デザイナーです。昨日までは、カメラマンだったけど今日からはミュージシャンです、、とか、やたらと出て来て、今こうしている、明日はああしている、という記事が出たり、ローカルなテレビ番組に出演して報告していたりする。
他の都道府県でもこんな状況なのだろうか。まるで、何かの陰謀ではないか、とも思えるくらいだ。
しかし、まあ、こうした活動は、何かの「コツ」があるのではないか、とも思う。類は友を呼ぶ、の類ではないか、と思う。私の「類」は、皆無である。こんなサイトをやり出してから、自分はミュージシャンなんだろうか、と疑い始めている。
長年、そうした宣伝付けの日々が続くと、こうした活動が、どうでもよくなるものだ。あの中に入るくらいなら、これでいい、、という感じだ。ボヤいてばかりいるが、ちっとも何もしようと思わない。どうせ、何かの「コツ」があるんだろう、と思っている。
アメリカからも「あなたの音楽はすばらしい。その話題は置いといて、ぼくの音楽も聴いてくれよ」と言ったメールがやってくるのだから、物を売るには、「コツ」がある、としか言いようがない。
ライブハウスは、客が入らないおかげで、ライブハウスの扱いも悪くなり、演奏する気もなくなってしまった。今や、毎回、学校中のお友達を呼んで店を満席にしてくれる高校生ミュージシャンこそが、神様で、私なんかは、貧乏神が来た、と後から塩でもまかれていたんだろう、と思われる。まあ、おかげで、音楽とは、無縁な日々を生きる覚悟はできた。
テレビで夜のワイドショー番組を見ていたら、コンピュータ音楽の申し子とでも言うような感じて扱われている歌もの系の新進のアーチスト男が、「これからは、誰でも作曲ができ、簡単に音楽を作れますからみんなチャレンジしたらいい」とコメントしていた。
何やら、自作の歌に伴奏も一人でコンピュータ相手に完成させ、大手の会社に認められ、プロデューサーの地位も得た男らしい。
これからはコンピュータ音楽の時代、、なんて、たぶん、100年遅れている、と思う。私の中では。盗作合戦の時代ならわかる。
こうして、たまに、これまでの経緯を繰り返して述べないとやっかいだから、記しておく。
マンガ喫茶で、「相席させていいですか?」と聞かれたので、「ダメだ!」と答えた。いくらテーブル席だからって、小さな2人掛けのテーブルである。まわりの4人掛けのテーブルを一人で占拠している者には、声をかけなかった。だから、一体、「誰のために」相席しなきゃいけないんだ!
ただ単に、飯食って帰る定食屋でもない、「憩いの場」である。高めの料金は、雰囲気代でもあるはずだ。相席が常識ならテーブル席に座る客の前にあらかじめ断り書きして提示しておくべきだ。ようやく空いた席が、2人掛けのテーブル席だったから、これくらいなら大丈夫だろう、と腰かけたというのに。おかげで、回りからは、ヒールな客になってしまった。しかし、私から見れば、店側や、ずかずかと平気で腰かけて来る連中の方が傲慢だ。
これでは、リラックスする場も「即物的」な欲求を満たす場になるだけである。傲慢極まりない「正義」の要求である。もちろん、私だって、即物的な欲求を満たす場では、相席もかまわない。いっぺん、どでかい声で、「おまえら何のサービスもした事ねえのに、何が相席だ!オレに何の得があるんだ!料金を半額にするかあ、おまえらが儲けるのに都合がいいんじゃないか!」と言ってしまおうか、とも思う。
これは、「相席」という概念がT.P.Oを無視して振りかざされたのである。
これを「拒否」するだけで、「悪人」のレッテルが貼られてしまう、という、実に、傲慢な正義である。リゾートホテルで演奏していながら自然を保護しよう!と訴えるミュージシャン連合そのものの主張と同一だ。
友人は、「いや、後から一人来るから」と言えばいい、と言うが、この辺の方便を使うかどうかがむつかしい。一向に、主張が通らないで、根本的な改善がなされないからである。まあ、しばらくはこの手でお茶を濁してもいいが、、。むつかしい問題である。他国ではどうか。人恋しい奴なら大歓迎なんだろうが、私は、そうでもない。とりあえず、「あ!相席嫌いの客だ」と女店員たちに囁かれるヒールな客として暮しておこう。毎回、こうした問題と闘うのも疲れる話だ。
こうして、私は、何から何まで、普段から考え尽くした行動を常に取っているわけだ。大概のどうでもよい事は、考え尽くして来たので、いったん結着がつくと、もう悩まない。さらに、結着をつけたからと言ってそれを必ずしも守る、という事もない。後は、成り行き次第で反応するだけだ。
昔、アルトサックスの梅津和時氏と1回だけここ地元で演奏した。客は、酔っぱらいが500名ばかりあちこちにいて騒いでいた。大会場のビヤホールだ。飲み放題、食い放題のシステムだ。今から7,8年くらい前だろうか。
アドリブは、スケールが1本で済む「テイク5(アドリブの際は、サビなしの一発ワン.コード形式)」と「A列車で行こう」くらいしかできないジャズ.アルトサックス奏者のポール石垣氏のバックバンドとして出たわけだ。現、沖縄ジャズ協会の副会長の地位まで上り詰めている(ああ、些細な事だが、音楽でダメなら後は肩書き、権威性だ。)おっさんだ。彼以外のメンバーは、いつものメンバーだ。西川勲(b)、仲本正國(p)、ラスティン(ds)だ。
こうしたコンサートの演目で、バンマスのポール石垣氏は、「サテン.ドール」「A列車で行こう」といった曲を選曲した。バラードは「ミスティ」である。もちろん、おいしい「メロディ」パートだけは自分が吹く。まるでキャバレーでの選曲だ。怒った私は、ある曲は、破壊し、ある曲は、アドリブを拒否した。こんなバンマスのバンドでしか仕事が来ない境遇を呪ったものだ。
そうしたわけで、私たちの4人が今度は、梅津氏のバックも担当する事になった。どうせメインは、氏がゲストで呼んだ、お気に入りの大物、男性沖縄民謡歌手だ。「沖縄を返せ」と唄っていた。私は、アメリカ人とのハーフの西川氏に「沖縄を返せ」と楽屋で言ったら西川氏は、「オレも返したかったんだけどなあ」と言った。梅津氏は、黙ってその会話を聞いていた。
まあ、西川氏も仲本氏もジャズボックス時代から氏とは共演を重ねている関係で、梅津氏とは、私が初めてである。氏からすれば、見た事もない得体の知らないギタリストが一番いばっていたわけである。しかし、私にすれば、実は、これが初対面ではない。東京で、何回か、自分から声をかけた事もある。だからどうでもいい、と思っていたわけである。私の行動は、すべて怨念からの意味がある行動である。
前半の楽器だけのインスト演奏の際、氏と私がアドリブのかけあいとなった。しばらくやりとりして客が湧いた。すると今度は、氏が狂ったように吹き捲くって、私の番だ、と振った時、私は、これを無視した。まわりも私が狂ったように超早弾きで答える事を期待していたが、失望させた。
私にしてみれば、いいんだ、そういう日本フリージャズ戦法は、という反応だ。音楽は、もっと理性を要する、緻密なやりとりだ、と思っていたからである。私がヨーロッパ人なら、氏は、そこから学んだはずであるが、私が年少で「格下」の南国の僻地の無名ギタリストであったから彼は怒った(と思う)のであろう。おまえも狂え!と言われて狂う奴はいない。Oh! My God!である。「仕事」の仕方の違いでしかないのだが、、、。天性の感覚で生きている私を、団塊の世代は、もう少し尊重した方がいい。誰でもかれでも競争して勝てるものではない。
信念を貫き通すのも疲れるものだ。私が気負い負けして、無意識にそんな反応を取るわけがない。
もちろん、あまりにもお決まりの演奏スタイルで「ライブ」までしてしまう共演者に怒り、突然、マイクスタンドを蹴飛ばして倒し、これをボトルネックにして暴れた事はある。この頃からサイドメンで私を使う連中は限られて来た。
いずれにせよ、衝動的か理知的か、いずれの方法を取るにしても、結末は、すべて同じ、というのが、不可解な点ではある。孤立無縁。思考する事は何の役に立つのであろうか。とりあえず、それも思考してみよう。
誰も読んでない事をいい事に様々な教育産業の内緒の話しを暴露しておこう。ちょっと、あまりにも敵は巨大なので、こんなには相手をしていられないから、こっそり述べておく。遠慮してなかなかストレートには言えない事だ。
まず、録音のミキサーになりたい、と専門学校へ行く者がいる。しかし、卒業しても何の仕事もない。学校では、何千万円もする機材の操作の仕方の基本的な所を教えて終るのだが、それは、単に、錯覚でしかない。根本的な「耳」が作られていないのだから何の役にも立たない。学校では、これは一流のスタジオでも使っている機種のミキサーだから、これを操作できれば、一流のミキサーになれる、と教える。ミキサーの善し悪しは、機材ではない。また、こうした高価な機材の電源の位置を覚えたからとどうなるものでもない。また、どこのスタジオにも設置されているわけではない。
これは、レーサーになりたいから、と超高級スーパーカーの操作を教えるのに等しい。これがスターターで、これがハンドル。右にまわせば右折する、と教えるようなものだ。
実体は、もっと凄い。そこで教えている講師というのは、実践のミキサー経験がない。実際に営業として録音を担当した事がない。あってもどうでもいい録音経験だ。つまり使い物にならない。おそらく、この未経験の講師もまた**専門学院といった学校を卒業した者なのだろう。そして、いかに自分が通用しないか、そして仕事もないか、という事がわかり、今度は、教育産業の方へ回る。
こうして、どこもかしこも実践経験のない講師陣の誕生となる。この地にも「ジャズギター科」「ソロ即興演奏科」と言った教室があるらしい。誰がやっているかは、さっぱりわからない。
おそらく、学校を出た者が、学校の講師となり、そこの学校を出た者がまた学校の講師となる、といった具合のリレー伝言システムで誕生した、何の実績もない連中だ。実際に彼等が教えるのは、やはり機械の操作であり、それもちょこちょこと覚えた程度だ。後は、何と、「ミキサーの歴史」というタネ本を元に講義して授業時間を埋めている者もいる。ミキサーの歴史なぞ知っているプロのミキサーがいるか?
では、ミキサーは、どうやってなるか?
まず、中学生あたりから、自分で、自宅録音マニアとなって様々な演奏を自分で試み、それを何チャンネルにも振り分けて何度も重ねて録音して行く。最後は、その各チャンネルの音のバランスを取り、2chのステレオ録音に振り分けて、通常のステレオ.オーディオ再生機(2ch)で聴けるようにして行く。これをミックス.ダウン(トラック.ダウン)という。こうした試みを趣味として何千回もこなして行く。つまりトラック.ダウンしたカセット.テープが何千本もある、という事だ。これを経ないから学校を出ても通用しないのだ。絵はまったく描いた事がない者が美術学校へ行くようなものだ。
こうして、音のバランスを感覚として知っておかなくてはいけない。すべては「耳」である。機材ではない。したがい、ミュージシャンとして一流なものは、すべてその条件を満たしている事になる。アメリカでは、ミキサーの方がミュージシャンより楽器は上手い、という実体は、頻繁にありうるらしい。
こうして、本当の実力を身に付けたら、後は、お金を溜めて、自分でスタジオを作って性能のよい安価な機材を揃え、開業して終り、である。後は、その評判ができるまで、客を待てばよい。自信があるならサンプルを作り、配ればよい。これで終りである。
あるいは、どっかのスタジオに行って、勉強したいから只で手伝わせてくれと、その仕事の手順を学べばいい。教えてくれるかどうかはわからない。しかし、学校は、まったくいらない。実際、みんなそうしている。沖縄のスタジオは全員そうして乱立して営業スタートだ。碌に楽器も弾けない者ばかりであるから、現状は最悪である。各楽器のバランスが異常に悪かったり、お風呂場状態のリバーブ、エコーである。場末の安スナックの空オケの世界である。
優秀なミキサーは、アレンジまでこなせるミュージシャンでもある。最低なミキサーは、大手の音楽会社に就職して成り行きで録音係りに配属され、いつのまにかミキサーになった者たちである。当然、楽器も弾けないし、アレンジなんてとんでもない。ミキサーの能力とアレンジャーの能力はまったく同じである。100人近いオーケストラの団員の一人一人の音量のバランスを取れる、という事は、同様に100人のアレンジができる、に等しい能力でもある。このミキサー分野の日本での一流には、オノ.セイゲン氏などがいる。
この事は、楽器制作専門学校にも言える。卒業しても仕事はない。何の実力もない。本棚すら作れないが、職人気取りである。楽器屋の店員の地位をようやく得て、修理を担当するのがやっとであるが、修理はした事がないからさっぱりで、この点は、他の機械の修理業者と変わりない。修理はできない。部品交換だけである。単品の部品交換は、全体の価格とさほど変わりなくなってくる。
あなたが、ギターなどの楽器職人を目指すなら、まず「家具職人」を目指した方がよい。彼等の技術からすれば、楽器づくりなど大した技術ではない。木材に対しての目利きもできる。その技術の上に、楽器を分解してその構造を知り、電気配線の知識を得ればよい。基礎知識としては、「物理」をかじって電気の知識をつければよい。
そして、実際に試作して、「有名」ミュージシャンに贈ればよい。気に入ったら使ってもらえるだろう。それが評判になれば依頼も来るだろう。職人として成り立てば、何も学校で教える者などいない。一流の家具職人がそうだろう。また、家具職人なら、楽器制作の仕事がなくてもつぶしは利く。
今やもう、横文字の職業のオンパレードの専門学校が乱立し、若者を餌食(えじき)として奪い合っている。彼等の中には、業界とは何のコネクションも実際にはない学校もある。だから講師をしているのである。(講師自身が何のコネクションもない)
私がもし、こうした学校を考えるとしたら、何をするか。例えば、ライブハウスが乱立している、という情報を得るとする。
そこで私は、ライブハウスに人材を送るためのスタッフを養成する学校を設立する。フロア.ゼネラル.マネージャー科(店長)、フロア.メンテナンス.デザイナー科(掃除人)、ライティングクリエイター(証明係り)、ボトル.オープナー科(ビール、ソフトドリンクの栓抜き係り)と言った具合だ。当然、私は、どこのライブハウスとも何のコネクションもない、とする。勝手に始めたのだ。
だから、そこを卒業しても、後は、自分で電話帳を調べ、「仕事ないですか?」と就職活動をするわけだ。そして言うのだ。「ぼくは、ライブハウス専門学校を卒業した者ですが、、」と。経営者は、「はあ?とにかく今は、手一杯だからいい」とだけ伝える。
そこで、就職できない者が集まり、「どうだ?ライブ.ハウス.スタッフ養成学校を作らないか?」と相談するのだ。都心はダメだからもっと北か南なら、まだ生徒もいるだろう、、進出して行くのだ。
このシステムで、得したのは、誰だ?
私だけだ。
そうだ、これは、何の営業実体もない「ねずみ講」だ。
こうして、今、各種専門学校は成立している。その資格を得ても何の仕事もないのだ。宅建主任?情報処理?1級建築士?プロデューサー科?アレンジャー科?ミュージシャン科?CM制作科?コンピュータ.ミュージック科?etc...........etc..........
あまりの巨大な産業に、ここに秘かに書いておく。
まあ、バーテンダー協会がボランティアでやっているバーテンダー科というものでもあれば、それは、正解だろう。しかし、民間が高い月謝を取って、バーテンダー科という学校を設立し、卒業したら勝手に電話帳を調べて就職口を探しなさい、と言っていたらどうだろう?
それとまったく同じだ。
そんな所へ行かなくても、どっかの場末のバーで修行を始めればいい。
あるいは、自宅で作ってみて、あちこちの店へ行って、金を溜めて、自分の店を持てばいい。客が来るか来ないは別にして。
大学の英文科や経済学部と似てるでしょ?な〜んの役にも立ってない人の方が大多数。音大も同じ。卒業してもまったく関係ない世界へと進むか、また音大の犠牲者となる者を「製造」して自分は生き残る。
こんな事をフロント画面で堂々と書くと、もう、ものすごい圧力でもって、またしても、「このサイトを読んではいけない」、となるからここに書く。
親戚、友人、知人に、そんな所へ行くものがいたら、まあ、この一文を読ませる事だ。しかし、否定ばかりではなく、そうじゃない方法も提示してはある。ただ、その方法は、権威主義で育った子供たちでは、実践するのは到底無理で、こんな厳しい道を通るくらいなら専門学校へ行くよ、という者ばかりだろう。
それは、広告、というものの力と、権威主義の教育を受けた、という、この時代に生まれた哀れな結末である。
この一文を読む事を拒否してもかまわない。そこを卒業して、何年かすれば、ああ、本当だったんだ、とわかるだろう。
私は、まあ、若い内は、失敗してもかまわないだろう、とは思ってはいるが、これも22才までだ。それ以降から、またさらにこうした学校へ通ってしまっては、ますますその無力感は増大する。ただ、惜しいのは、その高額な金銭をもっと有効に使えなかったか、という事だ。
これは、まさしく「ねずみ講式」教育産業だ。私は、楽器が上手くなれば仕事がある、などとは言ってはいない。むしろ逆である。
私が言っているのは、楽器が上手くなりたいか、って事だけだ。
以上、とても大きな声では言えない事ばかりである。敵があまりにも巨大すぎであり、職種も無限に近いからである。高校を卒業する若者が、親を説得して、この手の大手の専門学校へ行く。
親は、さっぱり実体がわからないから、そんなにりっぱな「建物」なら、と大学の替わりに許可してしまう。エンジニア学校出たって修理ができないエンジニアの増産だ。
何でもそうだが、勝負は、それからだな。人間社会は、騙されて初めて、目覚めるってわけだ。私は、十分な情報を与えているつもりだ。
読まない奴が、悪い、と常に言っている。とりあえず、私は、忠告しておいたから、これからこの手の問題に何の同情も抱かなくなるだろう。
健闘を祈る。別に、あなたが、有望というわけではない。有望か有望じゃないかって、大体、中学生あたりでわかるんじゃないか?
まあ、ともかく、専門学校でも卒業してからまたの御来店を。その時は、あなたも「ねずみ講式」教育産業に加わっているのだろうか?
