友寄隆哉

ジャズはなぜ死んだか? 

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2 歯医者はなぜウエスモンゴメリーが好きか? (高学歴者の嗜好品)



ワイン通を気取る者の大半が百万円近いワインと千円代のワインの違いがわからないという実体が暴露される人気番組があります。


なぜこういうことが起こるのかを観察していると、外れる者の多くは、どうやらワインに関しての知識が一般の人より多いようです。当てるものの中には、お酒を飲めない人も意外に多く見られます。


ということは、もし100人の中で1人だけしかその違いがわからないとすれば、残り99人のための嗜好にあったワインを作った方がワイン業者の商いとしては賢明に思えます。


物事を鑑定、判別をする能力をつけるには、幼い頃から本物に接する事が大切だと鑑定のプロは自身の成立過程を分析しています。それは同時に長い時間をかけて何の知識も持たない頃からその対象に日常から接する機会を多く持つ事だとも言えます。



果たして我々の生活の中で何の前提知識も持たないままで何かを好きになっている物は、一体どれだけあるのでしょうか。意外にこの点から二つのタイプに分類できます。
 

知識というのは一つの「言語化した情報」ですから言語化された時点でそれは、言語という共通のコミュニケーションの手段を利用してそこに、ある種の共有観念が既に成立している事象と言えます。「言葉で説明できるもの」と言う事は、ある程度お互いに共通している限定された中からの選択と言う事になります。



これに対して「知識を持たない」と言う事は、その選択がより幅広く、見方を変えれば、自分自身で無限の対象物の中から選びだし、それを言語化して他の人へ納得させるという労力が必要になります。「あの感じよ、ほらあの感じ、」はたまた「これ、これ、今、オレが思っている感じよ。」と、どんなに懸命に伝えようと試みても「わかんないのかなあ〜」とお互い何の共通したものも共有できません。



とすれば、既に「知識」として存在するというものは、必ず、多くの人が共有している一応の言語が用意されているということになります。これらの言葉を利用すれば誰でも大体の所を誤解なく「ああ、あの感じか」と受け取ってくれることになります。



多くの人が理解できる「知識」を言葉で説明できるようにと、幼児期に私たちは少しずつ教え込まれて行きます。



現代は幼児期に多くの「言葉」を覚え込ませる方が、より成長してから覚えようとするよりも、言葉は簡単に覚えられる、という事を発見してからというもの、幼児期教育競争が盛んに提唱されています。おかげで大人ではとても読めない、書けない漢字でも平気で書いてしまう幼児も多く製造されています。これはやがて「人間漢和辞典」が増えるという事ですから、ますます便利な社会になっていくと思われます。「君、君、これ何て読むの?」といつでも道ばたで聞けるという事です。



それでは、これらすべての言葉を多く知れば、すべてのものは伝える事ができるのでしょうか?


例えば、初めてイチゴジャムを入れて作ってみたカレーライスの味はどんな言語で説明できるのでしょうか?


きな粉でまぶした絹ごし豆腐をレンジでチンしてそれをケチャップ醤油で人参の千切りと共に食べた味はどうでしょうか?(お国自慢料理でありそうですが)



おそらく「まずい!」「うまい!」のどちらかを使うしかないのではないでしょうか?


私なら「昔、昔ある所におじいさんとおばあさんがいました。そんな味です」というしかありません。



このように、言葉での説明が不可能と思える事は、まだまだ無限に存在しています。


説明して伝えきれない、他人と共有できない「得体のしれないもの」に出会った時、私達はそこに一つの言語を創造する力が要求されます。その「感じ」が誰でも体験できないものであればあるほど、それはその人の感性による正解のない自分だけの言葉となって行きます。



私たちがこれまでの学校教育を受けて来た中で、こうした今まで存在しないものを作り出すという「創造力」の開発に通じると言える学科に 何か心あたりがあるしょうか?



