友寄隆哉のジャズはなぜ死んだか? ジャズから見る文化論
沖縄から日本を観る
沖縄から沖縄を観る
2002年6月9日(日)より
1月1日(水):ミュージシャンとバンドマン、自然淘汰される職業と、マンガ「カムイ伝」と私、お正月の過ごし方 PS:正月のテレビ観戦、かくし芸大会など。
新年の第1日目くらいは、ちゃんと日記をつけておこう、と思う。
去年までは、確か、正月の三が日は、ライブにあたっていたはずだ。あのまま水曜日に続けておれば、今年は、元旦ライブであったはずだ。3年も続いた恒例の年頭のライブであったから、どこかしら身体が覚えているのかもしれない。
大体、ミュージシャンというものは、大晦日から元旦にかけては、書き入れ時で、忙しい。
否、ミュージシャンではなく、バンドマンが忙しいのだ。あちこちの「営業」を掛け持ちしていたりするからだ。大晦日に、初めて、いかに他のミュージシャンと上手くつきあっていたかってのが判明する。
だから、ミュージシャンになるよりもバンドマンの方が、仕事は、ある。
バンドマンは、他のバンドマンとの関係が仕事に影響するが、ミュージシャンは、そうじゃない。
ミュージシャンは、まず第一に、ファンがいなくては、仕事が成立しない。
患者のいない医者は、医者としての仕事も成立しないから、医者という自我を維持できなくなって行く。だから、患者のいない医者は、医者にあらず、という事が言われたりする。長年、開業医として暮して来ても、廃業に追い込まれるのが現状だ。
少子化で小児科の医者は、割に合わず、とうに消えて行った。
私の子供の頃は、小児科は、街のあちこちにあった。
この論法で行くと、リスナーのいないミュージシャンは、ミュージシャンではない、とも言える。
逆を言えば、リスナーがいる、という事は、誰でもミュージシャンとして成立する事になる。
バックアップしてくれる企業がいなくなったスポーツの選手も、スポーツ選手ではなくなる。確かに、あれほど学生時代より、多くの時間をかけ、毎日トレーニングの日々を送ったから、、といえ、バレーボール選手としては、食べてはいけない。それを見る、「観客」がいないからだ。
こうして消えて行った職業や、人間は、いっぱいいる。
年末は、身体を休めるため、あらゆる修行が、休日に入る。ちゃんと「稽古納め」と言う儀式があり、終ると、酒を飲んで騒ぎ、また新年の「稽古初め」に備えてしばしの間、冬眠に入る。
私の稽古納めは、27日頃だったから、あれから、4日も、休んでいる。
筋肉痛で、ほとんど、身体が動かない状態であったが、新年の第一日目という事で、ジョッギングをするために外へ出た。
今日の風は、とても強く、冷たかった。
しばらく行くと誰もいないグランドに出た。
グランドの土の上を、軽く走り出した。身体が重かった。一周400メートルくらいだろうか。風は、相変わらず冷たかった。
3周もすると、ちょっと身体が温かくなって来た。5周くらいにしておこうかな、と思ったが、5周目が終ると、欲が出た。
あと1周、あと1周と言っている間に、結局10周走った。身体は、相変わらず重かった。
終ると、あの丘の100段の階段でも駆け上がるか、と思ったが、ちょっと休憩している間に、寒くなって来た。やっぱり風は、冷たく、強かった。これでは、あの丘の上は、もっと強い風だろう、と、諦めた。風邪を引いてしまうな、と思ったからだ。新年そうそう、風邪は、いけない。友人は、年末、風邪にやられて、忘年会となる、飲み会をキャンセルしている。
あの丘の階段を上がるよりも、部屋へ帰って、柔軟体操を念入りにした方がいいだろう、と帰路についた。てくてく歩くと、まだ、体中のあちこちが、痛かった。
稽古初めまで、後、4日しかない。
あれは、、、30才になっていた頃か、今では、遠い記憶となっているが、東京にいた。同じく、正月だった。
大晦日に、巨匠、白土三平のマンガ「カムイ伝」を近所の貸本屋(まだ、そんなのがあった!)、、、から、改めて全巻借りて来て、3日かけて読み耽った。(「カムイ伝」は、私が子供の頃のマンガだ!いや、生まれていたか?)
そして、自分が、色んな事から脱出して来た「抜け忍(ぬけにん)」だと知った。
主人公のカムイは、忍者の世界から抜け、「追っ手の忍者:追忍(おいにん?)」から逃げ回っている。自分は、バンドマンの世界から抜けて来た、と、カムイと自分がダブって見えた。
もう、あんな日々は、ごめんだ、と私も「抜け忍」となってから、何年も経った。
デレク.ベイリー(17:私の音楽メニュ− 2001.9/25〜2002.1/16 より)も30才を過ぎてバンドマンをやめた、と何かで読んだ。
じゃあ、彼も「抜け忍」だったんだ、と思った。
マンガ「カムイ伝」は、若者の内に読んでおいた方がいい。
私には、もう一度バンドマンに戻れ、という、追っ手となる「追忍」も、もう存在しない。あれから10年かけ、ようやく自由の身になった。
もう、これ、これ、こんな風に演奏してくれ、という仕事もない。
でも、それから帰郷して、地元の、あるナイト.クラブ風ライブハウス(現在もある!沖縄を代表する一番人気のジャズライブハウス、として!)で、どうしても演奏してくれ、とママから言われ、機嫌を良くしていたら、後日、演奏する曲目のリストを渡された。ムーン.リバー、ある愛の唄、ひまわり、黒いオルフェ、、、etc.....。
店の表の掲示板には、「友寄隆哉ライブ」とあった。
当日の客は、ホステス.シンガー(コンパニオン?)との会話に夢中で、誰も聴いては、いなかった。ベースは、ルートしか弾けない、また、それでジャズは十分だ、と思っているバンドマンだった。
まあ、何であれ、あの日から、10年は経った。
もう、追っ手もなく、自由な身となった。
これを幸とするか、不幸とするか、は、まだわからない。
とにかくも、私は、これからの一年、お正月ほど、様々な事を学ぶ事は、そうない、と思う。
10年以上経た、現在も、時折、カムイの気持ちになるのである。
今は、もう、追忍の気配をまったく感じないのだけど、、。
、、、といいつつ、久しぶりの日本酒は、旨いなあ。お正月だな。
PS:正月のテレビ観戦、かくし芸大会など。
今日は、まったく、と言っていいほど、ここ30年見たことがない「新春かくし芸大会、40周年」をちょこっっと見た。
堺正章のかくし芸でのビリヤードの神業にびっくり仰天だ。人前で立て続けに、難度の高い技を何度も何度も披露して見せた。ワールドクラスの集中力を要する芸だった。これほどの芸を披露しても、日本の芸能界は、何の力もない閉鎖的社会だ、と言う事がよくわかった。
また、NHK総合で、「ノーベル賞新春スペシャルトーク、未踏の”知”をめざせ」を見た。創造の秘密に触れた。3人のノーベル賞受賞者を集めてのトークだ。
続いて、「劇場への招待:あ.うん」杉浦直樹、愛川欽也、ほか、、の演劇を見た。愛川欽也は、こんな所にいた。かつては、テレビで主役しかやらなかった杉浦氏もちゃんと舞台で生きていた。
当然、民放での「最強の男は誰だ、!壮絶筋肉バトル」は、見た。
1月2日(木):正月の過ごし方と15分睡眠と朗読と音楽の関係、PS:浪曲師の田辺一鶴
目が覚めると、さっそくジャージに着替え、ジョッギングに出た。
今日は、いくぶん、暖かかった。
昨日のグランドに行くと、20代の社会人風の一団が、ユニフォーム姿で草野球の試合をしていた。
それでも、グランドの3分の1程度の占領なので、一周する事は諦めたが、空いているスペースの外周を何度も往復する事にした。
反対側では、サッカーボール蹴っている二人組の若者もいた。その前を「く」の字に避けて、なるべく外周をいっぱいに回った。野球の試合をしている付近にまで来たら、くるっと方向転換し、もと来たコースを逆に辿った。
昨日が10周だから、今日は、12周くらいすれば、まる10周するのと同じくらいだろう、と走っていたら、8周くらいできつくなって来た。時間を見ると、昨日より10分もオーバーしている。どうやら、このコースの方が、距離が多めであった。おそらく5分3ほどの距離の往復を1周と計算していたのだろう。完全な半周の距離ではなかったようだ。とりあえず、9周にして止めた。続いて、100段程度の階段をかけあがった。帰ってから入念な柔軟体操を1時間ばかりした。昨日は、時間がなくやれなかった「開脚股割床胸つけ静止」を1分ほどした。これが、今年最初の「開脚の儀式」となった。
十分なトレーニングには、あと3時間は、欲しい、と思ったが、まあ、まだまだウォーム.アップ程度の日々でいい。
実家へ行くと兄の家族一同が年始に来ていた。小学4年だったか5年生だったか、、と中学1年の甥っ子二人に「お年玉」を上げた。「一生、この事は、忘れないように!」と念を押した。お年玉袋にもしっかり日付けと自分の名前を書いた。
貴重なお金を、簡単に忘れられては、意味がない。善行は、ちゃんと覚える奴に施せ!が、私のモットーだ。
15分間、タイマーを利用して睡眠が取れれば、脳の働きが全開になる、と兄が何か言っていた。15分後には、レム睡眠に入るからそこに入る前に起きなければいけない、という。何やらその手の「快眠」のハウツー文庫本を購入していた。
そういうわけで、ちょっと疲れたな、と思ったら脳の働きは低下しているらしい。乳酸がどうのこうのと言っていた。そんな状態では、何も能率は上がらないらしく、これに、「15分睡眠」を導入する事で解消するわけだ。
人間の睡眠は、90分サイクルでまわっているから、一度寝たら90分後にしか、すぐには起きれない。この理論は、二十歳頃から実践しているから、目覚まし時計は、90分単位の加算方式でしかセットしない。
つまり、90分後の1時間半の次は、3時間後、4時間半、6時間後、7時間半後にしか、人は、すっと目覚めない。多少、寝付くための10,15分の誤差を最初に加えてはおく。
まあ、この周期で、脳が寝たり、身体が寝たりするわけだ。脳が休んでいる間は、身体が外敵に反応するわけだ。身体が休んでいる時は、脳が起きて、ちょっとした物音でも目覚めるわけだ。うまくできている。
それ以外の時間に起こされては、かなりきつい起床になる。私の場合は、この方式のおかげで、目覚まし時計が鳴る5分ほど前に目が覚めている。目覚ましの音を聴くのは、よほど酔っぱらった時でない限り聴いた事がない。
この90分周期の睡眠にレム睡眠から入るわけだが、ここに突入する手前で起きるのが、この15分睡眠らしい。
これで、頭もすっきりし、再び、脳は、活発になる、というわけだ。これの実践には、逆算タイマーで15分にセットしてなくてはいけないから常時携帯していなくてはいけないな。
そんなわけで、今年からは、この15分睡眠を調子が悪い時に実践してみることにする。
*今日は、それから、いくつかの本を朗読した。
私は、小学生の頃から朗読が大好きで、年々、その芸は、渋みを増し、「私の朗読を聴く会」でもないかなあ、と常々思っているが、大体、その芸を披露するのはトイレの中だけである。
流行りの「音読」なんかではない。じっくりと聴かせる朗読である。特に、谷川俊太郎氏などの詩の朗読なんかが好きである。詩の朗読は、音楽とよく似ていて、出だしで、あっ!ミスった、この声ではないな、、と思ったりするが、これをまた、何とか持ち直して最後までに挽回(ばんかい)する、という大変スリリングなゲームが「朗読」である。
一語一語のフレーズにどれだけの思いを込めるか、で上品、下品の境目がある。しかも、それは、何度やっても完璧、というわけにはいかない。
まあ、素人芸で、とても朗読が得意なプロの役者には及ばないトイレ芸ではある。
しかし、小学生の頃から国語の時間は、朗読が大好きだった。たぶん、運動ばかりしていたので、腹式呼吸になっていたからだろう。
とにかく、私は、「いい声」を持っていた。美声ではないが、いい声だった。普段は、がさつな声にしているが、いったん、姿勢を正すとちゃんとした声が出る。中学1年生の頃は、この調子で学年代表で英語弁論大会まで出た。ついでに弁論大会も学年代表で出た。中学2年の頃には、50人ばかりの3年生に呼び出されリンチにあったりもしたが、あの頃は、制裁を加えるのは、一人だった。出る杭は、、、殴られる。
朗読は、音楽表現力という点で、かなりのトレーニングになる。トレーニングになるが、これを生徒に実践させると商売にひびく。おそらく、その意味不明なトレーニングに退会者続出だろう。しかし、時折、人物を見て、「朗読」をさせて見たりするが、やはり、朗読と音楽は、密接な関係がある。
私の朗読は、¥300くらいは取れる。しかし、千円もらっても聴きたくはないな、というレベルもいる。これが、その人の音楽表現力に比例しているのだ。
流行りの「音読」は、つまらん声で、ただ、声を出して本を読むだけだ。
そこには、何の緊張感も創意工夫もない。
朗読は、もっと、スリリングで、誰しも参加できる分野ではない。
役者であっても、その芸を他人が認め、職業的にも通用している、という者は、限られている。簡単だから、と、むやみやたらに素人に朗読されては、迷惑である。
その発する、第一声の調子から、スタートボタンが押される。まさに、「テクスト」ありのインプロビゼーション!