やがて、「ラップ科」も生まれるだろう。かつて「ブルース科」「ロック科」が誕生したように、そこに何の違和感も抱かない連中が群がるであろう。(ジャズは、複雑に学問化してしまっている)
日本のフリージャズって、国立の音大出身者が多いんだ。長い間、騙されていた、怨念からなんだよ。知らなかったって?本人も知らないんだもん。あそこへ行ったから、そうなった、ではないんだ。長い間、騙されていたって怨念からなんだよ。だから、理性を拒否するんだよ。もう理性はいい!って言って。理性をもってしても騙されてた過去の自分を消したいんだ。だから、極端に理性を否定する演奏をするわけだ。
以上、質問があるので、一応述べておく。どうしても行きたいなら行けばよい。その真偽は、卒業してから判断すればよい。それから人生をやり直せばよい。本当の実力をつけるには、何もかも一からのスタートでは、あるが、もう少し早くで気づいてほしかった、と毎年思うのである。昨今の主婦、子供間にまで拡がっている空手ブームも同じ。黒帯になったからと言ってもも実際に強いわけではない。火の出るような闘争心のかたまりの前には、ただただおびえて立ちすくすだけである。
また、これは、国内に限らない。海外まで行って、何の役にも立たないのだ。掃いて捨てるほど、その残骸が増産されているのが現状だ。これも命名した「ねずみ講式」教育産業たる由縁である。フロント画面に出せないのが残念である。この一文に出会わなかった事は、日々の傲慢な権威主義を信奉した暮しへの罰(ばち)で、職務怠慢な守護霊が憑いていたのだ、と後年気づいて人生をやり直してほしい。
追記:とにかく、こうした学校出身者で、希望の職種についている者の就職率は、0,000001パーセントくらいではないか?(ほとんど聞いた事がない)。学校卒業者として鳴り物入りで就職したとしても、すぐに、その技量の悪さは評判になり、相手にされない。しかし、実力の有無を問わず、勝手に始めれば、100パーセントに近い。ただし、この次は、失業率に貢献する事となるが、「まずい店ほど潰れない、の法則」で、意外に続いているのが現状だ。
念のため、付記しておくがこの例外もある。しかし、1000人の卒業生がいたとしたら、その内の1人くらいだろう。問題は、こうした業種に誰でもいとも簡単にありつける、と「宣伝」している「ねずみ講」側にある。そして、騙された者が、また、「ねずみ講式」専門学校を主催して、既に廃れた業種に「権威」を与えているのだ。「***の助手の助手の助手の助手を養成する学校」の類である。本当に、繁栄している職種は、命にかかわる事でなければ、学校などない。あるとすればギルド(同業者組合)化された組織の下、統一したメソッドで指導する機関のみである。そしてある一定の修業を終え、すぐに「現場の実習」である。
世の中は、すべて、コネクションであり、最低限の実力さえあれば、後は、どんな人と知り合うか、である。人気バンドのメンバーを見れば理解できるだろう。実力ではない。人間関係である。つまり、これらの業種の大半は、実力社会ではない、という事である。
PS:
調子に乗って「あずみ」を21巻まで読んでしまった。あと5巻しかない。
秋になると、どうも暴露づいてしまうのだろうか。私が、簡単に何でも暴露していると思ってはいけない。それぞれ何年も経っていて、別に、もう何の縁もないな、と思う場合である。
実際、こうして「ジャズ」という音楽を教えて日々の生活の足しにしているのは心苦しいと感じる事がある。私からジャズを習った生徒を不幸にしてはいけない。しかし、これはあくまでも進化度50パーセント以上の生徒の事である。10パーセント以下は、人間修行がまず先である。案の定、人間も既に終っているから私の責任は一切ない。他の教師に譲る。おまえのせいだ。
そこで、何年も思考する。果たして、何のために今、ジャズを学ぶべきなのか、、と。
もちろん、「習いたいから」という生徒はそれで十分な理由になる。
しかし、こうした生徒を待っていては、商売は繁盛しない。広告、というものがある。さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、どう?ジャズやってみない、お兄さん?といった口上を述べる前に、なぜ、今時、ジャズなのか、という大義名分が見当たらないのだ。
そうして長年思考した結果、生まれたのが、私は、アドリブができる事は、かっこいい、と思う、という一言である。
これ以外は、どうも胡散(うさん)臭い。どっちみち営利目的の商売でしかない。
これは、どうも、スワヒリ語(アフリカ)とまではいかなくとも、タガログ語(フィリピン)を学ぶ意義を証明するようなものではないか、と思ったりする。
また、「古典芸能」として教えて、自分で自分の首を絞めるような事をしても意味がない。一日も早くウエス.モンゴメリーのように弾いてくれ、という事を伝えて何の意味がある。印税の5パーセントが入るわけでもない。また、披露されても聴く気もしない。本物のCDを聴いていた方が耳も悪くならずマシである。
こうした事を、考えていると、次から次へと、夢一杯に、音楽専門学校へ通って一人前の業界人となりたい、と学校案内のパンフレットを抱えて語る十代が哀れであるが、自業自得だとも思う。
私が学校へ行ったのは、そんな感覚ではない。とにかく音楽を学びたかっただけだ。上手くなりたかっただけである。
しかし、近年の者は違う。自分で夏休みにでもギターを制作しようと思った事もない中学、高校時代を送った者が、楽器制作者となりたいだとか、楽器も弾けない、自宅録音マニアでもない者が、高校卒業と同時にミキサーに憧れては、高額な学校を選び出して親を説得する。
ないのだよ!仕事なんか、まったくないんだよ!ないから教育産業で食べていく方法しか見当たらないんだよ。
後進の指導なんてのは嘘っぱちだ。誰も、教えている講師の活動なんかに興味もない若者がうじゃうじゃ集まって明日のスターを夢見ているのが現状だ。私が学んでいる時代も、誰一人、講師の活動には、関心すらなかった。CDの一枚も持ってやしなかった。そんな連中に対して、ミュージシャンである講師たちが愛情なんか抱くわけがない。卒業すれば、ハイ、バイバーイの稼業でしかない。ともに、打算の契約で成立している関係でしかない。どこの学校も似たようなものだ。
この地にも、近年、ミキサー学校やら、ボーカル.スクールが進出して来た。録音なんか経験した事のない者が、講師として、生徒を教える。コマーシャル科だってある。そこの講師連合もまた、誰も実際にプロとして制作していていない。もう、末期状態だ。
幼児天才教育でならした「ヤマハ」は、この不況対策に、「音楽指導者検定」みたいなランク級を発明し、これを普及させ、権威化しようと宣伝している。その内容は、今の所不明なので何とも言えない。まさか、絶対音感教育で製造した少年少女を1級ランクに位置させ、壮大な教育システムを作り上げようとしているのであろうか。
そしてこの検定を文化庁に認定させ、学校教育を牛耳り、権威化する、という計画か。なんでもよいが、その指導者は、誰なんだ。英語圏のネイティブ.からも馬鹿にされている英検教育システムでもあるまい。(むつかしすぎて自分たちでもできない問題ばかりだからである。)
PS:大検(大学入学資格検定試験?)廃止
大検(大学入学資格検定試験?)が廃止になるという。近年は、年に2回もテストが実施された。(昔は、年に1度だけだった。95年あたりまで。それで何十年も通していた。)大検を廃止して、大学の入学試験を直接受けられるようにする、という。
これにより「高校と同程度の能力」という資格がなくなり、とにかく、みんな大学へ入学しなくてはいけない、と国家が決定するらしい。
何と卑怯な小子化対策の大学保護計画だろう。完全なる予備校-大学-官僚の「密約」だ。
これにより高校中退者は、必ず、大学へ入学して資格を得なくてはいけなくなった。何を学びに行くのだろう。高校の資格だけで十分である、という者もいるだろう。後は、独自の勉強をしたい、という者である。これで、大学へ行きたくない者は、みんな高校中退者のままになる。
英文科も出ず、法学部を出て、有名な英語学者となった者もいる。文学部から、弁護士になった者もいる。果ては、中学しか出ていないにもかかわらず弁護士になった者もいる。みんな独学という事になる。まったく不可解な「時間稼ぎ教育システム」である。
大学時代、趣味でパソコンをいじっていたら就職に役に立った、という者は多い。
流行りの歌手を目指して、親を納得させるためのワンクッションとして音大へ行ったら「オペラの歴史」の授業を受けさせられた、という者もいる。今や、最も無教養なクラシック阿呆が「オペラ」だけは得意気に語る。
みんな、「現代」という時代に、何を教えてよいか、わからないまま、とにかく何年分かの授業課題を「権威化」して教えているのである。
どう考えても、今や、教育界は、「ねずみ講」と変わりなし。
だから言ったではないか!
「建物」で選ばず、人間で選べ!と。
誰が教えているかもわからず、通うから、何の役にも立たない知識を教え込まれ、卒業させられるのだ。
本屋でも図書館でもいいから、新書版ってあるだろ?
あれを片っ端から読んで、どこの先生がいいかよく吟味して、感銘を受けた先生のいる大学を選べば、誰だって有意義な勉強はできるってもんだよ。
物事を学ぶ基本中の基本ではないか?
前々から気になっていて、いつか調べようと思っていた、3曲のCMの歌い手をインターネットで調べて見た。1曲目は、「NTTデータ」のCM。いかにも日本調の鼻歌を何やら微妙にモダンに唄っているものだ。
検索して見ると以下のサイトが出た。
試聴して、ああ、これだ、これだ、この、無伴奏で唄っている曲だ、とちゃんと探り当てた事にうれしくなった。これは、「おおたか.静流(しずる)」という女性アーティストが自作自演している唄である事がわかった。それで、今度は、「おおたか静流」を検索したら、以下の彼女の公式サイトが出た。
http://cyberark.co.jp/sizzle/index.html
以下のような私的な応援サイトもあった。こちらで交流アーティスト関係がわかった。
http://www3.vc-net.ne.jp/~seagull/shizuru.html
なるほど、この人は、既に、裏の世界では、超有名アーティストで、既に様々なエスニック.ジャズ系の日本ミュージシャンとも共演を重ねているアーティストである事がわかった。私の勉強不足というよりも、いかに、私は音楽界に疎くなってしまったか、という事の証明だろう。
まあ、よい。外国に住んでいる、と思えばよい。彼女は、既に、何百というCMで貢献しているらしいから、それを見つけるのも楽しみだ、という。同業の楽器で、あまり、じゃまが入らないCDでも1枚手に入れたいものだ。どんな感じなのだろう。色々声を使い分ける、と言うが、、。とにかく、なんであれ、あのCMにはためいきが出た。まさに日本人として理想の歌唱法である。それに、実にモダンだ。
2曲目は、「亜麻色の髪の乙女」(すぎやまこういち作曲、橋本淳作詞)は、「島谷ひとみ」と判明したから、置いといて、、と。これも無伴奏版の唄のCDがほしい。これは、個人的な趣味だ。
最後は、去年から一体誰だろう、と気になっていたCM歌手。
調べて見ると「ネスカフェ.プレジデント」のコーヒーCMである事がわかった。当初から、山口百恵かなあ、それにしては、唄が上手すぎるなあ、と気になっていたが謎が溶けた。
http://jp.nescafe.com/tvcm/index.html
ちあきなおみ、と言えば、この間も「NHK歌謡コンサート:人生を唄う」で、3曲取り上げられていて、「喝采」を前川清が唄っていた。
よかった。ちゃんとどの曲も最後の歌詞まで唄わせていた。名前がわからない女性演歌歌手が唄った「紅とんぼ」の詞もよかった。ちあきなおみ本人でのオリジナルを聴いた事がない。当時、私は、何を聴いていたのだろう、と振り返る。
改めて、「喝采」(作 詞・吉田旺(よしだ.おう)、作曲・中村泰士)を聴くと吉田旺の詞の世界、参分劇(さんぷんどらま)という意味がよくわかった。
この曲は、美輪明宏氏なんかも唄っているようだ。そういえば日本版のシャンソン風だ。
夫の死とともに、もう引退してしまった「ちあきなおみ」の応援サイトは、以下だ。
http://www.ac.wakwak.com/~kazu1970/chiaki_top.html
喝采の詞の世界は、夫の死、以後なのか、と思っていたらずいぶんと前だった。ちあきなおみのCDもほしいな、と思った。テレビで初めて遭遇した子供の頃から、彼女のパフォーマンスは、迫力があった。ただ、ただ、あっけに取られてテレビを見ていた。大人になってようやく、その凄さがわかった。
とりあえず、今年、気になったCM歌手は、この3人だ。
何を優先して買うか、、と言えば、う〜む、島谷ひとみ!って言ったら怒られるだろうか、、、、。
3人とも、霊感たっぷりだ。つまり私の言う「霊感奏法」だ。これは、その歌手版だから「霊感唱法」ってわけだ。
今日は、検索して、ちょっと「お勉強」になった。
PS:
今日は、また、私の「The Old Songs」を購入した大阪の女性から感想の言葉に替えて、絵のスケッチが添付されて来たので、しばらく購入者に紹介しなかった「ライナーノーツ」サイトを教えて上げた。第1集と第2集を今度は注文。また、通信講座を受けたい、というメールもあった。
メールが来た事をいちいち日記に書いては切りがないので普段は書かないのだが、告知と広告の意味もある。
ちょっと、見知らぬ所で昼食を取ろうと思い、前からどうしようか迷っていたマンガ喫茶に入った。「24時間営業」とあるので、賭博ゲーム機がずらっと設置されている所ではないか、と思っていたのだ。まあ、外から中が少し見える窓もあるので、入って見る事にした。(この手の店は、ほとんど光りが差し込まない密閉状態だからだ)
入店して驚いた。かなり大きめの店内だ。マンガもかなり大きさ分にある。古ぼけてはいるが、以前は、病院か何かだったのだろうか、と思うほどだ。それにしては1階だけの造りだ。「若いおばさん」たちでやっている。カツ丼を食べる。まあまあ、美味しい。肉は悪い安肉だ。ドリンク付きじゃない¥750。
一通り、新聞を読んだ後、ざっとマンガを見渡したら、少々、古い。しょうがないから「美味しんぼ」でも、と思ったら、60巻くらいまでしかない。「あずみ」もあったが19巻まで。
困った、何を読もうか、、と本棚を見渡していると、永井豪のあまりよく知らない「デビルマンレディ」が、12巻まであった。デビルマンとどう違うのだろう、、、と読む事にした。
私のマンガの読み方は、そのマンガが面白ければ面白いほど、ページをめくるのが速い。「ページ毎に匂いを嗅いでいる程度」と言ってもいいくらいだ。あるいは、スパイが小型カメラでページを写す、、といった感じだ。
それにしてもまあ、「永井豪」は、相変わらず、壮大なテーマを扱っている。今の宗教問題にも通じるテーマもあったりする。「ダンテの神曲」だ。グノーシス思想まで出て来る。私は大昔「手天童子」を読んで、これほど凄いマンガがあるか!と思ったものだ。民俗学と精神分析の融合だ。
まあ、「手塚治虫」に一番近い、漫画家は、今から30年くらい前?に「ハレンチ学園」で有名になった永井豪だろう。マンガ家、という点では、手塚を超えている、と思う面もある。
よくもまあ、これだけ低俗、お下劣、高尚、エロス、タブー、が混然と放り込まれているマンガ家もいない。本宮ひろし、ですら永井豪に比べると、「マンガ家」ではない、ような気がしてくる。
とにかく主人公がこれほど「普遍」な事で「悩み、葛藤」するマンガもない。主人公が悩み葛藤する、という点では梶原一騎の「巨人の星」の星飛雄馬もいるが、飛雄馬の場合は、基本的には、個人的な問題だ。
残忍性は、梶原一騎すら超える所がある。「バイオレンスジャック」の事だ。「人豚」の刑を既に筋の骨格に導入している。
そうした事もふまえて、ただ単に、エロエロのコメディの「けっこう仮面」もある。変身して庶民を助ける、というのは、この世代のマンガ家の王道の夢物語りだ。「パットマンX」に通じる。誰だったか、、「はぐれ雲」のジョージ秋山ではないか、、、。何ぶんにも小学生の頃の話しだ。
子供は、みんな、永井豪を通って大人になるってわけだ。彼は、子供用のエロスと大人用のエロスを見事、使い分けている。まるで、大人になった子供たちが、やがて「本当の自分」の理解者になってくれるための「餌付け」にも思える。
しかし、まず、何にせよ、マンガは面白くなければいけない。
これを基本としないと、永井豪は、「みんなのもの」、にはならず、何か、とても閉鎖的な集団の中だけで、生き続けてしまいそうな危険性がある。
「デビルマン.レディ」のコミック第1巻は、1997年の7月23日に出て、第12巻は、2000年の2月23日の出版、とある。まだ完結してはいなかった。今は、何巻かもわからない。いつのまにか消滅した連載かもわからない。
とにかく、私にとって、マンガは、面白ければいい。もちろん「私」にとって、、であるから他の人が何を面白い、と言うかは、わからない。
でも、ちゃんと背筋を伸ばせば、マンガの話しはできる。
「匂い」しか嗅いでいないけど、、、。
とりあえず、ただのマンガ好きか、ちゃんとした奴か、、は、永井豪が、試金石になる。
手塚治虫って言うと、何だか、インチキくさいのまで名乗りを上げて来そうな気がするからだ。
インチキくさい、、てのは、本当は、大して好きじゃないのに、無理して好きだっていいはる奴だな。ピンともずれてるし。
作家は、何でもかんでも夏目漱石って言っていながら、似非インテリっぽい、下手な丁寧文章書いてる奴等だな。まったく、なんじゃあそりゃあ!、、だな。
とにかく、永井豪だ。昔のマンガもちゃんと知ってないとマンガ道は語れないな。
PS:「天才柳沢教授の生活」のテレビ化
山下和美のマンガ「天才柳沢教授の生活」がテレビ化される、と宣伝している。出てから大分時間が経った。第1巻は、1989年9月1日とある。一体誰が柳沢教授の役をするのだろう。ゴルゴ13と同じで、人間じゃあないからなあ。無理だと思うのだが、、、。描写の視点の問題だ。
「親方」『荒人(著)山下京子(イラスト)』のシリーズ.マンガも前々から気に入っている。涙、涙の最高の職人マンガだ。第1巻が手に入らないんだよなあ。古本屋で見つけて、プレゼントしたんだけど、この稀少価値わかってないんだなあ。1998年の末か1999年の初頭あたりからスタートしている。
註:私は、マンガは所有していない。
9月28日(土):匿名「なんだかなぁ」メール。「パシリ」る性格、パシラせる性格
さて、深夜帰宅するとこんな匿名のメールが来ていた。
『件名:「なんだかなぁ」
友寄隆哉 殿
〔なんだかなぁその壱〕
小山ちれ は世界チャンピオンの時は立派な中国人だったよ。
踵を上げてた特訓してた割には...。
〔なんだかなぁその弐〕
人気インディーズバンドの子は正しいよ。というより間違ってはいない。
「ヴァンへイレン」は人間名ではなく純然たるバンド名でしょ。
じゃぁ聞くけど、そのヴァンヘイレンさんは何ていうバンドに所属してるの?
人間名というのであれば、アレックス・ヴァンヘイレン及びエディ・ヴァンへイレンであって、その人気インディーズバンドの子は後者のことが言いたかっただけだと思うよ。
決して、ヘイレン家のヴァンちゃんじゃないからね。
あなたの仰るとおり、やはりいろんなジャンルに精通することは重要なんでしょうね。
100人くらい名前が言えないとダメなんでしょ?ようわからんけど。』
それで、こんな返信メールを出した。
『御指摘ありがとうございます。
*小山ちれ、は、中国人だったんですね。私よりもずっと若いから、中学生の頃は、存在してませんでした。
(註:卓球部に入ったのは高校1年次。2学期中退!中学時代は、1,2年次にバレー部。ギタークラブ掛け持ち。卓球は、幼稚園から小学校2年まで。本格的な卓球台を父親が制作した事から。小学生の3,4年次までは少年野球チーム。肘を壊し、以後、6年次までスイミングクラブ。)
荻原選手の本なんかの頃ですから、その後の事がわからなかったんですね。勉強になりました。ありがとうございます。
*バン.ヘイレンの話しは、「宇多田ヒカルの作り方」竹村光繁著、宝島文庫
のP31で見た話しですね。
ギター大好き、という編集者があるビジュアル系のロックバンドのギタリストに「洋楽ではどんな音楽を聴いているの?」と尋ねた時に、「最近はね、あの、、、何て名前だったっけ、、、。そう!エリックなんとかってオジサン知ってます?あの人は渋いですよね。あとヴァン.ヘイレンのギタリスト!あの人も好き」、、と言った箇所からですね。
言葉が足りなかったかもしれませんね。
例えは違いますが、私自身のジェフ.ベック体験ともだぶったので(誰も知らなかったので)、どこでもそうなんだな、と思ったわけですね。
まあ、きっとそうかもしれませんね。でもその本では、ネガティブに取って書いていたんですね。
ありがとうございました。
そのように付記しておきます。』
さっそく、「12:日本人と模倣」の 4:権威と天才模倣少年少女(卓球とジャズ) の最後にこの顛末を付記しておいた。
これだけ書いて行くと、何かしらの一文で、人は、墓穴を掘る、というわけである。そしてすべての信憑性を無くす、というのが言論の世界のならわしだ。いや、待て、元々、気に入らないからこうした箇所を探せたのではないか。なら、まだまだ色々あるはずだ。
そうだ、そんな事よりも堂々と全否定すればいい。このサイトは、すべてデタラメで、読むに値しない、と全否定する方が、もっとすっきりするはずだ。それくらいでは、言い足りないのではないか。
少しでも価値がある、と思う者は、接近し、ないという前提に立つ者は、否定して去ればいい。そして否定者の会でも作って毎夜騒げばいい。
貴重な人生の一日も、これでスケジュールは埋まる。
元々、このサイトを支持する者は、少数派でしかない。支持したために、「オトモダチ」と思っていた者からも否定された者も多い。
この場合、「オトモダチ」が、強者で、あなたが弱者で、常に、彼の指示に従っていた、「パシリ」があなただ。
(「パシリ(使いっぱしり=子分)」が自分より「知能」をもたれては困るわけである。また、彼等が「自分はパシリだった」と気づかれても困るわけだ。つまり一応、「知能犯」だ。知能犯と言っても、ただ「強引」なわけで、パシリにされている方は、単に「気が弱い」、というだけなのだが、、。その証拠に「強引」な彼等の主張は、公にはできない論理に支えられている。このサイトは、こうした強引=傲慢な人生を送って来た者では読めない。したがい、パシリに読まれては、大変、という面が常にある。以上、否定側の心理だ。)
彼無くしては、生きていけない「さみしがり屋さん」なら、彼に従えばいい。一生、彼、彼女にお伺いを立てて生きていけばいい。私は、そんな「オトモダチ」はいらない。そんな者より、新しい「オトモダチ」を探す旅に出る方がわくわくする。人生は、元々、孤独なものだ。一人で楽しめる者が、他人も楽しませる事ができる。
この世には、縁がある人間より、ない人間の方が、天文学的に多い。なのにわざわざ、オレは、おまえなんかとは縁を結ばないぜ、という宣言する。
それにしても、愛がない指摘は、なかなか勉強になる。
明日からの人生は、相変わらず、お互い、なんの変わりもないのだが、、。
私には、ようわかる。
そうだ!。ミュージシャンなら誰でも100人くらいは、上げられる。ただし、ヘビメタだけを100人は上げられないな。4,5人でいい。なぜなら、それは「ヘビメタ」という結論を得るだけだからだ。
ヴァン.ヘイレンには、影響を受けなかったのが、心残りだ。私は、その種のミュージシャンではないので、彼の事は、よくわからない。でも、「彼等」は、「その種」のはずだよね。もし、ヴァン.ヘイレンを聴くとしても、本人しか聴く気はない。そっくりさん一派は、聴かないよ。
「12:日本人と模倣」の 4:権威と天才模倣少年少女(卓球とジャズ) の最後に「追記」を付記
『追記:インターネット検索「小山ちれ」2002年9月29日(日)
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/2000gorin/aug/o20000818_5.htm より掲載
(「シドニー五輪スペシャル」http://www.yomiuri.co.jp/hochi/2000gorin/index8.htm より)』
さて、きっかけは何であれ、私の元にようやくこうした卓球界の「常識」が、届いた。
すると、実力者の「小山ちれ」が、いかに日本に帰化しようと、中国人であった、という事から、無冠の愛ちゃんよりもじゃけんに扱われていた、というわけか。なるほど納得だ。
そういえば、新聞で、中国から韓国、韓国から日本、と渡って来た囲碁の女流棋士の日本での待遇の事が書いてあった。日本の試合には出られなかった、とあった。結局、全盛期を過ぎて韓国に行った、とかなんとか。
今の韓国囲碁の世界では、女流棋士が男子の名人に勝利する事もあたりまえ、という。日本でもこの現象が起こっている、という。日本よりもかなり進んだ韓国囲碁界の女流棋士ともなれば、日本の男性棋士は、どうか、と言う。前期、女流本因妨、現在奪回中(妊娠、出産続きのためタイトル維持できず)の「知念(ちねん)かおり」は、沖縄は宮古の出身。
http://www.asahi.com/igo/special/shichou/020418.html
この問題は、よく知らないサッカー選手の国籍の問題とも似ている。
確か、フランスだったのではないだろうか。ジダンは、アルジェリア系?で純粋なフランスではない、として、フランス代表の選手として認めない地域もある、、と言っていた。
今や、サッカーは、こうした、国家の代表選手の国籍をめぐっての論議がある、という。そのために、国家の代表と認めず、ワールド.カップ無関心派も作っている、という。
何をもって自国の代表とするか?