図画工作というものがありましたが、これも「何をつくるか」という既成の事象を真面目に再現する能力にたけた者がいつも良い点数をとったように思います。


芥川也寸志(作曲家 故人)は「音楽の基礎」(岩波新書)の中で幼児教育は、「天才に凡人が教えるようなもの」として、江戸時代の礼儀作法の先生の話しを書いています。



「正しいそばの食べ方はつゆをあまり麺につけてはならない」とし、これをきつく門人にも言い渡します。しかし、その師匠は、やがてその臨終の際、「ああ、一度でいいからつゆをいっぱいつけてそばを食いたかった」と言い残して死んで行った、とあります。


これは、「常識を教えて行く」ということに対しての氏が示した音楽教育の怖さを示しています。なぜなら音楽教育は、創造であり、再現することではないと作曲家の立場から述べています。


現在の教育は、すべて、目的とする大学入学を前提としています。そこから受験産業が生まれて来ました。常識となった無限に近い知識を大学受験のために特定化し自己のテリトリーを権威化していきます。競馬の予想屋の組織活動ようなものでしょうか。


その結果、より暗記力を重視していくクイズ的思考法を持つ者が優位に立っていきます。より多くの者が認めた言語で説明された「知識」を所有した者が「知識人」として尊敬されています。いわゆる「あの人、頭がいいらしいよ」という噂される人物です。


その代償として創造脳の開発は、「無駄な時間」として排除されていきます。


なぜかと言うと、「何か、おもしろいものを作ってよ」と言われるよりも「このプラモデルを説明書を見て作ってください」と言われた方が何時間も「よい考え」が思い浮かぶまで「ボー」としなくて済みます。時間の節約です。そんな事をしていては受験に影響してきます。あれもこれも覚えなくてはいけないのですからこんな事に関わってばかりはいられません。どうせ受験には出ません。



こんなことも考えられます。「日本の政治についてあなたの意見を400字詰め原稿用紙10枚に書いて提出せよ」と言われたらいつもよい成績を取っている「頭のよい子」は大急ぎで図書館に行って、「政治、政治」と探し出します。別に普段、何も考えてなかったのですから10枚分も書く事はありません。しょうがないから名前だけよく知っている、「一番有名な人」の書いた本を買って、その人の言っている事を書き出す事にします。

その日の新聞の社説をそのまま書いてしまう方がもっと早いかもしれません。
日曜日まで待って竹村健一氏の言う事を録画して書いた方が他の人よりはカッコよい事が書けるかもしれません。マフィアの事を知らないから落合信彦氏は参考になりません。



とにかくよい成績を取るためには「考えている」時間はありません。次から次へと「知識」を頭の中に入れなくてはいけないのです。大変です。受験まであと数ヶ月しかありません。



その方が時間を浪費せず、早く他人よりもその事にくわしくなれるのですから。



あなたがもし、これから「ワイン通」として他の人よりくわしくなりたいと思ったとします。さてまず何から始めるでしょうか?



ワインの本をまず買って来て、一体どんなワインをまず買えばよいのかを調べ出すかもしれません。あなたは無駄な時間が嫌いです。そうやって受験を乗り越えて来ました。
よい参考書さえあれば、あなたはどんな試験も乗り越えられると教育されて来ましたから当然、同じ事をあなたがこれから「好きになる」事へも適応しようとします。


とりあえず一番、有名なものを飲んで見たいと思います。手ごろなもので、あなたは、その次、その次に有名なものを、と書かれているリストに目をやり探して行きます。
そしてようやくあなたにも手に入る手ごろなワインを見つけ、作法に乗っ取り飲んで見ます。


「う、まずい!」と思うかもしれませんし、「こ、これは!」と思うかもしれません。
とにかくどちらにせよ、あなたは他人よりも一番「ワイン通」になると決めたのですからどちらでもよいのです。味なんて。こわれた味覚で一番まずいものを「オイシイ」と脳に再インストールすればよいのです。


あなたは色々な人へ機会ある毎にワインの話しをします。そういえば何で「ワイン」なのだろう?と、ふと思ったりしますが、よくわかりません。大方、彼女がそうだ、と人づてに聞いたか、これまた外国の「一番有名な」探偵小説でも読んだからかもしれません。いずれにせよ、あなたは「ワインがわかる人」になりたいと思ったのです。