最後の一語をイメージ通りに完璧に読み終えた時に訪れる充実感。
ああ、CD化したい、、、と思うものだ。
朗読は、音楽表現と同じく、そのレベル、レベルで思考している「哲学」もすぐに露呈する。
つまり、その対象となる、詩や本に対する理解度も同時に提示しているわけである。あっ、一番重要な言葉を流した!、、、など。
恥ずかしさ、を超えるためには、「芸」がいる。「わざ(技)」もいる。技を修得したから、恥ずかしさが消えるわけである。だから、恥ずかしい、という者は、何の、技も芸もないのである。(註:厚顔無恥とは区別)
何の技も芸もない、という事は、修行もないのである。
修行がないという事は、日々の実践がないのである。
後記:
正月番組をバラエティ-中心に録画して見ているが、私は、タレントの磯野キリ子のワッチャーなので、何かとワッチングしている。志村ケンと所ジョージがメインのバラエティで、島崎和歌子と二人で、それぞれ別の家庭の子供の弱点を克服させる対決をしていた。
彼女の担当は、野球が苦手な小学生の子を少年野球チームに入団させるための特訓と、幼稚園児の女の子に無事、「一人おつかい」をさせ、かつ、その子らの一日の食事から何からの面倒の見る事だ。
思った通り、キリ子は、忍耐強かった。最初、「子供なんてチョコレート与えていればいいのよ!」と言っていたが、実際は、相当な気の使い方をしつつ、芸能人、「キリ子」を演じているのである。もう38才になったか。
野球の練習に夢中で、少年野球のテスト時間に間に合わなかった子供のため、監督にかけあい、午後7時にテストを一人受けさせる交渉をした。
同じく、キリ子系の若輩、島崎和歌子も、逆上がりができない小学生の兄と、一輪車に乗れない妹の女の子の特訓を担当していた。年齢が若い分、まだ、そこに、苛立ちがあった。子供は、その苛立ちを敏感に察知するだろう。しかし、二人とも無事、その任務を感動的に果たした。
そんなわけで、今は、部屋で御歳暮でもらった日本酒を呑みまくっている。酒を呑み、朗読し、運動し、テレビを見る。
まるで、何かの会の合宿に参加しているようではある。
これが、私の正月である。
(実は、正月は、誰もこの日記を読んでいない、と思い、わざと、実況中継している。)
PS:浪曲師の田辺一鶴と人生の奥義
年末のテレビ演芸で、浪曲師の田辺一鶴(たなべ.いっかく)を見た。
これは、V.T.Rか、と思ったが、現在のものらしい。てっきり死んだ、と思っていた。サイトのどっかでも書いたが、そのままにしておく。
年末正月には、色んな事が判明する。
購読している、100ほどのメルマガ(メールマガジン)の中に、「私は、修行事で手一杯で、テレビを見る習慣がない」と豪語しているメール主がいた。なるほど、メールマガジンって、そんな風な発言をする阿呆を祭り上げるシステムってわけだ。
主に、物事を達成するためには、どれだけの根性と意識が必要であるか、という事を「普通の人」が説いているのだが、この発言で、この50才過ぎだという男のバカ話しを、しばらく読んで見ようと思った。バカは、どれだけ偉そうな事を言うのか、がその関心事である。
私は、起きると、まず、新聞を全紙読める場所を求め、さまよい、それが、終ると、ひたすら身体を動かし、帰ると、押し寄せる毎週100ほどに達するメルマガ通信に辟易し、テレビを見ながら、本を読み、トイレで朗読し、合間にギターを弾いて、気まぐれに、サイトの日記を更新して、、息抜きに、時折やって来る、一方的で、何のお礼の返信もない、還暦にでもならなければ、自覚してくれない、年がら年中、怒っている「プライド高い,何でもない人々」のメールに、とにかく、くたくたな身体で返答し、今日という一日を閉めるための酒を呑んで、、寝る。今年も、その「基本」は、変りない。
力がない者が怒りを表明したら、北朝鮮では、処刑されて終りだそうだ。今年も、プライド高い「何でもない者」が接近して来て、「ふん!オレ、あたし、、、を理解できるのは、ここじゃあないな」、、と去るだろう。
私は、ちょっと待て、あなたは、どこからどう見ても、そう大したもんじゃない、まず、その事を酒の肴に語れる人生を送る気はないか、その話題の方が酒の肴として楽しそうではないか、お願いだから、そんな身で、人の上に立とうという野望を止めてくれないか、と、今年も説いて行くだろう。人生は、どれだけ人の上に立てるか、なんてもんじゃない。他人には、別に尊敬されなくたっていいんだ。おっさんになるほど、他人に尊敬されようとするわけだ。んなもの、どうでもいいわけだ!
何時だって、闘う相手は、自分なんだ。それが、いい線いってんなら、公表すればいい。人間、死ぬ時は、ほんの数名に囲まれて終るんだ。
昔、盲腸で入院して、「ICU: 特別集中治療室?」にいたら、隣で90才のお爺さんが、午前5時頃、死んだ。まわりの泣き声がうるさくて眠れなかった。
この一年なんて、正月のテンションに比べれば、たかが知れているだろう。正月ってのは、死刑囚に与えられる最後の自由時間だ。
おまえを、あと一年は、生かしてかしてやるから、おまえは、この一年、何をするんだ?あと、3日与えるから考えてみな、、て。
元来、修行に仲間はいらない。あるのは、同じ日々を送った「修行人」との出会いだけである。
1月3日(金):お年玉の思い出とハリーポッターの事、物事を継続するコツと、映画「キューブ」の事と、柔道の吉田と闘った、引退する空手家、佐竹の事と、これからの1年の事。
今日は、あいにくの雨、お正月シリーズも今日が最後。
妹一家が来たので、前々からお年玉の代わりに、と頼まれていた、ハリーポッターの第1巻から現在発売中の第4巻上下版を上げた。
『出版業界で、ハリー.ポッターしか読めない読者を「ポッタリアン」と呼んで、他の読者と区別しているらしい。(11月6日(水):作家C.W.ニコル、ハリー.ポッターについて、天才柳沢教授の本の話、俳優ハーベェイ.カイテル)』
学校では、ハリーポッターの話題が中心で、ついていくには、読んでいないといけないらしい。小学5年生の女の子と小学3年生の男の子だ。小学3年生といえ、映画も見ているので、友達から本を借りて第3巻までは、読めたらしい。また、繰り返しみんな読んでいるらしいから、取りあえず、4巻全部を買って上げる事にした。合計、約1万円。これは、おじいさん、おばあさんが出資してのお年玉とした。私は、私で、適当にお年玉を渡した。
これで、甥、姪、4人へのお正月の「義務」を全部、果たした。
自分が子供の頃、受けた恩恵は、また、次の世代へと返していかねばいけない。大人は、こうして、また、一年の労働が始まるわけだ。いわば、これは、菩薩としての子供たちへ未来を托したお布施である。その金額に応じて、子供たちは、大人の羽振り具合を査定してほしものである。
ふ〜ん、こいつ、去年は、大して景気がよくなかったんだなあ、、まあ、今年は、がんばれや、、、、。
私の小学生の頃、もらったお年玉の金額を年明けの第一日目の学級会か何かで、クラス全員が発表させられる、という事があった。小学校2年生の頃か。今でも覚えている。私は、中学1年まで、ドルを使用していた世代だから、当時は、お年玉も「ドル、セント」である。
私は、得意気に、12ドル、、とか、そんな金額を起立して言った、と思う。
クラスでも高額な方だった。当時は、実家で、父の土木関係の新年会というのが正月の恒例としてあったから、父から仕事をもらっている関係で、みんなお年玉を持参して来た。
こうしたクラスでの報告の後、一人の女の子が、80セント、と立ち上がって小声で言った。いつもきたないセーターを着ていた。
私の生まれた昭和30年代は、とにかく貧富の差がはげしかった。私は、中間くらいだった。金持ちと言うのは、クラスにちゃんといた。お手伝いさんがいる家庭だった。
その子の小声で言った「80セント」は、今でも忘れられない。
当時、私は、なんだか、この話題には、触れていけないような気がして、なるべくお年玉の話しは、話題にしないように休み時間は、校庭を駆け回った。
成人してからも、あの時、なぜ、お年玉の金額をクラスの一人一人に教師は、報告させたのだろう、とお年玉を子供たちに上げるたびに思う。その後も度々、そうしたお年玉の報告義務が、小学校であったのかは、記憶にないが、とにかく、あの日の事だけは覚えている。
私が二十三歳の頃、この世に生を受けた世代も今年、二十歳となる。
いろんな夢と希望を未来に抱き、新年を迎えただろう。
一つ、教えて上げよう、と思う事がある。それでも、この日記の愛読者だけを対象にする。
おそらく、二十代には、多くの挫折を味わうだろう。私は、わりと二十代は、様々な活動や、色んな体験をしたから、何もないまま終える者の気持ちはわからない。今思えば、私の二十代は、本当に、楽しかった。めいっぱいの二十代を送った、と思う。今、思えば、である。
何かを継続するための奥義(おうぎ)がある。
あなたが、何かを全うしよう、と思ったら、何も考えない事である。
挫折する多くの者が、そのできそこないの頭で「考える」から何事も続かないのだ。
頭の悪い者ほど「考える」のである。
何を考えるか、と言えば、自分の未来を、、である。
彼等は、元来、何をしても続かない、から、常に、行き詰まる。
私は、いつも、人間は、お金と色恋沙汰以外に悩む事は、そうない、と言っている。
もちろん、不治の病だ、とか、何かの特殊な境遇とかを例外として、である。
普通の五体満足な者が、一体、何を悩むのか、と思う。
どう考えても、金銭と色恋沙汰以外に、真剣に悩む事などありえない、と思う。
ちょっと待て!
若者は、私の年齢を超えてから、反論しろ。
ここは、何かやる前から自分を理解してもらおうとするNHKの「しゃべり場」のコーナーでもない。
社会に出たら、おまえは、今、何ができる?という問いに答えなくてはいけない。
そして、それで、生活は成立しているのか?という突っ込みにも即座に返答しなくてはいけない。
大人は、常に、この二つの問いに答える義務を背負って生きなくていけない。
だから、もし、あなたが、何かをやり遂げたい、と思ったら、それが、正しいか、正しくないか、は別として、とにかく「考えない」事である。
答えは、この「考えない」という日々の途上で、必ずゴールとなる「考え」に達するだろう。
しかし、その途上で、一瞬でも、「考えたら」終りである。
蜘蛛の糸は、切れる。
杜子春(とししゅん)伝もここで終る。
すべては、そのできそこないの知能で考えたから、なのだ。
これをもっとちゃんと言えば、あなたが、料理人になりたい、と思ったら、ひたすら、じゃがいもの皮を剥き、ひたすら料理の事だけに集中する、という事である。
こんな事をやってどうなるのか、という事も「考えない」。
ひたすら、「じゃがいもの皮剥き名人」を目指す。
やがて、必ず、そこに「ゴール」がやって来る。
そして、次の課題が、目前に現れる。
こうした日々を、黙々と繰り返す事である。
少しでも、今やっている事に疑問を持てば、あっという間に修行は、終りである。
私の教室を挫折する者は、必ず、当日の決断である。
脱落した、彼等には、何の可能性も残ってはいない。
なぜなら、彼等は、まともにじゃがいもの皮さえ剥けないわけだから、料理の世界では、どうなるものでもない。
それでも、彼等に、従う者があるとすれば、彼等が天才料理人だった、という場合である。
もし、その修行が、変だな、と思う事があるとしても、その方式でやりぬくエネルギーが、さらに巨大なものであれば、あっと言う間に、その方式での優秀な修行者として、認識されるだろう。
そうなれば、次の修行を考えてもいいだろう。
しかし、そこでも、基準にも満たないレベルでは、どうしょうもない。
とにかくも、何も考えるな。ひたすら、与えられた日々の実践を継続しろ。
これに反論するな。ひたすらこの言葉を信じろ!
もし、何かを全うしたい、と思ったら、、、だ。
これが、すべての大前提では、ある。
この意味において、私の責任は、一切ない。
なぜなら、私が、驚くほどの技を提示した生徒は、ごくわずかであるからだ。
残念ながら、彼等は、人気者になろう、という活動などとは、一切無縁の日々を送っている修行者であるから、世に知られる事はない。
後記:
今日は、これを、深夜のテレビでの映画「キューブ:CUBE」を見ながら書いた。始まった瞬間から、またまた画面に釘づけとなった。
PS:
映画「キューブ」を見終えて、録画した、大晦日の猪木祭りを見ている。
どうしても、柔道金メダリストの吉田秀彦(33才)、これをもって引退した空手の佐竹雅昭(37才)の空手対柔道に触れたい。
『この柔道の吉田と、二人組のお笑いの「雨上がり決死隊」の宮迫(みやさこ)が、同級生。同じく同級生のゴルフの丸山茂樹と、彼等より2才ばかり上のお笑いの元「バカルディ」、改名して「さまぁーず」の二人と宮迫の相棒は同級生、という事で、彼等のサウナ風呂での本音雑談、、、というのを正月に見た。
吉田は、丸山が168センチの身長で、アメリカでは小柄だ、という言葉を受け、自分は、180センチで105キロで、小さい方では、ないが、ボブ.サップ(2メートル、170キロ)なんかと闘かわされたのではたまらない、と言った。』
吉田、佐竹の試合は、吉田の秒殺で、佐竹の頸動脈をあっと言う間に柔道着で締め上げ、佐竹がギブアップした試合である。佐竹は、K-1から総合格闘へと転向してから3年、勝つ事はなかった。
佐竹は、「張る」という事を忘れてしまったのだ。「入魂」する事もないまま、日々の「寝技」の練習の日々に、彼は、打撃系としての突っ張りと、寝技に持込まれた時の恐怖感を忘れてしまったのだ。
人間は、恐怖感を克服したら終りである。恐怖があるから「張れる」のである。安心感は、油断を生む。その修得に心を奪われる事もない「技」をいくら修得しても実践では、何の役にも立たない。オレは、この技で死ぬ、という覚悟があってこそ技は、生きるのである。魂も込めていない技を何百と覚え込んでも、何の役にも立たないのは、明白である。
私のような優秀なトレーナーは、いないのか!