両親が在日朝鮮人である、日本国籍のボクシングの世界チャンピオンも生まれた。(註:在日朝鮮人3世、徳山昌守)
この間は、ニュースで「柔道選手」にもそうした代表がいる、と言う。彼は、韓国に渡り、韓国チャンピオンとなったが、再び日本を選び、「帰国」し日本の代表選手を目指し、日本代表としてフランス大会で優勝した。その選手が、今回のアジア大会で韓国に日本代表として行くのだという。彼の心情やいかに。
こうした問題は、古くから芸能界の「常識」である。両親が在日韓国、朝鮮人である、という事実を言えないまま、日本を代表してしまった者も多い。
都はるみは、その「ハーフ」である事をひた隠し続け葛藤した。
そして国民的歌手の座を手放した。日本人は、知らんぷりして徐々に拒否して行く。
これは、まるで、黒人がプールに入ると、何気ない顔をして、プールから出て行く年輩の白人アメリカ人にも似ている。
なるほどね。
「小山ちれ」の話しから、日本のこうした土壌も見えて来るわけだ。
水泳界でもそういう事はあった。(註:千葉みすず問題)
これは、また別の感じではあるが、米国育ちの日本人女性オリンピック選手がいた。その「育ち」の流儀から古い体質の日本人組織から嫌われた。
問題は、さらに複雑化して行く。
なぜに黒人選手がウインタースポーツに少ないのか、、。
まず、民間の「クラブ」が入会を拒否するのだろうか。
これは、タイガー.ウッズの生い立ちから、いかに黒人がゴルフ.クラブの会員となるのに苦労するか、がわかる。白人会員の御機嫌を損ねると商売上がったりである。
何をもって、その国の代表とするのか?
サッカーのラモスほどの「日本人、武士」へのこだわりを示さなければ日本の民は、許してもらえないのか、、。(ラモスは、現在、沖縄でのサッカーチームづくりに力を貸している)
アボリジニの選手は、何を思い、オーストラリアの代表としてシドニーオリンピックで闘ったのか。
猫に小判のような知識を古ぼけた脳に何年も所蔵し、一生に一度の「知ったかぶり」の知識として引き出して、鬼の首でも取ったような演出、レトリックにこだわる暇があったら、さっさと、こんな知識でもよろしいでしょうか、と差し出して来い。
いちいち直々に相手している暇はない。
無力な者が言論のみで突っ張って、さらに老後を安泰で送ろうと考えていると、時を経て、「あいつですか、昔、突っかかって来た、というのは」と、鉄砲玉が飛んで行く。
その時、「まあまあ」と抑えられたら、少しは、人間ができきている。
歳を取る、とは、そういう事ではないのか。
双方に、そうした鉄砲玉がいれば、その勝敗を高みの見物と行こうではないか。
しかし、その生き方に惚れる奴は、誰もいない、と思えるからそちらは、自分で何とかするしかあんめぇ。老体にムチ打って、若い頃の無智の償いをするしかないべぇ。それに、、、一番、おのれに惚れてないのは、年老いた自分だわなあ。
よ〜よ〜先生様よお〜。
ただいま、気まぐれに調査中。
今週はレッスンのある週で、忙しい。教育に命をかけている私にとっては、もっとも体力を使う週である、、、、としておこう。(知力、ではないな!)
いつもの定食屋に行ったら、なぜだか休みだった。それで、レッスン時間も押し迫っているので、あわてて別の店を探したら、定食屋の近くに、なんだか繁盛しているような、沖縄そば屋がある事に気づいた。思いきって入る事にした。「沖縄そば」を食べたい、って気分ではなかったが仕方ない。
まあ、ランチ..タイムも終っているので、店内には、他に客はいなかった。
この店の「沖縄そば」の、どこがおいしいのかさっぱりわからない。醤油たっぷりの出汁。そばは、大した味ではなかったので、七味唐辛子をかけたり、紅生姜をたっぷり放り込んだり、「とうがらし酒」(唐辛子を酒に漬けた酒。沖縄そば、などにちょっと垂らして辛くする)も放り込んだりして食べた。そうしても、おいしくなかった。余計に甘くなった。
なんで繁盛しているのだろう、と思ったが、まあ、いつもの定食屋の「沖縄そば」よりは、マシかもしれないな、と思った。新聞は一紙だけしかなかったが、地元紙の中で気に入っている方だったので、まあいいか、と。
食べ終ると、女店員が、「アイス.コーヒーはどうですか、サービスですよ」と言って来た。愛想がよい店員だ。途中から4人組の地元客が入って来た。年寄りもいた。その中の一人の女性が「同級生じゃない?」と女店員に聞いたら、女店員は、「私は、昭和30年生ですけど?」と言っていた。
客は、一つ下である事が判明して、「じゃあ、***と同級生だ」と言っていたが、女店員は知らなかった。
客が帰り始めると、愛想よく見送っていた。
私は、こうした食堂を、独自に開発した公式にあてはめ査定して見た。
「味」+「メニュー」+「サービス度」+「新聞の有無」+「愛想度」+「不愉快度」+「静寂度」+「値段」= 評価
、、といった詳細なチェックで判断する事にした。
「味」は、大した事ない。「メニュー」は、「沖縄そば」と「御飯」「稲荷寿司」だけだ。「サービス度」は、かなり高い。かなり小さめではあるが、アイスコーヒーが付く。新聞は、評価している方の地元新聞ではあるが一紙だけ。スポーツ紙もなし。しかし「愛想度」は、良い。「不快度」も低い。「静寂度」も午後2時以降なら良し。「値段」は、「沖縄そば」の小で¥500、中で¥600、大で¥700。中では、私には少なめ、ではあるが、それでも全部食べるのはきつい。そんな味だ。
というわけで、結果は、マイナス点になった。何と言ってもメインの「沖縄そば」がおいしくない。また、それを補うべきものがない。別に、黙って新聞を読むだけだから、愛想はいらない。
いつも行く定食屋は、「メニュー」の多さ、と毎日変わる日替わりメニューもあり、また、新聞全紙、、で持っている。「味」や「サービス」というわけではない。たぶん50代だろう、と思われる「お姉さん」たちだ。
「愛想」も大してよくない、と思っていたが、この間、店の自家製の唐辛子が積まれていたので、これは、実家で作っているものよりでかい、もらっていいか、と声をかけると、笑顔になった。
PS:今日は、東海、関東地方と時速60キロで北上していく台風が日本本土を襲っている。あっと言う間にやって来て、かなりの被害を発生させ去って行く大型らしい。倒壊による死者も出ている。堤防を歩いて波にさらわれた女性もいる、という。こんな日になぜ、歩くのか。
10月2日(水):沖縄の台風と「テーゲー」PS「てぇげぇ〜」実践活用
各地で台風の被害があるので、少し有頂天な日記は、自粛しなきゃいけないな、という気持ちがある。
最大の台風被害地であった沖縄が、戦後、台風に最も強い県となったのは、何よりも、トタン屋根の家造りから、鉄筋コンクリート造りの家が、普及した事に依る。東京でさえ、鉄筋コンクリート造りのアパート、マンションは、中々ない。大概が、「モルタル造り」である。隣の会話も耳を澄ませば聞こえて来る。
東京で、鉄筋コンクリート造りのマンションともなれば、月々30万円から100万円か、あるいはそれ以上の家賃の「愛人専用マンション」ではないだろうか。これが、沖縄では、まあ3万円あたりから存在する。
とにかく鉄筋コンクリートでないと、毎年の台風で、その老朽化もはげしいから、その方が、結局、経済的にも安くつく造り、となる。
雪国で言えば、冬に1階が雪で埋もれる事を想定して、2階に玄関を造っておくような世界だ。
こうした鉄筋コンクリート造りではなく、どこもかもがトタン屋根の家屋だった時代の被害は、尋常ではなかった。私の子供の頃は、台風は、恐怖であった。近年の沖縄は、死者があまり出ない。
なぜなのかは、よくわからないが、とにかく、街づくりのためのダムにしても、引き蘢るための家にしても、すべてが台風を想定されて建築されている。だから、なぜ、本土では、いつも死者が出るのだろう、と県民は、思っている。戦後の50年以上にわたる計画の結実ではある。
だから、沖縄を表す「テーゲー主義、(大概主義、適当主義)」も、今の地元若者や本土観光客が「いいかげん主義」と理解しているものではない。
どんなに、完璧な田畑の管理をしても、結局は、台風がやって来てすべてを奪ってしまう、という土地から生まれた思想である。
「テーゲーでいいよ、テーゲーで、、」と、あまり「完璧」を尽くさないのだ。どうせ、台風が来て、すべてパアになるかもしれないから、、という「農業」から出て来たわけだ。
それが、すべてにわたって「沖縄」を作ってしまったわけだ。「いいよ、テーゲーで!」と、吐き捨てるように言うわけだ。もちろん「テー.ゲー」で2音節、同アクセントだ。
だから、勝手に沖縄を代表して解説している地元の若者の話しは、話し半分で聞いておく事だ。「テーゲー(=てぇげぇ〜)」は、「いいかげん」という意味でばかりではない。
本来は、「そんなにがんばっても、どうせ何か予期せぬ事で、ダメになったりするんだから、入れ込むのは、 ”大概(たいがい)+適当=てぇげぇ〜)にしなさい”」、という事だ。
眠いので、この日記も「てぇげぇ〜」にしておく。
PS:
「テーゲーにする」、、、の動詞の「する」を「する行為」にあたる動名詞のような「しぃ〜」を付け足し「テーゲーしぃー(適当にする行為)」とセットにし、全体を「名詞句」のようにし、「てーげーしぃーでいいんだよ」といった具合に積極的に奨励する意味で使ったり、「こりゃまた、てーげーしぃーだなあ〜」とあきれたり、「テーゲーしぃーするなよ!」と否定的な意味(いいかげん)だったりと、現地人は、何かと方言に標準語を添え使っているわけである。
否、違った。今は、、、標準語に何かと方言の方を添えて使っている、、のだ。
尚、「〜する人」の意味の「サー(さあ〜)」を付け、「テーゲーサー(てぇげぇさあ〜:適当になんでもやる人)」とする場合もある。「あいつは、てーげーさーだからなあ」と、否定的活用がほとんどであるが、ある観点からは、非難ばかりとも言えない人間形容である。
住んでいる場所からスクーターで15秒くらいの坂を上ると、そこは、「新都心」と呼ばれている振興地。戦後、広大な地が金網で封鎖されて何十年も放置され草木に覆われていた。それが、去年あたりから解放され、見る見る間に「都市」と変身して行く。こんな体験は、そうないだろう。40年近くのワッチングである。
一昨日の火曜日、10月2日は、映画館も含む巨大なショッピング.ビルが開館した。今日昼食にと、覗くと、食堂街の店は、どこも満席で、順番を待つ、人人人だ。レッスンまで後40分しかない。しょうがないので、いつもの定食屋へ。
目の前を一人の男子高校生が先に入って行く。スポーツ新聞を熱心に読んでいる男がいた。思わず、拳を握る。地元紙を読んでいて、ふと小さな店内を見渡すと、高校生がたばこを吸っていた。店内は、男性客だけ。
沖縄の男子の「大人」は、気性は、はげしいが、こうした事には、知らんぷりだ。私も、注意するような「大人」ではない。倫理観とかそうした事では、たぶん怒らないと思う。怒るのは、なめた態度をされた時だけだが、暴力までは行かない、と思う。似合い過ぎるからだ。
そう言えば、昨日も、二人乗りの男子高校生と、同じくスクーターですれ違った。運転している方は、携帯電話を耳にあて、何やら話し中、風で、片手で運転していた。
世の中は、まだ、マンガのようには進んでいない。
これが本宮ひろしのマンガ「俺の空」なら、武尊は、大型バイクに乗りながら***をしていたものだ。こんな事が、可能なのか!と少年の私は、感動したものだ。これこそ男のバイクの乗り方である。しかし、大人になった私は、50ccのスクーターである。まあ、これが一番楽でいい。あぐらもかいていられる。
そんな昨日もあって、食堂でたばこを吸っている男子高校生を見たわけだ。食堂は、おばさんたちの経営だ。今、ものすごく面白い話しを思い出したが、眠いので、この話しも「テーゲーしぃ〜」にしておこう。
新聞を見ると、兵庫県の、ある地域の男子高校生たちが、地元の朝鮮人学校の女生徒たちに嫌がらせをしている、、とある。
高校生よ!、何でもよいが、悔いのない人生を送れ!。たぶん、君等の人生は、あっと言う間だ。大人になれば、忙しくて君達には、かまっていられない。大人は、みんな罪のつぐないをして生きている罪人だ。
PS:私自身は、高校生活は、1学期分しか知らない。長〜い十代を送った。
まあ、基本的に、人生は、長いものだ。そう感じないとしたら、あなたの人生は傲慢だ。「時」に対して傲慢だ。一日だって、こうして長い。長い上に、眠い。続きは、夢の中で、、、。
深夜2時頃、友人のスタジオで今日昼間の調査活動の件を話していたら、例の屋台のラーメンを食べに行こう、という事になった。たぶん、3,4回目だろう。スタジオを出ると、さっき練習を終えたばっかりの顔見知りの若者バンドが外でたむろしだべっていた。友人は、さっさと屋台の方向へ向かって行った。
その後ろ姿を指差して、「ほれ、あいつが何であんなに急いで帰るかわかるか」と若者バンドへ声をかけた。「実は、最近、このスタジオの前は、午前2時半頃、幽霊が出るんだ。だからああやって逃げるように帰って行くんだ」と、言ったら、みんな顔を見合わせていた。
「そんなわけで、オレも、帰る。あっ!後、20分じゃないか!じ、じゃあな!」と言って逃げるようにスクーターに乗った。
星空の下で食べる屋台のラーメンは、おいしかった。う〜む、やっぱり旨いじゃないか、と再認識。空腹だったわけじゃない。
「あのコマーシャル知ってるかあ、あれは、”ちあき.なおみ”なんだぞ!」と言ったら、「やっぱりそうか!でも何で今頃、ちあきなおみ、なんだ、新曲でもないだろうに、あれはコマーシャルだけでやっている曲なのかなあ」と言って来たので、「ふん!そんな事も知らないのか、あれは、前から昔のCDに入っている、黄昏れ何とか、、って曲なんだ、ああ、そうだ、”黄昏れサンバ”って曲なんだ」と言ってあげたら、「ええ!あれのどこがサンバなんだ!」と問い詰められたので、そ、そう言えば、そうだなあ、となった。
(9月26日の日記を調べて見ると「黄昏れのビギン」だった!。)
友人もまあ、あの唄のちあきなおみを気に入っていた。島谷ひとみの方は、前からあきれられている。
帰り際、勘定を払いつつ、ラーメン屋のおやじに、「そろそろ味が落ちているかなあ、と思ったけど、旨かったな!」と言ったら、「うっひゃあ、こりゃあ厳しい客だなあ」と言ったので、「これからもちょくちょく味が落ちていないかチェックしに寄るから」と言ったら、「そ、そんな会話があるか!」と友人に突っ込まれた。おやじも笑いながらお釣を渡した。
スクーターにまたがりつつ、またまた話題は、ちあきなおみ、になって、でもあの曲は、古いジャズ.スタンダード.ソングのような、どっかで聴いたような出だしだが、唄は、いいな、となった。
帰り道、今まで一体、どれくらい口から出まかせを言って来たのだろう、と突然、思った。自分でも何を言うか、その場になってみないとわからない。証言者に依ると、初対面で、「あっ!おまえストーカーだろう」と言ったという。覚えていないのだ。失礼が服来て歩いている、と思ってくれたら有難い。悪気はない。ただその場限りで思い付いた事を言っているんだと思う。
久々の読者の女性からメールが来る。
みんな、色んな人生をそれぞれに歩んでいる。
一つ言えるのは、強くなる、という事は、敵を増やす事ではない、という事。味方を、増やして行く、というのが本当の「闘い」である、という事。でも、実際は、弱い者同志の、支配ごっこだ。
みんな、さみしいからだ。
古い、じゃまくさい「しがらみ」よりも新しい「関係」に未来はあるのになあ。進化する時は、元々、一人なんだよ。道連れは、いらねぇよ。進化した自分ごと、新しい世界の住人になりゃあいいんだよ。
幼馴染みなんか、生まれた時からいないよお。
いたって話し合わねえよ。進化の速度を合わせるわけにもいかんしなあ。
困ったなあ。
PS1:
今日は、午後9時に、毎日の「やぼ用」から帰宅して、テレビで映画「マトリックス」を見た。始まって1時間35分になるまで、ちっとも面白くなかった。披露していた東洋武術の型も役者のへっぴり腰のまま速度だけを上げていたから、なんじゃあそりゃあの連続だ。動きに無駄がありすぎる。これが日本でもヒットした、というのか、、、。理屈が多すぎる。最新のSFXを使ってみたかったんじゃないか。たかだか、アメリカの一般大衆の哲学レベルではないか。むつかしそうに言うんじゃない! しかし、女優は美形だったから赦す。
深夜、録画したK-1大会予選第1回を見る。K-1のジェロル.レ.バンナが、腕相撲10年連続世界一から、何でもあり系に転向した「剛力」ゲーリー.グットリッジを、専門のK-1ルール(立ち技の打撃のみ)でKOしたり、同じく何でもあり屋の元フット.ボール選手の、身長2メートル、体重、170キロの、「ボブ.サップ」が、今度は、このK-1ルールで、3回K-1王者に君臨した195センチ.メートル、104キロの37歳の「アーネスト.ホースト」をテクニカルKO(ドクター.ストップ)した。
PS2:
『アーネストが104キロと言えども体重差が66キロだ。170キロのサップは、それでも100メートル11秒で走る、という。格闘経験は、この1,2年しかない。わざとヒール役で盛り上げてやっているが、本当は、やさしい男だ、という事はわかっている。この間の何でもあり系の試合中、チャンピオン、ノゲイラが下敷きになった際、「すみません、殴ります」とボブに言われた、という。同じような体重差があったが、かろうじて、ノゲイラが「技」で勝った。でもノゲイラはボロボロになった。』
ああ、面白かった!これだよ、これ!