こうしてあなたは色々な事への興味を広げて行きます。すると必然的に物事を判断するのに既存の知識を手がかりにしかその良し悪しを判断できない者が大量に製造されていきます。とにかくあなたには時間がないのです。1日も早くマスターしたいのです。


そうしてあなたはある日、「ジャズ」に出会います。ようやく受験も無事終り大学へ入学できました。あとは好きな事をやりたいのです。


ジャズの雑誌や本を買い込んで来ます。「要するに誰が一番えらいんだ!」とあなたは、そこへ書かれている記事や、特にレコ−ド評を熱心に読みます。あなたは無駄が嫌いです。だからその雑誌が「選定」しているものを買い込みます。


レコードをよく聞いてもわからないのであなたは真っ先に解説ビラの「ライナーノーツ」を熱心に暗記します。何年に生まれた人なのか?、何年に出たレコードなのか?誰か他にこのレコードを絶賛した有名人はいるのか?など、あなたは「知らないと恥じをかく?」情報を一所懸命調べ上げます。



そうやってあなたは、1日も早くジャズをマスターして「ジャズ会話」に加わりたいのです。


「何のレコード聞いてるの?」「それ、何年に出たか知っているの?」「いいレコード買ったねえ〜。油井正一(ふる〜)もよいといっているよ、それに**でも選定されているからなあ〜。わっはっは」(「わっはっは」は余計です)


やがてあなたはそこで一番の「物知り博士」と呼ばれます。そしてあなたはついに自分でも楽器を買ってジャズを始めます。


それから何ヶ月かしてあなたはジャズで一番えらい人の演奏を一所懸命にコピー譜を買って来て真似ようとします。天性の耳の悪さで、コピー譜がないとダメなのです。人には言えません。しかし、あなたはベンチャーズのコピーバンドは嫌いです。


あなたはジャズで一番偉い人は、チャーリー.パーカー、ウエス.モンゴメリ−、ジョー.パス、マイルス.デイビス、コルトレーン、と暗記して行きます。


そしてジャズをその年代を追って1から学ぼうと決意します。そこであなたはビーバップというジャズのジャンルに出会います。1950年代からのスタートです。


このビーバップと呼ばれるジャンルで良く使われるコード進行があなたには頭痛の種です。目まぐるしくキーが転調するため天性のリズム感の悪さであなたにはとてもついていけません。あなたはいつも変わり目を見逃してしまいます。(How are you? I'm fine thank you and you? と言いながら突然飛び出して行ったら外人が通り過ぎていた、と言う感じです。)



またあなたはそのためにツーファイブと呼ばれるコード進行が多く使われるビーバップというジャンルのための「ツーファイヴフレーズ集」という本で一所懸命、フレーズを覚えようとしますが、せっかく覚えてもいつも演奏中、見過ごしてしまいます。しばらくするとまたそのフレーズも忘れてしまうため、あなたはまた暗記をやりなおそうと新年に誓いを立てます。


あなたは、受験生時代、「単語集」を覚えようとした頃を思います。息抜きに買った「一週間で覚える英会話」の本を暗記していた頃のようです。おかげで今は1時間くらいかければ英語の本の1ページ目を辞書を引きながら「読解」する事ができるのですが、もう何だか英文は見たくもありません。


それからあなたは、勉強中の曲が入っていないレコードは買わないようになります。
有名な曲でないと聞いても意味がないからです。あなたは中古レコード屋さんへ行き、1950年〜1960年代の頃のレコードを買い集めます。しっかり「名演リストブック」を握りしめながらです。これなしにはどうにも買う気になりません。



新しいものへはあまり興味もわかなくなって来ました。新しい曲はまだ「有名」じゃないから聞いても勉強にならないと考えたからです。得体の知れないものは無駄な買い物だからです。(誰も推薦していない参考書を買った時の気分でしょう。)


ついでにあなたは「世界文学全集」を全巻、読破しようと思うのですが、別に試験があるわけじゃないから急ぐ必要はありません。しかし雑誌の類いは大好きでいつも時間を忘れて立ち読みしてしまいます。宝島出版の本は大好きです。