その証拠に、同じく打撃系のキック.ボクシングのミルコ.クロコップ(28才)は、アントニオ猪木の一番弟子の藤田和之(32才)に、絶対に、寝技には、持込ませない、という戦略で、圧勝したではないか。
寝技には、ぜったいに持込ませない、という寝技戦法である。
最終の第3ラウンドを闘いながらも、判定で、藤田は、破れた。
負傷したのは、藤田の方である。
この事から、佐竹は、何も学ばないのか。残念無念。
あまりにも佐竹の人生が哀れであるから、触れた。
しかし、試合後、佐竹が、リング上で、この雪辱は、いつか必ず、空手界から、総合格闘技界へ来る者によって実現してくれるだろう、と述べた一言は、空手界に大きな挑発の言葉となっただろう。
技を覚える事は、打算からではない。一つ一つの技と喜怒哀楽を共にする事であり、そこに、心を入れる、という事なのだ。
野球の投手で言えば、「一球入魂」のスピリッツである。
そこに、佐竹のすべての敗因がある。
愛したものと共に、勝ち、また、負ける、、、のである。
これは、戦略ではない。人生哲学である。
今年、4本目の日本酒が、そろそろ底をつく。
正月もそろそろ終る。
早く、普通の日常の日々となれ!
待ち切れんわ!
休みすぎじゃあ!
私は、日常を愛する。
一日に、1時間の自由な時間があれば、その1時間に、全エネルギーを込めるのである。
魂を込めるのである。たった一つの技の修得のために、である。私は、流れ作業の工場の一員だった事がある。1年は、過ぎた。
その頃の夢は、タバコ一本だけでも吸える職業に付きたい、というものだ。30才は超えていたぞ!
人生は、深いのだ。とてつもなく深いのだ。
明日の事だってわからない。さらば、佐竹。
1月4日(土):奥義、続、継続のコツ、後記:モントルージャズ.フェスティバル、エンニオ.モリコーネを見た。
昨日の日記を読んで見ると、継続のコツに関して触れている。
「考えるな!」と言っている。
ちゃんと理解できただろうか。
これは、何をしても長続きしない人のためのものでもある。
彼等は、とにかく、いらん事を考え過ぎるのだ。
1日の内、ほとんど練習しない者にも言える。
何かを継続させるためには、行動に入る前に、「言葉」を介入させてしまったら続かない、という事だ。
一切、何も考えず、その行動に取りかかる、という事だ。
つまり、歯でも磨くように「日常化」させる、という事だ。
少しでも、行動に取りかかる前に、雑念となる「言葉」が、左脳に介入して来たら、これを一瞬で「停止」にするわけだ。「ん!」とばかり、頭に力を入れ、言葉の介入を阻止するわけだ。ロボットのように行動し始めるのだ。
これは、朝ごはんを用意する、という行動と同じメカニズムだ。起きる、黙ってエプロンをかける。米を研ぐ、、、そうした一連の行動とまったく同じなのだ。とにかく、一切の言葉を介入せず、すっと、行動を始めるわけだ。
多くの挫折者にとっては、言葉は、必ず、行動をじゃましにかかる。黙って、目の前に譜面を置き、黙って、それを弾き始める。そうして行く内に、次第に熱が入ってくるものなのだ。もう、意志とか、そういうのも一切無用だ。
朝起きて、黙って、一切の言葉が浮かばないように、ジャージに着替え、外へ出る。「寒い!」という言葉が、浮かんだとしても、とにかく、すぐに思考は停止させ、目的地へ行って、黙って走り出す。後は、ひたすら、その往復回数だけを記録する。
(今日のグランドでは、社会人の団体が、草サッカー?の試合をしていた。)
つまり、一切の人間的感情から来る言葉を排除する、という事だ。
黙々と駅まで行って通勤電車に乗る、というのもこれに近いから、継続できているわけだ。
これを、何かの修行事に導入するわけだ。
そうこうしている内に、これをやらないと何だか気分がすぐれない、という人造人間として自己改良していくわけだ。「自己改革」は、まだ、そこに「意志」が介入するから、「自己改良」という言葉が無機質でよい。
その日の気分だ、とか、そんなものは、どうでもいいわけだ。やって見て、調子が悪い、と思えば、適当に切り上げればよい。
要は、毎日、その行動に出たか、、という習慣が大切、というわけだ。
何かを継続している人をじっくり観察するとよい。
これは、もう、ロボットに近い一連の行動で、その対象に取りかかっているはずだ。そうした対象を、確実に意味のあるものにして、時間を費やすればいいわけだ。
まず、そうした習慣を身体の中に取り込んでから、あれこれと欲を出して考える、、というのが、次のステップだ。
芸事の世界は、大体、3ヶ月単位で、山がやって来る。3ヶ月続けば、半年は続く。だから、その節目節目で、評価を与える儀式がある。
こうした事を踏まえて、何事も何とか継続してほしいものだ。
自分の気持ちに忠実になっている者ほど、何事も続かないし上達しない。黙々と、その日のメニューを見て、黙々と一つ一つこなして行くのだ。
その「神々しい」儀式の中に、ちっぽけな、人間の意志など、どうでもよい、という事が、何時になったらわかるのだろう。
これが、私流の継続のための奥義である。これからの長い人生で、活用してみたらよい。私は、いつも、個人的な興味事でしか、こうした「技」を、活用していないのではあるが、、、。
この日記だって、本当は、何も考えていないのだ。
書き始めてから、考え始めているだけだ。
その習慣を止めるために、今度は、「意志」と「言葉」が必要になる、といったメカニズムだ。
これは、物凄く、大事な話しであるが、目立たないように書いておく。
どうせ、何をさせても続かない人間は、こんなサイトなどとは縁がない。
後記:
テレビのチャンネルを切り換えたら、NHK総合でモントルージャズ.フェスティバル2002、というのをやっている。
ハービーハンコックもジョン.スコフィールドも、ウエイン.ショーターもウイントン.マーサリスも、ゲーリー.バートンも小曽根真も、BBキングも、もう、あれこれと、出ている。あわてて、録画する。テロップで、大雪情報も流れている。
やっぱり、ジャズを聴く層というのは、特殊だな。これをこの地に持込んで来るのは無理だな。これしか言えないな。どっかで、その洗礼を受けて来るしかない。あるいは、書物から入るか。
みんな相変わらずの個的な節回しだ。最新でも流行遅れでもない。
個人をもっと磨かないと、やる方も聴く方も、育たない。そんな感じだ。血にないんだな。フェスティバルの後半は、もの凄くつまらなくなって来た。3倍モードに切り換えて録画する。しかし、もう一度は、見ないな。
昨日は、日本酒を呑みつつ、空手家から総合格闘家に転身して、一度も勝てず、引退試合をした佐竹にお別れしていたら、朝方、テレビで映画音楽の作曲家エンニオ.モリコーネを初めて見た。72才。NHKの宮本武蔵の音楽を担当した、と言う。そのリハーサル風景だ。あれが、モリコーネか!まだ、若々しい感じで、エネルギッシュだ。しかし、宮本武蔵は、見損なってしまった。
さて、何かと仕事初めなので、忙しい。
去年から、私の音楽を、日本人のサイト読者のように、試聴サイトだけを聴いて、適当に愛想を言って済ませ、すべてを了解していた、留学中の17才の高校生が、ようやくバイトして全作5枚を米国で購入した(らしい)。
新年早々、メールが来た。
17才で、この穴場のページに遭遇するとは、幸福な人生である。
以下は、彼からのメール。本人の承諾を取って掲載。
『嗚呼、眠い。嗚呼〜、眠い。明後日(正確には明日)には学校が始まると言うのに課題は山のように、、、これを書き終わったら15分睡眠で脳をリフレッシュさせて課題に取り掛かろう、、、(註:1月2日(木):正月の過ごし方と15分睡眠と朗読と音楽の関係、PS:浪曲師の田辺一鶴)』
友寄様 へ
友寄さんのCD拝聴いたしました。
以下駄文(実は全部駄文)
僕は先週、自分のギターを少しでも客観的に聴いてみたいと思い、テーゲーに(註:2002年、10月2日(水):沖縄の台風と「テーゲー」PS「てぇげぇ〜」実践活用)アドリブをテープレコーダーに吹き込み、その後5日間自分のギターの音は一切聞かずに専ら他人のCDばかり聞いて過ごす事に決めました。
そして5日が過ぎた日の朝、、、僕は早速、熟成させたワインの如きそのテープを聴いてみました。そして僕は己が耳を疑った、、、「本当にこれが俺の演奏か、、、?」 その演奏は正に「超絶技巧」、、、と言うとちょっと大げさかも知れませんが、 充分に人に聴かせられるレベルには達しています。音のキレ、トーン、スリリングなアドリブの展開、、、多少、高音域が耳障りなものの、それはチョチョイとアンプの設定を変えれば済むだけの話。僕は自分の確かな成長に酔いしれ、自分で自分を祝福するのでした。 ちなみに、、、
カセットプレイヤーの再生速度が「高速」になっていた事に気が付いたのは夕飯を食べ終わってからです。
、、、アレは本気で泣きそうになりました。その日は何もやる気が起こりませんでした。
そして次の日の朝、、、つまり今日友寄さんのCDが届いた訳です。
あんまり今の僕がしつこくアレコレ感想を述べると何だか乞食の説法と大差無いような気がするのでホドホドにしますが、、、 (実はここからが本題です) 取り合えず最初に感じた事は「オオ!!」でした(ナンジャソリャ)。
やはりプロだったのか、、、と言うか。そしてしばらく聴いていると染み込んでくる“極貧”のニ文字。正にジャズマンと言うか、、、これで後“ドラッグ”と“自殺”の要素がプラスされたら伝説になりそうですが、、、いや、スイマセン、悪い冗談です。
アパートだか何処だかで録音した曲なんかは何処からともなく音が漏れてきていて寒さが身に染みると言うか、、、女性だったら母性をクスグられるような曲があり本当にビックリしました(何だか今でもあのベースの耳鳴がします)。それとも実は狙っていたのでしょうか、、、?
それとCDケース等も本当にどうすればこんな指紋(?)が付くのかってくらいベットリと付いていて素人の僕では一体 体のどの部分の指紋(?)なのかさえ判別出来ないようなのもありました。(註:2002年、12月3日(火):東京の中古楽器、CD屋のオーナーからの注文にまつわる話と、ウエイター兼キッチンの「1812年」頃の話と、CD組み立ての話。)
ある表紙にはまるで拇印のように親指の指紋が ベ ッ ト リ と付いていたり、、、(ポテトチップでも食ってたのでしょうか) とにかく「あの話は本当だったか、、、」と内職をする友寄さんのスポットライトを浴びた後姿を想像してみたり。何はともあれ、友寄さんの音楽は僕には宇宙を連想させるものが多かったです。
特にノイズの、、、科学の授業で宇宙のビデオを観てる時のBGMで、、、と言うのは冗談にしても僕が昔英国にいた頃、ちょうどこんな感じの音楽が流行っていた気がします(“テルミン”なーんて楽器もありましたよね)。
凄く懐かしい感じがしました。とは言っても友寄さんの程“負”の要素は強くありませんでしたが。
当時小学生の僕でもスンナリ聴けたくらいですから。あれをいきなりジャズだ、と言って聴かされたら誰でも逃げ出したくなると思うのですが、、、(リスナーに優しくないですね(笑)。それもやはりスタイルの一つなのでしょうか)。
それとも実は僕が“負”の要素だ、と感じた部分は僕が未熟、故にそう感じたのでしょうか、、、?まぁ、それは覚悟の上で続けます(ナンジャソリャ)。
そのノイズで目覚めたのはどうかは分りかねますが、何処となく日本的、と言うかエフェクトの余韻を使って雰囲気を出すのは友寄さんならでは、なのですね(あれでブルースに残らず、ハードロックにも行かずにジャズに行ったとは凄いですね)。
ちょっとタッピング“モドキ”みたいなのが出て来たりして気になったりもしましたが、、、そう言えばジャズではタッピングは御法度なのでしょうか、、、?