起きたらテレビで「矢沢永吉」の現在の状況をドキュメントで放送していた。「成り上がり」を読んだのは、17才の頃。東京の立川に住んでいた。ついでに、文芸誌に出たばかりの 宮本輝の「螢川」まで読んだ。おまえは、これを読め、と金がなくなって同居していた従兄に言われたからだ。
矢沢の「成り上がり」の本を上梓したのは糸井重里氏だ。彼はこれで、世の中の注目を浴びた。当時は、何でも貪欲に読んだ。筑紫哲也氏が編集長の頃の「朝日ジャーナル」だって定期的に読んだ。
テレビで矢沢は、「お客さんが来なくなったら、それは神様が、もうそろそろやめなよって言ってんだ」と言った。終って、いい酒飲めないコンサートは、やる意味がない、と言った。私もそう思うから、ライブを止めた。
誰でも、人気者になろうと媚びている時代に、そんなんいらねえやい!と止めた。こんな、嘘臭い芸人を支持する時代が、例え一生涯続こうと、そんなんいらねえやい!、、、だ。
サックスのグローバー.ワシントンJr.そっくりさんの「クラブ.ジャズ」ってのをやっている地元のサックスと、へえ〜、「お勉強」したんだねえ、という「アメリカ帰り」で売っているピアノの演奏を地元のテレビ番組で聴いた。
みんな、一体、どこの誰に好かれたいってんだろう。わざわざ、そんな風に楽器弾いてまで、金ほしかねえや。胸張って生きていける「芸」でもない。これが「お仕事」ってなら仕方ないけどそうじゃない。
「お仕事」でもないのに、阿呆集めて、得意になってんじゃない!。こんなんに憧れる奴って、なんだろうなあ。どこ行って来ようが、田舎芸は、田舎芸だ。その根性が、卑しいってもんだ。若者に好かれるために、「とっつあん」達が、不自然にも、どこにでもある、今風な立ち振るまい音楽をしてるってわけだ。何て、かっこ悪いんだろうなあ。若い娘たぶらかせるのに必死だあなあ。ケッ!
いらねえったら、いらねえやい!なめんじゃあねえぞ!大人は、やる事いっぱいあるんでえ!先に死んでしまうからな。
哲学してみよう!。何のために馬鹿でもいいからって言って集めて好かれようとしてんだろう?お金のためならそう言えばいい。それが、どうもそればかりではないような感じもある。じゃあ、「愛」?。愛に飢えているのか?、でも「愛」なら、いい女を一人知ればいい。それで十分だ。だって、まったく、無意味で、価値のない、誰でもやってる音楽をやってるわけだから、目的は、音楽ではない、ってのはわかる。まさか、得意気にやってんじゃあないだろう。えっ?本当にそうだって?
その目的が、さっぱりわからない。本人もわかってないんだろうとは、即座にわかる。これがクラブ.ジャズだって?スムーズ.ジャズ?もう、阿呆丸出しの消費音楽じゃないの。発言が、過激だって?そうでもないだろ。
しぶしぶバンドの「お仕事」でやってるわけじゃないんだぜ。それで、本気で「人気」を得ようと思ってやってんだぜ!おっさんにもなって。馬鹿だよねえ。新しいものなんか何もない。もうちょっと何とかならないの?そうして捕まえた「いい女」とやらは、わざわざ、そうした音楽なんかやってひっかけるよりも「お金」で、何とかなるんじゃあないの。アラブの富豪ならそうするね。
え?そのためのお金だって?なるほど。それに、「馬鹿」釣るのに、手段は選ばないって?う〜ん、数段上手(うわて)だなあ。失礼致しました!。出直して来ま〜す!どうぞ、いくらでも、「音楽」を利用して下さいませ。オラあ「お金」だけ欲しいズラ。
今日は、いきなりこんな匿名メールが来た。
『12のところで、十二一重?でしたっけ?着物のやつなんですけどあれで12になりません?(笑)ちょっといってみたかっただけです…
おもしろいページですね♪これからもがんばってください。』
最初、何の事だかさっぱりわからなかった。
でもやがてそれが、
6:美智子様と絶対音感 その1 2000.12/29 だとわかった。
『試しに、「広辞苑」で「12」を引くと、
12因縁、12因縁絵巻、12運、12音楽、十二階(冠位十二階)、十二書、十二客、十二月、十二月党、十二雀、十二宮、と11個もある。(あと1個!)』
この箇所の事だな、とようやく判明した。もう、1年と9ヶ月以上も前に書いたページだ。それで以下の箇所を挿入した。
『2002年10月7日(月)、このページを書いてから一年9ヶ月を経て、突然、匿名の新読者より「十二単(じゅうに.ひとえ)」を入れて、12個にならないか、とメールが来たので、「十二単」を追加しておく』
不思議な「時差」だなあ。今度は、ちょっとばかり「愛」がある。愛がない奴は、この「日記」まで辿り着かないようになっている。
愛がない奴は、夜な夜な、ディケンズの「クリスマス.キャロル」のようにさまよって、見知らぬ住まいの住人たちに、いじわるな痕跡を残して、小さな世界の住人としてのアイデンティテイを得る。しょうがない。彼には、「現実」は、容認しがたいのだ。
うん、こういう分析スタイルは、面白すぎるからやめよう。無料で貧乏人がひけらかす事じゃないな。
さて、今は、「秋」だ。秋には、人は、自分のこれまでの生き方を問うって決っている。自分の人生は、何だったんだろうって。
うむ、実に「秋」らしい哲学的テーマだ。
人それぞれの生き方の価値ってのは、自分で決める事じゃない。他人が決める事だ。だから、一々、考える必要はない。その辺の通行人にでも尋ねてみればいい。
「私は、これまで有意義な人生を送って来ましたか?」って。きっと、たぶん、みんな「よくわからない」って言うだろう。
そんな事より、実は、私は、夏の間から今日までずっと、毎日、アイス.クリームを食べているのだ。大体、棒付きの奴かチョコ.モナカだ。棒付きだって「チョコ」が入ってなければ嫌だ。
沖縄のアイスクリームと言えば、「ブルーシール.アイスクリーム」だ。戦後の沖縄を作ったアメリカの外資系のアイス.クリーム会社「ブルー.シール」だ。
でも、本国のアメリカ人に聞いたら誰も知らない会社だった。日本でも沖縄人以外誰も知らない。まあいい。植民地相手の会社だろう。
いつも¥110の、この「ブルーシール.アイスクリーム」を買って、原っぱに行くのだ。そこで、原っぱを眺めながら、ペロペロとアイスクリームを舐めまくるのだ。そうこうしている内に、私の「人生」は15分くらいで終ってしまうのだ。
これが、私の一日だ。
今日は、ちょっと本気が少し入った。「秋」だからだ。
それに、今日は、二つも掛け持ちしたからへとへとだ。
そう言えば、忘れていたが、またまた通信講座生の申込みがあった。今回はピアノの女性だ。楽器もエレキベース、ギター、ピアノとバラバラだ。だからテキストを作成するのも初回だから大変だ。講座は、長いアンケート調査による、個別の指導、、といった面もある。テキストを書いている内に、まるで「奥義(おうぎ)書」のようにもなっている。活かすも殺すもその人次第である。
どんな指導をしたとしても、結局、変わらない者は、一生、何もマスターせず変わらない、という事を、この何十年の教室稼業で十分承知している。
大体、最初に言ったアドバイスが、生涯続く、というのが典型的パターンではある。
何年、教室に在籍しても、何の進化も見ず、うやむやに消えて行く、という者が、現在の音楽シーンの主流の「人材」である。それでいて営利活動には、熱心である。
そのマンネリの壁を破るのは、まず、その環境を変えなくては無理である。精神的にも弱い者が、まず、その環境をそのままにして変わる事はありえない。彼等の歩んで来た人生には、まず、何かと立ちはだかる、友人、知人や、たいがい、元凶の「幼馴染み」とやらが控えている。
成長して自分を超えてもらっては困る、という強者側であるわけだ。しかし、この場合は、当初から、弱者の立ち場であった、という関係の者だ。
簡単に言えば、いつも親分でいた者を、子分の身分に引きづり降ろす事ができるか、という下克上の世界だ。恐ろしい世界のように思えるだろうが、そうでもない。世の中には、どっちでもいい、という人種がいる。
活躍しているから、と誰よりも上位に立てる、と振舞っている者がいたとしても、その音を聞けば、なあんだ、交友関係かあ、と言うものがほとんどだ。(日本のロック、ジャズは、まだ、大して、世界(西洋)に認められていない。日本でいばっているだけのように見える。しかし、白人が黄色人にそう簡単に熱狂的になるのか、という事も言える。ブルース.リーか?小沢セイジか?)
未知の世界に飛び込む、という事は、旧知の世界を捨てて行く事でもある。
新聞を見ると、元ドリカム(DREAMS COME TRUE:バンド)のキーボードが義理の姉に暴力とある。
有名DJの実兄とコンビを組み、新たなデビューを準備していた所、兄の名前は出さず、自分の名を出すべきだ、と主張する本人と、否、兄弟の名前で売り出すべきだ、とする、プロデューサーの兄嫁(41歳)と口論になり、暴力に及んだ、という。
現在の「ドリカム」のメンバーとは一切の交流はない、という。昔、あの、黒人スタジオ.ミュージシャンのギターの「フィル.アップ.チャーチ」だったか、、、を招聘して、コンサートをしたのを見た事がある。あの時にキーボードを弾いていたのだろう。
それにしても、よく義理の弟を訴えるものだ。警察に届けたから大騒ぎになったわけである。何もかも、破滅させてやろう、という感じなのだろう。結局、話合いでは、どうにもならず、そうした行動に平気で出る兄嫁である、、という事を本人が最初から感じていたのだろうか。
それにしては、現在のドリカムのメンバーとの交流もない、というのも不可解だ。元々、人間的に問題があったのだろうか。予想通り、あのバンドの世界進出は、ダメだった。サイトのどこに書いたかよく覚えていないが、、。
そう言えば、テレビでツイストの世良正則を見た。なぜか、最初から「世良さん」だった。
17歳の頃だったか、地元のある音楽事務所に出入りしていて、その事務所の地元のフォーク系エレキバンドのお兄さんたちも選ばれた、というので、バックバンドでもないのに、旅費も出してもらい、大阪のポップコン(ポピュラーコンテスト)の本大会について行った。初めての大阪だ。その本大会のリハーサルをあるスタジオでやっていた。
その時、やたらと芸能人ぽい男を見た。それが世良正則とツイストだった。曲は、「あんたのバラード」だった。
リハーサルが終ると、世良氏は、「よろしくお願いしま〜す」と場慣れた感じで挨拶した。大人のお兄さん、という感じだった。
本大会の楽屋では、われわれ沖縄勢は、片隅でたむろしていたのだが、世良氏は、中央に陣取って女性ファンをはべらかせ、大きな声で話していた。17歳の「子供」の私は、ただ、ただ、あたりを見回し、黙ってその大きな楽屋に座っていた。沖縄のバンドは、落っこちた。世良正則とツイストが、当然、優勝した。
この記憶は、ポプコンじゃなかったかな、サウンズ.ウィズ.コーク(コカコーラ主催)だったかなあ、と今でもはっきりしない。とにかく大阪だった。会場と阪急ホテルだけの往復で、大阪の街はさっぱりわからない。ホテルでは、大阪のバンドの部屋でみんな騒いだ。その時も、黙って話しを聞いていた。見るのも聞くのも、何もかもめずらしかった。ただボーとした記憶がある。
テレビで「世良正則」を見て、思い出した。
ちあきなおみ、ちあきなおみ、と話題にしていたらサイト読者で県外ファン第1号でわざわざライブにも来た事があるT氏がCDを4枚も送ってくれた。ちあきなおみの引退前の末期の2枚と余ったスペースに「友川かずき」、それと「船村徹自作自演集」と、高柳昌行の今年出た、という「カダフィーのテーマ」だ。霊界からか!、、とは、即座に言った。
昔、24歳の頃、「ジャズ.ボックス」という所で、ライブチャージ¥300のライブを毎日のようにメンバーを替えやっていた。
常連客の中に、口の悪い画家でハンコ(判子)屋稼業の小橋川氏がいた。今でもハンコ屋だろう。もう還暦は過ぎたか。とにかく口が悪かった。「友寄は、テクニックばかりで心がない!」と言いふらしていた。
たまにオーナーの我部(がべ)氏(我部氏が、本土の様々なミュージシャンを呼んでライブをしかけていた。山下洋輔氏に國仲勝男氏を紹介したのも我部氏だ)が、正面席の壁一面のソファに腰かけ、パイプを吹かしながら、「友寄は、いきそうでいかないな」とぽつりと言ったりしていた。
小橋川氏は、同じく画家で、大男であばれん妨のマキシ.ツトムの先生か先輩でもあるらしかったが、とにかく、口が悪かった。「やめろ!下手くそ!」とか平気で言っていた。
いつも大騒ぎのマキシ.ツトムは、「行け!友寄」としか、喚(わめ)かなかった。
ある時、客もたいしていないので、バンドの練習のような演奏をしていた。小橋川氏も適当に来て、カウンターにいた。小橋川氏は、「おまえは客を何だと思っているんだ!」と言った。
私は、当時、ものすごくテーゲーなゲージュツ家であったから、「300円だと思っている!」という不朽の名言を吐いた。24歳の頃だ。
すると小橋川氏は、突然、席を立ち、店を出て行った。
チッ!¥300が怒りやがって、、とやはり前人未踏の青春を送るにふさわしい青年特有の捨て台詞を吐いた。ジャズと恋と貧乏の3拍子そろった日々を送っていた。
¥1200のライブの稼ぎを3人のメンバーで分配する計算に電子頭脳を駆使していた。
しばらくして、小橋川氏は、突然、戻って来て、新品のカセットテープ10本にダビングした、様々なギタリストの演奏を「友寄!これ聴いて見ろ!」とカウンターに置いて帰って行った。
そのテープには、色んなギタリストの新作が入っていた。知らないギタリストもいた。ジョン.スコフィールドもあった。川崎僚もあった。ジョアン.ブラッキーンというのもあった。みんな新作ばかりだった。
私は、「ああ、こんなセンスのいい音楽ばかり聴いている人が客なんだ、、、」と、ちょっぴりショックを受けた。元来、自分の演奏がいつも大好きな男ではあった。どんな仕事であっても必ず、自分のアドリブ演奏を夜な夜な聴いて酒を飲んでいた。「うん!ここは絶品じゃあ!」と言いつつ独り言をぶつぶつ言っていた。あんまり良くない箇所には、シュンとなった。
恋すると女たちは、いつも、他のミュージシャンを褒めちぎった。だから、そうしたミュージシャンたちには、いつも嫉妬した。それから、色んな人たちに、色んな音楽をプレゼントされ、聴いて来た。
東京では、石原裕次郎全集をずっと聴いていた事もある。
今は、「船村徹自作自演集」をかけながら、これを書いている。今は、その2回目である。ちあきなおみは、友人が先に独占している。普遍のモダニズムを築き上げた私は、どんな音楽も消化できる。
*今日、突然、ノーベル化学賞を授与された、という男は、43歳だと言う。前衛パフォーマンスの「明和電気」の偽物のような顔をしていた。43歳っつうのは、おっさんだなあ、、と思いつつ、テレビを見ていたら、なんだかどっかで聞いた年齢のような気がして、母親には、言えなかった。
10年ぶりくらいで、「高柳」をかけたら、あまりの、完璧さに、しばらくして思わず止めてしまった。何時だと思っているのか!深夜どころではない。もう朝だ。この次にする。
100人くらいCD買う人いればなあ、もっと音楽を作っていけたのになあ。これがまあ、心残りだなあ。高校生が1日で売り上げるものを、43歳ともなれば、10年はかかるってえ時代に生れたんだからしょうがねえなあ。
後は、「還暦記念」の発売しかあるめえ。その時は、同情して100枚くらいは、あっと言う間に売れるかなあ。待てよ?その時には、もう指は動かないんじゃないだろうか?
やめ、やめ、「還暦記念」もやめ、やめ〜!みっともねえのは、残さなくていい。もう、その頃の老人ホームの年寄りは、みんな、CD発売経験者だらけだもんなあ。出してない奴の方が、稀少価値があるってもんだ。
よし!それで行こう。
PS:3回目、「船村徹自作自演集」をかけつつ、、、。
10月10日(木):野良犬となった子犬の話と船村徹自作自演集
しまった!この日は、沖縄にとって悲惨な「10,10空襲(じゅう、じゅう、くうしゆう)」の日だと言うのに、遊び惚けて忘れていた。小学生の頃から聞かされ続けていた、と言うのに。まあ、いい。また、何年か後に生きていたらふれよう。
「時々日記」と言うのに毎日書いている。アンネより偉い。いつもそうだ。決められた事以外の事をしてしまう。だけど、それは、しょうがない。16歳から31歳まで日記を書き続けた男である。これが北朝鮮なら、「あいつに日記を書かせてはならない!」と言う弾圧が始まるだろう。そして、「トモヨセ、サンは、ある日の晩、日記を書こうとして、ブランコから落ちて、アタマ ウッテ、シニマシタ、、」、と報告されるだろう。
よく意味がわからないが、そういう事になるだろう。その遺された日記を読んでようやく人々はその「無智」を反省し、後の世の若者は、その事を非難するだろう、、、、という呪いをかけつつ話しを変える。
念のため言っておくが、これは、ちょっと面白過ぎる、と言っては、削除したりしている。どうせ、眠気覚ましである。だから期待しなくてよい。
今日、野良犬の気持ちがわかった。
いつものように、アイスクリームを「食べて」いると、(今日は森永のチョコモナカだ、こだわりがないのが、私の特徴である)グランドへ向かって一匹の子犬が吠えていた。グランドには、飼い主らしき夫婦が、3匹の犬と戯れていた。グランドは、金網で囲われているから、丘の上の子犬はグランドにはその位置からは入れない。
子犬の首には、きたならしい首輪があった。子犬は、15メートル離れた位置で、モナカを食べている私には、気付かない風であった。無視しているようでもある。懸命に、グランドの3匹の「大人」の犬に向けて吠えていた。吠えてばかりではない。間近で、「犬の遠ぼえ」を初めて聞いた。
みんな、勘違いしているから言うが、私は、子犬に石でも投げて、追っ払おうか、と思っていた。
とにかく私は、静かに、モナカを食べたい、と思っていただけだからだ。
ココハ、オマエノ、クル、バショデハナイ、、、ココハ、、コノ、、オレサマノ、、クル、バショダ、、と考えていた。
さらに告白すれば、私は、動物嫌いだ。
犬猫がそばに、すり寄って来ただけで金縛りに合うような人間だ。これ以上、書くと、面白くなるので、やめる。それにしても、遠ぼえはないだろ、遠ぼえは!おまえも人生をあきらめ、もっと強くなれ!