やがてあなたも大学を卒業する時が来ました。あなたはいっこうに上手くなりませんでした。だけどあなたはその事を認めるのが嫌です。あなたは自分がとうとうできなかった、「レコードそっくりに演奏して見せる者」を目撃しては「あこがれ」を抱きます。ベンチャーズは嫌いです。


あなたは「ジャズミュージシャンになりたかった」と思いつつも社会人となって行きました。1950年〜1960年代にあなたはあこがれます。そうしてやがて2001年を迎えました。


こうして、必然的に物事を判断するのに既存の権威ある知識を手がかりにしかその良し悪しを判断できない者が大量に製造されていきます。


それぞれの疑問が自己の持つ権威ある知識に合致しないと不安で夜も眠れません。何かを身につけようと思うとまずその権威を探します。それが幼い頃から教えられた唯一の学習方だからです。時間をかけないでより早く、物事の権威になる方法論です。そう教えられて来ました。一度聞けばすぐにレコードコピーに取りかかります。時間がもったいないのです。いち早く譜面化しなくては夜も眠れません。


しかしワインに心があるように音楽にも譜面化できないこころがあります。縦には無限の強度(音符を弾く強さ)が存在し横にもまた無限の揺れが存在します。既成の音符にはない音です。名前のついていない目に見えない生き物と言い換えてもよいでしょう。


例えば、未開人の叩く太鼓のリズムや民謡家の唄う、音程などは極端な例です。


ちなみにほとんどの沖縄民謡歌手が普通の曲を唄うと「音痴」になります。連中は「絶対」で唄っているからです。「相対的」でないという事です。彼等独自の音程感の事です。西洋風の無限に存在する音の中の12音しか「気持ちよくない」と言う、幼児期にかかった不治の病の「絶対音感」の事ではありません。まあしかし、よく考えれば、似たようなものですか。


彼等、民謡歌手の「音程」を包みこむ和音を洋楽で行なうには高度なハーモニーの知識が必要です。武満徹氏などの作品を聞くと良いでしょう。一般には、こうしたエスニック系はすべて一つの和音で済まし、後はゴチャゴチャとリズム楽器を入れ、ごまかして一丁上がりです。


(しかしそのことで民謡歌手はコンプレックスを持っていますが、内緒にしておく事にしましょう。そのかわり、お金はたくさん稼いでいる者も多いのですから。三味線片手におとなしく民謡を唄っていれば、レコード会社の人にも、とやかく言われないで済むのですから。もし「音痴」でなかったら今度は、沖縄民謡は唄えません。西洋音階にないのですからしかたありません。よく音楽書には「琉球音階」として書かれていますが。日本語で英語の発音を記録していると思えばよいでしょう。)


レコード(CD?)の音をもし忠実に再現したとしたらその人は異能のカルト族です。あるマンガの第24巻の128ページの台詞は?という問いに即座に暗唱して見せてしまう人種に属します。(誰もマンガは描けませんが。マンガ家本人も覚えていません。覚えきれたらマンガなど描けません。)


小室哲哉の作曲法は、一番流行ったメロディをコンピュータ−に打ち込んで置いてそれを組み合わせてあっと言う間につくってしまうそうです。

『一人の人をまねる事を”盗作”と呼び、多くの人をまねる事を”研究”と呼ぶ。』という例えは、当たっていると思います。すべては要素のつながりです。しかしその人にとっての創造は、部分のつなぎ方でしかありません。権威と権威を加えれば超権威が生まれる、という理論に行き着きます。


私が、20世紀を代表するポピュラーミュージックを1曲と言われれば、即座に「スターダスト」を上げます。ホ−ギーカー.マイケルの曲です。この曲からは、ドビュッシーの香りがあり40年後のビートルズの出現も予感させます。


これほど頭と心のバランスがとれた曲はまれです。21世紀のジャズのありかたをも示唆しています。他の曲は、頭だけ、または心だけで創ることができます。しかしこの曲は、ミューズの神が降りて来たとしか思えません。