とにかく完成されたバンド作品が少ないのは残念でしたが、まだまだ先に友寄さんはCDを出すかも知れないと言う期待に胸を膨らませつつ、、、少々脳のリフレッシュをば。
以上、ツッコミどころ満載の駄文でございました。お粗末でございあした。
悩める高校生より
追申:日記で「不言実行」、と、、、。「心頭滅却すれば火もまた涼し」、と、、、。正に『奥義』ですね(笑)。(註:2003年、1月4日(土):奥義、続、継続のコツ、後記:モントルージャズ.フェスティバル、エンニオ.モリコーネを見た。)
僕も実践出来るよう心掛けなくては、、、云々』
後記:
私が、還暦になった頃、彼は、34才になる。
PS:歌姫登場
1月5日に、東京在住の中学生の頃からの5才年長の友人が、地元、沖縄の音楽コンテストで(浦添(うらそえ)音楽祭)で審査委員長をここ、2,3年、里帰りして勤めていて、そこで、自分の希望とは、反対に、入賞を逃した29才の女の子がいて、その子の唄がとてもいいので、ぜひ聴いてほしい、と突然、携帯が鳴った。
それで、待ち合わせをして、コーヒーを飲んでいたら、その娘も来た。私の部屋に行って、その唄を聴いてほしい、という事で、部屋で、いくつかのジャズ.スタンダードを突き指した手で手抜きしながら伴奏をして聴いて見た。
選曲は、メロディを1,2度聴かせて、あれこれ唄わせて見た。
信じられない事に、ジャズシンガーとしての仕事をするにしても、英語の発音が良く、しかも、どんなテンションも唄って見せた。ロンドンに1年留学していた、という。地元の芸術大学で美術を専攻して、卒業していた。
この娘?の唄の伴奏を一人でして、バンドマン復帰の仕事をしてほしい、という依頼だ。
そうしたパフォーマンスが可能な空間を地元にも作りたい、と言う。
友人の妻は、ファッションデザイナーだから、そうした事も含めた地元での空間の物件があれば、と来沖して動いていた。
この唄は、絶対に、私という変人を動かすはずだ、と言って来た。
私は、この歌唱力には、発展性がある、これなら、伴奏してもよい、と言い、みんなで、呑みに行った。
とにかく、まあ、酔っぱらって午前2時頃、帰宅した。
あれ?、何をどうするんだっけ?、、とすっかり忘れて寝た。
仕事嫌いな私に、年に一度、時折、コンタクトして来るマメさは、さすが、敏腕の苦労人で、よく仕事をしているアレンジャーだ。
そうだなあ、裏方復帰もギター一本なら悪かない。
後、ひと押しなんだけどなあ。
まあ、前途有望な人は、私と組まない方が友達はいっぱいできる、と思う。
その辺で、遠慮する事がある。
私は、いいかげんな仕事上の同僚も仲間も、いらないんだけど、、、。
舞台があって、芸があって、それを見る人がいれば、仕事するには、他に何も必要ないと思うんだけど、、、。
しかし、こんな主義を、若手に強要するのも、なんか、イカンなあ。
でも、新作、THE OLD SONGSを聴かせても、全員な〜んの反応もなかったし〜、、。音楽的霊感あんのかなあ。
まだ、よく、わからないけど、その娘の歌には、確かに、発展性は、あった。
後は、どこに染まって行くか、、、だろう。
別に、こんな出会いは、一人二人ではない。
楽な方へ、楽な方へと人は染まって行くもんだ。
だけど、もう、そこには、発展性は、ない。
昨日、1月7日、火曜日は、新年会をしよう、と言う事で、友人と近所のちょっとおしゃれな居酒屋へ行った。私は、初めてで、一昨年あたりから、友人は、いい店がある、と言っていた。歩いて10分くらいだから、物凄く近所だ。
普段は、シラフでお喋りしているが、喋る、という事は、かなりの脳のトレーニングでもある。日頃から二人ともそういうトレーニングを重ねている。その日のテレビ番組の事だったり、今日あったでき事だったり、新聞記事だったり、と話題は、様々だ。なくても無理矢理作り出す。これも修行だ。
しかし、また、酒が入ると、話しは別で、何かとまたあれこれマナ板に乗せ今年の事や去年の事、去年一番のおかしな奴、などなどを取り上げる。
午後8時半に飲み出して、午前1時に閉店となったので、酔ったいきおいで、次へ行こう!と持ちかけ、よし、パーカッションをしている元コックのあいつの店とやらへ行ってみよう、という事になった。
私は、もっと業界中核にあたる店へ乗り込もうと言ったのだが、**は、面白くない、と却下された。
という事で、タクシーで、10分、目的地へ到着。ビルの5階にあった。
店は、1周年。客は、私よりもさらにさらに年長の女性客が一人。オーナーは、私より1才年長であるが、古くから知り合いだ。1ヶ月ほど、レッスンした事もある。その妻は、昔、ライブハウスにいたので、よく呑んだ。
久しぶりだ、という話しとなり、カウンターに陣取り、騒いでいたら、隣の年長の女性客が割って入った。自分は、ここ沖縄に最近、本土から住み始めたもので、こういう詩を書いています、これがその詩集です、と渡された。一冊¥200。友人が知らない間に2册の代金を払っていた。
感じがいいので、みんなで喋ったが、酔った私は、相変わらず最強である。その詩集を朗読し始めた。
中々、こんな漢字を読める奴はいないぞ、と自慢して朗読したが、読めない字は、適当に飛ばした。
すると年長の女性は、自分は、即興演奏と共演する即興パフォーマンスのダンサーでもある、と言って、その模様を記録している写真アルバムを持ち出して来た。
もともとこの店のオーナーが、商店街の大道芸祭りでパーカッションを叩いている所へいきなり踊りで飛び入りしてオーナーを知った、という。それで今日初めて、この店へ来たのだ、という。沖縄に住んで3ヶ月という。
板橋文夫氏などとも、一度、何かの余興でパフォーマンスをやった、と言う。写真のパフォーマンスの踊りは、ストリップに近かった。
私は、ああ、あの人なら知っている、ああ、あの店なら出演した事がある、ああ、ああ、と言って答えていたら、何やらちょっと奇妙な物体を見る感じで笑っていた。
まあ、そんな事をするならグルーブという店へ行った方がいい、と友人と二人で進めて、グルーブの電話番号を教えた。
あなたの喋り方は、何だか教師のようですね、と女性は、鋭い人間観察評を述べた。
まったく詩人という種族は、便利でよい。こちらの名刺もいらないっつう事だな。
私は、彼女が離婚歴がある、というので、しつこく、何で離婚したのか、と聞いたりしていた。
私は、あまり、こうした事を飲み屋で知らんぷりするタイプではない。
笑えるものは、何でも笑おう、と言う人間である。
取りあえず、女性は、帰り際、ごきげんで、友人とは握手したが、なぜだか、私の手には、指先しか触れなかった。
ふむ。さすが、詩人を自称するだけあって、巨大なオーラを感じたのだろう。神にはおいそれと触れてはいけない、と思ったのであろう。
友人は、相変わらずの都合のよい解説にあきれていた。
気がつくと、隣に若く美しい女性が一人座っていて、オーナーとお喋りしていた。27才だと言う。
私は、その会話に「私たちは、運命の出会いをしたのではないか、二人は結婚するべきではないか」と割って入った。
友人等は、あきれていたが、その女性は、「あなたの話しは、どこからどこまでが本気で冗談かわからない」と愛想よく答えた。
そう言われれば、そうかもしれない、と思った。
そんな事は、酔ってない時に言うもんだ、と言われたが、ふむ、酔ってなければ、果たして言うか、、、。昔、これと全く同じ事を言われた事を思い出した。
そうこうしていると、還暦を超えた、ベテランの女性ジャズシンガーがやって来た。酔っぱらっている。私を見るなり、あんたは、なんで演奏しないんだ、とからまれた。いくら天才芸術家だからって、もっと頭を下げて演奏しなきゃダメだ、と言って来た。まあ、25年くらい前から知っているから、ハイハイ、と答えた。(友人の隣に座ったのだが、友人は、何を言っているのかよく聞き取れなかった、と翌日その感想を述べた。)
店内の音楽は、エリック.クラプトンになっていた。
そうこうしている内に、また、酔っぱらいのベ−シストが入って来た。
彼は、酔わない日は一度もない、という日々を全うして来た50才のジャズ.ベ−シストだ。ジャズ協会会長の店で25年くらい演奏して生きている。
彼も酔うと何を言っているのか、リスニングが困難な種族だ。おまけに、そのセンテンス自体が、意味不明だ。
あれは、、、、パキューンだから、ビビビっていう感性が、プワーンなんだ、、とか、言っている。
友人は、この二人の会話を、真面目に聞き取ろうとして混乱していた。
私は、25年くらいかかって彼等の言語をマスターしたから適当に相づちを打って、適当に会話した。
時折、「う〜む、そりゃあそうだ」とか相づちを打っていればいい。
ベテラン女性シンガーも若い女性客も帰り、オーナーもこれで閉店、と言う事になり店を出た。
部屋に着いたのは、午前6時。
その日、起きてから、午後3時には、友人もいつものように、荒行に顔を出した。
毎日、あんな日々だったらどう思う?と友人に聞いた。
たぶん、早死にするな、と言った。
オレは昔、毎日が、あんなんだったぞ、と答えた。
でもまあ、年に一度の新年会としては、楽しかったな、と私が言ったら、友人は、週に一度でもいいかな、と答えた。
1月6日の日記(註:1月6日(月):17才からのCD感想 PS:歌姫登場)で、歌姫登場、と書いたら、あれこれと生徒から聞かれた。
その子を知っている、という者や、後輩です、という者もいて、一体、何時やるんですか、と言って来たりした。
適当にしていたら、帰京した言い出しっぺの友人から、インフルエンザにやられ、40度の熱があるんだけど、というのに、電話があり、ギャラはいくらくらいでやるの、と7日に聞いて来た。なんだあ、意外に本気かあ、と思ったりしていたが、今日は、彼がイメージしたジャズ.スタンダードの曲のリストが東京からファックスで送られて来た。
おいおい、本気ですすめてんのかあ、と、ファックスを見ながら、まだ、適当である。
私は、女性歌手をソロギターで歌伴するキャリアは、長い。
まあ、いろいろとあって、与世山澄子:(沖縄県、ジャズボーカル:マルウォルドロンと共演してCDを何枚か制作。1:初めまして「序」にかえて 2000.12/24 のラスト部分で紹介)などもいて、歌伴で暮していたわけだ。
それで、まあ、話しがどんどん進んで行くので、ここらで、プロの厳しい仕事のやり方を伝えないといけない。
まず、リハーサルとか、そんなものよりも先にやらねばいけないのは、レパートリーのメロディとコード進行を記した譜面ノート作り。
業界用語で「メモ帳」と言っている。
これは、簡単な作業ではない。
まず、その歌手のベストなキーを見つけて移調してメロディを書かなければいけない。
そして、これからが本番だ。
そのスタンダード.ソングに、良いコードを付けていかないといけない。
このコード付けは、現場の場数を踏んだ人間にしかやれない。
あまりコードに懲り過ぎると、その歌手が、他のミュージシャンとやった場合に、記載されたコードが押さえられない、というレベルのミュージシャンも多々出て来る。さらに、こうしたコード進行では、アドリブが取れない、という者も続出する。
その女性シンガーの持って来た「メモ帳」を見て、今、このシンガーが、現在つきあっているピアニストがわかったりする。
女性シンガーにとって最初の勉強事は、唄いたい曲を自分のベストキーを見つけて、そのメロディを移調する事だ。
この移調した譜面が書けるってのが、年輩の女性シンガーの唯一の勉強事であった。
唄いたい曲を見つけたタネ本となる曲集から、丸写し状態で、そのコード進行を移調して書き写したとしても、市販の曲集にあるコードというのは、最大公約数としての最低限の常識コードである。
これを現場の経験から、「全国共通コード」「世界共通コード」「個人コード」といった領域を考慮しつつ、改良しなくてはいけない。
あまり個人のサウンドにこだわり過ぎると、他のミュージシャンが弾けない。
かと言って、適当に曲集のコードを写していたりすると、まちがっていたりする。つまり、現場では、もうそんなコード進行では、やらなくなっていたりする。
だから、ジャズは、プロの現場の経験のないジャズ自慢の素人の話しをまともに聞くな、と言っているわけだ。
私は、ようやく店に入って来た一人の客を相手に、すぐに、歌のステージを始めた女性オーナー歌手のビジネス戦略に毎日つきあわされた。
おかげで、その客が、我慢できず、トイレに立った時、シンガーの女性は、その間、ずっとトイレのドアへ向かって唄い、私は、その伴奏につきあったりしていた。
誰もいない店内で、トイレのドアへ向かってステージをするわけだ。
とりあえず、来た客にライブを見せなければライブチャージは取れないからだ。
そうされた、たった一人の観客は、トイレのドアへ向かってライブしているらしい、「外」の世界へ、中々、出て行く勇気がない。
プロのバンドマンってのは、一般の人の想像を超える、はかりしれないほどの体験をしている種族である。
その体験は、一流ミュージシャンでは、とても遭遇できないほどの悲惨な日々の連続だ。
私が、いくら強靱な肉体を持っているとしても、右を見れば**組、左を見れば**組、、、という雰囲気の店ではどうか。
自分を愛しているファンの前では、つっぱって見せるライブをしているミュージシャン族では、この雰囲気はわからない。
半端につっぱっていると、消されるぞ!
そ、そんなわけで、、話しを譜面にもどせば、まず、シンガーと第一にやる事は、レパートリーの綿密な譜面作り。
これを生業(なりわい)としている、アレンジャーやピアニストもたくさんいる。
そのシンガーが愛人なら只で、作成する。
そうでなければ、一曲に付き、いくらかのお金がいる。
そのシンガーにとってこの「メモ帳」は、いわば、「金の成る木」であり、財産となる。
このメモ帳を何冊もコピーして作成すれば、その場で、色んな楽器奏者が同時に演奏してくれる。最低三冊は、持っていなくてはいけない。
ピアニスト、ベ−シスト、ギタリスト用は、同様な譜面でよし。
しかし、そこに管楽器が加わる場合がある。管楽器は、また、管楽器用のキーで書いていなくてはいけないから専用のメモ帳がいる。
こうしたメモ帳さえあれば、わざわざ本番以外の日に集まってリハーサルなどする必要もなし。
あとは、シンガーに力さえあれば、ぶっつけ本番でよい。
プロを相手にする場合、アマチュアー間で常識となっている、音源となる、テープやCDを渡す事は、「非常識」である。譜面付きのテープやCDならわかる。しかし、彼等は、そうではない。テープやCDのみを渡すのである。
これは、このテープを聴いて、これをコピーして譜面を作成してくれ、という事であるから、それは、また、別の仕事である。一体、その作業にどれだけの時間が取られる事か!