モナカでも食べるかあ。
PS:BGMは、またしても「船村徹自作自演集」のCDだ。この時代に、真っ向勝負だ。「決まらない事」に挑んでいるんだな、、、。本当の「演歌」を見せつけているわけなんだ。みんな、迎合して来たから。
長くかぶさっていた人生の宿題を終え、、やがてまた、何十年も経た、友との再会の前に、やり遺した仕事をするわけだ。
深夜、ちあきなおみを取りかえしに行ったら、スタジオが閉店していた。
今日の夕方、「自然の味、ラーメン」を新都心のビルに食べに行った帰り友人の妻に遭遇した。
「味も自然だったが、腕も自然だった」と意味不明な言葉を遺してすれ違った。亭主共々、阿呆なのは、バレている。昨日、深夜遅くまで、3人で柔軟体操をしていた、という事もある。
ようやく、友人からちあきなおみの「黄昏れのビギン」の入ったCDを1枚だけ取りかえした。取りかえしがてら、ついでに今日のゴールデンタイムのK-1中量級の話しになった。今回は、ちょっとメイン.イベンターの「魔裟斗(まさと)」の試合も前座の小比類巻の試合があまりの阿呆さ丸出しだったので、完全食われてしまい、魔裟斗がドローとなっても、どうでもよくなった。
まあ、誰にも限界はある。とにかく魔裟斗の試合はどうでもよく、見てはいけないほどの阿呆さを小比類巻の試合で見た。コーナーに追い詰め、ノックアウト寸前だった、というのに、追い詰める事はせず、もっとリング中央へ出てきて戦いなさい、というようなジェスチャアーを出した。まるでレフリーがやるべき仕事を自分でやり、余裕を見せ、、結局は、ノックアウト負けされてしまった。
あきれるほどの練習法を取ってきた奴である。石井館長は、非科学的な練習ばかりをして来ている、、と評した。
前から売りの「線香を自分の腕に押し付け根性を試してみた」、とか、壁を蹴り続けた、とか、一番、笑ったのは、「朝からそうじだけをした」だった。そのたびに、「き、、聞いたか!」と友人へメールを送り、腹を抱えて笑った。(しかし、「床のぞうきんがけ」は、実際死ぬほどきついではあるが、、、。メールにも「あれは、きついっス」とは付けた。)
しかし、まあ、小比類巻もまだ24歳である。弱いのは、精神力ではない。その頭脳だ。自分勝手にもの事を考えられるほどの免許皆伝ではない。早くそのジムを変える事(あのジムだ!)、そして、とにかく自分で物事を考えない事。
ちあきなおみの唄に感銘を受けた、という友人は、職業柄か、この時代、80年代後期から90年代にかけての録音は、リバーブのかけ方が異常で、許せない箇所が、度々ある、、と指摘した。
部屋へ帰って再生すると、やたらCDの音が跳んでしまい、ミニ.コンポへ向かい、いいかげんに自己主張は止めろ!と思わず怒鳴った。
これが、最後だ、これをちゃんとかけないとおまえは産業廃棄物だ!と言うと、ちゃんとかかった。
かかったが、こいつを産業廃棄物にする事に変わりはない。いちいち夜中から機嫌など取っていられない。改心しても遅い。もう3回も高額な修理に出したはずだ。たかだかミニ.コンポの分際で。思えば、十数年のつきあいだ。
CDを聴く。何だろう、この刹那さは、、。ああ、恋に生きたんだな、あの時代に。ああ、このリバーブの事か。そうだな、場末な安酒場のエコーだな。でも、こう考えたらどうだ。
あの時代に、この歌姫を活かそうと精一杯の努力を「凡人」が発揮したんだ。アレンジは、かなりの老練なプロだ。「黄昏れのビギン」のイントロなんか、ビリー.ホリディだな。
おや?、、、この曲の刹那さは、、、なるほど、やっぱりあれか、、。
あれ?、、、オレも職業病じゃないか!。
4曲目、7曲目、13曲目。
不思議だなあ、音楽は。
世代を超え、ちあきなおみが、何を考えていたのかが、手に取るようにわかる。天地真理が同時期にいたわけだ。今の時代に生きる若者は、不幸だな。ガキの悩みに同情してる。不幸を望むスターと望まないスターがいるんだ。ちあき.なおみは、後者だった。いらないよ、そんな生活は、って。
色んな、時代の香りがする。
「お姉さん」たちの人生だ。
ぼくが、子犬だった頃の、、。
PS:3回目の試聴の最中だ。
今日は、風邪で延期となった生徒のレッスンを昼間からこなす。終ると、夜になっていた。だから、今日という、自分の一日は、目前の生徒を通じて学ぶしかない。
教える事は、テーゲーでよい。(「テーゲー」に関しては、10月2日の日記参照)どうせ、十言って、二つばかりしか聞いていない。しかし、私のテーゲーシーは、ある人にとっては、完璧ともなる。でも、その人にとって完璧な事でも、私から見るとテーゲーなように見える事もある。
どうせ生徒は、二つくらいしか聞いていないから、テーゲーでいいのに、私は、残り八のエネルギーを使って見せる。(別に、生徒でこの日記をマメに読んでいる者はいないからどうでもいい。ほんの、1,2人だろう。)そうして、また、次回会うと、それは、やっぱり無駄な八のエネルギーであった、とわかる。それなのに、いつもいつも残り八のエネルギーを放出する。
時折、ボ〜としていると、それは、なぜなんだろう、と考える事がある。あの八のエネルギーをもっと溜めておけばよかったなあ、と思う事がある。振り返ると、多くの無駄なエネルギーを放出して来た。
このエネルギーは、人知れず、秘かに何十年にもわたり、直径1センチメートルほどのオゾン層でも破壊しているのだろうか。もし、そうだ、としたら、何だか、ちょっとうれしい。ふ〜ん、そんな威力があったんだ、と納得できる。でも、こうも考えられる。
たった二つの事だ、と思っているけど、それを伝えるために、八つもの無駄なエネルギーを放出しなくてはいけないのだ、と言う事。それが、人生のメカニズムとすれば、無駄なエネルギーってのもそうないな、と思う。つまり、二つばかり知りたかったら、十くらい学ばなきゃいけないって事でもある。
今日、テレビで、浜崎あゆ?(「あゆみ」らしい。本人が「アユ」って言うから「あゆみ」だとは、思わなかった。)、、、がホステスの新番組を見た。ここでは、午後11時半からで、午後11時からの「明石家さんまの恋のからさわぎ」が終ってからだ。
「しゃらんQ」のつんくとまことちゃんのコンビがゲストで、ビートたけしとの対談もあった。「対」にはならないから「談」だ。ビートたけしが一方的に喋った。なぜ愛人がいいのかって話しをしていた。それから、この間、カミさんと、「井出らっきょ」やその他の者と食事をした、、という話しに「展開」していった。
昔、あんたを支えるためにスナックでバイトして一日¥8,000を稼いでいたんだ、、というカミさんの話しに、てめえ、そんなに稼いでいたのか!、となった、という思い出話しをした、、という話しを嬉しそうにしていた。カミさんは、でもあんたのおかげで、こうやって今は、ワインだって飲めるって言った、という話しに、井出らっきょもカミさんも涙ぐんでいた、という。。オチは、コイツ、イイオンナだな、とは思ったが、じゃあな、と言って店を出た、という話しだ。あゆは、適当に合の手を入れながら聞いていた。
あゆ、は、ビートたけしの「ドール」という映画の試写会に花束を持って現れ、きっちりと映画の感想を舞台で述べた。「物事には、永遠のもの、と、一瞬なもの、があるんだ、と思った」とっ堂々と舞台で、言ってのけた。昔、よく見ていた、トキオの長瀬主演のドラマで主題歌を唄っていたので、ボ〜と終りにいつも聴いていた。
目覚めた者を見るのは、とてもスリリングだ。色んな事を、光速に学んでいるようだ。「あゆ」は、ちょっと前までは、聴く気もしなかった。しかし、やがて、ファンが、とてもついて来れないステージにアップして行く事だろう。自我に目覚めては、内面までフランス人形でもいられまい。だから、いつも子供の頃から行っていた、という九州のとんこつラーメンのおやじの屋台がスタジオにセットされたんだろう。
まあ、ぜいたく言えば、屋台のラーメンを残さず、つんくもまことちゃんもみんな平らげてほしかった。ずっと一口しか食べていない、残されて冷えきったラーメンを見ながら3人の話しを聞いていた。
70歳になる、という屋台のラーメン屋のおやじが、番組が終り、三杯の食べ残したラーメンを捨てる所を想像していたら、年寄りは、いいもんだな、と思った。
番組中の演出だから別に、誰も悪くはないが、、、。
今日、例のごとくスクーターを走らせ、ステーキの店「ジャッキー」方面へ行くと、国道の両脇に大勢の人がズラ〜と連なっていた。見ると、横に「大綱引き」用の綱が敷いてある。あっ!まずい!今日は、「那覇まつり」で今から、地区に分かれて大綱引きをするのだ!まだ、歩行者天国になっていないのだ、と気付く。綱は、何百メートルにもわたっている。南と北からの男綱と女綱の「合体の儀式」を行なって連結させ、両軍適当自由参加で綱引きが始まるのだ。
足下を見ると、スクーターは、ちょうど綱の中央に来たらしく、オス、メスの先端が、無造作に置かれている位置で信号待ちをするハメになっていた。両脇の歩道を見ると、大勢の市民がこちらを向いて何キロも並んでいる。
うっひゃあ、こりゃあたまらんくらい恥ずかしい!と、右折して逃げる事にした。この先も、もう一方の綱が、行く先方面に何百メートルも敷かれているから、同じ状態だ。
あまりの見物客の数に、知り合いに目撃されるのが嫌だったのだ。一目を避けるように右折信号と同時に逃げ出し、目的の「ジャッキ−」へ着いた。ジャッキ−では、Cランチ¥480を食べた。それから日曜日専用にしている例のマンガ喫茶へ行った。新聞を見ると、今日は、チェックすべきテレビ番組がたくさんある。
ピックアップすると以下だ。
4CH:18:56 〜21:00、北野武と色彩の魔術師たち
4CH:21:00〜22:54、GODZILLA「ゴジラ」(以前も見た)
NHK、12CH:芸術劇場:22:51〜0:15、「売り言葉」野田秀樹作.演出、大竹しのぶ
NHK、2CH:深夜1:45〜3:16、ゴジラを音楽にした男
テレビ.メニューに間に合わせて、帰路についたつもりが、途中30分も道に迷い、また元のマンガ喫茶に来てしまった。
今日という今日は、自分が信じられなかった。あまりの方向音痴にあきれ果て、終いには、霊のせいにし、この辺には、結界がある、と、思わずつぶやいた。(知らない道を通りたがる習性があるのだ。メインルートは、「景色」がつまらんからなのだが、今回は、メインルートの帰路についたつもりだったから恐ろしい。)
というわけで、「結界」を破り(ようやくメインルートだ)、30分遅れで、たけしの番組を見た。色んな世界の「色」にこだわっている人たちを紹介し、最後は、建築の世界を紹介するのだが、部屋のテレビで見るかぎりでは、何がきれいなのかさっぱりわからなかった。ああ!、ハイビジョン、ああ!液晶!と思わず叫んだ。結局、まあ、とにかく美しいんだろう、と思う事にした。
テレビのアメリカの「ゴジラ」は、本当は、”ゴッド(絶対神)「ジラ」GOD.ZILLA”でパロディだ、とわかった。以前にも見た。別物だと思えばいい。
若者の生徒で、喫茶店でスパゲティ−を注文したら、「ソーミン.チャンプルー」が出て来た、という体験をした者がいる。(流し素麺の麺を茹でたスパゲティ、と思えばよい。「チャンプルー」=「あれこれ交ぜこぜ」、土地の常食である。手抜き料理の代表)
文句を言おうにもウエイターの兄ちゃんが、ちょっとこわもて風だったので文句も言わず、おいしそうに食べ、店を出た、という。
このアメリカ映画の「ゴジラ」は、日本映画界にとって、そんな感じの映画だろう。
終ってからチャンネルを替え、大竹しのぶの舞台を初めて見た。しかも一人芝居だ。延々と喋り倒す。すごいなあ、よく台詞覚えているなあ、と感心する。見ている内に、次第に筋がわかって来る。なるほど、詩人、高村光太郎の「智恵子抄(しょう)」は、そんな感じの偽善詩だったのか、、とわかった。(若い娘と不倫して、狂った妻を5ヶ月もほったらかしているのに愛していた、という詩を書いている)一種の暴露劇だな。大竹しのぶが、ちゃんと「本業」の仕事をしている所を初めて見た。さんまも、ああいう「現場」を見たのか。あっそうか、その後の野田秀樹との恋の頃か。それにしても、「女優」は、何でも知ってるんだよねえ。
睨んだ通り、深夜1:45〜3:16、「ゴジラを音楽にした男」は、作曲家、「伊福部昭」の事だ。全貌を知ったのは、東京で、「伊福部昭(いふくべ,.あきら)」というような分厚い本を本屋で立ち読みしきってからだからもう何十年にもなる。(2時間くらいかかった。買えなかった!)
音楽の方は、ずいぶんと子供の頃から映画でお馴染みだ。だって昭和30年代だもん。だから、新しい、という感覚はない。とにかく、昔の人は偉い。この伊福部昭氏と故、武満徹氏の流れが個人的には興味ある。世代も親子ほどではないか。
しかし、長生きして、先に亡くなって行く優秀な弟子たちを見る師匠の気持ちはどんなだろう。現存している弟子も蒼々たる現在の「権威」となった顔ぶれで恐ろしい。しかし、そのトップである「組長」は、常に、やさしい、、と改めて納得。
信じられない早さで、たった一人だけ、西洋を駆け抜けた天才だろう。努力じゃない。やっぱり「天才」だろう。何事にも揺らぎない「信念」を実践した、というのは、天才ならではの強靱な「意志」を持っているからだ。普通は、あれこれ、寄り道するもんだ。時代がいつも味方している、という点でもわかる。(今は、若い層の支持が主流だ)
音楽を改めて聴いて見ると、どうも、あの「スターウォーズ」の作.編曲家、ジョン.ウィリアムスに、時折、「伊福部」を感じる事がある。
低音のコントラバスの弦をゆるめ、それを強調して弾いて、伊福部は、ゴジラの「雄叫び」を創造した。(小学生の頃か、学研の本で知った。あの音は、どうやって作るの?って特集だったか、、。また、昔、久米宏のクイズ番組「ぴったしカンカン」でも問題にしてて、しかもコントラバスで誰かが実演して見せていた。)
ジョン.ウィリアムスは、ジョーズの接近する感じをコントラバスで出して恐怖感を演出していたじゃあないか。
まあ、しかし、もはや「管弦楽」のお勉強は、恐竜の実体を調べるのと同じくらい考古学の部類に入る。あまりにも膨大な勉強のわりには、生涯に数度の編曲経験しか持てない、というものだ。大半の者は、「ゼロ」と言ってもよい。(オーケストラのために要する経済的な面からだ。)
まあ、しかし、今日は、芸術の秋らしい、テレビチェック、となった。
念のため、言っておくが、沖縄は、「芸能国」では、あるが、「芸術度」は、統計通り、全国最下位である。是非は問わず。
そう言えば、番組のホスト役の大江千里氏は、昔、「大江千里:横浜球場コンサート」の会場を大雨の中、会場の解体撤去のバイトで徹夜した、という本人も知らない「縁」がある。
また、ナレーションの濱中(はまなか)氏は、NHKスペシャルなどでもおなじみの、将来のNHK会長ではないか、と思われるほどの地味ではあるが大活躍のアナウンサーではある。80年代、彼は、沖縄のNHK勤務で、沖縄ジャズ協会に対抗しての、彼の友人でもある同世代の仲本政國(ピアノ、作.編曲)氏が主催した数々のジャズコンサートの司会を担当していた。その大抵のコンサートに私も出演していたのでよく知っている。(仲本政國カルテット、仲本政國ジャズオーケストラ。)
渡辺香津美が好きだ、とペコペコと絶賛している番組を見た。そんなわけで、妙な気持ちで、伊福部昭氏の特集番組を見ていた。
今や、芸術とは、無関係な者が、芸術家にあこがれる、という事がよくわかった。自分も含めて。
さて今週は、レッスンで忙しい週だ。
今日は、何かと、あわただしく、身体もくたくただ。
マッサージ師を探すプロジェクトも始まった。
そう言えば、昨日、大江千里が、88才になる伊福部昭氏に、インプロヴィゼーションを捧げる、として披露していた。伊福部氏が、クラシック和声の平行5度移動の禁じ手を無視した人、と聞かされ、自分でもその規則を破り、平行5度を多様してハーモニーを作って即興していた。阿呆じゃないか、と思った。何で、伊福部昭氏に平行5度を捧げなきゃいけないんだ。
奇妙な奴だなあ。
平行5度とか、クラシックの禁じ手をいっぱい使ったのが、ジャズだってのに。
彼は、何をどうしたいんだろうか。メインでは何もやらず、いつも、つまみ食い程度の入れ込み用だ。「トップランナー」での彼と他ジャンルのゲストとの共演モノは、たびたび、目撃している。
伊福部氏より以前に、目の前にいる彼の弟子たちが、まず、蒼々たる作曲家って事もわからずに。あのお、組長いますか!って感じかなあ。若頭や若頭代行たちを差し置いて。
才能があるなら、それをちゃんと披露して世に問うて行け。何でも、コンパクトにおさめる事は、誰でも簡単なんだぞ。伊福部氏の凄い所は、もう誰もあれをやれないって事なんだよ。特許の問題だ。
武満徹のスピリッツが、わかっていない。
、、というような意味不明事を述べて一日の幕を引くとする。
別に、大江氏に恨みはない。しかし、ひけらかしは、いけない。見ていて恥ずかしい。視聴者は、素人ばかりではないぞ。
今日も死なない内に日記を付けておこう。
私の変態性は、自分でもたまにサイトの文章を読み出すと、「こいつ面白いなあ」と読みふけってしまう事だ。一日でも経れば過去の自分だから、今の自分とは、関係ない。この先、下着泥棒をするかしないかは、未来の自分が考える事だから、今の私も関係ない。一貫しているものがあるとすれば、それは、私の考える事ではなく、他人が分析すべき事だ。
最近、数少ない読者から、以前、このサイトは面白いです、とメールを出した時、ああ、それはね、「市民が輪になってフォークダンスを踊ってるなかに一人変態が何気ない顔して一緒に手を繋いで踊ってる、、」そんな感じです、と言っていた、と教えてくれた。
まだ、サイトに飽き足らず、メールでも妙な事を言っていた頃だ。
記憶にないのだが、それを知って、ああ、面白い!、と思わず唸ってしまった。もし自分とそっくりな人間がいたら絶対、嫉妬しているな。
最近は、裏稼業で、ニュー.ビジネスに「投資」している事もあって、まあ、この生徒なら、と「どうだ、これ、ちょっと利用してみないかあ〜?」と、言ったりしている。
「これを利用するとどうなるんですか?」というので、「そりゃあ、オレが金持ちになる。オレが金持ちになるとみんなが幸せになるのだ!」と言っていたりしている。
言っておくが、私が、「ねずみ講」にひっかかる事はない。ただ、ギャンブルには、ひっかかる。ビジネスはすべてギャンブル的要素がつきまとう。何事も「リスク」を負わなくては、ギャンブルは成立しない。
え!知らなかったの!
私は、その昔、毎朝、8時半には、パチンコ屋で「パチスロ」の「モーニングサービス、1回当たって¥5,000!」目当で店の前に朝から並んでいた男だよ!
その金で、一日10時間もマンガ喫茶で過ごし、バンドマンの仕事が来るのを待っていたのだ。
若者の教育上、大変、好ましくない人物ではある。
でもまあ、今まで、非合法な事は、大してやっていない、と思う。
だけど、こんな私でも、目の前で、本当にやっちゃあいけない事に対して、平気でやっている連中がいたとしたら、首を鳴らして立ち上がると思う。嗚呼、ここで死ぬのか、とちょっと悲しくなる。だから、私は、悪に対しての許容範囲がとても広い。死にたくないからなのだろうか。
PS:
これも、不朽の一文だ。
今、ちあきなおみのもう一つのCDから「上海(しゃんはい)帰りのリル」を聴いている(これは、沖縄出身の作曲家、故、渡久地(とぐち)政信だ。時を経て彼が再生して、春日八郎「お富さん」だ!)。もうCDをかけて何回目だろう。歳を取るのは、いいもんだなあ。刹那さが、格別だ。若者よ!。オレを、みじめな中年と思う? ケッ!