実際、この曲ができたのは、ホ−ギーカー.マイケルが山道を散歩している時、突然、冒頭のバース verse が聞こえて来たとされ、マイケルは、必死でピアノを探し回り、山の小さな小学校を見つけますが、日曜日で開いていません。マイケルは、音楽講堂にピアノを見つけ、ついには、窓ガラスを割って侵入し朝までかかってこの曲を仕上げたと言われています,,,,,,,,,,,,,,,,。アメリカ人は、こういう話しを創るのが好きです。


いずれにせよ、誰もがつくれる曲ではありません。天才の一人です。歌詞も今世紀を代表する文学性の高いものです。


これだけ経済の発展を成し遂げた日本において、どんなにお金をかけてアメリカでの一時期の成功をでっち上げても1961年頃ヒットした中村八大氏の「上を向いて歩こう」以外なぜ西洋人の琴線にふれないのでしょうか。以来1曲も日本からヒット曲は生まれていません。


すぐれたジャズインプロヴァイザーでジャンキーの八大氏はアメリカ旅行の際、オーネットコールマンのバンドに思わず飛び入りしました。日本のジャズメンはここまで日本の洋楽が受け入られないとは想像もしなかったでしょう。あれから40年あまりの歳月が流れました。


(私見を言えば、近年、ますますそのサビの部分は除外されて好まれていきます。何を意味しているのでしょうか。)


増加する著作権違反問題。日本のインテリ教育の抱える問題は、常に誰が一番早く権威を模倣するか?の競争社会にまたしても変えて行ってしまったわけです。自己の得意な能力のテリトリーにそれぞれが持ち込んで行ったわけです。


(私はこれを「パクリ唄チャンチャカチャン」と呼んで愛唱しています。別に、1曲に5〜6人分の作曲料を支払えば、問題ないと思います。「主婦のための作曲講座」もカルチャーセンターで開けます。それでも「儲け」は充分出ると思います。昔、ジャイアント馬場が出ていたキーボードのCMのフレーズ「ボクにも弾けた〜」を思い出します。どうしても物まねしようとしてしまう誘惑に勝てませんが。)


高学歴な者ほどその知性の証明としての緻密な解説能力とその対極にある行動力の証明となる職人芸をもまた、再現能力の競い合いに「変換」してしまうわけです。「すべての権威に君臨した」として自己を位置付けようと演出し始めるわけです。(本物の職人は知識ではなく”工夫”のみをの唯一の自己の誇りとしているものですが、、、。)


こうした考えをもつ音楽が受験産業によって大量に排出され、またその対極にある「すべての常識を拒否した音楽(デタラメ?)」をも増加させた要因の一つと見る事ができます。


これが日本においての高学歴ジャズ愛好家のもつ多数派として君臨し始めた「感性の権威化」に向けての無意識な
行動 の一つである、と言う ことができます。


以前、ヨーロッパのミュージシャンが「日本のミュージシャンのアドリブフレーズはみんな著作権に違反しているよ、ワンフレーズ毎にお金を払うべきだ!」と言ったといいます。「上手い事いうなあ〜」と思いましたが、世界はこんな風に思っていたのか、と改めて、どうりで40年たっても「上を向いて歩こう」以外出ないわけだ、と納得した次第です。


「言われてみれば最初から最後までびっちり、どこかで聞いたフレーズばっかりのアドリブプレーヤーが多いかなあ〜」と気づきます。そのヨーロッパの有名ミュージシャン、相当怒っていたと聞きます。世界に出ると怖いですから誰もチェックできない所で弾いている方が安全です。


例えば、過去に「受けたフレーズ」をこまめに調査して所々にそのフレーズをちりばめた「漫才」があったとしたらどうでしょう?笑えるでしょうか?「勉強熱心」ではある訳です。