もし、その間、そのシンガーが、何もせず、のほほんと過ごしているとしたら、「おのれ、何様じゃあ!」となる。
勉強して、唄いたい曲の譜面のメロディを自分のベストなキーを見つけ移調した譜面くらいは、持って来い!という事になる。
後は、そこに良質のコード進行を書き入れるだけだ、という下準備くらいは、女性シンガーと言え、やっておかねばならない。
何から何まで、この曲が唄いたいからっと言ってCDやらテープやらを持って来て、伴奏者が、それをいちいちコピーして譜面にし、本番で、本人は、それに合わせて歌を唄うだけ、、、としたら、どうか。
まず、跳び蹴りもんだな。
世の中をなめきっている。
おのれは、女王様か!って事になる。
シンガーというのは、そうして作成された譜面をメンバーに渡して、適当に2,3曲を唄えば、適度なギャラが得られる。
まあ、一回の余興で、2,3万円は、もらえるだろう。その余興が15分で終ろうが、半日かかろうが、それは、関係ない。とにかく、それが相場だろう。最低でも1万円って所だ。
だから、このメモ帳は、「金の成る木」であり、「打ち出の小槌」とも言える。
それなのに、この女性シンガー連合というのは、このメモ帳作りに関しての労力と知的所有権の事も理解できず、値切るのである。
私は、かつて、20曲の移調とコード付けをして、大サービスで2万円を要求したが、これを踏み倒された経験がある。
彼女は、このメモ帳を毎度利用し、一日、1万円は稼いでいるわけである。
ここ10年は、10曲程度のレパートリーを持てば、誰でもジャズシンガーとして、あちこちのクラブに出入りできる。
そういったわけで、何の下準備もして来ず、ただ、私に、ジャズシンガーになりたいから、と伴奏を依頼して来るのは、ちょっと困るわけだ。
はい、これが、唄う曲です、とテープやCDを渡されても困る。
第一、歌の伴奏をしたからって、私のライブに客が増える事はない。
彼等の下に集まる観客は、歌ならジャズでも聴ける、って種族でしかない。
おまけに、伴奏と言うのは、本来、黒子の存在であり、フロントの唄を「食って」はプロ失格である。あくまでもメインとしての唄をもり立てなければいけない。
いくら、井上陽水のバックミュージシャンがすぐれていたとしても、あなたは、それらのミュージシャンの活動には、何の興味も持たないはずである。
それは、あなたが、歌にパラサイト(寄生)しない楽器弾きの世界には、何の興味も抱かない、、、幸せで、、、、、普通に暮している、、、、、芸術愛好家を気取る、、、人種であるからだ。
念のため、述べておくと、私は、歌好きであるから、その要求のハードルは高いのではあるが、普遍の舞台人を作る、という事に、同情を禁じ得ない。
より理想に近づいた頃には、友人知人もそれ所ではない、忙しい世代に入るのである。
歌姫は、「女体体操」という踊りの集団の一員でもあるらしい。
どう考えても、私以外の人間とやった方が地元では、活躍できると思う。
地元で、活躍したい、、、ならね。
沖縄の若手の「芸NO人」は、外の人の事は、よく知らないわりには、みんな、地元の芸人の事は、よく承知している。
今の沖縄を象徴している若者の現象ってわけだ。
これって、普通、田舎もんって、言うんじゃないの?
もうちょっと、毎日、新聞読んで、雑誌読んで、マンガ読んで、テレビ見て、本でも読め。
何の話ししていいかさっぱりわからんわ。
後記:
以上、いかに、自立した、ジャズ.シンガーを「一匹」製造する事が大変であるか、理解されたか。
私にして見れば、これまで数々、人知れず無視されて来た仕事を今さらやったからと言って何があるのかって事と、それは、ビジネス以外に考えられない、一つの「仕事」である、という事。
だって、私は、シンガーに寄生して生きるパラサイトでもないし、ただ、頼まれたから、その最低の仕事の条件を提示して上げている、今までの仕事と何の変りもない、一人の職人でしかないからである。
ただ、時代が進み、私がどういった伴奏をするかって事にマニアックな興味がある者に対して、そのやり方を示すだけであるが、困った事に、突き指したり、インフルエンザにかかったりしたら、私の替わりはいない、という事である。
しかし、そのシンガーに何かあったとしても、当日の私は、たぶん、私流に一人で演奏するであろうから、私にとっては、やっぱり、責任の重い、今までと変りがない、歌伴の仕事の一つでしかない。
共演、、、じゃあ到底ない。
だって、私は、ジャズをやるには、もっと上手いシンガーだってかまわないから。
私の役目は、取りあえず、ベストな伴奏を提示して上げる事。
何がベストな伴奏かって?
つまり、その手法だけが、ワン&オンリーって事。
それにのっかる「唄」は、誰でもかまわない。
勝手に、その伴奏を超えたらいい。
1月11日(土):歌姫、その後、女性シンガーに望む事、期待と依存
歌姫とのライブの件で(註:1月6日(月):17才からのCD感想 PS:歌姫登場
/ 1月10日(金):歌伴の心得、ジャズ.シンガーの条件)、結局、誰がその歌のレパートリーにキーを合わせて譜面にするのだ、という事になった。市販のコピー譜や曲集から譜面を手に入れても、このままでは使えない。
これを「シート.ミュージック」の譜面にする作業が必要だ。メロディとコード進行だけのシンプルな譜面の事だ。バンド用に挿入された間奏だとかエンディングだとかは、カットして行く。
こうした譜面は、何のアレンジ的要素も加えられていないから、より自由にその譜面を演奏者が発展させる事ができる。
メロディが勝手にアレンジやフェイクしたメロディラインになっていたりすると、これを元々のオリジナルな音符に直さなくてはいけない作業がある事が、まず一つ。
アレンジされたメロディをそのまま譜面化したら、そこからは、それ以外のメロディの弾き方が生まれないわけだ。
そして、次にやる事は、その歌手にあったベストなキーを探し、譜面全体を移調する。
コードも色々、楽器一本でやれるように手直しして行く。
譜面の書き方も一目見てわかり易いように並べて書いて行く。一段、一段を偶数の数の小節数にしていく。4小節、(紙面のスペースの都合で仕方なく、6小節)、8小節、、といった区切りだ。五線紙の一段が、5小節、7小節、9小節、とあっては、読みづらい。
こうした作業の譜面づくりが完璧であれば、リハーサルなどいらないくらいだ。ぶっつけ本番でよい。(シンガーに力があれば、、である。)
ところが、今回、列挙されたレパートリーからこうした譜面を作成するのは、伴奏者の仕事になっている。
良い演奏にするためには、しっかりした譜面を準備しておかないといけない。
普通は、歌手が勉強して、これくらいの譜面は作成してこなくてはいけない。
ところが、素人集団となると、この譜面作成に関する認識がまったくない。
どれほど大変か、という事もまったくわからない。ただ、既存の譜面を忠実に弾いてればよい、という認識だ。
そんな演奏は、誰でも取り替えの利く演奏スタイルである。
10曲以上ものリストアップされたレパートリーに対して、一体、誰がその譜面作りの作業を徹夜徹夜でするのか、というプロとして当然の疑問が浮かんだ。
ライブは、1月末を予定している、となり、私は、そんな事を無報酬でする義理は何もない、とした。
その歌手の恋人なり、何らかの義理でもない限り、こうした事を自分からすすんでやり、当日に臨むのは、おかしい、とした。
一番良いのは、その歌手が、私の教室に身銭を切って通い、譜面の読み方だとか、視唱のしかただとか(譜面を視て楽器なして唄う)、移調の仕方なんかをしばらく学ぶの事だ、と言った。半年もあれば十分だろう。
何の勉強もする気も、一切の身銭を切る事もなく、音楽の仕事でギャラを得る事だけを考える事は、私が最も嫌う、お決まりの現地の芸NO人の世界ではないか。
だから、今は、ライブ云々ではなく、ちゃんと勉強させて、ある程度の譜面作成が自分でできるようにさせた方が良い、とした。
そうすれば、後は、コード進行に多少手を加えるだけだから話しは早い。
いいかげんな譜面は、いいかげんな演奏となるから、これを渡された時点で激怒するミュージシャンもいる。あたりまえである。その責任は、ミュージシャンが取らなくてはいけない。見ている観客は、それが譜面のせいだとは思わない。そのミュージシャンがへまをした、と記憶してしまう。だから、名のあるミュージシャンは、そうした、しっかりした譜面を要求する。
譜面がなくてよい場合は、どうしてもこのロックバンドに入りたい、だから、徹夜してもそのバンドの全曲をコピーしたいという者に限られる。
彼は、そのバンドのメンバーになる事で、後々も多大な報酬と恩恵を得るわけだから、徹夜のしがいもあろう。
しかし、私には、別に何のメリットもない。当日のギャラを得て、やがて、そのシンガーが、もっと安くで自分に入れ込んでくれるバックミュージシャンを見つけて、、、、その縁は、、、終りである。
そんなもんである。
そのシンガー自体が、どうしても私でなければ嫌だ、と指定したわけでもない。実際、楽器の上手い下手は、よくわからないだろう。
その証拠に、彼等が私の音楽に興味を持つ事はない。
代替可能な、ベテランおじさんジャズミュージシャンの一人、という認識だろう。
、、、といった理由で、私の提示した条件を今時の者が従うわけはない。
私が、示した修行事は、シンガーに、歌手としての自覚と今後の音楽への姿勢を問うものである。
そんな修行をするよりも、何でもよいからライブ.パフォーマンスをして、お金を得たい、という事を優先するならそうしたらよい、と思う。
人間は、素質はあっても、その環境と出会いで、未来への発展性はなくなるだろう。
それを感知するのも音楽的霊感である。
そうした修行を拒否して、いかに多くのシンガー連合が、この地に誕生した事か。
その活躍に、発展性がないのであるから、いかに、目の前の客を地元で湧かそうとそれは、錯覚というものである。
年月が経れば、ようやく理解する事だろう。
そんなわけで、歌姫の伴奏者は、その辺の者をかき集めて、行なう事になろう。
持って生まれた、その人の運命である。
残念ながら、やはり「無縁」である。(註:6:追記:縁(えん)をつける「●SUN POWER MUSIC 教室案内 2002.8/31」より)
私は、自分で譜面を作成してあげる気がまるでない。
私自身がシンガーに依存する「欲」よりも、シンガー自身が「自立」するための試練をまず、与えたい。
そうして、自立して、多くの者と共演し、それから、何か、物足りなさを感じた時、私を思い出せばよい、と思う。
ジャズを唄う限り、ジャズ屋として生きた私は、少しでもジャズをなめない女性シンガーの誕生のために、貢献したい、と願うばかりである。
残念ではあるが、「本物」を生み出すための土壌のない昨今の早急な音楽製造システムには、賛同できない。
甘ったるい世界から生まれたシンガーは、すぐに潰される。
寄せ集めの共演者と同じ「オーラ」を放つようになるってのがその大方の人生パターンである。
朱に交われば赤くなる、、、ってわけだ。
私が、他人へ抱く「期待」は、私の人生のすべてをその人へ托した「依存」ではない。
1月12日(日):沖縄、新成人暴動。二十歳に思う始まりと終り。
そういったわけで、新年早々、仕事を没にした。
こうなれば、「私は、こうして仕事を没にして来た」という講演会でもやった方が、まだ、「仕事」になる、と思われる。
今日から、新しい生徒がやって来た。
レッスン30分前の事前の確認の電話もないので、こりゃあ、いきなりすっぽかされたか、と思っていたら、15分ほど前に、すみません、成人式に出席していたもので、、、と携帯で電話が入った。
何とまあ、成人式で連絡が遅れたとは、、、、、、。
まったくの一からギターを始める、という。ずっとドラムを叩いて来た、らしい。まあ、イギリス留学中の通信生の友人だ。
何にしても成人式の日に、新たに何かの修行事を始める、という事は、記念すべき事だ。
その上に、私の作品の第2集と第4集は持ってるので、今日は、第1集を買いたい、と言って来た。
(私の生徒等に聞かせてやりたいものだ。私の生徒は、私のCDは持っていない者ばかりだから!。まあ、前途有望だ、と思っている自己の人生から、何らかの「打算」で接近しているのだろう。本来、その目的達成のためには、先生は、別に誰でもいいってわけだ。)
CDは、全部で5枚「しか」出ていないのですか?、と聞いて来たので、まあ、買う人がいないからそれ以上作ってもしょうがないんだ、と答えた。
二十歳かあ。
できたばかりの、東京の池袋のミスタードーナッツ第1号店で「そうじ人」のバイトを午後10時から朝8時まで一人でやってたな。
夜、ニュース番組を見ると、「またしても沖縄で新成人が大暴れ」と全国ネットで報道されていた。
式典は、何事もなく終ったのだが、那覇市の「国際通り」を新成人が車で闊歩した、と言う。
何?、午後、2時半に私は、吉野屋もどきの牛丼屋で牛丼を食べて国際通りをスクーターを走らせて、コーヒーが飲みたい、とコーヒー店を探していたのだ。3時からレッスンだ、というのに。(結局、自販機で購入して、少年野球の試合をしていた、アパート近くのグランドで飲んだ。その時、レッスン確認の携帯が入ったわけだ。)
テレビのニュースで、暴れている新成人の数をとっさに数えた。
まあ、現場に遭遇してたら、何人までならいけるかな、、、と思ったからだ。人数オーバーである。
結局、警察が来ても、何の罪にもならず、傍観して、終えたらしい。
どうも、毎年、沖縄の新成人の暴動が取りただされる。
勘違いしない方がいいのは、沖縄は、年長者になればなるほど、気性がはげしい者がうろうろしている。だから基本的には、適当にほっぽっておいているわけだ。それだけ、寛容なわけだ。
繁華街なんかをうろついて見ればわかる。
凶暴そうな顔付きの「新成人でない者」がうろうろしている。
何食ったら、そんな凶暴そうな顔になれるんだあ、という者がいたりする。私は、基本的に、どの階層にもいる顔らしい。
それとまあ、新成人で大騒ぎするのは、サラリーマンが増えたんだろう。肉体労働者よりも。
そりゃあ、かけつけた警官の中にも、怖そうな人はいただろう。こわもて人種と言うのは、基本的に、そうした若者でも、わかるはずである。
その若者が、あなたは、怖そうですけど、私は、別に、あなたにまで危害を加える気はない、相手を選んでいる若者ですから、今日の所は、大目に見て下さい、、、、と何となく、その目で訴えている感じなのだろう。
彼等だって、ちゃんと「日常」に帰れば、そうした現実をよく承知しているわけだ。その職場、職場で、そうした、「先輩」がちゃんと存在しているわけだ。また、そうやって見せる事によって、自分の今後を祈願しているわけだ。敏感に、何の刺激もない未来の自分の人生への葛藤があるわけだ。人生、一世一代のパフォーマンスであるわけだ。
強い者を集めて、それを弾圧する事は、小市民社会に雇われた番犬のようで、何とも、気乗りのしない事となるはずだ。
あなただって、一世一代のパフォーマンスとなる、絶好の時もないまま、人生を終えて行く、という、、、あなた自身の人生に、悔いを残しつつ、、、それを認める事は、今の自分自身に対して許されず、、、その、、、、長くもあり、短かった「生(せい)」を、閉じる事への恐怖を、、、、抱いている、、一匹の生命体ではないか?