でも、真似すんなよ。無理、無理!自分流に生きなさい。どんなにかっこ悪くてもね。かっこ悪さも、また、面白い。
10月13日付の日記で「北野武と色彩の魔術師たち」のテレビ番組を見た、という話しをしたらメールが来た。私より一つ下の42才の男性である。以下は、そのやりとりだ。
『先生の日記を読んでいて思い出したのですが、私の友人はカラーセラピーという仕事をしていて、"たけしの色彩云々"という番組をしきりに見たがってました。(結局見れなかったのですが)それで何を思い立ったか急に"ドールズ"を見たいと言いだし、昨夜慌てて奈良まで車を飛ばし、滑り込みセーフで"ドールズ"を見ました。
北野武が今、色彩をキーワードに考えているというのがドールズを見てわかりました。一貫して"この男凶暴につき"以来、彼が憎んでいる物が何かもよくわかる映画でした。
ただ映画を見終わって感想がまるでない映画でした。
友人とも全く映画に関しては話さずじまいでした。
最後に別れ際、「映画、綺麗な色やったね」「そうやね」だけでした。
見た人が全員自分だけに向き合わなければならなくなる映画で人と分かち合う感情が不在の映画でした。いいとも悪いとも思わない映画を見たのは初めてです。』
、、というメールが来たので、以下のようにQ&A形式にして返信した。
『北野武が今、色彩をキーワードに考えているというのがドールズを見てわかりまし
た。』
A1:新聞を読むかぎり、海外で二分したという賛否両論の否定の方の論拠が的外れ、であった、という事になりますね。ぼくの批評論でいくと。
よくある日本調の世界じゃないか、、というね。ぼくは、見てないのですが、黒澤明が「夢」でやった美術的感覚の世界ですよ。「美しければすべてよし」です。この場合、すべてが「色彩」だったわけです。筋は、ただ借りて来たわけです。だから「外人受けするためのオリエンタルムード」という評が的外れなわけです。
『 一貫して"この男凶暴につき"以来、彼が憎んでいる物が何かもよくわかる映画でし
た。』
A2:テレビでは(註:これは、筑紫哲也NEWS23での筑紫氏との対談)、暴力には、痛さがつきまとうものだ、、と言ってましたね。ハリウッドとかのアクションシーンにはそれがないから、、と。ああ、痛そうだな、というね。
『 ただ映画を見終わって感想がまるでない映画でした。
友人とも全く映画に関しては話さずじまいでした。
最後に別れ際、「映画、綺麗な色やったね」「そうやね」だけでした。
見た人が全員自分だけに向き合わなければならなくなる映画で人と分かち合う感情が 不在の映画でした。』
A3:これは、右脳だけで見ていた、という事です。おそらく台詞が出ると、左脳が作動します。なるべく減らして、右脳だけの世界に放り込むわけです。感想がないわけじゃない。左脳が作動していなかった、という事です。様々な色彩に対する言語が、見当たらないって事です。音楽でもあります。器楽曲の世界です。言葉で、まだ表現できないわけです。
タルコフスキーの映画もそうです。
『 いいとも悪いとも思わない映画を見たのは初めてです。』
A5:ボディブローのように、あの「色」が右脳に出てくるかって事です。
そしてそれをもう一度、浸りたいか、って事です。評価は。
でも恐らく、日本の「色」を伝えるものは、何かある?ってなった時に、「穴場」のような映画となって、代表していくと思います。
黒澤の「夢」と並んで。黒澤は、イメージにある昔からの、おとぎ話しをイメージ化したんだと思います。
色彩感覚、、というのは、ひたすら浸るしかないわけです。
ちょうど、ハーモニー感覚のようなものです。
メロディは、言語化できても、ハーモニーを言語化するのは、困難です。
それだけ、日本語から忘れ去られたって事です。あるいは、ハーモニーのように、もともと、ないか。ドール評ではないですが、、、。見てないのですが、わかります。
黒澤は、シェークスピアを借りて「美術」した、わけです。すぐに「筋」を見る、左脳型には、鑑賞は、無理です。、、というわけで、ぼくも、その色彩に浸ってみたいわけです。
この解説で、世の中で十分、斬新で、通るでしょう。見たらもっと適確な評をするでしょうが、北野たけし映画の評論家でもないので、やる事はないでしょうから。
人物評は、やりますが。それさえもサイトで本気になってやる事ではないです。金にならない!創作者は、哲学が勝負ですから。哲学は、何を意図しているのか、って事です。これは、頭での理解じゃない、「境地」です。
草々。』
『友寄隆哉先生
"ドールズ"に関してのメール大変ありがとうございました。
う〜ん先生やっぱり凄いです。
見てないのに何から何までわかってるなんて・・・
確かにあれは"夢"の手法です。
見終わって風呂に入っている時気付きました。
まあどんな手法でもよかったんでしょうが・・・
先生の、あれ以上の評価はおそらく無いと思います。
『様々な色彩に対する言語が見当たらなかった』んです。
その通りです。
『もう一度浸りたいかが評価になる』というのもまさしくそうですが誰も言ってないですね・・・
勉強になります。
ありがとうございます。
凄いです。』
『前略**さん、日頃からですね、流行っている映画を見ないで、大分遅れて出るビデオを見ているから、推理するようになったわけです。ちゃんと映画館行く人間にならなくちゃいけないんですが、、、。近所に映画館ビルができたので、ちょっと変わると思います。
> 確かにあれは"夢"の手法です。
> 見終わって風呂に入っている時気付きました。
> まあどんな手法でもよかったんでしょうが・・・
>
> 先生の、あれ以上の評価はおそらく無いと思います。
ないと思います。ビートたけしも嫌がると思います。
ドールズに関しての色んな評をこれから楽しんだらいいです。
大体、的をはずしている、と思いますから。あんまり早く公表すると、それを聞けませんからね。
昔から、気になる映画についての解説は、独特な視点です。わからないのは、黙って口を開けて見ています。
でもまあ、真面目に、印象に残った映画の解説をしたらきっと面白いと思いますが、わざわざやりません。マンガも口を開けて楽しんでいるだけです。右脳全開です。
草々』
『友寄隆哉先生
メールありがとうございます。
今さらなんですが、先生のように明晰な人は珍しいですよ。
いやホントに・・・貴重な存在である事は間違いないです。
ご自身でもわかってらっしゃると思いますが・・・
ニーチェの言う"目覚めた存在"です。
私ごときが何か言える相手ではないです。
当たり前ですが・・・
ただただはぁ〜と感心して聞いて勉強させて貰うだけです。
『でも恐らく、日本の「色」を伝えるものは、何かある?ってなった時に、「穴場」のような映画となって、代表していくと思います。』
この文章以降の洞察は私だけが聞いてるだけじゃ勿体ないと思いました。
すごくいい本を読んだ時みたいな気分です。
残念ながらこちらから発信出来るものは現在何もありません。
将来私も発信者となっていたいですが・・・
多分身の程知らずの考えでしょう。
今言えるのは「また宜しくお願いします」という事だけです。
頑張って何か喋れるようになりたいですが・・・』
以上、メールやりとり一部始終。
後記:
私には、20代の頃、故、淀川長治氏が、ある日の日曜日のテレビの映画劇場のオープニングで、黒澤明氏の近年の作を批判する日本人に対して、「日本人はね、感覚、、、感覚というものを理解する能力に欠けているんですよ!黒澤さんがすぐれているのは、「感覚」なんですよ!」と激怒している場面を見た。まるで私が叱られているようだった。
PS 1:
今日は、こんなメールも来た。以前、高校生の頃教えていた男子生徒だ。今は、イギリスにいる、という。平日の深夜にも及んだライブも高校生の頃、夏休みに一度だけ、叔父さんに連れて来てもらっていた。CDも全作持っている貴重な若者だ。
『(前略)、、、ネットカフェで先生のページを読むたびに20年近くも回りに甘えて生きてきた自分を自覚し恥ずかしくなります。半年間、これまでの自分を殺そうと努力しました。そして過ぎた八月に誕生日を迎え私も成人しました。いろいろ大切なことを教えてくれた先生に感謝しています。
去年の終わりにサンパワーミュージックを卒業させられそうになった時は人生の中で一番焦りました。自分の生き方を変えなければと真剣に考えました。先生は自分にとって一番の教師です。、(後略)
PS.12月の中旬から沖縄に三週間ほど戻ってきます。その時先生のライブがあれば必ず行きたいので教えてください。 』
この箇所には、以下のように返信した。
『〜(前略)、、、ついに成人になったか。聖人ではない。何かやったら新聞に名前が出るからよかったな!
これまでの自分を「殺す」のではなく「活かす」のだな。「自己改革」というな。ワシは、「修行」と言っているな。過去は、否定できないな。その過去があったから「現在」がある、と思える「現在」にするんだな。そうすれば「過去」も貴重だな。
「殺して」は、学べないな。以前の自分は、こうだったな、、と常に、その変化を比較するんだな。
PS:ライブを引退したワシは、全国約3人くらいのファンの間で惜しまれているな。』
先生稼業、長し。二人は、食えねども、、、。
PS 2:「友川かずき」と「ちあきなおみ」
「友川かずき」を送ったわけではなく、ちあきなおみが友川かずきを唄ったものを付け加えた、という事を知った。間抜けにも、「あれ?友川かずきは、入ってない?」と言ったら、勘違いしていた事に気付く。
ちあきなおみは、色んな歌を唄うんだなあ、と思って聴いていた。ちあきなおみが、友川かずきのファンで、「おいでおいで〜」と紅白歌合戦でも唄った”夜を急ぐ人”って曲は、友川かずき、だった、と知った。
子供の頃聴いた、あの「ちあきなおみ」のおどろおどろ路線は、友川かずきだったんだな。
そもそも友川かずきの曲は、1曲くらいしかちゃんと知らない。二十歳くらいの頃、テレビでライブを見た。この曲だけが二十歳の若者には、インパクトがあったんだろう。同居していた従兄と、よく冗談で互いの首を絞める真似をして、頭を揺さぶりながら「生きデるっデ言っデみろよお〜!」と言うのが、突然のギャグだった。このギャグを知っているのは、従兄しかいない。だから、もう、長い間、やっていない。
今日も一日が終る。
そういえば、昨日は、新番組「天才柳沢教授の生活」を見た。教授には、松本幸四郎、その長女婿に、小日向文世(こひゅうが.ふみよ)。小日向文世という男優は、「ビッグマネー」で初めて見たのだが、調べて見ると、知らないのは、私だけのようだ。いかに邦画やドラマを見ていないか、というのがわかる。
いい役者は、途中から知った視聴者でもすぐに顔を記憶するほどの存在感を見せるものだな、とわかる。見慣れている者には、「普通」でも、やっぱりどこから知ってもインパクトはある。1954年1月生まれ、自由劇場出身、とある。なるほど。吉田日出子の一味か。
沖縄出身の国吉涼子が、三女役の大学生で出演している。マンガでは、確か、この三女の目を通した視点で描かれている。これは、三女らしい漫画家本人の実在の大学教授の父親をモデルにしていたはずだ。
昔、9巻くらいまでをマンガの古本屋で購入して、何かしらのプレゼントか差し入れにした。
国吉涼子は、昔、近所の沖縄風「ぜんざい(お汁粉にかき氷りを入れる感じ。)」の店でバイトしていたらしいが、覚えていない。
ただ、このぜんざい屋は、出前配達が売りで、夏は大忙しで、オーナーは、まだ、20代か30才あたりなのだが、起業家として大成功した、と新聞でも取り上げられた。若者向けのぜんざい屋、と言う感じで、サーファーの店、というイメージもある。
困った事に、ここの電話番号と私の電話番号が何かひと桁ちがいでよく似ていて、7,8年前のオープン以来、毎年、夏になると、毎日、「**屋ですか?」という電話が来る。めんどくさくなって、一度、「ぜんざいはもう売り切れです、すみません」と言った事がある。今年も電話は、あった。
ここにまだいて、国吉涼子をよく知っている、という金髪若者店員のバンドがスタジオに出入りしている。ヤンキー風でタトゥーもしているが、好青年たちだ。スタジオでは、友人が、私を指差し、こんな大人にはならないように、、と若者たちを諭している。やっぱりぜんざいは白玉餅は3個はないとなあ、と私が言ったりしているからだ。
国吉涼子の事は、置いておこう。NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」もほとんど見ていなかったから何とも言えない。ただ、今回は、怒った演技の中にも愛嬌がないといけないバラエティ−ドラマの役づくりをしなくてはいけない。
マンガのドラマ化は、むつかしい。むつかしいのは、マンガを知っている者が見てしまうからだ。だから松本幸四郎の演じる役は、とてもむつかしい。子供の頃は、マンガを見ないで、永井豪のマンガをテレビ化した「ハレンチ学園」なんかを見ていた。あれは、OKッス。
特にまた、今の時代は、このマンガの持つ面白さを現実化するのは、大変だ。何気ない面白さを現実化するためには、多少のデフォルメ(脚色)がいる。このデフォルメが、「今」を突いていないければ、空回りしてしまう。
なぜなら、元々、マンガが成立する世界は、擬似の現実の世界だからだ。そもそも、その一切合切(いっさいがっさい)が、「非現実」の空間である。したがい、あるイメージがあって、これを「現実」の世界に「翻訳」しなくてはいけない。
「翻訳」するためには、今度は、「その時代の感覚」というフィルターを通さなくてはいけない。例えれば、こうもりの旨さを伝えるために、こうもりの丸焼きでは、受け入れてくれない、という民族もある、、という事だ。しょうがないから、その国で人気のラーメンに、手足の空揚げあたりから入れて見たり、といった工夫をするわけだ。いきなり頭部は、ちょっとまずい。
そうした「時代の感覚」はあったとしても、今度は、そこに、ターゲットとなる視聴者の感覚と合致させなくてはいけない。しょう油味を好むのか、味噌味なのか、、、。
これを合致させても、それをまたさらに、より大衆化して、より大多数の視聴者の感覚に合うようにしなくてはいけない。ヒットさせなくてはいけない。しょう油味だけではダメだ。
、、とこんな手続きを経ている内に、ドラマは、マンガの原作とは、別のものになって行く。
松本幸四郎は、一瞬、この原作にない、演技をした。
商店街で、柳沢教授の問題提起に大騒ぎの議論となった人々の群れを、帰宅時間だから、、とすっと離れ帰路につき、しばらくして、ふっと後ろを振り返り、群衆を見て、微笑んだ。その笑みには、議論しなくては、何も解決しない、という役割を演じた(トリックスター的な、、)自己の軌跡をクールに振り返り、その結果に満足した、という意味が込められていた。
なるほど。
教授の視点を二つ置くわけか。演じている自己、それを時折、客観視する自己。原作をさらに深め、教授を哲人にしてしまう、というわけか。
では、そうなると、演じている自己を、どれだけ自然に行なうか、という演技にすべては、かかってくる。これが最初から、「自己を客観視する自己」を主体としてしまっては、打算的な立ち振るまいになる。
あくまでも、自己を客観視する自己は、すべての演技が終った隙間にかいま見せなくては、原作を超えた、テレビドラマならではの表現法を見出せない。う〜む、これは、難題だ。
なんで私が、心配しなくてはいけないかもわからない。今日は、ちょっと松本幸四郎になって遊んで見た。阿呆ならではの遊びである。
こんなことを考え、学芸会で演技している小学生がいたら、たたく。
この所、ちょっとずつ時間を取り、通新教育生のためのテキストづくりをしている。さっき、やっと理論編の第2弾のテキストを完成させた。一気に書けばいいのだが、何かと集中力がいる。むつかし過ぎてもいけない。あらゆるレベルを想定して書いておかないといけない。かと言ってあまりにもわかりやすく念入りに解説しすぎるとテキストは、膨大になる。
この何十年、個人レッスン生への解説は、持参させた音楽ノートに私が、解説を加えながら書いていく方式だ。1年もすれば、ノートは、何冊にも及ぶ。すべて、私の直筆の手書きノートだ。
だから、これまでに書いて来た、レッスンノートは、おそらく何百冊にも及ぶだろう。一人5册はある、と見ても、5百冊は、書いて来たはずだ。
こんなエネルギーをかけたレッスンはない。何度も何度も同じ事を解説して来たのだ。
ところがこうしたレッスン生のノートにも不備はある。譜面や大切なポイントは、記載されているとしても、その「解説」は、すべて実際の言葉に依る。この解説の言葉の詳細は、いちいち記載されていない。
時折、生徒自身が重要だと思われる指摘は、余白にさらさらと生徒本人がなぐり書きしていたりする。しかし、通信生の場合は、そうはいかない。この逐一の解説をちゃんと記さないといけない。
だから、例え、何百冊と書いて来たとしても、通信生のためのテキストは、まるで、宮本武蔵が「五輪書」を書いたかのような気分になる。レッスン生の場合は、解説した「言葉」の5分の1程度が、彼等の記憶に残される。
だから、この通信生のためのテキストは、本来は、レッスン生にとっても詳細な記載がなされているテキストではある。
ただ、彼等は、実際、目の前で、歌を唄わされたり、楽器を弾かされたりしていているから、できるまで何度もやりなおしが利く。
あまりにもできないでいると、私自身が飽きてしまい、別の課題を作成したりしている。できない者の人生にしつこくつきあっているよりも、自分自身が、何か、新しい事を創作した方が、私のためによい。
なぜできないのか?、は、毎回、述べている。練習しないからだ。
とりわけ、あぶく銭の音楽営利活動に足を踏み入れた者は、もう終り、、である。大したレベルでなくても、重宝され、金銭を得る事ができるから、ここで出す課題などやるわけがない。
彼等は、目先の金銭とその仕事しか目に入らないから、生涯、進化する事はない。それくらいの能力でできる事をただこなして得意になっているわけだ。つまり彼等は、「仕事」をこなしている、という事になる。
したがい彼等の仕事は、物理で言う「ジュール」という単位で測定可能である。つまり、単なるエネルギーの放出である。
これを単なる、エネルギーの放出にしないためには、どこかで新たなエネルギーを吸収しなくてはならない。
屋台でラーメンを食べていると、沖縄観光ガイドブックがあった。パラパラめくっていると、「沖縄のライブハウス」というのがあった。ジャズ系だけでもかなりの数があった。
このガイドブックを見る度、現在、沖縄で音楽の「仕事」をしていない、プロと称する者は、私一人ではないか、と思われた。どうやら、みんな毎夜、楽しい夜を過ごしているようなのだ。
普通、40才過ぎて、浮き世の楽しさにはまってしまうと抜けだせない、と言っているが、私の場合は、飽きてしまった。そこからは、何も生まれない、という事に、気付いてしまった。あれから何年も経れば、なおさら、それが正解な選択であった事がわかる。どんなにエネルギーを放出しても不毛なのだ。
昔から不毛な事が大嫌いなのだ。ルーティン.ワークは、歯磨きくらいにしたいのだ。その歯磨きでさえ、テレビを見ながら30分はかかる。
どんな事に従事するにしても、「理念」がなくてはならない、と思う。この、「理念」が不在な所は、例えどんなに「今」が快適であったとしても、必ず、終りが来る、と思う。理念があれば、どんな不快な状況であったとしても、必ずその「隙間」に「快」を見つけ、日々の仕事に従事できると思う。
そのためにも、「理念」は、常に、荒唐無稽でなくては、創造する甲斐性がない。できあいの「理念」は「仕事」に意味を与え過ぎる。
PS:八千草薫の恋
笑いの王様は、誰だろう、となった。ノった時の島田紳助は、松本ひとしも及ばないだろう、となったが、友人は、漫才の中田カウスボタンが、子供の頃からのアイドルだ。
しかし、この間、さんまが、八千草薫の恋愛秘話を「さんまのまんま」の対談で聞き出した。相当に失礼な聞き出し方だったが可笑しかった。
八千草薫と19歳年上の元映画監督の夫との話し。
こんなに歳が離れていてはいけないからもう会ってはいけない、という監督の手紙に、八千草薫は、あるホテルでの無理矢理な、待ち合わせを決行する。どんな事があっても待ってます、、と。
監督は、ホテルのまわりをうろうろとし、意を決してようやく現れる。
現在、八千草薫、70才。夫は、ちょっと身体が不自由である、という。映画監督だった、という夫の名を言われても、さんまもわからなかった。
色んな、恋の物語りがある。八千草薫の演技のルーツは、そうした過去にあったのか。ああ、これは、吉永小百合だな、と思ったら、生涯独身を通している原節子が思い浮かんだ。出演した映画の監督は小津安二郎が多かったな。
全霊を込めて決めた事は、例えどんな事があっても後悔はしない、、と言う事か。しかし、まあ、それも相手次第だろう。大概は、後悔している、、らしい。
大学進学を控え、現在、米国の高校に在学中、という男子生徒からメールが来た。
『何か哲学書にしてしまえるような膨大なテキストは圧巻です。まだ全て読み終えた訳ではありませんが、それぞれのテキストも非常に充実していて感動しました、、、ので、知人にこのHPを友寄さんには無断で紹介して回っていたところです(笑)。』
うむ、中々、優秀な若者である。的を得たホームページ評である。十代あたりからこのホームページを読めるというのは、幸せなのか不幸なのか、は何とも言えない。
なぜなら、世の中は、理不尽だ、とわかっていても従わねばならない事がほとんどである。私自身は、「ああ理不尽だな」といつも思い、黙って従って来た。なぜ従うか、と言えば、それは、その時、その時により、理由は、様々であるが、総じて、お金のためか、あるいは、その人の技を学びたい、と思ったからだ。人間性なんて端(はな)っから求めていない。あるに越した事はないが、ないに決っている。
逆に、人間性を重視すれば、今度は、技に劣る所が出る。兎角(とかく)、この世は、住みにくい、、、、。
ついこの間のようにも思える私の十代の頃は、毎日が、地獄のような日々だった。やらなければいけない事が山と積まれ、何をやっても充実感はなかった。ただ黙々と競争社会の日々を生きた。競争的文脈では、「仲間」は生まれない。何もかも一人で決めた。相談する者は、一人もいなかった。その後、色んな「仲間」を得た事もあるが、友寄は、突然、ドアの前に現れ、突然入って来る、と言われた。毎日、何をして過ごしているか不明だが、ここに現れるから仲間だ、という事になっていた。
今、こうして自己を売る稼業に生きて見ると、時折、売る気がなくなったら、さて、どうしているか、と思う事がある。
部屋は、乱雑にしてある。乱雑という整頓である。この部屋を見るたび、「お正月は、どうすんだろう」という気分になる。でも、きれいにするわけには行かない。いつでも、こうだったらいいのになあ、という宿題をいっぱいかかえている。これでいいんだ、という風にはしていない。
この方が、私には、合っている。いつでもすべてを無くせるようにしている。何だ、誰もいなくなってしまったのか、さて、これからどうしよう。
取りあえず、才能というものは、自分で決めるものではない。なければないで生きて行く方法もまた、無限にある。
取りあえず、バーチャルな世界の住人には、なっている。さほど、積極的ではないのが、特徴と言えば、特徴である。さて、ここで、表と裏がひっくりかえるかどうか。取りあえず、これが最新の表現手段だ、という。だからファーブル昆虫記のように記録している。なんでも、おそるおそる、やって見る習性はある。
PS1:悲しい物語りは、たくさんある。地元では、中学2年の「不良始め」の弟が部活にはげむ高校3年の生命力に溢れた兄を、注意された腹いせにナイフで刺し、兄は死んだ。現場にいた母親が通報し、逃走した弟は、友人の携帯の通報で逮捕された。
今日も「テキスト」となったか。
哲学書では、「テクスト」と言うらしい。よく知らないが、、、。
PS2:明けて、20日は、午後2時から9時過ぎまで、3人もレッスンがある。だから私に明日はない。気合いを入れて、会いに来い!。君等の人生に本当に役に立っているのかあ〜?その証拠を見せろ!