これが過去の権威のフレーズばかりで固めたアドリブのつくり出す世界です。


すでに博物館行きのスタイルで得意になっているわけです。何度も何度もそれを毎回披露する所に「ああ、この人はすごい権威主義なんだな」と分析できるわけです。


別な例を上げれば、「詩をつくってきてくれ」と言われ、一行一行が過去の有名な詩人俳人からのそのままの引用でつくり上げたものと言えます。わかりやすく作れば、こんな詩です。



”雨にも負けず、風にも負けず、働けど、働けど、ぼくの前に道はない。ああ、我泣き濡れて、じっと手を見る。”


これが権威あるフレーズでかためた人の演奏スタイルです。その出所がわかる者にはこの詩と同じ印象を持ちます。最近の「パクリ唄」もこんな感じでできています。どこにもその人の「心」が見えず、「創造」のかけらもありません。ただ真面目に勉強と暗記だけはしている事はわかります。


何も知らない人にとってはこの詩のどこが変なのかはわかりません。(それでも、相当に限定して作っているのですが)


沖縄にはよく「日本で NO.1 ジャズギタリスト」「日本のBBキング」「日本のNO.1ロックギタリスト」「世界的、、、」がやって来ます。聞いても別に何の芸術的霊感も感じないのですが、こうした序列感覚はどこから来ているのでしょうか。


アメリカのギタリストには、ジョンスコフィールド、パットメセニー、ジョンアバークロンビー、ウルフガング.ムースピール(アメリカではないが)などがいます。


BBキング、ジェフベックのどちらが上か?なんて考えても見た事がないのですが、やはりオリジナリティーがない分、誰が一番権威に近いか?と序列意識が芽生えるのでしょうか?


ある10代の予備校に通う男子受験生がジャズを好きになり教室で、ジョン.スコフィールド、ウルフガング.ムースピール、パットメセニ−、ミックグッドリック等のギタリストのCDを紹介したところ、ジャズ通を自認する予備校教師の猛反撃にあったそうです。


曰く、「これらのギタリストは、ジョーパス、タルファーロウ、ウエスモンゴメリー等に比べれば、幼稚園児のようなもの、ジャズギターをやりたいならそんなギタリストを聞いてはダメだ!」と言われたそうです。


また「本物は、皆、細いゲージの弦など張らないものだ、エフェクターも使用しない。管楽器が吹くフレーズが弾けなくては、偽物だ!」とも言われたそうです。1999年の話しです。


現在、受験生と予備校の教師の結びつきは「教祖と信者」に近く、その教えは学校の教師とは比較できないそうです。なるほどよい「教え」です。こんな教師のかつてのビーバップコンプレックスからくる「怨念」を受け継がされては、日本社会は「怨念の社会」である、と頷けます。(作家の井沢元彦氏にはもっと活躍してもらいたいものです。)


自分が未知のものに対しての「怖れ」からくる「格下」レッテルをその立場にまかせて貼りまくり活動ではいつまで経ってもジミ−ヘンドリックス以外に天才は出現しない事になります。時代は20年のサイクルを永久にまわり続け、そこから逸脱することはできません。


これが現在の「語学音痴民族」をも作り続けている原因の一端にもなっているのでしょう。


(そうは思わない、と考える英語教師がいれば、自力で抗議文を作成し提示して見せればよい。ネイティブスピーカーに添削させます)


既存の音大教育では「ちょうちょう」のメロディにすら和音をつける事ができない事を作曲家、中田喜直氏がその著「実用和声学」(音楽之友社刊)にて昭和32年に暴露してからもなお依然、音大のテキストは大して変わらないといいます。


ギターは、本来、ホーン(管楽器)のフレーズを模倣する所から始まり(チャーリークリスチャン等)そこからギター本来のアドリブを模索し(ビリーバウアー等)そのスタイルが近代の音楽までを取り込めるスタイルを(ジムホール等)創作して来ました。


チャーリーパーカーのフレーズをギターで再現しようと工夫すればジョーパスのアドリブスタイルが生まれます。俗に「ジョーパスはジャンゴラインハルトの影響を受け、、」といった記述が常識となっていますがそのスタイルには何の影響を受けた形跡はありません。