彼等は、今しかない、と、思ってしまったのである。
簡単に言えば、こんな旨い果物は、今しか食べられない、と思って彼等は、禁断の実を食べてしまったのであり、あなたは、いつか、のんびりとその実を食べる時があろう、とたかをくくっていたら、どうやら、死ぬまで、このままらしい、と気がつき始めた、、という事では、ないか。
これを、先の人は、「燃焼」と言っていると思う。
彼等は、一瞬にして、自身の人生の、最上の「時」を、見抜いてしまったのである。人生絶好の日のための「燃焼」に生きる者たちを、誰も止める事はできない。
ひたすら合掌。
しでかした若者と、何事もしでかさない若者たちの未来のために。
1月13日(月):自作、THE OLD SONGSの事、小野ヨーコ女史の反戦コンサート、大人になるという事、暴れる沖縄の新成人と筑紫哲也の多事争論と、終らない東松照明論争。
この2,3日、通信生のためテキストづくりに、遅くまで没入している。
お正月が終って、どっと、課題提出日が重なってしまい、それをひとつ、ひとつさばいていかなきゃいけない。
各人の人生は、様々だ。これを、考慮して、課題を作り出すのだ。
一区切りつくと、この所、デッキにセットしっぱなし、、となっている、自作の「THE OLD SONGS」を聴いている。
かけるたびに、何とも言えない世界がやって来る。確かに、自分で弾いてはいる。もう手許には、この一枚しか残っていない。
そうだなあ、このCDは、全国各地で、地元の義理買いを除いて、10枚くらいは、売れたかなあ。
こんなもんだろう。
これでも数字としては大袈裟だなあ。
実質、これを好んで聴いている者に限れば、4,5枚ってとこだろう。
出演している手前、寄贈した地元のライブハウスでもこれがかかる事はなかった。
今時、こんなCDなんてレア−ものだと思う。
こんなのを去年は、制作して発表したんだなあ、とふと思う。
聴いていると、まるで弾いているのは、自分ではなく別人かな、と思うほどに、何とも言えない世界にひきづりこまれてしまう。
大した奴だなあ、と思う。
でも、もう二度と音楽はやりたくないなあ、とも思う。
たぶん、私も、燃え尽きたんだと思う。「音楽」を利用し、その剥き出しの欲望を実現しようと、貪欲の愛を求め、餓鬼道をさまよう人間に会い過ぎたのだと思う。
寡黙に磨いた「芸」を見たい、とつくづく思う。
*一昨日、NHKのテレビで、坂本龍一主催、小野ヨーコ出演の、アメリカ.テロ事件直後の反戦ライブの模様をおそらく一年遅れで、ようやく見た。ビートルズ..ナンバーを出演した日本のアーティスト全員が、それぞれ唄っていた。
小野ヨーコ女史は、”我々全員の「念力」で戦争をなくそう”、と訴えていた。まるで、黒魔術の儀式のようだった。エコエコアザラク、、、。
極上のアメリカン.ポップスが選曲され、大貫妙子女史なんかが先陣を切って美声を聞かせていた。
何を求めて、人は、集まるのだろう。
そうして集まった人を、どうしょうというのだろう。
「錯覚」は、果たして、どちらにあるのか。
オレは、この間、「デモ」に参加したんだよ、と小学校を卒業したばかりの頃、夏休みに同級生と遭遇し、この台詞を聞いた。
何を言っているのか、さっぱりわからなかったが、彼が私より大人になった、という事だけはわかった。
*今日、テレビで、「筑紫哲也のNEWS23」を見ていたら「多事争論」で、地元沖縄では流れた、傍若無人な暴走族集団の新成人の映像は、2,3秒ほど流し、筑紫氏は、「果たして、我々は、良い子だけを求めていいのだろうか?」と締めくくった。
友人は、昨日、市民会館近くでの荒行の途上、会場周辺での木刀を持った新成人の一団に遭遇。
3人が限度だ、と言った。とにかく凄い人数だった、と。
この間、地元の新聞を見ると、筑紫氏の東松照明氏をめぐる反論に、シンポジウムがあり、当の東松氏とこれを非難した、とされる地元の写真家の座談会があり、筑紫氏の反論は、もはや、写真家云々ではなく、芸術家一般、全域に及ぶ論である、とし、これに対する「多事争論」があった。
主に、筑紫氏の言う「事大主義」をめぐってである。あの決めつけは、赦せない、というものである。
当の本人、東松氏は、この歳で、こんな熱い議論の現場にいられる事は、うれしい、としていた。
『参照:11月4日(月):ステーキと私、風邪対策と地元白痴偽善者ミュージシャン連合のコンサートと筑紫哲也の東松照明をめぐる地元芸術家との論争
11月18日(月):私を超えたい生徒、筑紫氏の東松照明問題延期と謝罪、沖縄県知事選挙。PS1:乾いたコルクのワインの開け方、PS2:それでも月謝は同じですか?、という生徒の要求:(17日、18日分まとめて)
12月1日(日):結末、筑紫哲也、東松照明論争「戦う相手は内なる敵」。地元写真家の悩み。ジョン.ゾーン帰る。』
ともかく、まあ、今年もよくわからない。
1月15日(水):通信講座の意義、、、と山籠りする修行者。実力4級に達する生徒と達しない生徒の比較と年賀状。あるライブハウスの最後のジャズ.セッション.デー。秘密主義の生徒と、20回もレッスンをすっぽかした生徒。
抱えている通信講座の生徒は、エレキベース、ギター、ピアノ、と言った具合で、今、やっと一人の生徒の課題作成を終えた。これは、イギリスへ明日飛ぶ。通信生のレベルにもの凄く差があるから、一体、何から手を付けてよいかわからない、という状態だ。
目の前にいれば、簡単に説明できるのに、、というもどかしさもある。しかし、これをちゃんと文章のみで説明しなくてはいけない。世界中のどのテキストよりも親切に書いているつもりではある。
提出された課題には、なるべくその人の弱点や、現在、音楽をどう考えているか、という事をその演奏から判断し、より深い深層心理を掘り起こして提示して行く。即興された音を聴けば、大概の事がわかる。その人が、日常をどう考えて今まで生きて来たのか、という事までその演奏は、提示している。
この通信講座は、一つの実験でもある。どこまで、この講座によって遠隔地の生徒を進化させる事ができるか、、にある。(かなり大変な作業である)
幸い、生徒は、みな本気である。趣味程度、、はいない。送られて来たテープを聴けばわかる。
もう一度、音楽を一からやり直したい、と思っている者がいたら今の内である。つっぱっているとすぐに還暦がやって来る。歳を取れば取るほど、プライドだけが先行し、本当に、、、実力はないに等しい年代に入る。本物の世界から、初めて自分に向けられた、その「一撃」に心底怯え恐怖し、やがて、これまでの自分にいたたまれない恥ずかしさを覚え、終いには、死に至る。
本物の世界を知らない者ほど、山へ籠る。山へ籠って修行すれば、パワーアップする、と思っている。
しかし、これは、あらゆる試合を経て来た者だけがやれるイメージトレーニングを利用した修行法である。
実践の何のイメージもない者が、一人、山籠りしては、さらに弱くなって下山する事になる。
修行は、常に、傷付きながら、行なうものであり、そうした、傷付く事を怖れている者は、「逃げている」に過ぎない。
自分を傷つける者のいない所で、いくら修行しても大した進化は、見られない。相手への詳細なイメージが、データに入っていないのである。
データは、相手から徹底的に打ちのめされて初めて脳にようやくインプットされる。
何のダメージもない者が、ただただ、そのダメージを受ける事にすら恐怖して、何年も一人修行しても無駄である。それが無駄である、という事は、還暦になってようやく認める気になる。しかし、それでも認めない者もいる。まあ、過去をでっち上げるわけだ。
楽器なんてのは、3年やって大した事がないなら、その人のすべてのものの考え方がおかしいのである。これは、断言できる。いくら練習しても、その考え方がおかしいのであるから上達するわけがない。やるべき事は、楽器の練習よりも、その、ものの考え方をどうにかしない事には始まらない。始まらないのに、年齢を重ねるにつけ、今度は、考え方にも自信を持ってしまうからやっかいな生命体に成長する。その思考法で、楽器をいじるから、ますます壁にぶち当たる。
今日は、ライブ.ハウスのグルーブ(註:2002年、11月28日(木))
が、毎月、何年にもわたって定期的にやっていた「ジャズ.セッション.デーを」最後にする、というので、3年ぶりで復学した生徒が一人呼ばれて演奏しているはずである。客も演じ手もいないそうだ。
元々、修行人もいない所で、修行事を要求する事自体が無理なのである。
見よう見まねの芸は、訪れた客一人一人にビール一杯分、出演者が提供するサービス.システムを導入すればよいのに、なにがなんでもギャラを得ようとする人種ばかりが続出した。
身銭を切る客もたまったものではないが、かといって、身銭を切る出演者もいない。
長年、ジャズ教室をやって来て、今年、教室至上、二人目の実力「4級」レベルに達した者が出た(他は、7級が最高である)。4級レベルに達したのは、ピアノの生徒である。最初の一人は、今は、沖縄在住ではないトランペットの生徒である。
二人に共通して言えるのは、地元の生まれではない、という事である。
トランペットは、青森県出身の男子であり、もう3年ほど前になるが今年のピアノの女性は、東京都出身である。共に、プロの職業演奏家である。現在は、30代である。
通信生の方が、直接習う生徒よりプレッシャーが大きいだろう、と言ったら、レッスン日に、自分の演奏を録音したテープを持参して来たり、作曲した、と言って曲まで持って来る。
これは、レッスンを活用しまくっている。おまけに、音楽以外の悩み事や色んな世間話しもしかけて来るから、いわば、私という人間の最大活用法である。
これまでの、まったく進化しなかった、私生活をいっさい明かさない、私とのかかわりは、音楽以外、一切無用と考えていた、秘密主義の生徒のタイプとは、大違いである。
そうだ、このタイプが伸びるんだ。これなら、私の葬式でも率先して身内の者に交じり働いてくれるだろう。
まったく、世の中は、うまくできている。打算的で、秘密主義の人間は、結局、何をしても大した人生を生きていない。
そんな事を思っていたら、一月も10日も過ぎてから約2名の生徒から年賀状が来た。
まあ、ほとんどの生徒から、新年の挨拶のメールも年賀状も来ないから、10日も過ぎたとは言え、物凄く低いレベルの人間界で、一応は、ポイントは稼げる。
昔、在籍5年の間にレッスンを20回ばかりすっぽかした生徒が、2,3週間ばかり音沙汰がなかった。私は、てっきりどっかで交通事故に遭い、意識不明のまま入院中だ、と思っていた。告別式に出る事になるかもしれない、と毎日、新聞を見ていた。
ようやく連絡がついた際の言い訳が、携帯電話をなくし、一切の連絡が取れなかった、、というものだ。
電話帳にも私の教室は、何年も登録されているし、交換手でも即座に番号を教えてくれる。
現代人ではなく、縄文人を相手にしているのか、と思った。
もちろん、3年程前に、父親の関係で山梨県へ移住するから、と教室を退会した。なぜ、30歳にもやがてなる者が、まるで転校する小学生のように父親の関係で移住するのだろう、と、不思議でならなかった。
現在も地元で活躍する、ミュージシャンである。
現在は、自然保護を訴えるミュージシャンとして活動している。
後記:
今日は、去年末から、まったく手許になかった、自作:THE OLD SONGSのCDを20枚ばかり追加して仕入れる。今年の目標売り上げ枚数、とした。
二十歳の成人式を迎えた生徒から、急きょ、東京へ行く友達にプレゼントしたい、というので、なら、このサイトのアドレスもある新作のCDがいいだろう、と増刷させた。サインとその友達へ送る言葉も添えて下さい、との依頼。う〜む。
1月16日(木):通信生追加。人は何のために生きるのか、ちょっと変化球で。教える者の責任、教わる者の無責任。森繁久弥沖縄にて入院
今日は、予定していた特別レッスンを生徒の勘違いからすっぽかされた事もあって、またしても通信生のための課題テキストづくりに専念。
昨日でき上がったテキストは、イギリスに発送。
諸君!
音楽修行は、膨大な課題の実践なのだ!
一体、何から始め、それは、どこまで伝えたらよいのか!
すべてが、メビウスの輪のように繋がっているのだ!