日曜日だ!と言うのに、午後2時から午後9時まで、3人のレッスン生をこなす。ひたすら喋り続ける。深夜は、通信生のためのテキストづくり。ようやく二人分を完成した。時間があれば、明日には送れるだろう。しかし明日は、明日で、起きてからすぐに、掛け持ちの意味不明な、「行」がある。
そんな事より、私は、誰に似ている?という話しで、明治時代の前は、奈良時代、といった若者系の生徒が、超ミニ.サイズの「マサ斎藤です」と言った。マサ斎藤は、全身筋肉であろうと思われる「太っちょ」のプロレスラーではないか。ショックだったが、これを言われたのは2回目である。さらに、超超ミニ.サイズのボブ.サップと最近では自分から言っている。
昔は、今は、「渡る世間は鬼ばかり」にしか出ない俳優の藤岡啄也(たくや)だった。私は、長い間、「ぶたや」と呼んでしまっていた。
これもみな、10キロばかりオーバーした体重のせいなのだが、70キロは維持したい、という願望もある。筋肉は、見た目より重いのだ、と言っているが、見た目通りであるらしい。
みんな言いたい放題を言っているが、実は、私は、この10キロを減量すれば、大変な美男子なのだ!。小学生時代は、もっとやせっぽちだった。身体は、「タコ哉」と呼ばれるくらいやわらかかった。それが、年月を経て、いつのまにか、マサ斎藤になってしまった。
しかし、これもしょうがない。実は、何を隠そう、私は、わざとこうして体重を10キロもオーバーさせているのだ。(念のため、言っておくが、20キロとかいう世界の住人ではない!)
それは、私が、ジャズが流れるカフェバーとか、一人、フフフ、と映画館も行かなくなった事と同じ理由だ。
それは、いつも言っているように「似合い過ぎる」からだ。もし、私が10キロの減量をし、カフェ.バ−で、カクテル「マルガリータ」を片手に、遠くを見つめる目をして、過ぎ去った過去を振り返っていたらどうか。
これはちょっと人間として反則だと思う。こんな決り過ぎる事はない。職業は?と聞かれ、「フフフ、誰も聴いてくれない、売れないジャズ.ミュージシャンさ、、、」と言ったらどうか。
これは、人間としてやってはいけない事だろう。私にやれる事は、超小型のマサ斎藤に扮して、「マルガリータを玄界灘の粗塩(あらじお)で!」と、軽いギャグをかまし、カウンターの常連の黒い服の女性にひんしゅくを買って、早々に立ち去るくらいだろう。
まあ、その若者は、ボキャブラリーが貧困だから開高健、と言ってはくれなかった。少なくとも、ここでは、誰も言ってくれないだろう。
だから私は、藤岡啄也のようで、マサ斎藤でもあって、ちゃんと言えば、開高健であるはずだ。
ここで、ちょっとだけ、内緒に教えよう。なるほど、今は、マサ斎藤、という事にしておこう。いや、大分昔からマサ斎藤であるかもしれない。しかし、それは、私の体型を見ての事だと思う。闘いの日々におのずと、そうなっていったのだと思う。
私の目をこそっと見て見たらいい。めがねの奥にカッと見開いている目の、そのまた奥にある瞳の輝きは、まぎれもなく、あの頃の私だ。
人は、いくらでも、醜くもなり、且つ、また、かっこよくもなれる、という事だ。その変化は、自由自在なのだ。要は、あらゆる経験、地位、境遇、体型、、、を経て来た、という自負である。
フジ子、ヘミングが、かつて美少女だった、と写真を見てわかった。目を見れば、今も、歴然とその痕跡を遺している。
だから、私も、マサ斎藤になった。
「男は、タフでなければ、生きてはいけない、やさしくなければ生きる資格はない」
(レンモンド.チャンドラー著「プレイバック」より)
PS1:
昔から有名な、レイモンド.チャンドラーの探偵小説の主人公、フィリップ.マーロウの台詞である。
原文は、
" If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I woudn't deserve to be alive."
「オレは、オレが、冷たい人間だったからこうして生きているんだ。(そんな)オレが、紳士としても振る舞うことができないとしたら、オレは、生きていくにも値しない人間だったろうよ。」
後記:う〜ん、インターネット世界の片隅で、まるっきし権威から無視された超穴場サイトで、こんなにも只で学んでいいのだろうか。
まるで、迷路のような道を通って、やっと辿り着く、「美人」ママがひっそりとやっている飲み屋の類ではないか!
お布施、お布施!
はいはい、一人2千円ね!
オレは、只では、働きたくねぇんだ!
どこが、沖縄ブームっちゅうねん!
阿呆ばっかり前歩きやがって!
後ろから跳び蹴りするぞ!
ああ、またしてもマサ斎藤、、、、。
PS2:あっ!そう言えば、今日、面白い事が浮かんで授業にならなかった。
「沖縄ジャズ協会」会長は、61才にしかならないのに、なぜ、93才に見えるのか、、という質問を受けたので、思わず、「たぶん、あいつは、玉手箱を開けたんだろう、さっそく」と言ってしまい、自分でも思わず、笑ってしまった。思い出すたび可笑しくて、明治時代の前は、奈良時代、という若者系の生徒も思い出し笑いが止まらなかった。今、思い出しても、けっこうな指摘だった、と思う。ああ、可笑しい。
今日の荒行は、凄かった。前人未踏の荒行のはしごだ。
しかし、これはイベントではない。毎週の事だ。
このまま、次へ行くと、死んでしまうから、とりあえず、チキンカツを食べに行こう、と友人へ言い、新しくできたとんかつ屋でチキンカツを食べた。ごはんをおかわりし、キャベツも何度もおかわりした。無料だからだ。
友人は、そんなにキャベツを食うのは、馬しかいない!と罵倒したが、何を言う!、大麦(おおむぎ)若葉のコマーシャルでは、人は、一日にキャベツ3個分の繊維質を取らないといけないんだぞ、ヒヒーン、と言って食べた。
何度もおかわりの合図をしているのに、店員が気がつかないから、目の前のアンケート用紙に、合図したらすぐ来い!ベルを設置しろ!と書いて、マネージャーらしき腰の低い中年男性の目の前でニコリと笑い、レジの横の目安箱に入れた。
この技が使えるのは、40才は過ぎてないといけない。おまえも中年だろうが、オレも中年だぜ!、、という技だ。
言わば、この店の経営コンサルタントを只でやって上げているわけだ。
オレ様は、失職すれば、貴様以上に腰を低くして皿を洗う事ができるがな、、、フフフ、、、という不敵な挨拶である。とにかくこの店を繁盛させろ、という間接的な応援である。
私は、40歳を過ぎてようやく、この技が使えるようになった。
まあ、この店はチェーン店なのだが、今までは、遠出して老父と老婆を連れて行っていたから潰れてもらっては、困る、というわけだ。勘定は、年金から出させるから、私は、単なる先導するドライバーであった。
先のアメリカ高校に在学中、という者から、このサイトは、一日に一万件くらいのアクセスがあってもおかしくはない、と思います、と返信して来た。
甘い!そんなにいたら、私のCDは、バンバン売れているから、こんな境遇にはなっていない、と答えた。
また、「視力トレーニング」の方法ありがとうございます、とお礼も言って来た。「これも、修行ですか?」と。
目の調子が悪く、このサイトを全部読めない、と言ったので、なら、遠距離、中距離、近距離の三点を三拍子のリズムに乗せて視点移動せよ、とアドバイスした。
速読の本からの受け売りだが、速読ができない私の収穫は、この箇所しかなかった。目の老化を防ぐ、とあった。角膜のどこかの焦点を合わせる力が何やら低下して、目は、弱って行く、とあった。
以来、私も、遠方を見つめる事ができる場所があれば、近眼用めがねを外し、この三点移動をワルツのリズムに乗せて行なったりしている。
「いやあ、、、これも、、、まあ、、日々、、の、、修行って、、やつ、、ですか、、、ね、、、」と言った会話でも私の耳に入れば、「何!日々の修行?、日々、修行しなくてはダメなのか!」と、気になってしかたない習性がある。
日々、修行しなくては、できない、、と言っているからには、とにかくすぐにはできないって事だ。という事は、日々、それをしなければ、一生、手に入らないって事ではないか!
ああ、何でも私のものだ!と思っていたのに!、、というわけで、何気ない会話の中にも、「ああ、修行すればいいのに、、、」という事は、たくさんある。もちろん、そんな修行嫌だあ〜!、というのもたくさんある。
本当に、その修行をやっていいものかどうかの「朝まで修行討論」という会議にかけなくてはいけないものもある。
しかし、いったんその会議で決定した修行は、とにかく、しばらくはやって見なくてはいけない、という日本国憲法がある。見た事ないので、本当にあるかどうかはわからない。
そんなわけで、突然で、悪いが、もう寝る。とにかく、前人未踏の荒行のはしごを時折、行なっている。こうして通常通り、今、起きているのも、奇跡である。
おやすみ。
今日は、調子に乗って書いていたら、やっかいな問題に触れてしまったので、全文カット。日記に書いて、すぐに「風化」させるべきかどうか。
PS:
友人に進められ、「BEAUTIFUL MIND」と言う映画を午後7時からすべての予定を忘れて見た。とても面白かった。しかし、これ以上、書いてはいけない映画なので、この話しもカット。
昨日、マンガ喫茶で、最新の「週刊文春」をめくっていたら、「たけしのTVタックル」の阿川佐
和子の人気対談コーナーがあり、あの「ゲージュツ家」の、クマさんこと篠原勝之氏が出ていた。
私は、彼の出現から一時期のブームまで知っている世代だが、彼は、還暦を過ぎて、老後の創作のためにと貯金していた一千万円余りを使い、イタリアで個展をし、大評判を得たという。
あれだけ知名度があっても、日本では、誰も芸術家として見てくれず、いわば「黙殺」された人生だった、という。それで、一代決心して、何から何まで、つてを頼って、イタリアの画商まで単身出かけて行って交渉し、個展を成功させたのだ、という。
貯金していた一千万円余りの金は、あの鉄のかたまりの作品群なんかを送る送料で消えたらしい。
画商が用意してくれたのは、イタリアで国内での準備費用だけであったらしい。不思議な話しだ。
もう何十年も知名度があり、この間、NHKの特集番組でも紹介されていた氏が、日本では、ずっと自分は、何の反応もなく「黙殺」し続けられた、、というのだ。
私は、ああ、この国で知名度があってもどうしょうもないんだな、還暦を過ぎて、老後の貯金をすべておろして、自分でリスクを負って個展をしなくては、いけなかったのか、、とつくづくこの国の不思議さを思った。
篠原氏は、元は、タモリや山下洋輔氏の一派だ。それがいつのまにか、北野たけし氏とも交友していた。
北野氏は、篠原氏のイタリアでの個展にも番組がらみで(「誰でもピカソ」)訪れて、地元の人たちを緊張させていた、という。世界の「キタノ」を改めて認識し、彼がメインになった感じがあった、という。
このクマさん、こと篠原氏の人生から学ぶ事は何だろう。
どんなに知名度を得たとしても、こと「芸術」に関しては、黙殺する日本人。
篠原氏は、長年の日本での「ゲージュツ家」としてではなく、「芸術家」としてイタリアで勝負したのだ。日本人相手には、「照れ」は通じなかったのだ。堂々と芸術家のそぶりを見せた方が勝ち、という事だ。小室哲哉のように、日本での、芸術家は、「ひ弱」でなくては、いけないらしい。
どんなに知名度を上げても、肝心の「芸術」の方が、さっぱり、というのが、日本社会の特徴なんだな。
結局、「芸術家協会」という組織があるのかどうか不明だが、日本のマスコミで、どんなに取り上げられても、結局は、「実費」である。還暦までに溜めた貯金で、、である。
日本のマスコミは、国内での自社の営利を求めての活動にしか、芸術家を利用しない、という事がわかる。
すべてが、閉鎖的な、独特の、訳知り顔の日本国内のみで処理されている事象に過ぎない。沖縄のジャズ関係者は、私が成功する事を好まない。
この地を脱出したものは、これみよがしに、凱旋ライブを試みようとするが、ことごとく関係者の無視に遭う。私は、これが何を意味するか、よく承知している。こうした日本社会のどこが、北朝鮮より発展した国家である、と言えるのか。
私は、こうした、日本社会での、ホームページを通じての活動は、一応の終りを見たのではないか、とこの頃、つくづく思う。
この国は、国内へ向けての特集はするが、海外へ向けての特集は出演者が実費でしなくてはいけない、という事だ。
これを「クマさんショック」と名づけ、わざわざ、このサイトのフロントには、出さない事にする。この国は、何をしても、反応もなく、拡がりももたないのだ。蟻地獄のしかけた罠にはまる、紋白蝶の類である。その残骸でさえ、明日のための保存食である。
また、「週刊文集」は、中国での谷村新司による国家イベントでの浜崎あゆみの「でっち上げ記事」を暴露している。「あゆ」がステージに現れた時、客の一割にあたる**千人ばかりは帰った、と書いてある。
記事はまた、彼女の事務所「エイベックス」の何十億円もの赤字経営にも触れている。みな、エイベックスが旅費、一切を提供した芸能記者だと言う。同じく、参加した、日本で忘れ去られた、酒井法子(ノリピー)の方が、中国では大人気だった、という。何かのドラマか音楽かであてたらしい。谷村新治は、「昂(すばる)」だ。
まるでXジャパンのアメリカでの成功物語りを信じる業界人である。一夜の日本好きな人種を集めてのイベントである。成功物語りのわりには、CD売り上げ記録の「数字」を表に出してくれない。
この国のどこが、北朝鮮より進化しているのか。
他の阿呆ミュージシャンに悟られぬよう、ここに掲載する。
この日本のシステムからすると、1996年、第38回のグラミー賞に輝いた、誰も関心のない、現在、フランス在住の沖縄出身の芸術家、「幸地(こうち)学(まなぶ)」の方が、篠原氏のはるか上に位置する「ゲージュツ家」だった、という事になる。
日本人は、一体、何を支持し、何が理解できる、というのであろうか。
支持したものは、確実に世界では通用しない。
北朝鮮とどう違うのか。
日本人は、「黙殺」が得意なそうな。
ポツダム宣言の時から一切、何も学んでいない国民である。
『この宣言を、「黙殺」(IGNORE)します、と訳したから原爆が落とされたのだ、という者もいる。』
後記:
私は、評論家ではないので、同業のミュージシャンのためには記載しない。この一文をわずかな読者のために、ここに記し、すぐ様、「風化」させる事にする。「日本の象徴」は、元来、朝鮮からやって来た、と言うのに。この国の人間に何をアピールしても無駄である。あなたが、表現者なら、覚えておいた方がいい。内容じゃない。
どうせ、あなたにとっては無関係な話しであるからこの一文もすぐ忘れる。
イギリス在住の元生徒からメールが来て、どうしても通信講座をイギリスで受けたい、と言って来た。入会は、高校在籍中の1999年の6月とある。何時、退会したのか、よく覚えていないが、2年はいただろうか。
そう言えば、昔、まだ高校生だった生徒が、この教室に通い、やがて成人し、大人となって現れた者が現在2人いる。一人は、32才になっている。
ある日、会社の帰り、教室の前を通り、その名を見つけたのだ、という。教室は、会社の真裏にあった。あれから10年。「なつかしくて寄ってみました!」と言ったら、私は、「オレは、なつかしくない、そんな事より音楽はやってないのか」と忙しそうに言ったという。彼は、ギターからサックスに転向し、今は、通っている。あれから4年かな。
また、結婚を期に退会し、子供も生まれ、4年ほど経て、また復帰した者もいる。まだ、喫茶店で音楽理論をやっていた頃の生徒だ。
これが何の役に立つのですか、といちいち、頭に放り込むのに拒否反応を示している頃だ。
何が何の役に立つか、は、身につけてから考えろ。それを否定する事は、私自身も否定する事ではないか。ある日、その生徒から、電話がかかって来て、「ギターコンクールが沖縄であるのですが、出てみないですか?」と言って来た。
何でオレがそれに出なきゃいけないんだ?、と言ったら、「えっ?誰も知らないし、、、」と言った。じゃあ、何で私の所に習いに来たんだ、と言ったら、音楽関係者から進められた、と言う。意味不明なので、「おまえが出ろ!」と言った、と思う。もう10年も前の事だ。私は、私の価値は、私が決める。私の価値を決めた奴は、私にとっては価値はない。
今日、生まれて初めて、スタジオに出入りしているなじみのバンドの若者に「おじさんは、そんな薄着で寒くないですか?」と聞かれた。(実際の私は、寒がりなのでジャンパーを既に用意していたが、椅子にかけられていて、気づかなかったらしい。)
血も繋がっていない他人から「おじさん」と呼ばれたわけだ。
31才の時、当時の生徒に「先生の若い頃は、、、」とやたらと聞く若者がいた。こうした者は、総じて、教養がない。
教養がない者ほど、大人を年寄りと見る。
中学2年生の頃、同級生の姉がまだ結婚してない、と知り、とても哀れな姉に思えた。今、思えば、当時、その姉は、26才だった。
男は、どうでもよいが、女も、24才を過ぎたら、もっと教養を磨き、その精神のみずみずしさを感知せよ。
教養とはね、永遠なる世界の住人になる、という事。
流行りの知識じゃあない。
「普遍」の知識を所有しているって事。
例え、「おじさん」になろうと、そんな女に興味がない事、16才に同じ。
肉体、は、わからない。
PS:テレビ番組「天才柳沢教授の生活、第2回」
テレビ番組「天才柳沢教授の生活」の第2回を見た。
お見事!脚本家は、哲人である。原作を超えた!