「ジャンゴ」という曲を弾いてパーカーイディオムの様式美(アルトサックスの巨人、チャーリーパーカーのようにアドリブする事)をギターでも再現して見せたことはあります。ただ単に、ジャンゴ.ラインハルトと言うジプシーのギタリストが火傷で使えなくなった左手2本の指を補ってのすさまじい速弾きを目のあたりにして感動したと言う事だと思います。ジョ−少年にとっては。(一体、どの指がないのか、よくわかりませんが)

ギタリストのジョーパスをコピーしてジョンアバークロンビーは生まれません。別の次元からの発生現象です。アウストラロピテクスと現生人の違いがあります。今は何とも言えません。


パットメセニーはウエスモンゴメリ−命の少年だったと本人も語っておりますが、私には、その影響は見て取れません。リーリトナーがウエスを好きだったという事はわかります。ジャズを弾くと「16分音符をたまに弾くウエス」と呼べるでしょう。


いずれにせよジャズを好きになりかけたその少年は、かつては学生時代にジャズギターに挑戦したがビーバップフレーズの「まる暗記傾向と対策メソッド」にいつまでたっても自由に話せない(弾けない)自分自身に苛立ち、挫折してしまった、尊敬する予備校教師の教えに従い、同様の結末を迎え、今、また同じ事をジャズが好きになった新参者に言うようになるだろうと充分予測できます。終らない20年のサイクルです。


また、それらのレコードが何年に出され、「スィングジャーナル選定賞」も受けたという事実さえも知らないことを「まだまだ修行が足りない!」と戒められたともいいます。


私もジャズ愛好家とジャズ喫茶のマスターとの会話でこれに近いものを奥のテーブルから盗み聞き、どのギタリストのフレーズも満足に暗記していない自分に、とてもギターを弾いている、と言えなかった経験があります。「オレは白痴に違いない」と思ったものです。


しかし当時の私にはもしBBキングが「ちょうちょう」を弾いたら、ジムホールだったら、マイルスがギターだったらという「もしもシリーズ」という芸がありましたが、なんだか自分の芸は、見せ物小屋に売られた、「カナシイ芸人」のように思え、逃げるように店を出た覚えがあります。


それもこれも、物事をちゃんと暗記できない逆サヴァンヌ症候群のおかげです。
(映画「レインマン」参照)。しかし4つくらいの単語で100のセンテンスが作れないか、とか、ニンジンと卵と豆腐のみで360種のメニューができないか、と自分でなんでも作ってしまえないかと考えててみるようになりました。(まともな料理はな〜んもできませんが)


すると世の中にある、無限の権威ある知識を修得するための膨大な時間が節約され、その分を創造する時間に当てても「命に別状はない」ということを知りました。


2音のみで123曲作ってみる、ギターに1弦一本張って1年を過ごす、2年目に2弦目を張る、その間、何も参考になる資料は世の中に存在しません。そうして6年後にはどんな風になっているのだろうか?と。


世の中には、20年30年楽器を弾いても1ヶ月で中学生の夏休み中に抜かれてしまう大人が多くいます。どうせなら6年くらいそうして過ごしてもよかったのにと同情します。今から6年後もあまり上達していなかったら残りの6年はすべてをあきらめて試して見て下さい。私としてもその実験結果を知りたく思います。


小学校入学と同時に1弦一本だけ張ったギターを買ってやるのです。その子は進級する度「やったー新しい弦がもらえるぜ!」と感動もヒトシオでしょう。「おとうさん、おかあさん、ありがとう!」と親子関係も上手く行くことでしょう。「中学に入ったら勝負だぜ!」と計画性のある忍耐強い子にも育って行くでしょう。メデタシメデタシです。


早くこんな教育ができる時代が来てほしいものです。そのなかから第2の「上を向いて歩こう」も生まれて行く事でしょう。



私は、アニメの帝王、メロディーメーカー小林亜星氏を秘かに支持しています。
 
http://www.remus.dti.ne.jp/~astro/A_chama/a-chama.html






以上「歯医者はなぜウエスモンゴメリーが好きか」への一考察とする。

                     2000年 3月26日 土曜日


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