二人目のテキストは、完成まじかではあるが、どこまで課題として要求すべきか、、、このまま、続けるべきか、、否、やめるべきか。
という事で、土日は、郵便局も休みだから、来週へ持ち越し、、となった。
そのために、今日の荒行は、お休みとなった。おかげで、身体がなまってしまい、歩くのもやっとである。腰も曲がってしまい、動悸息切れもはげしい。
これでは、おじさん狩りで、成人式を迎える若者に、集団リンチを受け、念仏を唱えながら死んで行くのみである。残念無念!、般若心経は、まだ覚えていない。悔いが残る。念も残る。地縛霊となる。しかし、そこでも修行に励めば、出世して「怨霊」となる。
見ろ!事務仕事ばっかりさせるから、何だか、妙な感じである。
そういったわけで、今日、通信講座受講生が、サックス、ピアノと二人増えた。
そろそろ地元で、タクシー運転手の資格でも取得しなきゃいけないな、と考えていた矢先ではあるが、商売繁盛、というわけではない。
通信生は、なんだか、人間の命を預かるって感じがある。音楽を通信で学ぶなんてのは、そう簡単な決意ではない。
私は、10代の頃、通信講座マニアの少年だったからよくわかる。20代の頃は、世界中のテキスト.マニアだった。
中学3年の頃は、レッド.ツェッペリン(正式名称:ゼッペリン)と「クリーム」とジェフベックの「BBA(ベック.ボガード&アピス)」のコピーに明け暮れるロック少年。
しかし、背丈も一寸法師にように低く、ルックスも悪い、という事でロックを断念した。はいはい、そうですか、と率先して来客の荷物を運び、お客様、ここが一番の良い眺めの部屋ですらあ、、と働いた。
諸君!
気合いを入れろ!
人生は、まだまだ長い。
着飾って、異性に挑め!
何度も何度もありのままの自分を提示せよ!
臆するな!
その後は、知らん。
89歳の俳優、森繁久弥氏は、現在、滞在中の沖縄のホテルで体調をくずし倒れ、地元の病院にて入院中で、昨日は、元気に、大好きなビーフカレーをたいらげたそうだ。突然の事に家族も来沖と今日のスポーツ紙にある。地元紙にはなかった。(急性心筋梗塞、との事)
妻も亡き今、この地を最終地としたか、、、。
はて?、私は、他人の人生をここまで、抱えていいものか、、、。
まあ、できる事はやらなくちゃあ、神様も怒る。既に、見破られている。
できる事は、やりなさいってさ!。
でも、そろそろ、どっかで 「THE OLD SONGS」でもかけてみないかなあ。
忘れるな!
私は、教育者ではない。
わずかな金銭を求め日々生きる商人であり、そこに「道」を求める、一匹の求道(ぐどう)者に過ぎない。
悟り遅れた何十年も前のプライドは捨ててついて来い。
つまらん世界の住人は、置いてくぞ!
とにかく、金さえ払えば、何とかする。
これだけは、まちがいない。
遠慮はいらない。
たぶん、私は、別世界の住人だ。
後記:
今日は、7年もいる30歳になった生徒から新年のグリーティング.メールが来た。そう言えば、彼が、私の所へ来たのは、23歳だった。人には、確かに、才能と言うものはある。
でも、もう少し達観したアドバイスが言えたら、彼は、極上の20代を送っていたのではないか、、と思う。(フリーター、中途退学、季節労働、復帰、フリーター、就職。)
私には、人を救う力は、ない。
私のアドバイスを信じ、それを忠実に実践して来た者は、みんな、私を超えて幸せになってくれれば、教えて来た甲斐もある。
私は、その責任を取って、何もいらない。天罰は、確実に、私に下るからである。
PS:
しかし、そういないんだよねえ〜。
アドバイスを実践する奴なんて!
よかった。よかった。
世の中は、すべて、私の都合のいいように動く。
ジャズのジャム.セッション(参照:1月15日(水))に出た生徒から、当日、かなりの出演者が集まっていた、と携帯メールで報告して来た。他のジャズ.ギター教室の生徒や、大学のジャズ研の者たちである、という。課題曲が4曲毎回あるらしい。意外にも出演者が集まったので、今月を以て中止となるはずだったが、来月も行なう事になった、という。
「それで、、、勝ったのか!」と聞いたら「残念ながら負けました。また来月がんばります!」と返って来た。私は、「切腹もんだな、、、、」と返信した。3年ぶりで復帰した生徒であるが、7級のランクである。
7級レベルは、何とか、適当に簡単なジャズ.スタンダード曲が演奏できる、というレベルである。
私も89年頃、上京した時は、一人であちこちのジャムセッションに出た。
駅からもの凄〜く歩く店もあった。
伴奏してくれるプロ.ミュージシャンは、みんな愛想が悪かった。
下手くその常連が何度も演奏していた。
1曲演奏するのがやっとだった。順番待ちだ。
2曲目はあるか、、と待っていたが、あまりの待ち時間にしびれを切らし、「ケッ」と言って帰る際、その店で伴奏しているピアノの女性がドアまで飛んで来て、「ありがとうございました」と言った。彼女は、今は、ちょっとした有名人だろう。
ジャズ界、最大手のある店では、セットされているアンプの調子が悪いので、演奏が終ってから蹴飛ばそうとしてやめたら、その持ち主の有名ギタリストが、不安気に見ていた。
私の番が、終ると、彼が模範演奏をした。別に、ただ、パラパラと弾いているだけで、二度と聴こうとは思わなかった。私は、このパラパラ弾きを「日本人弾き」と了解している。あまりのつまらなさに、何だか、生きていく気も失せるのである。ジャズ.ギターってのは、こんなもんかなあ、と思うのである。
ステージを降りると、同じくセッションに出ていたドラマーが、やって来て、「どうしたんですか」と聞いて来た。先月、初めて出た時に、私の席にやって来て名刺を渡したドラマーだ。
とにかく、いろんな奴を見た。ある有名和製ロックポップスバンドでやっているドラマーもいた。彼は、しきりに、まわりに愛想を振りまいていた。彼は、ドラムソロで、すぐに小節がわからなくなった。
今では、なんとかなんとか、というオーケストラの一員として活躍しているレゲェ風の二人組が、もの凄く、下手くそな、Fのブルース、NOW'S THE TIME を吹いて、終ると恥ずかしそうに退場して行った。当時もテレビには出たりしていて一番目立っている奴だった。
私は、ああ、力がない内に有名人になると修行ができないなあ、と思ったりしていた。修行は、無名の内にやるもんだなあ、と納得した。
裏を返せば、無名だからどんな修行でもできるんだな、と悟った。下手に有名になると、なかなか素人に交じって修行はできないもんだ。
まあ、ジャムセッションってのは、まず、落ち着きが大切だな。敵地に一人乗り込んで行くわけだから、常連になれば、スリリングな世界は、味わえない。
しかし、あれは、音出せばいいって勝負だ。わざわざ、金出して、そいつを聴こうとは、思わない。ジャム.セッションは、通常のライブより、客が入る。客は、出場する人間だ。彼等は、とにかく、ライブの客には、ならない。要するに、誰もがミュージシャン志望ってわけだ。
同じ阿呆なら、踊らにゃ、損、損、って人種だ、と言っている。
それでも、ジャズの世界では、ジャムセッションは、通らなくてはいけない「儀式」ではある。
願わくば、舞台馴れした下手くそより、あがり性の、才能豊かなミュージシャンを目撃したいものである。
もちろん、あがり性の下手くそは、論外である。
いずれにせよ、「音楽」とは、ちょっと違う世界ではある。
あがり性を克服したい人は、ぜひ、出るべきである。
克服したら、少しは、「音楽」の事を考えてみたらよい。
1月19日(日):テキスト完成!ジャズ神の生け贄と「結着幻想」、目利きの利かない原住民、後記:THE OLD SONGSを売ってくれる東京の店「オリジン」。PS:雑魚釣りの人
正月が終り、どっと押し寄せた通信生の課題テープ.チェックから次のテキスト作成に追われ、今日、完全オフの日を利用して、起きてから立て続けに残り3人分の課題テキスト作りに取りかかり、今、やっと完成させた。もう午前3時前である。やれやれ、これで、のんびりできる、と思ったが、明日からは、またレッスンの週である。また、新たに、サックスとピアノの通信生が2人追加されたので、その課題作りにも取りかからないといけない。
こんな事をしていると過労死で、死ぬんじゃないだろうか。
しかし、まあ、何とか、今後、膨大となるであろうテキストも少しづつ完成されて行っている。
とにかく、最初が大変なのだ。よくもまあ、「初心者歓迎」なんて教室ができるものである。最初が肝心なのに。
みんな、たかをくくっているだろうが、私、直筆のテキストは、けっこう毎回、膨大な理論説明から始まる。パソコンでの、譜面や図解入りのデータの入力がよくわからないから、細々と、手書きで五線紙に書いている。描いている、と言ってもよい。
まあ、一年もすれば、いくらか、大体の前提が確立されるから、説明も楽になるだろう。
一応、いつでも双方が止められるようなシステムを取っている。毎回、継続したかったら申し出よ、というシステムである。
しかし、地元で通っている生徒の99パーセントは、私の教室が「あたりまえ」と思ってやって来るのだが、通信生となると、みんな、案外、色々な音楽教室や学校体験をしている。
現在、在籍している4級になったピアノの女生徒でも東京のジャズ教室に10年通っている。来沖して半年後に、私の教室へ来て、3年かな。よほど、運がいい、としか言いようがない。
ジャズにまつわるメソッドが、どれほどの人生を狂わせたか。それを忠実に守ったとしても、その完成品は、どこにでもいるジャズ屋の一丁上がりである。どこにも「個性」の欠片もない。
まるで、一神教としてのジャズ神の生け贄(にえ)を次から次へと製造しているようでもある。
生け贄とされた者の人生は、悲惨である。人生の大半を生け贄となるべく教育を受けて過ごすのである。古代西洋では、生け贄として選ばれるのは、他国からの捕虜である。とにかく、毎日、もてはやすのである。「あなたは、英雄だ、あなたは勇気がある」と、国民全体で持ち上げるのである。
そうして、ある日、生け贄は、その勇気を示すために、生け贄となって死ぬのである。
私は、1級建築士となるために、もう、15年以上も受験し失敗を続けている者を知っているが、彼は、あきらめないのである。「あきらめない」からと言っても、ちっとも偉くない。
彼は、1級建築幻想に生きる生け贄である。一体、どれだけの1級建築士が失業しているかも彼には問題ではない。
これは、「結着」である。彼等は、「結着」をつけようとしているのである。「結着幻想」である。結着幻想には、未来はない。
ここに、100本のワインがあったとする。このコルクを全部抜いてほしい、という事で、最初の1本を抜いた。2本目に取りかかる。3本目、4本目。
そして5本目のワインのコルクが、どうしても空かない。
彼等は、その5本目で、すべての人生を捨てるのである。残り95本には興味がない。とにかく、この5本目のワインのコルクを抜かない事には、絶対に6本目には、行きたくないのである。
87本目のワインのコルクを抜いている私は、時折、まだ、5本目のワインのコルクと格闘している彼等を唖然と見つめるのである。
私の足下には、どうしてもコルクが空かないワインが30本ばかり並んでいる。後で、叩き割ろうと思ってキープしているだけである。おまえらなんか最早、飲み物ではない、という「審判」を下したわけである。
これほど、人知れない、私の音楽が、わずかなリスナーに日々何かを与えているとしたら、こうして今日、完成したテキストは、さらに、ごく数人のみが、手にするテキストである。
いずれ、その価値も見出せぬまま、去る者も出て来よう。
しかし、これは、魂を込めているのである。
より自由になれ、より幸せになれ、という想いを込めているのである。
沖縄という地は、数々の著名人が指摘するように、何を大切にしなくてはいけないか、という事が、さっぱりわからない原住民が住む土地である。
彼等は、「本物」を知らない。外の世界を見た事がないんだから何が大切であるか理解できるわけがない。
外から来たものは、何でも崇拝し、どうでもよいお国自慢だけをしでかしてしまう。いわゆる、目利きができない、わけである。
県外の数人のためのテキストの作成を終え、ふと、こんな事を語ってみた。
きっと、神様も、天上界から、その光景をテレビを通じて、ポツンと眺めている事だろう。
さて、明日から、また、何かと忙しい。
後記:THE OLD SONGSを売ってくれる東京の店「オリジン」。
そういえば、東京で唯一、私の「新作」THE OLD SONGS を取扱ってくれている店(参照:2002年:12月10日(火):東京で「THE OLD SONGS 」を売ってくれる店。新作「THE OLD SONGS
」について、、と、なぜ、もう音楽をやらないのか。私の望むものは、、。)に、ホームページがある、との事。
オリジン:http://www.umegaoka.net/orijin/
PS:雑魚釣りの人
観光妨害となるが、今日も沖縄は、けっこう寒い。
東京から来たばかりの者でも正月に言っていた。
利用価値がない、と見るや、相変わらず、何の音沙汰もないのが、彼等の特徴である。目利きが利かないので、利用価値がない、と本気で思っている所が、哀れでもある。だって、毎日がつまらないから、何かしようって思うわけでしょ?
彷徨(さまよ)っているのは、私じゃあない。
本物を「捕獲」する知恵つけなきゃ人生は、変えられないよ。
偽物は、黙っていてもうじゃうじゃ寄って来る。
二十歳の頃、マンガ、「釣りバカ日誌」を読んで知った。
釣りは、した事がないが、、、。
1月24日(金):インフルエンザとDVD。後記:ストリート上がりの人気若手ジャズ.バンド。
またしても失語症になりかけているので、ここらで日記を書いておく。(参照:2002年12月16日(月):失語症と経済学的見地からの日常の考察と現状維持と現状打破の境界線。 後記:ライブでしょ?)