これだけ、数々の「技」が結集されたドラマは、30年ぶりである。
松原智恵子は、本物の役者である。役以外は、いつも空っぽの自我である。「現実」は、どうでもいいんだろう。
さて、今年もあと残す所、2ヶ月あまりである。2ヶ月もあれば、人間は、相当な進化が可能である。今年もあっと言う間に終った、などとほざいている連中は、私にとってはどうでもよい。ブームとなった「山田かまち」は、私より一つ若い。当時、17歳で「感電死」と言うのがわからない。それは、当時よりも、20年くらい前の世代の話しである。
文庫本で上下巻の「山田かまちノート」(ちくま文庫:1993年12月15日第1刷」)が出た頃、午前3時に終るクラブ『ナイトクラブだよ、いちいち昨今の日本の若者系「クラブ」との区別がわずらわしい!』の演奏を終え、朝までやっている「やきとり屋」で、ネクタイを絞めたまま、一人、読み耽っていた。そうか、「山田かまち」は、オレより、1つ年少か、と丹念にページをめくり泡盛を飲んでいた。(私に年功序列感覚はない。単なる時代的関心しかない)
私は、つまみを取らない「空酒(からざけ)」タイプだったので、それでは身体に悪い、と勝手に従業員のおばさんが、何かと豪勢な「つまみ」を出してくれた。
同世代で、似たような音楽の趣味だから、当時の事も思い出し、何から何まで、よく理解できた。
実家の玄関に読み終えた本を置いていると、近所の母の若い友人の「おばさん」が、引き蘢りになった息子がこの少年に興味がある、との事で、本を借りて行った。読んだから別に気にはしなかった。あの引き蘢りの子からすると山田かまちは、一回りは、上ではないか、と思っていた。とにかく若者の間でブームなんだな、と改めて思った。
あれから9年経て、その子は、結局、どうにもならず、時折、道端で、ぼ〜と、タバコを吹かしながら、宙を見つめている光景を見たりする。
私だったら、どうにか助けられただろう?って。
そんな事はない。今も昔も私は、私の事で手一杯だ。それに、彼も、その両親も、今だに、近所の私に関心がない。
私のような人間は、無理矢理、つかまえて、関心事を問い正せばいい。
うるさそうにするかもしれないが、それが本当の悩みだったら、必ず、答えを持っているはずだ。
毎晩、毎晩、バンドマンの仕事を深夜に終え、何やら満たされない気持ちを、深夜まで開いていた本屋で、様々な本を買い、飲み屋で読むのが日課だった。「教養」のためではない。ただ、ただ、その日一日のやりきれない「締め」を、本を読み、異空間の世界へと耽ったのだ。その精神は、何もかも捨てて、旅立つには準備十分であった。
本に対する「興味」、だとか、そんな次元ではない。そうやって過ごすしかなかったのだ。唯一の語らう相手だった。
東京の駅構内で、よく読書をしている浮浪者がいた。たぶんあれだ。それしか一日を絞める方法がない。
時折、もう、「若者」だった、という見る影もなく、巨体となり、無精髭をたくわえ、すっかり「おじさん」となり、ボ〜とタバコを吹かし、何度も何度も同じ道を行ったり来たりしている彼を見るたび、山田かまちを思い出す。
あの時だったら、まだ、間に合ったのだろうか。いつも、そう自分に言い聞かせて、彼の前を通り過ぎる。医者の家庭だ。
世の中には、誰も進んで救う気はないが、無理矢理、相談してくれれば、救えない事もない、と思っている「冷たい」人種がいる。彼等の特徴は、自分にしか関心がない事だ。それでいいなら、聞き出したらいい。
ホームページをやった本当の意味は、ここにある。
溺れている人がいる。群衆は、泳げない、と言って見つめている。
その中に、一人、泳げるけど、もし救おうとしたら、自分も危ないんじゃないか、、と思っている男がいる。群衆は、誰一人、泳げない。
その男は、飛び込むべきや?。
10年後にやっていたらどうか。本当は、そのつもりではあった。しかし、10年という歳月は長い。その間に、何か、取りかえしのつかない時を経るのではないか、と考えた。もう、どこにも自分の居場所はない時代が来るのではないか、と思った。「今の人」は、何でも只なら有り難がる習性がある。「このCDさあ、¥300だったんだよ!」って会話は、うんざりする。おかげで、貧乏だ。
おのれの価値基準は、そんなものか!と激怒したくなる。そこから何を学ぶ?身銭を切らぬ修行があるか。こんな人種を相手に何を訴える。
さて、ここにまた新たな、問題も発生した。日本で、いくら知名度を上げても、「芸術家」としては認知されない、という。還暦まで溜めた金で、自分で何とかしなくてはいけない、という。
私の役割は、終った気がするのだ。サイトに遭遇した若者でもすぐに全部は読めない、という。じゃあ、これでいいのではないかな。
今日、交差点で昔「知り合い」で、「おばさん」になっていた、かつての「娘」を見た。亭主と子供と車に乗っていた。
すぐにわかった。
私は、相変わらず、楽しそうに、荒行のはしご中だった。
複雑に進化した私は、思わず、顔を伏せた。
誰の勝ちだ?
もういいか?
ホームページなんざあ、やめやめ〜と昨日言ったら、十代の若者からメールが来た。普通、名前をきっちり名乗らない者や、あるいは、私のCDを購入していない者には、本気で返信メールをする事はない。大概、あたりさわりのない、面白くも何ともない返信をして終りである。
読んで行くと、このメールを書いたエネルギー量に匹敵するエネルギーで答えなくては、いけないだろう、「大人」、として、と思い、返信した。
私に、出したメールをこうした日記で掲載してほしくなかったら、ちゃんとCDを注文するか、名をきちんと名乗ればいい。
しかし、それでも、あまりに面白いやりとりで、それが「普遍」なテーマであり、かつ、それに対して私もかなりのエネルギーをさいたなら、掲載する。それは、芸人として、あたりまえの行為である。
以下は、そのメールへ2分の1ほど抜粋しての私の返信メールである。
『これから色々と書かせていただきますが、書いている本人は無神経で、極めて精神状態が不安定、その上駄文道2段を自称しているからには読むのは相当の体力の浪費が予想されます。それなら書くな、と言われそうですが、何ででしょうかね、人間の性と言うべきでしょうか 止まりません。』
A:止まらなきゃしかたないな。2チャンネルに投稿するよりは、精神は安定して行くだろう。
『そんなこんなで楽しませていただいた訳ですが、僕がこんなにも楽しめたのはきっと友寄さんと共感出来る部分が多かったらだと思います。』
A:ありがとう。君も天才か?
『例えば、歳の数え方!流石に+5、+10歳とまではいきませんが、僕は+3歳でやっています。それにしてもその分本当に人生を無駄にしてしまうとは、、、以後気を付けます(逆に−5、−10と自己暗示をかければ若返る、、、?)。』
A:そうだなあ、若返っていい事は、何だろう?
それよりも、人生は、そう長くないんだ、って事を日々かみしめる事が大切だと思う。
『他にも(ホームページが)被害者意識が強い、と言うのがあると思います。友寄さんの文を読む限りでは、社会が悪い、この世は理不尽でどうしようもなく不公平に出来ていると言うような、、、。』
A:「被害者意識が強い」というのは、無色の言語ではないよね。つまり分析用語ではない。否定が入っている。蔑視もある。その事を一応踏まえて、使うといい。誤解をいっぱい招く言葉だ。
もちろん、そのつもりなら使ってもいいけどね。反対語は、「加害者意識」になるね。この場合は、蔑視は、入っていないんだよね。むしろ、誉めている。だから分析用語ではないんだ。批判語だな。
『例えば英文の沖縄の紹介も読んでみましたがまるで僕が書いた米国(白人)の一方的なアジア進出についてのレポートを読んでいるようでした』
『(友寄さんの場合は冗談半分なのでしょうが)。』
A:ちょっとね。もう57年も変わらない世界だからね。誰が何を改めて言ったって変わらないんだ。多くの人が、同じ事を言って、人生を終えたわけだな。
『もちろん、友寄さんと全く考えが同じと言う訳でも、友寄さんのおっしゃっている事全てに賛成、と言う訳でもありません。』
A:何!このオレ様に逆らうってのか!
まあしかし、反対したって、ぼくには、何の権威もないから、ぼくに勝っても大してうれしくないよ。
『まだ友寄さんの半分も生きていない僕があれこれ意見するのは大変失礼な事なのでしょうが、、、どうにも出来ません。』
A:ええい、この際、言ってしまえ!
『色々と自分の考えと照らし合わせながら「うん、うん、そうだよなー」とか「、、、それはないだろー・・・」等、とにかく有意義に読ませていただいてます。』
A:「テクスト」だあ!
『それにしても下手にプライドが高いと損をするとは、、、まったくその通りだと思います。僕は変なところでプライドが異様に高くて今まで色んな事で損して来た気がします。分ってはいるのですが、中々変われない。それが僕の現状です。』
A:サイトでも言っている。プライドが高い人は、消せないから、そういう風に育ってしまったんだから、治らない。だから、もっと凄そうなものに、チャレンジするしかないわけだ。
それがないと、「プライド高い、おくびょう者」、、になってしまうわけだ。
そういう大人が、主流なわけだ。だから、若者は、納得行かない世の中になっているわけだ。
ぼくも納得が行かない大人をいっぱい知っているわけだ。
『一応、友寄さんの作品の視聴もしてみました。』
A:試聴の世界と実際に全作品を身銭をきって買って聴いた時とでは、まるっきり違う、と購入者連合は言っている、、という宣伝をつけておこう。
新聞でダイジェストされた本と、実際、家でじっくり読んだ本の違いかな。
『僕自体は演奏技術はそれこそまだゴキブリの卵みたいのもので偉そうな事は言えませんが、、、I
can't help it...想像していた いわゆる『ジャズ』とはまったく違う、不思議な感じの曲が多く、興味が湧いて来ました』
A:特に、ジャズの形式でやったものは、CDには、入ってないからね。まあ、仕事ではそればっかだったけどね。おかげで、「ジャズ教室」の宣伝にならない。まあでも、今は、料理でもなかなか和食、中華、フランス料理、、と限定できないからね。それらを取り込んだ個人の世界かな。
『(サックスの音が素直に伸びやかに聴こえるのは日本人の演奏法と何か関係しているのでしょうか、、、)。』
A:吹いた奴が、そういう風にしか吹けなかったんだ。彼は、大学生だったからね。でもこの吹き方では、既に、一流だったわけだ。他は、まだ、何もできなかったし、、、。
『あと、友寄さんの作る曲はドラマや映画、テレビゲームなどのBGMとして使えばとてもイイのじゃないかなーと感じました。サンプルを聴いていて何かのサウンドトラックを聞いているような気持ちになったりもしたので、、、』
A:本当にそうだな!
意外に、女性の方が購入しているな。
『友寄さんの音楽教育と言うのか、とにかく教室もとても魅力的に感じます。』
A:まあ、独特かな。生徒の弱点をするどく指摘するんだな!
『愚痴のような事ばかり言っていても仕方が無いし、罰が当たると思うのでここらでストップしますが、友寄さんに教授してもらっている生徒の方々が羨ましく思えます。』
A:まあ、今は、「守」「破」「離」の「守」の段階だ。先生が要求した事をじっくり取り組む事だね。色んな流派があるからね。
ぼくの生徒は、羨ましい、と言う人たちもいるけど、実際、ほとんどのぼくの生徒は、ぼくのサイトなんか見てないからね。うまくできているね。世の中は。
大体、大学もそういう所でしょ。その先生の事をよく知らない生徒ばかりで。著書なんかも読んだ事なくてね。大学は、先生で選ばなきゃねぇ、と思う。でなければ、何の感動もないまま卒業するよ。
色んな出版社の「新書版」を読破すれば、どの先生がどの大学にいるか、がわかるよ。
『10月19日の日記で「世の中は、理不尽だ、とわかっていても従わねばならない事がほとんどである」とおっしゃっていますが、僕もその通りだと思います(僕の場合は何か履き違えているかも知れませんが)。』
A:そんな事が多いんだね。
ぼくがね、ぼくは、快適な人生を送っているって書いたらね、読んでいる人たちは、そうじゃないつらい仕事をしてたりするわけだ。上司に怒られたり、残業ばかりしていたり、リストラにあいそうだったり、会社が倒産しかけていたり、、ね。
文句があるなら会社やめろ!って言われたりね。
こうしてみんな金銭を得ているんだ。ぼくもね。ぼくに興味がない生徒たちで食っているわけだ。何人かの例外を除いてね。通信生が、本物だね。サイトをちゃんと読んでいる連中だからね。
『いくら将来のためとは言え見るからに人間偏差値が低そうな石頭の先生群の課題をこなすのは拷問に近いものがあります。』
A:そうだね。会社に入ったら、それが上司だったり、バンドマンになったらそれがバンマスだったりね。
拷問だね。お金のため、、ていう目的でもなかったらね、やんないよね。
『こんな事が一生続くのかと思うとこの世から消えてしまいたくなります。そのくせ、何かを成し遂げたとか言う実感は皆無だし、、、』
A:一生続いたらたまらないだろうけどね。
でもね、それはね、ひょっとしたら自分で作り出しているバーチャルな世界かもしれないよ。
常にトップでいなきゃ気が済まない、でなきゃビリでいいって言うね。少しだけ拒否して、その拒否した隙間に、自分の好きな事、を埋め込んでいったらいい。好きな事はね、レールに乗った世界でもないからね。競争もない。ひたすらファーブル昆虫記のように、自分の楽しみのためにあるんだ。
読書するのもそうだし、身体を鍛えるのもそう。目的なんかないんだ。ただ、そうしたいからしているんだ。
『(大学入試のためのエッセイの題材に『あなたの今までに成し遂げた偉大な事は何か』と言うのがあって、、、それを見て「ああ、そんなの考えてたら一生まともな答えは出ないだろうな。だって無いんだもの」と本気で一日中考え込んでいた事があります)。』
A:そのエッセイのテーマは、凄すぎだね。出した先生も書けないね。
「あなたの今までに成し遂げた偉大な事は何か」、、、かあ。
そうだな、今まで、殺人もおかさず、出会い系で買春もせず、辛うじて生きている、て事かな。
ぼくにとっては、偉大な、業績だね。
「今まで、、、」だからね。先の事は、わからない。偉大じゃないかもね。
『一生こんな虚無感と一緒に生きてゆくのだろうかと考えるとまたまた消えたくなります。おっと、またまた愚痴になりましたね。』
A:愚痴じゃないね。誰でもそう思って生きているよ。どんなに楽しい事があっても、心には、一点の「空(くう)」がある。その「空」に時折、風が吹いて、虚しくなる。その時はね、色んな本を読む。色んな事を考える。色んな世界を空想する。色んな音楽を聴く。色んな映画を見る。色んなマンガを見る。色んなテレビ番組を見る。すると、しばらくして、また、「空」が塞がる。この「空」があるから、人は、進化するんだ。これがない人は、人間の仲間には入れないね。ぼくの「空」は、オゾン層が破壊されたように、人の何倍もでかいんだ。だから何もしないで、じっとしては、いられない。
『(いつか2、3年を自分の好きな事だけに注ぎ込んでみたいな、と最近強く思っています。それでもいざ、やるとなると何かが僕を止めるんです。その何かは他でもない僕自身なのでしょうが、、、困ったものです。一体何が自分にとって一番良いことなのか、最近になってまた分らなくなって来ました。人間どんな偉人でも死ぬ時は死ぬのですね、、、何とも切ない儚いその事実。その事実だけが今の僕の頭から離れません)』
A:そうだ!人間は、いつか必ず死ぬ。ぼくのまわりも死んだ人たちがいっぱいいる。これからもいっぱい出て来る。さて、父は、いつ死ぬか、母は、いつ死ぬか、、、みんな今は、晩年を生きている。
そうした人たちをしっかり見つめ、生きている、という事をしっかり味わうんだ。そうしなきゃ、損ってもんだ。朝、目覚めたら、さあ、きっちり死んでいくぞお!って宣言してから起きるんだな!
人事を尽くして天命を待つ。人の生き死には、天が決めるもの。ならば、思う存分生きてやる!天に星あり、地に花あり、人に心あり、、と司馬遼太郎は、「竜馬がゆく」で、竜馬に言わしめたぞ!
『(真実なんてものは存在しないのかも知れません。少なくとも人間とは最も縁の遠いものなのではないでしょうか)』
A:真実は、ある。
偽りに徹すれば、真(まこと)。
誠(まこと)を尽くして、尽くして初めて、人が取ったすべての行動は、「真実」となる。
でなけりゃ、何もかも嘘っぱちじゃあ。
世の中で一番、きつい運動を教えよう。
体育館の床にひれ伏し、ダッシュして端から端までをぞうきんがけするんだ。
端まで行ったら、また、ダッシュして、元の位置に戻る。
そこからまた、同じ事を何本もくりかえす。
10メートルを10本ばかりやっただけで、人間は限界に達するはずだ。
ぼくが、味わった、この世で一番の地獄界だと思う。
終ったら、床は、きれいに輝いている。
それだけだなんだが。
明日には、また、輝きは失せている。
そうこうしている内に、人は、笑い出す。
あまりの地獄界は、人は、笑い出す。
草々。
PS:EASY COME EASY GO
「労せず得たものは、すぐに風化する」。珠玉の言葉とならず。
10年後、適確に、このサイトのこの位置にアクセスせよ。
NEW(3:資料:新聞記事)3-4:山本夏彦氏死去:2002年10月23日(水)(執筆文整理整頓)
今日、マンガ喫茶で、新聞を拡げたらその死亡記事があった。意外にも、もっとも詳細だったのは、本土発信のスポーツ紙よりも地元の新聞だった。
山本夏彦氏に出会ったのは、17歳の頃。
当時、私は、東京の立川に住んでいて、働きながら学びたい者のために、という謳い文句につられ、練馬で住み込みの新聞配達員をしていた3歳上の従兄を訪ねた。
「オレは、今まで、あまり本を読んで来なかった。これからオレが大人になるために読んでおいた方がいい本を100册書いてくれ」と言った。
本好きの従兄は、手短な解説を加えながらリストを徹夜して作成した。楽しそうだった。その中に山本夏彦氏があった。「この爺さんは、今は、週刊新潮という雑誌で夏彦の写真コラム、と言うのやっている、読んでおいた方がいいよ」と。
それから何かにつけ、読んだ。初めて読んだものは、「茶の間の正義」という文庫本のエッセイ集(中央公論社の文庫だったか?「日常茶飯事」が先か?昭和30年代の随筆もあった。)。古本屋で見つけたその単行本(文藝春秋刊)が今、手許にある。昭和42年(1967年)11月5日、第1刷、定価550とある。現在も読みかけの2冊の新刊もある。
2000年12月10日に出た「私の死亡記事」(文藝春秋)の中の氏の執筆部分のエッセイから、本人が自身に向けて書いた死亡記事の一部を抜粋して、サイトの「高柳昌行」氏のページの締めとして使った。(11:高柳昌行は日本ジャズ界に何を残したか? 2001.3/25)
そんなわけで、17歳の頃から、定食屋で週刊新潮の写真コラムを見るのが、習慣になった。色んな当時の状況に対してのエッセイだった。
山口百恵の引退や、王貞治の引退のエッセイもあった。どれも名文だった。あれから26年。色んな事を教わった。私もそういう日々を経て、野に放たれた。(対談ものがあれば、すぐに購入してはいた。)
そろそろだな、とは思っていた。享年、87歳。
この爺さんに学んだ巨匠は数知れない。24歳の頃の幻のL.ショヴォ原作の翻訳文とされた「年を歴(へ)た鰐(わに)の話」の自身による要約文も、今年、ある本で、偶然、知る事ができた。この爺さんには、こういう幻の翻訳本があるのだ、と知ったのは、故、作家、吉行淳之介のエッセイだった。
10代、20代と、色んな事を学んだ。
色んな試練の日々の中で読んで来た。
長い間、御指導ありがとうございました。
合掌。
これも、教えてもらった。
読んでない本もまだいっぱいある。
同じ本を何度も声に出して読み返した事もある。
あんな年寄りから学べるだけで、いつでもうれしかった。
このことを語る相手も、いないのだけど、、、。
喪中
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