流行のインフルエンザにやられているのですか、というメールがあったが、そうではない。しかし、沖縄は、3,4人ほどこれで亡くなっている、と新聞にあった。1才児と離島の85歳だったか、3人目は、びっくりしたことに、この那覇市に住む41歳の女性だ、という。年始から熱があったのだ、という。
風邪が流行るたび、年がら年中、必ず、ひいている友人には、ワクチンを打て!この辺一体の病原菌は、みんなおまえから出ているのだ!と、一度、風邪を移されたので忠告したら、さっそく打って来た。一般は、¥3,600だ、と言われて、すすめた私は、病院から引き返して来た。まあ、混んでいて、時間がなかった、という事もある。あまり人込みに行かない、という事もある。父母は、老人は、ワクチンを打つように、と市からハガキが来ていた。千円から2千円くらいで老人は打てるらしい。さすがの病院嫌いの父も母と揃って打って来たようだ。
1999年頃、同様に死者が出た、香港からのインフルエンザが上陸した。あの時、私は、生徒がドアをノックして来たら、「風邪はひいていないか?」とドア越しに尋ねた。それで、大丈夫なら、中へ入れてレッスンをした。
しかし、ある日、50歳余りの生徒が、ドアの向こうで、咳き込んでいる。風邪ではないか?と、聞いたら、「いえ、これくらいの風邪は、大丈夫です。でも、妻は、香港風邪で入院中ですが、、」と言った。
その衝撃的な告白に、私は、はるばる遠方から来ている生徒にもかかわらず、「ヒエ〜!今日のレッスンは中止です。とにかくこのまま帰って下さい!」と、追い返した事がある。これは、本人に免疫があるだけで、ウイルスを持って来た事に変わりはない。
しかし、そこまでしても、風邪をひいている事を隠してやって来た女生徒がいて、やられた。1週間寝込んだ。高熱にうなされた。
とにかく、病気は、ごめんだ。いくら入院のプロの私とはいえ、自宅で風邪で倒れるのだけは、嫌だ。
ワクチンを打とうか、今でも、ちょっと迷っているくらいだが、ワクチンはもうない、とも言っている。まあ、穴場の病院を知っている。とりあえず、手を洗い、うがいする事だけは、ちゃんとしておかないといけない。
20代の頃、半年も民間の病院やら大学病院やらで入院生活を送った。その発端は、急に、帰宅すると風邪で高熱が出てしまったからだ。そこから菌が入りこみ急性腎炎になり入院となった。熱がひいても長らく血尿が止まらなかった。最初、民間の病院で3ヶ月、その次に大学病院に移されてからは、腰から2本の針まで通されて検査した。その日は、ずっと、うつぶせで過ごさなくてはならなかった。寝返りもうてない。地獄だ。
とにかく、風邪は、嫌だ。手を洗ってちゃんとイソジンでうがいしなきゃいけないから、イソジンとコップを携帯して歩こう、と思っている。
*不思議と、物事には、きっかけ、というものがあるようで、配達されてから、そのまま玄関にほっぽり出されていたDVDとビデオをようやく設置した。調べてみると、購入したのは、去年の11月23日とある。
(参照:2002年11月23日(土):消えて行くカセット.テープと「タイプ1」のカセットをめぐって。ラジカセ、DVD購入)
私は、つくづく自分を恐ろしい男よ、、と思った。物欲があるのかないのか、さっぱりわからない。
きっかけは、ちょっと秘密結社の会で、「あっ!それならDVDで購入したから、今度持って来ますよ」と、本当に、全巻シリーズを持って来てしまったからだ。
そういうわけで、ようやく段ボールから取り出し、設置した。マニュアル書は、ほとんど見ないタイプなので、適当に、接続し、適当にいじって、ようやく、ビデオとDVDを接続させ、両方とも画面が出るようになった。やれやれ。でも、大して時間は取られなかった。なんでこんなめんどくさがりなんだろう。びっくりしたのは、最近のコントローラーは、二重式になっている所だった。
ちょこっと時刻合わせのためにマニュアル書を見ると、まったく違うタイプのコントローラーの絵があったので、一体、これはどういう事か、2種類のタイプがあるのかな、何でこんな事するのか、よし、明日、文句を言ってやる、、、と思ってしまったからだ。
そうこうしている内に、コントローラーの表面が二重式になっている事がわかったわけだ。
ビデオをDVDに録画できるか、と試しに実験して見ると、DVD-RW(何度も録画用)の方は、できたが、DVD-R(一回だけの録画のみ)の方は、確かに、同じように録画したのに、何も入っていないという表示が出た。1時間も録画中にしていたのに、、、。フォーマットもいらない、とDVD-Rの裏表紙の解説にあるのに、おかしいなあ。
また、しばらくほっぽり出しておくか、、、。取りあえず、画面は出るし、DVD-RWの方へは、録画は、できるから。でもなあ、DVD-Rの方が単価が安いんだよなあ。
まったく。
生きて行くのは、機械との格闘だな。
いや、格闘ってほどじゃあないな。
根本的に、めんどくさがりなだけだ。
CDプレーヤー購入も遅かったしなあ。27歳だ。レコード針が発売停止になったから買ったんだ。
ビデオ屋に行ったら、DVDの貸し出しソフトが勢力を増していた。
やがて、ビデオもカセットテープと同じ運命を辿るってわけだ。
(参照:11月23日(土):消えて行くカセット.テープと「タイプ1」のカセットをめぐって。ラジカセ、DVD購入
11月26日(火):「タイプ1」のカセット.テープをめぐってのメールのやりとりと、しつこいくらいのどうでもよい解説)
学習したじゃない。大人のあなたがビデオを絶やして行くわけじゃない。中学生あたりから、DVDしか知らない世代が出て来るってわけなんだ。
気がついたら、あなたは、旧人類ってわけだ。
まあ、人間の持つ、本来の能力は劣ってくんだけどね。さっき、NHKの映像コンテスト見たけど、大した感覚じゃねえよ。解説してる、「流行作曲家」の朝倉なんとかって子も、、、、まあいいや。
後記:ストリート上がりの若手ジャズ.バンド。
今日、トキオの「メントレ.レストラン」や関西テレビ系列で映画「釣りバ日誌」の俳優、西田敏行が、引退した上岡龍太郎からバトン.タッチして司会をしている「探偵ナイト.スクープ」なんかを見て、偶然、チャンネルを変えた筑紫哲也NEWS23に、なんでも、ストリートで人気を得た、という若手ジャズ.グループが出ていた。「攻撃的なジャズ」だとか、「格闘ジャズ」とか呼ばれている、と言っていた。
もう、既に1曲、演奏したらしく、リーダーらしき20代のトランペットが「自分は、柔道をやってたスから、、、」とか「今のジャズは、お客さんの事を考えてないような気がして、自分たちは、お客さんの事を考えて行きたい」、、、とインタビューに答えていた。
とにかく、もの凄い人気で、現在は、ストリートでもしたら大勢の人が集まるので、なかなかやれない、、らしい。
というわけで、最後にと、これで人気を得た、というデビュー曲を聴いた。
昔、私は、24歳の頃、地元のジャズ同好会の大学生を集めて「グリーン.ドルフィン」というバンドをやっていた。誰も技量がないので、とにかく「勢い」でやった。
曲調は、みんな昔のジャズ風だ。
それとまったく同じ事を彼等もやっていた。
デビュー曲と言っていたが、まるで、ジャズ.メッセンジャーズの「危険な関係のブルース」風の手法で、演奏は、鼓笛隊風だった。
確かにね、この手法は、受けるんだ。このスタイルでなら、私は、30分で1曲は作曲できる。50曲目で、たぶん、疲れたから、休ませてくれ、と言うだろう。
こうしたスタイルは、「進化」ではないんだ。「ぼくは、この間までは、柔道をやってたんですよ」という一般大衆でもすぐに手に届く世界になったわけだ。
ラップをやる、ダンスをやる、それとまったく同じ世代に、ジャズもターゲットにされたわけだ。音楽人間では、大衆の心はわからん、、ってわけだろう。一種のエネルギー.ミュージックってわけだ。
そりゃあ、観客は、いつだってそうした「生きのいい」若手を聴きたがっているもんさ。
当時、私は、まったく同じ理由で、ああしたスタイルの曲を、グリーン.ドルフィンという若手バンドでレパートリーにしていた。
ただね、ジャズがね、ラップや、ダンス、、と違ってね、個人芸だって事、、がわからなかったんだね。仲間もいない、自分を助けてくれるものは何もない、まったくもって、孤独な作業だってのが、若者には、耐えられなかったんだな。
技量がない者が集まってやれる事は、「勢い」しかないんだな。
批判じゃない。たんなる「無色」の感想だ。
そう言えば、柔道は、一対一で、技を競うんだったよね。
筑紫哲也氏は、あれを、本来のジャズ.リスナーへ向けてのジャズ回帰として現在のジャズ界へ提示して見せたんだろう。
見た事がねえなあ。
古今東西、芸道を生きる者で、「個人」でなかった者を見た事がねえなあ。
お客さんの事を考えなくなったんじゃないんだ。
より、個的になったんだ。いわば、「個的隊」だなあ。「鼓笛隊」とは、区別してくれよ。
それを聴きたい観客がいなくなったってわけだ。
それだけ、観客の方が、自己の人生の方に、重きをおいたって事だ。
だから、別に、彼等は、批評の対象ではないってわけだ。
大衆に受けた理由は、この不況の時代に、人は、エネルギーを見たいって事なわけだ。
「芸」ではなくね。
基本的に、音楽家は、どこを切っても音楽家であり、武道家もまた、どこを切っても武道家であるわけだ。
久々に書くと、ちょっと難解だな。
1月26日(日):機械と人間。冨田勲とマニュアル書 後記:どうしても進化しない生徒、PS1 :注文の遅い料理店、PS2:盛況、沖縄ジャズ協会第2回コンサートと引退する貴乃花
そういったわけで、DVDでのCDR(1回限りの録音用)の場合は、録音ボタンを2度押すのだ、と、トイレで読んだマニュアル書に従ってやったら、録画ができた。こんな重要な事を、あたりまえのように小さく書いている。まったく、マニュアル書というのは、バカが作っているようだ。一生、作っていろ!
昔から、マニュアル書に革命を起こしたい、と思っている。
タイトルは、「私がDVDと過ごした10日間の全記録とその手記」である。
何でもいいから、私と過ごさせてくれればいい。
マニュアル書を熱心に読まないのは、発展性がないからである。どうせ、その内、システムも変る。機械の発達は、日進月歩である。そんなものに貴重な時間を割いても、金には、ならん!
昔、シンセサイザーの先駆者のはずの冨田勲氏が、一般向けの新機種のシーケンサ−が届いてから何日もほっぽらかしにしている、と何かのインタビューで読んだ。マニュアル書を読む時間がない、との事だ。
この一言で、すべての機械文明が理解できた。
あれほどシンセサイザーにくわしい人間でも、マニュアル書を読まなくては、理解できないのだ。
な〜んだ、いっしょじゃん!(沖縄口:むる、ゆぬむんやっさあ〜。大和口:みんな、同じもんだなあ)
それで、注意して観察していると、シンセサイザーを駆使しているミュージシャンは、みな、自分に必要な機能のボタンだけをいじくり回して、さも、シンセサイザーの申し子のようにふるまっているのだが、実体は、知らない機能のボタンが多いのである。
今の時代は、機械を使いこなしていると、「インテリ」に見える、という事もあって、どうでもよい機能まで、熱心にマニュアル書を読んでいる者も多い。
まあ、90代の年寄りから見ると、扇風機をコンセントに入れ、首振りまでさせて還暦となっている「子」「孫」の世代の「若者」は、インテリに見える事だろう。
機械を使いこなす、というのも「技の修得」と同じである。
何百という「技」があるだろうが、その時々で、最も利用価値の高い「技」は、限られている。
機械をいくら駆使したと言え、しょせん、ロボット「ガンダム」に「誰が」入って操作しているかって事だ。
阿呆が、操作すれば、ガンダムは、その百倍の阿呆さを示す。
とんでもない「阿呆ガンダム」が生まれる。
阿呆が、ガンダムに乗って得意満面ってわけだ。
まあ、小型車を運転するのと、大型トラックを運転するのとでは、その日々の人間修行が変ってくるってわけだ。
作曲するには、紙と鉛筆と消しゴムさえあれば十分だ。
それを演奏させるには、ステーキでもおごれる財力があれば、演奏者を一匹捕獲できる。
本当に世の中が兵器を重視した「近代戦」なら、一匹の兵士など鍛える必要はないだろ?
人間は、まだまだ、口、鼻で呼吸し、二本足で歩かねば、生活が成り立たない。つまり、な〜んも、「文明社会」ではないって事だ。
誰もが、ガンダムに乗って、出勤するわけでもなく、生きているわけだ。それを、臆病者が、なんとか、時代に先がけて、自分だけは、機械づくしで、生身の自分を保護しようって考えているわけだ。
その操作を全部マスターした頃には、その機械は、用なしってのが、今の時代でしょ。
これはね、懸命になって「有能そうな」人に尽くしてたら、ある日、急に、その人が、「無能」になるって事でしょ?
少なくとも、毎日、そんな日々の「感覚」を機械を使って、シュミレーションしているわけでしょ?
後記:どうしても進化しない生徒
今年に入り、ようやく一段落ついた。新たな通信生の課題も完成した。
果て、この生徒には、何が今、必要なのだろう、と考える日々が続く。
私と生徒の「勝負」である。
私が、提示した課題が、どれだけ、その人の盲点をつくものか、、考える。何かにつけ、考える。
そうこうしている内に、あるシステムが見えて来る。
その時、ようやく、何もかもが見えて来る。
私に、直接習っている生徒の中に、何の課題を与えても、進化度5パーセントの、まだ、「若者」がいる。
これまでの、地元芸能人志望と同様、何を与えても何の「完成」も見ない。
なのに、今回は、こんなテキストを手に入れました、これをやれば、上手くなりますか、、と言って来た。
質問さえすれば、熱心な生徒に見える、と思って生きて来たのであろう。
どこで覚えた処世術か。
細かな技術事、理論事に対しては、私は、丁寧に答える。
しかし、市販のテキストを勝手に購入し、このテキストをやれば、上手くなるのでしょうか、と進化度5パーセントの者に答える義務はない。
あまりの調子の良さに、いいか、今日は、楽器を一切さわらせるつもり